『わろてんか』で描かれなかった跡取り息子とブギの女王の悲恋
担当医に『長くはもたない』と宣告されたとき、せいさんは、笠置さん1人を穎右さんのいる兵庫まで運ぶためだけに、300人乗りの豪華客船をチャーターしようとする。病床の息子に「しーちゃん(笠置さん)に会いたかったら船を用意するで」と。
だが、穎右さんは「(船に乗ることで)万一のことがあったら大変や。生まれてくる子がいちばん大事。僕はその次や」と、言い残すようにして23歳の若さで亡くなった。産院で訃報を聞いた笠置さんは、当時の日記にこう記している。
《全身がぶるぶるとふるえ、お腹の子までも息が止まるのかと思うばかりだった。(中略)穎右がラッパを吹いて、その音色に合わせて自分が歌っている夢をみた》
それから13日後、笠置さんは産気づいた。
「お腹の子の父の死の報が伝えられた“悲しみのどん底”で、32歳の初産に臨まなければなりませんでした」
彼女を勇気づけてくれたのが、唯一東京に残していった穎右さんの浴衣と丹前。
「彼女はそれを産院の部屋の壁にずっとつるしていました。