特別支援学級に移籍後の娘中学入学時、娘は通常学級への進学を希望しました。しかし入学後のさまざまな出来事や体調の変化があったことで、通常学級で過ごすことが難しくなっていきました。そして、娘は中2の1月に特別支援学級に移籍し、正式に入級しました。特別支援学級は“自立”に向けてのカリキュラムがメインなので定期テストもありません。通知表のフォームもそれまでとは全く違います。娘の学校生活は一変しました。当初は、希望する授業はそれまで在籍していた通常学級で受けたいと考えていた娘。ですが、特別支援学級独自の行事やその準備のための時間は思いのほか多く、思うように授業に参加できませんでした。授業に出られないのでプリントがもらえない、小テストが受けられない、提出物が出せない、そんなことが何度か続き、ついに娘は「定期テストも受けない、成績表もいらない」と言うようになりました。学校では通常学級と特別支援学級を行ったり来たりと忙しく過ごしていた娘でしたが、宿題もないので、家では「やることがない、どうしよう」と時間を持て余していました。自習用に問題集なども購入しましたが…Upload By 荒木まち子目的も提出期限もない問題集は結局手付かずのままになったのでした。自立のスキルを身に付けて欲しいと願う親の思いからは程遠く私は特別支援学級に入ったのだから身の回りの事は自分で管理できるようになって欲しいと思い、声掛けは控えるようにしました。するとテレビや漫画の時間ばかりが増えていき、部屋は散らかり放題になりました。忘れ物も増える一方で、特別支援学級入級に難色を示していた主人は娘の様子を見て「危惧していたことが起こった」と言いました。すっかり緊張感がなくなった娘を見て、私は「やはり娘には自己管理は無理なのかしら?」と思いました。しかしながらこの先もずっと親が彼女のフォローをし続けていくことに違和感も覚えていました。特別支援学級の先生ともやり取りはしていましたが「学校では指示されたことに丁寧に取り組み、自分で行動を把握しています。しっかりやっています」など、私が抱く困り感とのギャップがあるようでした。私が相談した先は「これから娘は、どうなってしまうのだろう?」高校進学のことも踏まえ、心配になった私は特別支援コーディネーターの先生に相談をしました。私「娘は特別支援学級に入級してから、だらけてしまったように感じます。部屋も散らかり放題です」先生「娘さんは特別支援学級に移籍して変わったのではありませんよ」私「?」先生「お母さんは娘さんの移籍後、口を出さないようにしたんですよね?」私「はい、本人に自主性を身に付けてほしかったので。以前は私が掃除の手伝いをしたり、一緒に提出物の優先順位を考えたりしていましたが…あっ!!」変わったのは私(親)だった先生「娘さんは特別支援学級に移籍して変わったのではありません。彼女はもともと彼女に適した指示や支援がないと、どうしたら良いか分からないタイプです(逆に言うと本人に適した指示、支援があればできる)。それはこれからも変わりません。『整理整頓ができない=だらけている』というわけではないことを理解してあげて下さい」そうだ、そうだった。私は忘れてしまっていた。何歳になろうと、所属がどこになろうと、どの学校に進学しようと、どんな会社に勤めようと変わることはない娘の特性を…。特別支援コーディネーターの先生は私の悩みを一瞬で解決してくれたのでした。視覚支援復活!すると...私達は部屋の隅で埃をかぶっていたスケジュールボードを作り直すことにしました。すると娘は、その内容を特別支援学級の先生にも見てもらい自ら改良を重ねていきました。娘の行動は一変しました。1.弁当箱を洗う2.翌日の持ち物の準備をする3.風呂を洗う4.やることが終わったら自由時間5.週末には部屋の掃除をするやることの優先順位を視覚化しただけで彼女はスムーズに行動ができました。生活のリズムも整い始め、娘は余暇時間を使ってパソコン検定や英検、パソコンを使った絵画作成などに積極的に取り組むようになっていきました。参考:子どもが自ら片付けや身支度をするようになる方法~スケジュールボードをつくろう!~ | Conobie親が行っていたサポートは徐々に支援者に自習用に購入した問題集は特別支援学級の先生が丸付けをしてくれることになりました。これは娘が先生に問題集の進め方を相談して決まったそうで、私はそのことを後から連絡帳で知りました。特別支援学級の先生は指導計画を立てる際、必ず本人と話をし、本人の意思を確認して決めて下さいました。ある時娘は通常学級の生徒に「特別支援学級の楽器の音がうるさい」と言われてショックを受けたそうです。娘はその場では言い返せないタイプです。娘は特別支援学級の先生に相談をし、後日「特別支援学級では市の合同学芸会に向けて楽器の練習をしている」ということを説明する手紙を書いて通常学級で読みあげたそうです。冷やかしやいじめを受けた時や、周りに自分のことを理解してもらいたい時などに、支援者に助けを求め自分の意思を伝える方法を学んだり「自分は一人ではない、安心できる居場所と仲間がいる」と実感できる機会が増えていったことで娘は一段と成長したように思えました。進学先探し――福祉併用のF学院へ日常生活では特別支援学級へ入級し、環境の変化の中で少しずつ成長をしていた娘。中学卒業後の進路についても、学校探しは引き続き行っていました。私は特別支援学級の先生に教えてもらったF学院に見学に行きました。F学院は、過去に特別支援学級の卒業生も進学したことがある学校です。見学に行ってみるとそこはそれまで私が見たことがなかった形態の学校でした。社会福祉法人が運営するその学校は、軽度障害のある生徒を対象に高等学校卒業資格取得を支援する“社会福祉制度併用の”高等学院でした。生徒は午前中は社会や国語、数学や英語などの授業を受け、午後は近隣の福祉施設を利用したスポーツやSST(ソーシャルスキルトレーニング)などを通じた自立訓練を行います。同じ建物の中に厨房や作業所もあり、就労移行支援の事業所や、自立訓練を行う自立センターなども併設されています。社会福祉制度を併用するので、F学院のサービスを受けるためには障害者手帳または障害福祉サービス受給者証が必要となります。グループホームなどの障害児・者に対してさまざまな事業を展開している社会福祉法人が運営するこの学校は、自立支援を主な柱としつつ、高校卒業資格習得を希望する保護者のニーズも満たしていました。また学校名に「学院」を入れることで技能教育施設であっても、生徒の多くが望む「学校らしさ」を感じさせる配慮もありました。私が見学した当時、この学校はビルの中にあり(2015年に新校舎が完成しています)「学校」というより「事務所」「作業所」といった雰囲気を強く感じました。また訓練ベースのイメージが強く、学生生活を満喫し友達と楽しく過ごしたいと考えている娘の希望には合いませんでした。それでも、教育現場を経験したスタッフが考えたシステムというだけあって、とても画期的で興味深い学校でした。また、学校の良いところばかりでなく、その時点での学校の課題なども先生自らが語る誠実な様子にとても好感が持てました。参考:障害福祉サービスについて | 厚生労働省最重要ポイントはやはり…娘が通っていた、NPO法人運営の学習支援や余暇教室には、今まで見学に行った学校に実際通っている生徒もいました。彼らからのクチコミはリアルかつタイムリーです。「今年、先生が変わって学校の雰囲気が違ってきた」「去年は倍率が高かったのに、今年は定員割れらしい」それら生の情報に、娘は少なからず影響を受けました。中3になった娘は、波長の合う1つ年上の特別支援学級の先輩が入学した特別支援学校を第1志望に、過去に見学したことのある単位制高校を第2志望に決めました。(この時期までに娘は療育手帳も取得していました。)中学を選ぶ時もそうでしたが、娘にとって進路選びの最重要ポイントはやはり「人とのつながり」でした。合格した時はとても喜んでいたけれど娘は、第1志望の特別支援学校に入学することができました。合格通知を受け取ったとき、娘はとても喜びました。入学後、先輩たちと遊びに行ったりと学生生活を楽しんでいた娘。でもしばらくするとさまざまなことが起こり、娘が「学校に行きたくない」「学校やめたい」と荒れたことは一度や二度ではありませんでした。親や先生が娘に求めるものと、自分のしたいこととのギャップに苦しんだり、自らが思い描くように上手くできない自分に対してイライラしたり…。理想と現実の差に悩むことは精神的成長の証でもありますが、娘はこの時期、本当によく親や先生に反抗しました。「周りの大人は自分の将来を思ってそう言っている。それは分かっているけれどやりたくない。」そんな思いが娘の悩みを更に深くしているようでした。社会人になった娘、昔を振り返って特例子会社に入社した彼女は、今年社会人2年目を迎えました。娘は言います。「100%満足する学校なんてきっと無いんじゃないかな。足りないと思う部分は自分からアクションを起こして、別のところで補うしかないんだと思う。例えばもっと勉強がしたい!と思うなら、今はネットが発達しているからネットの無料塾とかで勉強することもできるし、学校に話が合う友達がいないと思うなら、同じ趣味の友達をSNSでも探すこともできるかもしれない」「でも私はリアル体験しないと学べないタイプだから、実際社会に出てから学んだことの方が多いけど(笑)」「たとえ学校にどんなに立派な施設やシステムがあったとしても、私は最後はやっぱり“人”なんだと思ってる。あ、それは社会に出ても一緒だけどね」決断する時、いつも娘は“人”を中心に考えていました。これはきっとこれからもそうなのでしょう。”コミュニケーションは苦手だけど人が大好き。言葉では上手く表現できないけど、常に人と繋がっていたいと思っている”これが娘の根っこなのだと思います。それは、今までの学校生活でも、時にはつらい思いをしながらもずっとあきらめなかったことです。人との繋がりは生きていく上でとてもとても大事なことです。学校はそれぞれ、魅力的な施設や、さまざまなカリキュラムがあります。でもなにより「心許せる友達や先生と出会えたこと」「安心できる居場所を探し、見つけたこと」が、社会人となった娘の土台を作ってくれている。そう、感じています。そして自分のために必要な環境を自ら選び取ってきた娘を、頼もしく思います。だから私は娘に伝えます。“そうだね、あなたはこれからもそのままのあなたで良い!”
2019年07月23日ADHD息子、小学3年生で学校生活のストレスが溜まりはじめて...Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太が小学校3年生のとき。リュウ太は、学校でイライラすることが多くなりました。そして周囲とケンカになる、机に伏せて授業が受けられないなど、学校生活を送る上での問題が目立ってきたのです。担任の先生との一学期の面談では、「リュウ太くんは他の子よりも心の成長が遅いのかもしれません。教育相談所に相談してみたらどうでしょう?」と言われました。Upload By かなしろにゃんこ。私もリュウ太は年齢よりも幼いし、気性も激しくて育てにくいと感じていたので、やっぱり何か発達に問題があるのかもしれない…と思い、担任の先生が勧めてくれた教育相談所に連絡してみようと思い始めました。とはいえ私はそれまで、教育相談所という機関の存在なんて気にしたことすらありませんでした。それに当時は今から12年前。スマホで手軽にネット検索できる時代ではありませんでしたから、教育相談所がどんなところなのか何も情報がない状態で不安な気持ちなこともあって、すぐに問い合わせる勇気はありません。どうするか悩んでいた夏休みの前、リュウ太のストレスはピークに達してしまいました。家に帰ってきてもイヤなことを引きずって物にあたり散らす日々…そのうち「お腹が痛い」と言うようになりました。どのあたりが痛いのか聞くと、胃のようでした。イライラや心の問題が体にも不調となって表れていたのです。これはもう私一人ではどうしようもない…勇気を出して、教育相談所に連絡してみることにしました。担任の先生は教育相談所について、「育児の悩み相談もできるところだから何でも相談してみるといいですよ」と教えてくれましたが、私の中では「ザーマスタイプのおっかない教育熱心な指導者に『あなたの育児は間違っています!そんなんじゃダメですよ!』と怒られるのかも…」そんなイメージばかりが膨らんで(笑)、面談に行く前はドキドキだったことを今でも思い出します。勇気を出して教育相談所へ!そこは母も息子も安心できる場所だったUpload By かなしろにゃんこ。しかし、実際は違いました…!私よりも少し若い男性相談員の方が私のカウンセリングをしてくれる間、息子には若い女性の指導員の先生がついてくれるのだといいます。息子はオモチャがたくさん置いてある畳の部屋に誘導され、指導員の先生と一緒にさまざまなオモチャで遊びました。息子は自分の好きなオモチャもそうでないものも、片っ端から引っ張り出しては触って試して遊んだそうです。ここでの狙いは、遊びの中で「この遊び方をしていいんだ、ぼくはぼくのままでいいんだ!」という自己肯定感を育むことなのだと教えてもらいました。ですから、息子がどんな遊び方をしても指導員の先生は怒ったり注意したりすることはなく、息子は楽しみながら自己肯定感を高めることができたのです。Upload By かなしろにゃんこ。私も小さな相談室に促され、相談員の先生に子育ての様子や困っていることを打ち明けました。これまで誰にも子育ての困り事を相談したことがなかった私。聞いてくれる人がいる、なんでも話していい。それだけでとても嬉しく、心が軽くなる感じがしました。それまでは、親など身近な人に話しても「言い聞かせが足りない」「躾ができていない」などと言われて、「もっと厳しくしないといけないんだ…私の育児は甘いんだ」と落ち込むばかり。息子に対して厳しくすればするほど反発され暴れられるということを繰り返し…いつからか誰にも相談しなくなっていたのです。「一人でなんとかしなくちゃ!」と頑張りすぎていたその頃の私は、「厳しさが足りないんだ」と思い込んで、軍隊のような礼儀・作法・規則を厳守させたりする指導が必要なんじゃないか、とまで考えていました。でも、教育相談所に通った2年の間、毎回少しずつ困り事を話していくうちに、私が困っていることの要因やどうしたらいいのかが、整理できてきました。〇ただ厳しく育てるだけでは逆効果で、息子は変わらないこと。〇息子は周りからちょっかいを出され、やめてと言ってもやめてもらえずに学校でイライラしていること。〇息子は学校でイヤなことがあると、そのストレスを家で爆発させていること。整理されて気づいたのは、私が困っていることは息子も困っていることだということです。Upload By かなしろにゃんこ。一人だと悩みをまとめることができなくて「自分はとにかく息子のことで困ってる!問題がいろいろありすぎて何に困っているかは分からない?考えるの面倒だから全部に困ってる!」となるんですが、人に話すことで見えてくるんですね。なんとか変えていきたいことについては、できることから取り組むようにアドバイスしてもらいました。〇息子の場合は、一人でできないことはできるようになるまで注意しないで待ってあげる方がよいこと。(例えば時間割に合わせた持ち物の準備や、提出物の準備など)〇学校で起こったイヤな出来事の話も含めて、家でたくさん息子の話を聞くこと。アドバイスを受けて、「息子が一日のうちで体験するイヤなことを、家では減らす」ということかな?と思いました。学校で起こることは親にはどうにもできないこともあります。その分、家の中では子どもの思いを受け止めて、楽しく過ごさせてあげたいなと思ったのです。家でも学校でもイヤなことがあったらたまりませんもんね…。悩みを吐き出したら、息子にとってより良い環境づくりに前向きになれたUpload By かなしろにゃんこ。躾が足りないと思って厳しくしていた私は、逆のことをやっていたんだ――そう気がついたのは、通い出して半年後のことです。相談員の先生は私に「こうしなさい」「ああしなさい」とは言いませんでした。「こうしてみるのもいいかもしれないですね」とあくまで提案のかたちでした。提案された方法の中から、息子に合ったものを考えて自分で選んでいくプロセスが、私には必要だったんだと思います。相談員の先生は、そこまで分かった上で話してくれていたのでしょう。息子が変わるには、まず私が変わることが先で、私が変わるには考え方を変えていかないといけない。考え方を変えるには、私の中に新しい情報が入るように空欄を作ること、空欄を作るために私の悩みや苦しいものを外に出さないといけなかったんですね。そして新しい情報が入ると共に、こだわっていた考え方が柔らかくなってきて「新しい方法を試そう!」という気持ちになってくる。Upload By かなしろにゃんこ。育児を注意されないように、甘やかしていると思われないように、相手に攻撃されないように…絶えずそんな気持ちでバリアを張っていたら、新しい有力な情報をはじいてしまいますもんね。でも、以前の私はそんなふうに生きていたんでしょう。そんな私の姿を学校の先生も分かっていて、教育相談所を紹介してくれたんだと思います。そして教育相談所とつながれたから、発達が気になる子の診断をしてくれるクリニックも紹介してもらい、小学4年の頃に受診、ADHDと広汎性発達障害と診断され、特性による困りごとにも早め早めに対応できるようになったのです。おかげで、後に訪れる反抗期の息子と大喧嘩はしても大きくこじれることもなく乗り越えることができました。必要なときに必要な支援に出合えたことが、大人になった息子とのイイ感じの親子関係にもつながっています。いまもし悩んでいるママがいたら、一人で抱え込まずに、支援機関につながって悩みも不安も全部相談してみてほしいなと思います。
