2022年8月7日 06:00
【御巣鷹山から37年】「なぜ、救助は翌朝に?」天国の夫に誓う墜落の真相究明
同事故は、事故調査委員会の1987年の事故調査報告書で「ボーイング社の修理ミスが原因で後部圧力隔壁が破壊、急減圧が発生し垂直尾翼が吹き飛ばされたことが原因」とされ、ほとんどの人が「不運な事故」と記憶しているはずだ。
しかし吉備さんは目を見開いて「真実は明かされていないんです」と訴える。
「日航や国の対応は辻褄が合わず、おかしな点ばかり。夕方に墜落したのに救助は翌朝やっと始まった。夜に始めていれば100人ほどは助かったのではとも聞きました。
国も日航も、なにか隠している。私は墜落原因にずっと疑問を持ってきました」
今日までの出来事と疑問、闘いのすべてを振り返ってもらった。
(なお、判決の行方は、河出書房新社より10月25日に発売される青山透子さん著『JAL裁判 日航123便墜落事件と1985』で詳しく綴られる)
■「家に帰ると、その日の出来事をすべて私に報告するのが、主人の日課でした」
「私が生まれて3カ月のとき、父はニューギニアで戦死しました。
私には父の記憶がないんです」
1942年9月24日、朝鮮生まれ。歯科医の父と石川県出身の母とのあいだに生まれた、3人きょうだいの末っ子で次女が吉備さんだ。