2020年12月21日 11:00
20歳で中学に…アイヌ解放に尽力の宇梶静江さん語る学生時代
だから、どんなにいじめられていても、放っておかれました。先生に認められるなんてことは、夢にも思えなかった」
父は昆布漁、木材の伐採などで家族を養っていたが、戦争が長引き食糧難になって「子供にひもじい思いをさせまい」と農業に転向。6人きょうだいの上から3番目、次女の静江さんが10歳のときだ。しかし、当初は凶作が続き、家はますます貧しくなった。そうした貧しいアイヌの子は、農作業や奉公に出て働くのが当たり前、学業は二の次だった。
だから、静江さんの10代は、ひたすら父を手伝い必死に田畑を耕し続ける日々だった。魚の行商で成功したこともあったが、心の片隅にはいつも「勉強したい」という思いがくすぶっていた。
19歳の秋。
親戚が集まったいろり端でのこと。「静江も来年は二十歳、嫁に行かなきゃな」と不意に言われ、とっさに彼女は「嫁には行かない!」と宣言する。
母は泣き出したが、父が助け舟を出してくれた。
「将来、子育てする女が学校に行くのも、決して悪いことじゃない」
家長の発言に、兄が続いた。
「静江、行くなら札幌にしろ。それで学校の先生になってくれ」
札幌の中学校では、いじめや差別は一切なかったというが、アイヌということがネックになって就職は困難だった。