鈴木亮平&宮沢氷魚と考える愛とエゴ「エゴを持っていることが人間の美しさ」
相手を喜ばせたいという気持ちも、結局自分が相手の喜んでいる顔を見たいからで。すべてが自分中心だったことに気づいて、恐ろしくも感じつつ。でも人間ってやっぱりエゴの塊でもあるから、必ずしもそれが間違いでもないよなと思ったり。いろんな矛盾したものが自分の中にあって、これという答えはないけれど、自分の中で正解を見つけたいなと思うきっかけを与えてくれたタイトルでした。
――エゴと献身って何が違うと思いますか。
鈴木献身もエゴのうちなのかなと僕は思います。たとえば恋人同士の間で、どちらかの好きだっていう思いが一方的な我儘になって、それを相手が嫌がったとしたら嫌なエゴですけど、僕は好きな相手から、あなたのことがほしいの、これが自分のエゴなんだって言われたらすごくうれしいですから。
宮沢本当にその通りで。エゴって美しいものになるポテンシャルもあれば、はたまた人を傷つけるものになってしまう可能性もあって。エゴと献身なんて紙一重だよなと思います。
鈴木極端に言えば、人間関係って全部エゴのぶつかり合いであり、混じり合いな気がしていて。仮に相手のエゴを優先させたとしても、それはこの関係を崩したくないという自分のエゴのもとにやってるわけだから。