俳優の舘ひろし(72)が21日、都内で行われた『マイナポイント第2弾 新CM発表会』に登場。2020年のCMからマイナちゃんのきぐるみを着た同シリーズに出演していることへの反響を語った。舘は「最初に話を頂いたときは渡(哲也)さんが存命で、『きぐるみなんですけど…』って相談をしたら『これはお国のためだ、しっかりやれ』と言われてOKすることになりました」と出演を決めた理由を告白。出演後の反響については「柄にもなくかわいいと言われ、この歳でかわいいと言われてうれしいといっていいのか…(笑)」と照れ笑いを浮かべていた。今回のCMで共演した新庄剛志氏からVTRで「ダンディーな身のこなしのポイントは?」と質問を受けると「自分を捨てて振り切る。これしかないですね(笑)」ときぐるみを演じる上での心境を語った。同イベントには、ずん・飯尾和樹、深川麻衣も出席。新CM『マイナポイント広報室「第2弾、本格スタート!」篇』は、あす22日より全国で放映する。
2022年06月21日名だたる古典バレエを自身のプロダクションとして生まれ変わらせてきた熊川哲也が、2017年、原作も音楽も存在しない全幕作品に挑み、熊川哲也の最高傑作と名高い「クレオパトラ」。この度、またとない最高のキャスティングで4年ぶりに上演いたします。このほど、タイトルロールの一人である日高世菜(※2)の公演ビジュアルとスポットが解禁となりました(※1)。また3年半ぶりの全幕出演であり、ジュリアス・シーザー役で本作に初登場となる熊川哲也からのメッセージも併せてお届けいたします。(※1)詳細URL: (※2)「高」は、はしごだか。メインビジュアル (C)Toru Hiraiwa絶世の美女の代名詞でありながらいまだ多くの謎に包まれているクレオパトラを、熊川が壮大な史実を紐解きオリジナルのストーリーを構築、全2幕にわたるグランド・バレエに仕立てました。作品の成功を大きく左右する音楽にはカール・ニールセンの楽曲を使用。舞台美術デザインにはメトロポリタン歌劇場やミラノ・スカラ座など世界の一流オペラ劇場の舞台を手がけるダニエル・オストリング。現代的感性が光る前田文子の衣裳。そして、クラシック・バレエの既成概念を大胆な創意で押し広げた熊川の振付。これらすべてが完璧なる融合を果たした、振付家・熊川哲也の最高傑作がこの「クレオパトラ」なのです。■熊川哲也、出演決定!今回の公演では、ジュリアス・シーザー役で熊川哲也の出演も決定し大きな話題に。ギリシャ・ローマの歴史を決定的に変えた政治家であり軍人という役所のシーザーは、クレオパトラの激動の人生におけるキー パーソン。圧巻の存在感を必要とされる役だけに、期待は尽きません。熊川哲也 (C)Toru Hiraiwa<ジュリアス・シーザー役にて初登場!芸術監督/熊川哲也コメント>「クレオパトラ」は、原作も音楽も存在しないところから産み出した、まさに“創作の真骨頂”ともいえる作品であり、私自身にとっても非常に特別なものです。ニールセンの音楽に出会い、演出が降ってきた瞬間から、極めて完璧に近い領域に到達したと感じ得た初日の舞台まで、この作品が誕生するまでの一刻一刻は、非常に満ち足りた時間でした。3度目の上演となる今回は、初演の奇跡を蘇らせてくれるであろう浅川紫織に加え、第二世代ともいえるキャストが揃います。容姿はもとより、バレエの形式美を超えて、各々のありのままの姿が顕になるこのタイトルロールを、彼女たちがいかに創り上げるか、ご期待ください。初演の2017年から5年の時が過ぎ、その間に私も節目を迎える歳となりました。「五十にして天命を知る」といわれますが、有限たる時において自らがすべきこととは何か――。自身の若い頃を振り返ると、ヌレエフと同じバーを握って稽古した日や、当時のスターと一緒に舞台に立った経験は、かけがえのない光景として脳裏に刻まれています。それを思うと、伸び盛りの若手と自分が舞台上で同じ空気を吸うことは、私が思う以上に彼らにとって意味あることであり、バレエに生かされた者として今なすべきことのひとつが“継承”であるという想いから、今回の出演を決断いたしました。この機会を後進のため、存分に生かしたいと思います。熊川哲也 Tetsuya Kumakawa ~芸術監督 Artistic Director of K-BALLET COMPANY~北海道生まれ。1987年、英国ロイヤル・バレエ学校に留学。89年、ローザンヌ国際バレエコンクールで日本人初の金賞受賞。同年、英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団。91年、史上最年少でソリスト、93年にプリンシパル昇格。99年、K-BALLET COMPANY設立。芸術監督として団を率いるほか、演出・振付家としても才能を発揮し、「白鳥の湖」「くるみ割り人形」など全幕古典作品の演出・再振付や、完全オリジナル全幕作品「クレオパトラ」「蝶々夫人」などの新作を数多く上演。2012年1月、Bunkamuraオーチャードホール芸術監督に就任。2013年、紫綬褒章受章。■クレオパトラ役 ~Kバレエのプリンシパルたち~日高世菜Kバレエ初のプリンシパル入団を果たし熊川に「完璧バレリーナの象徴」と言わしめる日高世菜 Sena Hidaka兵庫県生まれ。2008年同年ロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミーに留学。11年ルーマニア国立バレエ団に入団、14年プリンシパルに昇格。16年アメリカのタルサバレエに移籍、19年プリンシパルに昇格。数々の作品で主演を踊る。21年1月、Kバレエカンパニー初のプリンシパル入団を果たす。飯島望未容姿に反し、強靭な身体の能力が生む野性的な魅力を持つ飯島望未 Nozomi Iijima大阪府生まれ。2008年ヒューストン・バレエに当時最年少の16歳で入団。19年3月、同団のプリンシパルに昇格。21年に帰国し5月にKバレエカンパニー『ドン・キホーテ』にゲストで主演。同年8月プリンシパル・ソリストとして入団。22年3月プリンシパルに昇格。19年、シャネルビューティアンバサダーに就任。浅川紫織初演当時からのキャストとしてこの役の真髄を知り尽くす浅川紫織 Shiori Asakawa長野県生まれ。2001年イングリッシュ・ナショナル・バレエスクールに留学。03年4月、Kバレエカンパニーに入団。2008年12月プリンシパル・ソリスト、14年1月プリンシパルに昇格。18年股関節の深刻な怪我により引退するが、手術が成功し本年6月「カルメン」で4年振りの全幕復帰を予定。■~STORY~紀元前1世紀のエジプト。クレオパトラは父王亡き後、弟のプトレマイオス13世と結婚、共同で王位に就いていた。実権を握っているのはクレオパトラだが、プトレマイオスを擁立する官僚たちにより王朝は二派に分裂、熾烈な権力争いが起こっている。そんな折、ローマではジュリアス・シーザーとポンペイウスの間で内戦が起こり、シーザーが勝利する。弟一派により王座を奪われたクレオパトラは、ローマきっての実力者たるシーザーを味方につけようと画策。その美しさは瞬く間にシーザーの心を奪い、二人は恋に落ちる。一方、シーザーの暗殺を企てたプトレマイオス一派は亡き者にされる。再び王位を手中に収めたクレオパトラは、今や名実共にローマの最高権力者となったシーザーとの間に子をもうけ、まさに幸福の絶頂にある。だが、その幸せは長くは続かなかった。腹心ブルータスらによってシーザーが暗殺されたのだ。遺言により後継者に指名されていたオクタヴィアヌスは、シーザー直属の部下であったアントニウスの存在を警戒し、同盟を強固にするため、妹オクタヴィアと結婚させる。だが、クレオパトラに想いを寄せていたアントニウスは彼女を忘れられずエジプトへと向かう。クレオパトラはアントニウスの愛を受け入れ、ひととき平穏な日々が訪れる。だが、オクタヴィアヌス率いるローマの軍勢がエジプトへと攻め入り……そして、激動の人生を生き抜いたクレオパトラに、最期の時が訪れる――。(C)Hidemi Seto(C)Hidemi Seto(C)Hidemi Seto■熊川哲也 Kバレエカンパニー Autumn Tour 2022 『クレオパトラ』 公演概要【日時】2022年10月26日(水)~30日(日)【会場】Bunkamuraオーチャードホール【チケット料金(税込)】※6/18(土)10:00~ 一般発売開始!!★10/26(水)18:00、10/28(金)14:00、10/29(土)17:30S席¥17,500/A席¥13,000/B席¥10,000/C席¥8,000 A親子席¥17,500学生券¥5,500☆10/27(木)14:00、10/29(土)13:00、10/30(日)13:00S席¥15,000/A席¥11,000/B席¥8,000/C席¥6,000 A親子席¥15,000学生券¥3,500※A親子席 大人1名+子供1名(5歳以上小学6年生以下)(A席エリア)※学生券 中学生以上25歳以下/当日学生証を提示の上引き換え/席位置未定※A親子席・学生券は、TBSチケット、チケットぴあWEBにて取り扱い【チケット販売】TBSチケット、チケットスペース、他【お問い合わせ】チケットスペース:03-3234-9999/ 公式WEBサイト: Instagram : @k_ballet_company_officialTwitter : @kballetofficialFacebook : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年06月01日「『渡鬼』が終わってからも、橋田先生とは毎年、橋田賞のたびにお会いしていました。新型コロナの影響で会えなくなりましたが、『渡鬼』のスタッフさんたちも『先生は元気だから。また会えるよ』ってみんな話していました。先生はいつもパワフルだったので……。『こんなに早く亡くなるとは』というのが本音です」こう語るのは、橋田壽賀子さん(享年95)脚本の大人気ドラマシリーズ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で、野々下加津を演じた宇野なおみ(32)だ。『渡鬼』は岡倉大吉(第8シリーズまでは藤岡琢也、以降は宇津井健)と節子(山岡久乃)夫婦、そして彼らの愛娘5人を中心にした家族の物語。’90年から’11年までの21年間で10シリーズ、全500話を放映。1シーズンの放送期間は1年という長いスパンにもかかわらず、全話を通した平均視聴率は20.6%を記録した、まさしく国民的ドラマだ。また『渡鬼』はシリーズ終了後もスペシャル版が製作され、現在も『TBSチャンネル』で『スカパー!』や全国のケーブルテレビで過去シリーズが放映中。今なお愛される、ファミリードラマの傑作だ。そんな同シリーズで宇野が演じたのは、実の両親に捨てられ、岡倉家の次女・五月(泉ピン子)と勇(角野卓造)夫婦に引き取られた少女・加津。初登場は第4シリーズの第38話で当時、宇野は若干10歳だった。しかし複雑な役どころを好演し、長台詞をものともしない役者ぶりから“名子役”として広く知られることとなった。宇野の代表作ともいえる『渡鬼』。その生みの親である橋田さんが亡くなったのは、昨年4月4日のこと。一周忌を前に、宇野はありし日の橋田さんについてこう語る。「もともと加津は、1シーズンのみの出演だったそうです。でも、橋田先生が『面白い役!』と思ってくださって、次からも使ってくださることになったと聞いています。当時は子供でしたから、『日に日に台本のセリフが長くなっていくなぁ』と思っていましたけど(笑)。私が小さい頃、先生は『加津は私の分身』と何度もおっしゃっていました。大人になってからも、手紙や年賀状をお送りしたり……。先生が亡くなったことで、改めて『自分は恵まれていたんだな』と思いますね」■名子役から物書きに転身!キッカケは橋田さん宇野が子役デビューを果たしたのは6歳の頃。デビューしてすぐの舞台『放浪記』で、森光子さん(享年92)との共演を経験している。さらに『渡鬼』では前述の俳優陣だけでなく、赤木春恵さん(享年94)や池内淳子さん(享年76)といった大御所女優たちとも共演することに。“名子役・宇野なおみ”は、多くの名優たちに囲まれて育った。そんな宇野だが、現在は役者業を一旦休止。そして、ライター業を軸にして生計を立てているのだ。しかも扱う内容は、芝居に伝統文化にスポーツにと実に様々。“名子役から物書きに”とは意外に思えるが、実はこの転身、橋田さんの言葉がきっかけだという。「13歳の頃、先生がふと『あなたはいつか書くわよ』とおっしゃったんです。昔から読書が好きで、感想文や物語を書くことも大好きでした。でも、書いたものを人に見せたことはありませんでした。だから当時、とても驚いてしまって。それ以降、先生の言葉がずっと胸の中に残っていたんです」芝居が好きな気持ちは変わらないという宇野。いっぽうで、こう明かす。「でも今は、書くことを通じて芝居を紹介することが楽しくて。“芸能界引退”というのも、少し違うんですね。『渡鬼』のモバイルサイトで1年間連載していましたし、『渡鬼』時代からブログも書いています。私の中では役者業もライター業も“地続き”というイメージです」■物書き仕事と役者業の“意外な共通点”また宇野は早稲田大学を卒業したのち、バンクーバーでの留学を経験。