《元気な浜ちゃん》《そういえば浜ちゃんめっちゃテレビ出てるな》2月19日、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)に出演し、SNS上でファンから安堵の声があがったのは、ダウンタウンの浜田雅功(59)。2月17日に発売された『FRIDAY』に掲載された記事で、24歳エステティシャンとの“パパ活不倫”が報じられ、一部で活動自粛を危惧する声があがっていた。「浜田さんは’14年にも『FRIDAY』に元グラビアアイドルとの3年不倫が報じられ、この時は謝罪していました。妻の小川菜摘さんが直撃に対して、『夫婦関係はうまくいっています。彼は芸人さんですから、結婚したときから覚悟しています』と語っていたこともあってか、活動自粛はありませんでした。しかし今回は2度目で、’20年のアンジャッシュ・渡部建さん(50)や’22年の天竺鼠・瀬下豊さん(43)など、直近で不倫報道があった芸人はのきなみ活動を自粛していたことから、『浜田さんももしかしたら』と心配する声が一部であがっていたのです」(芸能関係者)今回の騒動についてのアナウンスが出さないまま、“平常運転”の浜田。今後、活動自粛や降板はないのか。本誌は、『水曜日のダウンタウン』や、『プレバト』、『オオカミ少年』など浜田のレギュラー番組を複数放送するTBSに不倫報道の影響や降板の予定を、問い合わせたところ、こう回答があった。《お答えすることはございません》不倫騒動に対する浜田側からの正式な見解は果たしてあるのか――。
2023年02月20日《「男性は女性との食事はおごるべき」という価値観。 仮にその男性と結婚した後も、他の女性との食事の度におごり続けて、家計が減る行為を歓迎するのかな?》2月20日、こうツイートしたのは“ひろゆき”こと西村博之氏(46)。ネットで繰り広げられる“デート代論争”に私見を呟いた。事の発端は、12日にセクシー女優・深田えいみ(24)が投稿したツイート。《デート代、なんで男が払わなくちゃいけないのって言葉女性はそのデート代の為に準備して洋服、メイク、美容代も入ってると思う全部安くない。リップだってブランドなら4000円はする可愛いって言って欲しくて、その為に凄く早起きして準備してるそれを考えた上で、女性に出してあげて欲しいって思う!》(現在は削除済み)このツイートは瞬く間に拡散し、メディアも取り上げると賛否が巻き起こったのだ。「深田さんはすぐにツイートを削除しましたが、スクリーンショットが拡散することに。翌13日に自らのYouTubeチャンネルで、“酔っぱらってツイートした”“美容系男子もいると指摘され3分で削除した”と釈明。深田さんはTwitterにも《「〜すべきだ」という気持ちでは全くないです!》と、あくまでも自分の考えであることを強調していました」(WEBメディア記者)さらに深田以外にも、“男性にデート代を払ってほしい”と主張した人物がもう1人。それは、YouTuberのあいかりん。13日にTwitterを更新し、《デート代は男性に出して欲しいって 女性のほとんどが思っているし その意見を述べてるだけで 誰にも迷惑かけてないし 何が悪いのか分からない 器おっきくして財布も広げろよ》と主張した。あるユーザーから《デート代男に出してほしいって思うことがまず間違い笑》などと反論されると、《思うのは人それぞれの勝手じゃないですか? しかもあなたみたいな知らない人に奢られたいという意味ではなく 好きな人っていうのが前提な話で 好きな人に奢られたいって思うことが批判される意味が私には分かりませんね》と一蹴したあいかりん。様々な意見が飛び交うなか、新たな問題提起をしたのがひろゆきだった。しかし、“結婚後も夫が他の女性におごることで家計が減る”との指摘は、「論破」とはならなかったようで……。ひろゆきの投稿は現在までに480万件以上のインプレッションを集め、《視点がさすがっす!》《珍しくなんか納得した》と賛同する声も。その一方で、“前提条件をスルーしている”とツッコミが続出している。《論点ずらしで草付き合ってる時の話じゃないの》《奢るおごらないって恋愛関係になるかならないかの時の話じゃないの?結婚して仕事以外で女性と食事家計が狭くなるほど行くって何?www》《これって交際中というか、とくに最初の出だしの事をさしてると思ったけど、違うの?結婚後は別の話だと思うけど…今回のひろゆきさんのコメントは「?」ってなった》
2023年02月20日2月20日、伊集院光(55)が昼の情報バラエティ『ぽかぽか』(フジテレビ系)に出演。番組内での伊集院の発言がインターネット上で物議を呼び、番組終盤にアナウンサーが謝罪する事態となった。この日、番組では芸人が人気の絶品グルメを生放送中にデリバリーする企画『どれ呼ぶスイーツ』がスタート。お笑いコンビ「ドンココ」の大久保裕オーサーオロナ(26)が中継で登場した。大久保は「親父がナイジェリア人で、お母さんが日本人」と自己紹介。するとその直後、スタジオの伊集院が「彼が寿司運んできたら嫌だなあ」と発言したのだ。これに対し、大久保は「寿司も運ばせてくださいよ!」と反論。伊集院は「そうだよね、そうだよね。それはわけちゃいけないよね」と返した。SNS上では、伊集院の発言に“差別発言”と批判が殺到した。《ぽかぽかのデリバリーバイト芸人のハーフの人に、この人に寿司運んで欲しくないって言った伊集院光にドン引き。人種差別やろ、そんなんあかんやん!》《伊集院ほんと最低。差別発言する人出てるぽかぽか見れない……。若手芸人の方すごい頑張ってたのにな、サラッとそんなこと言ってしまう人がいるのは悲しい》番組終盤には、岸本理沙アナウンサーが「先ほど『どれ呼ぶイーツ』のコーナーのスタジオにて、外国人の方に対する配慮にかける表現がございました。お詫びするとともに、訂正させていただきます。申し訳ございませんでした」と頭を下げた。『ぽかぽか』は2月7日にも物議を醸す放送をしていた。「2月7日の放送中、特殊詐欺に関与した窃盗の疑いで、今村磨人容疑者(38)と藤田聖也容疑者(38)が飛行機内で逮捕されたとのニュース速報がテレビの画面上部に流れました。すると番組MCを務めるハライチ・岩井勇気さん(36)が、『皆さん、ルフィ逮捕となりました!』『強制送還され!あのルフィが!今日本に着き!逮捕されました!』と繰り返し発言。画面下部にも『《速報》“ルフィ”逮捕』と改めてテロップが出され、スタジオは笑いに包まれていました」(スポーツ紙記者)日本中が注目した連続強盗事件だったが、容疑者逮捕のニュースを茶化すような扱いをした岩井と番組に対しては、《不謹慎すぎる》《強盗殺人なんだから番組でネタにするのどうなの…》と批判が上がっていた。これについて本誌がフジテレビに問い合わせると、「番組の対応について配慮に欠ける点がありました。今後も視聴者の皆様のご意見を真摯に受け止め、制作に活かしてまいります」との回答があったばかりだった。1月にスタートしたばかりの『ぽかぽか』。わずか2ヵ月で相次ぐ不適切な放送に先が思いやられるがーー。
2023年02月20日2月19日、長瀬智也(44)の“ライブ復帰”が報じられた。「NEWSポストセブン」によると長瀬は15日、幼なじみが手がけるアパレルブランドの14周年記念ライブで、5人組バンド「KODE TALKERS」としてパフォーマンス。バンドはオリジナル楽曲を10曲ほど披露し、メンバーには長瀬が慕っているギタリスト・久保田光太郎氏の姿もあったという。「久保田さんはTOKIOの楽曲『メッセージ』などで作詞作曲を務めたことがあり、長瀬さんとは20年以上の付き合いだそうです。長瀬さんは『俺に音楽をたたき込んだのはこの人』といっていました」(音楽関係者)‘21年3月末にTOKIOを脱退し、ジャニーズ事務所も退所した長瀬。以降はアパレルブランドのフライヤーに登場したりバイク雑誌の表紙を飾ったり、スポーツブランドのPVに出演したりと“神出鬼没”だった。そんななか、長瀬は’22年12月10日、Instagramに音楽スタジオで演奏する写真を投稿。今年1月25日には“KT”という文字とともにバンドで音を合わせている画像をアップしていた。どうやらKTとはKODE TALKERSの略だったようだ。さらに本誌は1月下旬、“ミュージシャン・長瀬智也“の姿を目撃している。東京都内のスタジオから出てきた長瀬はヒゲをたくわえ、キャップを目深にかぶっていた。バンドのリハーサルを終えたようで、メンバーとリラックスしたように談笑する姿も。そこで、本誌は芸能界復帰について長瀬に直接尋ねたが「すみません」と語るのみだった。再出発から2年で新天地にたどり着いた長瀬。これから、どんな音楽を鳴らすだろうか?
2023年02月20日《陽だまりの老夫婦。なぜマスクをしているのだろう?》2月18日、猪瀬直樹議員(76)が自身のツイッターにこう綴った。マスクをしてベンチに座る老夫婦の写真を添付して投稿した猪瀬議員。《不思議の国・日本》《を通ったらご挨拶してくれたので会釈を返したが、誰なのかわからない。やはりマスクは不自然で変ですよね》と、老夫婦がマスクを着用していることに疑問を呈した。さらに、《感染症の専門医がいまだに恐怖を煽り続ける異常、5類移行にもたついた政府の責任は大きい》とも綴り、日本政府の新型コロナウイルスへの対応を批判した猪瀬議員。コロナ以前から、さまざまな感染症の対策のためにマスクを着用することは珍しいことではない。また、花粉症の季節も近づいているだけに、老夫婦がマスクを着用していた理由をコロナ対策だと決めつけ、批判的に綴った猪瀬議員に対し、疑問を呈する声が相次いでいる。《えっ…私はコロナ関係なく花粉、黄砂、PM2.5、ノロウイルス、インフルエンザ対策のためにマスクをしていたけれど…不自然で変ですか…不思議な人と思われていたのですか…マスクしてたらこうやって写真を撮られてTwitterにあげられると思うと怖いですマスクする私の人権はないのですか…》《冬のマスクはコロナ前から普通でしたよね。インフルエンザ、花粉症、喉の乾燥緩和と多くの方がコメントしています。なぜこの光景にそこまで過剰反応するのか不思議です》《マスクって不自然で変なんですか?風邪予防につけてますし花粉症なのでこれからもつけますけど》さらに、“老夫婦に写真を掲載する許可を撮ったのか?”という声も上がっている。《ご夫婦に撮影の了承は取られましたか?それをTwitterにアップする了承を取られましたか?》《写真撮る許可は?》《この写真に写っていらっしゃるお二人からのTwitterへの掲載許可は取られたのですか?》
2023年02月20日現在、ワールドツアー中の米ロックバンド「Red Hot Chili Peppers(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)」。2月19日に東京ドームで来日公演が開催され、約16年ぶりの単独公演が実現した。2019年にギタリストのジョン・フルシアンテ(52)が復帰した記念ツアーとあって、チケットは全券種売り切れるなど、待ちわびていたファンも多かった本公演。しかし、そんな記念すべき日に水を差すような出来事が起こり、ファンが“阿鼻叫喚”の事態になっているという。それは、会場外で行われたグッズ販売会場でのこと。東京公演では午前10時に販売開始されたが、その数時間前から長蛇の列をなしていたという。「午前8時台にはすでに列ができており、販売開始時点で並んでいた人は2000人を超えていたそうです。チケットを持っていなくても購入可能だったので、観客以外のファンも来ていたのではないでしょうか。あまりの待ち時間の長さに、SNSでは《ローリング・ストーンズ以来》との声もありました」(来場したファン)だが、混乱をきたしたのは待ち時間だけではなかったようだ。グッズ購入者のなかに“転売ヤー”が混じっていたのだ。実際にフリマサイト「メルカリ」を覗いてみると、東京公演で販売されたツアーグッズが多数出品されている。高額なものだと、15000円で販売されていたスウェットのトップスが45000円に。9000円で販売されたロングTシャツも36000円の値段がつけられている(20日14時現在)。転売ヤーが横行してしまった背景について、前出のファンは憤りを込めて言う。「そもそもグッズの購入制限がなかったので、30分で売り切れた商品もありました。しかも今時、購入制限も設けられていなかったので、お金さえあればいくらでも購入できる状況だったんです。なかには100万円分購入したという人の目撃情報もあり、実際に買い占めをする人に対して列の後方から怒号も聞こえてきました。待ち時間が長かったのも、会計に時間がかかる現金対応が影響しているのではないでしょうか。東京ドーム内のフードやドリンクの売店は現金不可であるだけに、違和感を覚えましたね」転売ヤーはもちろん、買い占めが可能になってしまう状況を作った運営に、SNSでは怒りの声が相次いでいる。《レッチリ物販、転売ヤーが湧いたせいで1番欲しかったロンT・パーカー買えんかったぞ………》《レッチリのグッズ転売酷いなー、チケットなくても買えるのと購入制限ないから地獄じゃん》《レッチリの物販に来てる転売ヤーくたばって…ほんと… 運営もこうなるの分かってて何で何の制限もしなかったの?》《レッチリの物販やばすぎる。買う方も買う方だが売る方も大概だわ。爆買い転売ヤーを排除するために個数制限するべきだろ》ファンたちの嘆きを受けて、21日予定の大阪公演では何らかの対策が講じられるだろうか。
