『ディスクレーマー』アルフォンソ・キュアロン監督インタビュー「本当に信じられるものは何なのか?」
しかし、それが演技であれ何であれ、“ある時、ある場所で、女性が男性を追いかけていって平手打ちした”ことは間違いない。それは演技でフィクションだが、平手打ちしたことは“事実”だ。場合によっては女性が追いかける際、小石に足をとられて少しよろけたかもしれない。カメラはその“偶然”を記録する。それは演技でもフィクションでもない。女性が少しよろけた偶然をカメラはとらえる。映画はこのように“フィクション”と“ドキュメンタリー”の両方を必ず内包している。カメラを向けた先に植物があり、風が吹いて紅葉が落ちた。
この動きは再現できない。キュアロン監督はかつて、この“石につまずきよろける女性”や“風で落ちる紅葉”をすべてイチから描こうとしたことがある。2013年製作の『ゼロ・グラビティ』だ。彼は撮影監督エマニュエル・ルベツキと試行錯誤をくり返し、宇宙空間に放り出された主人公が起こすアクシデントや偶然、レンズに写る“一回限りの現象”をすべてシミュレートして創造して見せた。公開時、筆者がインタビューした際、キュアロン監督はこのプロセスを「ミラクルを創造する」と表現した。
そして、『ディスクレーマー』では逆の現象が起こる。