2019年07月22日学校生活を楽しんでいた息子が、ある日「学校に行くのが嫌になってきた!!」と叫んだ理由特別支援学級の利用を始めたことにより、教室で過ごす不快感を軽減。約1年半に渡る不登校生活を送っていたことが嘘であるかのように、息子は楽しそうに通学を続けた。しかしある日、「また学校行くのが嫌になってきたよ!!」と言い出すではないか。理由を聞き、息子が話してくれた内容をまとめると、下記の2点だった。●衝動性の高いクラスメイトとの衝突が絶えない(特別支援学級で)息子は感情を言語化するのがやや苦手で、頭の回転に言葉がついていかないことがしばしばある。そのうえ、言葉を選びながら話をするので、思考と言語がスピーディーに結びつくタイプの子からしたら、「どうしてすぐ返答がないのか」とじれったくなるのだろう。そこでけんかになってしまうらしい。●授業中に発言を求められるときや、給食のおかわりをするときなど、注目されるのが辛い(通常学級で)自閉症スペクトラム障害の特性か、息子は失敗を極端に恐れ、緊張と不安を感じやすい。同時に、注目を浴びることを心底嫌っている。授業であれば発言者の話を聞くのが当然の空気であるし、おかわりのときは「誰かおかわりしているな」と、音に反応する程度のことで、おそらく深い意味などないだろう。誰も悪くない話だ。どう返していいのか分からない。私は「そうか、それは大変だったね」と返したあと、しばし言葉に詰まってしまった。スピーディーなクラスメイトも、授業中や給食の時間、息子に振り向くクラスメイトたちも、誰も悪意があってそうしているわけではない…と伝えたところで、息子は自分だけが叱責されているような気分になるかもしれない。これには困った。困ったが、口を開いた。「大変だし辛いのは分かった。分かったんだけどね、一旦ここで回避しても、同じような問題がまた出てくると思うんだ。でね、あなたは決して悪くないんだけど、相手も悪くないんだよ。だから両方の話を聞いて、説明する人が必要だと思う。でもそれを私がしてしまったら、不公平になる気がするんだよね。だからさ、先生に相談してもいいかな?」合間合間に入る息子の「でも!」「だって!」をなだめつつ、私が話し終えると、息子は黙って頷いた。「それが解決しても、学校へ行くのは嫌かい?」と私が問うと、息子はかぶりを振って、「ううん、友達に会いたいし、勉強もしたい。学校に行きたい」と呟いた。学校側の迅速な対応で問題解決。円滑なコミュニケーションを行えるようになった息子連絡帳を通じて、私は担任の先生に相談をし、その日のうちに連絡をいただいた。耐えない衝突については、双方に思考と発言の特性の違いを説明し、スピーディーな子には「焦る気持ちは分かるけど、急かさずに待ってみよう」、息子には「急かされると困るのは分かるけど、“もうちょっと待ってね”と怒らずに言うようにしてみよう」と話してくださったそうだ。注目されることに関しては、特別支援学級で過ごす時間を増やすことで視線の数を減らし、そのうえでストレスが減るか様子を見ましょう、という話になった。以降、衝突することはほぼなくなり、注目への恐怖感については特に息子から何も言ってこないが、おかわりをしたなどの報告をしてくるところをみると、気にならなくなったのだろう。発達障害あるあるのひとつ、アレキシサイミア(失感情症)による感情の後出しは息子にも見られる。そのため、「あのとき学校でのあれが嫌だった!これが嫌だった!」と、急にいろいろ思い出して爆発することは今でもあるが、その都度私ができるケアは私が、できないことは先生に相談し、大きなトラブルには至っていない。そして「学校に行きたくない」という言葉も聞かれなくなった。以前よりコミュニケーションも円滑に行えるようになったのか、気の合う友達が増えたようだ。放課後はすぐ遊びにでかけ、家に戻る時間も少し遅くなった。学校が休みである土日も、友達と遊びに出かけることが増えている。良かった。本当に良かった。参考:失感情症(アレキサイミア)| e-ヘルスネット(厚生労働省)不登校のきっかけは、授業だった?特別支援学級への転籍を勧められた、息子の学習姿勢「来年、進級するタイミングで、息子さんの所属を特別支援学級に転籍しようと思うのですが、いかがですか」個人懇談のとき、特別支援学級の担任の先生から持ちかけられた。この方、実は1、2年生のときの担任の先生でもある。息子が登校渋りをしていたころや、不登校を始めたばかりのころは、意見が合わずに悩むこともあったが、徐々にこちらの思いをご理解くださり、校長先生と教頭先生、特別支援コーディネーターが入れ替わるまでは、学校の中ではほぼ唯一の味方になってくださった。校長、教頭、特別支援コーディネイターとの4者面談は毎回辛かったが、この先生が寄り添ってくださったからこそ、私は乗り切ることができたのだ。「今さらですが、ずっと頑張っていた息子さんが、あの辺りで心が折れたのかな、と思える場面を思い出したんです。算数の授業で掛け算が始まったとき、(数字が好きで、就学前に掛け算の九九を覚えていた)息子さん、“やったあ!”って喜んだんです。きっとそれまでは退屈だったのでしょうね」授業で掛け算が始まったと、息子が報告してくれたことは私も覚えている。本当に嬉しそうだった。「だからしばらくは楽しそうだったんですけど、すぐに高度な応用問題に授業が進むはずはありません。だんだん上の空で授業を受けるようになって…」おそらくその時期に、「大好きな算数が嫌いになってきた」と息子がこぼしたことがあった。感覚過敏による苦痛も訴えていたので、特別支援学級の利用をお願いしたのだが、「頑張れば通常学級でもやっていける」というのが学校側からの回答だった。行政の特別支援教育センターに間に入ってもらうこともあったが、こちらの要求が受け入れられることはないまま、息子は不登校生活を選択することになる。「あのときすぐに、特別支援学級を使ってもらえば良かったのかもしれません。本当に申し訳ありませんでした」とはいえ、今では特別支援学級での学習が叶い、息子も嬉しそうに登校をしている。だから私は気にしていないと伝えた。ただ一つ問題があるとすれば、私が学習のサポートをしきれなかったことで、いくつかの教科に遅れが生じてしまったことだ。「息子さん、それもあっという間に覚えていくんですよ。今はほとんど足並みが揃っていますよ。学ぶことが好きというか、そういうゲームをしているような感覚なのかもしれません。ここ(特別支援学級)では、今日はここからここまでと、授業を進める範囲が決められています。それが終わったら自由学習の時間。学習の範囲であれば何をしてもいいことになっているんです」自由学習の時間、息子は上学年の教科書を開き、タブレットでその内容について調べていることもあるらしい。やはり、新しいことをどんどん覚えていきたいという気持ちが強いのだろう。「せっかくの意欲を削いではいけないので…理解をしている内容に関しては復習程度にとどめ、他の児童が通常の学習をしている間、息子さんには応用問題などを解くなどして、先に進んでもらうようにします。そのためにも、通常学級も利用しながら学ぶことには変わりないのですが、基本の所属を特別支援学級にした方がいいかと思うんです」その他にも、さまざまな制度の説明を丁寧にしていただき、転籍した方がいいと思われる理由を伺った。細かな内容は忘れてしまったが、至極納得したことは覚えている。そして先生は、息子の様子をつぶさに観察なさって、どのように学習を進め、どのようにサポートすべきかを考えてくださっている。心底ありがたかった。衝突することもあったが、この先生に思いを伝え続けて良かった。ちなみに息子は、この先生のことが1年生のころからずっと大好きだ。「それでは、転籍する方向でよろしくお願いします」私は、先生に頭を下げた。不登校生活“一旦”終了。そして今思うことさて、もうじき夏休みに入ろうとしている現在、体調不良で2回欠席したものの、「あー、今日はあの授業受けたかったし、○○君たちに話したいことがあったのに!」とゲホゲホ咳をしながら申し上げる程度に、息子は学校好きである。しかし、成長に伴って解決する問題があれば、成長に伴って生じる困難もある。だから、今後トラブルが一切ないとは言い切れないし、「学校に行きたくない」と言い出さないとも限らない。「これからもあなたは学校が好きなままなのでしょうかね」と、聞いても仕方のない質問を私から息子に投げかけると、案の定「そんなの分かるわけないよ」と笑ったあと、「でも、ずっと好きだったらいいな。何かを勉強して覚えると、何かが楽しくなるじゃん。例えば、文字を覚えたら本が読めるとかさ。友達からは、のん(私の呼び名)と自分だけでは知ることができなかったことを教わったりできるし」と、彼なりに感じている“学校へ行くメリット”が添えられた言葉が戻ってきた。まあ、先のことなんて誰にも分からないのだ。不幸中の幸いと申せば語弊があるかもしれないが、息子の不登校生活をきっかけに、私は「小さなことであっても、学校にまつわる何かがあれば、迷わず学校に相談する」という手段を選べるようになったし、発達障害児やその保護者が受けられるさまざまなサポートや相談窓口があることを知った。そしてまた、信頼できる先生が、つぶさに息子の様子を把握し、最適な対応をしてくれている。終わってしまえば短かったかと問われたら、はっきり言って長かった。もうあんな日々は二度と訪れてほしくはないが、もし起きてしまったらそのときはそのとき。私はまた慌てたり騒ぐだろうが、頼れる存在に頼ったり相談をして、何とかするしかないだろう。経験は無駄ではない。と、思いたい。
2019年07月17日幼稚園から毎日遅刻...原因は睡眠障害…!?わが家のASD兄妹は、2人とも幼い頃から睡眠に問題がありました。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ現場の先生方のご協力と家族の送迎で、何とか休みながらも登校していた兄タケルでしたが、8歳のとき「アスペルガー症候群」の診断がつき、小学3年生から気持ちを安定させる薬を飲み始めました。夕方の気分の落ち込みを防いで20時〜21時には眠ってもらい、十分な睡眠をとることができるようにするのが目的でした。直接的な影響がどのくらいあったのかは不明ですが、結果的にタケルは21時台には眠るようになり、朝早く起きてくるようになりました。服薬は1年程でやめたのですが、タケルに限って言えばこれ以降もそのリズムを崩すことなく過ごせるようになり、日常生活への支障が少なくなりました。その結果、季節による不調などはありつつも中学・高校も何とか通い切ることができました。現在中学1年生の妹いっちゃん。睡眠の問題を抱えながら、学校生活は体調優先でUpload By 寺島ヒロ「キタキタキターー!!」って思いました。なぜなら私もこのタイプだから。概日リズム睡眠障害といって、寝る時刻と起きる時刻が毎日少しずつ遅れていく症状があります。私自身もこの症状があるため、私の生活時間につられて子どもたちが生活リズムを壊すことを恐れ、実は私は子どもたちが幼い頃は睡眠薬を飲んで生活リズムを無理やり朝型にしていました。でも、ちょっとした風邪でも寝込むほど体調を崩してしまってとてもきつかった上に、朝型の生活リズムが習慣化することもなく、睡眠薬を飲まなければ翌日からまた1時間ずつ体内時間がずれていく…。私にはこの方法はあっていないことに気づき、妹いっちゃんの睡眠傾向がはっきりしてきたあたりで、私自身も朝型の生活にこだわることはやめました。参考:概日リズム睡眠障害 |厚生労働省 e-ヘルスネットUpload By 寺島ヒロ中学1年生になったいっちゃんですが、今でも起きられた時に登校するスタイルは変わっていません。毎朝決まった時間に起きようと試みて体調を崩した自分自身の経験からも、1時間目から登校することにこだわるあまりに健康を損ねては本末転倒…。中学校の先生にもご理解いただいています。ただ、月の3分の2は学校に行けておらず、不登校状態になっているいっちゃん。授業を受けられなかった分の全ての勉強を家庭や支援教室でカバーできるわけではないので、今後の進学などのことも考えると睡眠をはじめとした生活リズムについてはフォローしていかなければならないですよね。その辺りが今後の課題だと思っています。
2019年07月12日お子さま一人ひとりに合った支援を出典 : 「保育士や教員以外のお子さまに関わる仕事ってどんなものがあるんだろう」「一人ひとりのお子さまに合った支援をしたいけど、課題に感じることがある」2019年7月28日(日)、発達ナビの姉妹サイト「LITALICOキャリア」は、保育士や教員の方に向けて、園や学校以外でのキャリアを知るイベント「児童発達支援のお仕事ガイダンス」を開催します。このイベントは、ご自身の「働く」を考えたときの選択肢の一つとして「児童発達支援の仕事・キャリア」をより深く知ってもらう場です。・児童福祉業界でのキャリアについての事例を知りたい・さまざまな法人の現場職員と一度に交流したい・公教育以外の場で、お子さまの支援や教育に関わりたい「児童発達支援のお仕事ガイダンス」開催概要出典 : 児童発達支援で働く経験のある指導員から、児童発達支援の詳しい仕事内容を分かりやすく説明します。また、児童発達支援を行う「LITALICOジュニア」で実際に使われている教材紹介などもあります。児童発達支援の現場で活躍する保育士経験のある指導員や児童発達支援管理責任者などのスタッフが登壇します。「保育園・学校と児童発達支援の働き方の違い」「今もっているスキルを児童発達支援ではどう活かせるのか」「保育士以外のキャリアを選択して思うこと」などをテーマに、パネルディスカッションを行います。当日、ご参加のみなさんと児童発達支援の教室で働くスタッフとの交流会も開催します。お菓子やドリンクもご用意し、ざっくばらんな情報交換ができる場となっています。Upload By LITALICOキャリア上杉哲太(保育士/株式会社LITALICO LITALICOジュニア 保育所等訪問支援専任)プロフィール大阪青山短期大学(幼児教育・保育科)卒業後、保育園にて2年間勤務。主に0歳児、1歳児の担任を経験する。その後、株式会社LITALICOに転職。約3年間放課後等デイサービス・児童発達支援の指導員として勤務し、お子さまの指導、教室運営、スタッフ育成などに携わる。2019年4月より新規事業である保育所等訪問支援事業の立ち上げに携わり、訪問支援員として幼稚園、保育所、小学校への訪問支援に従事。森谷友美(保育士/株式会社LITALICO LITALICOジュニア 京橋教室非常勤勤務)プロフィール東京都の蒲田保育専門学校を卒業後、幼稚園教諭4年、認可外保育園の施設長3年、年中から小学校6年生までを対象にした学習塾で6年勤務。現在は京橋教室で子どもたちを教える傍ら、新卒採用や新人研修に携わる。夫の転勤に伴い大阪に引っ越し、株式会社LITALICOへ転職。 株式会社LITALICOでは、非常勤勤務として年中から高校生までを指導。支援者として大切にしていることは「目の前の子ども達の可能性を信じる」こと。日程:7/28(日) 13:00~16:00(12:30開場)対象・参加条件:・保育士、幼稚園教諭、小学校教諭、中高教諭、児童指導員など、保育・教育業界に従事されている方・もしくは、保育・教育業界における資格や免許をお持ちの方会場:LITALICOジュニア新大阪教室 研修ルーム大阪府大阪市東淀川区東中島1-6-14 新大阪第2日大ビル 4FJR・御堂筋線「新大阪駅」東口より徒歩9分、御堂筋線「西中島南方駅」より徒歩7分参加費:無料持ち物:特になし服装:自由です。リラックスした服装でお越しください。いろんな「働く」を知る機会に出典 : 自分らしく働くことを考えた際に、人それぞれ、さまざまな選択肢があります。「児童発達支援のお仕事ガイダンス」は、”児童発達支援”をテーマに、より深く児童発達支援の仕事内容を知ることができるイベント。どんな風にこれからのキャリアを築いていくかについても、考えるきっかけになりそうです。
2019年07月12日【ニュース】事前に親子でチェックして不安を減らそう!「成田空港でやること」の予習ができる冊子が発行Upload By 発達ナビニュースもうすぐ夏休み。どんな夏休みを過ごすか決まっていますか?飛行機に乗って家族で旅行に行くという方もいらっしゃるかもしれません。楽しい旅行、でも空港を利用するのが初めてのお子さまにとっては、空港という場所も飛行機に乗るまでの手続きも不安に繋がることも...。そんなお子さまに向けて、成田国際空港で『空港予習冊子「なりたくうこうからりょこうへいこう!」』が導入されました。この冊子では、鉄道やバスなどで空港に到着してから搭乗・降機するまでの全行程の事前学習ができるようになっています。成田空港にはターミナルが3つあり、そのターミナルごとにそれぞれ国際線用と国内線用が用意されているので、冊子の種類は全6パターン。一般社団法人日本発達障害ネットワーク監修のもと制作されました。冊子の中では各設備や搭乗手続きについて写真やイラスト付きで紹介されています。ホームページからダウンロードができるので、旅行に行く前の事前学習ができます。旅行当日も冊子を持って空港に行けるので、見通しを持って行動できますね。待ち時間が発生する場所などもマークでわかりやすく示されているので、親子で冊子を使うことで子どもにとって苦手や不安に繋がる場面を事前に把握し、対応方法を考えておくこともできます。ぜひ一緒に確認して、旅行当日をむかえてみてはいかがでしょうか。成田国際空港には他にも問い合わせシートや保安検査場コミュニケーション支援ボードなど支援ツールが複数用意されており、こちらもホームページからダウンロードできたり、内容の確認ができます。旅先だけではなく空港でも快適に過ごせるよう、準備ができるといいですね。【名称】空港予習冊子「なりたくうこうからりょこうへいこう!」【入手可能場所】成田空港内の全てのご案内カウンター、成田空港WEBサイト【イベント】映画「星に語りて~Starry Sky~」ー災害が起きたとき、障害のある人とその支援者は(全国)Upload By 発達ナビニュース2011年3月11日に起きた、東日本大震災。被害状況や被災された方の生活について、メディアを通して知ることはありましたが、その中で障害のある方の様子について目にする機会はほとんどなかったのではないでしょうか。この映画では、岩手県陸前高田市の「あおぎり作業所」、福島県南相馬市の「クロスロード・ハウス」の2つの共同作業所や全国障害者ネットワークが、個人情報保護の壁にぶつかりながらも、被災した障害のある方たちに関する情報収集と生活復旧のために動く姿が描かれます。映画はフィクションではありますが、当時を知る人々への詳細な取材をもとに、7割は実話がベースになっているそう。映画を通して、大きな災害が起きたときに障害のある方がおかれた環境を知り、支援のあり方や災害への備えについて改めて考えてみてはいかがでしょうか。障害当事者がキャストとして出演している点も、この映画の大きな見どころです。上映会は、8月22日(木)に神奈川県横浜市の横浜市旭区文化センターサンハートで実施される他、全国各地でも開催されています。ホームページをチェックの上、お近くの上映会に足を運んでみてください。上映会情報【日時】2019年8月22日(木)13:00〜【場所】横浜市旭区文化センターサンハート(横浜市旭区二俣川1-3)【定員】200名【チケット】一律1,000円【問い合わせ先】きょうされん神奈川支部 メール:yume21kamihosikawa@r8.dion.ne.jpTEL:045-334-0491星に語りて~Starry Sky~| きょうされん【イベント】発達障害の子どもたちも楽しめる!「サッカー&ユニバーサルツーリズム」イベントを開催!(神奈川県)出典 : 株式会社JTB、全日本空輸株式会社(ANA)、富士通株式会社の3社と、共生社会ホストタウンである神奈川県川崎市によるユニバーサルツーリズムの取り組み、「川崎フロンターレ対大分トリニータ戦」観戦交流イベントが開催されます!発達障害の子どもを対象とした、日本初の「サッカー&ユニバーサルツーリズム」のイベントです。イベントは7月27日(土)に等々力陸上競技場にて行われる試合の観戦、28日(日)川崎フロンターレのコーチによるサッカー教室と、2日間に渡って開催されます。川崎市と大分県在住の発達障害のある子どもたちとそのご家族が対象です。JTB、ANA、富士通の3社と川崎市がそれぞれの役割で今回のイベントをサポートします!富士通が川崎市自閉症協会監修のもと制作した、発達障害のある子どもの世界を疑似体験できるVR映像コンテンツを用い、JTBがツアーに関わる関係者に「心のバリアフリー」研修を実施。またツアー中は川崎市が移動用に福祉バスを用意、大分市から観戦のため移動するご家族にはANAが空港内や機内で安心して過ごせるようサポートを行います。終了後には、富士通の「きもち日記」というソフトウェアを使い、体験した内容を絵日記のようなかたちでお子さま自身に綴ってもらうことで、思い出を振り返り、イベントを締めくくることができます。感覚過敏や外出先での行動に不安がある発達障害の方やそのご家族は、大勢の人が集まるイベントに足を運ぶことをためらうこともありますよね。今回のイベントでは、1日目の試合観戦時には等々力競技場のメインスタンドを見渡せるスカイテラスを一時的にセンサリールームとして利用、発達障害の子どもとその家族が安心して試合観戦ができる環境設定を行い、2日目のサッカー教室でも研修を受けたスタッフのもと、サッカーを楽しむことができます。今回の連携をきっかけに、JTB、ANA、富士通の3社および川崎市は今後さらにJリーグと連携を強化し、さまざまな障害のある方が外出やスポーツ観戦を楽しむことができるよう、取り組みを広めていくとのこと。今回は川崎市と大分県在住のお子さまとそのご家族が対象ですが、こうした取り組みがもっともっと広がって、家族でスポーツイベントに足を運びやすくなると良いですよね!発達障がいのある子どもたちに向けた 「川崎フロンターレ対大分トリニータ戦」の サッカー観戦交流イベントを開催 | 全日本空輸株式会社【イベント】夏休みだけの特別なプログラムで、府省庁のお仕事を知ろう!「こども霞が関見学デー」(東京都)出典 : 各府省庁が毎年夏休みに、子どもたちに向けて特別な体験ができるイベントを実施していることはご存知でしょうか。親子のふれあいを深め、子どもたちが夏休みに広く社会を知る体験活動の機会、「こども霞が関見学デー」が今年も開催されます!この取り組みでは、政府の施策に対する理解を深めてもらうことも目的とされています。プログラムは業務説明や省内見学、各種ワークショップなど、各府省庁がそれぞれの仕事の内容に触れることができるものを企画しています。●文部科学省・大臣と話したり記念撮影ができる「大臣室へようこそ」・ジオパークの岩石標本が作れる「世界に一つの岩石標本製作」●厚生労働省・セサミストリートの教材を使って発達要害について学べる「セサミストリートサマーキャンプ@こども霞ヶ関見学デー」・受動喫煙対策推進マスコットのアテレコ体験もできる「人気声優水田わさびさんが教える姿勢と呼吸と健康のヒミツ!」・身の回りの物を使って、薬がどうやって働くのかが化学実験できる「くすりはどうやって働くのかな?化学実験してみよう!」●農林水産省・だしを飲んでみよう、かつお節を削ってみよう、色々な日本茶の種類を体験しよう「きみも和食王になろう」・木になるリンゴの数を計測してみよう!「測って、遊ぼう!統計ランド」・レトルトカレーとレトルト米飯の加温、盛りつけ、試食体験ができる「レトルト食品の秘密と体験試食会」●総務省・VR防災体験車による災害疑似体験、消防服を着てホースと筒先を使用した放水体験「消防士の仕事を体験してみよう!」・日本で唯一の宇宙天気予報センターの活動を展示と工作で紹介「宇宙天気はかせになろう!」などなど、各府省庁が多彩なプログラムを実施するので、お子さまの興味のありそうなものや、普段はなかなか体験できないプログラムに参加してみてはいかがでしょうか。自由研究のテーマになりそうなものに参加してみるのも良いかもしれませんね。当日自由に参加できるものと、事前申し込みが必要なものがあります。日程も各府省庁で異なるため、詳細は各府省庁のホームページをご確認ください。※参加府省庁:内閣官房、内閣府、宮内庁、公正取引委員会、警察庁、個人情報保護委員会、金融庁、消費者庁、復興庁、総務省、法務省、外務省、財務省、国税庁、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、特許庁、国土交通省、気象庁、環境省、防衛省、会計検査院、国立国会図書館上記以外にも、多くの府省庁がプログラムを提供しています。各府省庁のホームページよりご確認ください
