2022年5月15日 06:00
男たちは妻や幼い我が子を手にかけ…沖縄を襲った集団自決の真実
さらに、そのレポートを契機に「沖縄県史」編さんの手伝いをすることに。宮城さんは座間味島をはじめ、島々の人たちの戦時中の体験を取材し、執筆もした。
「大学卒業後は、琉球大学の研究生を経て、学術誌、月刊誌の編集部に就職し、編集や書き手の仕事をしました。仕事の一環としても、集団自決の調査を続け、雑誌で特集を組んだりもしたんです」
米軍が座間味島に上陸したのは、1945年3月26日。その数日前から苛烈な空襲と艦砲射撃にさらされた島民たちが、徐々に平常心をなくしていくのが、聞取り調査を通して、宮城さんには手にとるようにわかった。
「徹底した教育と、終戦の前年の9月から駐屯してきた、島の人口のおよそ2倍、千人余もの日本兵たちとの密接した生活。そのなかで、本来は軍隊用語だったはずの『玉砕』という言葉が、いつしか島民にとっては『親族を殺し自らも死ぬこと』という意味に変わっていったんです」
日本軍は島に、特攻艇の秘密基地を建設していた。男女を問わず土木作業や食料確保に動員された島民たち。
いや応なく軍の機密にも触れた彼らが、生きて敵に捕まることを、日本軍は恐れた。
「だからこそ、いざとなれば玉砕を、と軍は手りゅう弾を配ったりしていたんだと思います」