くらし情報『渋谷区立松濤美術館『装いの力―異性装の日本史』をレポート 各時代の異性装の様相をさまざまな表現から展観』

2022年9月12日 18:00

渋谷区立松濤美術館『装いの力―異性装の日本史』をレポート 各時代の異性装の様相をさまざまな表現から展観

しかし明治時代に入ると、異性装はタブー視されるようになっていく。

変わりゆく明治期以降の「異性装」

明治時代、新政府は西欧化を推進するために様々な法改正を行った。現在の軽犯罪法にあたたる「違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)」もそのひとつで、壁の落書きや他人の畑からの作物窃盗、男女混浴や公共の場の裸体露出など、多岐にわたる行動が禁止された。異性装も歌舞伎役者や袴などの一部例外を除き刑罰の対象となり、同性愛や異性装は精神疾患とみなす当時の誤った西欧精神医学が日本に導入されたため、異性装を差別する動きが強固なものとなっていった。

第6章「近代における異性装」では、明治に入り変わりゆく異性装について取り上げる。落合芳幾《東京日々新聞 813号》は、妻が男性であることを知りつつ3年の間暮らしていた夫婦について取り上げている。妻は戸籍法の制定で、夫以外にも男性であることが露見。婚姻は強制的に無効とされ、丸髷であった妻はザンギリ頭に刈られてしまったという。


渋谷区立松濤美術館『装いの力―異性装の日本史』をレポート 各時代の異性装の様相をさまざまな表現から展観

落合芳幾《東京日々新聞 813号》1874年東京都江戸東京博物館蔵
昇斎一景《東京名所三十六戯撰 隅田川白ひげ辺》は、違式詿違条例の前年に描かれた花見の宴会を楽しむ人々。

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.