“300年女人禁制”伏見の酒蔵率いる2児のママの人生
高校卒業後は1浪して京都大学農学部へ。大学院に進み、やがて就職を考える時期を迎える。
「そのまま研究室に残る仲間もいましたが、私はコツコツ文献を読むのは向いていないと思ったし、食品メーカーや公務員もピンとこなくて。そんなとき研究室の先輩で、広島の酒蔵に就職した男性がいると知ったんです。同じころ、たまたま古書店で日本酒に関するルポを読んだこともあり、これや!と思いました」(大塚さん)
志望する就職先は、酒蔵一本に絞った。しかし、本人の意気込みとは裏腹に、想像以上に酒蔵の門は固く閉ざされていた。
「就活は実家のある滋賀の酒蔵から始めましたが、どこも『バイトなら』という返事ばかり。女性だから敬遠されたというより、すでに日本酒の需要が落ち込んでいたことも背景にはあったと思います」(大塚さん)
卒業を間近にした2月だった。
会社訪問した滋賀の酒蔵の社長が「伏見の知り合いが求人を出している」と、紹介してくれたのが、招徳酒造だった。
「社長と面接すると、ちょうど事務の女性が出産退職するので欠員があるとの話でしたが、私はとにかく『酒づくりがしたいんです』とアピールして、一応、製造部での採用になりました」