『わろてんか』で描かれなかった跡取り息子とブギの女王の悲恋
「しかし漏れ聞こえてくるかたちで、せいさんの耳に入ってしまいます。当然、激怒。結婚を反対されました」
まだ学生の身、2人は釣り合わない……。反対理由はいくつも挙げられた。
「せいさんは生涯で8人の子どもを産んでいますが、長男は夭折。元気に育ったのは3人の女児と33歳で出産した穎右さんだけでした。その約3カ月後に夫の秦三を亡くしていますから、並々ならぬ愛情をそそぎ込んでいたと思います。しかも彼は母親と同じぜんそくもち。
徴兵の対象外になるほど体が弱かった」
昭和20年5月、空襲でお互いの東京の家が焼失し、住む場所を失ってしまうが、東京支社長だった吉本せいさんの弟・林弘高さんが、自宅横のフランス人宅を借り上げてくれ、そこで初めて2人一緒に住むことがかなう。
「笠置さんは後に、このときのことを“わが生涯最良の日々”とつづっています。最愛の人とひとつ屋根の下で一緒に暮らすことができたのは、この半年間だけだったからです」
しかし、このころには穎右さんの体は結核に侵され、喀血することもあった。