2023年02月20日22年8月、中国での活動を見据え、23年から中国の大学に留学することを発表していた小島瑠璃子(29)。日本での芸能活動を徐々に減らし、9月には7年間MCを務めた『サタデープラス』(TBS系)を卒業。中国移住への準備が着々と進んでいるようだった。ところが、その小島について、驚きの現在が聞こえてきた。「小島さんは今も日本にいます。実家で暮らしているそうですよ」(芸能関係者)’22年8月8日に中国留学を発表した際は、自身のTwitterに《中国での活動を見据え、来年から中国の大学に留学します》と綴っていたが……。「中国では、春学期が2月末から3月初めにかけて、秋学期は8月末から9月初めにかけてスタートします。小島さんは当初、’23年2月末ごろから中国の大学に入学する予定でした。ところが、中国では’22年末から’23年2月上旬までの約2ヵ月間で、8万人以上が新型コロナウイルスのため死亡したとも報じられています。さらに日中関係の悪化もあり、留学するのには不安な時期だと感じたのではないでしょうか。現状では留学は延期しているとのことです」(前出・芸能関係者)小島の近況について所属事務所に問い合わせると、次のように回答があった。「2月期からの大学入学が決定していましたが世界情勢を鑑みて一度見送り、今年9月以降の入学を検討している状態です」思わぬ阻害を受ける形となった小島の海外進出。海の向こうから、彼女の活躍が聞こえる日はいつになるのか――。
2023年02月20日夫が定年退職を迎えるにあたって大きなお金“退職金”を手にした途端、舞い上がって衝動買いをしてしまったーーという失敗談は後を絶たない。「退職一時金を手にしても、“ごほうび”は最小限にとどめ、将来病気や要介護になったときの老後資金として備えておきましょう。退職金と年金は、受け取り方と時期によって、税金のかかり方が異なってきます。受取総額を増やすような選び方をすると、老後の不安の解消につながりますよ」そうアドバイスするのは、『役所や会社は教えてくれない!定年と年金 3つの年金と退職金を最大限に受け取る方法』(ART NEXT)の著者で、確定拠出年金アナリストの大江加代さん。退職金には「一時金(一括)」「年金(分割)」「一時金+年金」という3つの受け取り方がある。2018年「就労条件総合調査」(厚生労働省)によると、退職給付制度がある会社のうち、約7割が一括で退職金を渡す「退職一時金制度のみ」を採用している。いっぽう、退職金を分割して受け取ることも可能な「企業年金」に加入していると、一括、分割などいくつかの選択肢が出てくる。「退職一時金制度と企業年金制度を併用」している会社もあり、自分たちのライフステージや夫の働き方に合わせて、老後資金を増やす受け取り方も選べるようになる。企業年金には、いくつかの種類がある。代表的なのは、事業主と従業員が給付の内容をあらかじめ約束し、その内容に基づいて給付される「確定給付企業年金(DB)」。「企業型確定拠出年金(企業型DC)」は、加入者ごとに拠出された掛け金を加入者自らが運用し、その運用結果に基づいて給付額が決定される制度。「厚生年金基金」は、国が行う老齢厚生年金の一部(報酬比例部分)の支給を代行し、これにプラスα部分を上乗せして年金給付を行うが、廃止やDBへの移行が進んだ。「退職金と企業年金の受け取り方は、全部を一括で受け取るのではなく、一時金と年金を組み合わせたり、年金の受取年数や受取開始の時期が選べたりと、さまざまな選択肢があります。夫の会社の退職金の制度や、どの企業年金に加入しているのか、受け取れる金額などを退職する前に調べたうえで、どう受け取るのがベストプランなのか、シミュレーションしておくといいでしょう」(大江さん、以下同)最も多くの人が該当するのが、60歳で退職一時金を受け取り、65歳まで再雇用制度で働き続けるというケース。退職金とDBを一時金で受け取ると「退職所得控除」が使えるが、この金額をオーバーすると、超過した金額の2分の1に所得税が課される。「新卒で就職し、60歳の定年まで働き続けた場合、退職所得控除は2千60万円になります。ここで、仮に2千万円の退職一時金と600万円のDBを一時金で受け取ると、退職所得控除を超えてしまいます。そこで、DBのほうを分割で受け取る選択をすると、一時金が退職所得控除の範囲に収まるだけでなく、DBには『給付金利』がプラスされ、受取総額が増えるのです」DBを分割で受け取ると、60歳から65歳まで年60万円までの年金収入が非課税になる「公的年金等控除」が使える。さらに、給付利率が1.5%であれば、600万円に給付利率がプラスされた609万円が分割される。ただし、5年、10年で受け取ると、公的年金等控除を超えてしまう。控除の範囲内に収めるには受け取る期間が15年など長くなる必要があるため、よく検討しよう。60歳で定年退職した後、再雇用ではなく、フリーランスで現役並みに働く人も増えている。DB、企業型DCの2つの企業年金に加入している人も増加していて、60歳時に一括ですべての企業年金を受け取ると、退職所得控除の枠をオーバーしてしまう。さらに、分割で受け取ろうとしても、65歳まで年60万円までが非課税になる「公的年金控除」の枠を超えてしまうことに。このようなときは、受け取り方を組み合わせたり、時間差で受け取るプランも検討したい。「このケースでは、一時金と年金の割合を選択できるDBがあり、一時金で受け取る場合は、60〜70歳の間で受け取るタイミングを選ぶことができます。60歳のときにiDeCoを一時金で受け取り、5年空けてDBを一括で受け取るパターンであれば、退職所得控除のメリットをしっかり活用することができます」 退職所得控除は毎年続けて使用することができず、一度使用したら5年が経過するまで使うことができないというルールがある。さらに、iDeCoはほかの退職金を受け取ったら、19年空けなければならない。仮にDBの後にiDeCoを受け取るとすると、一括で300万円受け取れるとしたら20万2千500円の所得税が引かれてしまう。iDeCoを先に受け取れば、これが課せられない。「受け取るタイミングの選択一つで、これだけの金額差が生じることになります。退職金や企業年金は一度受け取ってしまうとやり直しはできないので注意が必要です」老後のお金を少しでも多く得るため、プランは慎重に考えたい。
2023年02月20日「いわゆる『103万円の壁』や『130万円の壁』を見直す」2月1日の衆議院予算委員会で岸田文雄首相は、パート収入が一定額以上になると、税や社会保険料の負担で手取り額が減る“年収の壁”を見直すことを明言した。全国紙記者が解説する。「1月4日の年頭記者会見でも岸田首相は『“年収の壁”の是正にも取り組む』と表明しており、それが呼び水となり、今国会で議論が行われています。これまでも“年収の壁”を超えると手取りが減ってしまうため就業調整する人が多く、女性の“働く意欲”を阻んでいると指摘されてきました。昨年10月、最低賃金が過去最大レベルで引き上げられたことや、政府が賃上げを要請していることから、年収が上がることで労働時間を調整して“働き控え”が起きる懸念があるため、年収の壁への対策が急務だと政府は考えています。とはいえ制度変更には時間がかかるため、手取りが減る分を、時限的に給付金を出して穴埋めする案も浮上しています」野村総合研究所が昨年9月に、パート主婦3千人を対象に行ったアンケート調査で、61.9%が「壁」を意識して就業調整していることが明らかに。その一方、“年収の壁”について「100万円を超えると損をする」など、曖昧な知識しかない人も少なくないという。■家計への影響が大きいのは“社会保険の壁”「“収入の壁”には“税金の壁”と“社会保険の壁”があります」そう解説するのは、家計コンサルタントの八ツ井慶子さんだ。「まず、税金の壁には、妻本人が住民税を払うことになる『100万円の壁』と、妻に所得税がかかり、夫が配偶者控除を受けられなくなる『103万円の壁』があります」八ツ井さんの試算によると、40歳の主婦がパートで「100万円の壁」と「103万円の壁」を超えて年収105万円になっても、住民税は年1万円あまり、所得税は年1千円(復興特別税は考慮せず)。「税金は、収入から控除を引いた課税所得に税率をかけるので手取り収入は大きく減少しません。妻のパート年収が103万円超になると夫の所得にあった配偶者控除がなくなりますが、代わりに妻の収入に応じた配偶者特別控除に切り替わるので、夫の手取りが大幅に減ることもありません」影響が大きいのは“社会保険の壁”を超えることで年金、健康保険、介護の社会保険料の本人負担が生じることだ。「従業員101人以上の会社、週の労働時間が20時間以上などの要件を満たしたうえで、年106万円(月8.8万円)以上の収入がある場合、パートでも社会保険に入ることに。また、これらの要件を満たしていない場合でも、年収が130万円以上になると、原則、夫の社会保険の扶養から外れ、妻自身が社会保険料を負担することになります。社会保険料は会社と折半することになっていますが、106万円の壁を超えた場合は年約15万8千円、130万円の壁を超えた場合は年約19万4千円の保険料を本人が払うことになり、その分手取りが減ってしまうのです」「壁」を超える前と同じ手取りを得ようとするなら、「106万円の壁」で額面125万円ほど、「130万円の壁」で額面155万円ほど稼がなければならないという。■「“壁”を超えて働くことを考える時代に」今後、「壁」はどうなるのか?「現行の制度では、夫がサラリーマンや公務員などで、“社会保険の壁”を超えずに、夫の社会保険の扶養に入っている妻の公的年金は『第3号被保険者』に該当し、年金保険料の負担がありません。一方、同じ専業主婦でも、夫が自営業の場合は、年金保険料を自分で支払っています。こうした現状が不公平かつ女性の労働意欲をそいでいるとして、以前より問題とされてきました。多様化が進むなかでは、世帯単位ではなく、個人単位で税や社会保険料を払う方がいいのではないでしょうか」長期的には、「扶養制度」そのものが縮小、または廃止されることで、「年収の壁」が消えていくと見込まれている。働く女性はどう対応すればいいのだろう。「“社会保険の壁”を超えると、大きく手取りが減りますが、将来の老齢年金が増える点がメリットとして指摘されています。とはいえ、公的年金は財政不安を抱えたままで、多くの方の老後不安につながっています。人生100年時代に突入しようとするなか、現状の社会保障制度はもはや私たちの暮らし方に合わなくなっています。今後も改正は続くでしょう。その都度、働き方を変えるのではなく、壁など気にせず長く働くことを意識して、やりがいを優先するといいのでは?130万円の壁の前で尻込みしている人は、年収155万円以上を目指して挑戦するタイミングなのかもしれません」壁を大きく飛び越えることが、現在と未来の家計を守るのだ。
2023年02月20日「動物たちは美人モデルさんだと思っているんです。ありのままの魅力を邪魔することなく、いかに引き出せるか。そう思いながら撮影しています」そう話すのは、動物写真界の期待の新星である藍沙さん(17)。なにより「写真と動物が大好き」といい、作品について語る姿は実に楽しげ。彼女の撮る写真は野生動物の愛らしい魅力にあふれたものばかり。「いつも意識しているのは、動物写真家の小原(玲)さんに教わった『動物たちと目線を合わせる』こと。地面に寝そべることも多く、よく泥だらけになっています」ときにはマイナス10度以下の過酷な環境でカメラを構え続けることも。しかし、いざ被写体が現れるとそのつらさは吹き飛んでしまうそう。「興奮のあまり『手袋が邪魔』と思っちゃうくらい。でも、動物たちのすみかにお邪魔させてもらっている身です。撮影中は動物たちの負担にならないことを最優先にしています」【シマエナガ】丸っこさと、顔のシンプルさがかわいい!北海道にしか生息していない雪の妖精。「朝日新聞社賞をいただいたつららをなめる写真は、『目線を合わせて』というアドバイスのおかげで撮れました。丸っこさと、顔のシンプルさがかわいい!」【エゾモモンガ】あまりに寒くて太陽が昇ってきたときに感動夜行性のエゾモモンガは、夜明けから1時間が勝負。「あまりに寒くて太陽が昇ってきたときに感動したほど。ふだんから撮っている鳥とは飛び方が異なるのも難しかったです」【コジュケイ】コッチコーイ! と聞こえる鳴き声がおもしろいキジの仲間のコジュケイは鳴き声が特徴的だとか。「コッチコーイ! と聞こえるのでおもしろいんです。このときは羽がふくらんでより丸々していたのがかわいかった」【ニホンリス】カワセミで素早い被写体を撮る練習を動きが速くて撮影難易度が高いリス。「カワセミで素早い被写体を撮る練習をしていたかいがあって撮影に成功。小原さんたちと一緒に“飛びリス”を撮影したことが懐かしい」写真を通して動物の素晴らしさを伝え、野生動物の居場所を守りたいーー。そんな夢を持つ藍沙さんも、この春からは高校3年生。今後の展望は?「写真を中心に据えつつも、学業と両立させたいです。あと、実はすごく負けず嫌い。今は若いから注目してもらいやすいですが、現状に満足せずもっと成長して、同年代はもちろん上の世代にも負けない技術を磨いていきたいです」【PROFILE】藍沙’06年、東京都生まれ。動物写真家の故・小原玲氏に教わりながら小学5年生より野鳥を撮り始め、14歳で初の個展を開催。「第37回『日本の自然』写真コンテスト」で朝日新聞社賞を受賞
