内野聖陽 コロナ休業中も続けていた84歳実母への贖罪介護
冒頭のように本誌が内野と母親を目撃したのは、彼が回復のコメントを発表した翌日夜のこと。
車で母を自宅に連れてきた内野は“病み上がり”のせいもあるのか憔悴しているようにも見え、食料が入っていると思われるビニール袋を手に提げていた。親子水入らずで夕食をともにした後、内野は母をマンションへと送っていったのだ。
車の乗り降りを手伝ったり、腕を貸してともに歩いたりする姿からは、内野の年老いた母への深い愛情といたわりが伝わってきた。
「横浜にある曹洞宗の古刹の住職を務めていたお父さんが亡くなったのは’02年ごろです。母一人子一人ですが、内野さんはお母さんに対して“負い目”のような感情を抱いているようです。
1つは、孫に会わせてあげられないこと。内野さんのお子さんの親権は’11年に離婚した一路真輝さんが持っています。
もう1つは、俳優になるという夢をかなえるために実家のお寺を継がなかったことです」
いまや誰もが知る人気俳優となった内野だが、かつて家族はその進路に猛反対していた。
’06年に内野は本誌の取材に対して、その心情を明かしている。
「跡を継がなかったのは、役者の道を歩みたいからです。