2022年5月15日 06:00
男たちは妻や幼い我が子を手にかけ…沖縄を襲った集団自決の真実
やがて、中学卒業を機に島を出た宮城さんは、沖縄本島にある寮を備えた県立糸満高校に進んだ。そのクラスメートとのやり取りで、宮城さんは強いショックを受ける。
「あれは、1年生の1学期だったと思います。本島南部、糸満も沖縄戦の激戦地でしたから、ほとんどの級友が、家族を戦争で亡くしていた。それで私、聞いたんです、『あなたの家族は、どんなふうにして自決したの?』と。当時は自決ではなく『玉砕』という言葉を使っていたかもしれません。そのときまで、私は戦争で亡くなった人というのは全員、集団自決の犠牲者と思い込んでいたんです。でも、級友たちは誰ひとりとして、集団自決の意味をわからなかったんです」
以来、「集団自決とは、なんだったのか?なぜ座間味でそれが起きたのか?」という疑問が、宮城さんの中でくすぶり続けた。
いっぽうで、宮城さんには幼き日の、忘れられない記憶がある。それは小学生時代。いつものように祖父母の家で遊んでいたときのこと。裏庭から、不穏なヤギの鳴き声が聞こえてきた。
「行ってみると、祖父がヤギを1頭、食用に潰すところでした」
祖父はヤギの後ろ足を縛り、宙吊りにすると、おもむろにその首を切った。