2023年02月20日その霊能力のために、楽屋では霊視を求める先輩芸人たちが行列をつくることもあるという、吉本興業所属の“霊がよく見える”芸人・シークエンスはやとも。『ポップな心霊論』は、そんな彼が人生で見てきた霊たちや霊現象などを紹介していくコラム連載!【大好きな親父との最後のお別れ】先日、闘病中だった父が亡くなりました。最後に少しですが、一緒に過ごす時間がとれたので、きちんとお別れができたのかなと思います。親父は、茶目っ気がある一方、けっこう破天荒な人で。僕や母だけでなく、周りの方に迷惑をかけることもあったと思うのですが、葬儀にはたくさんの人たちが駆けつけてくれました。多くの人から愛された人生だったんだなと、なんだか誇らしい気持ちです。遺影には、『女性自身』さんで親子対談をしたときに撮った写真を使わせてもらいました。すごくいい表情をしていたので、2人で一緒に仕事ができたことを、心から喜んでいたんだなと、改めて感じました。みなさんのなかにも、親父のYouTubeを見てくれていた方がいるかもしれませんね。親子共々、応援してくださって本当にありがとうございました。家族や周りの人たちのおかげで、気持ちのほうはだいぶ前向きになってきたのですが、正直なところ、まだ親父の死を受け入れられていない部分もあります。親父の霊が見えたら、少しは実感がわくのかもしれませんけどね。幽霊でもいいから、もう一度会いたいと願うばかりです。【PROFILE】シークエンスはやとも1991年生まれ。吉本興業所属。『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)などで見せた芸能人の霊視も話題に。自身のYouTubeチャンネルでも心霊話を配信中。本連載をまとめた著書『ヤバい生き霊』(光文社)が発売中。
2023年02月19日2月16日、過去の”パパ活不倫疑惑”を報じられたダウンタウン・浜田雅功(59)。「FRIDAY DIGITAL」の記事によると、浜田との関係を告白したのは24歳女性のAさん。大阪在住で、当時大手エステサロンで働いていたという彼女は、元芸人だというSに声をかけられて、’18年~’19年の間に4回ほど逢瀬を重ねたという。高級ホテルのスイートルームでの密会中には、お金のやり取りもあったといい、Aさんは合計で30万円ほどを浜田から受け取ったと語っている。浜田との関係性は「いわゆる”パパ活”」だと話したAさん。浜田は今年1月に、妻である小川菜摘(60)との別居が報じられたばかり。また浜田は2014年にもグラビアアイドルとの不倫を報じられている。ネット上では夫婦仲を不安視する声や浜田の行動を疑問視する声が相次いでいる。芸人界のトップに君臨する浜田の2度目の不倫報道。大ニュースのはずだが、一連の報道にたいしてテレビ番組やスポーツ紙は沈黙を貫いている。過去にアンジャッシュの渡部建(50)や狩野英孝(40)、千原せいじ(53)といった人気お笑い芸人の不倫が報じられた際、ワイドショーやスポーツ紙はこぞって取り上げた。渡部については、不倫相手との密会場所に多目的トイレを使用したということもあり、「多目的トイレの使用用途」が図解して解説されるなど、毎日のようにワイドショーを賑わせていた。ところが、浜田の不倫が報じられて数日が経った2月18日23時時点で、ワイドショー、スポーツ紙が取り上げた様子はほとんどない。「前回の不倫報道の際には、浜田さんが事務所を通じてコメントを発表し、謝罪していました。今回の件に対して、浜田さんならびに吉本興業はまだコメントを発表していません。スポーツ紙やワイドショーとしてはそれを待っているのかもしれませんが、それにしても渡部さんの時を思えば、全く触れないというのも違和感を覚えます」(週刊誌記者)多数のレギュラー番組を抱えて、一流企業とのCM契約も結んでいる浜田。本誌の取材に対して、ダウンタウンの2人をCMに起用している回転寿司チェーン「くら寿司」は、「今のところ影響はありません」と回答している。果たしてこのまま“ノーダメージ”で頂点に君臨し続けることはできるのか――。
2023年02月19日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、衝撃を受けた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「ジブリ作品は昔から大好きで、何度もテレビで見ていました。とくに初めて映画館で見た『もののけ姫』(’97年)は衝撃的。これをきっかけに映画館に行くようになり、エンタメの世界への興味をさらに強くしたんです」こう語るのは、タレントの安めぐみさん(41)。芸能界へのあこがれは、幼いころから抱いていたという。「すごくテレビっ子で、歌番組が始まると、内気な性格にもかかわらずコタツの上にのって、踊ったり歌ったりしていました。“いつかはテレビに出てみたいな”と、ずっと思っていました」歌番組、ドラマ、お笑い番組、なんでも好きだった。「小学生のころ、クラスでは光GENJIやSMAPが人気で女子の話題になっていましたが、私の興味は男性アイドルよりもお笑い番組。志村けんさんの『だいじょうぶだぁ』(’87~’93年・フジテレビ系)や『風雲!たけし城』(’86~’89年・TBS系)は欠かさず見ていたし、『とんねるずのみなさんのおかげです。』(’88~’97年・フジテレビ系)の、人気アイドルが全身タイツ姿で登場する“モジモジくん”のコーナーも大好き。『浅草橋ヤング洋品店』(’92~’96年・テレビ東京系)で、周富徳さんたち料理人が繰り広げる中華料理対決にもすごく興味がありました」最初に親に買ってもらったCDは、今はなき細長いパッケージが特徴のシングルCDだった。「『ADブギ』(’91年・TBS系)の主題歌だった楠瀬誠志郎さんの『ほっとけないよ』(’91年)か、観月ありささんのデビュー曲『伝説の少女』(’91年)のどちらかだと思います。そのまま保存するのか、折り曲げて保存するのかで迷っていました(笑)。観月さんのことを知ったのもテレビの歌番組。とにかく脚が長くて、顔もすごく小さい。“なんてキレイな人なんだ”と、雑誌のグラビアページを切り抜いたりしていました。ずいぶん後になって、観月さんとお仕事をご一緒したり、お食事をする機会があって、奇妙な感覚に。昔からのファンですと伝えると、『アリガトウ!』ってサバサバした感じで返してくれるのも、観月さんらしいです」当時、ティラミスに続いて人気となったナタデココの存在も、テレビで知った。「CMの“ナタデ・コ~コ”というフレーズは、今でも耳に残っています。わが家の冷蔵庫にはナタデココが常備されていたほど、あの硬さと軟らかさの中間にあるような絶妙な食感のとりこに。最近、タピオカ屋さんに行ったのですが、長時間並んだのに、あまりの懐かしさから、タピオカではなくてナタデココをトッピングしてしまいました」■自然の雄大さへの畏れを感じた「もののけ姫」小・中学生時代は、友達同士で映画館に行くことができず、映画はテレビで見るものだった。「最初に見たジブリ作品は『天空の城ラピュタ』(’86年)。子どもにもわかりやすい冒険活劇。主人公のシータとパズーが、トーストの上にのせた目玉焼きをシュルッと食べるシーンがあるのですが、それがなんともおいしそうで。母にねだって同じものを作ってもらいました。ジブリ作品は、料理の描き方がすごく上手で、見ているとおなかがすいてくるほど」それからは、テレビで放映されるジブリ作品を見逃さなかった。「『となりのトトロ』(’88年)は、ネコバスなどのファンタジーなところも魅力ですが、サツキとメイの姉妹愛がジーンときます。『魔女の宅急便』(’89年)の、キキとトンボが二人乗りした自転車が、倒れるようにコーナーを回ったりして疾走するシーンは、本当に風が吹いてくるような迫力」ジブリ作品特有の臨場感を味わうため、初めて映画館に足を運んだのは、高校1年生のときに公開された『もののけ姫』だった。「電車に乗って立川(東京都)の映画館に行ったと思います。高校生にとって、友達と一緒に映画館に行くなんてかなりのイベント。すごくワクワクしていたことを覚えています」期待どおりの映像と、壮大なスケールで描かれる物語の世界に入り込んでしまった。「人間と自然や動物との関わり方がテーマになっている作品。動物がしゃべるシーンも多くありましたが、なかでも人間に恨みを持つモロの君役の美輪明宏さんの声には、凄みと迫力がありました。それに、タタリ神に呪いをかけられたアシタカのあざが大きくなって、ウネウネと蛇のように体に巻きつくシーンがあったり……。人間の力では到底太刀打ちできない自然の雄大さに、畏れのようなものを感じました」映画を見終わった後は、当時、はやっていたプリクラを友達と撮って、2時間ばかりカラオケボックスで歌って帰った。「それからは映画を見に行く機会が増え、アニメ映画だけでなく『タイタニック』(’97年)のような洋画も映画館で見るように。小さいときからテレビっ子で芸能界に興味を持っていた私は、映画を通じてさらにエンタメの世界に引きつけられ、エキストラ事務所に登録してみようと思ったんです」芸能活動はドラマの通行人役から始まり、事務所のすすめでグラビアにも挑戦した。「初めて“安めぐみ”としてテレビに出たのは、東北のローカル番組のアシスタント。その番組でMCを務めていたのが、今の夫(東貴博さん)なんですよ」その10年後に別番組で再会して交際に発展し、’11年に結婚。「今は小学校2年生の娘と、ジブリ映画を見ています。でも、内容的に難しい『もののけ姫』を見るのは、もうちょっとお姉さんになってからになるんでしょうね」【PROFILE】安めぐみ’81年、東京都生まれ。’99年に「第10回YJ全国女子高生制服コレクション」で準グランプリを受賞後、タレント・ナレーターなど幅広く活躍。’11年、タレントの東貴博と結婚、’15年に長女を出産。現在『土曜はナニする!?』(フジテレビ系)に準レギュラーとして出演中
2023年02月19日【前編】「街の人情伝えます」現役91歳 かあちゃん記者、疾走るより続く中野区白鷺にある細田家住宅は、区内に唯一残る江戸末期のかやぶき屋根の古民家だ。樹木に覆われたその敷地内で、1月29日の日曜日の午後1時から、「中野たてもの応援団」によるたくあん作り実習の樽開けが行われた。昨年から仕込まれていた50本のたくあん漬けが完成するとあって、大勢の参加者が集まった。「この大根の品種は?練馬大根じゃないんですか?ずいぶん細い大根ですね?」先ほどから、主催者たちにしきりに質問しながらメモを取っているのは、こちらも中野区で唯一のローカル新聞である『週刊とうきょう』の主筆兼記者の涌井友子さん(91)。この日、快晴ではあったが、寒波に襲われ、気温はわずか6度。涌井さんは、145cmという小柄な体をダウンジャケットに包み、頭には毛糸の帽子、手にはボールペンとメモ帳、肩からはデジカメをぶら下げ、次々と参加者からもコメントを取っていく。今朝、ここへ循環バスに乗って到着したときこそトレードマークの青い杖をついていたが、取材が進む間に、いつか杖も傍らに置きっぱなしで話に夢中に。その姿を見ながら、たてもの応援団事務局の十川百合子さん(67)が言う。「中野区内のどんな催しに出かけても、涌井さんは必ずペンとカメラを手にして、いらっしゃいます。取材するだけでなく、地元の私たちでさえ知らない人物や歴史を掘り起こして記事にして、広く中野区民に伝えてくれます。90代になっても現役で活動する姿は、私たち区民のお手本です」来年には、創刊50周年を迎える『週刊とうきょう』。涌井さんが亡き夫から引き継ぎ、中野の人たちから“かあちゃん記者”と呼ばれるようになってからも40年以上にわたり、ローカルな記事を通して区民をつないできた。ちなみに、中野区の酒井直人区長(51)とも、区職員時代から26年の付き合いだという。現在、タブロイド判モノクロ2ページのこの新聞は、月2回の発行で、部数は約3000部、購読料は6カ月3150円。終戦後は「畑と住宅ばかりだった」という中野区が、やがてサブカルの街と呼ばれるようになる半世紀の変遷を、地域に根を下ろして見守り続けてきた涌井さん。区民からの信頼は絶大だ。と、そのとき、参加者の一人から逆に涌井さんに声がかかった。「ところで、今日の記事は、いつ新聞に載るんですか」 「はい、2月10日号の予定です」 「みなさ〜ん、10日の『週刊とうきょう』に注目ですよ」参加者たちから拍手が湧き起こり、その笑顔を逃すまいと、またカメラをかまえる涌井さんだった。■夫は中野区のローカル新聞の記者結婚の翌日に新聞の集金に行ってくれと頼まれて涌井さんは、1931年(昭和6年)4月、静岡県藤枝市に生まれた。幼いころから文学少女だった涌井さんは、「東京の大きな短歌の会にも参加するようになったんです。その場所が、中野でした」そこの会員だった新聞記者を通じて知り合ったのが、夫となる啓権さんだった。’58年、中野区の鷺宮に引っ越し、新婚生活が始まった。「新聞の集金に行ってくれ」夫の啓権さんから突然言われたのは、結婚の翌日だった。「そりゃ、驚きましたよ。仲人だったローカル紙の社長にすれば、社員を雇うより記者の家族を使ったほうが安く上がるので、『新妻をタダ働きさせよう』と(笑)」実際は歩合制のアルバイトで、これは涌井さんにとっても、いわば天の助けだった。