タレントの小倉優子(36)が離婚危機にあると3月11日に発表された。現在の夫と結婚してからわずか1年と3カ月。先月27日に第3子妊娠を発表したばかりの小倉は今、苦境に立たされているようだ。NEWSポストセブンによると、事の発端は歯科医院を営む夫・Aさんが小倉に芸能活動をセーブするよう頼んだことだった。小倉は理解を求めたが、夫婦関係に亀裂が。そしてAさんは小倉の妊娠を知りながらも家を飛び出し、弁護士を立てて離婚に向けた話し合いを進める姿勢に。小倉の事務所は「いま、関係修復に向けて話し合いを進めていると聞いております」と述べたという。11年10月にヘアメイクアーティストの男性と結婚し、2人の男児が誕生した小倉。しかし第2子妊娠中の16年8月に「週刊文春」で前夫の不倫が報じられ、17年3月に離婚。そのため18年12月、Aさんとの結婚を発表した際には祝福の声が多数上がっていた。「2人の交際はわずか半年でした。そのスピード婚のキッカケは優子ちゃんの子供たちだったようです。子供らは、Aさんにすごくなついていました。出会ってすぐ『パパになってほしい』と言うようにもなったそうです。優子ちゃんは再婚するか悩んでいましたが、子供とAさんが仲良く話す姿から次第に結婚を意識するように。そして上の子が小学校に入学する前に2人でケジメをつけたそうです」(小倉の知人)本誌は昨年8月、Aさんの母親に取材している。まだ結婚を発表していなかった2人だが、Aさんの母親は挨拶に来たと話してくれた。その際、小倉の子供達も同伴していたという。母親は子供達について「すごく可愛らしいお子さん」「お子さんたちも、息子と仲良くしてくれていたので、私も安心しました」と語っていた。「お母さんは、仕事一筋のAさんが結婚しないことをずっと心配していました。小倉さんのおかげで『ようやく幸せになってくれそうだ』とも喜んでいました。結婚を機にAさんはいきなり2児の父となりましたが、お母さんは『息子を“父親”に育ててあげてください』と小倉さんとお子さんたちにお願いしたそうです。それほどお母さんは孫たちを可愛がっていましたし、Aさんの幸せを祝福していました」(Aさんの知人)しかし、まさかの離婚危機――。実は昨年9月の朝、都内の公園近くで、本誌は思いつめたかの表情でうつむき、ゆっくり歩く小倉を目撃していた。これがその写真だ。「あまり幸せそうな表情ではないなと、当時、本当に思いました」(撮影したカメラマン)家族の行方はいかに。
2020年03月11日3月11日、タレントの小倉優子(36)が離婚危機にあると報じられた。18年12月に現在の夫と再婚してからわずか1年と3カ月で訪れた正念場だが、「可哀想すぎる」と小倉に同情を寄せる声が上がっている。先月27日に第3子妊娠を発表したばかりの小倉。サンケイスポーツによると歯科医院を営む夫が彼女に「芸能界を辞めてほしい」と頼んだことから夫婦に亀裂が。小倉は先月27日に第3子妊娠を発表していたが、夫は妊娠を知りながらも結婚記念日の直前に家を出た。そして今年1月、小倉の元には夫から離婚と2人の息子との養子縁組解消を求める書類が。夫は離婚の意思を曲げる様子はなく、「誕生してくる赤ちゃんにも会いたくない」と主張しているという。『NEWSポストセブン』も小倉の離婚危機について報じている。同サイトによると夫に「芸能活動をセーブしてほしい」と口出しされたことに衝撃を受けた小倉は、夫に歩み寄ったが口論が絶えなくなった。すると妊娠が発覚した後に夫は家を飛び出し、弁護士を立てて離婚に向けた話し合いを進める姿勢に。そのため小倉は新居を3カ月も経たないうちに解約した。彼女の所属事務所は「いま、関係修復に向けて話し合いを進めていると聞いております」と話したという。17年3月に前夫と離婚した小倉。妊娠中の離婚危機ということもあり、ネットには小倉を慮る声が上がっている。《夫婦間のことは第三者にはわからないけど、妊娠中の妻に離婚つきつけるのはどうかと…》《慎重に考えて再婚に踏み切っただろうに、妊娠までして離婚突きつけられてちょっとこれはかわいそう》《ゆうこりんは出産、子育てがまた待ってる》《ゆうこりん、これは可哀想すぎる。。》さらに、子どもたちを心配する声も。《お兄ちゃんと弟さんの気持ちが傷つかないかが心配。子供は親の様子を気にするよ…》《これでは2人の子供は勿論、生まれてくる子供にも大きな傷を付ける事になってしまう》《ゆうこりんと子供達のメンタルが心配、、》
2020年03月11日3月12日に最終回を迎えるテレビ朝日系ドラマ「ケイジとケンジ所轄と地検の24時」。撮影を終えた際には東出昌大(32)が涙ながらに謝罪していたと、各スポーツ紙が報じた。各紙によると、最後の収録は9日から日をまたぎ、10日午前1時ごろまで行われたクランクアップ。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、打ち上げパーティーは自粛されたが、撮影終了後、乾杯の席が設けられたという。最初にあいさつに立った桐谷健太(40)は東出をフォローしたうえで、最後に「東出、バカヤロー!」と叱咤。それを受けた東出は謝罪して涙ぐみ、スタッフやキャスト1人1人にあいさつして退出したという。「いちばん東出さんに対して怒りたかったのは桐谷さんだったはず。それでも、最後の最後まで東出さんを激励していました。