「平成」制定の裏方が語る「事前に候補を知っていたのは4人だけ」
文科省から来た審議官に絶対口外しないよう頼んだうえで、手伝ってもらいました」
焼き肉店や中華料理店などに同名の店がないかまで、電話帳で調べたという。
「私はこの3案の中で、最初から『平成』しかないと思っていました。考案者は東洋史が専門の東京大学名誉教授(当時)の山本達郎先生です。じつは何人かの候補者の中で、いちばん最後に頼みに行った方だったんです」
崩御1カ月以上前の段階で、3つの候補案は竹下登総理(当時)と小渕恵三官房長官(当時)に、事前に伝えられていた。
「竹下さんも小渕さんも一切誰にも漏らしませんでした。その時点で候補案を知っているのは、文科省の審議官も含め、4人だけです」
年が明けた1月7日早朝、昭和天皇が崩御する。民間の有識者を集めた「元号に関する懇談会」、全閣僚会議などを経て、新元号は「平成」に決まった。
「修文」「正化」の頭文字は「S」。
「M(明治)、T(大正)、S(昭和)なので、Hの平成がいちばんいいと思います」という的場さんの意見も重視された。
「平成というのは本当にいい元号だと思います。なんとなく見ただけで意味がわかりますし、実際にそうだったかと言われると異論があるかもしれませんが、平和になるようにという願いを込めた元号なのですから」