“バズる大使”レジャバさん『ドラゴンボール』に『ドンキーコング』など、日本文化で感性を育んだ少年時代
「各企業が『ぜひ、自社商品を親戚の子に』と、ふりかけやらせんべいやら、納豆やらを、山のように届けてくれるんです」
3月には『ジョージア大使のつぶや記』(教育評論社)という著書も出版したばかり。そんな“バズる大使”レジャバさんが、自身の半生をつぶやきはじめる。
■「日本には子どもの感性を育むものがたくさんあるんですね」
ティムラズ・レジャバさんは、ジョージアの首都・トビリシで’88年に生まれた。
「父のアレキサンダーは発酵を専門とする生物学の研究者で、母のリカとともに、私を愛情深く育ててくれました」
とはいうものの、幼いころのジョージアの記憶はほとんどない。記憶を掘り起こせるのは、父が知人を頼りに広島大学に博士課程の研究者として入学することになり、来日した3歳のときから。だからレジャバさんは“日本で人生が始まった”と言う。
「日本語は理解していたのに、友達とはしゃべれない子でした。幼いながら、見た目がみんなと違うことで、うまく溶け込めなかったんでしょうね。
保育園でおもちゃを使って遊ぶとき、友達に『どっちにする?』と聞かれても、答えられないんです。『どっちか言って、ねえ、どっち?』と何度も繰り返されるうちに、休み時間が終わるという感じでした」