2019年07月11日うちのお出かけキーマンは息子!お休みの日は、外に出ることが多い我が家。主人が休みの日曜日は、ほとんど丸一日出かけています。公園や、買い物、目的もなくドライブに行くこともあります。そんな我が家のお出かけで、一番の問題となるのは…。Upload By SAKURAイヤイヤ期がまだ残っている2歳の息子。息子がグズらないように、いかにスムーズに切り抜けるかが鍵になってきます。外食先で大騒ぎの2歳の息子が…。息子は、よくしゃべり、よく動き回る子です。外食先で騒いでしまうこともよくあります。Upload By SAKURA私たち夫婦は、息子が動き回らないように、騒がないように必死。あの手この手で息子の気持ちが他に向かわないよう、工夫をしています。でも実は私たち夫婦…子どもとの外出で苦労することは、息子が初めてなのです。Upload By SAKURA長時間の車もなんのその。旅行にもたくさん行くことができました。娘の外出で困ることは、たった一つ。それは…。娘は外出に手がかからないまま大きくなり、娘とのお出かけで苦労したことは、ほとんどありませんでした。でも最近…一つだけ、少し困ることが出てきたのです。Upload By SAKURA娘は買い物に行くと、自分の物を買ったらすぐ「帰りたいオーラ」を出すようになったのです。娘の買い物の後にも、私たちがいろんな用事であちこち行くと、その間ずっと不穏な空気を出し続けます。Upload By SAKURA人の用事にも付き合うということが、まだよく理解できない娘。この「帰りたいオーラ」はなかなか直らず、外出のたびに発生しました。なので私は何度も、同じ注意をしていました。「遅れてやってきた娘の困りごと」と考えたら…同じことが何度か続いたある日。この娘の態度に疲れてきた私は、「困るよね~」と主人に話しました。Upload By SAKURAすると主人は…「あーさんは、小さい時に困ることなんてしなかったからね。きっと、昔の分を今出してるんだよ。当時の分、今付き合ってあげようよ。」と言い、笑いました。そう言われ、「確かに!」と思いました。「あの時、お利口さんにしてた分」そう考えたら、息子の場合と同じ。息子がグズらないように楽しく過ごせるよう工夫したり、段取りよく動いたりすることと一緒で、娘が疲れすぎたり飽きたりしないように、回る順番を考えたり、工夫すればいいんだ!と考えたら、気も楽になりました。Upload By SAKURAその後、娘は自分の用事が終わった後、待つことはできませんが、自分の用事まで他の人を待てることを発見。それ以来、娘の買い物は最後と決めている私たち夫婦です(笑)
2019年07月10日買うまで続く、「オモチャ買ってーー!」のおねだりに根負けしていた日々Upload By かなしろにゃんこ。子どもなら誰でも一度くらい公の場で、「オモチャ買って―――!!」と泣いたりして親を困らせることはあると思いますが、ADHDと広汎性発達障害があるうちの息子は我慢が苦手。全てに我慢が苦手なわけではなくて、物欲にだけは我慢を頑張ろうとしてくれません。欲しい物があると、コレだけは買ってほしい、買ってくれたっていいじゃないか、など手に入れるまで何度も何度も体全部を使って跳んだり私の腕をつかんだり私の周りを回ったりしながら"交渉"してくるので、しつこさに根負けしてしまう。Upload By かなしろにゃんこ。"交渉"というと「お手伝いするから」や「勉強頑張るから」など気の利いた約束をするのかな?と思うかもしれませんが、息子の交渉は「買ってくれたら買って買ってをしつこく言わないから」というものです。買ってあげたら、そりゃ言わなくなるだろうね…。しつこくされたくない、息子にしばらく大人しくしていてほしいあまりに、私はついつい財布の紐をゆるめてしまう(反省)。一度欲しいと思うと我慢ができない息子。でも買い物に行く度にオモチャを買わされたらたまらないし、我慢を覚えてほしいので、2回に1回は「お金が無いフリ」をして諦めてもらうようにしました。Upload By かなしろにゃんこ。その場は仕方なく諦めてくれても、買ってもらえないとなるとこの世の終わりかってぐらいに悲しみを訴えてくるので、息子のしつこさから逃れられません。「他の子はオモチャを買ってもらえるのにボクだけ買ってもらえない、それはうちが貧乏だからだ…なんでうちは貧乏なんだろう」などなど、たかが300円のオモチャを拒否しただけで、「ボクは数十年前の日本の貧しい家庭に生まれた子のようだ…!」と悲劇の人になってしまうらしい。メンタル弱すぎる。よくそこまでハッキリと親の経済状況をディスりながら自分の想いを口にできるわね…と感心するほどです。Upload By かなしろにゃんこ。息子の場合、オモチャのイベントやレストラン、遊園地などで体験して好奇心を満たすことにおいては、順番やルールを守るなどの我慢はできるのです。楽しいことのためには我慢ができるのに、物欲だけはキビシイってどうしてなのでしょう?ちゃんと子どものときに物欲も我慢することを覚えてもらわないと、我慢ができない大人になってしまうのでは…?そんなことを心配したこともありました。けれど育ててみた結果、この説は必ずしもそうとは言い切れないと思いました。Upload By かなしろにゃんこ。「物欲」を我慢できなかったあの頃の気持ち、大人になった息子に聞いてみたら現在は成人した息子に、買ってもらう行為を我慢しなかったことについて聞いてみると、どうも理由があるそうなんです。「我慢って必要じゃないと思っていたから、買ってくれそうな人には我慢なんてしないよ」とのこと。なんじゃと!計算しとったんか(汗)「本当に買ってくれない人には初めから買ってほしいとは言わない、お金が無くて買えないときは諦められる。だけど頑張って交渉して買ってもらえたときはとても嬉しい!その瞬間が嬉しいんだよね」と。「そもそも我慢って必要なのかな?って思うこともあるよ、大人はなんでも我慢我慢って言うけれど、子どもが欲しいことややりたい事を達成するために頑張ることの何がいけないの?って思ったりするわけ」とも言います。Upload By かなしろにゃんこ。息子の中には我慢しようなんて気持ちはさらさらなかったということです。そんなことよりも、親に交渉して勝ち取ったという達成感を味わっていたそうなんです。ADHD息子の狩猟本能…!?が刺激されていたのでしょうか…。当時の息子は、「欲しいものややりたいことを達成するために全力で頑張る!」ことに対して何より達成感を感じていた…だから、イベントなどの順番待ちは我慢できても、欲しいものを買ってもらえない状況では我慢ができなかったということだったようです。うーん、なるほど。だから折角買ってあげたオモチャにすぐ飽きるのか…そのオモチャ自体で遊ぶ前に、欲しいものを手に入れたことに対しての達成感で満ちていたんだな。成人して欲しいものは自分で購入するようになった息子は、金欠で欲しいものが買えないときは諦めるようになりつつあります。欲しいものがあることは、いけないことじゃありません。働く意欲に繋がるのである程度は必要ですよね。現在、息子は車をいじるのが趣味なので、部品など高額で欲しい物が多いため毎月金欠です…それでも自分のお財布と相談し、物欲を少しずつ我慢するようになってきた息子の姿を、「よしよし」と陰で応援しています。それからもう一つ、昔を振り返って思うことがあります。小さい頃は、今よりずっと人とのコミュニケーションがヘタだった息子。もしかすると、物を「買って買って」と求め、交渉することで、親とコミュニケーションを取ろうとしていたのかもしれない、と。もしかしたら、小さい頃のリュウ太は自分のワガママがどこまで通るか試すことで、「ボクを見て!」と私に甘えていたのかもしれません。
2019年07月09日春休み。進級に伴って変化する環境に息子が適応できるのか、不安を抱える私。そんなある日、息子が1枚のチラシを差し出した担任・N先生の寄り添いに心を動かされたこともあり、3年生の後期が終わるあと1週間のところで、通学を始めた息子。とはいえ、学校で起こる不便や不快感など、根本的な問題が解決したわけではない。そして転出により児童数が減少したため、新学年からは2クラスが統合されて1クラスになるという。全校生徒の顔をなんとなく把握できるような、田舎の小さな小学校だ。「教室に見たことない子がいる」というようなことはないだろうが、1つの教室で過ごす人数が変わることで、人間関係はもちろん、室内に響く音声が、聴覚過敏もある息子の耳にどう響くかも変わってくるだろう。となると、これまでとは違った問題が発生する可能性もある。本人も不安があるのか、「新学期になったら、また毎日行けるか分からない」と言っている。まあ、考えてみたらここまでが余りにも順調すぎたのだ。本人だって「いきなり毎日最初から最後まで、というのはできないかもしれない」と言いながら、3年生のラスト1週間の毎日、始業から終業までを学校で過ごすのには、かなりのエネルギーを要しただろう。短い春休みの間で、身心両面のリカバーができるかどうかは分からない。仕切り直しだと考えて、過度な期待をせず様子を見ることにした。そんな構えで春休みを迎えようとした私に、息子が1枚の紙を差し出した。「これ、行ってきてもいいかな」それは小学校で行われている、放課後と週末のレクリエーション会の予定表だった。息子が通う小学校では毎週水曜日の放課後と土曜日の午前中、地域ボランティアの方と提携して行われるレクリエーションの時間が設けられている。会場は校舎の中。その春休み特別企画として、プログラミング体験講座が開催されるのだとか。そのころ息子は、いくつかの要素を組み合わせてオリジナルゲームを簡単に作れる、という携帯ゲーム機のソフトに夢中になっていて、それをきっかけにプログラミングに興味を示していた。何年か前に私は障害者向けの就業研修で、プログラミング言語のJavascriptを学んではいたが、きれいさっぱり忘れてしまっていたし、覚えていたとして(あと、JavaScriptが最新ではないことはさておいても)、彼の興味を引きつけるように教える自信は一切持ち合わせていない。レクリエーションでは、現役のSE兼プログラマーの方が、小学生が楽しく、分かりやすく学べるように指導してくださるようだ。徒歩で出かけられる場所で、しかも無料である。反対する理由はない。「いいじゃんいいじゃん、行ってきなよ!」「レクリエーション、3年生は対象外だったの!?」冷や冷やしながら迎えに行くと、満足そうに微笑む息子。なぜ?当日息子は冷えたルイボスティーを自分で水筒に詰め、張り切って出かけた。レクリエーションが終了するお昼近くなったら迎えに行くから、と息子の後ろ姿に声をかけ、私は仕事の作業に取りかかった。合間にふと「今ごろ楽しんでいるかな」と、レクリエーションのスケジュール表に目を向けた私はすぐさまフリーズ。そこにははっきりと「対象:4年生~6年生※3年生以下は見学」と印字されているではないか。そのときはまだ3月、息子は3年生なのだ。プログラミングを体験したくてわくわくで出かけた息子が、「3年生だから、見学ね」と言われてその状況を受け入れられるだろうか。そこで不満とともに「自分も参加させろ」と申し立てるようなタイプではないが、かなりのフラストレーションを募らせることは想像に難くない。(こりゃもしかしたら途中で帰ってくるかもしれないな…)などとぼんやり考えながら作業を再開したが、昼近くなっても帰宅する気配はない。意外にも見学を楽しんでいるのか。私は、身支度をして小学校へと向かった。待合室になっている教室で待機して、どれくらい経ったころだろうか、「お待たせしてすみません!みんなで盛り上がってしまって、ついつい長くなってしまいました!」と、レクリエーション担当の教員・K先生と、参加した児童たちが戻ってきた。もちろん、息子もおり、満足そうに微笑んでいる。「ごめん、私、チラシの説明をよく読んでいなくて…」「あ、それなんだけどね」私の言葉を受けてこちらを見上げた息子は、K先生に向き直った。「あの、本当は対象外なんですけど、見学になる参加者が息子さん1人で。ほかの児童たちも“ハルくんならきっとできるよ”と言うので、一緒に参加してもらったんです」「そうなんだよ!上級生のみんなが仲間に入れてくれたんだよ!それで、分かりにくいところは教えてくれてね!マイコン制御のロボットを(プログラミングで)操作したんだけど、あまり上手くできなくてもみんなが“最初からこんなふうにできるなんてすごいよ!”ってさあ!」K先生が説明してくださったあと、息子は目を輝かせながら、何があって、それがいかに楽しかったり嬉しかったのかを早口でまくし立てた。私が心配するまでもなく、息子は充実した時間を過ごしていたのだった。K先生にお礼を申し上げて帰ろうとしたら、K先生がこうおっしゃった。「息子さん、いろいろ学校が不便をかけて、ずっとお休みをしていたので、楽しんでもらえるか心配だったんですけど…プログラミングやものづくりが得意で大好きなのでしょうね、いきいき楽しそうに取り組んでいましたよ」私はもう一度お礼を申し上げ、息子とともに学校をあとにした。「今日から新学期だよ!」やりたいことが見つかった息子は、ランドセルを揺らしながら学校へさて、気づけば4月。まもなく新学期に突入というある朝、朝食を終えて食器洗いやらなんやらをしている私を尻目に、息子がなにやら慌ただしい。「どしたの?今日なんかあんの?」「なんかあんの?じゃないよ!今日から新学期だよ!!」新学期、間もなくではなく完全に突入していた。数日前に支度はしてあったものの、「また毎日行けるか分からない」という息子の言葉が頭に残っていたからか、私は完全に油断し日付の感覚がおかしくなっていた。「お、おう。そうだった、ごめんごめん」「のん(私の呼び名)が忘れちゃダメでしょう。じゃ、行ってきます!」息子は笑いながら靴を履き、「うおおおお!小学4年生!!!」という雄叫びとともに、集団登校の集合場所へ走り去って行ったのだった。完全に、予想外の光景である。もちろん、登校すると想定していなかったわけではない。とはいえ、約1年半の不登校生活を過ごし、1週間登校をしたものの、春休みをはさんで「また毎日行けるか分からない」と懸念していた9歳児が「うおおおお!小学4年生!!!」という雄叫びを上げながら学校に向かう姿なんぞ、誰が想像するものか。「のんが小学生のころには、コンピューター室ってあった?」春休みのレクリエーションを終えてからの帰り道、同じ小学校の卒業生でもある私に、息子は聞いた。「ないない。30年以上前は、こんなにコンピューターが普及していなかったもん。PCなんて、学校にも家にもなかったよ」「ふーん…コンピューター室が学校にあるのは知ってたけど、今日初めて入ったよ。楽しかった。でね、またプログラミング教室をレクリエーションの会でもやるし、学校でも、まあ毎日だったりしょっちゅうは無理かもしれないけど、PCを使ってプログラミンクとか、いろいろ勉強できるんだって!」普段、私が使用しているスペックの低いPCをたまにいじる程度しかできなかった息子は、比較的新しくてスペックの高いPCを、時間の限り思う存分使用できたことが本当に嬉しかったようだ。「携帯ゲーム機でオリジナルゲームを作るのも楽しかったけどさ…自分が入力した文字や数字が言葉になって伝わって、ロボットが作動したり、静止画だと思っていたものが動画になるってすごいよ!だから、すぐでなくてもいいから、ああいう勉強をしていきたいなって思ったんだよね」話しながら進む息子の足取りは、まるでステップを踏むように軽やかだった。「また毎日学校に行けるかは分からないけど、これからも勉強はしていきたいなって思う」私に向けているとも、ひとりごととも取れるような口調で、息子がつぶやいていたのを思い出す。「やりたいことがあるっていうのは、外野があれこれいう言葉より心に響くもんだね…」ランドセルを揺らして駆けていく息子の背中を眺めながら、今度は私がベランダでつぶやいていた。児童数が増えたことに伴う困難なども、特別支援学級の利用で万事解決!ではなかった…しかし、やはりというべきか、問題が浮上した。元々黒板にチョークで文字を書くカツカツという音が息子は苦手だったのだが、教室内にいる児童数が増えたことで、音の響き方がますます苦痛に感じられるようになったらしい。加えて、「班ごとで相談」という場面では、大声ではないとはいえ、たくさんの話し声が耳に届いてしまい、「自分の班の人の声を聞き取るのも大変だし、頭がちゃんと働かなくなる感じがする」と訴えた。在籍は通常学級のままではあるが、様子を見て特別支援学級の利用も可能であるという話を、以前校長先生から聞いている。特別支援学級では黒板とチョークは使わずにホワイトボードで授業を進めるらしいし、人数だってかなり少ない。今息子が抱えている困難は、解決すると思われる。そこで息子に「どうする?特別支援学級で授業を受けてみる?」と問うてみたところ、「是非そうしたい」と返ってきた。私は連絡帳を開き、息子が感じている困難と、特別支援学級での授業を希望しているということを、担任の先生に宛てて書いた。息子が連絡帳を持参したその日に担任の先生から電話をいただき、いくつかの授業を特別支援学級で受けることになった。2つの教室を行き来することで不快感が軽減され、快適に学習できるようになった息子は、毎日嬉しそうに登校。帰宅したらすぐ友達の家に出向いて一緒に宿題をしたり遊ぶなど、「本当にあなたは少し前まで不登校だった人なのですか?」と疑いたくなるほど、いきいきと過ごしていた。「特別支援学級は嫌な音がしないから、勉強も楽しくできるんだよ。休み時間に中庭や体育館でみんなと遊ぶのも楽しい。土日にのんとどこかに出かけるのも楽しいけど、今はそれと同じくらい学校が楽しいんだ!」などと申し、ゴールデンウィークの10連休については「半分でいいのに」とぼやいていたほど、学校が大好きになっていた。これで万事解決、めでたしめでたし…で、収まれば良かった。収まってほしかった。ゴールデンウィークが終了し、私の仕事が忙しくなってきたある日の午後、息子はえらく憤慨した様子で学校から帰宅した。「もうやだ!また学校行くのが嫌になって来たよ!!」えっ、ちょっと待って、今の時期に家にいられると困る…とうっかりこちらの都合による本音が出そうになったが、息子だって辛いことがあったのだから、とぐっと堪え、「どうした?何かあった?」とだけ、どうにか口にできた。この前まであんなに楽しそうだったのに、何があったんだ…。<第3回に続きます>
