2021年10月31日 06:00
トキワ荘の紅一点 水野英子語る「24時間マンガ漬けだった日々」
57年には初の連載『銀の花びら』が始まり、このころ丸山氏から思いがけない依頼が届く。
「赤塚不二夫、石ノ森章太郎と合作で、少女マンガを描きませんか」
水野さんは迷わず引き受けた。
「いまでこそ少女マンガの描き手は女性という認識ですが、当時は男性が描いていたんです」
女性の手による本格的な少女マンガが嘱望されていた。
■トキワ荘には赤塚の母など女性も出入りして。24時間マンガ浸りの生活は天国だった
水野のM、石ノ森のI、赤塚のA。3人の頭文字をとり、「うまいや」にひっかけた“U・マイア(MIA)”をペンネームに、3人の合作マンガの連載が始まった。
すでに、赤塚と石ノ森はトキワ荘の住人だったが、水野さんは下関。メールもFAXもない時代、この遠距離を、郵送と長距離電話のやりとりで埋めつつ、作品に仕上げていたという。
「丸山さんと石ノ森さん、赤塚さんが打ち合わせをし、石ノ森さんが構成とネームを担当。コマ割りとアタリ(鉛筆の下描き)を入れ下関に郵送し、私が主人公にペン入れをして送り返すという手順です」
まさに離れ業だ。
こうして生まれた『赤い火と黒かみ』は、大きな反響を呼び、1作で終わるのは惜しいという声があがる。