「十二月大歌舞伎」で二代目澤村精四郎襲名披露を控える澤村國矢 声を“特大”にして「きよしろう」の名をアピール
そうした古典でのきっちりとしたことを、ちゃんとしていきたいなと、思っております」と意気込む國矢。
そんな彼も、思春期の頃は歌舞伎にどう向き合うべきか悩み、踊りの稽古は続けながら、一時は歌舞伎から遠ざかったという。「どこまで喋っていいのかわかりませんが──」と打ち明けたのは、国立劇場養成所の研修生として学び始めるも、2カ月でやめてしまい藤十郎をひどく怒らせてしまったこと。
「謝りに行っても“顔も見たくない”と門前払い。そこでハッとして、歌舞伎ができなくなるのはとても嫌なことだし、覚悟を決めて向かっていなかったことを反省、お詫をしようと通い詰めまして、ようやく許しを得て、翌年に澤村國矢を名のって入門いたしました。その後は師匠に毎日怒られていました。『お前はゼロからのスタートではない。人の2倍、3倍も頑張らなきゃダメだ』と」
厳しく突き放すことで、彼を歌舞伎の世界に繋ぎ止めた藤十郎。
名女形として知られ、紀伊国屋を背負って立つ俳優だったが、現在は病気療養中だ。紀伊国屋の後継者のひとりとして、國矢はその伝統を受け継いでゆく役割も期待される。
「途絶えてしまうかもしれないものを繋いでいかなければいけない立場にもなるのかな、と思うと、いずれ挑戦していきたいと思い始めました。