90年代ヒットメドレーを聴いたら死にたくなりました
阪神・淡路大震災が起きた年であり、地下鉄サリン事件があった年だからです。そこから世間は一気に世紀末のムードを漂わせ、1999年にはノストラダムスの大予言のとおり、世界が終末を迎えると信じていた人もいましたよね。90年代にヒットした曲を聴くと、総じてなんだか呑気で平和そうな印象を受けるのですが、もしかしたらせめて歌謡曲だけでも明るく振る舞おうという反動が働いていたのかもしれません。もちろん、当時の私たちはそんな世相など知る由もなかったわけですが、結局世界は終末など迎えずに、日常はかくも強固に続いています。
そんな90年代に一世を風靡したヒットメドレーを聴いたとき、あなたのなかに蘇るのは、楽しかった記憶でしょうか、切ない記憶でしょうか、それとも私のように、憂鬱と絶望の記憶でしょうか。プルーストの『失われた時を求めて』のように、紅茶に浸したマドレーヌが記憶を呼び起こすのではなく、90年代ヒットメドレーによって記憶が喚起されるあたりがなんともダサいですが、これらの曲から思い出されるのは、何にもコーティングされていなかった頃の「剥き出し」の自分である、ということも同時に私は考えたのです。
大学生くらいのときから、我々は多かれ少なかれ「自分」