東出さんも彼の男気に、いつか“恩返し”がしたいと思っていると思います」(テレビ朝日関係者)今後の仕事で決まっているのは、5月1日に公開を控える映画「コンフィデンスマンJPプリンセス編」。映画公式ツイッターでは公開に向けたカウントダウン企画が行われているが、6日の投稿では劇中で詐欺師トリオを演じている主演の長澤まさみ(32)、小日向文世(66)、東出の3ショットが投稿された。「東出さんも前を向き始めたのか、映画関係者に謝罪。与えられたプロモーション活動はやり通すことを宣言したといいます。ただ公開までに杏さんとの話し合いをまとめないと、PRどころではなくなるはず。これから夫婦で話し合いをする予定とも言われていますが、その内容次第で今後の展開が変わってきそうです」(映画関係者)“夫婦の結論”は果たして――。
2020年03月11日俳優・阿部寛(55)の主演ドラマ「ドラゴン桜2」がTBS系で今夏より放送されると3月10日に発表された。前作同様、主人公・桜木建二を演じる阿部。主演作の続編が続くのには理由があるようだ。各メディアによると「ドラゴン桜2」の舞台は前作の10年後。阿部は「この15年で受験生や学校を取り巻く環境は大きく変わりました。当時の常識が、今は通用しません」とし、「そんな現代においても、バカとブスほど東大に行け!と、ひとつもぶれることなく生徒を指導する桜木の姿を信じています」「ぜひご期待ください」と呼びかけているという。05年7月から放映された前作は長谷川京子(41)や山下智久(34)、長澤まさみ(32)に小池徹平(34)、そして新垣結衣(31)といった豪華キャストが勢ぞろいだった。さらに最高視聴率は20.3%を記録!そのためTwitterでは「ドラゴン桜2」に期待の声が上がっている。《めっちゃ懐かしい!ちょうど学生時代で今思うと出演者も豪華だったなー!》《阿部さんって、真面目な役も変わった役も見てておもしろい!》《当時と随分変わった今、どんな作品になるのか楽しみです》主演ドラマの続編が続く阿部。昨年10月期には、ドラマ「結婚できない男」の第2シーズンとなる「まだ結婚できない男」が放映されたことも記憶に新しい。「『ドラゴン桜』と『結婚できない男』はドラマが豊作だった頃の作品で、その中でも大きな評判を呼んだものです。特に『ドラゴン桜』には名だたるスターたちが大集結。そのため続編のキャストにも俄然注目が集まります。また阿部さんはもともとダンディな見た目と、幅広い演技力がウリ。それは15年経っても変わらずで、続編特有のブランクを感じさせません。ドラマ界が苦境に立たされる中、ヒット作が豊富な阿部さんはテレビ局にとって頼みの綱です」(ドラマ制作関係者)「ドラゴン桜2」は再び旋風を巻き起こすだろうか?
2020年03月11日3月10日、堂本光一(41)が初のインスタライブを行った。舞台「Endless SHOCK」のインスタグラム公式アカウントでの生配信には光一のほか、上田竜也(36)や前田美波里(71)などの共演者が出演。帝国劇場から配信した。舞台「Endless SHOCK」は新型コロナウイルス感染症の影響を受けて、2月28日から公演が中止に。3月16日から再開の予定だが、今後の状況によっては変更の可能性もある。冒頭で光一は「こんな世の中ですけども、(略)楽しくゆるーくできればいいかなと思ってます」と語り、舞台の裏話や視聴者の質問に答えるなどした。「世の中がこういう状況なので、本当だったらステージに我々も立っているはずなんですけど(略)我々演者としては、ステージに立てないというのはやっぱりつらいですよね」と心境を語った光一。ほかにも、普段は聞けない共演者たちとの関係についても言及した。視聴者から上田の印象について問われると、「本当に真面目に取り組んでいるし、もしかしたら中止になって1番寂しい思いをしているのは(熱心に稽古をしていた)上田かもしれない」と絶賛。上田も「(中止になり思いを)どこにぶつけていいかも分からない。だからこそ今の内に(やれることを)やっておこうかなって」と熱意を見せた。また追加公演の可能性は無いとしながらも、「何かできることないかなって模索はしている」と話した。舞台の映像化についても「皆さんあまり期待しないでいただきたい」としながらも、検討していることを明かした。様々な質問に真摯に答える光一達に、ネットでは感謝の声が上がっている。《SHOCKできない代わりにインスタライブできるようにしてくれてありがたすぎる!》《光一さんはいつもちゃんと正直に話してくれるから嬉しいな》《SHOCK再開できるといいなー、カンパニーのみんなに会いたい!》空の客席を背景に、約1時間インスタライブを行った光一率いる出演者達。事態の収束と公演再開が望まれる。
