くらし情報『上野千鶴子さん訴える「令和の時代こそ“うるさい女になって闘え”」』

2019年6月17日 11:00

上野千鶴子さん訴える「令和の時代こそ“うるさい女になって闘え”」

「学園闘争のあとは、もう朝起きるのもイヤ、就活もイヤで、1年くらい死んだも同然の状態でした。加えて、あの当時、女が院を出ても就職はなかったんです」

そんなとき参加したのが、京都の日本女性学研究会だった。

「それまで女性学って、日本では影も形もありませんでした。’77年から’78年にかけて、そうした民間の団体が出てきたんです。ただの仲よしクラブじゃないですから、研究プロジェクトを組んで勉強会をやる。調べると、次々と疑問や怒りが湧いてくる。月経用品や出産の歴史など、毎日が発見の連続、誰もがパイオニアでしたから、こんなにおもしろいことはなかった。なにより集まった女性たちが自立していて、大学以上に刺激的でした」

’82年には、本人が“処女喪失作”と呼ぶ『セクシィ・ギャルの大研究』で華々しく著者デビュー。
その後、アグネス論争を経て、30代を迎えてまもなく京都の平安女学院短期大学の専任講師に。
「一般教養の社会学の講師としての採用でした。18~19歳の生徒を前に専門用語は使わないと決めて講義したら、ウケたんですよね。あのコたちは、偏差値優等生とは違って体で反応するから、おもしろければ身を乗り出すし、つまらなければそっぽを向く。

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.