英語能力テスト『TOEIC』では990点満点中910点と、実力は折り紙付き。その英語力を活かして、通訳や翻訳の仕事も行っているという。「コロナ禍の前は、テレビの現場で通訳をしていましたよ(笑)。来日した海外の方に突撃取材するような番組ですね。こういった仕事は英語力ももちろん必要ですが、忍耐力が何よりも肝心。撮れ高が良くないと、ディレクターさんが『帰れない!』っていいますしね。いわば半分ADさん(笑)。でもテレビのことがよくわかっていないと、できない仕事です。役者時代のことも活かされていると思います」仕事の多くは、自ら掴んできたものだという。「ライターや通訳を仕事に選んだものの、軌道に乗せる方法がわかりませんでした。ですから、企画書を作って自分から売り込んだり。慣れないうちは派遣に登録したり。大変ではありますが、一から自分で道を切り拓くのはやっぱり面白い。それに、“自分の歪な部分とバランスが取れる”といいますか……」“歪な部分”というのは?「子役という仕事を通して、幼い頃から、人生の修羅場を潜り抜けてきた人たちばかり見てきたんですよね(笑)。すでに老成した方々と接して、みなさんの経験談を聞くにつれ、なるべく失敗を避けるようになりました。すると、大人になってから『頭でっかちだな自分』と気づいて。ですから、今は仕事を通して『色々試してみよう』という気持ち。近々、YouTubeにも挑戦しようと思っています」また、宇野は「役者と物書き仕事には共通点がある」と明かす。「ライター業を始めてから、橋渡し役が好きだと気づきました。サッカーでいうとキーパーではなく、パスをする人です。ライターは自分が素敵だと思うものを『ほら面白いでしょ!』と紹介する仕事。いっぽう、役者も台本を読んで『こういう世界があるよ!』と伝える仕事ですから」■橋田さんに憧れて…“脚本を書く”という夢を抱くことに現在の仕事について「やりがいもあるし、順調です。趣味も勉強も楽しめていて、充実しています」と笑顔で語る宇野。そこで「芝居はもうしないんですか?」と尋ねると、「うーん」と少し考え込んだのち、静かに口を開いた。「実は私には一つ、夢があるんですね。それは脚本を書くということです。やっぱり橋田先生は憧れの人。私の人生は、先生からの影響を強く受けています。もちろん先生のような、歴史に残る作品を書けるという自信があるわけではないのですが……」宇野は「自分を育てたのは、やっぱり芝居の世界なんです」といい、こう続ける「その芝居の世界に恩返しがしたい。そう考えたとき、ふと『日本の芝居文化を応援できたら』と思いました。ライターとして芝居を紹介するのも、応援手段の一つ。それにプラスして、『脚本が書けたらいいな』と今は思っています。本当は先生の生前に、自分の書いたシナリオをお見せしたかったんです。でも、間に合いませんでした。ですから今は、シナリオを先生の墓前にたむけることを目標にしています」■理想の女性像は橋田さんと加津宇野には、目標がもう一つある。それは「加津を演じた女性として、恥ずかしくない生き方をする」ということだ。「子供の頃から、加津ちゃんはずっと目標でした。彼女は複雑な境遇にあっても、たくましく生きていました。もちろん弱さもある。でも、とっても優秀な女の子なんですね。物事がうまく進まないこともあったけど、全部それを糧にして突き進んで。やっぱり、かっこいいですよね」宇野は子役だったこともあり、「周囲との違いに焦りを感じたこともありました」と明かす。しかし、こう語る。「でも冷静に考えれば22歳になるまでずっと芝居をしてきましたし、違っていて当たり前。それに橋田先生は90歳になってもバリバリ現役でしたから。私なんてまだ人生の3分の1、だから次の3分の2を頑張ります(笑)。仕事でいい結果が出なくても、納得のいく脚本ができなくても、その道筋を楽しめたらいいなと思っています。だって、加津ちゃんがそういう女性でしたからね」憧れは、橋田さんと加津。2人の“理想の女性”を胸に、宇野は描いた夢へと歩き続けるーー。
2022年04月03日今井哲也著『ぼくらのよあけ』が映画化されることが発表された。『ぼくらのよあけ』は、『アフタヌーン』(講談社刊)にて連載され、星雲賞候補にもなった傑作SFジュブナイル漫画。舞台は2049年、宇宙とロボットが大好きな主人公の少年は、まもなく地球に大接近するという彗星に夢中になっていた。そんなある日、彼が出会ったのは、宇宙からきたという“未知なる存在”。公開されたティザービジュアルに描かれているのは、何やら怪しく輝く少年らが住む阿佐ヶ谷団地と、その奥にひっそりとそびえ立つ給水塔。そして、黎明の光が差し込む中、団地の屋上に佇む少年とロボットの姿。そんな彼らに訪れた、前代未聞の極秘ミッションとは?あわせて公開された特報映像では、ホルスト作曲の組曲『惑星』第4曲「木星」の有名なフレーズに合わせて、ティザービジュアルに描かれた団地屋上が美しく光り、徐々に朝陽が登っていく様子が映し出され、宇宙の壮大さを感じられる映像となっている。本作の映画化について、原作者の今井哲也からは「たくさんの方がすてきなアイデアを持ち寄って、作品がどんどん出来上がっている最中です。未来ってすごいですね。わくわくしています。みなさんもぜひわくわくしてください」と興奮のコメントが到着。さらには、映画化を祝う描き下ろしイラストも寄せられている。『ぼくらのよあけ』2022年初秋公開(C)今井哲也・講談社/2022「ぼくらのよあけ」製作委員会
2022年03月18日仲よし3人組の旅のひとコマ女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、食にまつわる出会いと岸田今日子さんの食べっぷりについて言葉を紡ぐ。渡哲也さんとの相席いまから何十年前だっただろう、日活の食堂でのこと。1人でご飯を食べていると、向こうからザッザッと草履の音が聞こえてきた。突然、その音が私の前で止まり、「ここに座ってもよろしいでしょうか」と声をかけられた。食堂はすでに満席。どうやら2人席にいる私の前の席しか空きがないらしい。申し訳なさそうな声が印象的だった。声の主の足元からゆっくりとパンナップすると、草履なのにジーパン。そして、凛とした顔つきの男性が目に飛び込んできた。雑誌『少年倶楽部』の表紙みたいなお顔。まだ新人だったころの渡哲也さんだった。可愛らしさと精悍さがないまぜになったような。たとえるなら、私が大好きな大谷翔平選手のような印象。当然返事は「もちろんです」。といっても、実は渡さんに会ったことがあるのはその一度。昭和を代表する俳優のおひとりだから、お芝居の世界で顔を合わせていそうなものだけれど、不思議と日活の食堂で会ったきりお会いすることはなかった。一方、渡さんの実弟である渡瀬恒彦さんとは、山城新伍さんが監督を務めた『せんせい』という作品で共演したことがある。その撮影の合間、渡瀬さんが月島でもんじゃ焼きをごちそうしてくださった。上手に焼いて、同席している人全員にサーブする姿に感動してしまった。渡瀬さんは、ケンカが強いことから“芸能界最強”なんて噂もあるらしいけど、女性の前では紳士そのもの。どうしてそんな噂があったのか不思議でならないけれど、それも魅力かな。気持ちのよい人という意味では、中村勘三郎さんもその筆頭格だったなぁ。吉行淳之介さんが亡くなったとき、和子っぺ(吉行和子)を慰めようと勘三郎さんがお声をかけてくださり、私と、歌舞伎にまつわるエッセイを数多く執筆されている関容子さんと、朝方まで飲んだことがあった。またあるときは、私と和子っぺ、岸田今日子ちゃんの3人組に勘三郎さんご夫妻が参加する形で、オペラを見に行ったことも。勘三郎さんはとても人付き合いがスマートな人。記憶に残る気持ちのよい人だった。今日子ちゃんの名前が出てきたから、彼女にまつわるエピソードも披露しようかしら。彼女はとってももの静かな顔をしているけど、実はすごい大食漢。端から見ていると、あっという間に消え去るように、静かに品よく食べてしまう。私の記憶の中では、親しかった戦中生まれの友人は、食に関して敏感なところがあった。ある人は、食べることそのものに過度に意識を払い、ある人は貪欲に食を探求した。今日子ちゃんは、自分が気に入ったものに関しては、食べることに夢中になる人だった。彼女とは、和子っぺと私、3人でオーストラリアやハワイなど、いろいろなところを旅した。今でいう、女子旅のさきがけかもしれない。旅先で今日子ちゃんが、あの独特な口調で「あらぁ~おいしい」と言ったら、それでおしまい。そのお言葉は「これはみんな私のものよ」といった勅令のようなもので、誰もその料理に箸をつけられなくなる。でも、和子っぺは、本当におっとりしていて気にしない。「あらぁ~おいしい」と、飴を一袋取り上げられたこともあった。私は、その様子を面白がってしまったから、いつも楽しい3人組だった。台湾に行ったときは、とってもおいしい小籠包があって、今日子ちゃんがひと口ほおばるや、「あらぁ~おいしい」が発令してしまった。お肉と、細かく刻んだほうれん草がぎっしりと詰まった、熱々の汁がしたたる小籠包。ゆったりと微笑んで、それを次々に口に入れていく今日子ちゃん。あの小籠包は、私も思いっきり食べてみたかったな。〈構成/我妻弘崇〉冨士眞奈美 ●ふじ・まなみ静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。
2022年02月27日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になった映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「先日、『トップガン』(’86年)がテレビ放送されていたので、おじいちゃん、私たち夫婦、2人の子どもと一緒に見て、3世代で楽しめました。トム・クルーズを見て『この人、めちゃくちゃカッコいいね』と言う中1の娘に、なぜか私も誇らしく『そうでしょ!』って答えてしまいました」そう語るのは、女優で、日本RV協会でキャンピングカーアンバサダーを務める田中美奈子さん(54)。幼いころから芸能界への憧れを抱いていたという。「小学校低学年のときはパン屋さんになりたかったのに、テレビでピンク・レディーを見て衝撃を受け、“私も歌手になりたい!”と路線変更。友達と振りマネをして、テレビのちびっこモノマネ番組に応募したこともありました」’80年代になると、『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)で、松田聖子などアイドルたちがコントに挑戦する姿を目にするようになり、“あの番組に出たい”と芸能界への憧れが強くなった。「人を笑わせるのも大好きでした。だから、視聴者が芸を披露したり、ゲームに挑戦して賞金がもらえる『所ジョージのドバドバ大爆弾』(’79~’81年・テレビ東京)にも出演したかった。体操服を着た女の子がハードルを跳ぶヨーグルトのCMがあったのですが、クラスの子と一緒に、そのCMをコメディ風にしたネタを考えたりもしました。トイレットペーパーを芯になるまで誰が早く巻き取るか、競争するゲームが番組内にあったので、母に隠れながら練習したり」■アイドルになってお母さんに家を建ててあげたかっただが、なかなかテレビに出演する機会には恵まれなかった。「それでもクラスの子たちは私が芸能界に憧れていることを知っていたから、’84年に『ミスマガジン』に応募したときもすごく協力してくれて。みんなが知り合いにまで頼んで、最終的に1万通あまりの応援はがきが集まったのですが、グランプリは取れませんでした」手が届きそうでありながら、なかなか届かなかった芸能界。でも諦めることはなかった。「小4のときに両親が別居して、翌年に離婚。私はおばあちゃんに面倒を見てもらい、母は朝から晩まで働いていました。だから“アイドルになって、お母さんに家を建ててあげたい”という夢もあったんですね」高校時代は週に1回、千葉の学校からスクールバスと電車を乗り継ぎ、片道2時間かけて六本木まで歌のレッスンに通った。「いつも遅刻ギリギリで、六本木の芋洗坂を吐きそうになりながら全力疾走していたことを、今でも思い出します」音楽の趣味が洋楽になったのも、このころ。「母が再婚して、2番目の父ができたのですが、洋楽関連の仕事をしていて、コンサートのチケットをよく取ってくれたんです。当時はマイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソン、マドンナ、フィル・コリンズ、ワムなどが人気で、MTVも欠かさず見ていたし、来日コンサートがあれば、必ず行きました。カルチャー・クラブのボーイ・ジョージの色気のある声が好きで、『カーマは気まぐれ』(’83年)は、いま聴いても気持ちが上がります」映画も洋画を見に行くことが多かった。なかでも高校卒業の翌年に公開された『トップガン』は忘れられない作品だ。「確か錦糸町の映画館で見たと思います。とにかくはやりましたよね。男子はみんなMA-1を着て、レイバンのサングラスをして。トム・クルーズが映画で身につけていた軍の認識プレートは、私も持っていました。戦闘シーンの撮影はアメリカのサンディエゴで行われたそうですが、うちの夫が以前、その基地の近くに住んでいたんです。私も実際に現地まで行って、あの爆音を近くで聞いてみたい!と、いまだに思っています」映画音楽もまた魅力的だった。