2020年03月11日韓国のアイドルグループ・VIXXのラッパー・ラビ(27)の神対応が話題を呼んでいる。愛車のポルシェが破損する事故が起きながらも、加害者に修理費を請求しなかったことが3月11日、わかった。この日、韓国のコミュニティサイトには『ラビの人柄を告発する』という文章が掲載された。投稿者の男性は26歳で大学生だと自身について明かしたうえで、「挑発するようなタイトルですみません。広く知れ渡ってほしくて」と切り出した。男性によると、今月8日に彼女とキックボードに乗っていたところ、彼女が操作を誤り転倒。その際、横に止まっていたポルシェに衝突し、へこませてしまったという。「男性2人が駆け寄って『大丈夫ですか?』と心配してくれた。車の持ち主だと分かり、彼女がとても痛がっていたので連絡先を渡して、一旦別れました」と状況を説明した。その後、車が高級外車のポルシェだと知り、修理費が高額になるのではないかと心配になった男性は、翌日に「前もって修理費がわかるようであれば、お聞きしたいのですが……。高額であれば前もって準備が必要なので……」と連絡をしたという。すると、被害者であるラビは「こんにちは!怪我をしていないか心配です」と返信。さらに「2人ともまだ学生さんのように見えましたが、楽しい時間を過ごしている間に予想もしなかったハプニングが起きたと思って、金額は心配しなくてもいいです!僕のほうで処理します。キックボードは危ないから気をつけて乗ってくださいね。ラビとGROOVL1N(ラビが立ち上げたレーベル)の音楽をたくさん愛してくだされば、僕はそれで充分です」と温かい言葉をかけて男性を安心させた。このやり取りで相手がVIXXのラビだと分かった男性は、「ラビさんがこの出来事をなかったことにしてくださるのは、とてもありがたいが、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。なにかできることはないかと考え、こうして文章を書くことにしました」と心境を明かし、「自分が経験したラビさんとの出来事が広く知れ渡ることを祈っています。今日からラビさんの音源をストリーミングしつづけます!」とつづった。ラビの寛容な対応はすぐさま話題となり、韓国の検索ポータルサイトでは「ラビ美談」というワードがトレンドの7位にランクイン。《本当にかっこいい》《神対応すぎる!》と反響を呼んでいる。
2020年03月11日韓国の人気グループ・BIGBANGが3月11日、所属事務所のYGエンターテインメントと再契約を締結したことがわかった。早ければ年内にもグループでの活動を再開するという。所属事務所は11日、メンバーのG-DRAGON(31)、SOL(31)、T.O.P(32)、D-LITE(30)と専属契約を締結したことを発表。’06年に韓国でデビューしたBIGBANGは、’11年と’15年に続き3度目の再契約となる。つづけて「2020年は新しいカムバックに向けて音楽の準備に拍車をかける計画です」とし、「BIGBANGは音楽的領域を超え、韓国の大衆文化の流れを変えたグループです。今後も当社を代表するアーティストとして世界でK-POPの歴史を刻めるように全般的にサポートしていきます」と韓国での活動再開を示唆した。当初は、4月に米・カルフォルニア州で開催予定だった『コーチェラ・フェスティバル』で復帰することが知られていたが、同イベントは新型コロナウイルスの影響により10月に延期されることが決定している。グループをめぐっては、元メンバーのV.I(29)が売春あっせん、脱税、海外賭博の容疑から昨年3月に専属契約を解除し、脱退。V.Iは先日9日に兵役により入隊し、現在は5週間の基礎軍事訓練を受けている。また、事務所としても昨年は波乱の一年だった。BIGBANGの弟グループ・iKONの元リーダーB.I(23)に麻薬使用疑惑が浮上。事務所の代表でBIGBANGの生みの親であるヤン・ヒョンソク氏(50)が同事件の情報提供者を脅迫した可能性があるとして警察が捜査に着手。ヤン氏は代表を辞任した。崩壊寸前に追い込まれたYGにとって、日本でも毎年ドームツアーを成功させてきたBIGBANGの存在は最大の救世主となるだろう。
2020年03月11日’11年3月11日の東日本大震災による津波の被害。宮城県石巻市・大川小では児童74人が死亡・行方不明となった。地震から約50分もたった後に、教職員の指示で避難し、津波にのまれたのだ。大川小の卒業生で、妹のみずほさん(享年12)を同校で失った佐藤そのみさん(23)。この4月、テレビ制作会社で社会人デビューする。あの日から9年の時を過ごし“震災後の人生”と向き合うようになったそのみさんがインタビューに応じてくれた。「私はなんでも教えたがる姉で、“いばりんぼう”だったかな。でもみずほが周りの子にイジメられていれば、すぐかけつけて助けた。いつもいっしょにいる姉妹でした」あの日、中学2年生のそのみさんは卒業式に出席後、曽祖母、祖父母、兄と石巻市内の自宅にいた。「地震後、5人で高台に避難しました。なんの情報もありませんでしたが、北上川を見に行ってきた兄が『こっちには津波来ないよ』というので、自宅に戻ったんです」その後に母・かつらさん(54・当時教員)が勤務先の市立河南西中学校から帰宅した。ラジオを夜中に兄と聴いていると、《○○地区に遺体が200人……》などという不確かな情報も舞い込んできた。「《大川小が孤立している》ことはわかったんですが、みずほは教職員と学校にいるから大丈夫だと思って、帰ってきたときのために、パンも用意しておいたんです」ところが翌日も妹は帰ってこず、そのみさんは、13日に母と大川小方面に向かった。「《どうか助かってほしい》とすがる思いになった直後、みずほのお友達のお父さんに『みずほちゃん、上がったよ』と言われ……」母は、女川町立女川第一中学校教諭(当時)で校舎内にとどまっていた父・敏郎さん(56)の元に駆け、悲報を告げた。そのみさんのお下がりの「ターコイズブルーのダウンジャケット」をまとったみずほさんの遺体に両親が対面したのは、14日の朝のことだった。