注文の多い小学校Upload By アマミモヨリ小学校というところは用意する物が多くておどろきます。Bのえんぴつが必要になったり、カップ麺の空き容器を要求されたり。連絡帳を確認するのはわたしの日課ですが、週末に気がゆるみ、見忘れてしまうこともあります。そんなときに限って月曜日の持ち物が、うちではとっていない「新聞紙」だったりして、朝からコンビニに走るわけです。 そんな物も用意するの?あるとき、連絡帳に「竹ひご」と書いてあってうんざりしました。Upload By アマミモヨリえんぴつやカップ麺、新聞なら家庭にあっても良さそうだけど、「竹ひご」はちょっとちがうのでは──?けれども連絡帳に書いてあるのです。持たせないわけには行きません。お店を2軒まわって、やっと準備しました。それなのに──Upload By アマミモヨリ竹ひごは学校から配布されたのです。え──ッ?どうなってるの??先生に相談しましたUpload By アマミモヨリ担任の先生に相談しました。ヒルマは、それはそれはがんばって、黒板の文字を連絡帳に書き写しているのだそうです。板書だけで手一杯で、先生の補足を聞き逃していたのです。Upload By アマミモヨリそしてこれまで奔走してきた、えんぴつや容器や新聞も、じつは「家にあれば持って来るもの」だったことが判明し、疲労度がさらに増しました。もっと、わかりやすくしてほしい……。連絡帳の持ち物をわかりやすくする方法先生の提案で、持ち物に印をつけてもらえることになりました。◎必ず持って来るもの△未提出など対象者のみ持って来るもの△家にあれば持って来るもの×学校で用意するものこれならわかりやすい!Upload By アマミモヨリこうして、持ち物に振り回されることは激減しました。できることならこの目印が小学校でのスタンダードになって、学年が上がっても引き継がれたらうれしいなぁ。担任の先生が変わるたびに、毎回お願いするのがね、少々心苦しいのです…。
2019年06月03日特別支援学校入学に向けて、療育手帳を取得することに現在、特別支援学校に通う5年生の長男。療育園年長時、就学相談で、特別支援学校に入学するには入学前に療育手帳を取得するようにと説明がありました。それまで療育手帳を取得していなかった長男。手続きについて聞くと、私たちの住む地域ではまず市役所を通してから、児童相談所で発達検査を受けなければいけないとのことでした。自閉症の長男の進学先が特別支援学校になるだろうということは早い段階から考えていたことでしたが、療育手帳を取ることによって、確実に障害があると認定を受けることになる...母である私には、息子の障害をはっきりと社会的に認めることになるように感じられ、正直少しためらう気持ちがありました。複雑な気持ちを抱えつつ夫に「特別支援学校に入学する前に、療育手帳を取る必要があるんだって」と相談したところ、「手帳があることでシュウにとって必要な支援が受けられるなら、申請したほうがいいね」Upload By シュウママと賛成してくれました。夫の言葉に背中を押され、手帳取得に向けて実際に手続きを進めていくことになりました。児童相談所での発達検査。果たして長男は...児童相談所での検査当日。長男の検査の前に、先に母親である私と心理士さんとの面談がありました。洋服を自分で着脱できるか、トイレはできるか、ごはんやお風呂は介助が必要かなどの生活面の確認と、パニックを起こさないか、自傷や他害はないかといった精神面・行動面の確認がありました。そしてその後、長男自身が検査を受けました。まず、心理士さんがいろんな絵の描かれたカードを長男に見せます。そこに描かれた動物や乗り物などについて答える問題でした。長男は自分が好きなものだけ大きな声で答えます。発音が聞き取りにくいので、私が横で「これはひこうきと言っています」と心理士さんに通訳しながらすすんでいきました。ただ、出されるカードのほとんどのものは答えることができませんでした。次は組(対)になっているものを答えよという問題。心理士さんは、えんぴつを指して「これは何かな?」と長男に聞きます。...長男は無言。Upload By シュウママ長男が反応せずとも質問はどんどん続きます。「えんぴつとセットになるものは何かな?」...正解のノートを長男は指せません。検査を終え、心理士さんからはおそらく療育手帳はA判定になるだろうというお話がありました。療育手帳の判定結果、親としての思い後日、市役所に行き療育手帳を受け取りました。やはり判定はAでした。私の住む地域では、最も重い丸Aから最も軽いCまであります。A判定であるなら、特別支援学校に通うには問題ありません。けれど分かってはいたものの、長男が重度の知的障害と認定されることにわずかなかなしさがありました。療育手帳を取得して。長男の育ちに必要な支援が受けられるようにそれでも、療育手帳を持つことで受けられるサポートはたくさんありました。市役所で説明されたのは、特別児童扶養手当があることや、バスや電車での本人と介助者の運賃割引、ガソリン代あるいは車を運転しないのであればタクシーチケットの支給もあるということ。私は車が運転できないので、このタクシーチケットは特にありがたかったです。長男は病院からの帰り道、歩きたくなくて道端で「歩くのイヤ~!」と叫ぶときがあります。そんなときにタクシーを利用するのですが、初乗り分の料金を支払えるチケットは経済的にとても助かりました。自治体によってはオムツが支給されるところなどもあるようですので、お住まいの自治体の窓口等に確認するとよいかもしれません。Upload By シュウママ療育手帳を取得することで、自分のお子さんの障害が公的に認定されてしまう、そのことに不安を抱いている方がいるかもしれません。その気持ちは同じ立場として痛いほど分かります。けれど最初の判定から5年経った今は、手帳の取得は障害のレッテルを貼るためのものではなく、子どもの成長や子どもにとって過ごしやすい環境の整備のために必要なものなのだと感じています。また、判定結果がたとえ重度だとしても、特別支援学校に通いながら長男は長男のペースでゆっくりだけれど着実に成長している。それを親である自分が分かってさえいればいい、それが何より大切だと、そう思えるようになりました。Upload By シュウママ
2019年05月31日コマーシャルとちょっとした宣言このたび、金子書房から新刊が出ます。タイトルは『ADHDとともに生きる人たちへ〜医療からみた「生きづらさ」と支援〜』です。これは、2017、18年の2回にわたり開催した研修会の講演内容を文字化し、大幅に加筆修正したものです。精神科医になった1983年に、僕は診療録に書いた内容を先輩医師のまえで報告する時がありました。報告後、「キミは、書いたものよりも、口頭のほうが、伝わりやすいね」と言われました。果たして本書がそうなっているか、内容について関心があれば、読んでいただければ幸いです。ADHDに関しては、実は、もう一つ、2001年に刊行した、星和書店の『ADHDの明日に向かって』を、ここ1、2年の間に大幅に修正するか、新たに書き下ろさないといけないと思っています。あのままでは置いておけないと思っているのです。僕は、発達障害のなかでも、縁あって特にADHDに関心を抱き続け、ここまで来ました。でも、正直、ADHDに関しては、今でも2001年のあの本を超えたものが書けていないように思っています。これは、悔しいというか、恥ずかしいというか、このままではいけないと思っています。ただ、今の課題は、日々の臨床のなかで、その作業時間がつくれるかどうかです。でもこうして宣言しておくと、これからとぼけることが出来なくなります。これは覚悟です。さて、話は変わって。発達ナビからは、「日々の臨床で感じていること、考えていることを書いてみて」と依頼されました。でも、日々の臨床で感じ続けていることは、いつも己の力不足であり、学習不足と自責の念です。そこで、過去と現在と未来について考えてみました。過去のこと――院外での出会いも。発達障害のある子どもたちと社会との架け橋役に出典 : 僕は1983年に精神科医になり、故郷を離れて北海道に来ました。初期研修を終えて、医師になって10年を目前にしたとき、僕は児童精神科医を目指し、児童部門のある精神病院に就職し、数年後に児童部門を背負いました。当時は不登校から(軽度)発達障害と児童虐待問題へと大きく展開した時期でもありました。僕は北大や札幌医大、旭川医大の卒業生でもなく、本州からの流れ者医者です。どこにいっても常に一人で、どことも本当は決して馴染まない存在という異邦人的な感覚を持ち続けていました。もちろん、これは僕の単なるコンプレックスなのですが、こうした僕にある心許なさが、僕が出会いたいと切望していた子どもたちと、どこか重なる部分があったのかもしれません。ほかの誰の味方でもなく、キミの味方になりたい、という僕の思いは、僕自身を支える僕の気持ちでもあったのでしょう。児童部門を背負ってからは、児童相談所の嘱託医となり、子どもだけでなく家族全体を生活の視点で診ることを学び、福祉、教育分野の仲間たちが出来たことで、虐待防止活動や、家族と子どもたちと専門家が一蓮托生の思いで集う会を結成しました。「専門家の話だけでなく、同じ思いの親と出会いたい、親と話をしたい。教育、福祉の方々とも対等に話を、正直な思いを聞きたい」という切実な思いから結成した「十勝ADHD&LD懇話会」は、昨年結成30年目にその活動にピリオドを打ちました。僕自身は、こうした院外活動を通して、診察室のなかで、なかなか広がらない話から、たくさんの窓が開き、多くの方々と出会うことになりました。僕は、白衣を脱いで地域、現場に足を運ぶことで、異邦人的な感覚が薄まり、子どもたちや家族が躊躇している社会への接点への橋渡し役をすることが出来るようになりました。昨年「十勝ADHD&LD懇話会」の幕を閉じるとき、僕は懇話会の合い言葉でもあった“Children First”という言葉が、今も僕たちの心を支えていたことに気づきました。この哲学は、今、目の前の方々を大切に、という思いへと繋がっていきます。僕たちが向き合い、大切にしてきたのは、「発達障害」ではなく、一人一人の子どもが、親が、そして僕たちが、どうしたら日常をより豊かに生きられるか、という生き甲斐探しのようなものだったのかもしれません。現在のこと――クリニックで患者さんと向き合う毎日出典 : 僕の最初の10年は一般精神科医の時代で、次の10年は児童精神科医と研究機関と大学で教育と医療の境界線上に立ちました。2013年が30年目の節目でしたが、僕はすこしばかり早く大学の職を辞し、2012年からクリニックで日々、受診される方々と向き合い続けています。クリニックでは朝の9時前から夜の8時前後まで休みない診察が続きます。先日、思い立って患者状況を分析しました。それによると、この3月で登録患者数が1300名を超えました。男性は56%とわずかに多く、年齢的には、初診時18歳以下が65%を占め、2.2対1で男性優位ですが、19歳以上では35%、男女比は1対2で女性優位となります。初診時診断は、発達障害圏が70%で、いわゆる精神病圏は5%とかなり少ないのです。発達障害圏での主診断は、自閉スペクトラム症が68%と圧倒的に多く、2位のADHDが13%です。僕は発達障害圏にいわゆる第四の発達障害と称される発達性トラウマ障害を加えていて、それが3位で9%程度です。最近話題になっている「大人の発達障害」ですが、僕のクリニックでは、19歳以上で発達障害圏の方が19.4%を占めていました。また、きょうだい、親子、家族の受診者が全体の10%強を占め、さらに離婚問題を抱えていたり、DVや虐待事例も外来で対応しています。こうした特異な医療を7年も続けてこられたのは、ひとえにすべてのスタッフがクリニックの「治療的空間」を形成してくれているおかげです。クリニックは、僕以上にスタッフ各自が持つ、ホスピタリティに大きく依存していると言って良いかと思います。それでも僕の外来医療を後方で支えているのが、週1、2回外勤している精神科病院となります。そこには、道内の児童相談所の一時保護委託をはじめ、児童相談所からの紹介で診る子どもたちも含まれます。僕が外勤している精神科病院には児童病棟はありません。入院中に子どもの教育の保障ができません。それでも苦渋の選択のなか、1ヶ月以内の短期入院を30%程度で維持しつつ、全体の50%以上を3ヶ月以内の入院でしのぎ、支援しています。未来のこと――複合的な要因を紐解き、発達障害・被虐待児をいかに支援していくか出典 : 僕はいつも、やりたい仕事よりも、求められている仕事に追い立てられています。子どもの精神科医としてスタートした頃は、はじめは学校に行きにくい、行きたくない、行きたいのに行けない子どもたちと出会っていました。それはそれでとても有意義な時間を過ごせたと思います。しかし、すぐに診察室は発達障害が疑われる子どもたちと、その子との関わりに困り果て疲れ切っている親との出会いの場となりました。僕は子どもたちの成長を信じ、親や家族、関係者を労い励まし、勇気づける役割を担うことを目指しました。臨床を離れ大学での研究時代には、虐待が避けられない事態となり、自然、社会的養護の子どもたちと出会いはじめ、これまで以上に児童相談所等と連携する仕事が増え、再び臨床に戻りました。発達障害の多様さを知らなかった時代、僕はその視点で子どもたちを診ることができませんでした。マルトリートメント(※)のなかで育った方々の、人への不信感とそれでも人を求め続ける姿を知ってから、発達の躓きはマルトリートメントの結果となる場合もあり、発達障害が沢山の誘因の一つとしてマルトリートメントを生じさせる場合もあることを学びました。そして最近では、マルトリートメントしてしまう親自身が、子ども時代にマルトリートメントを受けてきた、あるいは生活のなかで深い心の傷を負っていたということにも気がつくようになりました。これからの外来・入院診療では、発達障害とマルトリートメントが重なりあっている病態への対応が急がれます。個人的には、その複雑な病態の評価と支援を構築する力をつけていきたいと思います。※虐待をはじめとする、不適切な養育のこと。今後も終わりのない学びを続けていく自己研鑽が、僕には必要です。同時に、これまで関わってきたなかで学んだことに普遍的なこともあります。それは、出会う方々は皆、これまで生きてきたことをきちんと周囲に理解してほしいという思いがあるということです。評価してもらいたいわけではない。ただ、振り返ると、いつも一生懸命に生きていた自分がいたことを、自身以外の誰かに知っておいてほしいという思いがあることです。だから僕は、教えていただいた話を評価するのではなく、ただただ、聴けたことに、話をしてくれたことに感謝します。もちろん話の中身は壮絶です。それでも教えてくれたことに心から感謝しています。先日もある方が語られたあとに「私は、大変でしたねっていってほしくて話をしたのではなくて、ただ、知ってほしかったのだろうと思います」と言われました。僕が信じる精神科臨床とは、その方の生い立ちと生活環境、家族との関係性のなかでの成長変化と、個々にあるその人らしさという個性あるいは特性を、評価し続け、その方の心身を整え、生活の質を高めるよう、共に相談をしていく有り様です。そしてそれは常に「個別の物語」から成り立ちます。わが子の育ちを通して、自分自身の子ども時代に思いを馳せ、親としての自身の思いから自身の親の思いを推察するとき、それまで抱えてきた自身の親への思いが変化する、あるいは、ずっと蓋をしてきた過去がよみがえる、そんなとき、僕は、親に対して、あなたが主人公としてクリニックを受診をしてみたらどうでしょうかと伝えます。そこに新たな個別の物語が始まります。そうして家族個々のカルテが増えていく…。「きょうだい」ではなくキミ、「父」ではなくあなた、個々の物語には個々の過去と未来があります。そうして診察室は、スピンオフの物語で埋もれていきます。そこで僕は気づきます。この社会で、だれもひとりぼっちではなかったと。マーガレット・ラスティンが『発達障害・被虐待児のこころの世界精神分析による包括的理解』(岩崎学術出版)で「子どもの精神病状態の本質を理解することは計り知れない困難があり、その複合的な原因は理解され始めたばかりである」と述べたように、僕の目指す児童と家族の精神科医療も、ようやくスタートラインに立ったばかりです。僕は、もう少しワクワクしながら、未来に目を向けていきたいと思います。精神科医になって35年が過ぎ、僕はもう少し、歩みを止めず進んでいきたいと思っています。だから、一緒に未来を見続ける仲間がほしいと、切実に思います。誰か、誰でもいい、このクリニックでワクワクした仕事を僕と一緒にやりませんか。
