2019年9月6日 11:00
18年前脱北した日本人妻 斎藤博子さん「子供守る、飢えとの闘い」
「弥生は2000年ごろ、刑務所で亡くなったと聞かされました。遺体すら戻ってきませんでした」
三女・花恵さんに続いて、長女・弥生さんも亡くした斎藤さん。子どもを死なせることほどつらいことはなかった。
転機が訪れたのは、’01年3月。家にやってきた見知らぬブローカーから、こう誘われたのだ。
「中国に行って、日本の親族に電話をかけないか。お金を送ってもらえば生活もラクになる」
自由渡航は禁じられている。中国に行くには、北朝鮮と中国の国境に流れる鴨緑江という川を渡らねばならない。
万が一、当局に見つかれば、連れ戻されて収容所に入れられる。
「何度か断ったけど、子や孫の生活が少しでもラクになるなら、と決断したんです」
’01年6月、斎藤さんは警備の目を盗み、案内人に先導されながら鴨緑江を歩いて渡った。到着したのは、中国と朝鮮の国境にある長白という辺境の町。「日本の母へ電話をかけましたが、番号が変わっていて通じませんでした。そしたら案内人が、『戸籍を取り寄せたら日本に戻れる。日本で2〜3年働いて、子どもたちにお金を送ってやればいい』と、勧められたんです」
2〜3年日本で働いて、また北朝鮮に戻ろうーー。