2019年07月08日大切にしているのは“学び合い、支え合える”場所出典 : 「支援の仕事は未経験だが、いつか挑戦してみたい」「発達が気になるわが子を育ててきたが、その経験を活かした仕事に就きたい」など、就労支援や発達支援に興味を持ったことがある方もいるかもしれません。発達ナビの姉妹サイト「LITALICOキャリア」がサポートしているのは、障害福祉・児童福祉分野で働く支援者のみなさんです。肩の力を抜いてもっと“自分らしく働くって?”を考えられる場所、困難がある人へ向けて、より良い支援についての意見交換ができる場所…。「これからの福祉と教育」をテーマに学び合い、語り合える場所、それが「LITALICOキャリアCafe」のコンセプトです。支援者の役割を再発見するー「LITALICOキャリアcafe」出典 : 「LITALICOキャリアcafe」では、ここでしか聞けないセミナーや自分のことを棚卸しするワークショップ、また同じような思いを抱える支援者同士で交流できる場を定期的に開催していきます。第1回となる「LITALICOキャリアcafe」のテーマは“支援者の役割を再発見”です。12年の支援経験を持つゲストを招き、その経験談と学びを深めるワークショップを行います。また参加者同士の交流の場も設けているので、ざっくばらんな情報交換も可能です!●3年以上の支援経験があり「実現したい支援のかたち」をしっかり言語化したい●サービス管理責任者・児童発達支援管理責任者をしているが、今の役割に課題やモヤモヤを感じている●支援経験を経て、サービス管理責任者・児童発達支援管理責任者を目指したいと考えている●支援職としての自分のこれからのキャリアを見直したい「LITALICOキャリアcafe」vol.1の開催概要出典 : ・トークセッション「12年間の支援経験から形づくられた自分の実現したい“支援のカタチ”」・ワークショップ自分なりの「児発管サビ管の役割」を捉え直すワークショップ登壇:恒吉 麻実子さん(LITALICOワークス HRグループ)プロフィール:社会福祉士。児童相談所で勤務後、2007年より障害者の就労支援を専門に、現場での支援を8年、その後は大学院で臨床心理学を学びながら、スタッフの向け・サービス管理責任者向けの研修の設計や実施、ケースのスーパーバイズの業務に従事して4年目に入る。現在はLITALICOワークス博多でサービス管理責任者も務める。参加者同士でざっくばらんに情報交換をしていただける交流の場となります。飲み物などをご用意する予定です。日程:7月21日(日)13:00~15:30(開場:12:45)対象・参加条件:・サービス管理責任者、児童発達支援管理責任者として働いている方・今後、サービス管理責任者の就任、児童発達支援管理責任者を考えている方・3年以上の支援経験がある方会場:株式会社LITALICO 中目黒本社〒153-0051東京都目黒区上目黒2-1-1中目黒GTタワー16F東京メトロ日比谷線・東急東横線「中目黒駅」東口より徒歩1分案内マップ:参加費:1,000円※領収書が必要な方は当日発行いたします。持ち物:特になし服装:自由です。リラックスした服装でお越しください。そのひとりの幸せと、自分自身の喜びを出典 : 支援する「人」の想いで、関わる人の可能性がひろがる。そして、支援する「人」が幸せでいることが、関わる人の幸せにつながる。だから私たちは、この業界で支援する「人」を増やし、思いがあって多様な経験のある人に、この業界に関わり続けてほしいと思っています。みなさんがもっと自分らしく働ける場所や、困難のあるひとへのサポートが自分自身の幸せにつながる場所を見つけるきっかけに、「LITALICOキャリアcafe」がなれればと思います。
2019年07月05日中学入学後すぐから、高校見学をすすめていたけれど発達障害の娘が、小学5年生のころからスタートした進路探し。娘の意思で地域の中学校の通常学級に進学し、入学後すぐから、通信制、単位制、特別支援学校高等部など、中学卒業後の進路に向けた学校見学をすすめていました。その中で、中1のころの娘は、見学した中で心に決めた学校があったようです。しかし、次第に体調を崩すようになり「クラスにいるのがつらい」と訴えるようになった娘。学校側は特例として特別支援学級に机を設けてくれるなど対応をしてくれました。ですが、進路選びに大きく影響する出来事がおきたのです…。球技大会がトリガーに娘の通う中学では毎年11月にクラス対抗の球技大会があります。「優勝を目指す!」という熱い思いを抱く一部の男子生徒は、休み時間を利用した自主練習の時、ミスをするクラスメイトを強い言葉で責めました。その強い口調に泣き出してしまう女子生徒も複数いました。障害の特性もあり、球技が苦手な娘も、何度も注意を受けました。本人への障害告知の後、ほとんどの時間を通常学級で過ごすようになっていた娘でしたが、再び体調を崩し始めました。保健室の先生が「練習は2回に1回は休むようにしたら?」と助言をしても、娘は「皆が団結して頑張っているから」と受け入れようとはしませんでした。担任の先生は休み時間に娘に用事を頼んだりして練習に参加しなくても良いようにさりげなく工夫をしてくれました。幻聴が聞こえる!?そして発作まで…!娘の体調に大きな異変がある日、顔面蒼白、涙目で帰って来た娘は家に入った途端、崩れ落ち泣き出しました。それまでの娘の様子から早退は予想していましたが、玄関先での号泣は想定外でした。そして娘は泣きながら言いました。「先生には黙ってたけど、そこにいないはずなのに、男子が「あいつサボった」っていう声が聞こえて、怖くなって帰ってきたの~!!」中1の時にクラスメイトからいじめを受けて学校で過呼吸発作を起こしたことがあった娘でしたが、今回のようなことは初めてでした。娘は私の目の前で「あっ、また聞こえた!」と怯え、過呼吸発作を起こしました。私は過去に娘が過呼吸発作を起こした時に処方された薬を娘に飲ませました。そして娘を毛布で包み抱きしめました。※過呼吸には口に袋を当てるという対処法もありますが、私は保健室の先生からこの“毛布で包み込んで抱きしめる”という方法も“気持ちを落ち着かせるのに有効な方法のひとつ”と教えてもらっていました。娘が落ち着いた後、私はかかりつけの病院に電話をし、看護師さんに娘の様子を伝えました。折り返しの電話で看護師さんは医師からの指示を伝えてくれました。それは「薬は不安が強くなった時の頓服として使用する」「次回の診察予約を早めて受診する」「球技大会が終わるまで学校は休む」というものでした。通常学級で、頑張りすぎていたことに気づいて幻聴と過呼吸発作。本人が一番辛くて怖かったと思いますが、目の前でその様子を目の当たりにした私も大きなショックを受けました。「もう十分に頑張ったよ(むしろ頑張りすぎ)。もうこんなつらい思いはしたくないよね」「やっぱり心と体の安定が一番だよ」「私達って実際体験してみないとわかんないんだよね~。頑張りすぎるとどうなるか学んだね」涙ながらに語り合った私達。このような状況にも関わらす私達の心の中には「最初から可能性を諦めたのではなく、やれるだけのことはやった。限界まで頑張った」という達成感にも似た気持ちがありました。元気を取り戻して、学校へ行きたいから。前向きな不登校にUpload By 荒木まち子医師から暫く学校を休むように言われたことを伝えると、担任の先生はとても驚いていました。それでもやはり「前向きな休み」に理解のある学校は「前向きな不登校」にも理解がありました。休みの間、担任の先生はよく娘に電話をくれました。でも決して登校を急くようなことは言いませんでした。先生はいつも飾らない言葉で話をします。「いつも荒木がいる席に誰もいないと、やっぱり何か寂しいんだよな」球技大会が終わると担任の先生が学校帰りに自宅を訪れました。先生と娘の会話から、先生が生徒を子ども扱いせず対等に接していることが伝わってきました。そして娘がそんな先生を信頼していることも分かりました。小学校高学年以降、なかなか相性の合う担任の先生との出会いがなかった娘でしたが、この時、担任の先生と娘の間に信頼関係が出来ていたのは幸いでした。通常学級の友達も、電話をくれたり手紙を書いて届けてくれたりしました。外の世界と遮断され、自分だけ周りから置いて行かれたような気持ちになっていた娘は、友達からの連絡をとても喜んでいました。再登校に向けて規則正しい生活は心の安定にもつながるので、休みの間、家庭では睡眠、運動、食事など最低限の生活ストレスは掛けることを心がけました。また、学校復帰に向けて再登校の方法(最初は1時間。保健室→特別支援学級→通常学級へと徐々に慣らしていく)などの打ち合わせを病院、学校、NPO法人と行いました。新設のE特別支援学校へ学校を休んでいる間、娘は家事を手伝ったり、学習・余暇支援を行っているNPO法人に通ったりしていました。それでも娘は徐々に時間を持て余すようになりました。そこで私達は、以前教育委員会の教育相談で情報を得た『新設のE特別支援学校』を見に行くことにしました。今までタイミングが合わずなかなか見学ができていなかった特別支援学校を実際に見ておきたいと考えたからです。自治体が設定している“学校に行こう週間”(※)を利用した学校見学に事前申し込みは必要ありませんが、特別支援学校高等部の説明会参加には学校を通しての申し込みが必要です。特別支援学級と違い、通常学級には特別支援学校説明会のお知らせの手紙は配布されないので、私は説明会の案内が学校に届いたら知らせてくれるように学校側にお願いをしていました。※公立の小・中・高等学校を地域住民に知ってもらうために、(私達家族が住む)自治体が設けている学校開放週間のことでも夏になっても連絡が来なかったので学校に確認すると「夏と秋の説明会は定員オーバーでもう参加できないそうです。12月に追加で開かれる最後の説明会なら間に合うかもしれません」と告げられていました(この時私は通常学級在籍で特別支援学校の情報を得る難しさをひしひしと感じたものです)。E特別支援学校は週に一度ほど生徒が作った菓子類を学校の敷地内で地域住民に販売していました。この特別支援学校は、就労に向けたカリキュラムが充実していることもあり、授業の一環でこうした販売もしていたのです。私達は「説明会に参加できないのなら販売日に合わせて学校に行き、買い物ついでに学校や生徒の様子を見てみよう」と考えたのです。地域の住民と生徒のやり取りや、学校のアットホームな雰囲気を娘は気に入ったようでした。特別支援学級入級への意思2週間ほどの「前向きな不登校」を終え再登校した娘。そんな娘に対して、中には心無い言葉を掛ける生徒もいました。つらいと感じると、娘は特別支援学級に行っていたそうです。Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子娘は、中2の1月に正式に特別支援学級に移籍することになりました。(※)クラスメートとのやり取りの中でのストレス、頑張りすぎて心身ともに限界を超え体調を崩してしまったこと、そして特別支援学級への転籍。中2になってから起こった一連の出来事は、娘にとって“自分”を知る機会ともなりました。※ 通常学年途中での移籍は行いませんが、娘の体調を配慮して移籍が可能となりました。次回、最終話通常学級から特別支援学級在籍へと変わった娘でしたが、これまで見学してきた高校は、特別支援学級在籍でも受験が可能な学校ばかりです。通信制、単位制、専修学校、特別支援学校高等部…いろいろなタイプの高校を見学し、また中学校でもさまざまな経験を経て、娘が選んだ道は…。次回、最終話です。おまけUpload By 荒木まち子“クラスメイト”は特別支援学級の先輩のこと。親や先生などの大人からの言葉よりも、同世代の友達の言葉の方が娘の心に深く響くようです。
2019年07月05日はじめてのプール開放に混乱する親子Upload By アマミモヨリたしかに夏休みのプールは、体育の授業とは異なります。入口には受付があって、プール当番の保護者が座っています。受付の前で、ヒルマは即座に特性を発揮しました。「こわい…。いつもとちがう」とくり返します。でもまあ、受付さえ終われば、あとはいつも通りだから大丈夫と思っていました。だから、意味がわからなかったのです。Upload By アマミモヨリヒルマが更衣室から逃げ出してくる意味が…。誰も居ない男子更衣室にしぶしぶ一緒に入ると、普段からわたしが心がけているように、ゆっくり、はっきり、わかりやすく伝えました。「いつもと同じように、着替えればいいんだよ」するとお友だちがーーUpload By アマミモヨリいつもは教室で着替えていることを教えてくれました。更衣室を使うのが、はじめてとは予想外でした。ヒルマの特性が発動するのも当然です。夏休み前に先生に相談していたら、実際に更衣室で着替える機会を作ってもらえたかもしれません。気づかなかったことが悔やまれました。見積もりが甘すぎた結果さて、ヒルマが無事に着替え終わるのを見届け、さあ、家に帰ろうと思ったときです。Upload By アマミモヨリ見積もりが甘すぎました。そもそも家を出たときは、近所の待ち合わせ場所まで送るだけのつもりだったのです。そんなわけでーーUpload By アマミモヨリ炎天下のプールサイドに1時間、すっぴんで佇むはめになりました。これを教訓に、息子対策は抜かりなく行おうと、あらためて誓ったのでした。その後のプール開放は…Upload By アマミモヨリ1年生では2回プール開放に参加したのですが、結局どちらも終始わたしの付き添いが必要でした。その後、2~3年生の夏休みには水嫌いが悪化し、ヒルマは一度もプールに行きませんでした。一方、わたしはーーUpload By アマミモヨリどうせ付き添いで来るのだから、プール当番を引き受けちゃおうと思ったのです。まさか2年連続で、息子のいないプールを見守る結果になるとは思いませんでした。そして4年生になると…Upload By アマミモヨリこんなことってあるんですね。エアコンの効いた涼しい部屋で、すがすがしい気持ちでヒルマを見送りました。(連続でプール当番をしたので、この年は当番は免除)4年生でやっと「だるま浮き」や「けのび」(ヒルマの学校では1~2年生の到達目標)のコツがわかってきて、プールが楽しくなったようです。そして5年生になった現在はーーUpload By アマミモヨリ自己申告では、1メートルくらい泳げたそうです。楽しい夏休みを迎えられそうでなにより。今年はまたプール当番に立候補して、ヒルマの勇姿でも見に行こうかなと思っています。
2019年07月04日特性にあわせた配慮、クラスの中でどう実現する?『ちょっとふしぎ 吃音・チック・トゥレット症候群のおともだち』吃音、チック、トゥレット症候群は、症状の現れ方が非常に多様なため、クラスの友だちから理解されづらかったり、支援者も本人の困り感に気づくことが難しかったりするという問題を抱えています。本書は症状の現れ方から周囲の関わり方まで具体的に解説した、支援者に読んでいただきたい一冊です。第1章ではそれぞれの症状のある6人のお友達が登場し、症状の現れ方と症状が出る理由、そして「こうしたらうまくいきそう」という対応方法が解説されています。症状に悩む当事者への配慮が必要なのはもちろんですが、学校生活のような集団の場では周囲の人もストレスなく過ごせる環境を作っていく必要があります。本書に書かれている対応方法の例はクラスの中で実現しやすいものが多く、また症状が出たとき本人やクラスの友達はどんな気持ちでいるのかも書かれているので、クラスのみんなが過ごしやすい合理的配慮の実践に役立てることができます。また第2章ではそれぞれの障害についてさらに詳しい解説が書かれています。症状を抱える本人の悩みに寄り添いながら、本人の自己肯定感を低下させず持ってる力を引き出せるような働きかけをするには、支援者の視点と周囲の理解が必要不可欠です。障害特性を理解し、学習や活動参加の機会を損なわないような環境づくりを考えるために活用したい一冊です。発達ナビコラムライターたなかれもんさんの著書が発売!家族の愛が詰まった一冊『つま先立ちのサンちゃん』発達ナビでも2019年4月からコラムを執筆してくださっているライターのたなかれもんさんの著書が発売されました!5歳の自閉症スペクトラムの娘サンちゃんと、3歳のワッくんとの4人家族の毎日が漫画形式で描かれています。内容は大きく「おうちでのサンちゃん」と「おそとのサンちゃん」に分かれており、普段の様子に加えてサンちゃんが通う療育園の仕組みなどもわかりやすく紹介されています。発達ナビのコラムではいつもほのぼのしたタッチでサンちゃんの可愛らしいエピソードを描いてくださっている、たなかれもんさん。著書の中では現在のサンちゃん様子以外にも、サンちゃんに自閉症スペクトラムがあるとわかった経緯や、サンちゃんの個性的な行動をなんとかして理解しようとしたり、成長を促したりしていく家族の様子も描かれています。夫婦で子どもたちの様子をよく見て、その行動の意味を理解して関わろうとする様子からは、どんな大変な状況でも愛情を持って接していることが伝わってきます。ゆっくり確実に成長していくサンちゃんと、愛情たっぷり見守るご家族。読み進めるほど、たなかれもんさん一家のことをもっともっと知りたくなる一冊です。お子さまの力を伸ばすあそびがきっと見つかる!『今日何してあそぶ? 脳と感覚を育てるあそびのカード144』2017 年に刊行された、うまく遊ぶのがむずかしい子どものための遊びの工夫を紹介した『発達が気になる子の脳と体 をそだてる感覚あそび』。その中で紹介された感覚遊びを日常の中で取り組みやすくするために、子どもたちの感覚と機能をのばす遊びを144例紹介したカードが発売されました。遊び方の説明とイラスト、使うもの、遊びを通して身につけたい力を記したねらいが書かれているので、お子さまにあった遊びを選んで取り組むことができます。カードの特徴は縁に描かれたマーク。遊ぶ人数や場所、安全面への注意や大人の付き添いが必要かどうかや、どの感覚を育てるのに役立つ遊びかがそれぞれマークで示されてるため、そのときご家庭でできるかどうかや、お子さまの苦手にアプローチできるかどうかがすぐにわかります。また、カード上のQRコードを読み取れば遊び方の例の動画を見ることもできるので、初めての遊びは不安...というお子さまには、事前に動画を見てもらってから取り組みましょう。体をうまくコントロールしたり、指先をうまく使って作業したりするのが苦手なお子さまに、遊びを通して成長を促すことができるカード。得意な遊びも織り交ぜながら、苦手にも楽しく取り組めるよう、活用してみてはいかがでしょうか。「できた!」を実感しながら時計を楽しく学習しよう!『1日1歩 スモールステップ時計ワークシート』筑波大学附属大塚特別支援学校 支援部教諭の佐藤義竹先生が作成した教材をもとに、時計の読み方を学べるワークブックが刊行されました。時計を読めることは、スケジュールに沿って行動するためにとても役立ちます。本書は「手立て」と「問題」で構成されており、まず「手立て」のページで短針と長針が表す概念の説明やそれぞれの読み方から入り、スモールステップで時計についての理解を進めていくことができます。「問題」のページでは、難易度や視覚的な補助の量が調整された問題が複数用意されています。教える人向けにそれぞれの問題のねらいの説明もついているので、理解度に合わせた問題をお子さまに提示することができますね。また苦手意識を持っているお子さまも無理なく取り組めるような配慮として、1ページあたり問題は4問ずつと少ない分量での構成となっています。各ページには問題ができたらシールを貼る欄が用意されており、「がんばりシール」も付属されています。シールは「もうすこし・できた・ばっちり!」の3種類。お子さまが達成度を自分で振り返り、つまずいた箇所を先生や保護者と確認しながら、「ばっちり!」になるまで学習を進められるワークブックです。特性を理解して、早期の支援を――支援者が読みたい一冊『発達性協調運動障害(DCD): 不器用さのある子どもの理解と支援』発達性協調運動障害(DCD)とは、発達障害の中でも身体の動きに特化した発達障害のことを指しますが、その特性について学べる書籍は少ないのが現状でした。本書は、1999年に刊行された『子どもたちの不器用さ―その影響と発達援助』の継承版として、DCDについてもっと深く具体的に知りたいというニーズに対応して刊行されたものです。DCDへの支援としては、早期に発見して適切な支援方法を見出していくことと、現状本人が苦手とする部分とそれにより生じている困難を正確に把握していくことが必要だと本書では強調されています。DCD当事者の日常生活に置ける困りごとも紹介されているので、教育や支援に関わる人も保護者も、実例から当事者の困り感がどのような場面で生じるのかを具体的に知ることができます。またDCDの特性は、ASD、ADHDのなどと併存する場合も多くあります。このように複数の特性がある当事者への支援のポイントについても、事例を交えながら解説されています。幼少期・学齢期から日常生活や学校での活動で困難を抱えることのあるDCDですが、思春期以降はDCDの特性をもつ自分自身をどう捉えていくかという課題や、他の発達障害と併存している場合は生活の自立や就労などにも課題をもたらす場合があります。早期に合理的な配慮やスモールステップでの支援を受けることで本人の力を伸ばしたり生活しやすさを向上させたりすることの重要性から、思春期以降の適切な理解や支援まで、DCDのある人が成長していく中でどのような支援を受ける必要があるかを本書では知ることができます。今後もより具体的な支援方法についての研究が求められていくDCDですが、まずはその特性や支援の重要性を支援者が知ることが重要です。運動面が気になるお子さまを支援している支援者が読んでおきたい内容が詰まった一冊です。