2019年05月30日小さいときから温度による体の不調を訴えなかった息子Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太は落ち着きがない、忘れ物や無くし物が多いなどの特性の他にも「暑さ寒さに気がつきにくい」という体の感覚の鈍さがあります。服のタグがかゆくてイヤ!など肌に触れるものには過敏なのに、温度によって自分の体に起こっている状態には気がつきにくい鈍感体質。Upload By かなしろにゃんこ。そのためリュウ太は、小さいときから寒いという感覚も分からなくなってしまうことがありました。私が上着を着せたり、靴下をすすめれば履いたりするのですが、声をかけられなかったら着ないまま、遊びに夢中になっていると寒さを感じず何も対策をしないまま...結局風邪をひいてしまったり体調を崩してしまったりするんです。それに、着慣れた服でないと落ち着かないようで、暑くなってきて周りが半袖に切り替え始めても冬服で出かけようとします。もともと周りの人が何を着ているか観察もしないし、着る物に無頓着なことも、温度調節を難しくさせている理由の一つかもしれません。しかし、そんな息子の特性に気づくまでには数年かかりました...そんな息子に起きた、キャンプでのハプニングUpload By かなしろにゃんこ。「ん?この子は何か違う!?」と気づくきっかけとなったのは、息子が低学年のときに行った山でのキャンプでのできごと。気持ちの良い山でのキャンプ、夜は氷が張るほど寒い場所でしたが、昼はグングン温度が上がり日差しが強く真夏日に感じるほどでした。そんな中、息子は気温が低かった朝に着た冬物の上着を日中も着たまま遊び続けていました。他の子はみんな上着を脱ぎ、涼しそうな格好をしています。私は「あの子は暑くないのかしら?」と思いながらも、昼ごはんの支度に追われてしまい...。Upload By かなしろにゃんこ。「暑かったら上着を脱ぐだろう」と思っていたのですが、そのまま1時間近く遊び続けていた息子。ふと見ると、なんだかぐったりしています。そのとき初めて「様子が変だわ...」と気づき、触ってみたら体が熱くなっているではありませんか!「えー熱!?風邪ひいちゃったのかな...いや違う、コレは熱中症かもしれない!」急いで休日診療をしているふもとの病院に駆け込み、点滴の治療を受けて安静にすることになりました。キャンプは急遽中止に...食事の支度などで子どもの体調に気を配れなかった親の責任ですが、このときに「あれ?うちの子って体調の意思表示をしない子だわ」と気がついたのです。「アレ欲しい、コレやりたい!」と自己主張は強いのに、体調の意思表示をしないことを不思議に思いました。特性に気づき、家族でこまめに声かけをUpload By かなしろにゃんこ。その後、発達障害の診断を受けることになった小4のとき。発達障害についての専門書を読んでいたら、「発達障害がある子の中には自分の体に起こっている暑さ、寒さ、空腹感、痛み、疲れなどの症状に鈍感な人がいる」と書かれているのを発見。「ああ!コレって息子のことだわ!」と改めて気がついたんです。遅っ!それからは天気予報を確認して息子にどんな洋服を着たらよいか相談して決めてきたのですが、「菜種梅雨の時期は雨が降ると寒いから上着を持っていこうね」と言っても「いい、いらない」と断固拒否!今必要のない物を持つのが面倒なんでしょうね(汗)言うことを聞いてはくれません。今の季節は半袖に着脱しやすい上着がいいなど経験のデータがないと着る物を自分で選べないですから、「10月は真夏日になることもあるよ」とか「4月上旬はまだまだ雪が降る日があるよ」などと根気よく情報を伝えていくしかないと思いました。感覚が鈍感なだけで疲れや辛さのストレスは体にかかっているため、後から体調を崩し寝込んでしまったりするのでした...。二十歳になった息子、まだまだ体調管理の勉強中!Upload By かなしろにゃんこ。子どもの頃に比べたら経験値も上がってきたので、少しずつ着るものの調整などはできるようになってきたものの...まだまだ、全部を自分で調整することはできません。寒い夜は暖房をつけなさいとか、暑い日は窓を開けて風を通しなさいなど、過ごしやすくするにはどうしたらいいかも伝えていかなければならないと思いました。経験していないこと、あまり経験したことがないことは特に、一つひとつ言わないと気がつかない子なんです(涙)二十歳を過ぎた現在は、ようやく真冬の夜は靴下を履く!室内着は暖かいものを着る!が一人でできるようになりました。四季のデータが息子の中に蓄積されるまで、まだまだ時間がかかりそうです(笑)
2019年05月28日給食が苦手だった子ども時代出典 : 私の小学校では、お昼ごはんは給食でした。この記事を読んでいる方の中には給食が好きだった方も多いと思いますが、私はその給食がとても苦手で、お昼の時間はいつもゆううつでした。家では鶏の唐揚げやカレー、麻婆豆腐など、子どもの好きな味の料理が食卓に並ぶことが多かったのですが、給食で出てくる料理は家とは違う味付けや種類のものが多かったのも苦手になった理由です。そのため子どものころの私には味がまったく想像できず、毎日おそるおそる給食を食べていました。カレー味のものやあんかけ料理などは、匂いから味が想像しやすいため食べられたのですが、反対に味の薄い野菜炒めや焼き魚などはそのままでは食べられず、しょうゆをたくさんかけて味をごまかしていました。その中でも特に苦手だったのは魚類でした。父が魚釣りが趣味で、家で食べる魚はとれたての新鮮なものが多かったこともあってか、給食で出てくる魚にはどれも生臭さや変な風味を感じ、美味しいとは思えず…私の小学校では原則的に給食を残すことができなかったので、焼き魚などが給食で出てきたときは昼休みになっても食べきれず、遊んでいるクラスメイトを横目に見ながら嫌々食べていました。味と匂いと食感が苦手だったナス出典 : 苦手なものが出てきても、食べきらなければいけないというのが通っていた小学校のルール。実はそれがきっかけで苦手になった食べ物があります。それはナスです。ある日の給食で、ナスと野菜にゴマだれをかけた料理が出てきました。洋服のタグを切り取らないと服を着られなかったり、ヌルヌルした感覚が苦手で石鹸で身体を洗うのが嫌で夏でも身体を洗わなかったくらい触覚が過敏だったり、香水の匂いや生臭い匂いなどを嗅ぐと具合が悪くなったりしていた私は、食べものに関してはベチャベチャしているものやヌルヌルしているもの、匂いが強いものが苦手です。そのため、見た目から味がまったく想像できず、さらに箸で触ってみても微妙に柔らかい触感のナスに対してはもともと抵抗感が強く、それまで一度も食べたことがありませんでした。勇気を出して口に入れてみたところ、やはり食感は変に柔らかくて気持ち悪く、さらにゴマだれと野菜の組み合わせによる匂いや酸味に耐えきれず、食べたとたんに吐き気がして体調不良に…。このときの強烈な印象が原因となり、それからしばらくは家でも給食でもナスを食べることはありませんでした。家で麻婆ナスを食べてから大好物に!出典 : 小学校高学年になったある日、家の食卓に麻婆ナスが出てきました。中華料理が大好きな私は台所から漂ってくる香りにわくわくしていたのですが、出てきた料理にナスが入っているのを見てものすごくがっかりしました。母が無理して食べなくていいと言ってくれたため、最初はナス以外の具材のみを食べていましたが、薄いナスが大好きな中華の味にひたひたと浸かっているのを目にしたとき、ちょっと食べてみようかなと思いました。「薄いものならそんなにナスの味もしないだろうし、好きな中華の味がしみ込んでいるのだから、試してみる価値があるな」と思ったのです。そして勇気を出して食べてみたところ、給食のときとはまったく違い、ただただ私の好きな味がしました!食事を終えた後に「おいしかったからまた作って!」と母親にお願いしていたほどです。それからは徐々に厚めのナスも食べられるようになり、いまでは素揚げしたナスが大好物。外食でも好んで食べています。子どものころから大好きな納豆と苦手だったとろろ出典 : ネバネバした触感が苦手な方は多いのではないかと思いますが、私はネバネバはそれほど気になりませんでした。ただ同じネバネバの中でも、味や匂いによって食べられるもの・食べられないものがあります。中でも、納豆は昔から大好きでした。食感が独特なものや匂いが強い食べものが苦手な私ですが、大好きなごはんと一緒ならネバネバも匂いも気にならずおいしく食べることができたのです。(ちなみに納豆単品では匂いが強すぎるため、いまでもあまり食べられません…)それなら同じネバネバで独特の匂いがあってごはんにも合うとろろなども食べられそうなものなのですが、こちらは子どものころは好きではありませんでした。とろろは両親が好きでよく食卓に出ていたため、一度私も食べてみたことがあったのですが、ごはんと一緒でも消しきれない独特の匂いが気になり好きにはなれませんでした。そのときの印象が強かったため、長芋も食わず嫌いのままになっていました。とろろを食べられるようになったきっかけは、山かけうどん出典 : 中学生だったある日、弟から「とろろをうどんにかけて食べる『山かけうどん』というものがあるらしい」という情報がわが家に寄せられました。弟いわくとてもおいしかったということだったため、家族で食べてみることになりました。それまでとろろは「ごはんにかけて食べるもの」という認識で、うどんにかけるという発想がなかった上に、もともとの苦手意識もあり試してみるのは渋っていました。しかし横で弟がとてもおいしそうにバクバクと山かけうどんを食べているのを見て、勇気を出して食べてみることに。ほんの少しだけとろろをうどんにかけてみたところ、うどんのつゆがからんでとてもおいしかったのです!うどんのつゆのおかげで苦手だった匂いもなく、ただただおいしく食べることができました。それからは少しずつごはんにかけても食べられるようになりました。加えて、焼いてほくほくの食感になっている長芋は私の好物になっています。食べるまでに時間がかかる食べものは基本的に苦手出典 : 最後はもしかしたら私だけかもしれませんが、実は食べるまでに時間がかかる食べものが昔から苦手です。たとえばジャムなどを塗らなければいけない食パンだったり、みかんやグレープフルーツなどの皮をむかなければならないくだものなどです。食パンは食卓に出てくることもよくあったのですが、わたしは基本的には食べませんでした。ジャムを塗るのが面倒で、そのまま食べるほうがマシだと思っていたからです。どうしても食べなければならないときには、何もつけずに牛乳などで流し込むように食べていました。いまでも家で食パンを食べることはありません。特に苦手な柑橘類たち出典 : 食べるまでに時間がかかるものの中でも特に、皮をむく必要があるくだものは今でも好んでは食べません。子どものころ、父がよくみかんを箱で買ってきていたので私も食べてみたのですが、飲み込むときに薄皮がのどに詰まりそうになり、とても苦しい思いをしました。この出来事がきっかけで柑橘類は基本的に薄皮までむいて食べるようになったのですが、パンにジャムを塗ることすらめんどくさがる私ですので、当然薄皮をむいて食べるまでが面倒すぎるように感じ、いつの間にかまったく食べなくなりました。せっかく買ってきても私がまったく食べないので、あるときから母親があらかじめ薄皮までむいた状態で食卓に出すようになりました。その状態であればのどに詰まらせる心配がないので、私もバクバク食べられました。いまでも皮をむく必要があるくだものを自分で買うことはなく、たまに家に置かれているときには妻を頼り、薄皮までむいてもらっています...。どうも私は、食卓に座り「食べるぞ!」という気持ちになってから実際に食べるまで時間がかかることにとてもストレスを感じるようです。ですので、カニや殻つきのゆで卵もあまり作りません。どれも味そのものは好きなので、すぐに食べられる状態になっていればバクバクと食べるのが自分でも不思議でなりません。苦手な食べ物に関する私の経験をまとめてみると…出典 : ここまで記事を書きながら振り返ってみると、子どものころの私が食べられなかったものにはいくつか特徴があるようです。食感:口に入れたときにベチャベチャしていたりヌルヌルしているもの。見た目:味が想像できないもの。ベチャベチャ・ヌルヌルしていそうなもの。匂い:生臭かったり独特な匂いのもの。これらは私の触覚過敏と、匂いに敏感なことに起因した特徴なのかなと思っています。中でも匂いについては、苦手な匂いに勝る濃い味付けをしたことが、その食材を食べられるようになるきっかけとなった例を紹介しました。もし私と同じように特性による過敏さによって食べられないものがある当事者の方が周りにいる場合、調理方法や味付けを変えてみることで食べられるようになるかもしれません。それでも私が時間のかかる食べものが食べられないように、どうしてもダメなものもあるかもしれません。そんなときは本人に、食べられないもののどこがどうダメなのかを直接聞いてみるのも良いかもしれません。私が子どものころは特に聞かれたことがなかったので自分から話した記憶はありませんが、もし両親に何がどうダメかを聞かれていたら話していたのではないかなと思います。言語化が難しい場合には、お子さんが食べないものの共通点を探したり、特性から考えてみたりすると、そのこだわりについてのヒントが見つかり、食事での困り感やストレスを軽減できるかもしれませんね。そして私の経験談になりますが、食べられないものがあっても身長が180cm近くまで成長することもありますし、子どものころ食べられなかったものが大人になってから突然食べられるようになることもあります。お子さんの食べられないものについて、何とか食べられるようにしてあげたい!と毎日いろいろな工夫を重ね、ふと疲れてしまうこともあるのではないでしょうか。そんなときには一度肩の力を抜き、お子さんやこの記事をご覧になっているあなた自身が好きなものを食べて、まず楽しく食卓を囲んでみてほしいなと思います。
2019年05月27日小5からスタートした、発達障害の娘の進路探し公立中学見学の次は公立中学校の見学をした私達は、次に、娘が通学できそうな範囲内の私立の中学を見学することにしました。最初に見学したのは大学付属の「ハンディキャップを持つ児童を受け入れている」私立中学です。少し遠いのですが、自宅近くの駅から専用のスクールバスが運行していたので通学に問題はなさそうでした。充実した施設Upload By 荒木まち子なかでも特に5万冊所蔵の図書室は圧巻で、本が大好きの娘は「すごい!小学校の図書室とは大違い!!読んでみたい本がいっぱいある!ここなら何時間でも過ごせちゃう」といたく気に入ったようでした。素敵な校風。でも一抹の不安が案内の先生は「当校の教育目標は“共に生きる”で、自由と自治の精神を大切にしています。在校生は障害のある生徒を自然に受け入れています。足の不自由な生徒の為にクラスメイトが自主的に机の移動を手伝ったりしています」とお話されていました。障害がある生徒を受け入れ、障害の無い生徒と共に学べる体制がある学校はそう多くはありません。障害を個性として認め、分け隔てなく接してもらえるのはとても嬉しいことです。でもこの学校は発達障害に特化した学校ではありません。先生方に発達障害の知識がどれほどあるのか?それぞれの特性に合わせた配慮がどこまでなされるのか?娘の特性上、中学生という思春期の難しい時期を支援なしで過ごすことに私は一抹の不安を覚えたのでした。間違えた!次に私達は療育センターにあった書籍で紹介されていた、発達障害児がある子が多く通う私立中学の見学に行くことにしました。ネットで調べ見学予約の電話をして行ってみると…Upload By 荒木まち子その学校に本校以外にもいくつか、タイプの違う学校がある事を知らなかった私は、ネットで検索する時に“本で見た学校と同じ系列の別の学校”に間違えて予約をしまったのです!最寄り駅も同じだった為、そのことに全く気がつかなかった私。間違いにに気がついたのは見学も終盤になった頃でした。私が見学した学校は、中等部はフリースクールとして運営されている学校でした。個別支援計画などの作成もあり、発達障害のある子どもが多く通っているというのも納得の支援体制でしたが…当初見学したいと思っていた学校と違ったため、出直すことになりました。発達障害がある子を多く受け入れる私立中高一貫校へ後日、改めて行きたかった中学校(本校)に見学の予約をしたのですが、主人も娘も休みが取れず、見学は私一人ですることになりました。授業は前回見学した同じ系列の学校と同様、教科書やノートは用いず、それぞれの生徒に合わせたプリント教材(ワークシート)を使うスタイルでした。この中学には付属の高校もあり、習熟度や進路別にクラスが分かれているようでした。漢検や英検パソコン検定など、検定を積極的に受けている生徒も多いようで、掲示板にはさまざまな種類の認定証のコピーが貼られていました。校庭や校舎の雰囲気は一般の学校と大差無く、休み時間には友達同士でじゃれ合う姿も見られました。それでもグループ作業の時にひとりで話し過ぎてしまう生徒や、職員室前で先生が生徒に「最近ダークサイド(ネガティブ面)が増えてきてるよね?」といった言葉掛けをしている様子を見て、「やっぱりここは発達障害のある子が多く通う学校なのだわ」と改めて感じたのでした。私立校での校内見学後の個人相談で私は案内をしてくれた先生にいくつか質問をしました。