「ショックが度を越えた私はこの事実を受け入れられずに『みずほはどっかで無事なんだ』と、頭の中の別世界で生存しているような感覚でした。それでも合同葬儀、代わりに出席した卒業式などの行事に加え、多くの報道陣が詰めかけることで『妹の死』を事実と認識せざるをえなくなったんです」母と祖母・ちよゑさん(81)が悲嘆の涙に暮れる日々が続いたが、そのみさんは「努めて平静を保つように心がけた」と話す。大川小在籍時は、手製の漫画雑誌や『花鳥風月』という文集を出す“創作少女”だったそのみさん。しばらく触れていなかったカメラに再び手を伸ばし、出会った人を日記につづるようにもなった。妹も故郷もすべて奪った震災に「向き合わなければ」と思い、そのときにできた精いっぱいの表現だった。「表現方法の中で『映像』が最も好きだった私は『映画を撮りたい』と思うようになっていました。中1で観た映画『重力ピエロ』(伊坂幸太郎原作)にも影響され、映画への思いはさらに強まって」一方、親たちは1時間近く裏山に逃げる猶予がありながら、子どもがなぜ校庭に待機させられ、命を落とさなければならなかったのかを知りたかった。しかし真実は開示されず、「学校側が都合の悪い事実を隠蔽している」との遺族たちの疑念は募るばかりだった。’13年に始まった「大川小事故検証委員会」も「第三者」を謳いながら行政寄りで、そのみさんの両親は当時、激しく抗議。両親のそんな姿勢に、そのみさんは複雑な思いを抱えていた。「『(親の言動は)亡くなった先生方を責めているみたいだから、やめてほしい』と、高2になっていた私は父に言ったんです。『亡くなった子たちも悲しむよ』と……」進学した石巻高時代は創作演劇で市の優秀賞を取り、県大会にも出品。かねて志望していた日大藝術学部映画学科に見事合格した。「いつかは石巻を舞台に『命のぬくもり』を伝える映画を撮りたい」と勉強するなかで震災関連の文献も読み込んだ。そして親に抱いていた「なぜ先生を責めるの?」という疑問にも一定の答えが出た。「子どもを失った親の『わが子がどうして命を落としたのか、その真実を知りたい』という切実な気持ちが理解できるようになったんです。それを踏まえて、震災に向き合う卒業制作に取り組めるようになりました」それは、震災で家族を失った登場人物に「亡くなった人に向けて手紙を書いてもらう」過程を撮った30分のドキュメンタリー。自身も「語り」を兼ねて登場し、妹への手紙を朗読した。「妹への思いを言葉として口に出したのは初めてです。《みずほは21の年だろうか。みずほはみずほで、そちらで元気で過ごしているだろうから大丈夫だよね……》というように」「頭の中の別世界」で妹を生かそうとしていたそのみさんが、卒業制作では「亡くなった人への気持ちを純粋に込めよう」と思えた。妹の死に正面から向き合えるようになったのだ。「これまで、《震災以外のテーマには目を向ける時間はない》と遮断していたんです。今は、ほかの世界にも目を向けることができるかなとは思う。私の根底に震災の体験があって、一生ついてくるものだから、こっちからアプローチしなくてもいいんだなと」そのみさんは、4月からテレビ制作会社に就職し、ディレクターとして歩み始める。(取材・文:鈴木利宗/撮影:加藤順子)「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日宝塚歌劇団は9日、本拠地である兵庫県宝塚市の劇場で公演を再開した。政府は新型コロナウイルス感染拡大の防止策として、1〜2週間にわたって2月26日に大規模なスポーツや文化イベントの自粛を要請。同劇団も要請を受け、同月29日から公演を休止していた。プロ野球が開幕延期を決定するなど、各界でイベント開催の自粛が続いている状況下での再開に波紋が広がっている。各メディアによると、再開に向けて同劇団は休演中に劇場内の客席などを重点的に消毒。また、客席を使った演出の取り止めや館内の飲食店を閉鎖するなど感染防止対策を強化したという。それでも、“クラスター感染”などを危惧する人々からは《勇み足では?》《心配》といった声が上がった。いっぽうで再開を待ち望んでいた人も。再開当日は星組の新トップ・礼真琴と舞空瞳が同劇場で出演する公演の千秋楽でもあった。また、専科生で男役スターの華形ひかるの退団セレモニーも行われていた。そのため、ファンからは《良かった》《嬉しい》といった安堵の声も広がっている。そんななか、安倍晋三首相(65)は10日、全国的なスポーツや文化イベントの自粛をさらに10日間ほど延長するよう要請した。依然として終息の兆しが見えない自粛要請に、エンターテインメント界は窮状を訴えている。「イベントを中心としてビジネスが成立しているので、突然中止となると多くの関連会社などに影響します。感染症は興行中止保険の対象とされず、計り知れないほど損害が出ています。政府の要請は理解できますが、要請するなら補償もセットで提示すべきではないでしょうか。今後開催予定のイベントについても、宣伝や告知はストップ状態。現場では『これ以上持ち堪えられない』と悲鳴が上がっています」(興行関係者)すでに経済活動にも影響を及ぼしている“コロナショック”。19日頃にはこれまでの政策の効果について、専門家会議の判断が示されるという。果たして、自粛要請はいつまで続くのだろうかーー。
