2022年12月4日 06:00
神田うの CMよりもバレエ優先!「ちょっと変わった子」だった中高生時代
こうした共通の話題があったからこそ「ちょっと変わったコ」だったうのさんも、クラスに溶け込むことができた。
「たまの休みや、空いた時間には、はやっていたカラオケボックスに友達と一緒に行きました。松田聖子さんはアイドル時代よりも、海外進出した後の『きっと、また逢える…』(’92年)が私たちの世代。ほかにも、プリンセスプリンセスやドリカム、摩季姉(大黒摩季)のヒット曲を歌ったりしていましたね。でも、基本的に私は歌うよりも踊るほうが好きだったので、友達が歌っている横でタンバリン片手に盛り上げる役でした」
■歯に衣着せぬ言動が受け入れられ数々のバラエティ番組に出演
モデル業も順調で、17歳から『プチセブン』(小学館)の専属モデルに。
「専属モデルのわりには、バレエのコンクールと撮影日が重なるとバレエを優先させていたので、使いづらいモデルだったはず」
年齢を重ねるごとに、大きなCMのオーディションに合格しても、バレエのためにキャンセルするケースが増えてきた。
「私がやるはずだったCMが流れているのを見て、悔しい思いをしたことも。それで、19歳のころからバレエをフェードアウト、芸能の仕事に集中するようになったんです」