2019年07月03日食の経験値が足りない!?むっくんが食べない大きな理由、それは「慣れない食べ物だから」です。つまり、食卓に上る回数の少ないものほど口にしないのです。子どもが好きそうな果物でさえ、旬にしか目にできない、さくらんぼ、ブルーベリー、スイカ、メロン、プラム、桃、ブドウ(品種による)なんかは拒否。野菜ならトウモロコシ、枝豆。めったに買わない高級食材なんてもってのほかです!Upload By ウチノコ慣れないものは危険なもの食べたことがないのだから、ただの食わず嫌い。なのですが、よくよく考えてみると私も思い当たるフシが…。慣れない店に行くと、よくわからないカッコイイ名前の料理よりも、味が想像できる見知った料理を頼んでしまうことはありませんか?これって慣れないものを拒否して慣れたものを食べたがるむっくんと同じ原理なのかも。Upload By ウチノコそもそも人間が狩猟生活をしていた頃を想像してみると、見慣れない木の実や動物をわざわざ食べるだろうか?慣れないものを食すなんて、命にかかわる行為かもしれない。と考えることもできます。子どもは体が小さい分、良くないものを食べれば命にかかわります。「慣れないものは食べない」という行いは、生き物の本能からくる行動で、警戒心を持つほうが当たり前なのかもしれません。Upload By ウチノコ慣れた食べ物へと昇格を狙え!そうは言っても色々食べてほしいのが親心。「慣れなきゃ食べない」の対策は簡単!「慣れない食べ物」から「慣れた食べ物」への昇格を狙うのです。見る回数を増やすため、旬の食材は少々高くても、「今しか出回らない!」と奮発して意識して買うようにしています。食材は好きに触らせ、図鑑や絵本で学習、食べなくても食卓に並べ、家族は普通に食べます。すると毎年少しずつ食べられるものが増えていくから面白い。一昨年、昨年、祖父の畑に実ったスイカをノルマのように家族で食べていたら、むっくんも種を取れば食べられるようになりました。しかし、冬の間に再びスイカは「慣れない食べ物」に降格されたようで、今は拒否・・・。だけど今年もスイカを出し続ければ、食べるようになるはずです。今年6歳のむっくんにとって、スイカと過ごす夏はまだ6回目。6回目のデートじゃ、相手を知るには時間が足りないでしょ!Upload By ウチノコ収穫体験でも食べられるものが増えました。「口に入れた感じが嫌!」と吐くほど苦手だった枝豆は収穫してから食べられるように。目の前にある食材がどのように育ち、実り、今ここにあるのかを知ることも「慣れない食べ物」からの昇格につながるようです。Upload By ウチノコ一緒に料理をするのも効果的でした。苦手だったポテトサラダは、作ったことで大好物に変わりました。自分で切って、混ぜて、味付けると原材料を全て把握できるからか、「慣れない食べ物」から昇格されるようなのです。Upload By ウチノコ食べない理由は「好き」か「嫌い」だけじゃない好き嫌いは許しません!と育てられた私はむっくんの偏食にずいぶんと悩み戸惑いました。だけど診断後、どうして食べないのかな?という目線を持てるようになったことで、食べないもの一つひとつに単なる「好き、嫌い」以外の理由があることを知りました。Upload By ウチノコむっくんは感覚が敏感なので、「食べる」という視覚、嗅覚、触覚、味覚、固有覚と様々な感覚に強い刺激が入ることに、恐怖心を抱くことがあるように感じます。中には受け入れがたい感覚もあるのでしょう。しかも特性により、はじめの一歩を踏み出すことも苦手なので、新しいものを受け入れるには、人一倍パワーや時間が必要なのかもしれません。そう考えると、辛いなら無理しなくていい、死なない程度に食べてればいいやと思えるようになりました。食べることが幸せにつながるようにそれでも、食べることが好きな私は、むっくんがおいしいなぁ、幸せだなぁと思える食べ物を、ひとつでいいので増やしたいとも思っています。余計なお世話かもしれないけれど、年単位の時間をかけてゆっくりと経験値をあげていけたらなと考えています。むっくんのおかげで食べ物と向き合う時間が増えた私。以前より旬の食材センサーの感度は上がりました。わぁ、今年もスイカの季節だね!と、季節の移ろいを敏感に楽しめるのはむっくんのおかげだなと思っています。Upload By ウチノコ
2019年07月02日息子からの私へのクレーム『発達障害に生まれて』(松永正訓著/中央公論新社)ノンフィクションのモデルとなった立石美津子です。あるとき、息子がパニックを起こし自傷しました。腕にはひどい歯型がついていました。原因は私の対応の仕方でした。息子はとても耳がいいです。よく電車の走る音を聞いて「○○電車の○○系、各駅停車だ」とあてられる子がいますが、息子はトイレに流れる水の音を聞いて、型番を言いあてることができます。ただ、耳がよすぎるためか聴覚の過敏があり、耐えられない音は徹底的にダメなのです。ちなみに、今NGな音は“食器洗い洗浄機”と“人の咳”です。私が風邪をひくと…私が風邪を引くと、当然咳が出ます。そんなとき「お母さん、大丈夫?」という私の体調を思いやった態度をとることはありません。なぜなら、咳の音が息子にとっては耐え難いものだからです。だから、ものすご~く嫌な顔をします。そして、インフルエンザに罹ったときも、病気の私に向かって…「うるさい!」「あっち行け!」「出て行け!」「何月何日に治るのか?」というひどい言いっぷり。私は、体調も悪かったせいで、つい…「病気の人になんてこと言うの!」「どうしてお母さんに優しくできないの!」と言い返してしまいました。さらに「そんな酷いことばかり言うんだったら、お母さんは出て行くからね!」「咳をする人と一緒にいられないんだったら、一人暮らししたら?」とまで言ってしまいました(私も言い過ぎですね)。ただでさえ咳の音でイライラしているところに不安まであおってしまったようで、ワーワー泣き叫びながら自分の腕を噛みつき自傷。壁やドアを蹴り、パソコンのマウスを投げ、早々、ふて寝してしまいました。接客のプロの仕事ぶりを思い浮かべる次に風邪をひいたときは、別の対応ができました。そしてこのとき、息子はパニックになりませんでした。私「咳の音が嫌なんだね。すごく辛いよね。お母さんも咳をすると苦しいから辛いんだ。早く治すように頑張るから、もう少し我慢してね」私はこのとき、ホテルやお店の人たちの、お客さまへの対応を思い浮かべていました。息子からの要求が無理難題、理不尽なことに思えても…、「まず相手の立場に立って共感すること」。そのうえで、できない事は丁寧に説明すること。神対応ができる接客のプロは、この「共感」と「説明」ができています。頭から否定したり非難したりするのではなく、まず最初に「もし、私がお客様の立場だったら同じように感じると思います」の気持ちを示すか示さないかで、相手が抱く感情はまったく変わってくるからです。ホテルのフロント対応に学ぶ例えば、夜、突然ホテルにやってきて「宿泊したい」と言ってきたお客さんがいたとします。当日の飛び込み客ですので、例えば会社の緊急事態で遠くからやってきた人かもしれません。乗ろうと思っていた電車が突然の運休になってしまったのかもしれません。きっと何かどうしようもない事情があるはずです。そんな心理状態のとき、フロントで「本日は満室でございます」とそっけなく言われたらどう感じるでしょうか。でも、「せっかく、お越し下さったのに本当に申し訳ございません。あいにく今日は満室でお部屋をお取りすることができないのです」と言い、途方に暮れた客が語る”ホテルに飛び込んだ事情”に耳を傾け、「今回はあいにくお部屋が空いておらずお泊りいただくことができませんでしたが、またぜひお越しください」と伝え、併設のラウンジのコーヒーを振る舞うなどしたら、相手の気持ちはまったく違ってくるでしょう。スーパーで、子どもがこんなことをしていたら…?Upload By 立石美津子以前、スーパーの売り物の精肉のパックを触っている子に、頭ごなしに「コラ!」「ダメ!」「いい加減にしなさい!」と親御さんが怒っている場面に出あいました。この叱り方だと子どもは「コラ!ダメ!」に条件反射するだけで、また保護者がいなければ同じことを繰り返すかもしれません。では、子ども自身が納得して触らないようになるためにはどうしたらいいのでしょう…。こんなときでもまず共感です。商品に触りそうになる手をパッと止めつつ…「お肉のパックって、プニョプニョしていて触りたくなるよね。」そして説得です。「でも、これはまだお金を払っていないからあなたのものではないの。あなただって誰かが触った指跡のついたお肉は食べたくないよね。だから、売り物は見ているだけにしようね。」わが子からの無理難題に、ガミガミ対応してはお互いにツラくなる…。そんなときは、共感・説明を心に対応できれば、子どもこちらの話に耳を傾けられ、お互いに詰まらず暮らせるのではないかなと思います。
2019年07月01日母親の悩みって、変わっていない…!発達ナビユーザーから寄せられた相談四半世紀子育てしているずっと現役ママの私は、10年前にうつ病を発症。そして現在も治療中です…。第1子を出産したのは20数年前。分厚い育児書が必須だったあの頃。インターネットの普及で私たちの暮らしは大きく変化し、情報や人との繋がり方も劇的に変化したと思います。なのに…なのに!母親の悩みは変わらない。それどころか、どんどん孤独にさえなっているのは気のせいでしょうか?そんなママたちの悩みを少しでも軽くできたらとの想いで、このたび発達ナビユーザーの皆様からお悩みを募集させていただきました。Upload By ひらたともみ寄せられたお悩みの中に、次のようなものがありました。----------------------------息子に発達障害があるのですが、保育園ママ友との付き合いが難しく、心労で体調不良になりました。心療内科では「言っている事がわからない」と言われてしまい、途方にくれています。(45歳女性・2人のお子さんのママ)※----------------------------※寄せられた内容を短くまとめてご紹介していますそうです…!予想はしていたものの、ダントツに多かったのが、ママ友問題。今回は保護者同士の関係性をキャッチすれば、母親のコンディションの負担軽減になるかを取材しました。精神科医・増田先生に聞く!ママ友との関係、どうすればいい?Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみ増田先生の言葉にはいつも「いかにして自分がご機嫌でいられるか」というのがあります。人間関係に深く悩む人の多くは、繊細で傷つきやすく、真面目で几帳面な人柄が多いと聞きます。悩まなくてもいいことや、責任を感じなくてもいいような部分を、ひとり背負いこんで、体調不良にすら気付かない人もいます。いつも他人のことを優先し、自分が休むことなんてありえない。子どものため、家族のためと、ママ友付き合いもご近所付き合いも緊張の糸を張り続け、自分をご機嫌にしようだなんて、考えたこともない。それこそが私でした。そして今年の5月。私は「休暇のためオフとさせていただきます」というメールを、この仕事をして初めて各クライアントにしました。堂々と休み、堂々とグータラし、堂々と自分を甘やかすことに徹した5日間を過ごし、それまでモヤモヤしていたことも、「もう終わったことだ」とだいぶ踏ん切りがつきました。今まで悩むことでしか解決できないと思っていた私にとっては、ものすごい快挙です!増田先生がおっしゃるように、いくら相手の気持ちを探ろうとしても、到底わかりはしないし、憶測や噂話に真意はありません。楽観的に捉えられればいいけれど、それができないのが私たちお悩みママ…ですよね?しかし、何事もいったん楽観視するという習慣づけをしていけば、自分の背負うものがきっと軽くなるはず!とどのつまりは「しょせん他人だから」と思うようにしてみると、「わかり合えなくて当然」という公式が生まれてきますよ。
2019年06月28日無事、仕事が決まったものの...乗り越えなくてはならないハードルがたくさんありました昨年春から仕事をしている私ですが、仕事を始めるにあたり一番心配だったのはやはり子どもたちのことでした。けれど定型発達の次男は幼さが抜けてしっかりしてきているし、自閉症の長男は平日、放課後等デイサービスに通っているので帰宅時間はだいたい18時。間に合うよう働けば問題ありません。ありがたいことに、かつてお世話になっていた会社で事務のパートが決まりました。平日の10時から16時までの勤務なので、長男の帰宅時間にも間に合う。ほっとしました。けれど、気がつきました。しまった!夏休みをどうしようかと。Upload By シュウママダメもとで聞いてみよう・・放課後等デイサービスに聞いてみました長男が通っている放課後等デイサービスは、学校のある日は学校に直接お迎えに行ってくれ、18時に自宅まで車で送ってくれます。けれど、春休みや夏休みといった長期休暇の期間は、10時から15時30分までになります。Upload By シュウママ私の勤務時間は10時から16時。これでは夏休み中は、放課後等デイサービスを利用したとしても私の出勤時間にも長男の帰宅時間にも間に合いません。一度は仕事を諦めようかと思ったのですが、藁にもすがる思いで、通っている放課後等デイサービスに相談してみることにしました。放課後等デイサービスから、意外な返事が!放課後等デイサービスの責任者の先生に仕事のことと夏休みのことをお話しすると、先生はしばらく考えて「それなら、長期休みの期間だけ預かり時間を延長しますよ」と言ってくださいました。「息子さんの他にも、実は同じように働いているお母さんから、時間を延長できないか相談を受けてます。大丈夫ですよ」そう笑顔を見せてくださったのです。Upload By シュウママそんな先生の言葉は、働く私の背中を押してくれるようで、とてもあたたかかったです。働くことを諦めないで。相談してみることで克服できることがあるかもしれませんもちろん、放課後等デイサービスによっては時間の延長に対応できないところもあるかと思います。けれど、もし私と同じように長期休みの問題で働くことを躊躇している方がいるのなら、すぐに諦めるのではなくて、一度放課後等デイサービスに相談してみて欲しいなと思います。もしかしたら解決することもあるかもしれません。仕事を始めてちょうど1年たちますが、こうした支援があるおかげでなんとか続けてこられています。もともと出不精なこともあって家庭内でストレスを溜めがちだった私ですが、仕事を始めてからは外に出て働くことで気分をリフレッシュすることができるようになりました。そして夏休みを放課後等デイサービスで過ごすことは、長男の成長にもプラスになりました。通っている放課後等デイサービスでは、夏休みはプラネタリウムに行ったり、広い公園を走り回ったりして、家庭で過ごす以上に日々さまざまな活動に取り組むことができます。そのおかげで夜もぐっすり眠り、ご飯もたくさん食べ、元気に過ごしていました。放課後等デイサービスが働く私の背中を押し、長男の成長もサポートしてくれたのです。周囲の人に支えられ、さまざまな問題を乗り越えることができたことを痛感した1年でした。Upload By シュウママ
2019年06月27日お願い、言われなくても手伝って…今や学校の宿題として出されることもある「お手伝い」。けれども、率先してやってもらうことや、習慣化することってなかなか難しいのではないでしょうか。家庭によってその取り組み方はさまざまだと思います。わが家でも、言わなきゃやらないし、言っても「え~」とイヤイヤやることがほとんどでした。Upload By SAKURA大忙しな私と、ただただ座って待つ家族私はいつも、夕方から寝るまでの時間、ずっと立ちっぱなしの動きっぱなし。ごはんもみんなの余りものを、食器を洗いながら口に放り込むという状態で…。寝るその瞬間まで、座ることすらできません。ある日、夕方遅くに帰宅したため、晩ごはんを急いで作っていた私。ふとリビングに目を向けると…。Upload By SAKURA晩ごはんができるのを、座ってひたすら待っている(私以外の)家族。私の中で、この状況の違和感が大きくなった瞬間でした。お手伝いって無理やりやってもらうもの?それでもなんとか、日々家事をこなしていましたが、ついにキャパオーバーした私は家族にお願いしました。Upload By SAKURAしかし、手伝ってくれたのは、私が頼んだ時だけ。それから、あれやってこれやってと指示は出したのですが、なんか無理やりやらされてる感を漂わせている状態に、私は「これではいけない!」と思いました。もっと、自主的で…率先してて…楽しくやってもらえないだろうか。編み出したのが、お手伝いカードそこで私は、お手伝いカードを作ることにしました。お手伝いをしたらスタンプを押す…しかし、それだけではやる気が持続しない。考えた末に、20マスがすべて埋まった時、500円の買い物券と交換!という形にしました。そうすることで早くマスを埋めたいという気持ちが起きるんじゃないかと思ったのです。さらに私は、娘の分だけではなく、夫の分も作り、2人で競ってもらうことにしました。Upload By SAKURAこうすることで、娘は負けたくない思いから、次から次にお手伝いを要求してくるようになりました。そして、夫もまた娘に巻き込まれる形で参戦し、私の家事の手伝いをしてくれるようになりました。効果てきめんだったお手伝いカードお手伝いカードを始めてから、わが家の雰囲気はがらっと変わりました。Upload By SAKURA娘は、自主的にお手伝いをするようになったのです。息子が散らかしたおもちゃを片付けたり、食後のテーブルを拭いてくれたり。前より、周りに気を配るようになったように感じます。忘れている時もたまにありますが、「あれ?スタンプどうなった?」って呟くと「あぁ!そうだった!」と慌ててお手伝いを探してくれます。そうやって娘は、3週間ほどかけて、1枚目の500円券を手に入れました。Upload By SAKURA自分で頑張ったことでもらったお金で、物を買うはじめての経験。買い物の時に、そのお金の使い道に悩む姿を見て、お金のありがたみの勉強にもつながったように感じました。そのおかげか、最近ではジュース一つでもあまり気軽にねだらなくなりました。お手伝いカードの思わぬ効果そして、意外や意外。一番驚いたのは、夫の変化でした。Upload By SAKURA前は、たたんでいない洗濯物があってもスルーしていた夫でしたが、娘に巻き込まれたお手伝いでやっていた、洗濯物たたみが習慣化し、最近では洗濯物を積み上げて置いておくと、勝手にたたんでくれるようになったのです。2人がいろいろと動いてくれるようになり、私の家事の負担はかなり減り、最近では、座ってテレビを見る時間もできました。子どものために始めたことでしたが、旦那にも浸透していったお手伝いの習慣化。あと何年かしたら、息子にも作る日が来そうです。