2020年03月11日「2階のあの部屋が、自分も学んでいた5年生の教室でした。下校の『さよなら』の寸前に揺れが来た。『津波が来るよね』とみんなで言い合っていたんですが……」校舎を見上げてこう振り返るのは、’11年3月11日の東日本大震災による津波にのみこまれながら生還し“奇跡の生存児童”といわれた只野哲也さん(20)だ。現在は東北学院大学2年生で、津波の“語り部”としても活動している。宮城県石巻市・大川小では児童74人が死亡・行方不明となった。地震から約50分もたった後に、教職員の指示で避難し、津波にのまれたのだ。そのなかには哲也さんの妹で3年生だった未捺さん(享年9)もいた。また、哲也さんは妹に加え、母・しろえさん(享年41)、祖父・弘さん(享年67)と津波で家族を3人も亡くしている。あの日から9年。仲間が眼前で流されていくという壮絶体験をした哲也さんが、忘れられない体験を振り返る。「あの地震後、校庭に出て学年順に並びました。気持ち悪くなったのか、吐いている子もいた。その後に地元の住人の方や保護者が来て、引き取りも始まったんです。そのあと『50分くらい』ですか、結構な時間がたって、先生の誘導で避難を始めた。自分は裏山に行くと思っていたんですが、実際は『(河川堤防の近くの)三角地帯に行きます』と言われたんです」移動開始直後、教頭に「津波が来たので早く移動してください」と言われ、小走りに進もうとしたが……。「砂煙がパーッと上がるように波がこぼれ、飛行機の轟音のような音がした。自分は踵を返して走って山に登ろうとし、3~4メートルほど登ったあたりで首になにかがぶつかり、気絶してしまったんです」哲也さんは失神したが、山の斜面で体が半分ほど土砂に埋まった状態で救出され、山で住民や市職員らと合流して夜を明かした。亡くなった祖父、母、妹には、次のような思いを抱いている。「祖父は『地震が来たら、山さ逃げろよ』が口癖でした。地震直後、自分もその言葉が頭をよぎっていたんです。母は一度校庭に引き取りに来てくれたんですが、忘れ物を取りに自宅に戻ったのが、生前に見た最後でした。自分がヘルメットを渡そうとしたら『あんたがかぶってなさい』と押し戻された。あれがなければ自分は助からなかったかもしれない。妹は、生きていれば18歳。でも自分の中では、あのころの9歳のままの姿で変わらないんです……」震災から9年たって、変わってきたこともある。「大川小の敷地で50回以上ガイドしてきましたが、見学者の中には観光気分で、校舎をバックにピースして集合写真を撮る人もいる。どんな場所かくらいは予習してきてほしいんです」校舎は’16年3月に「震災遺構」として保存されることが決定。「校舎を残してほしい」と訴えてきた哲也さんの願いはかなったが、「どんな形で残るか」の具体的説明はないまま工事に入り、嵩上げなどが進んでいる。「『校舎を見ると思い出してつらい』という方もいるため“公園化”も悪くないんですが、教訓を伝えられるように、景観を一変させないでほしい。自分は被災を『千年後にも伝えたい』という思いでいます。『復興』だけではなく、忘れずに振り返ることも必要です」哲也さんは成人式も終え、自身の将来像をこんなふうに描く。「芯が強く、人の恩を忘れず地元で信頼されている祖母(=アキ子さん・73歳)の影響も強いんですが、緊急時や災害で人を助ける仕事に就きたいと思っています。地域密着で仕事したいので警察か消防でしょうが、この巨体(95キロ)では火災時に閉所にも突入しなくてはいけない消防士は不向きでしょう(笑)。柔道(二段)を生かせる警察官を志望しています」(取材・文:鈴木利宗/撮影:加藤順子)「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日東日本大震災から9年が経った。痛ましい記憶を風化させないことが課題となるなかで、皇室は被災者の心に寄り添い続けている。雅子さまも、天皇陛下とご一緒に、被災者のもとを繰り返し訪問されてきた。2017年11月には、東日本大震で甚大な津波被害に見舞われた宮城県・閖上地区へ。復興公営住宅「名取市閖上中央第一団地」の被災者と懇談された際には、一人ひとり丁寧にお声がけされたために、15分の予定が25分と大幅に延びてしまった。その後、団地から車で2分の東日本大震災慰霊碑に供花する際には、あるサプライズが。団地では動きやすいパンツスーツだった雅子さまが、慰霊碑の前に立たれた際にはお帽子をかぶり、スカート姿に着替えられていたのだ。そこには、限られた時間の中でも場にふさわしい装いを、という最大限の心遣いが表れていた。翌年の歌会始で、雅子さまは《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》とこのときの喜びを詠んだ歌を披露された。この歌を刻まれた歌碑が、昨年3月に閖上地区の「震災メモリアル公園」に建立されている。「雅子さまは、過去の誕生日の際のご回答でも、折に触れて繰り返し《被災地に永く心を寄せていきたい》と東日本大震災の被災者を思いやられてきました。皇后となられても、そのお気持ちは変わっていません」(皇室担当記者)昨年12月、皇后として迎えられた初めての誕生日に際しても、《東日本大震災で被災した釜石市でこの大会の試合が行われたことも喜ばしいことでした》と岩手県・釜石鵜住居復興スタジアムで開催されたラグビーワールドカップの試合を振り返られた。