特にテーマ曲になっている、ケニー・ロギンスの『デンジャー・ゾーン』が好きだったという。「あの曲を聴くと、血が騒ぐというか、生命力が湧き上がってきて、“自分も何か大きなことができるんじゃないか”と思えるんです。『フラッシュダンス』(’83年)もそうですが、サクセスストーリーで、夢がありましたよね。当時の映画や音楽には特に、人の背中を押してくれるパワーがあったと思うんです」■イエイエガールズのオーディションはスタイル抜群の受験者ばかりおかげでレナウンのキャンペーンガールを務める「イエイエガールズ」のオーディションにも、前向きに取り組めたと田中さん。「前年まで『イエイエガールズ』はモデルさんが務めていて、身長も167センチ以上必要だったのですが、私が挑戦した年は歌手志望の女性も募っていて、身長制限がなかったんです。ところが選考会場に集まっていたのは、目がぱっちりで背が高く、スタイルのいい人ばかり。“それでも、絶対に受かる!”という意気込みで、オーディションに臨めました」こうして’87年、オーディションを初めて突破し、芸能界の舞台へ上がったのだった。それからはテレビドラマの仕事が徐々に入るようになり、中山美穂主演の『君の瞳に恋してる!』(’89年・フジテレビ系)など、話題の“月9”にも出演。多忙を極めるように。「ゴルフトーナメントの会場で優勝者に花束を渡すためだけに、ドラマの撮影現場からヘリで移動して、トンボ返りしたことも。『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(’89~’90年・テレビ朝日系)の撮影のとき、現場に入る車の中で、私があまりにもぐったりしているのを見た渡哲也さんが、心配して『誰だっ、美奈子をこんなにしたのは!今日は休ませる』と、撮影を中止にしてくれたこともありました」そして’89年には『涙の太陽』で念願の歌手デビュー。数々の人気ドラマへの出演もかなえた。こうして芸能界という夢の舞台で活躍するようになった田中さん。’00年代に入ったころ、当時の事務所スタッフのつながりで、デビュー前に勇気を与えてくれたトム・クルーズと食事をする機会が訪れたという。「おすしを食べるお誘いの電話があったのですが、仕事が重なっていて出られず……(涙)。ちょうどその時期、トム・クルーズは独身だったので“あのときご一緒していればなぁ”なんて妄想したりして(笑)」『トップガン』を見るたび、千載一遇のチャンスを逃がしたことを思い出すのだった。
2022年02月13日なかなか海外旅行に行けない日々が続く中、おうちでも韓国旅行気分を楽しもう!というのが「渡韓国ごっこ」。今回は、韓国旅行気分を盛り上げる渡韓ごっこに欠かせないアイテムを紹介します!渡韓ごっこに必要なもの日本にいながら渡韓気分を楽しむには、まずは場所から。おうちや韓国っぽレンタルルームやホテルで韓国っぽアイテムを集めましょう。ヤンニョムチキン、キンパは欠かせません。韓国のドリンクと一緒にね。かわいいルームウエアや友達とお揃いのパジャマを着て、韓国のお菓子やコスメについておしゃべりしながら、韓国気分を楽しみましょう!韓国っぽルームおへやを韓国のカフェみたいにインテリアで揃えるのは大変という時に強い味方がレンタルスペース。「新大久保・韓国カフェ」などの検索ワードで気分が上がる可愛いシェアスペースを見つけて、渡韓ごっこを演出!公式サイトをチェック!公式サイトをチェック!「ヘテ」のブドウジュースと梨ジュース大きなぶどうの粒がたくさんはいっている「ぶどうボンボンジュース」と「すりおろし梨ジュース」は韓国の人気ドリンク。購入はコチラから▼アイテムを見てみる!韓国チキンとキンパ渡韓ごっこに欠かせない食べ物!韓国チキンとキンパ。テイクアウトやUberEatsで韓国の味をおうちにお持ち帰り!公式サイトをチェック!公式サイトをチェック!公式サイトをチェック!ルームウエア&パジャマおへやで可愛いルームウエアやパジャマに着替えてリラックス♪プチプラで可愛いアイテムを紹介します。★【NANNING9】セットアップトレーナーセット購入はこちらから▼アイテムを見てみる!★【chuu】ディズニーチップアンドデール ワッフルパジャマ購入はコチラから▼アイテムを見てみる!★【CHERRYKOKO】子犬のスリッパアイテムを見てみる!韓国のお菓子太っちょマカロンとして人気のトゥンカロン専門店「MACAPRESSO」から、おうちにトゥンカロンをお取り寄せ!購入はコチラから▼アイテムを見てみる!その他★KF94マスク韓国の「KF94」は外部の有害物質を防ぎ、口元に空間ができることで口紅もつきにくい優れもの!購入はコチラから▼アイテムを見てみる!★韓国コスメ友達と韓国コスメについて情報交換したり、おススメコスメをお試しする時、少量使い切りコスメが便利!【Stimmung(スティモン)】韓国発のパウチコスメブランド。「stimmung」は「ムード・雰囲気・遊び心」というドイツ語を由来に持つコスメブランドで、韓国で2019年に誕生。1週間で使い切りのコスメは気になるカラーをお試しするのにもいいサイズ感。購入はコチラから▼アイテムを見てみる!みなさんも是非、おうちで手軽に「渡韓ごっこ」を楽しんでくださいね。渡韓ごっこの探し物はコチラから▼アイテムを見てみる!韓国の最新トレンドを発信【CuCu】オリジナルサイトで読むでもっと見る!お得なクーポンをGET!Qoo10でアイテムを探す
2022年02月02日スカート澤部渡とPUNPEE(パンピー)が、コラボレーション楽曲「ODDTAXI」のアレンジバージョンを発表。スカートとPUNPEEが『オッドタクシー』OP曲をアレンジシンガーソングライター澤部渡のソロプロジェクト・スカートと、ラッパー/トラックメーカー/DJのPUNPEEがコラボレーションした楽曲「ODDTAXI」は、2021年4月よりテレビ東京で放送されたTVアニメ『オッドタクシー』のオープニングテーマとして書き下ろしたもの。今回はそんな話題の楽曲「ODDTAXI」にオリジナルアレンジを加え、YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」で一発撮りを披露した。なお、「ODDTAXI」がオープニング主題歌となったアニメ『オッドタクシー』は、タクシー運転手・小戸川を主人公としたミステリー・サスペンス。脚本に此元和津也、主演に花江夏樹を迎えた『オッドタクシー』は、ほのぼのとした動物たちのビジュアルからは想像もつかない本格的なストーリー展開で話題を呼び、“衝撃の最終回”はTwitterトレンドにもなった。PUNPEEはオープニング主題歌だけでなく、劇伴音楽も手掛けている。【詳細】スカート PUNPEE コラボレーション楽曲「ODDTAXI」THE FIRST TAKEオリジナルアレンジバージョン※配信日・CD発売日等、リリース情報未定。※オリジナル版は2021年4月7日(水)配信。
2021年12月27日(左から)渡哲也さん、田村正和さん、水谷豊、織田裕二誰もが1度は見たことがあるだろう『刑事ドラマ』。バディもの、組織としての群像劇、“一匹オオカミ”の活躍。これまでに放送された数多い作品の中であなたの心に残る刑事モノは、どれですか?■心を動かした「刑事ドラマ」ランキングいつの時代も“テッパン”の人気を誇る刑事ドラマ。日本では、1957年に放映された『ダイヤル110番』(日本テレビ系)が刑事ドラマの第1号だ。それから60年以上、シリアスな作品、アクションが激しい作品、はたまたコミカルなものと、さまざまに形を変えながらこのジャンルは現在へと続いている。今回、自分の中の“伝説の刑事ドラマ”について40代・350人、50代・350人、60代・300人、男女比が200対800の合わせて1000人にアンケートを実施。各世代別のランキングはどんな結果に!?あなたの“伝説”は何位ですか?◆ ◆ ◆40代で1位となったのは『あぶない刑事』(日本テレビ系)。’86年10月から’87年9月まで放送され、翌年には『もっとあぶない刑事』が続編として登場。スペシャルドラマや映画にもなった、人気シリーズ。「絶対ありえないだろう、という展開。バブル時代を象徴するようなコミカルさが好きです」(東京都・48歳男性)「登場人物のキャラが面白かった。セリフも軽快で、テンポもよく、楽しめた」(北海道・49歳女性)「笑いあり、涙あり。そんな中でも光るのが、ワイルドな銃撃シーン。大好きです」(東京都・42歳女性)「アクションシーンがカッコよく、舘ひろしが演じているタカと、柴田恭兵のユージ、ふたりの主人公のアドリブと思えるやりとりが楽しかった」(大阪府・48歳男性)ドラマについてのコラムなどを数多く執筆している田幸和歌子さんは、「40代の1位とは意外」と話しつつ、「この作品はもう少し上の世代に支持されていると思っていました。リアルタイムで視聴していたメインは50代だと思いますが、3位ですね。再放送と、その後の映画化されたシリーズで下の世代に支持が広がったのでは」そんな50代での1位は、『太陽にほえろ』(日本テレビ系)。’72年7月から’86年11月まで、全718回放送された。60代でも支持を集め、1位になっている。■2世代で1位『太陽にほえろ』「アクションシーンがリアルで、今のドラマと違って物語に人情味があったと思います」(神奈川県・51歳女性)「刑事それぞれのキャラクターが個性的で、そのみんなが全員カッコよかった」(東京都・55歳女性)「ブラインドを指で広げて窓の外を見る、ボスのしぐさをまねしていました」(神奈川県・52歳男性)「あだ名で呼ばれる新人刑事とベテラン刑事のコンビで事件を解決するところがよかった」(秋田県・60歳女性)との声。刑事ドラマの“王道”といってもいいくらいの作品。“青春アクションドラマ”と銘打ち、刑事を主役に据えたこのドラマ、当時としては、それまでの作品とは違うことをやっていたと田幸さん。「お互いを愛称で呼ぶということ。あれは発明ですよ。竜雷太さん演じた“ゴリさん”、小野寺昭さんの“殿下”、松田優作さんの“ジーパン”。こういった愛称をつけるからこそ、愛着を持って見ることができました。うまいシステムになったのが、殉職ということで新しい役者さんを入れる新陳代謝のスタイル。これも『太陽~』以前には、ほぼありませんでした」■今なら放送できない『西部警察』また、その殉職についても、「役の死に方に、俳優さんご自身のアイデアを入れていたそうです。それぞれが演じたキャラに対する美学みたいなものを感じる部分もありますね」(田幸さん)『太陽にほえろ』に出演している石原裕次郎さんで思い出されるのが、石原軍団の『西部警察』(テレビ朝日系)。各世代とも5位までにランクインはしていないが、40代で6位、50代で7位、60代で8位という成績に。カーアクションや派手な爆発シーンが多く、ドラマウオッチャーの間では評価されているのだが……。「今回は女性が8割のアンケートなので、そこまで票が伸びなかったのでしょう。石原軍団という“男臭さ”はあまり女性ウケしないと思いますし(笑)。ただ、爆破シーンで使用している火薬の量とか、カースタントなどをCGではなく実写でやっているのはすごい。今の時代では絶対にできない撮影だからこそ、改めて見ると女性も当時より盛り上がると思います」(田幸さん)■3世代から支持された『相棒』そして3世代ともに上位にランクインしたのが『相棒』(テレビ朝日系)。’00年6月から’01年11月にかけ単発ドラマとして放送され、’02年10月から連続ドラマとしてシリーズ化。現在は『season19』まで放送されている。「これまでの定番刑事ドラマではなく、社会的な問題や官僚や政治家の陰謀などが絡んでくるストーリー展開が面白い」(愛知県・45歳女性)「複雑なストーリーと、緻密に練られた推理。そこにコミカルなところもあって、物語のバランスがすごくいいと思う」(千葉県・53歳女性)「シリーズによっていろいろな“相棒”がいたけれど、及川さんが演じたときの右京さんとの掛け合いが最高でした」(神奈川県・56歳女性)「派手ではないが、事件を解決するだけではなく、事件の背景にある深い問題がテーマになっている。2人組の刑事の関係性も楽しい」(石川県・66歳女性)「近年で“バディモノ”の人気を確立させるきっかけとなった作品ですね。そのバディも、水谷豊さん演じる頭脳派の右京と、寺脇康文さん演じる肉体派の亀山から始まり、次のシーズンだと右京と同じ頭脳派の及川光博さんの神戸が登場したり。それぞれのシーズンで活躍する“相棒”との相性の違いも面白く、1話1話がよく練られた脚本なので見応えがあります」(田幸さん)またその脚本が、なぜそこまで練られているかについて、田幸さんはこう続ける。「『相棒』は基本、1話完結でいろんな脚本家の方が書かれています。ある意味、脚本家同士で競い合っているような部分があるのではないでしょうか。視聴者でマニアの方は、脚本家の誰々の回は当たり、といった見方をしている人も多いと聞きます」■『踊る大捜査線』の魅力同じように3世代でランクインしているのが『踊る大捜査線』(フジテレビ系)。’97年1月から3月まで放送。その後シリーズ化され、映画や舞台にも展開。織田裕二が演じる主人公の青島を取り巻く、個性豊かなキャラクターにスポットを当てたスピンオフ作品も数多く制作された。「音楽、キャスト、内容とすべてが面白かった。