「すられた・・・・・・?まさか・・・・・・」
呆けたように和紗は言って、自分の服の内側に忍ばせたポシェットに手をのばす。大丈夫、そこに財布とクレジットカード、パスポートは入っている。
「だ、大丈夫です。貴重品はあります。バッグは・・・・・・油断してましたけど」
たしかに、パリの街なかではつねに警戒してバッグは抱えて放さないのに、ここでは田舎である安ど感からか、つい日本にいる時のように椅子の背に引っかけてしまった。貴重品を分けて、いつものように身体に身に着けていて正解だった。
男は、それを聞くとふん、と鼻を鳴らし、少し目つきを和らげた。
「それはよかったな。
でも気をつけろよ。女1人で酔っ払ってボケッとしてると、危ないぞ。ここは日本じゃないんだから」
男は、そう言い捨てて、去って行こうとした。
呼び止めたのは、多分、数か月間の間飢えていた日本語に突然触れたから。久しぶりに、心から安心して語れる相手を見つけてしまったから。和紗は、自分がずいぶん孤独で弱っていたことに今さらのように気づいた。
「あの、・・・・・・すみません。日本の方ですよね。
この辺にお住まいですか?よかったらいっしょに、1杯飲みませんか?」