くらし情報『日本の骨髄バンクの生みの親が乗り越えた難病、挫折ーー』

2017年3月3日 17:00

日本の骨髄バンクの生みの親が乗り越えた難病、挫折ーー

しかし、白血球がふたたび異常増殖する「急性転化」は必ず訪れる。こうなると余命は半年だ。

「でもそのころの私は、楽観的だったんです。きっと姉のHLAと一致するし、アメリカで移植を受ければいいと」

’87年4月に退院した大谷さんは、両親と姉と一緒に渡米し、4人でHLA型の検査を受けた。結果は、姉と「骨髄移植が可能」というもの。

「私は恵まれていると思いました。京大病院に入院しているとき、妹のようにかわいがっていた14歳のさおりちゃんという子がいたんです。ひとりっ子のため兄弟姉妹間の移植は望めなくて」

9月からは、東京電機大学で、英語の非常勤講師として教壇に立つこともできた。
事態が急転したのは翌月である。主治医から「お姉さんとは、HLAが完全には合っていないんだ」と言われたのである。大谷さんの顔からいっきに血の気が引いた。

「アメリカでの検査結果は、『適合』ではなく、『適合可能』だったんです。突然の死刑宣告に思えました。さおりちゃんのために、骨髄バンクの運動に協力し始めていましたが、ここにきて、自分の問題になったんです」

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