私「特別支援学級から入学された生徒さんはいますか?」先生「いないことはありません。でも特別支援学級での接し方がベースになっていて、常に教師からの指示がないと動けいなようなお子さんだと入学後、困ってしまうかもしれません」私「卒業後の進路はどうなっていますか?」先生「大学や専門学校に進学する生徒が多いです」(※)私「卒業後、生徒さん達は自立できていますか?」先生「専門学校で時間の管理や配分に苦労しているというケースを聞いたことがあります」先生の話を聞き、たとえ高校まで手厚い支援があったとしても、その後も継続した支援を受けられないと、娘のような障害がある子どもが親から自立するのはやはり難しいのかもしれないな…と感じました。※中高一貫の私立中学だったため、高校卒業後の進路を指しています公立中学の通常学級?支援学級?それとも私立中学…?娘の決断とは小6の12月、毎年の恒例の『翌年度の所属を決める家族会議』を行いました。小5のころから、高校進学までを見据えて、公立中学の通常学級、特別支援学級、通級を見学したり、私立中学を見学してきたわが家でしたが…、いろいろな学校・学級を見学した結果、娘が選んだ進路は、地元の公立中学でした。娘は、「地元の公立中学の通常学級に進学したい」と言いました。わが家は娘が小4の時に引っ越しをしていて、娘は小学校を転校しています。娘が地元の中学を選んだ一番の理由は“前の小学校の友達と、中学で再会するのが楽しみ”だったからのようです(※)。理由はどうあれ、見学した私立中学はいずれも編入や高校からの受験も可能なので、親としても「まずは本人の意見を尊重し地元の公立中学で過ごしてみよう。そしてもし途中で限界を感じたら、その時にどうするか改めて考えても良いだろう」と判断しました。実際に足を運び、話しを聞き、いろいろな選択肢を知っていたから、逆に無用な不安を感じることなく娘の選択を受け入れられたのかもしれません。※中学の学区域は小学校より広くなり、以前通っていた小学校の生徒が同じ中学に通うことになるため先輩お母さんからのアドバイス当時、家の近所には地元の中学の特別支援学級に通っている1学年上(中1)のお子さんが住んでいました。中学入学を2か月後に控えた頃、偶然親御さんにお会いした私は「中学は地元の中学の通常学級にすることにしました。もしかしたら途中で支援学級に移るかもるかもしれないので、その時はよろしくお願いしますね!」とお話しをしました。通常学級に通う中3のお子さんのお子さんもいらっしゃるその先輩お母さんは「上の子の経験から、高校の進路は早めに進学先を考えて見つけておかないと大変よ。遅くても中2の秋までかな。障害の有無に関わらず、学校での進路指導に期待しすぎず親が早めに動いたほうがいい」とアドバイスしてくれました。息つく暇もない進路選択やっと中学の所属が決まったところなのに、もう高校の事を考えなければならないのね。中学に入学したらすぐに高校探しか…。学校探しや学校見学は時間と体力を使います。でも自分の知らないいろいろなことを学べるし、悩みこそすれど私にとってそれほど苦痛ではありませんでした。(文化祭めぐりなどはむしろ楽しいぐらい)娘が中学の三年間を通常学級で過ごしていけるのかは未知数でした。でもどうなっても対応できるよう私達は高等特別支援学校を含め、娘が中学生の時に6校程の高校の見学や体験入学をしました。次回は、高校進学に向けて準備したことや、訪れた学校についてご紹介していこうと思います。
2019年05月23日「好き」で自信を創り、「好き」で社会とつながるこんにちは。「『好き』で自信を創り、『好き』で社会とつながる」をビジョンに、発達障がい児向けのメンターマッチングサービスと教室運営をしているBranchの中里祐次です。Branchは、「発達障がい児の好きなことを見つけたり、好きなことができる環境創りのサポートをするサービス」です。こんなことをやっています↓↓Upload By 中里祐次Upload By 中里祐次 | 発達障がい児の孤独をなくし、可能性を伸ばす習い事って、「役に立つからやる」ことなんだっけ?出典 : この仕事を始めてから、「お子さんが自分の好きなことをできる時間って、今はどれくらいあるのかな?」と、よく考えます。自分の子どもの頃を考えると、おそらく100%に近いくらい、好きなことばっかりやっていたように思うんですよね(勉強していた記憶のない子どもだからかもしれませんが…)。友だちと公園で遊んで、その公園での遊び方を自分で考えたり、当時自分が好きだったドッジボールをみんなでやりたくて勝手にドッジボール部を創ったり…とにかく好きなことばっかりやっていた、のんびりした子ども時代だったなぁ、と。ただ、今のお子さんを見ていると、時代は変わってきているのかな、と感じます。というのは、学校の勉強や習い事に関して、お子さんが好きでやりたいことをベースにやる/やらないの判断をしているわけじゃない場合が多くなってきているように見えるからです。「これを覚えること、習うことがすべての子どもに役立つ」といった、まるで「正解」が決まっているかのような言説をよく見るようになりました。もし本当に、そういったすべての人に正解と言える方法があれば楽だと思う人もたくさんいるでしょう。Branchに相談に来る保護者さんの中にも、「次は子どもに何を習わせれば将来うまく行きますか?」というような質問をされる方がいらっしゃいます。なんとなくそれを聞いていると、スマートフォンのアプリをインストールするように「その習い事に通わせれば、自動でわが子に必要な能力がインストールされる」ような感覚でいらっしゃる方も多いのかなぁ、と感じます。でも、肝心のお子さんの感情はどこ行っちゃったんだろう…。ためしに、自分のお子さんに学校の勉強や習い事について「これは好きかどうか?」を一つずつ聞いてみてください。全部好きっていうなら、とてもその子はラッキー。残念ながら実際は、そうじゃない場合がとても多いと思います。習いごとに行ったあとに僕がお子さんに会うと「実はさっきの習い事、好きじゃないんだよなぁ」なんて言うお子さんも多いです。僕らは、なんでも言ってくれるような関係性が創れて良かったなと思うとともに、悲しい気持ちになります。好きで好きでたまらないことを、大人が全力で応援する出典 : 僕たちBranchは、我慢して我慢して勉強したり習いごとをした先にあるものよりも、「好きで好きでたまらないので誰にも止められない!」ということを大事にすることが、今の時代の学びにとても大切だと思っています。たとえばうちの子は、大好きなレゴをやってる時は大きい声で声をかけても肩を叩いても気づかないような子でした。今はマインクラフトをやったり、YouTubeでマインクラフトの動画を見たりしている時がその時間です。好きなことをやってる時は自発的にものすごい集中力でやっていますが、嫌いなことは絶対やりたくない。思えば自分もほぼ同じタイプの子どもでした。ある時、東京大学の文化祭で東大レゴ部の方が出展されているのを見つけて子どもと出かけました。レゴ好きなので、何か良い影響があるかなー、と期待をしながら。実際うちの子は、目をキラキラさせて東大レゴ部の方にレゴについてたずねたり、帰ってきてからも学校の作文にそのことについて書いたり、大きくなったら東大レゴ部に入りたいから東大に行きたいといったりと、中々良い影響があったようです(東大に行けるかどうかとかは置いておいて…。というか、本人はそれを言ったことをたぶん忘れています笑)。実はその時の経験から生まれたのがBranchなんです。つまり、お子さんの好きなこと(例えばレゴ)を得意な大人(ここで言えば東大レゴ部の方)とマッチングする、というサービスです。その後、サービスが続くうちに代官山に教室を構えたり、お子さんの好きなことを保護者の方と一緒にどう伸ばしていくかを考える計画書を提出するようになったりと、色々と進化を続けて今に至ります。「好きなことで社会とつながる」その最初のきっかけを例えばどんなお子さんがいらっしゃるかというと、こんなお子さんです。Upload By 中里祐次Upload By 中里祐次発達障がいのあるお子さんがメインですが、発達障がいはないけれど不登校状態だというお子さんも多いです。また、たまに「天才を育てるサービス」と勘違いされますが、それは違います。すべてのお子さまが「好きなことができて、それによって自信がつくことと、好きなことで社会とつながるきっかけを創る」ことがBranchが行っていることです。またもう一つ「お子さんの才能を新しく生み出す」ことを期待されることもありますが、基本的に「お子さんが好きなこと」をベースに考えていくので、それがお子さんの好きなことであれば一緒に考えていきますが、お子さんが嫌いなこと、興味のないことであれば僕たちがやることの範疇ではないかな、と思っています。安心して好きなことができる環境を創るのがBranchの役割まだサービスがスタートして3年弱なのですが、最近、Branchのチームで大事にしたいと考えているのはこんなことです。Upload By 中里祐次上述したように、Branchには社会の中で傷ついたお子さんがとても多くいらっしゃいます。好きなことにはすごい集中力を見せるのですが「学校に行けなくなってから、その好きなこともあまりやらなくなっちゃったんです」というようなお悩みも。Branchの場合は上記の図にあるようにまず最初に「安心して好きなことができる環境設計」を大事にしています。人と会うことや、外へ出ることも難しいお子さんもいますので、先に「どんな人」がいるか「どんな場所なのか」を伝えたり、場合によってはこちらから訪問したりもします。他にも、教室事業である「Branch room」のスタッフが共有する「グランドルール」として、こんなことを大事にしています。----------------------------ここはお子さまの「好き」を見つけること、「好き」を育むことを目的としています。・一緒に考える=つまり「教えない」ことです・見守る=つまり「指示しない」ことです・整える=居心地良く、少しの新しい発見がある空間を創ることです上記のようなことを私たちは主に行います。----------------------------まだまだ至らない点もありますが、安心できる場所があると、お子さんにちょっとずつ自信や自己肯定感が生まれるのかな、と思いながら日々活動しています。そして、だんだんと自己肯定ができるようになってくると、自主的に「これやってみよう!」と、自分のやりたいことをやるスイッチを押せるようになると思っています。大人になった時にこの「自主的に自分のやりたいことのスイッチを押せること」がとてもとても大事だと思っていますので、まずはそのための環境創りに取り組んでいるのが、いまのBranchです。もちろん、すでに自己肯定もできていてやりたいこともあるお子さんの場合、それをどう伸ばしていくかの環境創りのサポートが大事になるので、そのあたりも語りたいのですが…長くなってきましたので、今日はこの辺で。ご興味を持ってくださった方は、ぜひBranchに遊びに来ていただければ幸いです。オンラインのメンターマッチングサービス「Branch」は全国どこからでもご利用可能です。東京におられる方は教室事業の「Branch room」も覗いてみてください。それでは。 | 発達障がい児の孤独をなくし、可能性を伸ばす東京・代官山Branch room
2019年05月23日娘、いよいよ放課後等デイ・デビュー娘との「療育」がスムーズにいかなくなって、悩んでいた私は、娘の放課後等デイサービス利用を決めました。手続き、見学を終え、無事に通所受給者証も発行され、いよいよ通い始めることに。放課後等デイが、大好きに!週4日、学校の後、放課後等デイサービスに通い始めた娘。娘はここで過ごす時間が本当に楽しいようで、ちょっと早く迎えに行くと…Upload By SAKURA私の顔を見てがっかりするほどです(笑)帰り道でも…放課後等デイからの帰り道、学校とどちらが楽しい?と聞いてみたら…Upload By SAKURA楽しかったアピールが止まりません。「娘を手放したくない」という思いに気づいて私は自分の中で、できるだけ長く娘と過ごしたいという思いがありました。だんだんと成長していくにつれて、私と過ごす時間より、友達や先生と過ごす時間が多くなっていきます。それを寂しいと感じていたのです。Upload By SAKURAデイサービスに通い始めた娘は、本当に楽しそうで、私の見えないところで、話して、感じて…私がいなくても自分だけで人間関係を作り上げていました。それを目の当たりにして、私の「あーさんと長く過ごしたい」、「いつまでも私のそばから手放したくない」という思いは、もう卒業しないといけないんだと気づきました。一緒にいる時間は少なくなったけれど娘は、夕方の6時まで放課後等デイサービスで過ごすため、母と子の関わる時間は短くなりました。Upload By SAKURAしかし、帰宅した娘との会話に変化が生まれました。Upload By SAKURA以前は「〇〇やった?」「これ違うよ!」などの質問調・命令調での声掛けがどうしても多くなっていましたが、今は娘の帰宅後、「今日は学校はどうだった?デイサービスは楽しかった?」という、娘の話を聞く声掛けに変わりました。放課後等デイサービスで宿題を済ませて来てくれるので、私がバタバタ宿題をチェックする必要もありません。そう、ゆっくりと娘の話を聞ける余裕が生まれたのです。娘の話を聞いて笑ったり、今日はこんなことがあったよ~とお互いに報告したりしています。相手のことを聞いたり、気にかけたりできるようになった姿に、娘の成長も実感しています。親基準ではなく、子ども基準で考える私は放課後等デイサービスを利用することに、罪悪感を勝手に感じていただけなのかもしれません。でも、子どもを放課後等デイサービスに任せて見てもらうというのは、母親が楽をするためのものではない…。子どもが、親以外の人とのコミュニケーションを学んだり、必要なスキルを身につけることができる大切な機会、将来のために必要なプロセスなのだと、今は思います。Upload By SAKURA今回のことで、一番成長できたのは私かもしれません。
2019年05月22日ゲームは人生の役に立つってホント?はじめまして。コラムニストの小幡和輝(おばたかずき)と申します。僕は子どものころ約10年間を不登校として過ごしました。正直、学校に楽しい思い出はありません。そんな僕がハマったのはゲームでした。1日に10時間以上。合計で30000時間を超えるほど、ゲームに没頭していました。僕はこの経験があったから、自分の人生が豊かになったと考えています。ゲームからたくさんのことを学びました。今回はそんなお話ができたらいいなと思っています。僕のことを先に知ってもらわないと、あまり信用してもらえないかとも思いますので、自分のことをもう少しお話ししておきますね。僕はいま24歳で自分の会社を経営しています。地域の文化を発信したり、イベントを作ったり、地域活性化に関わる仕事をしています。起業したのは18歳で、現在で7年目。最近では内閣府から『地域活性化伝道師』という肩書きもいただきまして、最年少の地域活性化の専門家ということでお仕事をしています。Upload By 小幡和輝いまとにかく人生が楽しいです。この土台は「ゲームが作ってくれた」と確信しています。ゲームをネガティブに考えずに、人生を豊かにするツールとして活用してほしい。ですが、それを生かすも殺すもあなた次第なのです。子どもがゲームにハマっても大丈夫なの?子どもはゲームをいっぱいやりたがりますよね。この記事が、保護者としてゲームとどう向き合っていけばいいのかの参考になれば嬉しいです。僕はよく子育ての相談を受けるのですが、ある日こんな相談を受けました。「うちの子どもはゲームばっかりやってるんです。せめて囲碁とか将棋にハマってくれたらいいんですけど…」「お母さん。囲碁や将棋もゲームですよ…」ここで保護者の皆さんがいう「ゲーム」というのはテレビゲームやスマフォゲームのことを指しています。ですが、広義の意味では、囲碁や将棋はもちろん野球やサッカーなどのスポーツも『ゲーム』です。どうも「ゲーム」という言葉のイメージであったり、なんとなくダメなものという印象を持たれている方が非常に多いので、まずはその誤解を解いていければと思います。少し自分の話に戻りますね。僕は不登校でした。学校に行かなくなって、人との関わりも少なくなってくる。そんな中で僕を救ってくれたのがゲームでした。Upload By 小幡和輝ゲームを通じて友達ができたんです。僕は30000時間以上ゲームをしてきました。しかしそれは、たった一人でゲーム機に向かっているのではありませんでした。常に”誰かと一緒に遊んでる時間”だったんです。遊ぶ相手は、同じく不登校の同世代や、ときには世代を超えた社会人も。僕にとって「ゲーム」とは人と人をつなぐコミュニケーションツールでした。勉強も運動も苦手だった僕にとってゲームは自己肯定感を高めてくれるものでもありました。