2021年2月26日 06:00
志村けん弟子が師匠を語り続ける理由 上島竜兵の言葉が後押しに
’01年に付き人を卒業。’11年、鹿児島のテレビ局からの誘いを受けて、げそ太郎さんは活動の拠点を故郷・鹿児島に移した。’15年には鹿児島の仕事に専念するために『バカ殿様』と『志村魂』を卒業。会う頻度は減ったが、客として舞台を見に行ったときにはあいさつに行ったり、東京に行くときは会いに行ったりと、志村さんとの交流は続いていた。
これからも続くと思っていたそんな日々は、新型コロナウイルスによって突然断たれてしまった。
■「師匠がくれた仕事」背中を押した上島竜兵
2月26日、げそ太郎さんは志村さんとの思い出をつづった『我が師・志村けん僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル)を出版する。
亡くなった直後、メディアからの取材依頼が多数きた。しかし気持ちの整理がつかなかったげそ太郎さんはそれを断っていた。
「そのことをダチョウ倶楽部の上島竜兵さんに伝えたら、『バカ野郎!それは師匠がお前にくれた仕事だから受けないとダメだろ』って怒られたんです」
舞台や番組と、何度もチャンスをくれた志村さん。鹿児島に拠点を移してからも、志村けんの弟子という肩書に何度も助けられた。亡くなってなお仕事をくれる師匠に応えようと、げそ太郎さんは取材や書籍のオファーを受けるようになった。