時が経っても忘れない――。雅子さまの愛のメッセージが、被災者の心を照らし続ける。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日東日本大震災発生から9年を迎えた。死者・行方不明者が1万8千人を超えた未曾有の大災害。当時、被災者を励ますため、上皇上皇后両陛下(当時は天皇皇后両陛下)はいち早く動かれた。震災発生から19日後には被災者が避難してきた東京武道館をご訪問。武道館の床に膝をつきながら一人ひとりに声をかけ、激励された。この日から、両陛下は7週間連続で福島・宮城・岩手の東北3県や茨城などの被災地へ。被災地に負担をかけないよう、すべて日帰りという過密スケジュールだった。その年、美智子さまの誕生日の際に公開された写真にも、被災地を励ます思いが込められていた。皇居でたたずむ両陛下のそばには、真っ白なハマギクの花が咲いていたのだ。この花は、1997年に両陛下がお泊りになった、岩手県大槌町にある「浪坂観光ホテル」から贈られたものだった。岩手県大槌町には22mもの津波が襲い、『浪坂観光ホテル』も営業停止に追い込まれた。両陛下へハマギクの苗を献上した社長の山崎龍太郎さんも、行方不明となってしまう。社長の弟・千代川茂さんは悲嘆に暮れていたが、美智子さまの誕生日写真を見て、「兄が贈った花を両陛下が大切に育ててくださっていた」と感激。ハマギクの花言葉でもある、“逆境に立ち向かう”精神で、ホテルの再建を決意した。そうして再建された「三陸花ホテルはまぎく」に、上皇陛下と美智子さまが宿泊されたのは2016年のことだった。平成最後の東日本大震災被災地の訪問は、2018年6月の福島県。震災後、両陛下が福島県を訪れるのはこれが6度目だった。「スパリゾートハワイアンズ」では、避難生活を送る被災者を元気づけるとともに“復興のシンボル”となったフラガールたちのダンスをご鑑賞。美智子さまは、1曲目の『花は咲く』のときに、“花は咲く”の歌詞に合わせるように、胸元に両手で小さな花を作られた。そのお姿を見たフラガールは、踊りながら涙がこぼれそうになったという。震災から時が経っても、被災者へ心を寄せられてきた美智子さま。癒しと労いのメッセージは、これからも被災地に希望の花を咲かせ続ける。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日韓国のガールズグループ・少女時代のリーダー、テヨン(31)の父が3月9日、急性心筋梗塞により死去したことが分かった。同日、所属事務所のSMエンターテインメントが発表した。SMエンターテインメントは公式SNSを通して「9日、少女時代テヨンの父親が亡くなるという残念な知らせを聞きました。ご冥福をお祈りするとともに、テヨンには温かい慰めの言葉をお願い申し上げます」と発表。葬儀については家族だけで静かに執り行うという。この日はテヨンの31歳の誕生日。ソロ曲『Happy』のリリースが予定されていたが、「音源とミュージックビデオの公開はやむを得ず延期することになりました」とし、「音源発売の日程については、改めてお知らせします」と伝えた。テヨンは少女時代のなかでも“年収1位“であることが知られており、芸能人に関する独自ランキングを発表する韓国のバラエティ番組『名簿公開』では、“親思いのスター”として紹介された。番組によると、テヨンの父親は韓国南部の全州(チョンジュ)で3代にわたり眼鏡店を運営。テヨンは両親のために、全州地域で最高級のマンションをプレゼントし、その価値は日本円で約8,700万円に相当するという。眼鏡店はファンの間で聖地巡礼のスポットとなっていて、テヨンは訪問記録のノートに訪れたファンに向けて直筆メッセージを残したこともあった。ファンからは《眼鏡屋さんいったけど、本当にテヨンちゃんへの愛が溢れてて素敵な空間だった》《いつまでも待つのでテヨンのケアをお願いします》《テヨンの気持ちを考えるとつらい》《無理せずゆっくり休んで》といったメッセージが送られている。
2020年03月10日スウェーデン出身の俳優、マックス・フォン・シドーさんが今月8日に亡くなっていたことがわかった。遺族が英BBCなど複数のメディアの取材に対し、死去したことを認めた。90歳だった。俳優としてのキャリアをスタートさせたのは1950年代。『エクソシスト』(1973)のメリン神父、『フラッシュ・ゴードン』の無慈悲なミン皇帝など、印象的な役を数多く務めた。『ペレ』(1988)ではアカデミー主演男優賞に、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2011)では同助演男優賞にノミネート。最近では『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015)でロー・サン・テッカー役での活躍が記憶に新しい。
