天皇ご一家とプレーする元プロテニス選手の先駆者人生
学習院女子中等科1年で、全国大会に出場したとき、初戦でいきなり強豪選手と当たってしまった。窮地に追い込まれた佐藤さんに、母の怒りは容赦なかった。
「当時の試合では、コートサイドまで保護者が入ってこられたんです。そこで母は、『ナナ(佐藤さんの愛称)のテニスじゃない。ウジウジしてる!』って」
叱咤すると、クルリと踵を返して、冷たく立ち去った。
「初めての大阪遠征で萎縮し、持ち味が出せていなかったんです」
母の怒りで目が覚めて、ふだんのプレースタイルを取り戻した佐藤さんは、逆転勝利。
「あれは、私にとって、人生をテニスに懸ける覚悟をするための大きな分岐点となる大会でした」
勝負にこだわる母の激しさが、後にプロ選手として世界と闘う佐藤さんのメンタルを作っていった。その大会で、シングルス、ダブルスともに優勝し、早くも「中学に敵なし」となった彼女の目は、自然に海外へと向いていった。
初めての海外遠征は、高校1年の夏休みにアメリカへ。
「アメリカのジュニア選手のずうずうしさには驚きました。自己主張が強く、ラケットを投げたり、審判に文句を言ったり。おどおどしていた私も『負けるわけにはいかない』と、神経がずぶとくなりました」