中学時代には大会に出場するようにもなり、さまざまなタイトルで優勝したりして、全国大会に出場することもできました。ゲームのコミュニティでは、僕のことを「不登校の小幡くん」として見る人はいません。この場所では「ゲームが強い小幡くん」です。最近のeスポーツの流れはとてもいいなと感じています。ゲームが強いことで尊敬される人が増えるというのはとても大切なことだと考えています。ゲーム依存症の定義を知っていますか?ゲームにハマることをそのまま依存症と繋げる方が多いのですが、依存症についての正しい理解が進んでいないように思います。WHOでは、「普段の生活が破綻するほどの」ゲームへののめり込みを指すものをゲーム依存症(※)と定義しています。僕の場合は友人と遊ぶためのツールとしてのゲームであるため、ゲーム依存症ではなかったと考えています。もちろん、家の中に引きこもり、昼夜逆転して、ひたすら1人でゲームをやり続けるというのはゲーム依存症かもしれません。でも、ゲームをたくさんやっているからといって、そのすべてがゲーム依存症ではないと思うので、保護者の皆さんはお子さんに、もう少し広い視点と、正しい環境をつくってあげてほしいと思います。ゲームをすると学力が下がるという話もありますが、それは単純に勉強時間が少なくなっただけですよね(笑)。ゲームは間接的な原因であるはずなのに、なんでもかんでもゲームのせいにされている状況には、僕には違和感があります。※WHO(世界保健機関)は、『ICD-11』において、ゲームのやり過ぎで日常生活に支障をきたす依存症を「ゲーム症・障害」という疾患と認め、2019年5月の総会で承認する見通しであることを2018年6月18日に発表しました。2019年5月20日、WHOの年次総会がジュネーブの国連欧州本部で開幕し、オンラインゲームやテレビゲームのやり過ぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を新たな依存症として加えた「国際疾病分類」最新版が28日までの会期中に採択される予定です(2019年5月22日現在の状況)ゲーミフィケーションという考え方ゲームと教育の相性は非常にいいと思います。楽しみながら学ぶことで、スラスラ入ってくるという経験はみなさんにもあるのではないでしょうか。僕自身、ゲームからたくさんのことを学びました。いま地域の文化の発信や地域活性化の仕事に関わっていますが、そもそも最初に興味を持ったのは戦国時代を舞台にしたゲームからです。ゲームを通じて、日本文化や歴史が好きになって、それがそのままいまの仕事に繋がっています。中学時代にカードゲームにハマったのですが、僕はよくカードゲーム専門店に出入りをしていて、大会の運営にも関わるようになりました。そのときの経験があったから、18歳でイベントを主催したときも抵抗がなく、そのまま会社をつくることができたのだと思います。僕にとってのゲームは人生を豊かにしてくれたツールです。しかし一方で、異常な課金や依存症など、ゲームによって人生を破滅させてしまう場合もあります。つまり、「生かすも殺すもあなた次第」なのです。今回書いたものはほんの一部。他にもいろんな視点でゲームの魅力を書いた本が今日発売されました。ゲームの「良い面」やその効果について、実体験を踏まえて一つひとつ丁寧に解説しています。 また、脳科学者の茂木健一郎さんをはじめ、さまざまなの分野の識者との対談を通じて、ゲームの魅力や効果をあらゆる側面から考察しました。もしよければ手にとってみてください。ゲームをネガティブに考えず、広い視点を持って、その魅力をぜひ最大限に活用してほしいです。ゲームはたくさんのことを教えてくれる「ツール」だから。(@nagomiobata)(@nagomiobata)
2019年05月22日千葉県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報BRIDGE3では、ビジョントレーニングをはじめとした身体発達トレーニング、教材や教具を使った認知発達トレーニングと学習支援、心の成長を支援するパーソナルトレーニング、この3つを柱として支援が行われています。日々の課題は、お子さまの発達段階と個別支援計画に基づき、ごほうび課題(自分で既にできる課題)とチャレンジ課題(サポートがあればできる課題)を組み合わせながら、設定されています。子どもたちの「未来」のために、その子が生まれてきた「家族」、生きていかねばならない「社会」へも架け橋となりたい。そんな想いが、施設の名前である「BRIDGE」には込められています。千葉県の放課後等デイサービスをもっと見る栃木県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報運動学習指導教室トータスジュニア簗瀬では、トータス独自の専門的プログラムで、就園から就学までの切れ目のない支援が行われています。運動・学習・あそびを通じたさまざまな体験、学習、仲間との交流などから、「できた!」という成功体験を重ね、日常生活における基本動作を身につけたり、考えること、挑戦すること、コミュニケーションの楽しさを伝えたりしています。また、職員も日頃の療育・教材の考案・支援指導についての勉強をしたり、外部療育研修を受講したりすることで、スキルアップにも力を注いでいます。栃木県の放課後放デイサービスをもっと見るいかがでしたか?気になる施設がありましたら、「~のページをもっと見る」のボタンを押すと、より詳しく施設の情報をみることができます!「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせができます。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができるので、ぜひお住まいの地域のページをチェックしてみてください。
2019年05月21日空まで飛んで行きたいな小さい子向けの箱ブランコが窮屈になってきたサンちゃん。大きい子向けのブランコに乗ってみるも、なかなか姿勢を保って乗り続けることが難しい様子で、すぐずり落ちてしまうから、お腹をのせてユラユラしていたり。やっぱり、ビュンビュン勢いよく揺らせる、いつものブランコが楽しいよね…。そんなサンちゃんをそっと見守る大きい子向けのブランコくんがいました。果たしてサンちゃんとブランコくんは仲良しになれるのでしょうか…?Upload By たなか れもんUpload By たなか れもんUpload By たなか れもんサンちゃんはこれくらいのことではへこたれないよ!これからもよろしくね、ブランコくん。
2019年05月20日子育てフェスタで「子育てあるある」エピソード募集Upload By 発達ナビ編集部発達が気になるお子さんとの毎日は、楽しいこと、うれしいこと、そしてちょっと大変なこと…いろんな出来事があり、ママパパの心も膨らんだり、ときにはしぼんでしまったりすることもあるのではないでしょうか。そこで編集部は、2019年3月に開催した「子育てフェスタ2019」の会場で、「発達凸凹キッズあるある募集」と題し、エピソードの募集をさせていただきました。そこで集まったエピソードからいくつか厳選し、発達ナビの連載ライター陣によってコミックエッセイ化し、2回に分けてご紹介します。後編となる今回は、子育ての一場面を切り取った、3つの「成長エピソード」をご紹介します。イスに座ることも拒否だった娘、療育に通って2年の変化(4歳の女の子)Upload By 発達ナビ編集部4歳になる娘には知的障害があり、発語はありません。2歳で療育に通い始めたころは、ギャーギャー泣いてしまい、椅子に座ることすら難しい状況でした。Upload By 発達ナビ編集部今では、洋服の脱ぎ着でも協力動作ができるようになりました。また、要求のサインとして、両手をパチパチと叩くこともできるように。身辺自立や、自分の気持ちを伝えることが少しずつできるようになっています。今でも発語は難しいけれど、だからこそ、親としては感動の成長です。エピソード提供:Rさん(4歳の女の子のママ)就学前検診で「友達はいないよ」。ドキッとしたけれど…!(5歳の男の子)Upload By 発達ナビ編集部ASD(自閉症スペクトラム)のある息子と、就学前検診の二次検査に行ったときのことです。面接官の先生から「お友達はいますか?」と聞かれた息子は、なんと「いないよ」と答えたのです…。Upload By 発達ナビ編集部私は焦って「〇〇ちゃんは?」「〇〇くんは?」とお友達の名前をあげました。すると息子、「〇〇ちゃんや〇〇くんは、なかま!」ときっぱりと答えたのです。「(クラスメートは)なかま」というのは、保育園の先生が使っていた言葉です。クラスメートのことを認識しておらず「いないよ」と言ったのではなく、先生の言う「なかま」という言葉を理解していたんだなぁと、うれしくなりました。エピソード提供:F.Tさん(9歳の男の子のママ)※エピソードは5歳当時のものとなります一緒に歩く相手のことを思いやれるように(小学4年生の男の子)Upload By 発達ナビ編集部小学4年生の息子には、ASD(自閉症スペクトラム)やADHD(注意欠陥・多動症)などがあります。以前は周りの人のことをあまり意識することができず、何かしてもらってもお礼が言えなかったり、人に合わせて歩いたりということは難しかったのですが…。Upload By 発達ナビ編集部最近、成長を感じられる場面がいくつかありました。自分の気持ちが落ち着くと、お礼が言えるようになったのです。また、私が「足がいたいの」と伝えると、歩く速さを合わせてくれるようにもなりました。エピソード提供:Jさん(小学4年生の男の子のママ)イラスト:かなしろにゃんこ。
2019年05月17日子育てフェスタで募集した「子育てあるある」エピソードUpload By 発達ナビ編集部発達が気になるお子さんとの毎日は、楽しいこと、うれしいこと、そしてちょっと大変なこと…いろんな出来事があり、ママパパの心も膨らんだり、ときにはしぼんでしまったりすることもあるのではないでしょうか。それぞれのご家庭でのエピソードを集めたら、きっと「わが家と同じ!」「懐かしいなぁ」「なんだか自分のことみたいにうれしい」と共感いっぱいで読んでいただけるのではないか…?そこで編集部は、2019年3月に開催した「子育てフェスタ2019」の会場で、「発達凸凹キッズあるある募集」と題し、エピソードの募集をさせていただきました。そこで集まったエピソードからいくつかを厳選し発達ナビの連載ライター陣によってコミックエッセイ化したものを、2回に分けてご紹介します。3歳児健診がこわい…先延ばしにしていた日々発達が気になる息子は、ASD(自閉症スペクトラム)とADHD(注意欠陥・多動症)の傾向があります。そんな3歳の息子のことです。3歳児健診のお知らせが届いたけれど、私は「行きたくない」という気持ちでいっぱいでした。息子の発達に気になるところがあり、健診に行けば必ず指摘をされるだろう、と分かっていたからです。息子には何らかのフラグが立ってしまう。そうしたらきっと行政機関にも連携されてしまうだろう。それがどうしても受け入れられず「健診で出される課題もクリアできるようになってから受けたい」と思っていたのです。そんな思いを抱きながらネットで情報を探し、発達ナビのサイトでもたくさんのコラムを読みました。民間療育施設の体験にも行ってみました。1回のセッションで驚くほど変化が見られたこともあって、私の中で少しずつ、「発達障害」に対しての心理的ハードルが低くなり、療育の必要性も感じるようになっていったのです。療育できる施設に通うには、受給者証が必要だと知るUpload By 発達ナビ編集部療育の必要性を感じ始めた私は、どうしたら受けられるのかを調べました。すると、療育をしてくれる施設(児童発達支援事業所)へ通うには、通所受給者証が必要だと分かったのです。そしてこの受給者証をとるためには、お医者さまの意見書が必要だとも知りました。「子どもの発達を指摘されるのがイヤ」という気持ちから、「療育を受けさせてやりたい」という気持ちに変化してきた私は、ようやく、ずっと先延ばしにしていた3歳児健診を受けに行く決意ができたのです。ようやく向かった3歳児健診…でも、大暴れで診察を受けられずUpload By 発達ナビ編集部3歳児健診に行こう。そして、発達についての意見書を書いてもらおう。そう考え向かった3歳児健診。ところが…いつもとは違う私の緊張感を察知したのか、息子は逃げ回ったり、大暴れしてしまったのです。診察ができない状態のままUpload By 発達ナビ編集部結局、診察もままならず、受診不可に…。私は、「あぁ、この子には本当に療育が必要だ」と強く思いました。そして力尽き、その場で涙してしまいました。先生は、(大暴れしたため診察も難しかったという)そのときの状況を意見書に書いてくださいました。Upload By 発達ナビ編集部興奮してイキのいいマグロのような状態の息子を抱えるようにして病院を後にしました。そして「このままじゃダメだ」と、その足で息子を保育園に預け、お医者さまに書いていただいた意見書を手に役所に向かいました。役所で知ったのは、行政の療育施設経由の受給者証申請だと希望者が多く半年はかかるということ。そこで、すぐに手続きが完了するセルフプラン(※)で申請することにしました。窓口の担当者の方にも発達障害傾向のお子さんがいるということで意気投合し、丁寧にセルフプランの描き方を教えてくださったおかげで、1時間程度で手続きも終了。翌週には通所受給者証を手にすることができました。※障害福祉サービスを利用するには、指定特定相談支援事業者・障害児相談支援事業者が作成するサービス等利用計画等が必要になります。相談支援事業者に代わり利用者や家族、支援者が「セルフプラン」を作成することもできます参考:【児童発達支援・放課後等デイ】受給者証はどうやって取るの?現在、療育施設に通い始めて2か月。療育の効果は少しずつ感じることができています。結局受診不可だった3歳児健診には再訪できておらず、はっきりした診断名がついたわけではありません。でも、息子に必要なことを積極的にできている今は、以前のような漠然とした不安はなくなりました。あのマグロ事件も、私の背中を押すための息子の作戦だったのでは――そんな風にも感じています。エピソード提供:TSさん(3歳の男の子のママ)イラスト:ひらたともみ
2019年05月17日進級準備で息子が選んだ筆箱はUpload By アマミモヨリお母さんになって10年になりますが、わたしは息子(ヒルマ)のことがよくわかりません。それはきっとヒルマが赤ちゃんの頃から、何かと予想通りに行かず、途方に暮れてきた実績があるからだと思います。だから息子が選んだ真っ黒なだけの筆箱の、カッコよさがわからなかったときも、特に気にしなかったのです。その筆箱がカッコいい意外な理由「カッコいい理由」がわかったのは、筆箱についている帯を外して、名前を書こうとしたときでした。あわててヒルマが言ったのです。Upload By アマミモヨリおどろきました。ヒルマは筆箱についていた、紙製の帯が気に入っていたのです。「いや、これね、フツーは外して使うやつだから~」そう言って笑い飛ばせたらどんなに楽でしょう。発達凸凹さんのヒルマにとって、こんな風に思っていたのと違うってことが、ひどく受け入れ難いことのようなのです。思っていたのとちがう!そのとき母は…こんなとき、わたしの頭はフル回転します。ヒルマの地雷を踏まないように、動揺を悟られないように、慎重に考えます。Upload By アマミモヨリヒルマがシールと思っている帯は、実際には紙を巻き付けてあるだけなので、すぐに外れてしまいます。透明なフィルムで、筆箱ごと包んでしまおうかとも考えました。でも…。と、そのときふいに思ったのです。それってやっぱり違うかも。とにかく説明してみよう冷静に思い直したわたしは、とにかく説明してみることにしました。Upload By アマミモヨリ筆箱の帯は、お店で目立つために付いていること。このまま使ってもいいけれど、すぐにやぶれてしまうこと。そしてこれからは買う前に、「この部分は外して使うよ」って教えるねと約束しました。すると──思いがけない息子の反応Upload By アマミモヨリ説明を聞いたヒルマは、「はずしていいよ」とすんなり納得。「はずしてもカッコいいから」と笑顔です。その反応にわたしはビックリ!だって筆箱を買い替える覚悟でしたから。その夜、さっそく夫に報告しました。Upload By アマミモヨリゆずれない困りごとが減っていく。出来なかったことが、出来るようになる。小さな一歩がこんなにもたくさんあるから、これってラッキーだなあって、今ではおだやかにそう思えます。進級準備もあと少しさて、進級準備も残すは赤白帽に名前を書くだけというときのことです。帽子から値札を取ろうとすると、すかさずヒルマが言いました。Upload By アマミモヨリえ!値札も!?いやいやいや、赤白帽に値札つけたままかぶっている子、見たことないから!Upload By アマミモヨリ「¥700」と印字されただけのシールのどこが、息子を魅了するのでしょう。筆箱のときと同じ説明をくりかえしながら、わたしはやっぱり息子のことが、さっぱりわからないと思うのです。生後から小学校入学までの葛藤の日々と、実体験を通して学んだ、親子が笑顔でいられる習慣や暮らしの工夫を伝えるエッセイ。発達障害、グレーのお子さまを持つママはもちろん、すべてのママにすぐに役立つヒントが満載。