「すごく安月給でしたから、少しでもバイト代をいただけるのは、ありがたかった。当時、1軒集金すると8円もらえたんです。『お豆腐8円、こんにゃく8円』なんてつぶやきながら、集金に回ったものです」あとでわかるが、これが涌井さんの記者修業の第一歩となった。「静岡から上京したばかりで、道なんて、わからないでしょう。だから、主人に地図を描いてもらって、それを頼りに歩きました。そうやって、迷い迷いしながら、中野区の道路を、それこそ裏道まで覚えていったんです」結婚から15年。3人の娘もでき、母親業と新聞制作の助手をしながら、あわただしい日々を送っていたとき、思いがけない出来事が起きる。「主人が、勤めていた新聞社の社長との意見の相違があって、独立することになるんです」こうして、夫婦2人で『週刊とうきょう』を創刊。’74年1月だった。この前年には、中野駅前のシンボルともいうべき中野サンプラザも開業していた。「“週刊”でもないし、“東京”でもないわけですから、看板に偽りばかりですよね(笑)。でもね、主人も最初は中野区以外の取材もするつもりだったし、当初は月3回発行したことも。それでも月2回になったのは、主人の体調のせいも。もともと糖尿もあったりで丈夫じゃなかったから、私から、『お父さん、無理しないで月2回でゆきましょう』と」創刊に当たっては、夫とこんな約束をした。「当時は中野だけでローカル新聞が紙ありましたが、『悪口は書かない』『広告主も一般人も平等に記事にする』と決めました」もちろん印刷も写真も、デジタル技術などほとんどない時代。「活版印刷で、締切りギリギリに主人の原稿や写真フィルムが上がって、私が自転車で製版所や印刷所に届けることも多かった」相変わらず集金も涌井さんの役割だったが、一方で家族は増えて、4姉妹はどんどん成長していく。「子供たちは全員、保育園と学童のお世話になりました。ときには主人の取材が重なって、私がピンチヒッターをすることもあり、保育園のお迎えに行けず、街の赤電話から『あと15分だけ待ってください』と保母さんにお願いするのもたびたびでした」しかし、’82年4月、主筆だった夫の啓権さんが、夢半ばにして亡くなってしまう。「糖尿病など持病もありましたが、最後は肝臓がんで。当時の日本では一般的でしたが、告知をしなかったので、本人は復帰するつもりで、ベッドの上でも亡くなる直前まで記事を書き続けていました」新聞発行に関しては、誰もがもう存続は困難だろうと思っていた。涌井さん自身も、「長い間、手伝いこそしていましたが、新聞作りは、いわばド素人。ですから、主人の記者仲間や印刷所などの関係者、それに購読者の方たちも、廃刊になるのだろうと考えているようでした。私も、仕方ない、と諦めていたというのが正直な気持ちです」ところが、四十九日の法要の席だった。夫の遺影を眺めていて、涌井さんは、ふと思う。「夢だった新聞を創刊して、たった8年ですからね。最期までベッドでペンを握っていた姿を思い出して、さぞ無念だったろうと。やっぱり、私が後を継いでやらないと、主人も、この新聞もかわいそうと思ったんです」周囲にその気持ちを告げると、意外なことに、ほとんどの人が、「記事は下手でもいいから、かあちゃん新聞でいいから、続けてよ」ああ、夫は、この新聞は、中野の人たちに本当に愛されていたんだ、と改めて思い知らされるのだった。そして、その決意は、夫の死後に発行された新聞の一隅に「社告」として表明された。〈『週刊とうきょう』の営業は引き続き涌井友子が主人の遺志を継ぎ継続させて頂きたく存じますので、今後ともよろしくご指導ご鞭撻頂きたく伏してお願い申し上げます涌井友子〉こうして、夫の残したニコンFを首からぶら下げて、4人姉妹を育てながら、かあちゃん記者となった。ちょうど50歳だった。■赤ちゃんをおぶりながら取材にいそしむ50歳のかあちゃん記者「私が、主催する会のイベントの司会者としてステージで話していると、行くところ行くところに、赤ちゃんをおぶって会場を歩きまわりながら、鉛筆をなめなめしてメモを取っている女性がいて、とても目立ったんです。その健気な姿に共感して声をかけ、中野サンプラザの喫茶室でお話ししました。そしたら、どっちも母親で、自分のことだけでなく、地域のためにも頑張ろうとしていて、意気投合するんです」中野区で、こちらも長い間ボランティア活動を続けている世代間交流「夢のかけ橋」会長の丸山陽子さん(81)が語る。やがて、かあちゃん記者の記事に、こんな評価が。「新たに紙面に『女性の視点が加わった』と言われました。男性は広い目で社会を見る、私は女性記者として、一人の母親として、生活に密着した記事が多かったかも。上高田の少年野球チームが猛暑の中で練習している光景を見て、次の取材時に手作りした梅干しを持参したら、すごく喜ばれて。翌年には『梅干し、待ってました』なんて言われるようになったり。そんなローカルならではの温かみは、大切にしましたね。「新聞作りは山あり谷ありでしたが、これまで一度も休刊してないのが、私の記者としての誇り。いちばん好きなのは、選挙取材。地域密着のローカル紙だからこそ、必ず全立候補者の事務所を回ります。今じゃ、候補者の背中を見ると当落がわかるなんて話してたら、ある議員さんから『おっかねえ』なんて言われました(笑)」と、涌井さん。前出の次女の久美子さんが新聞作りをサポートするようになってもう20年になる。ずっと同居もしており、すでに記者として母の後を継ぐことも表明している。「母は話したがりませんが、父が亡くなったあと、新聞だけでは私たち4人姉妹を食べさせることができなくて、2度ほど生命保険の外交員をしていた時期もありました。三足のわらじだったわけです。最近も、私が母の代わりに取材に行くと、『あの、おんぶされていた赤ちゃんが、とうとう一人で取材に来るようになったか』と言われることも。実は、それは末の妹のことなんですが(笑)」今では、新聞制作もデジタル化しており、パソコンへの記事の入力や割り付けを久美子さんが担っている。「記事は母、入稿は私という二人三脚です。父は、私たち家族にお金は残してくれませんでしたが、母にローカル新聞という生きがいを残してくれた。そのことは、娘としても感謝しています」『週刊とうきょう』は来年早々にも50周年を迎えるが、その前に今夏に、ほぼ同じ歴史を持つ、あの中野サンプラザが閉館する。「もちろん記事にするつもりで、今から準備しています。中野がこんな若者の街になるとは、新聞を創刊したころには想像もしていませんでしたが、これからも中野という街の変化と変わらないよさを、私のペンで伝え続けたい」このインタビューの日も、その中野サンプラザで行われるイベントの取材のため、寒風の中、ペンとカメラを手に、青い杖をついて中野の街へと繰り出してゆくかあちゃん記者だった。
2023年02月19日創刊50年、主筆になって40年。月2回発行のタブロイド判のローカル紙を作り続けてきた。一年中、中野の街を疾走するかのように東奔西走、休刊したことのないのが自慢と胸を張るのは、『週刊とうきょう』主筆兼記者・涌井友子さんだ。90歳を前に大腿骨骨折の大けがを負うが、取材への情熱でリハビリに励み、1カ月で退院。愛用の杖をつきながら、いまでも1万歩を超えて歩く日も多いというから驚きだ。その活動の原動力は、自分を支えてくれた地域への愛と感謝の念ーー。涌井さんは、1931年(昭和6年)4月、静岡県藤枝市に生まれた。「父は静岡県庁勤め、母は教員をしていました。5人きょうだいの三女で、おとなしい子でしたね。学生時代は戦時中で、勉強より農村動員で、田植えやお茶摘みに駆り出されていました」終戦時は、女学校の2年生。母親同様に教師を目指して代用教員まで体験したが、当時の学制の混乱もあり、教員免許を取得できずに20歳で静岡鉄道に勤務すると、受付係に。「まだ戦後の混乱が続いており、静鉄の受付には、会社にありもしないことをふっかけて、偉い人に会おうとする不逞の輩も押しかけてきたんです。それを受付でうまくさばくのも私の役目。なかには、得体の知れない自称・地方紙の記者たちもいました。まさか数年後、自分がローカル紙の記者になるなんて想像もしてなかったから、当時は、もう必死で追い返していましたよ(笑)」幼いころから文学少女だった涌井さんは、社内の文化サークルに次々に参加した。「その活動のなかで、東京の大きな短歌の会にも参加するようになったんです。その場所が、中野でした。鉄道会社勤務だったから、静岡から新宿辺りまで職務パスでほとんどタダで行けたんです」そこの会員だった新聞記者を通じて知り合ったのが、夫となる啓権さんだった。「私より2つ年上で、郵便局勤めのあと、中野区のローカル新聞の記者をしていました。初めて会った数日後には、手紙が届くんです。その熱意にほだされたのと、田舎暮らしで早く嫁がなきゃという世間体もあったりして、結婚を決めました。ローカル紙の記者の経済状況を考えもしないで」’58年、中野区の鷺宮に引っ越し、新婚生活が始まった。■4人姉妹を育てながら、夫の後を継いで50歳でかあちゃん記者となる決意を結婚から15年。3人の娘もでき、母親業と新聞制作の助手をしながら、あわただしい日々を送っていたとき、思いがけない出来事が起きる。「主人が、勤めていた新聞社の社長との意見の相違があって、独立することになるんです」こうして、夫婦2人で『週刊とうきょう』を創刊。’74年1月だった。この前年には、中野駅前のシンボルともいうべき中野サンプラザも開業していた。「“週刊”でもないし、“東京”でもないわけですから、看板に偽りばかりですよね(笑)。でもね、主人も最初は中野区以外の取材もするつもりだったし、当初は月3回発行したことも。それでも月2回になったのは、主人の体調のせいも。もともと糖尿もあったりで丈夫じゃなかったから、私から、『お父さん、無理しないで月2回でゆきましょう』と」創刊に当たっては、夫とこんな約束をした。しかし8年後、’82年4月、主筆だった夫の啓権さんは、夢半ばにして亡くなってしまう。「糖尿病など持病もありましたが、最後は肝臓がんで。当時の日本では一般的でしたが、告知をしなかったので、本人は復帰するつもりで、ベッドの上でも亡くなる直前まで記事を書き続けていました」新聞発行に関しては、誰もがもう存続は困難だろうと思っていた。涌井さん自身も、「長い間、手伝いこそしていましたが、新聞作りは、いわばド素人。ですから、主人の記者仲間や印刷所などの関係者、それに購読者の方たちも、廃刊になるのだろうと考えているようでした。私も、仕方ない、と諦めていたというのが正直な気持ちです」ところが、四十九日の法要の席だった。夫の遺影を眺めていて、涌井さんは、ふと思う。「夢だった新聞を創刊して、たった8年ですからね。最期までベッドでペンを握っていた姿を思い出して、さぞ無念だったろうと。やっぱり、私が後を継いでやらないと、主人も、この新聞もかわいそうと思ったんです」周囲にその気持ちを告げると、意外なことに、ほとんどの人が、「記事は下手でもいいから、かあちゃん新聞でいいから、続けてよ」ああ、夫は、この新聞は、中野の人たちに本当に愛されていたんだ、と改めて思い知らされるのだった。そして、その決意は、夫の死後に発行された新聞の一隅に「社告」として表明された。〈『週刊とうきょう』の営業は引き続き涌井友子が主人の遺志を継ぎ継続させて頂きたく存じますので、今後ともよろしくご指導ご鞭撻頂きたく伏してお願い申し上げます涌井友子〉こうして、夫の残したニコンFを首からぶら下げて、4人姉妹を育てながら、かあちゃん記者となった。ちょうど50歳だった。■地域のみんなで助け合って生活していくことの大切さを取材を通じて教わった夫の急逝を受け、ローカル紙の記者となった涌井さんには、この丸山さんのような地域の支援者、ファンが徐々に増えていった。「人に会うのは、このとおり、私は話し好き、人好きだから、ぜんぜん苦にならなかったんです。そのうち、方々から『こんなイベントをやるから取材に来てよ』と声がかかるようになったり」いちばん苦労したのは、編集作業だったという。「特に、新聞紙面の割り付け、レイアウトというのは、多くの決まり事があって独特なんです。これだけは、主人の記者仲間の方たちに教わって習得しました」とはいえ、記者と4人姉妹の母親という二足のわらじ生活は「いつもギリギリでした」とふり返る。「末っ子は、まだ小学1年生になったばかり。そもそも主人の後を継ぐときにいちばん悩んだのが、家計のこと。新たに就職しても大変だろうし、新聞を続けてもやっぱり大変。でも、同じ貧乏をするなら、父親の仕事を継いだほうが、子供たちも頑張っている母親の背中を見てくれるんじゃないだろうかと思ったんです。何が必死かって、食べさせることでしたね」夕飯の時間だけは、なるべく取材を入れずに、台所に立った。「でも、ろくなものを作ってなかったと思います。子供たちには申し訳ない。塾に通わせる余裕なんて、ないですよ。だから、私の母親としての口癖は、『教室で先生が話すことを、しっかり覚えてくるんだよ』でした」どうしても夕方以降に取材に行かねばならず、前出の証言のように、末っ子が幼いときには、おんぶして取材を続けたことも。その姿を見て、相手は言った。「かあちゃん記者が、子連れで来たか」その言葉の温かさに救われたと、涌井さんは言う。「今のSNS時代なら、なんと言われたか。日本中の誰もが豊かさを目指して頑張り、助け合っていこうという思いやりが、かろうじて残っていた時代でしたね。