2020年03月10日「優さんはいま、第3子を妊娠中だそうです。来月にも出産予定と聞いています」(山田の知人)昨年から米国・ロサンゼルスに拠点を移した、小栗旬(37)と妻の山田優(35)。’12年に結婚した2人は、’14年に第1子、’17年に第2子を授かり、現在、その子供たちも一緒に家族4人でLA生活をしている。「小栗さんは、11月公開予定の『ゴジラVSコング(邦題未定)』のほかにもハリウッドの大作映画に出演するそうです。’22年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で主人公の北条義時を演じることも発表されましたし、LAでも忙しい毎日を送っているようです」(映画関係者)そんな小栗を支えながら、米国での育児に奮闘中の山田。今春の第3子出産を控え、ここにきて、“大きな決断”を迫られることに。「優さんは日本に帰国しての出産も考えたようですが、LAでの出産を決意したようです。新型コロナウイルスの感染拡大という状況のなか、大事をとってのことだと聞いています。LAには、小栗さんの所属事務所の女性スタッフもいるので、出産のサポートをしてもらえる安心感も決断を後押ししたのでしょう」(前出・山田の知人)妊婦への新型コロナウイルスの影響に関して、産婦人科の医療関係者はこう語る。「現時点では、妊娠中に新型コロナウイルスに感染したとしても、おなかの胎児に影響はないとみられています。しかし、妊婦は異物を排除する細胞性免疫が低下する傾向があり、感染すれば重症化する可能性はあります。そのため、なるべく感染リスクの高い環境は避けたほうがよいと考えられています」臨月の身で長時間、飛行機に乗り帰国するよりも、このままLAで出産したほうが母子ともにリスクが少ないと判断したのだろう。山田は’15年にイベントに出席した際、「子供は5人欲しい」と、将来の夢を語っていた。無事に第3子が誕生したら、出産後も一家はロスで生活するのだろうか――。「小栗さんの渡米した第一の目的は、英語を勉強することでした。そのなかで、もしハリウッド作品のオファーがあれば受けるというスタンスです。そのため、ハリウッドに長期的に住むわけではありません。主役に決まった大河の準備もあるので、遅くとも来春には家族と一緒に帰国することを考えているようです」(小栗の知人)日米を行き来する小栗家の夢は、さらに広がることだろう。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月10日都内にあるガラス張りのしゃれたイタリアン・レストラン。3月上旬の夜、平日だというのに、2フロアはほぼ満席。閉店時間の23時を過ぎ、1階の客が帰ってからも、店が閉まる様子はなかった。すると、2階から15人ほどの集団が階段で下りてきた。その中に1人、大きな花束を抱えた女性…目深にかぶったキャップとマスク。戸田恵梨香(31)だった。集団の中には、北村一輝(50)、水野美紀(45)、大島優子(31)、林遣都(29)らの姿もある。NHK朝ドラ『スカーレット』の主要出演者が勢ぞろいではないか!「実は夜7時から北村さんの呼びかけで、キャストだけのささやかな打ち上げが行われていたのです。戸田さんは、この数日前にクランクアップし、大阪から戻っていました。“集まるのは、コロナ問題が落ち着いてからにしようか”という話もあったのですが、多忙な共演者の皆さんの都合がつくのは、もともと打ち上げが予定されていたこの日しかなかったようです」(ドラマ関係者)本誌既報どおり、キャストやスタッフなど、合わせて数百人規模になる『スカーレット』の打ち上げは、新型コロナウイルスの感染拡大が懸念され、中止に。「クランクアップ時に開かれる報道陣を交えた取材会も非公開となりました。これも異例のことです。打ち上げと取材会の中止を戸田さんは残念がっていましたが、時節柄、仕方ないと気持ちを切り替えていたんです。そんな戸田さんの切ない気持ちは父親役の北村さんがいちばんわかっていたでしょうね」(前出・ドラマ関係者)戸田は、クランクアップ時の会見で、感慨深げにこう話している。「やりきりました。(川原)喜美子という女性を生きることにまったく違和感がなく、自然と家族と一緒に年を取ることができました」そんな彼女を支えてきたのが北村をはじめ、人気出演者の面々だ。《たくさんの人とのコミュニケーションが楽しくて、すごく支え合いながら撮影ができています。もちろん膨大なセリフの量に追い詰められる瞬間もありますが、共演者やスタッフさんの顔を思い出すと頑張れるんです。人の力ってすごいなと日々感じています》(『クランクイン!』インタビューより)現場を離れてからも、出演者同士の絆は強く、LINEのグループも作っているという。「今回の集まりを提案し、お店を選んだのは北村さんですが、ドラマを引っ張ってきた戸田さんにサプライズをしようと、戸田さんには、キャストが大勢集まっていることは隠して、呼び出したそうです」(別のドラマ関係者)呼び出し役を仰せつかったのが、夫役の松下洸平(33)だ。「せめて、川原家の有志だけでも“家族会”をしませんか?」という話でやってきた戸田は店に着くなり、目を丸くしたとか。前述の北村、松下、水野、大島、林のほかにも西川貴教(49)、佐藤隆太(40)、溝端淳平(30)、桜庭ななみ(27)、マギー(47)、TKO木本武宏(48)、本田大輔(41)など、出演者15人が勢ぞろいしていたのだから――。「戸田さんは驚きながらも大感激。花束をもらったときは、いままでの収録がフラッシュバックしたのか、感極まって涙ぐんでいたそうです」(前出・ドラマ関係者)この夜のパーティには、NHKのスタッフも所属事務所のマネージャーもいなかった。出演者たちが個々で集まった『スカーレット』“卒業式”だったのだ。