母を看取った新田恵利さん「遺品から4番と書かれたTシャツが」
まもなく「要介護4」と認定された。
「入院前は普通に歩いていたので、寝たきりの介護生活がいきなり始まったようなものでした。兄と一緒にやりながら介護を覚えていくという感じでした」
そんな状況にも、ひで子さんは楽天的だったという。
「ベッドにあおむけに寝たまま、自転車をこぐように足を動かして、『みてみて恵利ちゃん、なんでこんなに動くのに歩けないんだろうね』という無邪気な母を見ると、涙が出てきました」
介護が始まってすぐは、少しでも心地よく過ごしてほしいという思いから、仕事から帰ってくたくたでも、ひで子さんの好きな炊きたてのご飯や煮物を用意したりしていたが……。
「それなのに『おなかが痛いから、晩ご飯食べない』って(笑)。がっかりしたし、感情的になって『くそばばあ!』って言ってしまって、後悔したことも。それで、手を抜いたり、“今日は無理”っていう日は母を兄に任せて退避したり、ストレスをためないやり方を覚えていきました」
ひで子さんも懸命にリハビリに取り組み、屋内の車いすでの移動、トイレ、立ち上がり、2〜3歩なら歩けるまでに回復した。ただ、認知症も進行していき、車いすのストッパーをかけずに立ち上がり、転倒してしまうことも。