娘もまた、私が取材するかたわらでお絵描きしたり、メモ用紙をビリビリ破ったりしながら、おとなしく待っていました。働く母親の苦労を、子供ながらわかっていたのでしょうか」夕方の取材に出なければならないときは、近所の住人たちが「娘さん、うちに置いておけば」と気軽に声をかけてくれた。「私は4人の娘を一人で育てたんじゃない。地域の人たちに育ててもらったという感謝の思いがあって、だから恩返ししたい、地域に貢献したいとの思いで、中野で取材を続けました」その後は4姉妹も成長し、’10年には1千号記念号も発刊するなど順調に進んでいたが、’20年1月、涌井さんを突然の事故が襲う。「野方商店街の新年会の取材をした帰り道で、会場を出た途端にしりもちをついたと思ったら、動けなくなって。みなさんに助けられて病院に運ばれたら、大腿骨の付け根の骨折でした」入院中、いつも考えていたのは、一日も早い現場復帰だった。「毎年、春には区内の多くの団体や協会の総会があります。恒例のこの催しだけは、絶対に私が取材するんだと自らに言い聞かせ、リハビリに励みました」涌井さん自身は、骨折後、自転車に乗れなくなったのが、唯一の残念なことだと話す。「40年間、区内の遠い場所でも自転車でしたが、杖をつくようになってバスに。でも、杖に頼っても自分の足で歩ける間は、生涯現役のつもりです」91歳の今でも、取材に夢中になり区内を歩いていて、万歩計が1万歩を超える日も多いという。「ですが、最近は区内を取材しているだけでも孤独死、虐待など、深刻な問題の多さを痛感します。これから、私もさらに年齢を重ねて、介護の問題も出てくるでしょう。そんなとき私は、地域のみんなで助け合って生活していくことの大切さを、身に沁みて知っています。それを取材を通じて教えてくれたのが、実は下町的な人情に厚い中野という街でした」世知辛い時代だからこそ、半世紀にわたり、中野という街の温もりを伝え続けてきたわずか2ページの新聞が、そこに暮らす人たちの絆やコミュニティを、より強くする存在として期待されるのだ。【後編】91歳の現役記者赤ちゃんをおんぶして取材にいそしみ、今年で40年へ続く
2023年02月19日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、衝撃を受けた映画の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょう――。「『もののけ姫』(’97年)は、宮崎駿監督の初期作品、『風の谷のナウシカ』(’84年)でも扱われた人間と自然との関わり、人が潜在的に抱いているであろう差別や悪意をテーマにしています」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(55)。中世の日本を舞台に、タタリ神と呼ばれる化物を退治した際に呪いを受けて、村を追われた主人公・アシタカの旅が壮大なスケールで描かれる『もののけ姫』。「メッセージ性の強い作品ですが、監督自身が著作でおっしゃっているとおり、そこに込められたのは『憎悪や殺りくのさ中にあっても、生きるに値することはある』との思い。非常に難解ですが、映画を見終わって作品の感想を話し合うなかで、誰もが『なぜ生きるのか』に対する答えを、自分なりに考えられるような作りになっていたのではないでしょうか」そんな本作は、『E.T』(’82年)の持つ当時の記録を更新して大ヒット、最終的な興行収入は201億円を突破した。「ジブリ作品特有のキャラクターの繊細な動きにさらに磨きをかけるため、通常5万~7万枚ほど使用するセル画を、倍以上に増やしたとか。久石譲さんによる音楽、とくに米良美一さんが歌う主題歌は、インパクトがありました」■“ドル箱アニメ”のビジネスモデルを発明した『もののけ姫』大ヒットした理由は、こうした作品の持つ力ばかりでなく、鈴木敏夫プロデューサーによる“仕掛け”にもあった。「同作品のポスターに使用された『生きろ。』というキャッチコピーは、糸井重里さんによるものです。このシンプルな言葉を生み出すまでに、鈴木氏と糸井氏の間で、何度もFAXのやりとりがあったといわれています」また、ほぼ同じ封切り日だった『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(’97年)に、多くのスクリーンを押さえられていたというが――。「鈴木さんが配給会社の担当者と粘り強く交渉し、特別な配給態勢を整えたという逸話もあります。さらに、『目標の配給収入を得るには、それと同額の宣伝を行えばいいんだ』と、宣伝スタッフを鼓舞。それが功を奏したのは、’90年代がまだマスメディアの影響力が強い時代だったからでしょう」今年7月公開予定の宮崎監督作品『君たちはどう生きるか』は、一転して、タイトル以外の情報が伏せられている。「どういう内容、そしてキャラなのか……。あえて隠すことで、SNSの利用者にも期待感をあおる。時代によって、宣伝の仕方も大きく変わっていくのですね」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2023年02月19日2月14日はバレンタインデー♪そこで、読者世代の女性500人に好きな海外の恋愛映画をアンケート!ランキング形式で昭和・平成のTOP10を紹介します。題して、「恋愛映画の金字塔TOP10」ーーあのころ胸ときめかせた恋物語。あなたの思い出の作品は何位?■昭和の恋愛映画TOP10【1位】『ローマの休日』(1953年)「オードリー・ヘプバーンがかわいくて細いウエストにあこがれた」(70代・専業主婦)「ローマの街並みも素敵で恋愛の設定にワクワクしました」(60代・パート)「オードリー・ヘプバーンの可憐さと最後の凜とした王女としてのたたずまいが素晴らしかった」(70代・無職)イタリア訪問中、街に飛び出した某国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)と新聞記者ジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)とのつかの間の恋が描かれる。お互いに魅了されると同時に、かなわぬ恋だと悟る2人。ラストシーンの記者会見で見つめ合う姿に世界中が涙した。当時ほぼ無名の新人だったヘプバーンは本作でアカデミー賞主演女優賞を獲得。【第2位】『風と共に去りぬ』(1939年)「何回見ても感動する。『私には大地がある』という言葉が大好き」(70代・無職)「大変な時代の中、強く生きる女性に魅力を感じた」(50代・その他)南北戦争前後の米国南部を舞台に、大農園の娘スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)の波乱の半生が描かれる。いとこと結婚したアシュレーへの思いを捨てられないスカーレットは、3度結婚。愛と戦争に翻弄されながらも農園を守り抜く、たくましい女主人を演じたヴィヴィアン・リーの美しさと強さは圧巻だった。【第3位】『小さな恋のメロディ』(1971年)「主役の2人がかわいすぎてメロメロ」(50代・パート)「今見てもみずみずしい。音楽も美しく、何度も見てしまう」(60代・専業主婦)ロンドンの公立学校に通う11歳のダニエル(マーク・レスター)は、同じ学校に通うメロディ(トレイシー・ハイド)に恋をする。親や教師に内緒で友人たちと結婚式を挙げるというピュアな初恋物語は、ビー・ジーズの名曲とともに日本で大ヒット。大人たちの手を逃れた2人がトロッコで草原を疾駆するラストシーンは今でも人々の心に残り続けている。【第4位】『ティファニーで朝食を』(1961年)【第5位】『ある愛の詩』(1970年)【第6位】『俺たちに明日はない』(1967年)【第7位】『カサブランカ』(1942年)【第8位】『シェルブールの雨傘』(1964年)【第9位】『恋しくて』(1987年)【第10位】『雨に唄えば』(1952年)■平成の恋愛映画TOP10【第1位】『タイタニック』(1997年)「ディカプリオが最後笑顔で沈んでいくところが泣けて泣けて仕方ない」(40代・自営業)「身分の違いを乗り越えて、一途に愛し合う2人に感動した」(40代・パート)「レオ様がかっこいいし、きざなところがとてもいいから」(40代・会社員)舞台は1912年、処女航海に出たタイタニック号。新天地アメリカを目指す画家志望の青年ジャック(レオナルド・ディカプリオ)と上流階級の娘ローズ(ケイト・ウィンスレット)は身分の違いを乗り越え、強い絆で結ばれる。少年のあどけなさが残るレオ様は当時23歳。男らしく情熱的なジャックは世の女性たちを魅了した。船首でジャックに抱きしめられたローズが両腕を広げる場面は、公開から25年の時を経た今もなお語り継がれる名シーンに。映像が一新!美しくよみがえった『タイタニック:ジェームズ・キャメロン25周年3Dリマスター』が公開中(2月23日まで)。【第2位】『プリティ・ウーマン』(1990年)「リチャード・ギアがステキ!」(60代・専業主婦)「現代的な女性の生き方が印象的」(50代・パート)ウォール街きっての実業家エドワード・ルイス(リチャード・ギア)がコールガールのヴィヴィアン(ジュリア・ロバーツ)と出会い、次第に引かれ合う姿を描いたシンデレラストーリー。素敵なレディに変身するヴィヴィアンを好演したジュリア・ロバーツは、本作でハリウッド女優に躍進。主題歌『オー・プリティ・ウーマン』も大ヒットした。【第3位】『美女と野獣』(2017年)「『ハリー・ポッター』から成長した主人公の演技力が高いから」(40代・専業主婦)「ダンスシーンがきれいだった」(40代・パート)人を愛し、愛されなければ人間の王子に戻れない野獣(ダン・スティーブンス)と、野獣の住む古城にとらわれの身となった娘ベル(エマ・ワトソン)。真実の愛を描いたディズニーアニメーション不朽の名作は、圧倒的な映像美と極上のミュージカルナンバーに彩られ、見事に実写化された。エマ・ワトソンの可憐なドレス姿も話題に。【第4位】『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)【第5位】『ロミオ + ジュリエット』(1996年)【第6位】『シザーハンズ』(1990年)【第7位】『ノッティングヒルの恋人』(1999年)【第8位】『ラ・ラ・ランド』(2016年)【第9位】『きみに読む物語』(2004年)【第10位】『50回目のファースト・キス』(2004年)※クロス・マーケティングのセルフアンケートツール「QiQUMO」を使用し、40代以上の女性500人に調査
2023年02月18日《私とオンラインで個別にタロット占いをする事が出来ますよもちろん『お話したい』『タロットや占いのやり方、勉強の仕方を知りたい』という方もOKです!》2月6日、Instagramでこう呼びかけたのは女優の片瀬那奈(41)。2年前まで占いに興味がなかったというが、始めたきっかけをこう明かしている。《とあるきっかけで面白味を感じて独学でタロットを勉強していくうちに、自分の悩みや考え方の幅、相談された時に役立ってくれる1つのツールとして活用するようになりました》これまでもYouTubeの生配信などでタロット占いを披露してきた片瀬。だが、《配信上だと言いにくい悩みを聞いてあげたいという気持ちが大きくなったのが始める理由》だとし、本格始動したという。片瀬の「お客様マニュアル」を見ると、LINE公式アカウントから予約し、決済方法はクレジットカードのみのようだ。また、注意事項欄には、《録画・録音・スクリーンショットを行うことは固く禁止しています》との記載もある。そして、気になるお値段は「15分7000円」とのこと。仮に1時間占ってもらうと28000円かかるが、この金額設定にネットでは賛否両論の声が上がっている。《好きな芸能人と15分7000円ならって考えれば安い》《15分話せるなら払う価値ある》と好意的な声もあれば、《高い~》《タロット占い15分7000円はぼったくり価格》と否定的な声も。一方で、《この人会社員になってたような…》《会社員になったんじゃなかったっけ?》といった声も上がっている。それもそのはず、片瀬は昨年12月にファッション通販サイトを運営する「株式会社ロコンド」に就職。事前に同社のYouTubeチャンネルで社員になることが発表され、田中裕輔社長は「企画じゃなくて本当に。基本的に週5で働いてもらう」と語っていた。「最近では主に週3回の生配信や、自らがファッションモデルとなりWEBマガジンの記事作成を手掛けていると報告していました。それだけでなく、片瀬さんは商品開発やM&A、業務提携の調査も行っており幅広く活躍しているようです」(WEBメディア記者)本誌は昨年、初出社前の片瀬を直撃している。予定していた出社時刻よりも7分遅れで登場した片瀬は、ベージュのチェスターコートにメガネを掛けて颯爽とタクシーを降りてきた。記者が「これからどんな仕事をしたいですか?」と問うと、「ロコンドのためにお客様により豊かになれるように、まだ新人ですけど頑張りたいです」と笑顔でコメント。「週5で働くと両立は大変では?」と投げかけると、「そうですね。でも体力が続く限りは頑張っていこうかなと。新しいことやれることに今はワクワクしています」と意気込んでいた。会社員になってまだ3カ月。果たして、“副業ビジネス”は吉と出るだろうか?
