「塗れたぞ!」…輪島塗老舗が踏み出した、能登半島地震から復興への一歩
大きな病院の建物がギシギシと揺れて、恐ろしかった」(正英さん)
最初の揺れのあと、正英さんは車いすに乗せられ、外に出された。余震が続くなか、院内は照明が落下するなどの危険があったためだ。
「病院の外で待機しているときだったかな。消防車のサイレンの音が聞こえてきて。『いやだ、火事かしら?』って思ったんです」
そう話す純永さん。同じころ、本店の向かいに住む人から電話が入った。「藤八屋は大丈夫、ちゃんと立っとる」と教えてくれた。「火の手は海側に向かってる」とも。
ところが十数分後、また同じ人から、恐れていた知らせが届く。「燃え始めた」と。
そこから先は、暗澹たる気持ちを抱えたまま車中で過ごした。あたりが暗くなってくると、朝市の方角の空が赤く染まるのが見えた。
「車載テレビでニュースを見ていたら、まさにうちの本店が燃えている映像が流れていて。何時ごろだったかな、夜中に近づけるところまで、と車で朝市のほうに向かったんですよ」(純永さん)
そのころから、2人の心は「シャッターが下りたような状態」(純永さん)になった。燃え上がる町を遠目に眺めても「うちが燃えとるんやな、としか思わんかった」と正英さん。