くらし情報『沖縄本土復帰50年 集団自決では祖母が祖父に「殺して」とせがんだ』

2022年5月15日 06:00

沖縄本土復帰50年 集団自決では祖母が祖父に「殺して」とせがんだ

母が私を引き止めることは、ありませんでした」

徹底した教育は、母子の絆をも引き裂いてしまったのか。

宮城さんは語る。

「ほかの壕では、目の前に米軍が現れるなどして、ほぼ突発的に大多数の人たちが自決を選んでいる。ところが、田中さんがいたのは中心部から遠く離れた集落の壕。だから、米兵の姿も見えず、多くの人が比較的、冷静だったんでしょう。ただ、教師というのは日本軍の教えを率先して守る立場。かつ、その先生はすでにけがを負っていたという別の人の証言も。だからおそらくは『もう助からない』と、自決を急いだんでしょう」

意を決して死を選んだ田中さん。
だが、教師の持っていた手りゅう弾は不発だった。

「先生が何度もたたいたのに、手りゅう弾は破裂しませんでした。そこで、先生は剃刀を研ぎ始めましたが、そのころには私もわれに返って、怖くなって逃げました。おかげさまで、いまもこうして元気です」

生き延びることができたことを、改めて喜んだ田中さん。あの日、死にそびれたおかげで、彼女は子や孫を持つこともできた。宮城さんも「本当に、本当によかったですね」と、うれしそうに何度もうなずいて応えていた。

だがいっぽうで、戦争で傷ついた心は、簡単に癒えることがないことも、痛いほどわかっていた。

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