2019年6月17日 11:00
上野千鶴子さん訴える「令和の時代こそ“うるさい女になって闘え”」
それを専業主婦の母が耐えつつ支え、父方の祖母が同居で嫁姑問題もあって。私は、5つ年上の兄と、2つ下の弟にはさまれた一人娘で、ねこっかわいがりされました。いわばペット愛ですね」
1948年7月12日、富山県に生まれた上野さん。活発で、超がつくほど好奇心旺盛。夏休みの課題で、家の前の道路に小銭を置いて物陰から人間観察したことも。高校入学と同時に、家族で金沢に引っ越して、石川県立金沢二水高校へ。
「中学、高校と、生徒会の活動をしました。中学では副会長。
あの当時、女子は会長にはなれませんでした。高校で議長というのは生徒会長だった男子の陰謀でね、上野を黙らせるには議長をやらせるのがいいと(笑)。医師を志した時期もありましたが、卒業のころには方向転換していました。父の人生を見てて、楽しそうに見えなかったから」
京都大学文学部に入学して、18歳で家を出た。
「入学してすぐは、アウトドア好きのワンゲルの女子部員でした。ところが、すぐに学園闘争が始まるんです。秋には文学部の同期生の山崎博昭君が羽田闘争で亡くなる。私が生まれて初めて参加したデモが、彼の追悼デモでした」
大学院に進んだのはモラトリアムだった、と振り返る。