昭和のスター・石原プロ豪快伝説! 舘ひろし明かす秘話
【’92年】新事務所開きも派手に
調布駅近くにかまえた新事務所で新年の鏡開きをし、結束を強めた。
【’09年】新年会で万札配布
お年玉として、報道陣へ1万円札を配る恒例行事は平成でも。
’63年に立ち上げられた「石原プロモーション」。発足から20年後、舘は『西部警察』シリーズで出会った渡哲也さん(享年78)に憧れ、仲間入りを果たした。
「うち(石原プロ)は、“よく遊び、よく遊び”っていうのがモットーで。映画の撮影も、そんなに真剣に撮らなくていいって感覚だったから、石原さんも渡さんも僕も含めてみんなで大根役者集団みたいなね(笑)。渡さんに『ひろし、お前最近芝居がうまいな。あんまよくないな』って怒られたくらい」
“芝居は下手でいい”という感覚には、昭和のスター軍団ならではの流儀があった。
「石原プロの芝居は、自分の持っている存在感だけで画面を支えていく、いるだけで画(え)になるっていうものでしたね。だって『西部警察』って内容とか全くないんだからね(笑)。でも最後に、石原さんと渡さんが波止場でタバコ吸いながらトレンチコートで向こうから歩いてくるとさ、それだけで説得力があるじゃない」