2019年06月26日意欲的に、家庭学習に取り組む息子。一方、在宅ワーカーの私はストレスを蓄積させ…登校渋りを幾度も繰り返し、8歳の誕生日を迎えたその日に「もう学校には行かない」と宣言した息子は、この4月で小学4年生になった。不登校開始1週間の時点で、「行かない気持ちに変わりはない。万が一気が変わったら申告するから、そちらからは一切聞いてくれるな」との旨の申し出があったので、私から働きかけることは避けていた。根性論にて復学を強く勧める学校側に辟易しつつ、息子の意思を尊重すると決めた私。それが2年生後期までの話である。それが1年前、3年生に進級したとき、風向きが一気に変わった。息子たちのクラスを受け持つことになった担任の先生、そして新しく着任した校長先生と教頭先生は、息子の自宅学習に協力的だったのだ。月に一度、担任の先生が課題を持ってきてくれ(もしくは私が受け取りに行き)、息子が1ヶ月かけてこなす。翌月に終了した課題と新しい課題を交換、さらに翌月には先生が添削した課題をまた持ってきてくれる、ということを繰り返すのだ。通学するのと全く同じペースとはいかないし、教科の偏りは出てしまうが、大幅な遅れを取ることはない。エネルギー出力にムラはあるが、息子はもともと知識欲が強い、勉強の好きな人間だ。学校からいただいた課題以外にも、自ら所望した問題集などにも取り組むほどで、家庭学習はとても順調に進んでいくように見えた。しかし、問題が発生した。息子ではなく、私に。フリーランスのライターである私の仕事は、ほぼ在宅にて行われている。だから打ち合わせ等がない限り、四六時中息子と同じ空間で過ごすことになる。1人の時間が持てないだけでも息苦しいというのに、集中力が途切れやすい私は、自分のペースで作業を進行できない状況にいらだちを募らせていた。分かっている、息子は悪くない。しかし、例年であれは冬季うつの時期にしか服用しない抗うつ剤が、春になっても手放せなくなっていた。些細なことで腹を立て、そんな自分を呵責し、深夜に眠れず涙すること連日。数ヶ月に1回、1泊2泊の出張や1人旅をしたところで、蓄積されたストレスは解消しきれなくなってきたのだ。そんなある日のことだった。平日の午後、小学校が終わるころを見計らって公園へ出向くことが増えていた息子が、帰宅後にこう申し出たのだ。「文化祭の日、学校に行ってみようと思う。同じクラスのJ君に誘われたから。行ってもいい?のん(私の呼び名)も付き合ってくれる?」久しぶりに登校し、文化祭を楽しんだ息子の口から出た意外な発言。しかし、いつ気が変わるかも知れず…出典 : 文化祭のスケジュールは、午前中が体育館で行われる音楽発表会、正午手前に各々の教室で帰りの会を行い解散、あとは自由見学となっていた。いつごろ行きたいのかと息子に聞くと、音楽発表会の時間から行きたいのだという。私の都合で朝一番からの見学は叶わなかったが、それでも早いうちに学校にたどり着けた。実のところ、体育館のような空間に響く音声というものは、聴覚過敏を持つ私が苦手とするものだった。両耳から勢いよく水を流し込まれるような痛みと不快感で、めまいと吐き気を催してしまうのだ。デジタル耳栓を用意していなかったことを激しく悔やみつつ会場に入ると、存外辛くない。不快感がゼロというわけではないのだが、幾分か楽だ。どうやら私は「体育館のような空間で、“複数の人が雑談している声”の響き」が苦手であり、音楽だとそこまでではないようなのだ(体育館や音楽にもいろいろあって、どこでもそうとは言い切れないが)。さて、私自身が特性について再発見をし、1人密かに感激していたところ、担任の先生が私たち親子の姿に気づいた。息子をクラスメイトたちが並ぶ列へ、そして私も発達障害の当事者であり、聴覚過敏を持っているとご存知の先生は、私を保護者席から離れた職員席へと、それぞれ誘導してくださったのだ。息子は列の最後尾についたのだが、前にいた子が気配を感じたのか、振り向いた。更に前の子が何かを察して振り向き、また更に前の子が…というように次々とみんなが息子の存在に気づいて、声こそ出さないし、振り返るのもそれぞれ1、2回であったものの、そわそわとした雰囲気になるのが、見ていておかしいやら微笑ましいやら。演奏が終わり、一旦休憩になった途端、「ハルくんだ!」「ハルくんだ!」「ハルくんがいる!」「ハルくん、久しぶり!」と、たくさんのクラスメイトが一斉に息子に駆け寄ってくれた。詳しい会話の内容までは聞こえない。息子本人はとても照れくさそうな、でも確実に嬉しそうな表情で応対しているのが分かった。それから息子は音楽会だけでなく、終わりの会にも参加し、クラスの友達に誘われて、自由見学にも出向いた。途中でパニックを起こして、途中で何も言わずに帰宅してしまったのだが、後日会ったときにそれを責めることもせず、むしろ心配してくれたのだという。彼らを含む、息子の存在を受け入れてくれたクラスの児童たち、息子だけではなく、私の特性にもご配慮くださった先生方には心から感謝している。その数日後、「行事のときとか、たまには学校に行ってみようかな」と息子がひとりごちた。正直、とても驚いた。とはいえ、いつ気が変わるとも知れない。私はさしたる期待をせずに聞いていた。限界を迎えていた私。約束を守りたい気持ちと復学を促したい気持ちの間での葛藤案の定、「たまに」は年をまたいでも訪れることはなく、私は出張や旅行で息抜きをしつつ、ギリギリのところで踏みとどまっていた。いや、すでにおかしくなりかけていた。寝入る直前に「何か食べたい」と申し出た息子に「もう寝る前だし、牛乳ぐらいにしておこうか」と言葉を返し、寝つかせたあとに「あれはネグレクトではないか?ネグレクトに違いない」と自責を始め、夜半を過ぎるまで泣きとおすなど、精神のバランスも生活のリズムも著しく乱れていた。仕事も思うように進行させられず、「もう私にはコラムなど書けないかもしれない」と、『発達ナビ』の牟田編集長に宛てて、泣きながらメールを打ったのもこのころだ。とにかく、限界だった。「フリースクールや放課後デイ施設などがあるではないか」とおっしゃる方もいるだろうか。もちろん視野に入れ、自分なりに調べた。しかし私たち親子は、施設数が都会に比べて圧倒的に少ない地方に住まう身である。学費や立地など、条件に見合う場所を見つけられなかったのだ。そして3月の半ばになって、「たまに」がようやく訪れた。とても興味を引かれる学習内容ばかりの時間割で、給食は好物ばかりの献立の日があるから、というのだ。息子はその日、朝の会から終わりの会まで学校で過ごし、「音が辛いこととかちょっとあったけど、勉強は面白かったし、みんなと遊ぶのも楽しかった!次はいつ行こうかな?」と笑顔で帰宅し、私に話してくれた。(次の「たまに」はまたしばらく来ないのかな…)と考えるだけで胃から何かがせり上がる。楽しいのなら、もっと高い頻度で登校して欲しい。できれば毎日。でも、私から登校を促す働きかけをしない約束を、息子とは交わしている。だから言えない。私を信頼してくれるこの人との約束を破りたくない。破りたくはないのだが…。約束を破り、私は切り出したさて、話は前後するが、以前のコラムにも書いた、息子が3年生になってすぐの面談で、「息子さんとの(登校を促さない)お約束もありますし、もし学校に行きたいという話を息子さんがしたら、というつもりで聞いていただきたいのですが」という前置きのあと、校長先生がこんな話をしてくれた。「教科書を使って、みんなと同じペースで学ぶ、という学習方法が、向いている児童と向いていない児童がいます。すでにお渡ししている教科書よりも使いやすいと息子さんが思える教材があれば、それを使って児童の数が少ない特別支援学級や、もしくは別の学習室で学ぶという方法もあります。特性の関係で疲れやすいでしょうから、そんなときは遅れてきても構いませんし、早退しても構いません。息子さんが無理をせず、のびのびと学校生活を楽しめるように、私たちはできる限り協力します」フリースクールを検討して調べたことは前項で述べたが、私が調べた限りの、どのフリースクールよりも手厚い。これが公立の小学校である。しかも、身心ともに疲弊しきった息子が不登校を決めたときに、「苦手を克服するということから逃げ続ける息子さんを容認して、成長の機会を奪ってもいいんですか?」と私を叱責し、これは書いたことがなかったが、特別支援学級の利用や、進級を期にした転籍を願い出た際、「息子さんは頑張れば通常学級でもやっていけますから必要ありません」と跳ね除けた公立小学校と、同じ公立学校なのだ。知識欲の強い息子はいずれ、私の学習サポートでは物足りなくなるだろう。現状だって、私は自分の仕事と家事に手一杯で、十分な時間を割けているわけではない。そして条件に合うフリースクールは見当たらない。しかし、フリースクール以上に手厚い、すでに息子が在籍している小学校がある。もう、これは言うしかなかろう。「ごめんなさい、私は今からあなたとの約束を破ります」そう、私は切り出した。何事かと表情を引き締めた息子に向かって、続けた。「約束を破るわけだから、あなたが怒ったとしても無理はない。でも、最後まで聞いてほしい。正直、私は今の生活が限界。仕事をしながらあなたの学習をサポートするのはとても大変だし、正直ちゃんとサポートできているかも自信がない。これからあなたがさらに多くのことを、深く学びたいと願うときが来るかもしれない。そうなったら学力面と知識面、時間の面でも私の手には負えなくなると思う。あなたの学びの妨げを、もし自分がしてしまったら、私は悔やんでも悔やみきれない。それから、仕事の効率が確実に落ちているなと感じている。これは私の気が散りやすいというのが問題であって、あなたが悪いわけではないから、気に病んでほしくない。とはいえ、もっと仕事に集中する時間がほしい。そうした私の勝手な事情で約束を破ることを、本当に申し訳なく思っている。許さなくてもいい。…いきなり、毎日、最初から最後まで、とは言わない。でも、もう少し学校に行く頻度を高くしてほしい」そして、面談で校長先生が話してくれたことを、息子に伝えた。息子は何も言わずに聞いていたが、私の言葉が途切れたのを見計らってか、ゆっくりと口を開いた。「今の学校だったら、行くのは嫌じゃないよ。でも、ずっと家にいたし、のんが言ったように、いきなり毎日最初から最後まで、というのはできないかもしれない」「うん、それは仕方ない。ありがとう、聞いてくれて、怒らずに受け入れてくれて、本当にありがとう」「うん。だって、のんが仕事をできなくなったら、まだ働ける年齢じゃない自分だって困るし」「いきなり毎日最初から最後まではできないかもしれない」などと申していた息子だったが、土日をはさんだ週明けから春休みに突入するまでの1週間、毎日最初から最後まで、つつがなく登校し、帰宅すると、学校での様子を楽しそうに伝えてくれたのだった。「学校に行ってみよう」と息子が思えるきっかけとなった、N先生の寄り添い出典 : 年生の中盤過ぎから始まった息子の不登校生活は、3年生のラスト1週間で、ひとまず終わりを迎えた。ここで私の頭に疑問が浮かぶ。そもそもどうして「学校に行ってみよう」と息子は思えたのか。本人に質問をしてみたところ、このような答えが返ってきた。「(担任の)N先生、学校に来てねみたいなことを一度も言わなかったから」そうなのだ、N先生は「息子さんの顔が見たいのでお構いなく」とおっしゃって、ほぼ毎月わが家にご足労くださっていたのだが、ただの一度も登校を促すような発言はなさならかったのだ。2年生のころ、当時の担任の先生が、クラス全員からの手紙を持って、わが家にいらしたことがある。「早く学校に来てね」との旨の内容がそれぞれの文字と言葉で綴られていたそれに、息子は一瞥もくれなかった。「あなたはこんなに必要とされているんだよ」ということを伝えたい、先生の愛情と善意であることは理解できる。でも、そこに息子はいないのだ。学校に行くことが辛くてたまらない息子の気持ちが、まるで「改めるべきもの」として扱われているように、私には見えてしまったのだ。「助けてってお願いしているのに、無視されているような気持ちになった」と、後日息子も述べている。「N先生って、元気?とか、最近好きな遊びはある?とかは聞いてくるけど、学校に来てねとかは言わなかった。なんかそれが、こっちの気持ちを大事にしてくれているように思えたから」思いやりや寄り添いは、なにも気遣うような優しい言葉をかけることだけではない。言葉少なであるからこそ、自分が尊重されていると感じられることは、大人にだってある。イソップ寓話『北風と太陽』を私は思い出し、次年度もN先生が担任であったらいいなと願いつつ春休みを迎えた。いや、担任がどなたになるかという話の前に、休みが明けたら「やっぱり学校に行きたくない」と息子が言い出す可能性は、なきにしもあらず。心の準備を、私はした。《次回に続きます》
2019年06月25日小学校入学直後から、息子の様子に気づいていた先生からのサポートUpload By かなしろにゃんこ。小学校に入学してすぐの頃から、先生は息子の様子や特性を見て「この子はきっと発達障害がある」と気にかけてくださっていた気がします。当時、机に座っていられない、授業中に絵を書く、体育の授業は床で寝転がるなど、誰が見たって「この子変わってる!?」と思うような行動が多かった息子。そんな息子を先生はサポートしてくれていました。私には「お子さん発達障害がありますよ」と直接伝えられてはいませんでしたが、今思うと個別支援計画も作っていただいていたように思います。Upload By かなしろにゃんこ。先生は短期目標を作って、息子がいつでも思い出せるように机に貼ってくれたり、頻繁に声かけをしてくれたりと、達成に向けたサポートをしてくれていました。目標は「ランドセルをロッカーにしまえる」や「1時間座っていられる」など、その当時の息子の状況に合わせて、無理なく設定されたものでした。担任の先生や補助の先生が息子をじっくり観察して、スモールステップで取り組める、「(少しのサポートや配慮があれば)できる目標」を立ててくれていたのだと思います。そして、目標にしていたことができると「できましたね!」と褒め、できたねシールを貼るポスターを用意するなど、本人が達成感を感じられるような働きかけもしてくれていたのです。息子の様子、家とは違う!?こまめに先生が教えてくれたUpload By かなしろにゃんこ。先生からは普段、学童保育のお迎えなどでたまたま会った際にまとめて息子の様子を報告してもらい、息子がいけないことをした場合は都度お電話で報告をもらっていました。他にも連絡帳に先生がお手紙を書いてくれたりもしました。ちなみに、連絡帳を持ち帰るのをほぼ忘れるADHD息子。先生からの連絡を見られるのは10日に1回程度でした。どうしても伝えないといけない内容のお手紙は、先生自ら息子のランドセルに入れてくれるのでした。先生優しい…♡また、面談の際には、他の子と同じようにできないことについても親が焦らないように、「少しずつできるようになればいいです」と伝えてくれたり、できないことについて否定的に感じないように「みんなも同じです、できないことはあります」と言ってくれたり…「お母さんの育て方は間違っています!」という言い方は一度もなく、励ましてくれました。それまで息子が他の子と同じようにできないことを知らなかった私は、先生との面談や連絡帳に書いてある息子の様子を読んで「アレ…アレレ…」と集団生活や授業参加がうまくいっていないことを知っていったのでした。先生から伝えられることの9割は耳が痛いことばかりですが、家にいるときの息子と集団生活の中での息子は違う、いいことも悪いこともすべて含めて息子を知るために先生との情報交換は必要なんだ…と思うことにしました。信頼できる先生からのすすめで、はじめての教育相談へUpload By かなしろにゃんこ。3年生のときの担任の先生との夏の面談で、「うちの子って考え方が幼いんですよ…」と相談したところ、「そうですね…リュウ太くんは他の子よりも心の発達が遅いのが気になりますね」と教育相談所での相談を勧められました。先生との連携が日頃からうまくとれていたこともあって、「ああ、そういう場所で相談する方法もあるんだ~」と先生の勧めに素直にうなずくことができました。Upload By かなしろにゃんこ。担任の先生は教育相談所の連絡先を教えてくれたり、発達が気になる子の情報誌を貸してくれたりと、息子だけでなく母である私のことまでサポートしてくれました。おかげで教育相談所に繋がることができて月に2回、午後2時から相談の時間を設けてもらいました。教育相談に行く日は息子は給食を食べたら学校を早退するようにして、先生にも協力してもらい、出かける時間に息子を送り出してもらっていました。教育相談では息子は自己肯定感を育てる遊びにのびのびと取り組み、私はカウンセリングを受けました。教育相談所に行く前は、「あなたの育て方が悪い!」と怒られたりしないかしら…と少し不安もありましたが、そんなことはまったくなく、カウンセリングを通して発達が気になる子どもとの接し方を教えてもらったり、なかなか勇気が出なくて避けていた児童精神科の受診を勧めてもらったりしたのでした。こうして学校の先生の勧めで教育相談に行ったことが発達障害の診断を受けるきっかけとなり、私は息子の特性と本格的に向き合うことになっていったのです。Upload By かなしろにゃんこ。お互い気持ちのよいやりとりで連携するため、親の私も心がけをもし、担任の先生と折り合いが良くなかったり、報告・相談がうまくできない関係だったりしたら、診断はもっと遅くなり親子で困って抜け出せなくなっていたかもしれません。特性はありながらも、将来に向けて頑張っている息子の成長を見るにつれ、先生が丁寧なフォローをしてくれたおかげだと、小・中学校で息子の担任になっていただいた先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。先生といい関係を築いていくためには、私自身も心がけていたことがありました。まず、私から先生や学校に言いたい事は、腹八分にすることにしていました。息子がクラスメイトに迷惑をかけることが圧倒的に多いですから。トホホ…。そして、お話しするときは感情的にならないよう気をつけていました。親にイヤな言い方をされたら、先生だって生徒を可愛いと思えなくなってしまうと思ったのです。先生とのコミュニケーションでこの2つを気をつけていたことで、先生も息子の話を保護者に話しやすい・支援の提案もしやすい、と感じてくれていたと思います。臨時に家庭訪問を設定し、家での様子を見に来てくれる先生もいました。また、息子がいじめにあっている場合は、日頃の情報交換の報告相談とは別に、改めていじめの問題として相談することにしていました。ただ、いじめの問題だけは感情的に話してしまいますね…。一度だけ先生に噛みついたことがありますが、申し訳なかったな~と反省しています。あの頃を振り返って…先生との連携があったから、学校での息子の様子を知ることができ、必要なサポートに繋がっていくことができたと感じています。
2019年06月24日サンちゃん、食べ方を工夫する4歳ごろ、麺をすすることが出来るようになったサンちゃん。ちゅるちゅるっと麺が口に吸い込まれていく様が見ていて爽快で、母はとても好きでした。しかし、しばらくしてサンちゃんは麺をすすらなくなりました。どうもその原因は、麺ではなく麺とともについてくるアレだったようです。さて、サンちゃんはアレを回避すべく新しい食べ方を考えたようですが…Upload By たなか れもんUpload By たなか れもんUpload By たなか れもんちなみに、汚れた手はすぐにふきたがってテーブルにこすりつけたりするので、目下お手ふきでふく練習中です!2019年6月28日発売、たなかれもん初の著書『つま先立ちのサンちゃん』。サンちゃんと弟のワッくん、ママ・パパの4人の毎日が描かれています。描きおろしの漫画に加え、療育園の仕組みなども紹介されています。監修は小児科医で医学博士の平岩幹男先生。
