パール兄弟、デビュー40周年は“天から与えられた”原点回帰
の皆さんにはお会いしたことはないんですが、ひょっとすると僕の姿を見ていてくれたのかなと思うところがあって、それは歯科医とミュージシャンを並行してやっていくことの大変さを月刊角川で連載し、まとめた書籍『歯科医のロック』っていうのを1980年代に発売してるんですね。それを読んでくれているとしたら、同時並行で顔を出しながらやっていくのは軋轢が多すぎないかい?って気づくと思うんです。そうすると当然ミュージシャンとしての露出はやめた方がいいという結論に達すると思うので。そうだとしたら自分の苦労がむくわれた感じがしますね。
――まずは歯科医師をめざしながらバンド活動をやってきた。
【サエキけんぞう】ハルメンズがそうでしたね。ビクターが契約してくれたんですが、徳島の大学に行きながらのレコーディングは無理なんで1年休学しました。でもたった1年の休学でアルバム2枚出しましたからね。
大学に戻ってからも窪田(春男)と一緒に曲作りだけは続けてました。それで学校は卒業し、日大松戸の歯学部に席をおきながらパール兄弟としてデビューしたんですね。歯科医は結局1992年にやめました。
■パール兄弟契約はロキシー好きの担当が決め手に
――パール兄弟がデビューした1986年頃はポップ・ロック的なバンドが多かった時代ですね。