いかりや長介さんが演じた、和久さんがいい味を出していた」(大阪府・49歳女性)「今までの刑事ドラマと違って銃撃シーンが少なく親近感のある内容で、登場人物も癖があって面白かった」(神奈川県・53歳女性)「人情あふれる熱い捜査員で、周りの同僚とともに事件解決していく姿に引き込まれました」(茨城県・51歳女性)「現場の意見が上に通らなくてヤキモキするところは、どの業界でも同じなんだな、と思った。青島の一生懸命なところが好き」(東京都・61歳女性)田幸さんは『踊る~』について、いわゆる“ザ・刑事モノ”のドラマとは一線を画していると語る。「『踊る~』については、刑事モノが好きではない人もけっこうハマっていたという印象があります。ドラマの中で刑事の日常業務の煩雑さや、警察組織というものを描いていました」脱サラして刑事になった青島に対し、深津絵里が演じる同僚の恩田すみれが放ったセリフがこのドラマを象徴していると、田幸さんは言う。「“刑事はヒーローじゃない、公務員よ”みたいなことを言うんです。そういった日常業務に追われる公務員としてのしんどさや、キャリアとノンキャリの扱いの違いという二重構造を見せたり。単なる犯人を捕まえるという部分だけではない、組織としての警察をうまく物語の中に落とし込んでいました」そんな『踊る~』、実は企画段階ではまったく違う設定だったという。「初めは、もっと恋愛要素が強かったそうです。ただ、同じクールで放送するフジテレビの恋愛ドラマと被るということで、大幅に企画を変更してみなさんが知っている『踊る~』になったんです。結果として、刑事ドラマの新しい形になり、この路線変更は今思えば大当たりですね」(田幸さん)もう少し上位に入るかなと思っていた、と田幸さんが首を傾げたのが『古畑任三郎』(フジテレビ系)。第1シーズンとして、’94年4月から6月まで放送。総集編を挟み、’99年の第3シーズンまで続いた。■田村正和さんの“古畑シリーズ”「田村正和さんの独特のセリフの間や、毎回変わる豪華俳優陣のインパクトがすごかった」(東京都・44歳女性)「古畑任三郎の人柄と、犯人を追い詰めて、じわじわと真相に近づいていくところ」(東京都・52歳女性)「なんといっても田村さんのキャラクター。とぼけた感じなのに心理作戦で犯人を追い詰めるときの鋭い眼光がさすがとしか言いようがない。あと、部下である西村雅彦さん、石井正則さんの個性もうまくマッチしていたと思う」(大阪府・65歳女性)田幸さんも、脚本とキャスティングのマッチングが素晴らしいとしつつ、その魅力を語る。「最初に犯人は誰です、と明かしてしまう“倒叙モノ”と言われる形式です。『刑事コロンボ』と同じ描き方です。最初に犯人を明かしてしまうからこそ、犯人が古畑に追い詰められていくさまに人間の悲しさなどが見えてくる。メジャーリーガーだったイチローさんが本人役として犯人を演じたり、松嶋菜々子さんなど豪華なメンバーをそろえていました。その出演者らしさを犯罪のスタイルに取り入れ、いい感じに脚本に組み込んでいました。さすが、三谷幸喜さんというところです」第3シーズンのあと、スペシャル、ファイナル、『古畑中学生』と単発で放送された。そして、’20年に三谷が新聞紙上の連載で新作を発表。「条件がそろえば、映像版の古畑の新作を書く準備はできている」と田村さんにメッセージを送ったのだが、’21年4月に田村さんは帰らぬ人に──。彼の死を受け三谷は、「古畑任三郎が事件現場に帰ってくることはもうない」というコメントを発表した。「寂しいですよね。私の中で刑事ドラマの役者さん、といえば田村正和さんで、古畑任三郎なんです。あのキャラクターに至るまで、田村さんは2枚目で女たらしという路線からコメディーをやったりして、最後に古畑という唯一無二のキャラクターを作り上げたのだと思います。田村さんのそれまでの歴史が詰め込まれたのが古畑であって、まさに集大成。田村さん以外に古畑を演じる人は存在しませんから、新作ができないというのは残念ですが仕方のないこと」(田幸さん)■『MIU404』がランクイン!ランキングの中で、田幸さんがいちばん意外だったことが、60代に『MIU404』(TBS系)が支持されたことだという。「若い刑事のバディの掛け合いや、そのふたりの友情が描かれていてよかった」(東京都・63歳女性)「出演者それぞれの個性が、演じている役柄とマッチしていたと思う」(高知県・65歳女性)「星野源と綾野剛という実力派のダブル主演で、安心できた。あと、メロンパン号がかわいくて印象に残っています」(秋田県・60歳女性)「30代から40代の女性がメインの視聴者層だと思っていたので、60代に人気があるとは……。脚本家の野木亜紀子さんをはじめ、『アンナチュラル』チームが再結集。主演のふたり、伊吹藍を演じた綾野剛さんと、志摩一未を演じた星野源さんの演じる力というのもあると思います。まさに現実で起こっている社会問題や、後に起こる出来事をまるで“予言”のように取り上げたことも話題になりました。違法ドラッグや外国人の労働問題──。タイムリーな時代性と重なってくる部分も注目されていました」■刑事と言ったら誰!?作品のランキングとは別に、『刑事ドラマで思い浮かべる俳優は?』のアンケート結果も興味深い結果となった。「1位の水谷さんはうなずけますね。でも意外なのが、2位の内藤剛志さん。田村正和さんや、織田裕二さんで上位を占めるかと思っていましたが、内藤さんが多くの票を集めましたね」(田幸さん)内藤が主演している『警視庁・捜査一課長』(テレビ朝日系)は、作品ランキングでは40代で12位、50代でランク外、60代で10位だった。「いろいろな刑事ドラマに出ているという印象なのかも。この結果は役者としてうれしいと思いますよ。作品のキャラクターとしてではなく、“刑事”という存在として思い浮かべているというのはすごいことだと思います」(田幸さん)4位、5位には渡哲也さん、松田優作さんの名前が。「このおふたりの役者としての実力は、誰もが認めるレベルで、まとっているオーラが半端ないです。見ているだけでワクワクして、引き込まれます」(田幸さん)どの時代でも視聴者を夢中にさせてきた刑事ドラマ。最後にその魅力を田幸さんはこう語る。「かつては勧善懲悪のスッキリ感にその魅力があったと思います。悪い人が捕まり、裁かれるという流れ。でも近年だと『MIU404』や『相棒』のように、勧善懲悪だけではない、個人や社会の問題が背景にある、複雑な事情があることを考えさせられる人間ドラマが増えてきました。刑事ドラマは、いろいろな罪が描かれるからこそ、犯人の背景や人生が描かれた深い人間ドラマの部分が今はいちばんの魅力になっていると思います。これからも、上質な人間ドラマが刑事ものの中に増えてくると思います」PROFILE●田幸和歌子(たこう・わかこ)●ドラマコラムの執筆や、ジャニーズウオッチャーとして活動。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など(取材・文/蒔田稔)
2021年08月26日「結婚発表までは超極秘交際で、2人そろっての外出はありませんでしたが、最近は一緒に犬の散歩をしたりと新婚生活を満喫しているそうです」(テレビ局関係者)有吉弘行(46)と夏目三久(36)が電撃婚を発表してから約2カ月。本誌も5月上旬に都内の「エルメス」で仲よく買い物する姿を目撃するなど、2人は幸せな日々を送っている。そんな2人には“理想”とする夫婦がいるという。それは三浦友和(69)と百恵さん(62)だ。「実は有吉さんにとって友和さんは憧れの存在。有吉さんと友和さんは5月13日放送の『櫻井・有吉 THE夜会』(TBS系)で、電話越しに初共演。友和さんが結婚のお祝いを伝えると、有吉さんは恐縮しきりでした」(番組関係者)それまで面識がなかったという有吉と友和だが“共通の師”がいた。渡哲也さん(享年78)だ。「友和さんは『西部警察』(テレビ朝日系)で共演する前から渡さんの大ファン。結婚後も交流があり、百恵さんの引退コンサートで使ったマイクを渡さんにプレゼントしたのはあまりにも有名です。渡さんは『進め!電波少年』(日本テレビ系)で過酷な旅に出ていた有吉さんに興味を示し、『救援物資を送らせてくれ!』と番組に連絡したそうです。旅終了後は石原プロの新年会に有吉さんを招くなど、親交を深め、有吉さんはとても感謝していたそうです。また渡さんは生前、有吉さんに“百恵さん夫婦の素晴らしさ”をよく語っていたそうです。有吉さんも感銘を受け、友和さんのことも尊敬するようになったといいます」(前出・テレビ局関係者)■日テレアナ時代に夏目が教え込まれた“百恵さん伝説”妻の夏目も、百恵さんへの長年の憧憬があったという。「百恵さんを生んだ『スター誕生!』は日テレということもあり、同局の局アナ時代に夏目さんは先輩から “百恵さん伝説”をよく聞かされていたそうです。人気絶頂のさなかに結婚し引退した潔さに、ずっと憧れていたようです」(日本テレビ関係者)今秋での芸能界引退を公言している夏目。そこにも百恵さん夫婦との“奇縁”があるという。「夏目さんは両親が離婚しており、百恵さんも自伝本で『私には、父はいない』とつづるなど、ともに複雑な家庭で育っています。また夏目さんは引退理由として『夫の安らげる場所を作るために』と語り、百恵さんも引退時、『愛する人が最も安らぎを感じる場所になりたかった』と自伝本につづっています。2人とも仕事よりも家庭を優先したいという強い思いが共通しています。夏目さんの引退決断の背中を押した有吉さんとしても、百恵さんの引退を受け入れた友和さんへの共感があったのだと思います」(前出・日本テレビ関係者)令和の“理想の夫婦ランキング”1位に輝くのは有吉夫妻かも。
2021年05月28日舘ひろし「今のところ私ひとり。女性を入れてもいいかな。いつかね(笑)」今年3月、自身の“新しい船出”をメディアに向かってそう語っていた俳優・舘ひろしが、満を持して個人事務所─その名も『舘プロ』の“所属俳優第1号”として活動をスタートさせた。デビュー以来、40年近く所属していた石原プロモーションが惜しまれつつ解散。舘はじめ、神田正輝や徳重聡など石原プロに所属していた面々の去就が注目されていた。「神田さんは当面、フリーランスとしてどこにも所属せず活動していくことに。徳重さんも事務所解散の翌日には、向井理さんや波瑠さんがいる大手事務所に移籍することが発表になりました。看板俳優だった舘さんはずっと沈黙を守っていたので、“一体どうするんだろう?”と、関係者は気をもんでいたんです」(スポーツ紙記者)■俳優第2号が決定ちなみにこの舘プロ、自身の名前を冠してはいるが、社長は舘本人ではない。「子役のマネジメントやタレントスクールを運営している『テアトルアカデミー』のA氏が舘さんに協力する形で社長を引き受けたんです。舘さんは“自分は社長の器じゃない”と考えて、20年来の仲のA氏に事務所経営の打診をしたそうなんです」(芸能プロ関係者)実際に舘プロのオフィスは『テアトルアカデミー』本社内に“間借り”状態。「全社員5人の小所帯だそうですから、当分は舘さんひとりのマネジメントで手いっぱいでしょうねぇ……」(同・芸能プロ関係者)ところが、早くも“所属俳優第2号”が決まったという。「石原プロの後輩だった池田努さんなんです」(前出・スポーツ紙記者)池田は’00年に石原プロが開催した新人発掘オーディション『21世紀の石原裕次郎を探せ!』がきっかけで芸能界入り。だがデビュー間もない’03年、自らの不注意で“悲劇”を起こしてしまう。「石原プロの看板ドラマシリーズ『西部警察』の新シリーズ『西部警察2003』の名古屋ロケでの出来事でした。刑事役の池田さんが車を運転するシーンの撮影中、運転ミスで、集まっていた見物人の群れに突っ込んでしまったんです」(テレビ局関係者)5名の重軽傷者を出す大事故だった。「当時、石原プロの社長を務めていた渡哲也さんは即、会見を開いてドラマの制作中止を決断。事故翌日には入院していた被害者のもとを訪れて、病室で土下座したんです。そうやって、渡さんがいち早く誠意を見せて、同じ釜の飯を食ってきた“家族”……池田さんを守ったんですよね」(同・テレビ局関係者)舘が渡さんのことを“お館”と呼んで慕い続けてきたのは有名な話。“お館”の“家族”への思いを、舘も受け継いでいないわけがない。「石原プロ解散を機に廃業を決断したり、新しい所属先探しが難しい俳優もいたんです。池田さんもそのひとりで。石原プロ時代からの舘さんの現場マネージャーが池田さんのことを俳優として買っていたこともあって、舘さんが“池田も一緒に”と。今度は渡さんの代わりに舘さんが池田さんを守ったんですよ」(前出・スポーツ紙記者)石原軍団はもういない。だがその魂は今も─。
