日本の骨髄バンクの生みの親が乗り越えた難病、挫折ーー
正直、人ごとと思っていた大谷さんだったが、翌年12月、彼女も白血病と診断される。千葉大学大学院英語教育科の学生として、大阪の自宅で修士論文に向かっていた25歳のときである。生理の血液量の異様な多さに驚いて婦人科を受診すると、すぐに内科への入院を命じられた。慢性骨髄性白血病だった。
「アメリカで看護師をやっていた姉も駆けつけて、はっきり病名を教えてくれました。あまりにショックすぎて涙も出ませんでしたね」
白血病は、原因不明の「血液のがん」である。現在も毎年6,000人が発病。誰がいつ発病してもおかしくない病気だ。
抗がん剤で完治する種類もあるが、当時、慢性骨髄性白血病患者は、骨髄移植でしか助からなかった。しかも、その移植が可能かどうかを判断するHLA(白血球の型)は数万通り。兄弟姉妹なら4分の1の確率で適合するが、それ以外では500人から数万人に1人となり、当時、骨髄移植は夢のような治療と思われていた。
まず異常増殖した白血球を抗がん剤で正常数値に戻すべく、大谷さんは京大病院に転院した。白血球が正常値を保っている間は「慢性期」と呼ばれ、一般的には3年ほど日常生活を送られる。