くらし情報『中村あゆみ「人と話すのも避けてた」コンプレックスだったハスキーボイス』

2021年9月27日 06:00

中村あゆみ「人と話すのも避けてた」コンプレックスだったハスキーボイス

実母は博多で複数の高級クラブを経営していて、中村さんにはクラブを継ぐか、歌手になってほしいと考えていた。

「音楽家の平尾昌晃さんと知り合いだった母が、私を紹介したところ、『預かるよ』と言ってくださったんです」

だが、代名詞ともいえるハスキーボイスが、当時はコンプレックスだったと中村さん。

「この声は生まれつき。10代のときは今よりもっとハスキーで、しゃべり続けていると声が出なくなってしまうし、好きではなかったですね。人と話をするのも避けていたくらい」

それなのに、歌の勉強をするため上京することになり、戸惑いはなかったのだろうか。

「福岡では、実母は温かく迎え入れてくれたし、義理の父も甘々で、お金も愛情もあったのですが、それでもどこか心の中で“何か違う。私の場所じゃない”って感じていたんです。それで高校を中退して、上京することに」

■上京したものの仕送りが途絶え勤労学生に…
16歳で東京に出て、六本木にあった平尾邸で住込み生活を始めたが、やはり覚悟が足りなかった。


「人が多く出入りするし、いつも誰かがいる環境になじめなくて。上京して2〜3カ月後には、段ボール箱を1つ持ち、飛び出してしまいました」

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