世良公則コロナ時代に“政治発言”連発 根底に43年間のロック魂
「あまりにアーティストたちが静かなので、自分が声を上げようと。誹謗中傷もあるけど、遠慮なんてしていられないですよ」
批判のなかでも自らの信じた道を進む。その“ロックな生き方”の原点は、43年間におよぶミュージシャン人生にある。
世良は、55年12月14日、広島県福山市に生まれ、貨物船が行き交う福山港に臨む、のどかな港町で育った。
「高校生になって、バイト代をためてギターを買いました。福山に大きな楽器店はないから、手に入れられたのはヤマハの名に似たマルハというメーカー。でも、すごくうれしくて、いまでも実家にありますよ」
そう語った世良が、世良公則&ツイストとしてデビューしたのは、77年。『あんたのバラード』がデビュー曲だ。
78年に『宿無し』、『銃爪』、『性』、79年に『燃えろいい女』など、ヒットを連発。『ザ・ベストテン』(TBS系)でも常連のバンドとなった。
だが当時、ロックミュージシャンには、歌番組を『歌謡曲や演歌と一緒の番組に出たくない』『3分半に編集した曲では伝わらない』と、出演拒否する風潮があった。
「『テレビなんかに出やがって、あんなのロックじゃない』と、先輩ミュージシャンからの反発もありました。