2021年05月02日イギリスを代表するヒットメイカー、ガイ・リッチー監督の最新作『ジェントルメン』と、ロンドン生まれのコーヒーブランド「COSTA COFFEE」(TOHOシネマズ日比谷・日本橋で販売中)のコラボイベントが4月20日、都内で行われ、タレントの石原良純が出席した。ロンドンを舞台に、大麻ビジネスで財を成した大富豪の引退で発生した500億円の利権をめぐり、強欲なユダヤ人大富豪、ゴシップ紙の編集長、ゲスな私立探偵、チャイニーズ&ロシアン・マフィア、下町のチンピラらが跡目争いに身を投じるクライムアクション。マシュー・マコノヒー、コリン・ファレル、ヒュー・グラントら豪華キャストが集結した。一足早く映画を鑑賞したという石原は「ハラハラドキドキ、本当に見応えがある」と大満足。「いい意味で疲れた(笑)。息つく暇がなくて、油断していると、取り残されてしまうほどスピーディな展開の連続」と魅力を熱弁し、「登場人物1人1人の個性が光っているので、今後スピンオフも作れそう」と群像劇としても高く評価していた。自身が考える“紳士の条件”について「他人に優しく、物(もの)を知っている人。やはり、人生を重ねるなかで、皆さん教養を身に着けている」と語り、「やっぱり、僕の中では、亡くなった渡哲也さん。それに舘ひろしさん。僕の先輩は全員ジェントルメンですね。女性に優しく、俺には優しくしてくれない」と笑いを交え、イベントを盛り上げた。また、映画とコーヒーの関係も触れ「今は上映中の飲食に制限があると思いますが、コーヒーを飲むことで、一瞬自分に返れて、ひと息つけるので、映画をさらに楽しめるはず。今は自分に合ったコーヒーを探す時代だし、見る映画によって、コーヒーの味を変えるのもいいと思う」とこだわりを明かした。ロンドンで1971年に設立され、高品質な手淹れコーヒーの味わいにこだわるCOSTA COFFEE(コスタコーヒー)が、「新たな物語と素晴らしい映画体験」をコンセプトに、TOHO シネマズとの共同プロジェクト「COFFEE LOVE CINEMA」を開始。2021年3月よりTOHOシネマズの日比谷・日本橋の2劇場にて販売している。取材・文・写真=内田涼『ジェントルメン』5月7日(金)
2021年04月20日脚本家の橋田壽賀子さんが亡くなったことが報じられた、2021年4月5日。数多くの名作を生みだした橋田さんの死を惜しみ、『橋田ファミリー』から追悼のコメントが寄せられています。橋田壽賀子を看取った、泉ピン子最期の様子を明かす「ママと呼ぶ私の声が聞こえたのか」テレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で、岡倉家の次女の夫役を演じた俳優・角野卓造さんも、「1本の柱がなくなってしまいました」とコメントを発表しました。「もう橋田先生の台本で演じることができないと思うと、今まで当たり前に書いていただいていたことがどれだけありがたく幸せだったことか。実の母とともに橋田先生、石井先生はもう2人の母であり、俳優としての屋台骨を支えてくださる大恩人です。その1本の柱がなくなってしまいました」サンケイスポーツーより引用続々と芸能界から追悼のコメントが寄せられていることからも、橋田さんがドラマ界に与えた大きな功績を実感します。[文・構成/grape編集部]
2021年04月06日熊川哲也 Kバレエ カンパニー Spring 2021『白鳥の湖』が、3月24日に開幕。ひと足早く鑑賞したゲネプロの様子をレポートする。芸術監督の熊川による演出・再振付で2003年に初演され、レパートリーとなった本作。今回の目玉は新プリンシパルとして1月に入団した日髙世菜のほか、カンパニーの次代を担うダンサーが集結したことだろう。取材日にオデット / オディールを演じていたのは、成田紗弥。王子ジークフリードには2020年10月にプリンシパルへ昇格した堀内將平、悪魔ロットバルトに栗山廉がキャスティングされた。ゲネプロは、オデットがロットバルトに翻弄される紗幕越しのプロローグから幕開け。成人祝いのパーティーを抜けたジークフリードは、湖で舞う白鳥オデットに出会う。彼女に惹かれながらも城へ戻り、花嫁探しの舞踏会に参加した王子は、ロットバルトに伴われて現れたオデットそっくりの黒鳥オディールに求婚してしまう。彼らが選んだ愛の結末とは──。白鳥に姿を変えられた身の上を嘆くオデットに対して、自信たっぷりに王子を誘惑するオディール。一人二役に扮する成田は、この二面性を全身で表現する。指先から爪先まで意識を張り巡らせながらも、はかなさと気高さを両立させる繊細なオデット像を覗かせた。一方で、オディール時は口元に絶えず笑みを浮かべる勝気な表情を見せ、王子の気持ちを手に入れた勝利宣言といえる30回転以上のグラン・フェッテ・アン・トゥールナンで観客の心も躍動させる。堀内は、王子の感情の起伏を体現するようなバラエティ豊かな踊りで劇世界を支える。特に空中でもう一段高く弧を描くような跳躍力に目を見張った。初役でロットバルトに扮する栗山は常に妖しさをたたえ、チャイコフスキー作曲の有名な旋律に乗せて舞う2幕冒頭のシーンで客席を魅了。このほか、完成度の高いコール・ド・バレエを繰り広げる白鳥たちの静謐な美しさにも思わず息を飲んだ。クラシックバレエの代名詞といえる定番の演目を、熊川はレパートリー化に際して再構成。オデットと出会って恋に落ちる高揚感、オディールに翻弄された挙げ句の絶望など、ジークフリードの心の軌跡を主軸に置いたストーリーテリングが最たる特徴だ。なお、このKバレエ版を小説化するアートノベル『白鳥の湖 Swan Lake』の巻末には、熊川によるインタビューも収録。クライマックスの意図やオリジナリティの発揮方法など舞台裏を明かしている。公演は3月28日(日)まで、東京・Bunkamuraオーチャードホールにて。ぴあでは、座席指定できるチケットを販売中。取材・文:岡山朋代
2021年03月24日綾野剛と舘ひろし、磯村勇斗、小宮山莉渚、藤井道人監督が映画『ヤクザと家族 The Family』の初日舞台挨拶に登壇。全国272劇場に生中継された舞台上では、先日1月26日に39歳の誕生日を迎えた綾野さんを「ヤクザと家族」チームでサプライズ祝福した。『新聞記者』のスタッフが再集結し、1999年、2005年、 2019年と変わりゆく時代に、ヤクザという生き方を選んだ男と、彼を取り巻く人々を家族の視点で描いた本作。まずは主演の綾野さんから、初日を迎えられたことに感無量の様子で喜びと感謝が述べられると、舘さん、磯村さん、小宮山さん、藤井監督もこれに続く。中でも、綾野さんの娘役を演じた小宮山さんは、これが映画初出演、初舞台挨拶という初々しさを見せると、その様子にも“ぐっときた”と綾野さんが語り、感謝あふれる雰囲気で舞台挨拶が始まった。早くもSNS上で「役者さんたちの迫真の演技に涙が止まらなくなってしまう」「ボロボロ泣きました。“愛”がありました」など号泣者が続出、家族や愛をテーマにした作品と評判が回っていることに対し、綾野さんは「(確かに)大傑作だと言われるし、集大成なのは間違いない。最愛の作品です」と語りはじめ、さらに「客観的な言葉を聞いて(自分が映画に込めた)愛を受け取ってもらえたという感覚になった。受け取ってもらえることが全てだし、渡しに行かなくても出会いにきてくれた、今の時代にただフィットしただけじゃないものがあると思うと、映画という家族に愛されて気がしている」と、彼なりの真摯な言葉で喜びを表現した。“テーマは継承”、舘ひろしから綾野剛、そして磯村勇斗へ今回、舞台挨拶に登壇したキャストは、みな“意思を継ぎ、つなぐ”役どころ。舘さん演じる組長は、綾野さん演じる賢治を息子のように愛し、賢治は磯村さん演じる翼へ、そして小宮山さん演じる彩へと思いを継承していく、という関係性と なっていることもあり、トークは「継承」をテーマに繰り広げられることに。綾野さんは舘さんに対し、佇まいだけで物語を語れるその偉大さに羨望の目を向け、実は今日は舘さんからプレゼントされたスーツを着ていることを明かし、その受け継いだ思いは、弟分を演じた磯村さんや小宮山さんにも継承されている気がすると続ける。すると磯村さんも、綾野さんについて「チャーミングで愛おしい兄貴」と語り、ラストの重要なシーンを演じられたのは、綾野さん演じる“ケン兄”との関係が「そこまでにちゃんと出来上がっていたからだと思う」と綾野さんとのシーンがあったからこそ成立したと感謝。「今回も褒めてくれた気がする」舘ひろしは渡哲也への思い明かす最後に、この映画を誰に観て欲しいか?という問いかけに対し、綾野さんは「今やっている作品の仲間」とコメント。磯村さんは「一人でも多くの人に見てもらいたいからみなさん」と答え、小宮山さんは「家族」、監督は「会社の仲間」と答えるなか、舘さんは一瞬目頭を押さえ、 「やっぱり天国にいる渡哲也さん」と即答。「いつも褒めて、自信をつけてくれたから、今回も褒めてくれた気がする」と語り、舘さんにとっての渡さんの存在の大きさを改めて伺わせるひと幕も。そして締めの挨拶…の前に、1月26日に誕生日を迎えた綾野さんを、サプライズで映画のキャスト・スタッフ一同で祝福。39GO(Thank you GO)と書かれた花束を進呈され、舘さんから「おめでとうございます。39歳なんてまだやりたい放題できる年だよね。いいな。今回はありがとうございました。綾野くんに引っ張られてできた映画ができました」 とメッセージを送られると、思いがけないことに驚きながらも「めちゃくちゃ嬉しいです」と喜びをコメント。さらに、「今週『花束みたいな恋をした』、『名も無き世界のエンドロール』も公開となりますが、いろんな作品と手と手を合わせて、皆さんの心を華やかにできるようなエンタテインメントを、映画を届けたいと思っています」と、同日公開の邦画を挙げながら思いを口にし、「いつか、皆さんに自分から会いに行きます。またお目にかかれる日を楽しみにしています」と全国で中継を見ているファンに呼びかけていた。『ヤクザと家族 The Family』は全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ヤクザと家族 The Family 2021年1月29日より全国にて公開©2021『ヤクザと家族 The Family』製作委員会
2021年01月31日ド派手なパフォーマンスで一世を風靡した「石原軍団」。1月16日、50年以上にわたるその歴史に幕を下ろした。今でも語り草となっている伝説の数々を、長年在籍してきた舘ひろし(70)が振り返るーー。【’82年】『西部警察PART-II』北海道ロケで食いだおれ「このとき、みんな食べ物がおいしくて、デブになったの(笑)。とくに渡さんなんか、『イクラ丼がうまい』って、毎日ざばざば食ってたね」(舘・以下同)【’83年】テレビの企画で2万人分のカレー作り「これ、仕掛けはよかったんだけどさ、火力が全然足りなくて大失敗したの(笑)。こんなのできるわけないのよ(笑)。でも、こういうバカバカしいのが楽しかったよね」【’86年】正月はマスコミを連れてハワイへ!報道陣を同行させての正月のハワイ旅行も恒例行事だった。「石原(裕次郎)さんに言われて、つたない歌を嫌々歌ってるんですよ!もう、みんなアホらしいでしょ(笑)」【’91年】秋山武史さんの結婚式も豪快に祝福「歌ってるうちにテーブルの上に立っちゃってた(笑)。昔は怒られそうなことばっかりしてました」【’92年】湘南の海でゴミ拾い宝酒造のキャンペーンで環境美化運動にもいそしんだ。【’92年】新事務所開きも派手に調布駅近くにかまえた新事務所で新年の鏡開きをし、結束を強めた。【’09年】新年会で万札配布お年玉として、報道陣へ1万円札を配る恒例行事は平成でも。’63年に立ち上げられた「石原プロモーション」。発足から20年後、舘は『西部警察』シリーズで出会った渡哲也さん(享年78)に憧れ、仲間入りを果たした。「うち(石原プロ)は、“よく遊び、よく遊び”っていうのがモットーで。映画の撮影も、そんなに真剣に撮らなくていいって感覚だったから、石原さんも渡さんも僕も含めてみんなで大根役者集団みたいなね(笑)。渡さんに『ひろし、お前最近芝居がうまいな。あんまよくないな』って怒られたくらい」“芝居は下手でいい”という感覚には、昭和のスター軍団ならではの流儀があった。「石原プロの芝居は、自分の持っている存在感だけで画面を支えていく、いるだけで画(え)になるっていうものでしたね。だって『西部警察』って内容とか全くないんだからね(笑)。でも最後に、石原さんと渡さんが波止場でタバコ吸いながらトレンチコートで向こうから歩いてくるとさ、それだけで説得力があるじゃない」最新作『ヤクザと家族 The Family』(1月29日公開)では、地元の不良少年に居場所を与える組長・柴咲博を演じている舘。芝居にも石原プロイズムが生かされている。「(今作は)石原プロに通ずるところもあったかもしれないですね。僕は演じているなかで、なんかフッと柴咲は渡さんをモデルに演じているような気がして……たたずまいとか、みんなに声をかけたりするところは、きっと渡さんだったらこうするんだろうなってね」最後に、石原プロで培ったいちばんの思い出を語った。「やっぱり渡さんに会えたことが僕にとっていちばん。渡さんを通して、昔の映画スターという人たちのたたずまいというか生きざまを身近で見てこられたのが人生の財産になりましたね」「女性自身」2021年2月9日号 掲載
