フェミニズム視点からみた木村悠介 新作公演『ハムレットの女たち』を10月4日に公演
自分のシェイクスピアへの反感を逆手に取り、シェイクスピアを使って、シェイクスピアをひっくり返す。それは現代を生きる私、そしてあらゆる「女たち」を生きる者の日々にとって、価値あるものになるはずだ。
今、些細な点ではあるがこの文章を書きながら、それぞれ抽象性を表すために〈ハムレット〉と「女たち」という2種類の記号を使っている。〈ハムレット〉とは、シェイクスピアの『ハムレット』とその源流や派生物、そしてそこから想起される、ある人々が現に共有しているものの総体を示している。一方で「女たち」もまた、この語を構築したり、そこから想起されるものの総体ではあるが、その両者の決定的な違いは、「女たち」という言葉が呼称であることだ。そう他者から呼ばれることもあれば、敢えてこの語で自らを呼び表すこともあるだろう。「女たち」という呼称はこれまでも、そして残念ながらこれからも、その意図に応じて様々に用いられ、その佇まいを変える。
だからこそ、それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが、この語はあらゆる人々が自らの中に見出すことができるかもしれない可能性を持っている。
『ハムレットの女たち』という作品名は、そのような複合的な絡み合いを前提にした新たな跳躍を目指している。