コロナ禍で生活激変した芸人「3千キロマラソンを走る危機に…」
また、子供向けのお笑い番組「わらたまドッカ〜ン」(NHK Eテレ)の初代「わらたま芸人マスター」という顔も持つたかみちは、保育園や幼稚園に呼ばれてネタを披露したり、子供向けのイベントを開催したりしていた。だが、こちらも激減……。さらに影響は芸能活動だけではなかった、とたかみちは語る。
「豊洲市場のお寿司屋さんでアルバイトをしてたんですよ。築地にあったときから、3年くらい。僕は渋谷区に住んでるんですけど、市場は朝早いから、始発でも間に合わなくて、自転車で1時間半くらいかけて……。でもコロナでお客さんが来なくなったら、『ごめん、もう雇えない』となってしまって。幸いご厚意で豊洲にある海鮮丼屋さんに移ることはできました。
結局、1時間半かかるのは変わらんのですけど(笑)」
ここまでは、コロナ禍の芸人にとっては珍しい話ではないのかもしれない。さらに、たかみちが仕事の機会を失うことになった。“パラスポーツ大好き芸人”として活動していたためだ。
「車椅子を作っている会社の社長さんと仲良くて、その方を通じて、もともとパラスポーツの選手たちと交流がありました。夏季も冬季も、五輪に出るような選手を5人くらい知っていて。