2019年05月14日ADHDがある息子は、運動が苦手Upload By かなしろにゃんこ。息子リュウ太は、小学生の頃「跳び箱が跳べないから体育に参加しない」「徒競走はいつもビリ」というように“運動センス0男子”でした。他の子と比べて体幹が育っていなかったうえ、ボディイメージも悪く、思った通りに体が動かず、体のバランスをとるのも下手…。近所の同年代の子たちと遊んでいても、鬼ごっこや追いかけっこでみんなのようにうまく逃げることができなくて、「またボクが鬼!?もうやだ!」と、ふてくされて家に帰ってきていました。このような状況になると、「鬼にならないように、次はうまく逃げよう」「もっといい場所に隠れよう」というように、失敗をくり返しながら試行錯誤して体が鍛えられていくものですが、息子の場合は「家でゲームしよ~っと!」と、簡単にやめてしまっていました。少しでも運動してほしくて、ボール遊びに誘ってみることにUpload By かなしろにゃんこ。息子に少しでも運動してほしくて、ボール遊びに誘ってみたのですが…。ボールを蹴るのも下手なので、球をうまく追いかけられず、すぐにヤル気をなくしてしまいます。うまくいかないと「ボクが蹴りやすいように蹴り返してよ!」と怒られるのですが、私も息子にいいボールを蹴ってあげられなくて、想定外の場所にボールがとんでいっては親子でグダグダに…。そうなると、息子は「ボク、もうやめる」と言って家に入ってしまっていました。「自分は何をしてもうまくいかない…」という感じで、なかなかヤル気を出してくれない息子。何か良い方法はないかと考えていたとき、実家の押し入れから、私が若い頃に使っていた軟式のテニスラケットが出てきたのです。Upload By かなしろにゃんこ。私は昔、友だちとふざけながらこのラケットでよく遊んでいました。友だちが架空のテニスプレーヤーになりきって、自分でプレーしながら自分の実況をするという遊び方をしていて、これが本当におもしろかったのです。そのとき「そうだ!コレだわ!」と、ピーンときました。そこで息子に、「お母さんと一緒にテニスやろう!」と誘ってみました。テニスといってもルールなどを設けず、ボールを打ち返して相手のコートに入れるという超シンプル・ルールのなんちゃってテニスです。「うん、べつにいいけど」とあまりノリノリではない返事でしたが、とりあえずやってみることはできました。でも、小学生の息子にはラケットも大きくて扱いにくく、うまく打ち返せず、「もう飽きた」と早々にリタイア。どうしたら楽しんでテニスができるだろう?いろいろ考えた結果、息子のプレーに母が実況をつけることにしました。息子と一緒に「テニス実況遊び」。さて、反応はいかに…?Upload By かなしろにゃんこ。私は息子を“リュウ太選手”と呼び、スポーツ実況のマネをして応援しながら打ち合うことにしました。空振りしても転びそうになっても「おーーっとリュウ太選手、惜しい!」と、”そのプレーはダメじゃない、ガッツがある”と絶賛する声かけを続けました。実況されると息子も嬉しいようで喜びます。これがきっかけで、選手になった気分なのか?下手でもプレーを楽しむようになりました。そして、それまでとは打って変わって、「お母さん一緒にテニスやろう!」と自分から誘ってくるようになったんです。この”実況つき”親子テニスは、小学校4年生の夏から6年生まで続けました。最初はボールを打つことやボールを追うことが難しかったのですが、少しずつ打ち返せるようになってきたり、ボールを追うことで足腰も鍛えられてきたように思います。ホメてホメてホメまくる!実況中継に恥じらいはご法度Upload By かなしろにゃんこ。実況しながらのプレーは、結構大変です。でも、これでスポーツへの抵抗感がなくなってくれるのなら…!っていう思いで、親子テニスを楽しんでいた3年間は、ひたすら実況し続けました。もちろん、テレビのスポーツ実況中継みたいにはいきません。息子が「なんか俺、めっちゃ褒めちぎられてるゾ」と思えるような言葉を並べただけの、なんちゃって実況です。はじめのうちは、家のそばを通りがかった人に聞かれたりすると恥ずかしいので、人が通るときは実況を中断…すると息子はすかさず、「お母さん実況やめないで!早く言ってーー!」と要求(汗)「人に聞かれたくないんじゃい!それに実況コメントのネタ尽きたんじゃい」と思っていた母でありますが…、そのうち息子と外で遊ぶときだけは母もなりきって遊ぼうと腹をくくりました。だって、恥じらいの気持ちがあると、コレできないんですもん(笑)実況つき親子テニスの効果や、いかに…?Upload By かなしろにゃんこ。おかげさまで息子はすっかりテニスが好きになりました。中学に入ると、早々に「オレ、テニス部に入ったから」と言うじゃないですか!運動オンチだった息子が運動部に!?…意外すぎました。どうやら息子は、「テニスならオレに任せろ!」と完全に信じ切っていたようです。でもコレってすっごく大事なことだと、私も実感できました。テニスを通して、息子は体の動かし方を体得したり、運動への苦手意識もなくなっていったからです。ところで…実際にテニス部の練習が始まると「こんなに厳しいの!?」と朝夕の練習に悲鳴をあげて驚いたことは言うまでもなく(笑)遊びでやっていた親子テニスとは違った!と気がついたようです。
2019年05月13日多様な経験を、支援に生かそう。福祉の仕事の基礎知識を得られ、複数の事業所と出会えるイベントを開催Upload By LITALICOキャリアLITALICOはこれまで、発達が気になる子どもの支援や、障害のある方の就職支援を通して、4万人以上の方に関わってきました。その中で感じたのは、支援する「人」の想いで、関わる人の可能性がひろがるということ。そして、支援する「人」が幸せでいることが、関わる人の幸せにつながるということ。だから私たちは、この業界で支援する「人」を増やし、想いがあって、多様な経験のある人に、この業界に関わり続けてほしいと思っています。もっと自分らしく働ける場所、困難のあるひとへのサポートが自分自身の幸せにつながる場所を見つけませんか?2019年2月に新たにオープンした、発達ナビの姉妹サイト「LITALICOキャリア」は、障害福祉・児童福祉分野に特化した求人サービス。ここでは、支援の仕事に新しく挑戦したい方、またこれから福祉業界に就職したい学生の方向けなど、「LITALICOキャリア」が開催するさまざまなイベント情報をご紹介します。【5・6月開催】LITALICOキャリア イベントラインナップUpload By LITALICOキャリア障害のある方の「働く」を支援する仕事って?LITALICOキャリアしごとフェスタ<イベント内容>・就労支援事業を展開する法人のブースを多数出展・就労支援の仕事についてゼロからわかる「まるわかりセミナー」/就職活動のコツがわかるセミナーなど、複数のセミナーを実施・業界専門のキャリアアドバイザーによる相談コーナーUpload By LITALICOキャリア発達が気になる子どもを支援する仕事って?LITALICOキャリアしごとフェスタ<イベント内容>・発達支援事業を展開する法人のブースを多数出展・発達支援の仕事についてゼロからわかる「まるわかりセミナー」/就職活動のコツがわかるセミナーなど、複数のセミナーを実施・業界専門のキャリアアドバイザーによる相談コーナーUpload By LITALICOキャリア【2020卒対象】フクシに興味のある学生大集合!LITALICOキャリアしごとフェスタ<イベント内容>・就労支援・発達支援事業を展開する法人のブースを多数出展・これで安心!福祉の就活まるわかり塾・新卒3年目以内の職員が語る!福祉のしごとのリアル・業界専門のキャリアアドバイザーによる相談コーナーUpload By LITALICOキャリア<イベント内容>・個別支援計画の考え方を知る/自分が実現していきたい支援や貢献について考えるワークショップ・児発管・サビ管として働く参加者同士でざっくばらんにお話しできる座談会・業界専門のキャリアアドバイザーに相談できるおしごと個別相談会「自分らしく働く」を考えるきっかけに発達が気になる子どもの「できた!」という笑顔を増やす。働くことに困難がある人の「働く喜び」を一緒に分かち合う。「LITALICO」キャリアで開催するイベントのテーマである発達支援・就労支援はそんな魅力ある仕事だと考えています。各イベントが「自分らしく働くとは?」を、一緒に考えられる機会になればと思います。みなさまのご来場をお待ちしております!▼LITALICOキャリアのサイトはこちら▼
2019年05月11日発達が気になる小学生の保護者の「知りたい」を詰め込んだ本に小学校生活では、勉強や友人関係、学校のきまりや行事など、さまざまな場面で「困った!」を感じるお子さんや保護者の皆さんも多いのではないでしょうか?出版社・すばる舎は、発達が気になる小学生の家庭生活から学習まで、さまざまな「困りごと」を解決するヒントを詰め込んだ本を制作しています。この書籍の制作にあたり、発達ナビ編集部も制作協力を、発達ナビのコラムの監修をしてくださっている井上雅彦先生も総監修としてかかわることになりました。Upload By 発達ナビ編集部そこで、発達が気になるお子さんを育てる保護者の皆さんから、子育ての中で感じている不安や疑問からご家庭での工夫まで、さまざまなご意見をいただき、よりニーズに合う内容の本にしたいと考えています。勉強・友達・家庭生活…どんなことに困っている?何が知りたい?アンケートを実施Upload By 発達ナビ編集部この本では、次のような内容について、具体的な困りごととその背景にあるもの、対応方法などを紹介していきたいと考えています。●家庭生活・身辺自立●学習・運動●学校・集団生活●人間関係●お金・時間・気持ちのコントロール「わが家では特にこれが困っている」「こんな風にしたらスムーズにできるようになった」といったさまざまな声を生かした本にしたいと考えています。ぜひ皆さんの声を寄せてください!【対象】5歳~15歳のお子さんを育てる保護者※該当するお子さんが2人以上いらっしゃる場合は、まずはお一人についてご回答ください。2人目以降のお子さんについては、お手数ですが再度フォームにご回答いただければ幸いです。【回答期限】2019年5月17日(金)本アンケートは、無記名で選択式及び記述式となっており、所用時間は15分程度です。
2019年05月10日発達障害の娘が小学5年生から始めた、進路選び主治医から、小学校卒業後の進路選択についての話をされたことをきっかけに、いろんな可能性、選択肢を広げるためにも、調べて・考えておこうと決心しました。でも、いろいろと調べるうちに、頭の中は疑問でいっぱいに…。そこで、実際に学校を訪れてみよう、この目で見てみようと考えるようになりました。地元の公立中学の見学に行く主治医から進路について聞かれて暫くしたころ、近隣の公立中学校の文化発表会がありました。私たちの住む地域では小・中学校一貫カリキュラムの一環として、高学年になると校外学習で近隣中学の文化発表会を見に行くことになっています。中学校の部活の様子や有志生徒による舞台パフォーマンスを見た娘は「小学校との違いに驚いた!中学生ってスゴイ」と楽しそうに話しました。当時、家庭や学校での娘の障害に対する認識不足と、クラスメイトからのいじめなどで辛い毎日を送っていた娘が「中学は楽しそう」と前向きな気持ちになってくれたことを私は嬉しく思いました。また、私たちの住む地域では「学校へ行こう週間」というものがあり、期間中は公立校の生徒や保護者に限らず、地域の住民、これから入学を考えている子どもや保護者などが、学校を見学できるようになっています。これは教育委員会が「保護者や地域の住民の学校に対する一層の理解と支援の醸成を図り、開かれた学校づくりの推進に向けた、各学校の主体的な取組を充実するため」に設定したものです。娘の話を聞き、ちょうどその時期に実施されていた「学校へ行こう週間」を利用し、私も近隣中学校への見学に行ってみることにしました。生徒達の「普段の様子」を見る最初に訪れた公立中学校は、こぢんまりとした学校で、学年により多少の差はあれど比較的落ち着いた雰囲気でした。生徒が来校者に自然と挨拶する休み時間に、廊下に設置してあるベンチで生徒がくつろいでいるちょっとしたことですが、このような風景は実際足を運んでみないと分からないことです。特別支援学級を見学中学1年生から3年生までのクラスを一通り見学した後、私は特別支援学級の教室を訪ねました。担任の先生に見学できるか確認すると、大丈夫とのことだったのでしばらく授業の様子を見学しました。見学の後、先生は私とのお話(特別支援学級の説明)の時間を取って下さいました。その対応からも、その学級が落ち着いていることが見てとれました。私は「入級するかどうかは分かりませんが」と前置きをして、娘の様子を先生にお伝えしました。先生は「中学生は自我に目覚める時期なので、通常学級にするか特別支援学級にするかは本人の意思を大切にした方がいい」と仰いました。通級指導教室も併設されていた学校見学を終え、帰ろうとしたとき、私はある教室に気がつきました。そこは『通級指導教室』でした。「ここが、主治医が話していた”通級指導”をしてくれるところだ…!」地元の中学に通級指導教室があることを、このとき私は初めて知りました。「せっかく来たんだし」と私はダメもとで通級指導教室の職員室のドアをたたきました。特別支援学級見学のときと同様に、入級するかどうかは分からないのですが、と前置きをした後「学校に行こう週間」を利用して見学に来た事を伝えると、一人の先生が面談の時間を取って下さいました。知識と経験豊かな、通級の先生通級の先生とほんの少し話をしただけで、先生の「一を聞いて十を知る」様子に私は衝撃を受けました。私は娘の小学校入学時に今の地域に引っ越してきてから、療育センターの心理士さんや相談員さんをはじめ、担任の先生、スクールカウンセラー、校長先生などさまざまな人に娘について相談をしてきました。それでも娘の状態は悪化する一方でした。そのため、この頃私は「公的機関や教育の場では娘のようなグレーゾーンと言われる子どもの対応は限界があるのだ」と感じていたのです。でも通級の先生は初対面にも関わらず娘や私の悩みと苦労をすべて分かっていました。そこに高い専門の知識と長年培われた経験があることを感じ、私は(こんな近くにプロフェッショナルがいたなんて!)と心底驚きました。そして20分ほどの面談の間に(こんな先生がいる学校なら安心して任せられそう)そんな希望を抱いたのでした。娘の特性を考えると、通級教室はきっと対象外だろう…。そう思ってはいても、帰り際に言われた「いつでも相談にいらしてくださいね」という声掛けに安堵感を得ることができました。そしてまた、特別支援学級の先生に言われたのと同じく、「中学生は自我の目覚めの時期なので、進路は本人の意思を大切にした方がいいですね」という先生の言葉を重く受け止めたのでした。教育委員会の教育相談へ秋の公立中学見学から半年がたち、小学6年生になった娘は教育相談に行きました。学校の所属や進路を決める目安になるものに、教育委員会で行われる発達検査と教育相談があります。翌年の中学進学の参考にするため、数年ぶりの発達検査と教育相談を受けることにしたのです。検査後の教育相談時、私は相談員の方に「娘のようなタイプは中学卒業後、どのような進学先がありますか?」とたずねました。Upload By 荒木まち子主治医に「通級」という言葉を初めて聞いたときと同じように、私は最初「手帳」の意味がわかりませんでした。そして私の住んでいる地域では、特別支援学校は療育手帳がないと入学できない(※)ことを初めて知ったのです。※療育手帳の所持が特別支援学校入学のために必要な条件かどうかは、地域によって異なります。特別支援学校高等部は見学できず…「現時点で療育手帳は取得できないとしても、高校入学の頃は療育手帳が取れるようになっているかもしれない」そう考えた私は、相談員さんから聞いた特別支援学校高等部の見学に行こうと思いました。でも当時、特別支援学校高等部では、小学生の保護者対象の学校見学会は行っていませんでした(現在は小学校高学年の保護者向けの見学会を行っているようです)。それでも「軽度の知的障害がある生徒が対象」といっても実際はどのようなタイプの学生が通っているのか、生徒達は何を目標にしているのか、娘に合いそうな学校なのかなど、少しでも情報が欲しかった私は、その学校が「地域支援・センター校の活動」として行っている「教育相談」を受けることにしました。娘がいきいきと過ごせる場所のイメージが、まだわかない私は特別支援学校の「教育相談」で、相談担当のコーディネーターの先生に、娘の中学について迷っている旨を伝えました。「中学から特別支援学級に入級した場合、そこでリーダー性を発揮していきいきと過ごす生徒さんと、自分の居場所は特別支援学級ではないと感じて嫌がる生徒さんがいます」それは通級教室の先生と同様、多くの困り感を抱えている生徒達を見てきた先生の経験に基づいた言葉でした。娘はどちらのタイプだろう?それまで通常級で過ごしてきた娘が「周りのみんな」と一緒が良いと思っているのは確か――。でも「みんな」との違いを感じ悩んでいるのも確か――。娘がいきいきとを過ごせる場所はどこなのか、その時点ではやはりまだ判断ができませんでした。コーディネーターの先生に「この特別支援学校高等部では、小学生対象の見学会は行っていません。でも、「学校に行こう週間」であれば来場者の制限はしていませんので、ぜひお子さんと一緒に見学にいらしてくださいね」と言われた私は、それまでの半年の間に、近隣の私立中学と私立・公立の高校の見学することを決めたのでした。次回のコラムでは、私立中学や高校の見学で感じたことについて紹介したいと思います。