2023年02月18日「新解釈、新設定をもとに、まったく新しい形の『巌流島』ができたと感じています。やるべきことはやったので、あとは役として舞台上で生きるのみだと思っています」2月9日、舞台『巌流島』(東京・明治座にて2月22日まで公演中。その後、3月27日まで石川・新潟・秋田・愛知・兵庫・香川・福岡を巡演する)の初日前会見で、そう自信を見せた横浜流星(26)。主役の宮本武蔵を演じる横浜は無精ひげを生やしたワイルドないでたちで、2本の刀を自在に操る二刀流はまさに伝説の武士。極真空手世界一の称号を持つ彼の俊敏なアクションはさすがのひと言だ。そんな持ち前の身体能力で、初の本格殺陣アクションも華麗に演じる横浜の動きと、LEDディスプレーの映像効果を生かした演出が融合!長刀の使い手である佐々木小次郎との対決では、ダイナミックでキレのある太刀さばきを披露した。宮本武蔵と佐々木小次郎、「関ヶ原の戦い」で落ち武者となるも天下に名を知らしめる剣豪に成長した2人がどこで出会い、どのような人生を歩み、なぜ戦わなければならなかったのかーー。堤幸彦演出による、宿命の対決「巌流島の戦い」の裏にある骨太な人間ドラマも見どころだ。武芸者としての葛藤や生きざま、ライバルに対する嫉妬など、武蔵と小次郎の内面が繊細かつ、大胆に描かれる。’20年に上演が予定されていたものの中止になってしまった舞台がいよいよ開幕するとあり、「あのときの申し訳ない気持ち、悔しい思いをしっかり晴らせるように」と気合十分だった横浜。令和版宮本武蔵の誕生をその目に焼きつけて!
2023年02月18日「ひさしぶりに“戦争”シリーズに帰ってきて、撮影の初日は感動しました。懐かしくもあり、新鮮でもあって。でも、すぐに感覚を取り戻しましたし、やっぱり、ドラマの撮影は面白いなあ、なんだかんだ言って、俺、好きなんだなあって思いながらやっています」そう話すのは、放送中のドラマ『罠の戦争』(カンテレ、フジテレビ系・毎週月曜22時~)で主演を務める草彅剛(48)。民放の連ドラ主演は、’17 年放送の『嘘の戦争』以来6年ぶり。「年齢を重ねたからこそにじみ出る味というか、成熟した魅力を出さないと!」と意気込むが、撮影に臨む気持ちは、25年前と変わらないという。「初めて主役に起用された『いいひと。』(’97年)以来、演じることの面白さや大変さ、いろいろ経験させてもらったカンテレに戻ってこられて、僕自身、新人のころに戻ったような気持ちですね。生意気な新人ですけど(笑)」中盤に突入したドラマは、草彅演じる主人公の議員秘書・鷲津亨が、一人息子の事故の真相を突き止めるため、政治家への転身を決意する。「感情表現をあまりやりすぎないほうがいいのかなと思ったのですが、監督が『もうちょっとやっておこうか!』って、“罠感”を求めてくるんですよ。反論しても結局やらされちゃってます(笑)」さらに、シリーズ最大の復讐劇になる予感も。「激しい熱量を引き出すために必要なことは、やはり睡眠ですね。寝てりゃあ、結構なんとかなる(笑)。現場では難しく考えず、アクセルを踏んでいこうと思います」自身のキャリアを代表するシリーズからスタートを切ったが、’23 年の抱負は?「昨年は舞台を2本もやって、本当にほえまくったんですよ。そこで得た刺激を自分のパワーに変えて、今年はウサギのようにぴょんぴょんと跳ねて、ステップアップできたらいいなと思っています」(スタイリング:細見佳代・ZEN creative/ヘアメーク:荒川英亮)【衣装協力】スーツ、シャツ、ネクタイ(すべてLAD MUSICAN/ラッド ミュージシャン)
2023年02月18日2月17日の発射直前で、打ち上げ中止となったJAXAの次世代主力ロケット「H3」初号機。JAXAは同日午後2時から中止についての会見を行ったが、そこでの記者のある発言が物議を醸している。17日午前10時37分の打ち上げ予定時刻に向けて、ロケットの自動カウントダウンシーケンスも開始していたが、機体システムが異常を検知し、補助ロケットへの着火信号が送信されなかったため、発射中止となったH3。会見にはH3プロジェクトチームプロダクトマネージャであるJAXAの岡田匡史氏が出席し、事情を説明。原因については究明中とし、中止の受け止めについて問われると、「きょうという日を待っていたミッションオーナーや、見守ってくださっていた方が大勢いる。申し訳ないと思っているし、われわれもものすごく悔しい。一緒に頑張ってきた人に残念な思いをさせてしまった」と悔しさをにじませていた。問題となっているのは、会見開始から30分ほど過ぎに質問した共同通信社の男性記者のやり取り。まず記者は「中止と失敗という問題についてもう一度確認したいです。ちょっともやもやするものですから」と切り出した上で、「意図的なものじゃなくて止まっちゃたよということは、一般に言う失敗じゃないかと思うのですが、どうですか?」と質問。岡田氏は「こういった事象が時々ロケットにはあるのですが、その時に自分たちは失敗と言ったことがありませんので」と返答するも、記者は「みなさんの中では失敗と捉えてないけれども、失敗と呼ばれてしまうことも感受せざるを得ないという状況ではないですか。どうですか?」と食い下がる。すると、岡田氏はこうコメント。「どのような解釈をされるのかは、受け止められ方はもちろんあると思いますので、そうではないですとは言い難いんですけれども、ロケットというものは基本安全に止まる状態でいつも設計しているので、その設計の範囲の中で止まっている、つまり意図しないというのはそういう設計の範囲を超えて、そうじゃない状態になることは大変なことになると思いますが、ある種想定している中の話なので、そこに照らし合わせますと失敗とは言い難いと思います」「失敗とは言い難い」と断言した岡田氏だが、記者は「確認ですが、つまりシステムで対応できる範囲の異常だったけれども、考えていなかった異常が起きて打ち上げが止まった。こういうことですね」と再度確認をする。これに対して岡田氏は「ある種の異常を検知したら止まるようなシステムの中で、安全、健全に止まっているのが今の状況です」と返答してやり取りは終了するかと思いきや、最後に記者はこう言う。「わかりました、それは一般に失敗といいます。ありがとうございます」やり取りの中で“失敗”という言葉にこだわり、失敗ではないと否定したJAXAに対して、「それは失敗といいます」と締めくくった記者。この“指摘”にネット上では、批判が殺到した。《JAXA会見、共同の記者の質問聞いてるけど何なん腹立つ》《JAXAの担当者の方が丁寧に説明してるのに「失敗」ありきで人の話も聞かず最後に言い捨ててく共同の記者マジで酷いな》《共同の人の質問、ひどいね。「一般にそれは失敗という」って、「一般」を自分で勝手に定義するなよ》
2023年02月18日2023年になって2カ月が過ぎようとしているが、喜ばしくない“トレンド”が連日取り沙汰されている。若者たちによる“迷惑動画”だ。1月上旬から中旬にかけて、回転寿司チェーン「はま寿司」で「他人の寿司を横取りして食べる」や「他人が注文した寿司にわさびを乗せる」様子を撮影した動画がSNS上で拡散することに。これらを皮切りに、飲食店やカラオケ店などでの迷惑行為を撮影した動画が続出。極めつけとなったのが、1月下旬に回転寿司チェーン「スシロー」の店舗内で、少年が醤油のボトルや湯呑みを舐め回す動画。この動画が拡散されると、ネット上から「もう行けない」といった声が相次ぎ、スシローは時価総額が一時170億円も下落するなど大打撃を受けることに。スシローは少年とその保護者から謝罪を受けるも、警察に被害届を提出し、刑事と民事の両面で厳正に対処していく方針を発表している。2月に入っても、牛丼チェーン「吉野家」で卓上の紅生姜を直箸でかきこむ動画や、はま寿司でガリを直箸で食べる動画などが相次いで報告されている。“ガリ食い”に関しては、当事者が所属しているとされている、富山県の高校がTwitter上で《現在、事実関係の解明に向かっております》とコメントを出すにいたっている。約10年前にもアルバイトが店内での迷惑行為をTwitterに投稿し、“バカッター”や“バイトテロ”と話題になり社会問題化した過去が。そうした前例や今回の流れがあるにも関わらず、なぜ迷惑動画は後をたたないのか。そして、防ぐために親ができることはーー。そこで、一般社団法人SNSエキスパート協会の代表理事を務める後藤真理恵さんに話を聞いた。まず後藤さんは、一連の迷惑動画について「やってはいけないことだとわかっていてやっていることが多い」とした上で、それでもやってしまう心理についてこう分析する。「あれは一種の自虐行為とも言えて、なぜそんなことをするかというとウケ狙いだったりする。その行為をすることで本人が気持ち良くなったり、直接いい気分になるかというと、実はそんなことない行為ばかり。それでもやるのは、『仲間のなかでウケたい』『面白いやつだなと思われたい』という気持ちがある。ダンスや歌でアピールできる人もいると思いますが、そうじゃない子供の中には自虐に走ることで結果的に注目されたり、面白いと思われたいという傾向があるんじゃないかなと考えています」(以下、カッコ内は後藤さん)仲間内での存在感を高めるための手段として、なぜ迷惑動画を選ぶ若者が絶えないのだろうか。■迷惑系YouTuberの影響も「特に子供たちの場合、知識不足があると思います。1つは、自分の行為が犯罪に該当するとは思っていない可能性。もう1つは、これまでの私たち大人の対応にも問題があるかもしれないですが、万が一のことがあっても謝ったら許されると思い込んでいるところがあるのではないかと思います。子供のしたことだからと。子供らも過去の炎上とかを全く知らないわけではないと思うんです。けれども、そんな大きい裁判になったケースもあまりなく、“いたずら”とか“悪ふざけ”と呼ばれているので、犯罪であるという見え方ができてなかったのかなと思います」また、ここ数年勢いを増している炎上することで注目を集めるYouTuberの影響もあるという。「いわゆる“迷惑系YouTuber”と言われる人たちの人気が高まってしまっているので、『彼らだってやってるじゃん』みたいなことをどこかで考えていて、危機感がどんどん下がっていってしまうって言うのはあるかもしれないですね」その上で、後藤さんはまずすべき“親の務め”についてこう指摘する。「親御さんからお子さんにまずぜひ伝えていただきたいのは、『最近ニュースで流れているようなことは”いたずら”とか“悪ふざけ”じゃなくて、犯罪だよ』ということです。『世の中には謝っても、許されないことがちゃんとあるんだよ』と。例えばいじめも謝れば許されるんじゃないかという誤った風潮が一部にありますが、謝っても許すかどうかは被害者側が決めること。ましてや今回の炎上についてはやってることは犯罪行為なので、『謝っても許されないよ』ってのは必ず伝えていただきたいことですね。例えば営業妨害だったら『偽計業務妨害罪』に当てはまる可能性があるよと。お醤油のボトルをダメにしたり、食材を廃棄させてしまうと『器物損害罪』になる可能性もあるし、犯罪者になっちゃうんだよってことは伝えないといけないですね。それでも『有名になりたいんだよ』って気持ちがあるかもしれないけど、いくら犯罪者として有名になっても一生を棒に振るだけなので、別のやり方で有名になったり、仲間にすごいね、面白いねと言ってもらえるように、他のことをがんばったほうがいいよと伝えていただきたいですね」子供の友人関係も含めた迷惑行為への危機感を高めることも重要だという。「もし自分の友達が目の前で迷惑行為をしようとしたら『勇気を出して止めて欲しい』と、伝えてあげてほしいです。やっぱり友人が炎上するとその友達にも影響が出ます。あと、もしお子さんが知らない人の迷惑行為を見かけたら、本人に直接注意するのは危険性もあるので、例えば、すぐお店の人に知らせるとか、警察になるべく早く伝えることで二次被害を止められるので。そうやって『世の中の安全を守れる立場の人間になって』っていうのは伝えてもらえたらいいなと思います」■もし当事者になった時にできること迷惑動画が話題になると、ネット上で投稿者の名前や通う学校といった個人情報を特定する動きが必ず起きることに。その結果、スシローで醤油ボトルを舐め回した少年は、一部では高校を自主退学したとも報じられている。またスシローのように、投稿者に対して法的措置を検討する企業は相次いでおり、その流れは今後も加速していくことが予想される。投稿した側にも取り返しのつかない代償が待ち受けている迷惑動画によるトラブル。防ぐためには、親子で炎上に対するリテラシーを高めることも大切なようだ。