2021年10月31日 06:00
トキワ荘の紅一点 水野英子語る「24時間マンガ漬けだった日々」
その母も、中学2年生のときに早世してしまい、水野さんはますますマンガに没頭。尊敬する手塚が審査員を務めていた『漫画少年』に投稿を始めた。
ほどなく14歳で描いた『赤い子馬』が佳作に選出される。
「その作品は雑誌には掲載されませんでしたが、手塚先生が気に入って、家に持ち帰ってくださっていたんです」
運命の歯車が回り始めていた。
『少女クラブ』(講談社)の編集長・丸山昭氏が、打ち合わせで手塚の仕事場を訪ねたときのこと。 仕事場の天袋に積まれた手塚の漫画原稿のなかに紛れていた『赤い子馬』に目を留めた。
「これは誰の作品ですか?」
丸山氏が尋ねると、
「この子、なかなか描けているから、マルさん、育ててみたら」
と、手塚が推してくれたのだ。
ほどなく丸山氏から、下関の水野さんに連絡が入った。
「もっと、あなたの作品を見てみたいから、送ってほしい」
すぐさま送った『赤っ毛子馬』が『少女クラブ』でのデビュー作。16ページの西部劇だ。
中学卒業後、水野さんは下関の漁網工場に就職し、魚を取る網を作り、補修する仕事についていた。昼は、40kgもの大網を抱えて階段を上り下りする重労働をこなし、帰宅後、夜半からマンガを描く生活に疲れ果て、マンガ1本に絞ることを決断。