2019年05月09日ついに始動!放課後等デイサービス利用への道娘の成長やきょうだいとの関係…最近、娘とのマンツーマンでの療育がスムーズにいかなくなってきたことに、私は悩んでいました…。そんな時、発達ナビのライター、シュウママさんの「放課後等デイサービス」のコラムを読んで、デイサービスの利用に興味を持ちました。夫も背中を押してくれたので、利用に向けて動き出すことにしました。Upload By SAKURA前回の失敗から学んで――今の私は一味違った!娘の療育関係の手続きとなると、自分で言うのはなんですが、すごくスピーディーな私。利用を決めた翌日に役場に電話しました。小学校への入学時、電話だけの対応や、人から聞いた情報で動き、結果行き違いを経験をした私。娘の学校には「通級しかない。特別支援学級はない」と勘違いしていたのです…。そこで今回は、直接役場の担当者へ会いに行きました。そして娘は、放課後等デイサービスを利用できそうだと分かりました。放課後等デイサービスの話をした時の、娘の反応は…?手続きに動き出す前に、私は娘に話をしました。Upload By SAKURA娘の前向きな言葉に、私の気持ちも固まり、それから申請…診断書…家庭訪問…面談…と慌ただしく動きました。そして、手続きのために動き始めて3週間ほどで、放課後等デイサービスの利用に必要な『受給者証』を取得することができました。私の期待以上に楽しみにしてくれた娘放課後等デイサービスの話を聞いてからというもの…Upload By SAKURA娘は、何度もデイサービスのことを聞いてくるようになり、楽しみにしてくれている気持ちが伝わってきました。そんな時、役場の担当者から連絡がありました。そして、まだ受給者証の取得前でしたが、見学ができるという話を聞き、私は娘を連れてデイサービスの事業所の見学に行きました。緊張の教室見学!心配はいらなかったようで…私たちが見学に行った時、部屋には4、5人の子どもたちがいました。学年はバラバラでした。私はドキドキでしたが、娘はわくわくした表情で教室の中に入り…Upload By SAKURA親の心配をよそに、娘は一瞬で馴染んでしまいました。その後娘は、教室内を確認するように、おもちゃや絵本を見ていました。そして娘からもらった、嬉しい言葉見学時間が終わり、帰る時…Upload By SAKURAその言葉に、罪悪感なんて感じる必要なかったんだ…と心が晴れた気持ちになりました。誰も特別ではなかった、放課後等デイサービス放課後等デイサービスは、とてもアットホームな雰囲気でした。療育施設…というよりは、クラブのような感じでした。特別支援学校に在籍している子もいるので、障害の種類もさまざま。そこではみんなが個性的。みんなが特別…だから誰も特別ではありませんでした。ここで過ごすことができたら、娘も個性豊かなお友だちとのコミュニケーションを楽しく学べるのではないか、そう感じました。Upload By SAKURA
2019年05月08日保育園の運動会3週間前に聞いた…”むっくんは、練習ができない”Upload By ウチノコ「実は運動会の練習に一度も参加できてなくて…」保育園の運動会3週間前、担任の先生は申し訳なさそうに私に告げました。当時むっくんは4歳11か月の年中さん、出場競技のかけっこ、障害物競走、ダンス全ての練習への参加を拒否しているとのこと。私と先生は話し合い、現状維持で見守ってもらいながら、原因を探っていくことにしました。特別な働きかけはせず状況を許容してもらうことにすると、運動会10日前頃からは得意なかけっこと障害物競走には参加するようになりました。参加していなくてもむっくんはしっかり先生やお友達を見ていたようで、段取りなどの理解ができたことで「できる!」と自信をつけたのでしょう。こういうケースのよくある子なので、まずは「待ち」の一手が大切なのです。ダンスは鬼門!Upload By ウチノコ一方ダンスには不参加を貫くむっくん。もともと模倣が苦手で、気が散りやすく先生をじっと見ることができないので、振り付けが把握できていない様子。さらに苦手意識のあるものは人前ではやらない、という美学を持っているので、ついにダンスの曲がかかるだけでその場から逃走するようになりました。でも、運動会当日は人出も多いので、逃走は怪我や事故につながる危険な行為です…。Upload By ウチノコ何か手を打とうと先生と相談し、誰にも見られない自宅で振り付けを教えることにしました。ダンスの動画と曲を準備して、先生から私が振り付けを教わり自宅練習開始です!しかし…やろうと言ってやる子ならこんなことにはなりませんので、もちろん簡単には踊りません。めげずに私が部屋で一人で勝手に踊り狂ったり…。Upload By ウチノコ振り付けをイラストにして貼ったり…とにかく、ダンスの振り付けが目に触れるよういろいろ頑張った結果、むっくんは徐々に振り付けを覚え、自宅であれば気分が乗ると踊ってくれるように!しかし、園では相変わらずダンス練習から逃走する日が続きました。「踊らない」ときの選択肢って?ついに運動会5日前になりました。でも、相変わらず続く逃走…。今まで参加を目標にフォローしてきたけれど、本当にそれでいいのだろうか?という疑問が私の中に産まれました。不参加でもいいじゃん?そのほうが本人も楽なんじゃないかな…とむっくんに相談してみるも、「運動会に全部出る!」という答え。そうは言っても、踊らないし、逃げ出すし、どうしたら…と悩むうち、ふと小さな疑問がうまれました。「そもそもダンスを踊らないときはどうしたらいいんだろう?」むっくんの選択肢をチャートにしてみると…Upload By ウチノコ「ダンスを踊る」の先にはさらなる選択肢があります。そのなかのどれを選んでも、きっと思い出に残る運動会になるでしょう。だけど、「踊らない」の先は選択肢がない。むっくんはダンスを求められている状況は理解しています。振り付けも覚えて踊ることもできます。でもコンディションによってはできないときもある。なのに、やりたくないときにどうすればいいのかの選択肢がないのです。どうしようと思いながら、たくさんの人の前で踊っているお友達の横で立ち尽くす。想像してみると、大人の私だって逃げ出したくなる場面です。Upload By ウチノコ踊りたい場合の選択肢は十分準備した。今度は踊りたくない場合の選択肢を作ろう!私とむっくんと先生は話し合って、「踊らないときのお約束」を決めることにしました。「約束、守ったよ!」むっくんの変化Upload By ウチノコ翌日、むっくんは逃走しませんでした。さらにむっくんの言葉は「今日も練習やらなかった…」から、「今日は先生との約束を守ったよ!」という、”できた!”の言葉に変化したのです。結局一度もダンスの練習に参加することなく、むっくんは当日を迎えました。一応逃走した場合の安全確保のため、園は先生をむっくんの近くに配置して下さいました。しかし!むっくんは本番で初ダンスを披露!!先生も私もびっくり!結局すべての競技に参加したむっくんは晴れ晴れとした笑顔を見せてくれました。Upload By ウチノコけれど、もし踊らなくても「できなかった運動会」になることはなかったでしょう。「踊らないときのお約束」があったのだから、どうやったって「しっかりがんばった運動会」になったと私は思っています。決断した勇気を大切にUpload By ウチノコ自分にも他人にも「やること」が「良い」で、「やらないこと」は「悪い」と思ってしまうことがあります。だけど「やらないこと」も立派な選択肢の一つで、決して否定されるものではないんですよね。どんな選択でも自分で決めたのならば、「良い」や「悪い」の評価は不要。決めたという事実、それが素晴らしいと私は思います。いつも個性的な選択をするむっくんですが、自分の選択に誇りを持ち、胸を張れ!と、これからも伝えていけたらいいなと思っています。
2019年05月07日休日出勤の土曜日。放課後等デイサービスに預けた長男に異変が…2月半ばの土曜日のこと。その日私は仕事、夫と次男は自宅、長男は放課後等デイサービスへと行きました。長男はいつもと変わらず食欲もあり、元気に放課後等デイへと向かったのです。私は繁忙期だったこともあり、会社へ行き仕事をしていました。Upload By シュウママところが昼すぎ、ちょうど職場でお弁当を食べているときのこと。夫から私の携帯に電話がかかってきたのです。夫が家にいるから大丈夫…そう思っていたら、大丈夫じゃなかった!「さっき放課後等デイから電話があってさ、シュウ、すごい熱が出てるから、今から家に送ってくるって。」Upload By シュウママ「じゃあ、病院連れてってね、私もなるべく早く帰る」土曜日の午後、診察してくれる病院は近所になかったのですが、たまたま放課後等デイサービスの近くにある病院を紹介してもらえたそうです。良かった…と思っていると、数分後、また夫から着信が!保険証はどこ?お薬手帳は?病歴書いたものってあるの?電話をとると慌てふためいている夫の声が聞こえました。Upload By シュウママ「えっと、寝室にある引き出しの一番上にあるよ」と伝えました。「お薬手帳も持って行ってね!」と言うと夫は分かったと言い、電話を切りました。その後、夫はすぐ長男を連れて病院に行ったのですが、母子手帳を忘れてしまった為、既往歴や出産時の体重などもわからず、かなりばたついてしまったようです。今までは私がほとんど長男の病院へと付き添っていたので、たいていのことは空で言えます。けれど夫が長男を一人で連れていくのは久しぶりだったので、すっかり忘れてしまっていたようです。加えて長男は自分の現在の状態を口で説明することができません。頭やのど、といった体の部位はわかっています。けれど、頭が痛いとかだるいとか、のどが痛いとか感覚的なものを伝えることは難しいので、その分手間どります。Upload By シュウママひとまずホッ。でも、いろんな状況をシュミレーションしておかないといけないなと気づいたその姿を見ながら、こりゃ普段からいろいろ教えておかないとな…とちょっと反省しました。常に母親である私が元気でいられるとは限りません。障害のない子どもであれば、5年生にもなると、なんでもほぼ一人でできるでしょうが、長男の場合、そうはいきません。学校には何を持っていくのか、着替えの服はどこにあるのか、クラスのお友達、先生の名前など…自分からパパに話して聞かせるのが困難な場合、私が長男の日常を夫へと伝えていくことが大事なのだと考えさせられた出来事でした。Upload By シュウママ
2019年05月05日いつから?何がいい?わが家の兄妹、それぞれの習い事選び春が近づくと、テレビやネットのポップアップでいろいろな習い事の広告が目に入ってきます。子どもに生きる力をつけさせたい!余暇時間に好きなことで有意義に過ごしてほしい!と考えていた私は、子どもにはぜひ習い事をさせたいと思っていました。でも、いつから始めるか?何をやらせたらいいか?についてはこれといった考えがなく、「まあ、同じ年齢の子どもよりのんびり育っているわけだし、小学校に入ってからでいいや。」と、ぼんやりしていたのでした。ところが…Upload By 寺島ヒロ娘がトリコになったのは、リンゴのキャラクターでおなじみの某有名音楽教室のCM。やはり音楽に感度の高い人には何か響くようなつくりになっているのでしょうか。あのソファミッソファミレッ♪というフレーズを繰り返し歌うようになりました。Upload By 寺島ヒロこの子は音楽に親和性が高いのかもしれない…と思い、本人の言うがまま、3歳3か月から音楽教室に入会しました。Upload By 寺島ヒロ現在、娘は中学一年生。ピアノの練習は面倒な時もあるけど、音楽や楽器がない生活は考えられないという感じです。小学校の6年生の頃は睡眠障害(概日リズム障害※)で朝どうしても起きられない日があり、学校も休みがちだったのですが、週一のレッスンには何とか皆勤できましたし、ピアノのクラスで一緒の友達とはいつもどおり接することができました。当初はもちろんそんなつもりはなかったのですが、大好きな音楽を介してつながれる人や場所が持てたことは、娘の心の安定にも寄与しました。学校以外に同じ年ごろの友達のいる居場所があるのは、逃げ場にもなるので良かったなと思います。※概日リズム障害…昼夜のリズムと体内時計がうまく合わず、調節できなくなって睡眠リズムがくずれてしまい、社会生活に支障をきたす状態のことです。子どもの場合、朝起きられないと園や学校にも遅刻してしまい、不登校につながりやすい傾向も指摘されています。Upload By 寺島ヒロ対して、お兄ちゃんのタケルは、あまりピアノなどの楽器には興味を示しませんでした。幼稚園の頃、同じ年ごろの子どもたちには当時Jリーガーが人気で、特に男の子たちはサッカーに夢中!でしたが、タケルは動物や虫の図鑑を見ているのが好きな子だったので、そういう子どもたちの輪にも入れなかったようです。音楽もスポーツも特に何もせず、小学生になってから、かかりつけのお医者さんの提案を受け水泳を習ってみることにしました。結局、この時入ったスイミングスクールに6年生まで通うことになりました。Upload By 寺島ヒロしかし、そんなに運動神経がいいわけではない息子…。一緒に入学した同級生たちは、3年生になるころには全員「上級コース」に進級してしまい、「基礎コース」にはタケル一人だけになってしまいました。「上級コース」に行った子どもたちは、どんどん泳ぐのが速くなり、全国的な大会に出るためバスで泊りがけで出かけたりするのですが、タケルはずっと「基礎コース」で小さな子どもたちや、新入会してきた大人たちと泳いでいます。タイムも大して伸びませんでした。体力づくりが目的とは言え、面白くはなかったのではないかと思い、「どうして辞めずに続けられたのか」と、聞いてみたことがあります。すると「いざというときの生存率を上げるためだよ!」と、決まってるじゃないかという顔で返されてしまいました。生物学者になってフィールドワークをする際、ジャングルや海で遭難しても生きて帰ってこれるようにだそうです。速くは泳げないけど、長く浮いているのはみっちりやったので自信があるとのこと。Upload By 寺島ヒロ子どもたちとスクールが教えてくれたこと目的のために黙って何年も頑張れるのはASD(自閉症スペクトラム)の特性的なところとも言えますが、スイミングスクールで、タイムを縮めることだけを良いこと、遅いのはダメなこととせず、速いことと、長く泳げること、どちらも良いと指導してくれたおかげで頑張れたのかもしれません。こういう視点を私自身忘れずにいたいものだと思います。
