2022年6月29日 11:00
“時政パパ”でブレイクの坂東彌十郎 歌舞伎界の大名跡巡り尾上松也と襲名争い
中途半端で大人の役ができる年まで待とうってなって……」
寸法が合う着物もなく、衣装屋さんに怒られることも。
「何人でひと組っていうような舞台の出方をしますと、演出の方に『そこのデカいの邪魔だ、端っこ行かっしゃい!』とか言われて、随分悔しい思いをしました」
歌舞伎一筋で生きていく決心をした彌十郎は、親戚筋の八代目坂東三津五郎の預かりに。
「しかし、その直後の’75年、三津五郎はフグ毒に当たって急死。続いて面倒を見てもらった十四代目守田勘彌も、また2カ月後に亡くなってしまったのです。『どういう運命なんだ!?』と自らの境遇を嘆くこともあったとか。
そのため、父親と一緒に山本富士子さんや杉良太郎さんらの商業演劇を回る日々が続きました。’83年にようやく、父親の尽力で市川猿翁の門下に入ったのです」(前出・歌舞伎関係者)
かわいがられた十八代目中村勘三郎一門の作品にも出演するようになり、歌舞伎界では知る人ぞ知る存在となったのだ。
「銀幕スターの父が名乗った坂東好太郎は、残念ながら歌舞伎界では“脇役”の名前です。
彌十郎さんは下積みが長く歌舞伎界に強い愛着を持っています。