2021年01月30日(左から)舘ひろし、神田正輝来たる1月16日、故・石原裕次郎さんが設立した『石原プロモーション』が、50年以上にわたる歴史に幕を閉じる。■石原プロ、叶わなかった“店仕舞い”「ド派手なことが得意で、それでいて律義でも知られる芸能プロダクションですから、当初は盛大な“店仕舞い”を考えていたようです」(ワイドショースタッフ)ところが、1月8日から首都圏に緊急事態宣言が再発令されたことで、石原プロの“閉店式”は幻となった。「当日の午前中は、事務所がある地元の神主さんを呼んで祈祷してもらう予定でした。裕次郎さんの写真と、昨年に亡くなった渡哲也さんの写真も額に入れて並べて、見守ってもらう形にして。神田正輝さんはレギュラー出演している大阪の生放送番組があるから欠席しますが、舘ひろしさんは参加すると聞いていました」(映画業界関係者)厳かな雰囲気で始まった後、午後は、とある場所に移動して“セレモニー”の続きを予定していた。「裕次郎さんが眠るお墓の前に関係者一同が整列して、会社を閉めた“報告”をするつもりでした。そうした一連の行事をテレビや新聞などのマスコミに密着取材してもらい、大々的に報じてもらって、全国にいるファンにも見せたかったんだそうです」(同・ワイドショースタッフ)石原プロの始まりは、裕次郎さんが所属していた『日活』とは別の、個人的な事務所だった。手掛けた映画やドラマがヒットし、数々の伝説を打ち立てる芸能プロに成長し、所属俳優は“石原軍団”と呼ばれるように。「創業当初から使用していた、実際の古い“看板”が存在するみたいでね、それも持って行って、裕次郎さんの墓前に報告をしたかったようなんだけどね……」(前出、映画業界関係者)そんな石原プロを最後まで見守ることになった“二枚看板”はというと……。■神田正輝、舘ひろしの今後「若い役者たちは別の芸能プロに移籍しますが、神田正輝さんは1人で仕事を続けるようです。女性マネージャーも連れて行くそうですが、大阪での生放送のレギュラー番組が毎週ありますから、それで十分というスタンス。もうセリフを覚えられないので、役者の仕事は受けないそうです」(テレビ局関係者)一方の舘ひろしは、「やはり女性マネージャーがいて、一緒に個人事務所を立ち上げるそうです。舘さんは、石原プロが“閉店”するその日まで、あえて何の準備もしていません。“親方”と呼んで人生の師とあおぐ渡哲也さんに対して、次の身の振り方を考えること自体が“仁義を欠く”といった考えなんでしょうね」(前出・テレビ局関係者)石原プロの浅野謙治郎専務に聞いてみると、「事務所を閉めるというのは明るい話題ではないし、こんな情勢だからそもそもマスコミを呼んで大々的にやるつもりはなく、ごく身内だけ」とのことで、神田と舘の今後については、「2人は事務所を閉めるまでは何も決めない、と聞いています。今後どうするかも聞いていません。事務所は閉めますが、3月まではマネジメントのお手伝いはさせていただきます。それまでに、それぞれが行き先を決めて落ち着くまでは、私たちも協力する。それだけです」昭和に雄叫びをあげた太陽は沈み、代わって令和の夜空に星たちが静かに輝く。
2021年01月15日渡哲也さん1971年3月の結婚翌年から48年。葉間肋膜炎、膠原病や直腸がん、大腸がん、心筋梗塞、呼吸器疾患など多くの病気と闘ってきた渡哲也さんが、2020年8月10日に肺炎で亡くなった。だが、その事実が石原プロから発表されたのは4日後のことだった。「発表を遅らせたのは、 “静かに送ってほしい”という渡さんの強い希望からです。葬儀はごく身内だけで、同じ事務所の神田正輝さんや舘ひろしさんも立ち会えませんでした」(スポーツ紙記者)実直な人柄で日本中の人気を集めた渡さん。その人間味あふれるイメージは映像の外でも変わらなかった。「2007年にNHKでドラマ『新マチベン』を撮っていたときだったかな。何人かを連れて渡さんが局内の食堂に現れたんです」(NHK関係者)一般客は入れないとはいえ、単なる社食。いったい何を食べるのかと思いきや、「食堂でいちばん安い280円の“しょうゆラーメン”を全員のぶん注文したんだよ。特別なものが入っているわけでもない、普通のラーメンをね」(同・NHK関係者)そのラーメンの味を全員で共有することが、とてもうれしそうだった。「“NHKに来るといつも食うんだ”と言ってたな。連れていたカメラマンが写真を撮ろうとすると、 “撮るな撮るな”って言いながらラーメンを指さして“早く食え、麺がのびちゃうぞ”と急かしてたっけ。単に写真が照れくさかったのかも(笑)。“うまいなあ。うまいだろ”とニコニコしてたのを、今でも覚えてるよ」(同・NHK関係者)■石原裕次郎とのCMはどうなる?渡さんが美味しいものを口にして微笑む場面といえば、なじみ深いのは日本酒『松竹梅』のCM。最新作では石原裕次郎さんと合成映像で共演も果たしたが、11月末に終了していた。発売元の宝酒造に聞くと、「故人を使い続けるのは失礼と思い、11月末で放映をいったん終了しました。ただ、渡さんとのCM契約は来年の9月までですので、再放映の可能性もあります」(広報課)『松竹梅』の顔だった2人の後継は、石原プロの誰かに決まっているのか。「今のところ、そういった話はありません」(広報課)石原プロにも聞いてみたが、「決めるのは宝酒造さんですので、こちらが口を出すことではありません」2021年1月16日で事務所じまいとなる石原プロだが、渡さんを慕い続けた神田や舘の進退はまだ発表されていない。浅野謙治郎専務に彼らの今後を聞くと、「神田や舘は渡の遺志を守り事務所じまいまでは何も決めない、と誓っています。彼らが行き先を決めるまで、私たちは協力を続けるだけです」事務所がなくなっても渡さんの思いは受け継がれていく。
2020年12月20日俳優の舘ひろし(70)が11月3日に、旭日小綬章を受章したと報じられた。各メディアによると、舘は「思いもかけぬ栄誉を賜り、大変光栄です。これまで支えてくださいました皆様に、改めて心より感謝申し上げます」と深謝。続けて「先ごろまで、その背中を追いかけて参りました、渡と同じ章を頂いたことを糧に、これからも精進を重ねる所存です」とコメントしたという。’76年に映画「暴力教室」で俳優デビューし、「西部警察」シリーズ(テレビ朝日系)や「あぶない刑事」シリーズ(日本テレビ系)で存在感を発揮した舘。近年では’18年に、映画「終わった人」で出世コースを外れた定年男性を好演。その演技力が評価され、モントリオール映画祭で最優秀男優賞を受賞。今なお、俳優として第一線で活躍し続けている。8月10日に肺炎のために亡くなった渡哲也さん(享年78)も、’13年に71歳で同章を受章。同じく石原プロに所属する舘は、およそ40年にわたって渡さんと“舎弟関係”を築いてきた。「『西部警察』への出演は、渡さんのオファーがきっかけ。出会いはまだ駆け出しだった舘さんに、渡さんが立ち上がって握手してくれたそうです。舘さんは俳優としての佇まいや、後輩への接し方も渡さんを踏襲。常に、一挙一動を観察していたといいます。そのため、どんなときでも『渡さんだったらどうするだろう』と考えるようになったそうです」(スポーツ紙記者)10月の月命日では、スポーツ紙の取材で渡さんを「父であり、兄であり、人生の師」と偲んだ舘。「来世というものがあれば、再び渡哲也という人の舎弟でありたいと思います」ともコメントしたという。「舘さんは四十九日が終わるまでは、何も語らないと決めていたそうです。密葬や法要に参加しなかったのも、渡さんの『静かに送ってほしい』という望みに従ったといいます。仮に舘さんが参列すると、他の参列できない人との不平等が起きてしまうことを考慮したのです」(芸能関係者)そんななか、来年1月16日をもって解散が決まっている石原プロ。一部報道では解散後、舘が新事務所を設立するとも報じられている。しかし形態が変わろうとも、舘の夢は渡さんとともにあるという。「渡さんは生前、舘さんの出演作を全て鑑賞していました。そんな舘さんは、『渡さんと映画で共演することが夢』と公言していました。叶わなくなってしまった夢ですが、舘さんは良い映画を撮って『渡さんの墓前に捧げたい』と意欲的だそうです。渡さんとの“舎弟関係”は、これからも紡がれるのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)来年1月には、映画「ヤクザと家族 The Family」が公開予定だ。本作で、43年ぶりにヤクザ役に挑戦したという舘。渡さんも舘を応援していることだろう――。
2020年11月04日熊川哲也 Kバレエ カンパニー Autumn 2020『海賊』が開幕。ひと足早くゲネプロを鑑賞する機会に恵まれた。芸術監督の熊川による演出・振付で全幕作品として2007年に初演され、レパートリー化された本作。19世紀イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロンが発表した長編の詩をもとに多くの振付家が生み出した様々なバリエーションを、熊川は再構成。ストーリーを編み直し、起承転結に呼応する音楽を選ぶことによって、七つの海を渡る屈強な海賊コンラッドらの壮大な冒険譚に仕立て上げた。ゲネプロは、船の難破を活写するプロローグで幕開け。海賊の首領コンラッド、その部下ビルバントやアリの躍動する姿が、紗幕越しに浮かび上がる。トルコ領ギリシャの浜辺に打ち上げられた彼らは、メドーラとグルナーラ姉妹から介抱されることに。メドーラの美しさに心を奪われ、恋に落ちるコンラッド。しかし姉妹と仲間の娘は奴隷商人ランケデムに捕らえられ、市場へ売りに出されてしまう。彼女たちを奪還すべく、立ち上がった海賊の行方は──。強い絆を前面に押し出した勇壮な踊りの中に見え隠れする、個性豊かな海賊たちのキャラクター。中でも、かつて熊川も扮した従者アリは命がけの忠誠心をもって首領を守り抜く存在感を見せつける。取材日にこの役を演じていた山本雅也は、1月に上演された『白鳥の湖』でプリンシパルに昇格した次世代の踊り手。2017年の『海賊』出演時にも見せた高い跳躍力で、鳴り響く銃声に立ち向かう。周りを取り囲むダンサーも実力派が揃い踏みだ。コンラッド役の堀内將平は、リーダーにふさわしい堂々たる踊りを披露。伸びやかな舞いで観客を魅了した成田紗弥は、柔らかい肢体の中に可憐なメドーラ像を覗かせた。なお、回替わりでコンラッドを務める遅沢佑介とメドーラを務める中村祥子は、本作でKバレエのラストステージを飾る。ゲネプロ後には熊川からコメントが到着。約半年の活動休止期間を経てカンパニー再始動を果たす思いを『海賊』に乗せ、「この作品が持つ力強さこそ、カンパニーが踏み出す新たな第一歩にふさわしく、かつてないほどのエネルギーと感動が劇場を満たすはず」と語った。なお、熊川は10月28日(水)に刊行される小説版『海賊 Le Corsaire』の巻末インタビューで演目の成り立ちや舞台裏などを明かしている。公演は10月15日(木)~18日(日)に、東京・Bunkamuraオーチャードホールにて。チケット販売中。なお15日18:30、17日(土)12:30、18日12:30開演回ではオンラインでの生配信も。それぞれ翌日23:59までアーカイブ視聴できる。取材・文:岡山朋代
2020年10月15日舘ひろし8月10日に肺炎で死去した渡哲也さんの四十九日法要が9月16日、都内で営まれた。法要には家族のみが参列し、神田正輝や舘ひろしなど、所属事務所の俳優らの姿はなかった。「渡さんが“大げさにしないでほしい”と生前から伝えていたんです。そのかわり、四十九日の前に神田さんと舘さんはふたりで渡さんの自宅を訪れ、遺骨の前で手を合わせたそうですよ」(スポーツ紙記者)日本の芸能史に数々の伝説を残してきた“石原軍団”だが、そのピリオドは来年1月16日と決まっている。「石原プロが解散し、俳優のマネージメント業務も終了することになっています。さっそく移籍を決めた俳優もいますね」(同・スポーツ紙記者)金児憲史は8月31日をもって移籍を発表したが、神田や舘も身の振り方をすでに考えているのだろうか。「舘さんは、解散の前に移籍することはなさそうです。“1月16日まで石原プロはあるんだから、わざわざその前に出ていくことはないだろう”と周囲に話していますからね。事務所じまいがすっかりすんでから、どうするのかを決めるといいます。事務所の解散は、もともとは石原裕次郎さんの遺言で、渡さんもそれを気にかけていました。仏前で、渡さんに“石原プロの最後を見届けます”と、改めて約束していたのかもしれませんね」(芸能プロ幹部)■うさぎの着ぐるみでCM出演責任感の強い舘は、石原プロのスタッフの処遇についても考えているようだ。「『マイナポイント』のCMでうさぎの着ぐるみを身につけるなど、これまでなら考えられないような仕事もいとわずに“石原プロ”として引き受けているようです。最後まで“石原軍団”の一員として仕事をこなし、事務所の売り上げに貢献しようということなんでしょう」(広告代理店関係者)『西部警察』で共演した渡さんに心酔して1983年に石原プロ入りしてから37年。今や軍団の一翼を担う役者に成長した。そんな舘を慕い、背中を追う仲間も現れたという。「徳重聡さんや池田努さんも、今後の進退を解散まで明かさない、としました。舘さんの男気に共感し“ついて行きます”と宣言した形ですね」(前出・スポーツ紙記者)徳重は2019年9月の週刊女性のインタビューで、《オーディションの賞金として1億円いただいていたので、まだその金額分は仕事していないから辞められないな……》と冗談まじりに話していたが、気持ちは本気のよう。「池田さんも、徳重さんと同様です。来年まで石原プロとして受けた仕事があり、“けじめ”をつけるため解散まで出ないと言い切ったようです。石原プロに重きを置いてくれた彼らのために、解散後は舘さんが個人事務所を立ち上げ、ふたりはそこに所属すると言われています」(前出・スポーツ紙記者)昭和の男くさい友情が、まだ彼らには残っている。
