日本での生活開始から1年、ウクライナ避難民家族の「たった一つの願い」
とはいえ、仕事も見つかり、リュボフィさんたち家族にも、少しずつ笑顔が戻ってきた。だが戦争は、彼女たちが祖国を離れて1年以上がたったいまも終わる気配すらない。
「アニータは、通訳の方が週2日、一緒に登校してくれて、なんとか勉強にもついていけています。でも、自分だけまわりの子とは違うというのを感じているようで……」
リュボフィさんは顔を曇らせる。それは、アニータさんがときおり、涙ながらにこう訴えるから。
「早くウクライナに帰ろうよ」
娘の言葉に、父母は言葉を失いそうになるという。
「なだめすかすようにして『あと半年だから』とか、『あと1年だけ我慢して』と話すのが精いっぱいで。私のその言葉に、アニータはさらに激しく泣きじゃくってしまいます。
親として、本当につらいです」
リュボフィさん自身、いまも突然涙があふれてくることがある。
「テレビやインターネットは基本的に見ません。つらいニュースに触れたくないから。見てしまうと夜、眠れなくなります。ウクライナのことを考えて、落ち込んで、頭が痛くなることもあります」
祖国を離れる決断を下したころは「秋には帰れる」と思っていた。秋になり、日本で仕事を得たころには「来年春には、きっと戦争も終わる」