2019年05月04日【イベント】大きな紙に思いっきりペイント!横須賀美術館 障害児者向けワークショップ「みんなのアトリエ」(神奈川県)Upload By 発達ナビニュース横須賀美術館では、20歳以下の障害児者を対象に、障害児者向けワークショップ「みんなのアトリエ」を毎月第3土曜日に開催しています。このワークショップでは、障害の種類や程度にかかわらず、みんなでアートを体験することができます。毎月行われているワークショップですが、19年5月の活動内容は「みんなで大きな絵を描こう」。アクリル絵の具をつかって、10mの長さのロール紙に自由に絵を描きます。筆を使っても、身体に絵の具がついても平気なお子さまは手足を使ってもOK!自宅ではなかなか体験できない大胆な創作活動を思いっきり楽しむことができます。活動は事前申し込み制で、応募多数の場合は抽選となりますが、6月以降も毎月内容を変えながら開催予定。今後の活動内容もホームページにて確認できるので、ぜひチェックしてみてください。なお、この活動にはきょうだいや保護者も一緒に参加することができます。また当日は企画展「縮小/拡大する美術センス・オブ・スケール展」の開催期間となっているので、家族で訪れて、アートに触れる一日を楽しむことができますね。【日程】2019年5月18日(土)14:00~15:00(1時間程度)【内容】みんなで大きな絵を描こう【場所】横須賀美術館ワークショップ(神奈川県横須賀市鴨居4-1)【定員】10組程度【参加費】無料【参加方法】ハガキもしくはメールによる事前申込制。締切は活動の10日前。申し込み方法などの詳細はホームページをご確認ください。【セミナー】今年も開催!2019年夏のセミナー「自閉症スペクトラムの理解と支援」(東京都)Upload By 発達ナビニュース自閉症スペクトラムのある人たちが日々を安心して過ごせるように、そして自己肯定感をもって有意義な人生を送れるように。よこはま発達クリニックとよこはま発達相談室が毎年行っている夏のセミナー「自閉症スペクトラムの理解と支援」が今年も開催されます。セミナーは3日間にわたり開催されます。内容はそれぞれ、2日(金)『改めて基本特性から考える:理解と評価』、3日(土)『支援の原則と実際:構造化とコミュニケーション支援』、4日(日)『問題行動とそれへの対応』と、自閉症スペクトラムの基本特性を踏まえた支援や関わり方のアイディアから、問題行動への対応方法までを総合的に学べる内容になっています。講義は児童精神科医や公認心理師、言語聴覚士等が講師として行います。専門家から話が聞ける貴重な3日間。保護者、現在療育や支援に関わっている方はもちろん、これから発達障害の領域で仕事をしたいと思っている方も参加できます。【日程】2019年8月2日(金),3日(土),4日(日)10:00-16:45【会場】AP東京八重洲通り東京都中央区京橋1-10-7 KPP八重洲ビル【対象】保護者、実際に療育・支援に携わっている方、発達障害の領域で仕事をしたいと思っている学生などどなたでも【費用】各日10,000円(税込)※賛助会員の方は合計金額から2000円割引【定員】120名(先着順)【お問い合わせ先】一般社団法人発達精神医学・心理学研究会セミナールームseminar@ypdc.net【イベント】障害のあるお子さんとそのご家族をご招待!井の頭自然文化園「ドリームナイト・アット・ザ・ズー」(東京都)Upload By 発達ナビニュース2019年6月8日(土)、東京の井の頭自然文化園で閉園後の時間に「ドリームナイト・アット・ザ・ズー」が開催されます!ドリームナイト・アット・ザ・ズーとは、障害のあるお子さんとそのご家族を閉園後の動物園に招待し、 楽しいひとときを過ごしてもらう趣旨で開催されている国際的な取り組みで、1996年にオランダのロッテルダム動物園から始まり、現在では世界中で実施されています。井の頭自然文化園では当日、特別ガイド「飼育係にきいてみよう」、ヒツジと一緒に記念撮影、いろいろな動物たちに大接近、フェネックの着ぐるみと記念撮影など、さまざまな企画を実施します。視覚障害者向けプログラムや、聴覚障害者への手話対応なども行われるので、いつも以上に動物園を楽しむことができますね。【日時】2019年6月8日(土) 17:30~19:30【場所】井の頭自然文化園動物園(本園)【対象】「身体障害者手帳」「療育手帳」「精神障害者保健福祉手帳」「小児慢性特定疾病の受給者証」をお持ちの方とそのご家族※申請中の方を含みます。【参加方法】事前申込不要※手話対応をご希望の方は、5月8日(水)までにご連絡ください。【問い合わせ】井の頭自然文化園 教育普及係(9時~17時)電話:0422-46-1100FAX:0422-46-1906Eメール:idream@tokyo-zoo.net井の頭自然文化園【ニュース】日本各地でさまざまなイベントも開催!5月5日から11日は「児童福祉週間」出典 : 厚生労働省が定める児童福祉週間についてご存知でしょうか。子どもや家庭、子どもの健やかな成長について国民全体で考えることを目的に、毎年5月5日の「こどもの日」から1週間を児童福祉週間と定めています。子どもたち自身が理想の社会や新しい未来を築く取り組みを進めていくことや、それを応援する環境を整備していくことも大切だという考えのもと、子どもたちから事前に児童福祉週間の標語を募集するなど、子どもも大人もいっしょに児童福祉について考える機会となっています。児童福祉週間の期間中に行われる運動には、「障害のある子ども等に対する理解の促進」も項目として含まれており、「障害のある子ども等に対する地域住民一人ひとりの理解を促進するとともに、障害のある子どもも障害のない子どもも日々の生活や遊びを通じて、共に育ち合うことが大切であり、障害のある子ども等があらゆる活動に参加できるように努める」と実施要領に記されています。期間中には、全国各地の国営公園等の入園が無料になるほか、各地でさまざまな子ども向けイベントが行われるので、近隣の情報をチェックしてみてはいかがでしょうか。児童福祉週間について(厚生労働省)
2019年05月03日見やすく分かりやすい工夫が詰まったユニバーサルなデザイン『みんなの地図帳~見やすい・使いやすい~』弱視をはじめとする視覚に障害のあるお子さん向けに、視覚に障害のある教員を含めた日本視覚障害社会科教育研究会の会員が集まり、約4年にわたる検討を経て作成された地図帳です。日本地図28枚、世界地図38枚の地図が収録されており、地図帳の使い方や記号の意味も見やすく分かりやすく説明されています。各ページで図の左上にタイトルが入るように統一されていたり、地図部分を枠線で囲ってその外側に緯度経度やページ数が配置されていたりと、レイアウトにも見やすい工夫が施されています。また各地図上に記載されている都市名や自然物は、小・中・高等学校での学習で必要な基本的な項目に絞られているので、1つのページに多くの情報が詰まっている従来の地図帳よりも探したい情報を見つけやすく、学びやすいデザインになっています。視覚に障害のあるお子さんだけでなく、学習に困難さを感じている多くのお子さんにとって学びやすいユニバーサルな地図帳です。自分の気分を楽にする方法を、分析して見つけてみよう!『ビジュアルブック ASDの君へ:ラクな気持ちになるためのヒント集』当事者のお子さん向けに描かれた本書は、自分の現在の気分を理解する方法、気持ちをラクにする身体の使い方や呼吸の仕方、自分なりの休憩方法や気分転換の仕方などを、イラストをベースに分かりやすく説明しているビジュアルブックです。具体例も多く記載されているので、お子さんが自身に当てはめて考えながら読み進めることができます。今まで知らなかった新しいリフレッシュ方法を見つけることができるかもしれません。また巻末には、気持ちをラクにするために自分にとって良い方法はなにかを分析するためのワークシート付き。嫌な気持ちになるのはどんなときか、楽な気持ちになったのはどんな活動をしたときかなどをワークシートに沿って書き出すことで自己分析ができます。本編を読んだらワークシートを使用して、自分にあった気持ちをラクにする方法を考えてみましょう。不登校時代、さまざまな知識や人との交流はすべてゲームを通して学び育んだ――『ゲームは人生の役に立つ。生かすも殺すもあなた次第』18歳で起業し、24歳の現在、地域活性化伝道師としても活躍している著者の小幡さんは、子どものころ、約10年間不登校で過ごしていました。そんな小幡さんの人生を豊かにしてくれたのはゲームでした。テレビやパソコン、スマートフォンでたくさんのゲームに触れることができる現代、お子さんがゲームばかりしていることに悩んでいる方も多いのではないでしょうか。ゲームを通した人との繋がりや、ゲームで積み重ねた成功体験による自己肯定感。ゲームを通じて好きになった日本の文化や歴史。ゲームを通して得た多くのことが、著者の現在の活動にいかされています。正しく遊べばゲームは人生を豊かにしてくれる。好きなことに没頭する子ども時代を経て今の人生を楽しく生きる著者の言葉は、不登校に悩むお子さんや親御さんにもヒントを与えてくれるはずです。患者と向き合い続ける医師が語る支援のあり方『ADHDとともに生きる人たちへ医療からみた「生きづらさ」と支援』本書は2017年と2018年に田中康雄先生が金子書房主催により開催したワークショップの内容を元に書籍化されたものです。ADHDの概念や診断基準の歴史から、現在の支援方法までが優しい言葉で書かれています。また、ただ診断結果をつけてそれに基づいた支援をするだけではなく、一人ひとり違う複雑な特性や多様な生き方に応じた支援のあり方や家族も含めた支援の大切さについて、多くの患者と向き合ってきた医師だからこその思いが垣間見える内容となっています。「生活の障害にならなければその発達障害の特性は良い特性だと思っている」と書かれているように、当事者とその家族の生活を知り、困っている部分を解決し、良い部分を伸ばすという田中先生の考え方は、ADHDの当事者にとっても支援者にとっても背中を押してくれるものとなるでしょう。インクルーシブな視点からみる発達障害支援『公認心理師・臨床心理士のための発達障害論インクルージョンを基盤とした理解と支援』主に公認心理師・臨床心理士などを志す学生や現場で支援に携わる専門職向けに書かれた専門書ですが、発達障害について初めて学ぶ人にも読み進めやすい、分かりやすく丁寧な内容になっています。内容は、発達障害の定義からライフサイクルに沿った支援のあり方までが記されています。中でも第8章から第12章には、発達障害のお子さんに対する発達支援、家族支援、学齢期の社会資源の活用や学習面のサポートなど、年齢に合わせて必要となっていく支援内容について書かれています。インクルーシブな環境での育ちを大切にしながらその子にとって必要な支援を取り入れていくという支援体制のつくり方は、発達障害のある子どもたちの支援に関わる人や、これから関わろうと考えている人にぜひ知ってもらいたい内容です。
2019年05月01日発達特性は、仕事の武器になることも“失敗”につながることもある私はベンチャー企業で、社内プログラマとしてシステム開発の仕事をしており、現在は管理職にも就いています。前回の記事では、ADHD(注意欠陥・多動性障害)とASD(自閉症スペクトラム障害)があると診断されている私の発達特性が、仕事の場面でプラスに働いている部分についてご紹介しました。特性を活かすことで仕事上の武器となった経験もありますが、もちろんうまくいくことばかりではなく、さまざまな場面でたくさんの失敗もしています。 そこで今回は、特性が影響して失敗してしまった経験や、その乗り越え方についてご紹介したいと思います。出典 : 新卒で入った会社で、自分が作ったプログラムの説明をしていたとき、それを聞いていた先輩から「きみが言ってることはよく分からない」と言われました。私としては「なぜこのようなプログラムを組んだのか」が分かるように説明していたつもりだったのですが、周りの人たちにはまったく伝わっていない様子だったので、とてもショックを受けました。その後も同じようなことが続いたので、私は「なんであの人は、こんな簡単なことも分からないんだ!」「あの人たちは頭が悪いんだ!」というように、説明が伝わらないのは周りのせいだと思っていました。でも…何度か同じことを繰り返しているうちに、私は「これは周りが悪いのではなく、自分の伝え方がよくないのでは?」と思うようになりました。今振り返ってみると、私は「自分は知っているけども、相手は知らないこと」を説明しないまま、自分の考えを説明していたのだと思います。…と、ここだけ書くとよくあるビジネス書の一節のようになってしまいますが、私の場合はそもそも「自分と相手は違う考え方をしていて、知っている情報も、考えている前提条件も違っている」ということを、想像することさえできていませんでした。これは恐らく「自分の理解と相手の理解が異なっていることを想像できない」という私の特性のために起こっていたのだと思います。◇失敗からの学びと解決策◇この状況を何とかするために「自分と同じ考えをしている人が誰もいない環境で、自分の考えを意図通り伝えるためにはどうしたらいいか?」を考えながら試行錯誤し続けてきました。相手は、自分が知っていることを同じように知っているとは限らない。それに気付けたことで、何か説明する場面でもしっかり意識できるようになり、今では当時ほど「自分の考えが伝わらない」ということは少なくなりました。むしろ「きみの話は分かりやすいね」と言ってもらえることもあり、うまくやれるようになってきたと思っています。出典 : 以前、とあるECサイトの改修を行う際に、稟議を通すための資料を作るよう依頼されたことがあります。そのとき「前に作った資料があるから、それと同じように作って」と言われました。指示を出す側としては「同じようなレイアウトで、同じようなデータをまとめてほしい」という意図なのだろうと理解したのですが、そもそも何を説明するための資料なのかという“目的”が分からなかったため、どこから手をつければ良いのか分かりませんでした。これは「あいまいな状況では、すべての可能性を考えてしまう」という私の特性によるものだと思います。データ項目が同じならいいのか、フォーマットが同じならいいのか、フォントまで一致させなければいけないのかなど、「何をどこまで同じにすればよいのか」「どの情報が必要で、どの情報が不要なのか」が分からず、あらゆる可能性を想像しすぎてしまったのです。◇失敗からの学びと解決策◇そこで、このようなあいまいな指示を受けた場合には「同じフォーマットで同じデータ項目を用意するイメージですか?」「少し作ってみたんですけど、このような感じでよろしいでしょうか?」というようにこちらから確認するようにしています。出典 : 新卒の頃、その部署にかかってくる外線電話の電話番を担当していました。もうご想像いただけるかもしれませんが、電話番をするのがとても苦手でした。電話をとって「電話をかけている人の名前」や「電話の宛先の人の名前」を聞き取ろうと思うのですが、うまく聞き取れず、何度も聞き返すことになってしまいます。そして相手の声がどんどんイライラしてくるのが伝わってきて…。電話がかかってこないことを祈る毎日でした。なぜ電話番が苦手なのかを考えてみたのですが、プログラミングにのめりこんでいるときに電話がかかってくると、それまでやっていたことを頭から追い出して、相手の話を聞きながらメモを取らなければなりません。一度にやらなければならないことが多すぎて、「何かひとつのことに集中しているときに、他のことを並行してこなすことが難しい」という特性がある私にはとても難しかったです。これまでご紹介した事例では、試行錯誤しながら自分なりの対応方法を見つけていて、現在はほとんど問題がなくなったものばかりでしたが、電話対応の難しさについては未だに解決策を見つけられていません…。職場の同僚に電話対応が苦手なことを伝えたりして、なるべく電話に出なくてもよい状況を作っている、というのが精一杯です。自分でもどうしようもないこともある。でも、何とかなる!出典 : 私は、自分の特性について「工夫で何とかなる特性」と「自分ではどうしようもない特性」があると思っています。自分の力で特性をうまくコントロールできなくても、代わりの方法を見つけることで何とか切り抜けられることもありますし、その特性があっても失敗しない状況を作るように働きかけることもあります。もちろん、それでも失敗することだってあります。そんなときは「次は何とかしたい!」と思いながら改善策を試していくことで、何もしないよりは失敗する頻度が減るかもしれませんし、それでもどうしようもないことは受け入れるしかない場合もあります。そんなことを繰り返しながら、私も何とか30年以上やってこれました。今は新年度が始まり、環境が変わった人も多い時期です。新しい環境では、普段以上にいろいろな失敗をすることもあるかもしれませんが、参考にしていただければ幸いです。