2019年06月21日前回までのお話発達障害がある娘の進路、どう探す?どう選ぶ?何も分からないままスタートしたのは、小学5年生のときでした。地域の中学校の通常学級、特別支援学級、通級を見学。また、私立中学も検討しました。公立中学通常学級に進学してからは、高校以降の進路として、専修学校や単位制高校、特別支援学校の見学もしました。居場所がない中2の5月ごろ、娘は「数学の授業が難しくて辛い。あと優しい先生の授業のとき、男子が授業中に紙飛行機を飛ばしたりして騒ぐのが耐えられない。特別支援学級に移ろうかなと」という言葉を口にするようになりました。また一方で「本当は皆と一緒にいたい。薄々は気づいてはいるんだけどさ、『皆と違う』って言われると涙が出る」と涙ながらに語りました。娘の気持ちは日々大きく揺れていました。体育祭に向けた集団競技の大縄跳びやムカデ競争の練習がスタートすると、娘は腹痛や頭痛など体調を崩しはじめました。私の「練習も体育祭当日も休んで良いよ」という言葉に、娘は「それじゃサボリでしょ」と聞く耳を持ちませんでした。登校してもずっと保健室で休んでいる、8時に登校して8時30分に体調不良で早退する、そんな状態にも関わらず娘は毎日学校に通おうとするのです。体育祭が終わっても定期テストが終わっても娘の体調は良くなりませんでした。ある日のこと、娘は堰を切ったように自分の気持ちを口にしました。「自分で自分のことが分からない。クラスに居場所がない。友人関係がめんどくさい。友達が欲しいとも思わない。理解者も心を開く相手もいない。泣きそう。楽になりたい。私うつかな?」娘は過去にも学校行事の前などに体調を崩すことがありましたが、このときの娘はそれまでとは明らかに様子が違うようでした。私は学校と学習支援を受けていたNPO法人に娘の様子を伝えました。自ら特別支援学級へ娘は自ら学校の先生に「通常学級の教室にいるのが辛いです。でも保健室や相談室で一人ぼっちで過ごすのは嫌です。居場所としての特別支援学級を利用したいです」と伝えたそうです。学校は緊急措置として期間限定(※)で、特別支援学級に娘の机を設けてくれました。娘は通常学級の教室が騒がしくて辛いと感じたとき、通常学級のプリントを持参して静かな特別支援学級の教室で自習をしました。また可能なときは特別支援学級のカリキュラムにも参加しました(これは娘が中学の特別支援学級がどのようなものか知る良い機会になりました)。※1週間毎に振り返りをし、今後の事を考えていくというスタイル。通常は学年途中での在籍学級の変更はできませんが、娘の体調を踏まえ、緊急措置として対応してもらいました「積極的な休み」に理解のある学校娘が通っているNPO法人は学習支援の他に余暇支援も行っていて、娘にとって“居心地の良い居場所”になっていました。また同世代の子どもの「グチ会」なども開いていて、娘のストレス解消の場にもなっていました。そのことを知っている学校の先生方は「毎日学校に通うのが辛いなら週に1、2回早退や休みを取ってNPO法人などで英気を養うのも良いと思います」と『積極的な休み』に理解を示して下さいました。娘は金曜日は学校を早退し、NPO法人で過ごすことにしました。しばらくすると娘は私に特別支援学級の生徒や自分の障害について私に質問をするようになりました。Upload By 荒木まち子娘は“障害の専門書”から“親の手記”に至るまで通級やNPO法人、病院の待合室に置いてある“障害についての本”を片っ端から読んでいるようでした。娘の様子を見て私はそろそろ本人への障害の告知が必要だと感じたのでした。本人への障害告知学校内に居場所(避難場所)ができると、娘は少しずつ落ち着きはじめ通常学級で授業を受ける時間も徐々に増えていきました。授業に出られなかった分の勉強は、学校の夏期補習やNPO法人の学習支援で補うことができました。夏休み明け、娘はまだ所属に悩んでいるようでした。それでも「どうしたら良いのかはまだ分からないけど“過保護”は嫌だから、親には口を出して欲しくない」という娘の言葉から、親以外の相談先ができはじめていることを私は感じました。娘が落ち着いてきたこと、告知後の学校のフォローアップ体制ができていることを確認した上で、主治医は9月に本人への障害告知をしました。医師は障害の説明だけでなく、娘の長所やどのようにしたら困り感を減らせるかなどを“娘に分かりやすいように”説明してくれました。告知を受けた娘は「自分の事を理解してもらえてうれしかった」と言って喜んでいました。その後、娘は殆どの授業を通常学級で受けるようになりました。PC検定にチャレンジしたり、学校の文化発表で有志ダンスショーを企画したりと、娘の気持ちが前向きになった様子がうかがえました。そして自分に自信がついた娘は、当初考えていた特別支援学級への移籍について悩みはじめました。 特別支援学級ではなく、通常学級所属のままでいいのではないか、と。でもこの安定が「辛いときに受け入れてもらえる場所があるという安心感ありき」であることは本人もじゅうぶん理解していました。気がつけば、もう季節は先輩お母さんが言っていた“志望校を決めておくべき中2の秋”になっていました。クリエイティブスクールD高校特別支援学級を避難所として一時利用している間も、私たちは引き続き高校探しや見学を続けていました。私の住む地域では東京都のエンカレッジスクールと似た取り組みをしている「クリエイティブスクール」が数校あります。クリエイティブスクールは、中学校までに持てる力を必ずしも十分に発揮しきれなかった生徒を積極的に受け入れている公立の学校です。自宅から一番近いクリエイティブスクール、D高校では地域住民の協力のもと週に1回、学校の図書館内でカフェを開催するなど画期的な取り組みも行っていました。私はD高校に電話をして娘の状況を説明しました。担当の先生によると「発達障害に対する特別な配慮は行っていない」とのことでした。娘にD高校の話をすると「D高校の生徒を駅で見かけたことがあるけど、髪型とか服装とかすごく自由な感じだよね。私はルールがきちんと決められている学校のほうが自分の性格に合っていると思うんだよね。だからD高校は私には合わないと思う」私はふと思いました。娘が言う「合う」「合わない」は私が思うものと少し違うのかもしれない。私は学校を選ぶとき「障害に対する配慮があるか」や「娘が安心できる居場所があるか」に重点を置いていました。でもきっと今の娘には「そこに通う生徒と友達になれるか」「そこで友達と上手くやっていけるか」の方が大切なのでしょう。もちろん勉強もしたいのだろうけど、長い間「自分を理解してほしい」「一人ぼっちが嫌」と訴えてきた娘にとって、そこが一番ポイントとなるのは当然の事だったのかもしれません。D高校の見学は、娘が乗り気ではなかったこともあり、行きませんでした。揺れる気持ち娘が学校生活で一番の望んでいるものって何だろう?今まで候補として見学してきた学校は、実のところ親目線で選んではいなかったかしら?特別支援学級に入級するかしないか、娘の気持ちが揺れ動くのと同じように、親の学校選びの基準も振り子のように揺れ動くのでした。次回はそんな私たちの進路選択を決定的にした出来事について書こうと思います。
2019年06月20日「はじめて履いた靴」へのこだわり『発達障害に生まれて』(松永正訓著/中央公論新社)ノンフィクションのモデルとなった立石美津子です。どんなにかわいいわが子であっても、子育てには苦労はつきもの。自閉症など障害のある子の子育ては、その特性からさらに大変なことが多くあります。その一つがこだわりに付き合うことではないでしょうか。Upload By 立石美津子「僕が歩き始めたとき、人生で最初にお母さんが買ってくれた僕の靴。それは10㎝のベージュ色の可愛い靴でした」何だか歌の歌詞のようですが、そんな淡く美しいものではありませんでした。「これが靴という物だ」と本人は思ったのでしょう。それを履くことが心地よくなります。そこまではOKでした。ところが、毎日これを履いていることで次第にパターン化し、「このデザイン以外の物は僕は受けつけません!」となってしまい、こだわりが誕生しました。息子が、1歳のときのことです。まさか、はじめて買ってやった靴にここまでこだわることになるとは…買った当時は想像もしていませんでした。10.5㎝に。足が少し大きくなったけれど…Upload By 立石美津子しばらくの間、10㎝の靴を履かせていましたが、成長と共にきつくなってきました。そこで全く同じ色、デザインの10.5㎝の靴を買ってやりました。ここで私が違うデザインのものを与えていたら、結果は違っていたのかもしれませんが…たまたま私が同じ靴を続けて買ってしまったことで完全にパターン化し、「この靴でなければならない」となってしまいました。11㎝の靴を求めて子どもの足はドンドン大きくなります。10.5㎝の靴も次第にきつくなりました。そこで、同じ店に買いにいったところ、同じデザインのものはありましたが、11㎝の青色の靴しかありませんでした。それを買い、家に帰って履かせようとしたところ断固拒否、火のついたように泣き叫びました。翌日のお出かけのとき、ベージュの靴を見せて「これはもうきつくなったから、今日からははかないの。青いこっちの靴よ」と言い聞かせましたが通じず、暴れて履いてくれません。仕方なくきついベージュの靴を履かせたら機嫌が直り、きつい靴を履いて出かけました。私はメーカーに問い合わせし、他の靴屋に行き、サイズ違いの11㎝、11.5㎝、12㎝の同じデザインのベージュの色を買い置きしました。生産終了!さあ、どうするところが、息子の足がさらに大きくなり、12㎝ではきつくなりました。メーカーに問い合わせると、すでに生産は終了したとのこと。仕方なく、少しでもデザインが似ている色もベージュの物を買いました。ところが、前と同じく断固拒否!でも、私が頑張ってもないものはなく、その靴を用意することはできません。息子がどんなに暴れても、自傷しても、どうしてやることもできません…。お気に入りの靴はきつくなってしまっているので、息子はかかと部分を潰し、サンダルのような履き方をするしかなくなってしまいました。ゴミ箱に捨てた!?でも、これではやはり歩きづらかったのでしょう。ある日、ふと台所の生ゴミ用のゴミ箱を開けてみたら…そこに“ベージュの12㎝のこだわりの靴”が捨ててありました。私が捨てたのでもなく、本人に「捨てなさい」と命じたわけでもありません。自分で納得して、捨てたのです。「ああ、自分で自分をやっと納得させたんだな」と思いました。捨てた場所は「生ゴミ」のゴミ箱でしたが、それをとがめることはせず、「履けなくなったから、辛いけど自分で捨てたんだね」と褒めました。どんなデザインの靴でも受け入れられるようにこのことがあってからは、靴に関しては足が大きくなって違うデザインになっても、受け入れてくれるようになりました。今、振り返ってみると、洋服については衣替えのときは苦労したものの、それ以外は「ボタンが付いているものはダメ」というくらいで「この服でなければ着ない」というこだわりはなく、与えたものをすんなり着ていました。私は、息子の靴へのこだわりにばかりスポットを当ててしまい、必要以上に悩んでいたのかもしれません。あれだけこだわっていた息子自身、成長する中で折り合いをつけ、どんな靴でも履けるようになりました。子どもが幼いころには周りが“本人のこだわり”に応じてやり「お母さんは僕の嫌がることはしない」「自分に心地よいことを周りが認めてくれる」「大人は自分を守ってくれる人間である」このように安全基地を脅かさないことで、幼いころ、安心できる日が続くと大きくなったとき、我慢もできるようになるのだと、今は思っています。Upload By 立石美津子27.5㎝の靴を見てUpload By 立石美津子どんな靴でも履けるようになった今…「僕が歩き始めたとき、人生で最初にお母さんが買ってくれた僕の靴。それは10㎝のベージュ色の可愛い靴でした」ようやく、はじめての靴は懐かしい思い出となりました。現在、18歳の息子の足のサイズは27.5㎝。大人の男の、少しすっぱい臭いがする靴が玄関に並んでいます。
2019年06月18日やればできるけどものすごく疲れることってどういうこと?出典 : 私が仕事をする中で取り組んでいることは、いつも自分が得意なことや、逆に特性ゆえに苦手なことばかりという訳ではありません。むしろそのどちらでもない部分を求められることがよくあります。その中でも「もともと得意ではなかったけれど社会人になってから何とか身につけた能力」を使う仕事をしているとき、ものすごい疲労感を覚えます。私にとってのもともと得意ではなかったことというのは、「あいまいな状態が長く続くような状況」や「それまで全く想像もしていなかった相手の気持ちを想像すること」をさします。これらは社会人になってから仕事をする中で繰り返し取り組み、少しずつ対応できるようになりました。しかし、同じような仕事を得意な方法で進めるときと比べると、体感で3倍近く時間がかかっているように感じるほどです。そんなときには、自分としてはあまりうまくいっていないように感じることも多いのですが、周りからはそれなりによくできているように見えるらしく、思いのほか高く評価される場合もあります。そのためこの状況を他人から問題視されることはありませんが、自分にかかる負荷は普段より大きく、なるべく避けたいと思っています。自由度が高すぎる状況が疲れる出典 : 一番最初に浮かぶ、私がやればできるけれどとても疲れる仕事というのが「自由な状況で好きに進めていい」仕事です。「自由に進めていい」と言われると信用してもらっているんだなと感じるのでうれしくはあるのですが、「あいまいな状態が長く続くような状況」が苦手な私にとっては、進める上でまずその状況を整理していく作業が必要となります。そのため、仕事を進めるにあたっての労力がいつもよりも余計に必要になるのです。いろいろな状況をシミュレーションして頭の中でトライアンドエラーを繰り返してしまい、労力のわりになかなか前に進まない状態が続いてしまいます。例えば以前、新しいシステムを作るときに、リーダーから「全部凸庵さんの好きに作っていいよ」と言われたことがありました。システムエンジニアがシステムを開発する際には、どこで動くようにするか(スマホアプリ・webページ・PCにインストールするソフト など)、どういうツールを使って開発するか、どんなプログラミング言語(システムの動きを記述するためのもの)を使うかなど、決めなければならないことが山ほどあります。「このシステムはwebページで使われる」「androidアプリとして配布する」というような制約事項が先に決まっていれば開発は進めやすいのですが、作るものだけが決まっていて、そこに向けての手立てが何も決まっていないような場合には、すべて自分で決めていく必要があります。このときは、あらゆる状況を想像して、一つひとつの制約をじっくり決めていきました。社会人になり仕事をしていく中で、苦手なあいまいな状況の中では自分で条件を付けて状況を整理していくことで、業務が進めやすくなることを経験から習得していたため、このときもなんとか完成させることができました。しかし、普段の業務と比べてかなりの労力を使い、非常に疲れる経験でした。あいまいな状況が苦手な上に、「えいや!」で理由なく物事を決めることができない性格や特性も災いして、細かいことでも何かしら理由をつけて最善を選ぼうとしてしまうことが、こうした自由度が高い環境で私が「やればできるけれど疲れる」大きな原因なのだと思います。日常生活に置き換えると、今日の晩御飯何がいい?と家族に聞いて、「なんでもいいよ」と言われ、さらに今日は食材も調理器具もなんでも揃っている、というような状態がかなり近いかなと思います。人によっては苦もなくメニューを決めることができるかもしれませんが、私の場合、栄養面・味付け・最近食べたもの・使いたい調理器具・ガスかIHか... など、いろいろなことを考えて、決めるまでにかなり疲れてしまうのです。利害関係者に仕事を依頼することが疲れる出典 : また別のシステム開発では、他の部署の人に仕事をお願いしながら、共同で進めなければいけないこともありました。その際に私が非常に疲れたのは、コミュニケーションの面です。最初に述べたように「それまで全く想像もしていなかった相手の気持ちを想像すること」が苦手なので、このような仕事は苦手だとわかっていたのですが、当時のチームメンバーが全員「他チームとのやり取りを担当したくない」と言っていたため、仕方なく私が担当することになりました。私は直観的にひとの気持ちを想像することがとても苦手です。そのため、普段相手の気持ちを想像するときは「このひとならこういう考え方をするから、この状況ではこう思うだろう」というように、そのひとの思考をシミュレーションして何とか対応しています。このときは、相手に快く動いてもらえるようやり取りをする必要があったため、普段の業務では関わっていなかったひとたちに対して、このシミュレーションをかなりの回数行う必要がありました。うまくお願いした仕事をこなしてもらわないと、プロジェクトが頓挫してしまうため必死でした。数か月後、無事に他部署との連携のもとシステムをリリースすることができ、上司や同僚からも感謝されましたが、苦手なコミュニケーション方法を繰り返していたため、私自身はかなりしんどかった記憶が強く残っています。正解がわからない中で進めなければならない状況が疲れる出典 : あいまいな状況が苦手な私ですが、普段の業務に加えて管理職になって多くなってきたのが、誰も確実な正解を持っていない仕事です。例えば社員の誰かが何かトラブルを起こしてしまったときなどがそれにあたります。そのトラブルをどう収めるのが最善なのかはケースバイケースなので、その都度状況に合わせて判断していく必要があります。経験豊富な方にとってはおおよその正解パターンと道筋が見えていることもあるのかもしれませんが、私は管理職としての経験がまだ浅いためか、毎回じっくり考えて対応する必要があります。考えるといっても数学の答えやプログラムのバグの原因のように絶対的な答えが用意されているようなものではないので、状況を整理しながらおおまかな方針を立て、状況をみて修正しつつ進めていくことになります。日常の中では、例えばお子さんがいたずらをしてご近所さんに迷惑をかけてしまった状況を想像してみてください。お子さんにはどのような内容や話し方で言い聞かせたらよいか、ご近所さんへの謝罪はお菓子を持って行くべきかどうか、すぐに行くべきか少し時間を置いてからが良いのか...などなど、相手や状況によって対応方法はさまざまですよね。どんなやり方でも、効果があるかもしれないしよくない結果になるかもしれない。よさそうな方法はあるが、絶対にうまくいく確証はない。そういう状況が、私が疲れる「明確な答えがない状況」になります。"目的"に沿うようなルールや手順を自分なりに設定することで、あいまいな状況の中での仕事もこなせるようになっていますが、人的なトラブルのように明確な答えがない状況は、普段頼みの綱にしている"目的"が状況によって変化することもあるため、何度もやり直さなくてはなりません。愚直に繰り返していけば何とかこなしていくことはできるのですが、やはりかなり負荷がかかっているのか家に着くとグッタリしてしまいます。普通にやっているように見えることが、そのひとにとってすごく大変なことかもしれない出典 : 自分としては何とかこなしていることが他の人からは普通にこなしているように思われてしまうというのは、発達障害のあるなしにかかわらず実はよくあるのではないかと思っています。今回書いた内容は仕事の話がメインでしたが、仕事に関することだけでなく日常生活でもそれなりに起こっていることだと感じています。私が「あれ?これなんかすごい疲れるな」と感じるようになったのは、社会人になって数年たってからのことでした。気づいてからは、上司や同僚に対して「自分はこういう仕事がしんどいから、途中で相談することが多いかも」と話してから仕事をするようにしていますが、子どもの頃や社会人になりたての頃は、自分がなぜ疲れているのかわからないことも多くありました。もしかしたら自覚するのが難しいことなのかもしれません。なので、おそらく発達障害のあるお子さんから「自分はこれをやると疲れる」と言ってくることはあまりないのではないかと思います。もし無事にこなせているように見えたのに、そのあとグッタリ疲れているような様子を見たら、本人に「実はアレ結構疲れる?」「アレあまり好きじゃない?」なんて聞いてみるのもいいかもしれません。本人がそれまで気づいていなかったらそのときはじめて考えてみて、どうだったか教えてくれるのではないかと思います。また、もしかしたらあなたの周りで普通に何かをこなしているように見えているひとの中にも、実はかなりしんどい思いをしているひとがいるかもしれません。他のものごとと比べて明らかにしんどそうな顔をしていたり、どうも時間がかかっているなと感じることがあったら、軽く一言かけてみていただけると、本人としても楽になるのではないかと思います。そしてもし可能であれば、本人がしんどいと感じている部分をフォローしていただきたいと願っております。
2019年06月17日千葉県 児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報子どもたちの「未来」のために、その子が生まれてきた「家族」、生きていかねばならない「社会」へも架け橋となりたい。それが「BRIDGE」に込められた想いです。BRIDGEでは、ビジョントレーニングをはじめとした身体発達トレーニング、教材や教具を使った認知発達トレーニングと学習支援、心の成長を支援するパーソナルトレーニング、この3つを柱として支援を行っています。また、保育所での困り感を直接支援する、保育所等訪問支援が大変好評で、さまざまなセラピストが状況に応じて訪問を実施しています。千葉県の児童発達支援事業所をもっと見る大阪府 放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報コペルプラスは、発達にでこぼこのある子どもたちの、自己肯定感を育むことから始めることが特徴です。「より良い自分になりたい」という本能的な欲求を大切に、できないことの訓練ではなく、楽しい遊びを通して内なる能力を引き出し、「できることが増えるのは世界が広がること、楽しいことが増えること」を合言葉に、子どもが自ら幸せになる姿をめざしています。また、コペルプラスでは子どもの成長、ニーズに合わせた教材を使用しており、個別療育、集団療育も特性に合わせて行っています。6月1日に新規OPENし、現在見学・体験療育を随時受け付けています。大阪府の放課後等デイサービスをもっと見るいかがでしたか?気になる施設がありましたら、「~のページをもっと見る」のボタンを押すと、より詳しく施設の情報を見ることができます!「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせができます。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができるので、ぜひお住まいの地域のページをチェックしてみてください。
