GACKT 初自伝『自白』で明かしていた「急逝した元メンバーへの悔恨」
「まだ、忘れられないけれど仲間が頑張ってくれることが、あの子が生きた証しだから」
それを聞いて、とても救われた気がした。僕が頑張ることが、彼の生きた証しになる。
以来毎年、僕はKamiの誕生日と命日には、彼の実家へ顔を出している。
「いつでも遊びにおいで」というご両親の言葉に甘えて。
最初の年は、大勢、お墓参りに来てくれていた。命日にしても、誕生日にしても。あれから4年、どんどん人が来なくなった……。
来たから、どうこうということじゃない。
お墓参りをすれば、Kamiが喜ぶというわけじゃないんだろう。でも、僕には皆がどんどん……、あいつのことを忘れていくように思えて……それが、すごく辛い……。
もっと頻繁に、彼の墓へ行けるといいんだけど、結局、命日のときと誕生日のときになってしまっている。
でも、そのたびに、お父さんもお母さんも歓迎してくれて、今では、自分の親のような感覚なんだ。ご両親のほうも、僕を実の子供のように思って、僕にKamiの姿をダブらせているように思う。
僕は今もずっと、Kamiの果たせなかった夢を追い続けている。それがKamiがこの世に存在し、生きた証しだ。