「10代のお子さんも1回炎上してしまうと一生それは消えないので、今後就職活動だったりご結婚だったり、いろんなシーンで名前を検索されただけで何をやった人間かわかってしまうので、非常に大変なことになります。親御さん自身がネットリテラシーが高くなくて、炎上に加担していたり、お子さんの顔写真を撮ってどんどんネットに垂れ流してしまうケースもあります。そういう姿をお子さんに見せてしまうとお子さんもネットの怖さが麻痺してしまう。絶対に自分のお子さんの顔写真や個人情報は載せない、見知らぬ人とネットで喧嘩しないとか、インターネットの怖い部分を、一緒にいろいろ話し合いながら、どうやったら安全に楽しく使えるかなってのは、折に触れて親子でも会話できるようにしていただけるといいかなと思います」それでも、もし子供が“加害者”になってしまったときはどうすれば――。「当然子供の責任は親の責任と考えていただいて、誠意を見せて、謝罪をするっていうのは一つ、人間としてやるべきことだとは思います。ただ、それで許されるとは思わないほうがよくて、お子さんにもそこは理解をさせて、これからどうやって償っていくのかを本当に真剣に考えていこうと。お子さんと一緒にある意味背負っていく覚悟をしていただくことが大事だと思います。起こしてしまったら、恐ろしいことになると思いますので、お子さんを守る覚悟も必要です。デジタルタトゥーが残る可能性もありますので、それから先のお子さんの人生において、お子さんがネットストーキングや誹謗中傷被害に遭うとかさまざまな可能性が考えられます」身から出た錆とはいえ、デジタルタトゥーを消すことはできるのだろうか。「例えば弁護士を通じて削除依頼を出して消してもらうことはできなくはないですが、正直いたちごっこなんですよ。コピーが世界中に広まってるので、いくら消してもらったところで、今度は海外のサーバーで管理されているようなウェブサイトに載せられちゃってどんどん手が届かないところで拡散するだけなのでおそらく消せば大丈夫って話には残念ながらならないです。本当になんとか普通に生きていくとすれば、極端な話を言うと、名前を変えて、住所を変えて、変えられるだけ風貌も変えて、本当にひっそり生きていくとか、本当にそれぐらいしかできなくなる危険性もあります」最後に「だからこそ、予防が一番大事なんです。絶対的に」と締めくくった後藤さん。起こしてからではもう遅い迷惑動画のトラブル。親子の日頃のコミュニケーションが何より大切ではないだろうかーー。
2023年02月18日《長年聞いてきて慣れ親しんだメロディが変わるのは寂しいですね》《チャイム変わるの寂しい》《聴きすぎてもうTOKIOのambitious Japanだってことすら忘れてたよ》20年もの間、東海道新幹線車内で発着を知らせるチャイムとして親しまれてきたTOKIOの楽曲「AMBITIOUS JAPAN!」。2月16日、発着のチャイムを今夏ごろに卒業することが発表され、Twitterでは冒頭のように「寂しい」という声が相次いでいる。もともと「AMBITIOUS JAPAN!」は東海道新幹線品川駅の開業とダイヤ改正に伴うPRのため、JR東海が展開したキャンペーンのテーマソングとして制作された。そして’03年10月のリリースと同時に、新幹線のチャイムに採用された。「作詞はなかにし礼さん(享年82)、作曲は筒美京平さん(享年80)、そして編曲は船山元基さん(72)と日本を代表する作家陣によって『AMBITIOUS JAPAN!』は制作されました。当時デフレの影響などで不況の最中にあり、JR東海の社長は制作サイドに『日本を元気にするような新しい鉄道唱歌を作って欲しい』と要望したそうです。JR東海のキャンペーンは当初’03年末で終了する予定でしたが、’04年の東海道新幹線開業40周年や’05年の愛知万博を終えるまで期間が延長されることに。その影響で楽曲もさらに広く浸透していきました」(鉄道関係者)「AMBITIOUS JAPAN!」はTOKIOにとっても特別な楽曲だったようだ。日本を代表する音楽の祭典『NHK紅白歌合戦』で同曲は、TOKIO史上最多となる4回も演奏されている。「初めて披露された’03年は、TOKIOが紅白に10年連続で出場したタイミングでした。そして、リリースから10年経った’13年やジャニーズタレントとして歴代最多記録となる“24年連続出場”を達成した’17年といった節目にも演奏されており、TOKIOメンバーの間でも代表曲という認識が強かったのでしょう」(音楽関係者)■『AMBITIOUS JAPAN!』でTOKIOは被災地や東京五輪にエールまた「AMBITIOUS JAPAN!」は東日本大震災5年目となる’15年の『紅白』でも披露されている。「TOKIOは震災当初からボランティアに積極的で、メンバーが住民の避難先を訪ねて一緒に農業を再開した縁から、福島県の農産物風評払拭PRキャラクターに起用されました。また東京五輪ではフラッグツアーのスペシャルアンバサダーを務めていたため、’17年の紅白では東京五輪に向けて励む人々の元を5人が訪ねる映像も流れました。そんなTOKIOは『AMBITIOUS JAPAN!』を演奏することで、被災地や東京五輪にエールを送っていたんです」(前出・音楽関係者)そして’20年には東海道新幹線からの引退を控えていた700系新幹線の車体に「AMBITIOUS JAPAN!」の文字がプリントされるという特別イベントも開催された。また’20年に作詞家のなかにし氏と作曲家の筒美氏が相次いで死去した際には、SNSで楽曲を再評価する声が。さらに長瀬智也(44)が翌年3月にTOKIOを脱退することが発表されていたため「紅白でもう一度『AMBITIOUS JAPAN!』を」と望む声も上がっていた。世代を超えて親しまれてきた名曲「AMBITIOUS JAPAN!」。チャイムを卒業しても、多くのひとに愛され続けるだろう。
2023年02月17日2月16日に配信された『FRIDAYデジタル』の記事で、24歳エステティシャン・Aさんとの“パパ活不倫”が報じられたダウンタウン・浜田雅功(59)。記事によると、浜田は元芸人の紹介でAさんと知り合い、’18年から’19年にかけて高級ホテルのスイートルームで4回密会したという。Aさんは浜田から合計で30万円ほどのお金を渡されており、“パパ活だった”と語っていた。浜田は’89年に女優の小川菜摘(60)と結婚し、芸能界きってのおしどり夫婦と知られていた。しかし不倫が報道されるのは今回が初めてではない。「’14年にも『FRIDAY』が、当時グラビアアイドルとして活躍していた女性との不倫を報じています。ドラマの共演で知り合った2人は、’11年から’14年までの3年間にわたり東京都内のマンションで逢瀬を繰り返していたといいます。この時、妻の小川さんは『FRIDAY』の直撃にたいして、『夫婦関係はうまくいっています。彼は芸人さんですから、結婚したときから覚悟しています』と語っていました」(スポーツ紙記者)不倫した浜田に理解を示した小川。所属事務所を通じて直筆署名入りのコメントを出した際にも、浜田は妻との“良好ぶり”を強調している。「常日頃、妻は『芸人はモテなくなったら終わり、家族に迷惑をかけない遊びは大いに結構』と言ってくれていましたが、その言葉以上に羽を伸ばし過ぎ、その羽は、家族にへし折られました。家族にこの様な思いをさせまいと猛省しております」前回は書面で謝罪した浜田だが、実は2回目の“予行演習”をしていた。’19年にテレビ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)で、謝罪のシミュレーションを行っている。「浜田さんは、架空の謝罪会見で記者からの質問に即興で答え、逆に好感度が上がるほど上手に立ち回ることができるかを競う企画で、食い逃げについての謝罪に挑戦しています。始めこそ神妙な顔で偽の会見に臨んでいた浜田さんですが、“食い逃げ”という設定に次第に顔がほころびだしました。そして記者のヤジに浜田が逆切れする場面もあり、VTRをみていた松本人志さん(59)は笑っていましたね」(テレビ局関係者)“予行演習”も終えている浜田。SNS上では2度目の謝罪があるのかに関心が集まっている。《浜田の謝罪文だけ楽しみ》《浜田が本気で謝罪会見したらどうなるのかはちょっと見たい》《浜田雅功の謝罪会見早くやってほしい。普通に見たい。逆ギレし散らかしてほしい》
2023年02月17日アイルランドで67歳の男性が大型のニワトリに襲われて死亡するという事件が起こっていた。Mail Onlineの報道によると、2年前の事件だが、今週審問が開かれたことで明るみに出たそうだ。’21年4月、アイルランド西部のバリナスローにある住宅で、間借り人のコリー・オキーフさんは助けを呼ぶ叫び声を聞いた。声のした方へ駆けつけると、大家のジャスパー・クラウスさんが足から大量に出血して意識を失いかけていたという。クラウスさんは「おんどりが……」と息も絶え絶えにつぶやいて失神。オキーフさんはクラウスさんの娘ヴァージニア・ギナンさんを呼び、救急車が到着するまで懸命に心肺蘇生を行ったそうだ。Irish Mirrorによると、ギナンさんが現場へ到着した頃には救命士がクラウスさんの蘇生を試みていたが、その後間もなく亡くなったという。クラウスさんのふくらはぎには大きな傷があり、そこから出血していたことがわかった。ギナンさんは、父親が飼っていた「ブラーマ種」という大型のニワトリが以前自分の娘にケガをさせたことを思い出し、問題のニワトリを確認したところ、その爪は血に染まっていたという。検視の結果、死因はニワトリが足爪をふくらはぎに突き刺した際の出血による「出血性心不全」とされた。クラウスさんは末期のがんを患っており、心臓がひどく弱っていたことも災いしたようだ。ブラーマ種は太い脚と大きな爪を持つ“世界最大“と言われるニワトリの一種で、愛玩用として飼育されているケースが多い。ギナンさんは審問で、娘がこのニワトリに襲われた時に殺処分するよう父親に進言したが彼は聞き入れなかったと語り、「どんな鳥であっても、攻撃的なそぶりを見せたらすぐに追い払うべきです」と呼びかけたという。
2023年02月17日地元・大阪での“パパ活不倫”が報じられたダウンタウン・浜田雅功(59)。大御所芸人として連日テレビに引っ張りだこだが、CMやレギュラー番組への影響も懸念され始めている。2月16日に公開された「FRIDAY DIGITAL」の記事では、エステ店を営む大阪在住の24歳女性・Aさんの告発を掲載。Aさんによると浜田と関係を持っていたのは2018年~2019年のこと。4回ほど高級ホテルのスイートルームで逢瀬を重ね、合計で30万円ほどお金をもらったという。そんな浜田に不倫が報じられるのは、これで2度目。2014年6月にグラビアアイドルとの不倫が報じられた際は謝罪文を発表し、妻の小川菜摘(60)もブログで《我が家は大丈夫です!》とコメントしたことで騒動を収めた形となった。しかし、芸人によっては不倫スキャンダルによってCM契約やレギュラー番組を失うこともある。「千原せいじさん(53)も2019年に2度目の不倫が報じられ、冠番組『千原せいじのKids’ World』(石川・北陸朝日放送)を降板することに。翌2020年には渡部建(50)さんに不倫が発覚し、レギュラー番組やCMを相次いで降板。支払った違約金は1億円にのぼったといいます」(芸能関係者)浜田に対しても各テレビ局の動向に注目が集まるが、CM契約を結んでいるクライアントはどうだろうか。浜田は現在、自身がイメージキャラクターを務めるゴルフブランド「ShotNavi」と、相方・松本人志(59)と出演する回転寿司チェーン店「くら寿司」のCMに出演中だ。そこで本誌はまず、「ShotNavi」を販売するテクタイト株式会社に取材。担当者によると、「ご質問の件につきまして、特にお答えできる立場にはなく、何も情報は持ち合わせておりません」との回答だった。次にコンビでCM出演する「くら寿司」は、広報担当者に報道の影響を問うと「今のところ影響はありません」と答えた。スキャンダルを一蹴するほど、浜田は“無敵”ということか。
