くらし情報『大林素子 バレー人生支えた「松田聖子」五輪は同じ髪型で』

大林素子 バレー人生支えた「松田聖子」五輪は同じ髪型で

寮生活で唯一、自由に過ごせるのが、練習が休みとなる月曜。この日は自宅に帰ることができた。

「地元の友達と会ったりもしたかったのですが、寮では3年生しかテレビを見ることが許されず、ウォークマンも禁止されていたので、家に帰ると、ずっと歌番組を見たり、音楽を聴いたりしていました」

高校生ながら全日本の代表入りをした’85年、ワールドカップのスペシャルサポーターを務めたのが、偶然にも松田聖子だった。

「テーマ曲が『TOUCH ME』だったんですが、英語の歌詞なので、(マネして歌うには)ちゃんと発音するのが難しかったですね。現在、全日本代表の監督を務める(中田)久美さんは明菜派だから、実業団に入ってから一緒にカラオケに行く機会があると、それぞれ聖子ちゃんと明菜ちゃんの曲を歌ったりしていました」

夢の舞台だった’88年のソウルオリンピックに“聖子ちゃんカット”で臨んだのも、大林さんらしいエピソード。

「’80年代は“スポ根”色が濃厚で、今のように試合直前まで音楽を聴いたり、マニュキュアやピアスで自己主張するなんてありえなかった時代。唯一、女性らしさを出せたのが髪形でした。試合の日の朝、選手村の宿舎で、“聖子ちゃんカット”にするために一生懸命“くるくるドライヤー”で髪を巻いていたら、監督から『なに、ちゃらちゃらしてるんだ』って笑われたりしましたが、それでテンションを上げたんです」

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