2019年06月14日【フォーラム】ディスレクシアへの支援を広げようーー「アジア太平洋ディスレクシアフォーラム2020in岡山 プレイベント」Upload By 発達ナビニュースディスレクシアの人々への教育や支援は少しずつ整備されつつありますが、まだまだ浸透しきってはいないーー多様な歴史・文化・文字などの背景を持つ人々が集い、教育的な支援、指導を共有して、誰もが活躍できる社会を目指すことを目的とし、2020年に岡山にて、「アジア太平洋ディスレクシアフォーラム」が開催されます。それに先立ち、ディスレクシアの啓発や支援の普及、また本フォーラムの開催についての理解を広めるためのプレイベントが、昨年に続き今年も開催されます。6月29日に開催される今回のプレイベントでは、実際にディスレクシアの方に支援を行う専門家たちのトークセッションや、中高生によるICT活用実践についての発表、教育現場での合理的配慮に関する講演など、現在国内で実践されている支援について多くの情報を得ることができます。適切な支援を広げていくため、現状をたっぷり学べるプレイベントに足を運んでみてはいかがでしょうか。【日時】2019年6月29日(土)10:00〜17:00【会場】岡山大学教育学部本館4階401号室(岡山県岡山市北区津島中3丁目1番1号)【定員】200名【対象】 教員・支援者・保護者【入場料】 18歳以上 1,000円【主催】アジア太平洋ディスレクシアフォーラム2020 inおかやま実行委員会【お問合せ】 APDF2020 in おかやま実行委員会TEL:090-7594-2523大変、だけど"ごきげん"に生きるには?当事者パネラーたちが語り合う『発達障害ごきげんサミット』Upload By 発達ナビニュース特性や生き方もさまざまな発達障害のある人たち。発達障害について、「ごきげん」という切り口で、当事者たちがトークを繰り広げるイベントが開催されます。発達障害について語られるとき、生きづらさや、飛び抜けた才能を発揮するギフテッドの人ばかりが注目されがちですが、恋愛・仕事・趣味・育児など、日常生活を送るなかでのおもしろいところもたくさんある。そのおもしろい部分も広く知ってもらうことが、生きやすい社会づくりの第一歩になると考え、当事者のパネラーたちが自分たちの経験をぶっちゃけトークします。ASD、ADHD、LDなどの特性があるパネラーの皆さんは、書籍出版、フォトグラファー、トランペッター、絵本作家などさまざまな活動を行っています。個性的なパネラーたちのトークを聞いて、当事者もそうでない人も、発達障害のある人が生きやすい社会について、肩の力を抜きながら考えられそうです。【日時】2019年6月15日(土)12:56〜15:00【会場】MANDA-LA2(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-8-6第18通南ビル地下)【価格】3,000円(税込)+1ドリンク※小学生以下のお子様は無料【主催】ごきげん委員会【お問い合わせ】gokigen.summit@gmail.com【イベント】ステージに立つ一人ひとりがキラキラ輝く!スペシャル・ビューティー・ジャパン2019Upload By 発達ナビニュースビューティーコンテストは障害のある人には関係がないもの...そんなイメージをもつ人も多いのではないでしょうか。スペシャルビューティージャパンは、知的障害や発達障害のある子どもや若者が参加する、ビューティーコンテストです。山野美容学校の学生のサポートによりヘアメイクやドレスアップを行い、いつもと違う自分に変身した参加者たちがステージに立ちます。当日は、参加者によるランウェイウォークやインタビューセッション、出場者の中から選抜されたメンバーによる自己アピールコーナーなどのプログラムが予定されています。メイクや服装でキラキラ輝くのはもちろんですが、日常とはちょっと違う経験を通して新しい自分に気づいたり、「自分にはできる」と自己肯定感を高めたり。そんな参加者たちのステージを、ぜひ応援しに行ってみてはいかがでしょうか。大きなステージで自分を表現する姿には、見ている側も勇気をもらえそうですね。【日時】2019年6月30日(日)15:00開演【会場】YAMANO HALL(山野美容専門学校内)東京都渋谷区代々木1-53-1【チケット】S席¥9000 A席¥7000 B席¥5000※詳細はホームページをご確認ください。【主催】一般社団法人マイノリティー交流協会 Beauty Japan ホームページ少し早い夏休み向け企画で、プログラミングを体験!「LITALICOワンダーサマースクール2019」Upload By 発達ナビニュースあと1ヶ月もすると夏休みの時期になりますね。LITALICO発達ナビを運営する株式会社LITALICOでは、「LITALICOワンダー」というIT×ものづくり教室を運営しています。プログラミングやロボット、デジタルファブリケーション(※)といった、テクノロジーを活用したものづくりの機会を提供しているLITALICOワンダーで、一足早い夏休み向けプログラムとして、「サマースクール2019」を開催します!(※)デジタルファブリケーション:デジタルデータをもとに創造物を制作する技術のことである。3Dスキャナーや3D CADなどの測定機械により、自分のアイデアや個人の身体データ等をデジタルデータ化した上で、そのようなデジタルデータを3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル工作機械で読み込んで造形する。参考:デジタルファブリケーション | 総務省LITALICOワンダーのコースを、好きな時間に好きな回数受講できる特別なプランです。ゲーム&アプリプログラミングコース(小1~高校生)、ロボットクリエイトコース(年長~小3)、ロボットテクニカルコース(小3~高校生)、デジタルファブリケーションコースなどさまざまなコースがあるので、年齢や興味に合ったものづくりを体験することができます!一人ひとりにあわせたペースで授業を進めて行くので、プログラミングがはじめてのお子さまでも安心して参加できます。お子さまの新しい「好き」や「得意」を発見できるかもしれませんね。開催されているコースや対象年齢などは教室によって異なるため、詳細はお近くの教室にお問い合わせください。【申込】2019年7月12日(金)24:00まで※チケットの使用期限は2019年6月19日(水)〜2019年8月18日(日)【場所】LITALICOワンダー渋谷教室、青山教室、池袋教室、川崎教室、横浜教室、桜木町教室(住所はホームページよりご確認ください)【金額】1回チケット:7,560円(税込)、5回チケット:32,400円(税込)、10回チケット:54,000円(税込)【対象】年長、小学生(1年生~)、中学生、高校生 ※簡単な日本語でのコミュニケーションが可能なお子さん
2019年06月13日先行き不安だった、2人の育児広汎性発達障害の小学校3年生の娘(あーさん)には、2歳の弟(きーさん)がいます。弟が生まれた時は、弟の泣き声に、娘がパニックを起こしたり…弟のイヤイヤと、娘のパニックが同時に起きたり…私が頭を抱えることもありました。しかし、この2人…最近面白いことになってきたんです。Upload By SAKURA「息子」対「父」壮絶バトル勃発イヤイヤ期が少し落ち着いてきた息子ですが、まさにThe男の子!という感じ。遊びも動きもダイナミックで激しく、色々やらかすことが多いです。父親にその行動を叱られた時も、気の強い性格のせいか、意地を張り、素直に謝ることができません。Upload By SAKURA弟の味方、救世主の姉我が家では、いちばん怖い父親と互角に張り合うのは、恐れ知らずの弟だけ。そんな様子を見ていた娘が、慌てて動きました。Upload By SAKURAUpload By SAKURA言葉にならない「んー」を「ごめんなさい」に咄嗟に変換し、叱られている弟を助けようとしたのです。そんな娘に、父親も呆れて怒りを忘れてしまうほど。娘が弟をかばう状況が面白く、思わず笑ってしまいそうになりました。姉の理解者、優しい弟娘の優しさは少し空回りでしたが、そんな思いは弟にも伝わっているようで…。Upload By SAKURAおしゃべりが苦手な娘は、日常会話でもなかなか言葉が出てこず、会話でつまってしまうことがよくあります。しかし、息子は姉の言葉を遮ることなく、話が終わるまでじっと待ちます。姉弟の中で、お互いを尊重した関係を築けていることを、嬉しく思います。姉弟で助け合いながら、毎日を積み重ねて欲しい娘のおしゃべりを見守る息子ですが、娘の支度が遅かったり、間違っていた時は…Upload By SAKURA注意したり、誘導してくれる時もあり、この2人…すごくバランスがいいなと感じました。困っている時には、2人で足りない部分を補い合って、協力して前に進もうとする姿に、頼もしささえ覚えるようになりました。Upload By SAKURA当初はどうなることかと思った姉弟関係でしたが、現状、こんな感じでございます(笑)これからがさらに楽しみです!
2019年06月12日育児日記で気づいた…わが子は梅雨に不調になる!?梅雨の足音がバシャバシャと聞こえてまいりました!季節の変わり目は体調を崩しやすいとは言いますが、発達障害があるとそれがより顕著な気がします。うちの息子と娘はどちらも、特に梅雨のこの時期に不調に見舞われることが多くあります。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ眠れない、起きられない、体が言うことをきかない…!妹いっちゃんはあまり「病気」という状態までになることはないので説明しにくいのですが、やはり「不調」としか言いようのない時期が梅雨のころにやってきます。特に悩ましいのが、睡眠がうまくとれなくなることです。まず、夜眠れなくなります。眠ろうと布団に入るのですが、頭がさえて眠れないというのです。そして当然の帰結ですが、朝起きられなくなります。起きられないといっても通常の寝坊と違い、呼びかけにも応じない完全な"寝落ち"状態。意識があるときでも、起こそうとするとそっくり返って抵抗され、無理に体を立たせたりすると泣きわめいて布団に戻ります。(そしてまた寝てしまう...)起きたとしても大変機嫌が悪く、食欲もありません。そんな状況で起きているときは、たとえ学校に行っても、家でテレビを見ていても、後で聞くと内容をほとんど何も覚えていません。本人もある程度自覚があるらしく、「起きなければ」「学校に行かなければ」と思っているのに、体が言うことをきかないとのこと。ゴソゴソと工作をしたり、ピアノを弾いたりと好きな活動をしていることもあるのですが、それは「いつもの自分」を取り戻すための必死の行動で、決して遊びではないのです。得意なはずのことも思ったようにできないようで「ギーーー!!」と怒声が…。Upload By 寺島ヒロ年を重ねるうちに不調の波は小さくなって…兄のタケルも、幼いころは梅雨の時期に1~2週間寝込んでいました。しかし、12歳ぐらいからだんだんと寝込むことが減ってきました。18歳の今でも梅雨に入るころの2~3日は頭痛と吐き気に悩まされてはいますが、頭痛薬を飲みながら登校しています。妹のいっちゃんも、去年と比べると今年は5月下旬に学校に行けている日数が多くなっています。2人とも成長するにつれて少しずつ不調の波が小さくなっているように感じるので、ある程度は身体の発達を待つという姿勢も必要なのかな…と思っています。朝起きられない!不登校!という事態を目の当たりにすると親も慌ててしまいがちですよね。私もこの時期は寝ている娘を横に、始業時間を指そうとする時計の針をじっと見ています。心中は穏やかではないです(笑)。それでも、育児の記録をつけていたことで「そろそろ来るな」という心づもりができ、だんだん落ち着いて対処できるようになってきたと思います。
2019年06月11日雨の季節、頭を悩ませていた傘問題...Upload By かなしろにゃんこ。梅雨の時期、毎年頭を悩ませていた傘問題。うっかり屋でおっちょこちょいのADHDの息子は、傘を学校から持って帰ることができませんでした。登校の際に「帰りに雨が止んでいても傘は持って帰ってね」と伝えても、雨がやむと忘れ、学校に置いてきてしまいます。下校時に周りのみんなが傘を持ち帰ろうとする姿を見ても、気にもとめません。そのため、梅雨や春雨、秋雨の時期は学校に傘がたまり、家の傘がなくなります。何度言ってもできないのが特性ですから、仕方なく学校に息子を迎えに行くついでに傘を取りに行くことで問題を解決していました。しかし、忙しいときはそうはいきませんし、持ち物の管理は自分でできるようになってほしい、そう思っていました。こんなに壊れる?こんなになくす?原因を探して一つずつクリアにUpload By かなしろにゃんこ。本人は小雨程度では傘を持ちたくないとも言うくらい、傘のことなんて全く気にせず生きているので、低学年の頃は期待しないで親が管理するようにしていました。それでも少しずつ自分で持ち物管理をしてもらうため、傘を持ち帰らない原因を本人にも尋ねてみたところ、単に「持ち帰るのを忘れる」だけではなく、使っていた傘にも原因があることがわかりました。息子は当時黄色い傘を使ってい他のですが、学校の傘立てには同じ黄色い傘がいっぱい。持ち帰ろうと思っても、自分の傘を見つけられなくなってしまうとのことなのです。探すことが苦手な特性もあるので、そのことに気づいてからは、探しやすいように黄色以外の目立つ色の傘にすることで自分の傘が一目で分かるようにしました。そうして自分の傘を見つけることはクリアしたものの、他にも傘に関する問題が。購入したばかりの傘の骨が折れたり曲がってしまったりと、いつもすぐに壊れてしまうのです。「この子は傘の扱いが乱暴だな~振り回したりオモチャにしたりしているのか?」と思っていたのですが、なんと原因は学校の傘立てでした。Upload By かなしろにゃんこ。学校の傘立てにはたくさんの傘が刺さっています。その中から自分の傘を器用に取り出すことができず、無理に引っ張り出そうとするため傘がボロボロになってしまうのです。傘をおもちゃにしていたわけではありませんでした。これに対しては「じゃあ、毎回傘立ての一番端っこに真っ直ぐ立てておくようにしたら?絡まりを防げて取り出しやすくなるよ!」と置き場所と置き方についてアドバイスをしました。「うん、そうする」といい返事はするのですが、なかなか実行はできないみたいで...傘はまたすぐにボロボロに壊れます。「ボクの傘の上に誰かの傘がささってて、抜き取ったら壊れたー!!!」とカンカンに。Upload By かなしろにゃんこ。傘は閉じてから傘立ての端に真っ直ぐ立てようね!と何度説明しても、息子は自分の言い分を押し通して分かってもらおうとするので問題は解決できません。「すぐ折れたり壊れたりする傘の形がいけない」「学校の傘立ての形が使いにくい」「持ち帰るのを忘れることも傘を無くすこともワザとじゃないから」などなど、理由があるからボクが100%悪いんじゃないんだよ!と訴えてくるのでした。「もう傘いらない!」と逆ギレまでする始末。まぁ息子は注意すると毎回こんな感じです、トホホ…(涙)一人で物の管理ができないのがADHDなんだな…と傘については半分諦めモードでした。年齢が上がって...傘問題、折りたたみ傘ですんなり解決!Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。中学に入ってから、黒や紺色の落ち着いた色の傘じゃないと恥ずかしいと言うようになった息子。しかし、それにより今度は勝手に使われたり盗まれたりする問題が発生するように。そこで、少し手先も器用になってきたことだし、と試しに折り畳み傘を勧めてみたところ...これが大成功でした!ビニール袋に入れて水分が漏れない状態で鞄に入れておけば、忘れることも勝手に使われることもない。雑ではあるけれどなんとか袋にしまうこともできるし、傘立てに入れなくなったことで傘が引っかかって壊れることもなくなりました。こうして中学生になってようやく、傘問題が解決されたのです!現在息子は21歳、傘を壊すことなくそこそこ丁寧に扱えるようになっています。人間は成長するんだな~と思わずにはいられません。思えば何本の傘を買ったのだろう…私の傘を貸してあげた物を含めると~えーと数十本はいくな~…遠い目…(笑)私の傘を息子にとられることが無くなった今、やっとブランドの傘が買える~♡
2019年06月10日中学生の発達障害当事者が綴る、心の様子ー『発達障害な私の頭の中。』著者は軽度の自閉症やHSPで、うつ病や不登校も経験している中学3年生です。物事の捉え方や苦手なもの、自分の心の状態や経験談などが自らの言葉で綴られているほか、過去のエピソードを家族とともにどのように乗り越えてきたのかが母との対談によって記されています。味方となって接してくれる周囲の人々への感謝なども綴られており、繊細であたたかい著者の心の様子があらわれています。普通とは何か、いじめをなくすにはどうしたら良いのかなどの答えを出すのが難しいテーマについても、これまで乗り越えてきたことや自己分析を踏まえながら丁寧に考え、綴っています。発達障害やうつ病でつらい思いをしているお子さまに接する大人も、自分自身やクラスの友だちとの関係で悩む子どもも、読むと新しい視点が得られそうです。物語をかくことが好き、という著者。物語の短編集のように、著者の心の様子が詰まった一冊です。生きるのがしんどい...そう感じる環境にいる子どもたちへー『生きる冒険地図』この本は、さまざまな理由で頼れる大人が周りにおらず、「生きるのがシンドイ」と感じている子どもたちのために描かれたものです。手書きの文字とイラストで構成されており、必要なときに必要なページだけ開けばいい、まさに生きるための地図のように使える一冊です。著者は心の不調や発達に凸凹のある親とその家族、子どもたちを応援する活動を行うNPO法人に所属しています。誰かに悲しい言葉をかけられたらどうしたらいい?怖いと感じたときはどうしたらいい?学校生活でピンチのときは...?など、子どもが一人で抱え込んでしまいそうなさまざまな場面について、対処法が柔らかいイラストとともに描かれています。描かれる対処方法はどれもとても具体的ですが、ときには肩の力を抜いて考えられるようなものも。保護者の精神障害や家族の不和で悩む子どもにはもちろん、自分で自分を守りながら生きていくという観点では、今が息苦しいと感じている多くの子どもたちにとってヒントになる情報が詰まっています。心理発達相談に特化した、相談支援のガイドブック『発達が気になる幼児の親面接』子どもたちが特性に合わせた適切な支援を受けるため、またその家族の生活を支えるためにも、心理発達相談は非常に重要です。本書は、相談支援の中でも子どもの心理発達相談支援に焦点を当て、そのポイントをまとめた支援者向けのガイドブックです。子どもたちを取り巻く環境について適切にアセスメントするために重要な保護者のタイプにあわせた面接の進め方や、保育園・幼稚園をはじめとする他機関との連携の際に心がけたい点などがまとめられています。また具体的に子どもの発達に関する相談支援の事例も複数紹介されており、アセスメントや相談支援にあたってのポイントを実践の中でのどう生かしたのかを実例から知ることができます。心理発達相談は、子どもの発達についての正確な理解や家族やきょうだい児への支援、関係機関連携等、幅広い知識を総合して行われます。日頃心理発達相談に関わる人もこれから関わりたいと思っている人も、支援者として必要な技量や考慮すべき観点などを確認する際に活用したい一冊です。パソコンやゲームが大好きなお子さまに!はじめてでも大丈夫『使って遊べる!Scratchおもしろプログラミングレシピ (ぼうけんキッズ)』機械やパソコン、ゲームが好きなお子さまの世界を広げられる、Scratchの入門書が発売されました。Scratchは、マサチューセッツ工科大学のメディアラボ・ライフロングインダーガーテングループの運営するプロジェクトで、無償で利用できるオンラインのプログラミング環境です。本書ではScratchのアカウントを作るところから説明が始まり、「手づくりメッセージカード」「みんなで使える伝言メモ」「Scratch福笑い」など使える、遊べるプログラミングレシピが15作品紹介されています。実際の画面の図に合わせて手順が書かれているので、初めてプログラミングを体験するお子さまや、パソコンがちょっと苦手で教えられるか心配...という親御さまも一緒に取り組むことができます。全編ふりがな付きなので、お子さまが自分で読み進めることもできるかもしれません。夏休みも近づき、まとまった時間で好きなことに思いっきり取り組ませてあげたい!そう考えるご家族も多いのではないかと思います。お子さまがパソコンやゲームが好きなら、親子で一緒にプログラミングに取り組んでみてはいかがでしょうか。
2019年06月07日