2020年10月14日8月10日に肺炎のため78歳で亡くなった俳優の渡哲也さん。その四十九日法要が9月16日に都内で営まれたことを、一部スポーツ紙が報じた。記事によると法要は渡さんの希望に沿った形で営まれ、家族とごく少数の関係者だけが参列。所属していた「石原プロモーション」の俳優たちは参列しなかったという。石原プロといえば来年1月に芸能部業務を終了し、同年3月末に俳優マネジメントを終了すると発表している。そこで気になるのが、所属タレントたちの今後だ。すでに神田穣(24)は溝端淳平(31)、池田エライザ(24)らが所属する芸能事務所「エヴァーグリーン・エンタテイメント」、金児憲史(41)は妻で女優の楊原京子(38)と同じ「スタッフ・テン」への移籍を果たしている。そして宮下裕治(45)は8月いっぱいで同社との契約を終了。俳優業を引退していたことが一部で報じられた。「神田さんはイケメンな顔立ちに加えて肉体もムキムキ。今後はアクション作品での活躍が期待される逸材です。金児さんは石原プロ伝統の“男臭さ”を持つ後継者で、歌唱力も抜群です。2人の移籍先にとっては、大きな戦力となるでしょう」(芸能記者)残る所属タレントは舘ひろし(70)と神田正輝(69)、そして大々的に行われたオーディションでグランプリを獲得し芸能界入りした徳重聡(37)ら数人となった。「おそらく神田さんは個人事務所、舘さんは徳重さんら俳優陣や石原プロのスタッフも引き連れて新会社を設立するのではと言われています」(テレビ局関係者)昭和から芸能界を牽引してきた事務所だけに、その行く末に最後まで注目が集まりそうだ。
2020年09月18日もうすぐ開幕される「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア2020」(SSFF & ASIA2020)にて、別所哲也、河瀬直美、「King Gnu」常田大希が参加するオンライントークイベントが配信されることが決定した。今回のイベントは、ソニー株式会社と、ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社が、共同で新しい映像文化や潮流を次世代クリエイターと一緒に探求する「Creators’ Junction partnered with XperiaTM(クリエイターズ ジャンクション パートナー ウィズ エクスペリア)」のオンライントークイベント。モデレーターに映画祭代表の別所さん、河瀬監督がゲスト出演。さらに、スペシャルゲストとして「King Gnu」常田さんが参加する。トークでは、コロナ禍におけるエンタテインメント・映像業界の変化や、ニューノーマル時代の映像クリエイティブの在り方、スマートフォンでの映画製作の可能性などについて、三者の目線から可能性を探る。また、先月からスタートした2021年度の「オフィシャルコンペティション supported by Sony」および「スマートフォン 映画作品部門 supported by Sony」などの作品応募に向けて、これからの映像製作のヒントにも迫っていく。「Creators’ Junction partnered with XperiaTM」は9月28日(月)20時スタート予定「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア2020」は9月16日(水)~27日(日)開催。(cinemacafe.net)
2020年09月10日真夏の日差しを受けて、供花はどこか寂しげに揺れていた。墓標に刻まれていたのは「渡瀬家」の文字。そして傍らには、もう一基の墓標が。昭和の大スター・渡哲也さん(本名・渡瀬道彦享年78)が、自分の父母、そして愛妻の家族のために作った墓地は、東京都内の古刹にある。渡さんの逝去が公表されてから2週間ほどがたつ。「逝去が報じられた翌日には、友人知人たちからたくさんの供花が送られてきましたが、故人の遺志により受け取られることはなく、運んできた車に、再び積み込まれていました。遺骨は自宅の祭壇に安置され、俊子夫人(78)が守っているそうです」(スポーツ紙記者)肋膜炎、直腸がん、大腸がん、急性心筋梗塞、肺気腫……、生涯で多くの病魔と闘い続けた渡さんの傍らには、いつも愛妻・俊子さんがいた。渡さんと俊子さんは、青山学院大学の同窓生で、兵庫県人会でたまたま席が隣り合ったのが出会いだったという。「渡さんは兵庫県の淡路島出身。俊子さんは東京出身ですが、父の仕事の都合で高校時代は神戸女学院に通っていたのです。青山学院大学の同窓生によれば、“学生時代も下宿の部屋探しからなにから、俊子さんが渡さんの面倒をみていた”そうです」(渡さんを古くから知る映画関係者)出会ってから’71年に結婚するまで7年。ようやく始まった待望の新婚生活だったが、翌年から俊子さんは渡さんの看病に追われるようになった。また渡さんは’74年に大河ドラマ『勝海舟』を肋膜炎のために降板している。当時、俊子さんは週刊誌のインタビューで、渡さんの闘病生活について語っていた。《とにかく食べさせることに気を遣いました。おにぎりなら食べやすいというので、なかにイクラや肉のつくだにをいれたおにぎりをつくったり、牛肉や野菜を一日煮込んでスープをつくったり……。でも、大変なのは夜でした。すごい寝汗をかくんです。シーツやタオルケットまで濡れるので、明け方までに3~4回、下着とシーツをとりかえなければなりませんでした》(『女性セブン』’74年2月27日号)このときの俊子さんは、半世紀近くにわたって、夫の幾度もの大病と闘っていくことになるとは、想像もしていなかっただろう。銀幕スターとしての矜持も邪魔したのだろうか、渡さんは妻の献身に対して、言葉で感謝の気持ちを表すことは苦手だったようだ。取材のときも俊子さんに関して語るときは、ややそっけなかった。「(ご苦労さん、ありがとうなんて)そんなこと言えないですよねぇ。言わなくてもわかってくれているでしょう」 「(女房は)丈夫だけがとりえでねぇ」こんな調子だった。だが前出の映画関係者が続ける。「口には出さなくても、渡さんは体調を崩すたびに、自分の睡眠を削って看病してくれる俊子さんに感謝していたでしょうし、“一人娘”をくれた俊子さんのご両親のことも大切にしていました。渡さんが亡くなるまで住んでいたのは東京都内の一軒家ですが、ここにはもともと俊子さんの実家があり、いわば“マスオさん”として同居生活を送っていたのです。俊子さんのお母さんが’93年に亡くなったときには、渡さんが喪主を務めています。通夜や葬儀には、宍戸錠、富司純子ら数百人の芸能人や関係者らが弔問に訪れるという盛大なものでした」そして渡さんは、石原裕次郎さんの逝去から20年後の’07年、ある決断を下した。故郷・淡路島の真言宗の寺院ににあった渡瀬家代々の墓を、東京都内に移したのだ。移設先は、平安時代に創建されたとされる天台宗の古刹。「俊子さんのご実家の菩提寺だったと聞いています。渡さんはそこに渡瀬家の墓を建立するだけではなく、その隣に俊子さんのご実家の墓標も新たに作り直したのです」(前出・映画関係者)墓の移設について、葬儀・お墓・終活ビジネスコンサルタントの吉川美津子さんが次のように語る。「宗派の違うお寺に、お墓を移すことは、寺院や親戚の理解があれば可能で、珍しいことではないと思います。奥さまのご実家と同じお寺に移すことで、お盆やお彼岸の法要、お墓参りも同じタイミングですることができるようになります。また渡さんは、奥さまとそのご家族を大事にされていただけではなく、ご自身のご先祖と奥さまのご先祖とのご縁をとても大切にされていたのではないでしょうか」俊子さんの父母は他界しているが、一人娘だった彼女はまめまめしく墓参を続けているという。「きっと渡さんは看病で苦労ばかりかけた俊子さんに、何かの形で報いたいと考えていたのだと思います。ご両親の眠るお墓をきれいにしてあげたいとも考えたのでしょうし、もっと先の話でいえば、俊子さんはゆくゆくは渡瀬家のお墓に入るわけですが、お隣には、ご両親もいらっしゃることになります」(前出・映画関係者)並んで立つ両家の墓標には、口下手だった渡さんの、俊子さんへの深い愛が込められている。「女性自身」2020年9月8日号 掲載
2020年08月30日米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」(SSFF & ASIA)の代表を務める俳優・別所哲也が、8月28日、東京都庁にて小池百合子都知事を表敬訪問した。「(ニュー)ボーダレス」~変化を力に変えていこう~をテーマに掲げる今年の映画祭は、9月16日(水)より開催。本映画祭について都知事は「今年は、withコロナの中で、新しい日常との両立に合わせて、客席を減らしたりセレモニーのライブ配信をしたりと、まさしく新しい日常の一つのパターンを表しているかと思います。そして、各会場には新型コロナの感染予防対策をしっかりおこない、安心・安全な運営をして頂くことを期待しております」と語った。映画祭と東京都が共同で行っている映画製作プロジェクトが今年で3回目を迎える。本年の作品には、主演に森崎ウィン、シンガポール・中国で活躍するジネット・アウを迎え『This is Tokyo』を製作。作品に対して都知事は「森崎ウィンさんはミャンマー出身でいらっしゃいますよね。女優さんもシンガポール出身とのことで、アジアの魅力がそっくりそのまま映画の中に表現されていると思います」とコメント。本編は公式サイトにて公開されている。一方、東京の魅力を国内外に発信するショートフィルムを全世界から募集する「Cinematic Tokyo」部門では、全世界から今年は236本の応募があり、その中から優秀賞作品として、オーストラリアの監督が手掛けた『グッピー』が選ばれた。別所さんは「東京を訪れている若い外国人カップルが、ある出来事をきっかけにお互いを見つめなおす、というシンプルなストーリーの背景に、映画的な東京の街、主人公の繊細な感情が最もうまく表現されていました」と称賛した。この『グッピー』は、9月27日に行われるアワードセレモニーにて都知事賞が授与される。今回の表敬訪問後、別所さんは「今年はコロナ禍で、海外チームと連絡が取れなくなるなど、様々な試練がありましたが、どうやったら皆様に映画を届けられるのか、世界とどう繋がれるのかを何度も協議し、今回の映画祭実施に至りました。オンライン開催も実施しますので、より多くの方々に楽しんで頂ければと思います」とメッセージを寄せた。●『This is Tokyo』(監督:鈴木勉)2019年秋、ラグビーワールドカップ開催で、街に活気があふれる東京。シンガポールの企業との提携を進めるチームに抜擢された健人は、来日したクァン社長をアテンドする仕事を任されるが、彼女の冷たい態度に困惑する。2人で東京を観光するうちに、互いの心に小さな変化が生まれ──。▽予告編●『グッピー』(監督:Charles Richardson)外国の地、東京で若いカップルの片方が最終電車に乗りそびれ、2人はバラバラになってしまう。コミュニケーションだけが2人を引き戻せる唯一の手段だったが、携帯電話の充電と共に緊張の糸も切れてしまった2人。彼らの関係はどうなるのか…。「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2020」は9月16日(水)~27日(日)オンライン会場および東京計4会場にて開催予定。『This is Tokyo』『グッピー』は映画祭のオンライン会場にて無料先行配信。(cinemacafe.net)
2020年08月28日俳優の別所哲也が28日、映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア(略称:SSFF & ASIA)2020」の代表として東京都知事の表敬訪問を行った。同映画祭は米国アカデミー賞公認、日本発・アジア最大級の国際短編映画祭で、9月16日~27日までの開催が決定している。もともとは6月開催を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の状況で延期することに。オンライン開催を拡大するとともに、「客席数も減らしまして、感染症対策もしっかりして、リアルな上映会も試行錯誤で行なっていきたい」(別所)と語る。東京都知事・小池百合子は「長い間世界への発信を映像を通じてアートという形でお伝えいただいていること、大変嬉しく思います」と称える。「新型コロナウイルス禍にあって、ウィズコロナの認識のもとで、新しい日常との両立ということになろうかと思います。会場では感染防止宣言も行い、安心安全な運営に期待をしているところです。大変楽しみにしております」と期待を寄せた。同映画祭では、シネマスポーツプロジェクト 特別製作作品として森崎ウィン主演の映画『This is Tokyo』も上映されるが、小池都知事は「森崎ウィンさん。ミャンマー出身で、小学校4年の時に日本に来られた。そしてシンガポールの女優さん(ジネット・アウ)が出られる。アジアそっくりそのものがつまってる感じで、楽しみであります」と語る。都知事により、東京の魅力を伝える「Cinematic Tokyo部門」の優秀賞・東京都知事賞としてオーストラリアのCharles Richardson監督の作品『グッピー』も発表され、最後に2人は握手代わりのグータッチで締めくくった。改めて取材に応じた別所は、「中止をしたりひるむのではなく、できることを工夫をして世界発信する。祭りの意味をもう1回考える。人間には祭りが必要だと常々言っております。カンヌやベルリンも試行錯誤しているし、僕らも世界に示すことが1つの勇気につながると信じて開催をしていきたいと思います」と宣言。「9月になってどのような状況かによって考えるところなんですが、関東圏以外の監督、審査員のみなさん、どこまでお招きするかは東京の状況に合わせて様々なプランを用意してお迎えしようと思っています」と明かした。
