くらし情報『沖縄本土復帰50年 集団自決では祖母が祖父に「殺して」とせがんだ』

2022年5月15日 06:00

沖縄本土復帰50年 集団自決では祖母が祖父に「殺して」とせがんだ

それは終戦から32年たった1977年。集団自決の犠牲者たちの三十三回忌の法要でのこと。

「沖縄の三十三回忌ってご存じですか?『ウワイスーコー(終わり焼香)』と呼んで、一種のお祝いなんです。お香典も祝儀袋に入れます。豚の頭をお供えし、紅白の饅頭も飾ります。祖母の家もあの日、他界した息子の法要を執り行いましたが、じつは祖父の七回忌とも重なっていて……」

本来なら“祝い”の席で祖母は、最初から最後まで泣き通しだった。宮城さんはそんな祖母の姿をじっと見つめながら「おばあのこの涙の意味はなんなんだろう?」と考え続けたという。

宮城さんは調査のなかで、戦時中、米兵を前にパニックになった祖母が祖父に「早く殺して」とせがんだことを知っていた。

祖母に次いで、祖父は3人の子どもの喉を切り、最後に自分自身の首に刃を当てた。5人の血は壕の外にまで流れ出ていたという。子供のうち、息子は絶命した。

「それで、私なりにわかったんです。祖母は、生前の祖父をときには『人殺し』とまでなじり続けていた。祖母のその言葉は、本当は自分に向けたものだったんじゃないか、って。誰にぶつけたらいいのかわからない怒りや悲しみを抱え込んで、祖父をなじることで、どうにか気持ちを保とうとしていたんじゃないでしょうか。

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