「塗れたぞ!」…輪島塗老舗が踏み出した、能登半島地震から復興への一歩
純永さんも「泣きわめくでもなく、ただ『終わったな』という感じだった」という。それは翌朝も同じで、思いの丈を詰め込んだ店の焼け跡を前にしても、不思議と涙も出てこなかった。
「2人で見に行きましたけど、言葉も出てきませんでした。あまりに呆気なく、なにもかもがなくなってしまって。なんだかまるで、夢の中にいるようで」
山本町の建物は残ったが、壁が崩落するなどあちこち傷んでいた。1月中は余震が怖くて、ずっと車中泊をしていた。カセットコンロで煮炊きをし、飲料水は避難所の給水車から。用便は凝固剤を入れた袋をトイレにかぶせて済ませた。
幸いなことに、正英さんの体調は回復。検査結果も異常なしだった。
藤八屋は07年3月に発生した大きな地震でも被害を受けているが、このとき同様、支援、応援の声は全国から届いた。
「私たち、東日本大震災のあと、宮城県の2つの鰻屋さんに漆塗りの重箱を100個ずつかな、お届けしたことがあるんです。再建に役立ててほしいと。そのお店の方たちが今回いらしてくれたんです。本当にありがたかった」(純永さん)
ミシュランで星を獲得した東京・南青山「NARISAWA」のオーナーシェフもいち早く輪島に駆けつけ、炊き出しをしてくれた。