2020年08月28日また一人、昭和の大スターが8月10日に息を引き取った。日活映画やテレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)などでの派手なアクションとハードボイルドな演技で一世を風靡した渡哲也さん(享年78)。そんな渡さんの活躍を秘蔵写真で振り返るーー。■’65年『あばれ騎士道』でデビュー主演・宍戸錠さんの弟役でデビュー。父の死の真相をめぐり、密輸組織と対峙するオートレーサーを熱演した。■’66年『嵐を呼ぶ男』撮影’57年に公開された石原裕次郎さんの代表作をリメーク。24歳とは思えぬ眼力で、早くもスターの貫禄!■’74年、退院時に夫人と大河ドラマ『勝海舟』で主演を果たすも、胸膜炎を患い途中降板。8カ月の入院生活を終え、夫人に迎えられて。■’74年、紅白初出場が決定’73年にリリースした楽曲『くちなしの花』が大ヒット。紅白初出場決定を笑顔で報告。■’85年、石原裕次郎さんと渡さんの芸能生活20周年を記念したテレビ番組で。軍団総出演で、『聖者の行進』を大合唱。■’96年、大河ドラマ『秀吉』で信長役NHK大河ドラマ『秀吉』に出演。圧巻の演技が人気で、出番が数話伸びたという逸話が。■’14年、石原軍団を率いて石原プロ2代目社長として、軍団を率いた。この日は、裕次郎さんの二十八回忌法要に出席。作品での型破りな姿とは裏腹に、どんなに自分より若い共演者でも“さん”付けで呼び、インタビューでは「僕より、彼を」と共演者を立てる。大御所と呼ばれてもなお、謙虚な姿で誰からも愛された。仕事への思いも強く、’91年、直腸がんを患い大手術を受けるも、「カメラの前に立てば、体力がないなんて言ってられない」と術後約70日で舘ひろし主演ドラマで復帰。石原軍団との絆も感じさせた。長年、石原プロを支えてきた名俳優のご冥福を、心よりお祈りいたします。「女性自身」2020年9月1日 掲載
2020年08月20日主演ドラマ『絆』(2002年)の収録取材で撮影して掲載した写真を渡さん本人が気に入り、ベスト盤CDのジャケットに使用した撮影/本誌写真班『大都会』『西部警察』など数々の人気ドラマや映画で、凛とした独特の存在感を示した俳優、渡哲也さんが8月10日、肺炎のため死去。ここ数年は、持病の肺気腫やぜんそくと闘う日々が続いていた。■豪放な“昭和のスター”渡さんを長年、取材していたスポーツ紙記者の話。「’91年に、自ら直腸がんであることを発表してますよね。’96年放送の大河ドラマ『秀吉』では、織田信長役を演じていました。『本能寺の変』のシーンは、後に語り草になるほどの熱い演技でした。その撮影に密着していたんですが、『本能寺』シーンの撮影が終わった後、スタッフみんなでメシを食おうとなって、NHKの食堂で会食になりました。そのとき、渡さんはカツ丼とちらし寿司を頼んで、食べていたんですよ。“渡さん、そんなに食べて大丈夫ですか?”と聞いたら“いいんだよ、もう食べたいものを食べるんだ!”って。元気よく頬張っていて、さすがスターは格が違うなと思いました」’41年に生まれた渡さんは、兵庫県の淡路島で育った。青山学院大学に進学し、在学中の’64年、当時憧れていたスター、石原裕次郎さんに会えればと立ち寄った日活撮影所でスカウトされた。’65年に映画『あばれ騎士道』の主演でデビュー、俳優としての一歩を踏み出した。「直腸がんの手術の結果、“人工肛門”をつけたことを公表しました。おそらくその後、最初の撮影だったと思いますが、京都に行ったときのことです。そのときも多くの取材陣の前で、おいしそうにタバコを燻(くゆ)らせていたので、みんなで“大丈夫なの?”って心配したのを覚えています。とにかく豪放な方で、昭和のスターって、そういう人が多かったけど、渡さんもそうした場面が印象に残っています」(同・スポーツ紙記者)■石原裕次郎さんに心酔し、背中を追い続けた渡さんはデビュー前、師と仰ぐ裕次郎さんと日活の食堂で初対面した際、思いがけず「頑張ってください」と励ましの言葉をもらい感激。その後は仕事、私生活と面倒見のいい“親分”裕次郎さんに心酔、その背中を追い続けた。日活がロマンポルノ路線へ転換した’71年、裕次郎さんが設立していた『石原プロモーション』へ入社。同プロ制作のドラマ『大都会』シリーズや『西部警察』で“角刈りサングラス”の大門部長刑事を演じ、巨悪とのド派手な銃撃戦やカーチェイス、爆破シーンの連続でファンをくぎづけにした。また歌手としても、’73年に『くちなしの花』が大ヒットを記録。’74年と’93年のNHK紅白歌合戦に出場している。華やかなスター街道を突っ走ってきた渡さんだが、病気との付き合いには悩まされ続けた。本人も印象に残っていることとして、’74年放送のNHK大河ドラマ『勝海舟』を病気で途中降板したこと、’81年に裕次郎さんが解離性大動脈瘤で130日間入院して生死をさまよったことだと語っているほど、病気との因縁は深かった。’87年7月、裕次郎さんが他界したのを機に、渡さんは石原プロ社長に就任する。その後、前述した’91年に患った直腸がんと闘いつつ、’11年まで同社を率いていく。寡黙で硬派な渡さんの仕事ぶりを象徴するエピソードがある。’89年、渡さんが社長となって初の石原プロ制作の作品『ゴリラ・警視庁捜査第8班』の撮影中、ヘリから降りて全力疾走するシーンで、ヘリから着地した際、左足に激痛が走ったが「ただの捻挫だろう」と撮影を続行。しかし翌日、病院で診察を受けると、全治1か月半の腓腹筋(ひふくきん)断裂』と診断された。このケガが原因で、足をひきずって歩く後遺症が残った。ケガも男の勲章というわけだ。■きっちりとやり遂げた“最期の仕事”その後も’97年、ポリープが2つ見つかり、内視鏡で切除。うちひとつは悪性の大腸がんだった。’15年には急性心筋梗塞の緊急手術をするなど、病の種は尽きなかった。そんな渡さんが今回、過酷な闘病生活を続けながら、きっちりとやり遂げた“最期の仕事”があった。裕次郎さんと渡さんを起用した宝酒造『松竹梅』のテレビCMの撮影だ。このCMが今年で50周年を迎えた。お茶の間に広く親しまれてきたが、現在テレビ放送中の記念CMでシリーズ最終作となり、見納めとなる。「今年も『松竹梅』の最新CMが7月末から放送されていますが、完成させるまでにはずいぶんと紆余曲折がありました。渡さんは酸素吸入器が手放せず、かなりやせていましたので、どこかのスタジオで撮影するというのは、当初から難しかったようです。渡さんの自宅に撮影スタッフが行って撮るという案もありましたが、撮影予定だった春には、すでにコロナの問題が起きていました。撮影スタッフが大人数、闘病中である渡さんの自宅に行くことはできないと判断されたのです。そこで行ったのが、CG合成による制作です。しかも、松竹梅が50周年ということで、裕次郎さんと渡さんにCGで共演してもらうことになりました。できあがったCMを見た渡さん本人も、すごく驚いていましたが、満足されていたようです」(広告代理店関係者)因縁の名CM放映半世紀を記念して、裕次郎さんと渡さんが、合成技術で日本酒を酌み交わす、印象深い作品となった。■石原プロ解散が渡さんの悲願来年1月に石原プロは解散を決定。渡さんと石原プロとのCM契約が来年9月で満了となるため、今作で有終の美を飾ることを決めたという。シリーズへの出演本数は2人合わせて247本になる。渡さんは「最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただくのは、感慨深いものがあります」とコメントしていた。実は、石原プロを解散することは、裕次郎さんの遺言のひとつでもあった。「裕次郎さんの“命”を受けて、石原プロを自分の目が黒いうちにきれいに終わらせるというのは、渡さんの長年の悲願でもありました」(制作会社関係者)そして、裕次郎さんのもうひとつの遺言は「映画を作ること」だった。それは、現世での大仕事を片づけた渡さんの冥土の土産となった。今ごろ空の上で、ふたり酒を酌み交わしながら、新作映画の構想を練っているに違いない。■男気俳優・渡哲也さんの人生’41年12月28日生まれ。兵庫県の淡路島で育った’64年青山学院大学在学中にスカウトされて、卒業後、日活へ入社’65年宍戸錠とW主演の映画『あばれ騎士道』でデビュー。歌手デビューも’66年吉永小百合との初共演映画でブルーリボン賞新人賞を受賞’71年日活を退社し、石原裕次郎さんが設立していた石原プロへ入社’73年『くちなしの花』が150万枚のヒット。全日本有線放送大賞金賞を受賞’79年テレビ朝日系ドラマ『西部警察』シリーズに大門刑事役で出演’87年石原裕次郎さんが7月に他界したことから、10月に石原プロ社長に就任’91年直腸がんであることを発表、人工肛門に’05年紫綬褒章を受章’11年石原プロの社長職を辞任’15年急性心筋梗塞で緊急入院’17年相談取締役として石原プロの経営に復帰’20年8月10日、肺炎のため死去
2020年08月18日8月10日、肺炎のため亡くなった渡哲也さん(享年78)。これまで石坂浩二(79)や吉永小百合(75)、北野武(73)や上戸彩(34)といった俳優陣が追悼コメントを発表している。渡さんは年齢問わず、多くの人たちに慕われていた。そのなかでも、同じく石原プロに所属する舘ひろし(70)とは師弟愛を育んできた。「ミュージシャンとしてデビューした舘さんは、76年に『暴力教室』で映画デビューを果たしました。すると、渡さん直々にドラマ『西部警察』のオファーが。会ってみると『舘くんですね』と言い、話しているときも腰が低かったため『ほかの俳優たちと違う!』と舘さんはいたく感激したそうです。そのいっぽうで渡さんは『西部警察』の現場にキッチンやシャワーのついた専用のバスを持ち込んでいました。紳士的でありながらもハリウッドスターのような姿に、舘さんは次第に憧れを抱くようになったそうです」(芸能関係者)もともと演技経験のなかった舘。“役者・舘ひろし”は渡さんによって育てられたようだ。「舘さんは映画デビュー当時、演技に自信がなかったといいます。しかし『西部警察』の撮影で、渡さんは『君には華がある』と自信をつけてくれたそうです。そのことがキッカケで『この人になら人生を預けてもいい』と思い、舘さんは石原プロ入りを決めました。また『演技を上達させるのではなく、役の人生を演じるんだ』という演技論も語ってくれて、その教えは舘さんの胸にずっと残っているそうです」(スポーツ紙記者)渡さんのことを慕い続けた舘。彼には夢があったという。「役者人生のキッカケを与えてくれた渡さんのことを、舘さんは恩人と呼んでいました。そんな渡さんと映画を撮るという夢を、舘さんは持っていました。渡さんが元刑事で、舘さんは逃走を続ける凶悪犯という設定。実現することはできませんでしたが、シナリオも構想していたそうです」(前出・スポーツ紙記者)“役者・舘ひろし”の今後を、渡さんは天国からきっと見守ってくれることだろう。
2020年08月18日2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎で亡くなりました。78歳でした。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声芸能界からは、渡さんを悼む声が次々とあがっています。渡さんと親交の深かった、女優の吉永小百合さんもその1人です。吉永小百合「泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」渡さんと映画『愛と死の記録』で初共演して以降、宝酒造株式会社『松竹梅』のCMなど、数々の作品で共演をしてきた吉永さん。長年渡さんを先輩として慕い、突然の訃報に驚きを隠せなかったそうです。同月14日、吉永さんはさびしい胸の内を、こう明かしました。この日、本紙など報道各社に寄せた直筆の追悼コメントには「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで(実弟で俳優の渡瀬)恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」と寂しさを隠せず。渡さんが天国に旅立ったことがいまだに信じられない様子で、「大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です」と無念の思いをつづった。サンケイスポーツーより引用俳優の渡瀬恒彦さんは、渡さんの実弟で2017年に亡くなりました。吉永さんは、渡さんが大好きな夏の海を泳いで天国の弟のもとへ行ったのではないかと感じたようです。長年、渡さんの背中を見てきた吉永さんだからこそ感じた最後の思い。きっと海を渡り、天国で恒彦さんと再会できたことでしょう。渡さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2020年08月18日