2023年02月17日今年1月、妻の小川菜摘(60)との別居が報じられたダウンタウン・浜田雅功(59)。そんななか、新たに過去の“パパ活不倫疑惑”が報じられたのだ。2月16日に「FRIDAY DIGITAL」が公開した記事によると、お相手は大阪在住のエステ店を経営する24歳女性・Aさん。2018年~2019年に大阪・梅田で、浜田と複数回密会したと告発している。Aさんは飲み友達だった元芸人から「奥さんそういうの大丈夫な人だから」と持ちかけられ、浜田と関係を持つように。浜田と逢瀬を重ねていたのは高級ホテルのスイートルームだったという。これまで4回ほど会い、もらったお金は合計約30万円にものぼったようだ。一方で、Aさんは浜田の“意外な素顔”も証言している。浜田が好きなドーナツを差し入れると「こんなことしてもらったんはじめてや」と泣いたり、「マー君って呼んでほしい」と頼んだりされたとも明かした。さかのぼること2014年6月にも、グラビアアイドルとの不倫が報じられた浜田。当時、発表した謝罪文のなかでは、こうコメントしていた。「常日頃、妻は『芸人はモテなくなったら終わり、家族に迷惑をかけない遊びは大いに結構』と言ってくれていましたが、その言葉以上に羽を伸ばし過ぎ、その羽は、家族にへし折られました」小川もブログで夫の浮気についてコメントし、《私達は変わらず笑顔で支えて行こうと思っています!我が家は大丈夫です!》と気丈に綴っていた。「菜摘さんのコメントは“神対応”と称賛され、同時に浜田さんへの助け舟となりました。しかし浜田さんは、この一件で菜摘さんに頭が上がらなくなったそうです。先月報じられた別居の理由は、女優として活躍する菜摘さんが台詞覚えなど、舞台に集中するためだといいます。別居しても互いの記念日を祝い合うなど、夫婦仲は良好だそうです。とはいえ、大物芸人の妻としてどっしり構えているイメージの菜摘さんでも、夫が再び浮気したとすればショックを受けるのではないでしょうか」(芸能関係者)妻の反応が気になるところだが、意外にも世間での批判の声は少ないようだ。前出の芸能関係者が言う。「芸人の不倫といえば、最近ではアンジャッシュ・渡部建さん(50)や天竺鼠の瀬下豊さん(43)が大きく取沙汰されました。両者とも“ゲス不倫”と批判が殺到し、活動を自粛。CMやレギュラー番組を複数抱えていた渡部さんは、ほぼ全て降板するなど大きな代償を背負いました。一方、浜田さんに対しては一部で批判の声はあるものの、《女性を気遣った優しさがある》《この報道で好感度は崩れない》といった擁護する声が少なくない数あるのです。しかもSNSでは、浜田さんが“フレンチクルーラーで泣いた”といった報道内容をネタ化する向きもあります」大御所芸人のスキャンダルは世間を大きく騒がしたが、このまま“ノーダメージ”となるだろうか。
2023年02月17日経済学者で米イェール大学のアシスタント・プロフェッサー・成田悠輔氏(38)が過去に唱えた「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という主張が、米紙『ニューヨーク・タイムズ』など世界的に取り上げられ、波紋を広げている。「“集団自決”発言がニュースとして取り上げられたことを受けてか、16日までに成田さんが所属するイェール大学が、公式サイトを更新。成田さんのプロフィール欄に“成田氏のメディアや学問に対する意見は、彼個人のものであって、経済学部やイェール大学の見解を代表するものではありません”という趣旨の内容を英語で追記しています」(全国紙記者)日本のSNS上でも“集団自決”発言について、《自主的な世代交代、退任のメタファーとして集団自決って言ってるから別に過激な意味はないと思うんだけど》と擁護する声があがる一方で、《比喩で言って良い内容ではない事も分からないのかな》と批判的な声もあり、物議を醸している。新進気鋭の論客として、ここ1年ほどで大ブレイクし、様々なテレビ番組にも引っ張りだこな成田氏。そんな成田氏が過激な主張をしていたことに対して、嫌悪感を示す人も少なくなく、SNSに“#成田悠輔をテレビに出すな”というハッシュタグをつけて投稿する人も現れて、一時はトレンド入りするほど。そこで本誌は、成田氏がMCを務め、ニッポンの未来を切り開く若手政治家や、スタートアップ経営者などのイノベーターにフォーカスするテレビ番組『夜明け前のPLAYERS』(日本テレビ系)をプロデュースする株式会社PLAYに、今後の放送予定について取材した。毎月1度放送される同番組は、2月20日にも映画監督・寒竹ゆり氏(40)をゲストに迎える放送回が予定されており今後について尋ねると、「番組は継続していく予定です」との答えがあった。果たして、成田氏はこのまま自ら招いた舌禍を切り抜けることができるのか――。
2023年02月17日通常国会が開会し、岸田文雄首相(65)は1月23日に施政方針演説を行った。“異次元の子育て政策”や防衛力強化などを力強く打ち出した内容だったが、宮内庁関係者は冷ややかな視線を注いでいた。「今年も岸田総理は、施政方針演説で皇室が直面する課題についてまったく言及しませんでした。2021年12月に、安定的な皇位継承を巡る政府の有識者会議による報告書がまとめられ、国会で議論することが決まりましたが、1年以上たっても何一つ議論が進まず、完全に放置されているのです」将来皇族数が減っていくことで、危機に瀕していく皇統の維持。この問題に有識者会議は、「女性皇族が結婚後も皇室に残る」「旧皇族の男系男子を養子にする」という解決策を報告書で示している。与野党にそれぞれ委員会などが立ち上がり、政治家たちが国会で議論することになったがーー。「自民党内では麻生太郎副総裁を座長とした『皇室問題等についての懇談会』が発足し、2022年1月に初会合が開かれています。その後、安倍元首相の銃撃事件や旧統一教会問題の浮上によって、岸田政権の支持率は下落。初会合から1年以上、懇談会は開かれていません」(政治部記者)自民党のこの体たらくに、野党も批判を強めている。2月10日には、立憲民主党の馬淵澄夫衆院議員が、衆院内閣委員会で松野博一官房長官に対して、安定的な皇位継承策の議論の進展について追及した。神道学者で皇室研究者の高森明勅さんは、こう解説する。「10日の松野官房長官の答弁ではっきりしたのは、有識者会議による提案を閣議決定することもなく、国会に丸投げする岸田政権の無責任ぶりです。たとえば、有識者会議の報告書には『旧11宮家の皇族男子の子孫である男系男子の方々に養子に入っていただくこと』が提言されていますが、これは国民が対象なので憲法14条が禁止した“門地(家柄)による差別”に抵触するという指摘もあります。こうした大きな問題をはらんでいるにもかかわらず、国会にその議論を丸投げしてしまう岸田政権には、まったくやる気が見られません」■“口だけ”の姿勢に自民党内からも批判が…女性・女系天皇の是非、女性宮家の創設などについての結論は先送りされており、次世代の皇室を担われる愛子さまや悠仁さまたちのご将来は、定まらないままだ。昨春に岸田首相は、「皇室典範の改正は私の代でしっかりやりたい」と周囲に語っていたというが、いまは向き合おうという姿勢すら見せないのだ。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう警鐘を鳴らす。「愛子さまをはじめとした女性の皇族方が独身のうちに議論を進めなければ、憲法や皇室典範などと整合性がとれる解決の選択肢がどんどん限られてしまいます。現状では、悠仁さまお一人のご成長とご結婚、将来お妃となられる方のご出産に皇室の存続の可能性が絞られています。悠仁さまが将来抱えられるご心労はいかばかりか……。最終的に皇位継承者がいなくなるという危険性も高まってしまいかねないのです」なぜ岸田首相は議論を進めないのか。自民党関係者も落胆した様子でこう明かす。「岸田総理は皇室典範の改正や皇統の諸問題について取り組む意欲を話しているそうですが、『結局あれは口だけだ』と囁く声が党内からも上がっています。皇室の課題を“静かな環境で進める”として、政治的に安定した状況下でなければ進められないと打ち出す一方で、岸田政権の支持率は上がったり下がったりを繰り返し、一向に安定しません。しかもそれを理由に“いまは議論を進める時ではない”と開き直る空気が政権幹部の間に流れてしまっているのです。さらに“女性・女系天皇容認派”と“男系男子派”議員の対立が激化して党内が分裂する懸念を、岸田総理が不安視している部分も否定できませんね」前出の宮内庁関係者は、「岸田総理にとっては優先度が低く、先送りしてもかまわない問題なのでしょう」と嘆きつつ、こう語った。「両陛下はじめ皇族方は、政治的な発言をなされることはありませんが、自分たちの将来について常に気にかけておられます。ある女性皇族が、『私たちの将来の方向性について、早く決めてほしい』と率直なお気持ちを述べられていたと聞いています。もはや両陛下も政治家たちに頼るばかりではいけないと考えられているのでしょう。“自ら国民に皇室の存在意義を示していかなければ”と切迫した思いを抱かれていらっしゃるのです」天皇陛下と雅子さまは悲痛なお気持ちを抱かれながらも、国民に訴えかけようとしているーー。1月25日、両陛下は福島県三島町の特別養護老人ホームの入所者らとオンラインで懇談された。「コロナ禍となってから定着した“オンライン行幸啓”が行われる御所の大広間には、『お飾り品』がモニターの横に置かれることが増えています。これは、両陛下がお決めになった手法であると聞いております。25日の入所者たちとのご懇談では、福島の民芸品である『赤べこ』などが置かれ、品物を見ながらお話しされていました。オンライン行幸啓では、遠隔地や季節によっては訪問しにくい地域に住む国民とも交流でき、雅子さまのご体調への負担を軽くすることも可能になりました。ご即位後15年ですべての都道府県を回られた上皇ご夫妻のように、両陛下も一人でも多くの国民と心を通わせたいと願われています。オンラインと実際に足を運ばれる行幸啓を組み合わされることで、全国くまなくフォローすることをお考えになっておられるのです。皇室が直面している危機も国民に理解してもらおうという両陛下のお気持ちのあらわれだともいえるでしょう」(前出・宮内庁関係者)全国の国民と交流するため、そして皇室を守るため、両陛下の“令和の大行幸啓”が始まった。
2023年02月17日2月は5000品目以上の食品・飲料の値上げが予定され、消費者物価指数(’22年12月)は16カ月連続の上昇。なのに給料は、物価変動の影響を考慮した’22年の実質賃金が前年より0.9%下落しました。物価は上がり続け、給料の伸びが追いつきません。家計の困窮が広がる今、“ムダ遣いの撲滅”が喫緊の課題です。特に銀行の手数料など、使い方を工夫すれば無料で済むものにお金を使うのは絶対に避けたいところ。とはいえ近年は、硬貨の入出金や紙の通帳など今まで無料だったサービスが有料化され、手数料負担が重くなりました。なかでも高額なのが振込手数料。メガバンクの場合、他行あての3万円を超える振り込みは、ATMの手数料が330円。窓口だと770~880円です。そこで、「ことら送金」を利用してみませんか。ことらはスマホを使った個人間の少額送金サービスで、みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行、りそな銀行、埼玉りそな銀行の5行が出資し運営しています。1回10万円までの送金ができ、手数料は無料。’22年10月に先の5行を含む20行でサービスを始め、現在利用できる金融機関は31行まで増えました。さらに’23年度中には、住信SBIネット銀行やGMOあおぞらネット銀行などのネット銀行4行と地方銀行26行、全国170の信用金庫の参加が決まり、利用可能な金融機関は230を超えます。使い勝手が向上するでしょう。■スマホ一つで送金振込手数料から解放 ことら送金を使うには、自分の口座をネットバンキングに登録し、銀行ごとに対応するアプリをダウンロード。送金する相手を、電話番号、メールアドレス、口座番号のどれかで特定できれば、スマホ一つで、いつでもどこからでも送金できます。たとえば友達との割り勘では、口座番号を聞かなくても電話番号だけで送金できます。小銭が足りないなどと悩むこともありません。離れて暮らす家族への仕送りなども、自宅から夜間でもOK。こうした送金はスマホ決済でもできますが、たとえばPayPayなら、送ったお金はPayPay残高に組み込まれPayPayでしか使えません。ことら送金は銀行口座に入金され、現金化できるのが大きなメリットでしょう。また、習い事の月謝や積み立てなどで、毎月、給与が入るメイン口座から別の銀行口座に預け替える人が意外と多いのでは。ことら送金なら、送金先に自分の別口座を指定するだけ。忙しい合間を縫って銀行に行く面倒から解放されます。現在メガバンクの普通預金だと、100万円を1年預けても利息はわずか10円(税引き前)。振込手数料を330円払ったら、33年分の利息が吹き飛びます。こんなもったいないことはありません。ネットバンキングは慣れれば簡単です。家計を守るため、ことらなどネットバンキングに挑戦を。
2023年02月17日