2019年04月26日ASD(自閉症スペクトラム)のある人の理解と支援を広げるために毎夏、よこはま発達クリニックとよこはま発達相談室は、一般の方向けに、ASD(自閉症スペクトラム)に関するセミナーを行っています。どうして、セミナーを始めこれまで続けてきたのでしょうか?私たちは1997年に当時としては珍しい発達障害を専門にする「仲町台発達障害診療所」を立ち上げ、2000年に現在のよこはま発達クリニックに改称し、以来20年以上にわたってASD(自閉症スペクトラム)を中心に発達障害の医療と支援を行なってきました。初代の院長は故佐々木正美先生にお願いしました。私たちはTEACCHプログラムの創始者であるエリック・ショプラー先生、アスペルガー症候群と自閉症スペクトラムの概念を提唱したローナ・ウイング先生を始めとして多くの先生から自閉症について学んできました。参考:『本当のTEACCH―自分が自分であるために』私たちがクリニックを受診される方々を支援するときに常に大事にしてきたのは「自閉症でok」、「親子で穏やかな生活を目指す」、「家族と協力して子どもを支援する」、「一人ひとりの特性や興味・関心に合わせた無理のない設定をする」、「環境を整える」ということです。そのためには、より多くの人たちの理解が必要となります。仲町台発達障害診療所を開設以来、私たちは毎年「夏のセミナー」を行ってきました。そしてセミナーでは、ASD(自閉症スペクトラム)についての基本的な知識や支援の方法を紹介してきたのです。ASD(自閉症スペクトラム)がある人の生活を支援するには出典 : 「構造化」という言葉をお聞きになられたことのある方は多いのではないでしょうか?私たちは、無理に“普通”に近づけようとしたり、周囲にあわせるのではない。環境を整えて、本来持っている能力を発揮しやすくすることを目指してきました。そのためには、自閉症スペクトラムの特性を理解することが大切だと考えました。そして、支援を考える際には「構造化」を大切にしてきました。クリニックを立ち上げた頃には「構造化」の考えを取り入れる学校や福祉機関は少なかったのですが、徐々に日本でも浸透してきました。しかしながら、ASD(自閉症スペクトラム)の方の支援を考える際には大切で、有益な考え方ですが、誤解や誤用も多いのが現状だと思います。「構造化」する背景には自閉症の特性が深く関係しています。その理解をせずに、とりあえず「やってみる」ではうまくいかないことも多いのです。「なぜやるのか」を支援者一人ひとりが考えることが大切です。そこで、「構造化」についての正しい理解と、その理解に裏打ちされた「支援」の実現の一助となるよう、毎年セミナーを開催しているのです。2019年夏のセミナーでは、具体的なアイディアを紹介しつつも、「なぜやるのか」「どうして必要なのか」に焦点をあてながら、支援のエッセンスについて共有していこうと思っています。ASDについて、基本的な知識や支援の方法を紹介するセミナーを開催出典 : 「令和」最初の『夏のセミナー自閉症スペクトラムの理解と支援』は、東京駅前で開催することになりました。セミナーの内容について、簡単に紹介したいと思います。セミナー1日目となる8月2日には、児童精神科医の蜂矢と公認心理師の北沢が自閉症スペクトラムの基本特性について解説します。自閉症特性は年齢や認知水準によってさまざまな表れ方をします。発達特性に基づいた正しい評価とは、子ども一人ひとりの発達特性や認知特性、興味や関心のあり方を把握することから始まります。心理検査データのパターンだけで支援方法が決まるわけではありません。発達特性の理解に基づいた適切な評価を通じて、一人ひとりの支援プランと具体的な対応を考えましょう。2日目は公認心理師の佐々木と言語聴覚士の飯塚が担当します。自閉症スペクトラムの方々への支援は、一律の方法があるわけではなく、それぞれの方に合わせた支援・関わり方が大切だと考えています。今回はそのためのアイディアの一つとして、「構造化」と「コミュニケーション支援」についてお話をさせていただきます。午前中は、なぜ構造化をするのか、構造化の意味を共有させていただいた上で、さまざまな知的レベルや年齢の方への具体的な方法を紹介いたします。午後は、穏やかに、そして充足感をもって暮らすためのコミュニケーション支援について、さまざまな発達段階の幼児〜大人の事例のビデオをお見せしながら解説いたします。3日目は児童精神科医の宇野と内山が問題行動について背景や対策を考えます。ASDの問題行動は、かんしゃく・自傷・他害行為、多動や不注意などの衝動的行動、ひきこもりや昼夜逆転などに加え、いわゆる触法行為、さらには自殺企図やうつ・不安などの精神科的問題など多岐にわたります。その多くが、自閉症特性への配慮不足から生じていると考えられます。この講座では、ASDにみられやすい問題行動を解説し、その対応の方法を、海外での研究動向なども含めて紹介します。3日間のセミナーで、さまざまなことをお伝えしたいと思っています。ぜひ日々の支援に生かしてもらえたらと願っています。日時:2019年8月2日(金)~4日(日)場所:AP東京 八重洲通り(東京都中央区京橋1-10-7 KPP八重洲ビル8/2(金)7階 / 8/3(土)8/4(日)13階)プログラム:◇8月2日10:00~16:45 『改めて基本特性から考える:理解と評価』◇8月3日10:00~16:45『支援の原則と実際:構造化とコミュニケーション支援』◇8月4日10:00~16:45 『問題行動とそれへの対応』講師:蜂矢百合子(児童精神科医、よこはま発達クリニック/相談室)北沢香織(公認心理師・臨床心理士、よこはま発達クリニック/相談室)佐々木康栄(公認心理師・臨床心理士・精神保健福祉士、よこはま発達相談室/クリニック)飯塚直美(言語聴覚士、よこはま発達相談室/クリニック)宇野洋太(児童精神科医、国立精神・神経医療研究センター)内山登紀夫(児童精神科医、よこはま発達クリニック院長/よこはま発達相談室代表、大正大学 教授)対象:保護者、実際に療育・支援に携わっている方、学生など(中学生以下の参加はできません)料金:各日10,000円(税込)定員:120名(先着順)事務局:よこはま発達相談室(www.ydc-r.com)seminar@ypdc.netよこはま発達相談室よこはま発達クリニック
2019年04月25日Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみそして10年以上前にうつ病となったとき、通っている精神科の主治医に「趣味や余暇を大切にして」と、リフレッシュをオススメされました。でも…。Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみすっかり俳優のK田くんに心を奪われた私は、彼の情報収集が毎朝のルーティーンになりました。彼の出演作を毎日繰り返し見続け、研究することが私の趣味になったのです。Upload By ひらたともみ映画に出れば主役級のK田くん。映画には一般向けに試写会や初日舞台挨拶で出演者が登壇するのですが、このチケットをとるのはいつも争奪戦です。前列ともなるとプラチナチケットといってもいいほど。舞台挨拶の日はもちろん朝からスタンバイ!だから前乗りは必須です。前日夜から会場近くのゲストハウスに泊まります。ちょっとしたプチ旅行気分にもなれます。ちなみに、ゲストハウスでのお楽しみは、同じ宿に泊まっている外国の方との会話。(某オンライン英会話で勉強中なものの、なかなか上達しない)英会話の勉強も兼ねて積極的に外国人に話しかけるようにしています。日本にいながら、海外旅行気分も味わえるんです。Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみうつ病になって、一番困ったのが「リフレッシュ法」でした。私の場合、相手が知っている人だと、コミュニケーションするときにいろいろ考えてしまったり、頑張りすぎてしまう傾向があります。本当に疲れているときに友だちとお茶するとなると、ものすごいエネルギーが必要になり、ストレスフルに。どんどん心が疲弊してしまいます。対して、初めまして!の外国の方とのコミュニケーションは、ウエルカム。英語もろくに話せないのにストレスにならないか…と言われるのですが、外国を知らない私の異文化交流は、もっと知りたい、もっと話したい!という好奇心でいっぱいにしてくれます。K田くんの舞台を見て、娘とはしゃぎながら乗り継ぐ車窓からのネオンは、「ここには私に声をかけてくる知り合いがいないんだ」という安心感でいっぱいになります。知り合いがいない、いつも過ごしている場所とはちがう街での時間は、心を解放してくれる…からかなと思っています。私の場合、K田くんを追いかけることとゲストハウスの組み合わせが元気の源。私に限らず、いま、うつに悩んでいる人、苦しいなと感じている人は、好きなことをどんどん見つけて行動してみると、リフレッシュできるんじゃないかなと思います。行動するのは、最初はちょっとしんどいかもしれないけれど、試してみてもらえたらなと思います!のびのびと頑張らない自分でいられる場所こそが、今の私のリフレッシュ法。あとはコンビニのお惣菜とビールがあれば、最高です!
2019年04月25日娘の成長とともに、変わってきた親子関係小学2年生になってから、私への反抗が少しずつ強くなってきた娘。少しずつ、少しずつ…私たち親子の関係は悪くなっていきました。日常生活のいくつかのシーンで、険悪ムードになることもしばしば…。Upload By SAKURAこれが成長から来るものだと分かってはいました。私の指示にただ従うのではなく、自分で考えるようになってきたことで「私はこうしたいのに…」というような自我が出てきたんだ、と。だから、宿題や片づけに関しては、無理強いすることはないと捉えていました。でもその反抗は、わが家の「療育」にも影響してしまうようになってきたのです。忘れられないあの日のできごと宿題の間違いを正そうとしない娘に、その気持ちを聞こうと試みても…Upload By SAKURA私と面と向かって座ることも嫌がり、その後も私の言葉に耳を傾けてくれませんでした。さらに、「ママは私を可愛がっていない」という言葉は、私の心に突き刺さりました。そして私の心をえぐる言葉が…すかさずフォローしてくれた夫…しかし私は、娘の言葉がショックすぎて、放心状態でした。Upload By SAKURAその日から、私の悩める日々が始まりましたこの「療育」の日々は…私の独りよがりなのだろうか…。娘にとってはありがた迷惑なのだろうか…。今まで歩んできた日々が全部否定された気がしました。Upload By SAKURAそれから、私たちの関係は少しぎこちなくなりました。私が出合った、ある一つのきっかけそんな時、私は発達ナビで、とあるコラムを読みました。『自閉症長男を預けてラクしていいの?放課後等デイが母に教えてくれた「前向きな理由」』という、シュウママさんのコラムです。Upload By SAKURA現在私は在宅で仕事し、息子(下の子)を保育園に預けています。それもあって、娘は私が見なければ!預けるなんて、そんな楽をしてはいけない!と、このコラムを読むまで、思っていました。しかし、シュウママさんのコラムにあった「預けることで、母親は子どもに対して、心にゆとりを持って接することができる」という文章を見て、ハッとしました。親としての私を振り返ってみると…私は普段、娘が帰宅するまで仕事をし、娘の帰宅後は、宿題を見ながら、家事・炊事・宿題・療育を終わらせて、息子を保育園に迎えに行きます。思い返せば、娘と衝突することが多いのは、この夕方の時間帯。常にバタバタしていて、余裕をもって娘に接していなかったかもしれません。Upload By SAKURAそれでも私は、やっぱり放課後等デイサービスに頼っていいかわからず、できる限り余裕を持てるように、仕事や家事のやり方を試行錯誤してみました。しかし、どうしてもスムーズにいかず、子どもたちの病院まわりが入ると、私の一日はいくら時間があっても足りません。夫に話してみると、意外な反応が返ってきました!迷った私は、夫に「放課後等デイサービス」について相談しました。Upload By SAKURA夫は即答で賛成してくれました。そして、「あーさんが俺たちのいないところで、いろんな人と関わりながら学んでいるステップに来てるんだよ」と言いました。一番身近な人が、放課後等デイサービスでの人との関わりが娘の成長の過程にきっと必要なんだよ、そう背中を押してくれた――。「自分が楽をしていいのか」という自分基準で考えていたことを、夫は娘の成長を基準にとらえ、賛成してくれたのです。きっと夫は、娘の成長のことも、私と娘の関わりがうまくいっていないことも、私の悩みも、さまざまなことに思いをめぐらしたうえで、そう言ってくれたのでしょう。娘基準で考えたらいい、そう思えたとき、私の罪悪感は消え、「放課後等デイサービス」の利用へと、動き出す決意ができたのです。次回は、放課後等デイサービスを利用するまでのこと、どういう基準で利用する施設を選んだのかについて、ご紹介したいと思っています。
2019年04月24日自閉症の娘・サンちゃんの証明写真撮影はじめまして!たなかれもんと申します。娘のサンちゃん(自閉症で重度の知的障害あり)と、息子のワッくん、旦那さんと、日本の真ん中あたりで4人暮らしをしています。サンちゃんがもうすぐ5歳になる頃、証明写真を撮ることに。証明写真といえば、カメラ目線がマストです。それに、せっかくなら笑顔で可愛い写真が撮りたい…。いつも動き回っている娘、ブレずにカメラ目線の写真は撮れるの?娘の自然な笑顔を引き出せる場所って?大丈夫、とっておきの場所があるんです。今日はそんなある日の、たなか家の様子を紹介します。Upload By たなか れもんUpload By たなか れもんUpload By たなか れもん2年後…次の手帳更新に向けて、早くも動き出すわが家なのでした。
2019年04月23日小5なのに、もう中学校のことを考えるの?娘が小学5年生の秋のことです。その頃娘は、通常学級に在籍していましたが、主治医から「小学校卒業後の進路についてどう考えているか」と問われたのです。Upload By 荒木まち子それまでわが家では、毎年度末に「来年は通常学級にするか?特別支援級にするか?」ということを、本人も含めた家族で話し合って決めていました。そのため、主治医からこの話をされた当初は「まだ小5なのに、今から中学校のことを考えるなんて早すぎるのでは?」と思ったのです。でも…よく考えてみると、すぐに「決める」というのではなく、早いうちから「調べて」「考えておく」ことは、娘の将来の選択肢を広げる上で確かに大切なことかもしれないと思うようになりました。発達障害の子どもの進路は「分からないこと」だらけ!この出来事をきっかけに、発達障害がある娘の進路についてあれこれ考えてみました。すると、たくさんの疑問が浮かんできたのです。・中学校から特別支援学級に入級すると、特別支援学校高等部しか選べないの?・知的・身体障害がない場合、中学で特別支援学級に通っていても、特別支援学校高等部には入れないの?・特別支援学級に在籍していても公立高校を受験できるの?(内申書はどうなるの?)・地元の中学校に進学しない場合、その他の選択肢は、私立中学やフリースクールになるの?・高校ではなくフリースクールに進学する場合、高校卒業資格は取れる?取れない学校もあるの?・高校卒業後の進路ってどうなるんだろう?考えれば考えるほど、疑問は増していきます。そして小学校卒業後に通う中学校を決めることは、その先の高校や、さらに先の進路にも影響してくるのだということに気づきました。娘がこれからどう成長していくのかはまだイメージできないけれど、とりあえずどうなっても対応できるように、たくさん情報を集めよう。そして選ぶのは子ども自身だとしても、親がある程度は情報整理しておくようにしよう。私は、そう考えるようになったのです。いざ、情報収集スタート!当時娘は小学校の通常学級に在籍していたため、障害のある子どもに配慮された中学や高校の情報は入手することが難しく、自分たちで積極的に調べて探すしかありませんでした。そこで、娘の学習支援とSST(ソーシャルスキル・トレーニング)をしてくれていた家庭教師の先生に、中学や高校について尋ねてみたところ、さまざまな資料を持ってきてくださいました。そして、私が思っていた以上に多様な学校があることを知ったのです。例えば、通信制高校は学校教育法により「高等学校」と定められているので、一定の条件を満たせば高校卒業資格を取得することができます。でも似た名前の「通信制サポート校」は、通信制高校に通う生徒に対して勉強や精神面での支援を行っているので、通信制サポート校で勉強したとしても、高校卒業資格を取得することはできません。東京都の例だと、小・中学校で不登校になったり、高校を中退したりした子どもを受け入れる総合学科・定時制の「チャレンジスクール」や、小・中学校で十分能力を発揮できなかった生徒が、社会生活を送る上で必要な基礎的・基本的学力を身に付ける「エンカレッジスクール」という取り組みもあります。「え?通う日数を選べるの?」「受験に内申書が不要の学校もあるんだ」「芸術に特化した学校?」「そういえば、こっちの学校はテレビ番組で見たことがあるかも」資料を読みながら、私は自分の知識の無さを改めて感じました。こうした取り組みをしている学校は首都圏に多く、わが家からは距離的に厳しいケースもしばしばありましたが、それでも障害のある子どもにもさまざまな可能性や選択肢がいろいろあることを知り、驚いたのです。参考:これまで設置してきた多様なタイプの学校|東京都教育委員会資料やネットの情報では分からないこともあるこうした学校で、障害がある子どもにどのような配慮や支援をしているのか、具体的な内容を知りたいと思い、ネットのクチコミなども調べてみました。でも、ネットには「偏差値は〇〇」「芸能人の△△が通っている」「設備が充実している」「制服がかわいい」といった表面的な情報しかなく、私が本当に知りたかった情報を得ることはできませんでした。その学校が自分の子に合うかどうかは、やはり直接学校見学や説明会に行って、自分の目で確かめるしかない。そう感じた私は、早すぎるかもしれないと思いつつも、少しずつ学校見学をスタートすることにしたのです。次回コラムでは、実際に学校見学をして感じたことや、私たち親子が大切にした視点などについて紹介したいと思います。
2019年04月22日