「北村さんは憎めないダメ親父を好演しましたが、現場ではふだんから“お父さん”的な存在でした。実は集まった皆さんも、昨年末、一足先にクランクアップした後で再婚を公表した北村さんをお祝いしたいという気持ちもあったようですよ」(前出・ドラマ関係者)戸田も、喜美子に戻って、「お父ちゃん、再婚おめでとう!」と、祝福すると、会場は笑いであふれていたという。イタリアンでの1次会の後は、近くのバーで2次会へと突入。深夜1時過ぎまで盛り上がり、それから三々五々、タクシーで帰路についた出演者たち。2時過ぎには戸田も北村と大島と一緒にバーを出た。別れが惜しいのだろう。タクシーを止めるために大通りへ向かう足どりがやけにゆっくりだ。北村と大島がタクシーを止め、大きな花束を大事そうに抱えたまま、戸田が乗り込むと、2人は軽く手をあげ、笑顔で見送った。次に、松下、林、本田が大通りに出てきた。松下は、北村と熱い握手を交わし、深々と頭を下げて、タクシーに乗り込む。最後に残った林は、先にタクシーに乗るよう北村から促され恐縮していたが、北村に声をかけられ、笑顔で会釈をして帰っていった。こうして『スカーレット』を彩った“家族”ともいえる仲間たち全員を見送った北村は、少し寂しそうに、うつむきながら歩き出す。しばらくしてから車に乗り込むと、辺りはすっかり静寂に包まれた。北村は『スカーレット』番組HP上でこう力説している。「川原家を見て思うのは、それぞれに間違っていたり問題を抱えていたり、時にケンカをすることがあっても、いつも心はそばにいる。いつだって家族で、ちゃんと向きあって許し合って仲直りする方法を知っているんですよね」戸田にとって、約1年に及んだ朝ドラ収録。そのフィナーレは“家族愛”に包まれた夜だった――。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月10日鈴木杏樹(50)との不倫関係が『週刊文春』で報じられた劇団新派の俳優・喜多村緑郎(51)。連日、喜多村には批判の声が寄せられているが、ある舞台関係者によると“一連の報道で真実と違うことも多い”と悩んでいるという。「もちろん全て彼の責任。それでも噂に尾ひれがつきすぎていると。たとえば、杏樹さんの謝罪コメントは喜多村さんが指示して書かせたと一部で報じられていましたが、連絡を一切絶ったので書かせられるわけがありません」新春の舞台『明日の幸福』の楽屋に訪れた貴城けい(45)に「邪魔だ、出て行け」と怒鳴り、その声が廊下まで聞こえたという報道もあった。「あの日は貴城さんの母親もいらしていて2人は遠慮して彼の楽屋に入ろうとしなかったんです。この劇場は廊下が狭く、彼は『邪魔だから入りなさい』と2人を招き入れた。『出て行け』とは真逆です。この前日の舞台に関してスタッフには怒ったようですが、なぜ貴城さんを怒鳴ったとすり変わったのか。奥さんに手を上げたことなんか一度もないと聞いています」また、喜多村のもう一人の“不倫相手”と一部で報じられている尾上松也(35)の妹・春本由香(27)との関係についても、事実と異なる部分が多すぎるという。「今の緑郎さんが言っても説得力は限りなくゼロですが、本人は『ない、ない、ない』と全力で否定していました。彼はモテるので、ほかの劇団内の女優さん全員と噂を立てられていますよ(苦笑)。春本さんに『俺の子を産んでほしい』と言ったと書かれていますが、あれは皆が集まる飲みの席で、誰かが“緑郎さんは声がいい。春本さんも清元の祖母の才能を受け継ぎ声がいい。2人の子供ができたらすごいはず”と言っていた話が歪曲されて伝わってしまったそうなんです」(前出・舞台関係者)彼が劇団新派に移籍したのは4年前。古参劇団員には彼を面白く思っていない人がいるという。「彼が来た当時のお稽古は自分の出番が終わるとお菓子を食べたり、その場面に関係ない者同士でおしゃべりしたり、ゆるい雰囲気でした。それをある人から公演中に指摘されてしまったそうなんです。とても口惜しく思った喜多村さんはあるとき、たまりかねて稽古中に『ちゃんと稽古見ろ!』と劇団員を一喝した。若い人たちの多くはやる気になったのですが、疎ましく思った者もいたんでしょう。あれで敵をつくってしまったのかもしれません」(演劇関係者)「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月10日「貴城さんは弁護士と相談して、“夫が悪いのは当たり前。でも私が人生に大きな打撃を受けたように彼女も同じ試練を受けるべき”と杏樹さんに慰謝料請求することも考えているそうです」(スポーツ紙記者)劇団新派の俳優・喜多村緑郎(51)との不倫を『週刊文春』に報じられた鈴木杏樹(50)。それから約1カ月、喜多村の妻で、元宝塚のトップスター・貴城けい(45)が3月3日の『文春デジタル』では、杏樹への怒りを“慰謝料請求”という形であらわにしたと伝えられている。喜多村と貴城の離婚は秒読みとされるなか、本誌は喜多村夫妻と親しい関係者に匿名を条件に独自に接触。2人の今の夫婦関係、そして杏樹との顛末を聞いた。「まず、2人の不倫関係が発覚してから、喜多村さんは一切、杏樹さんに連絡をとっていません。杏樹さんはひどくショックを受け、自分の仕事上のデメリットも考え別れることを決めたそうです」喜多村当人は2月末まで東京・新橋演舞場の舞台『八つ墓村』に出演していた。だが、裏ではひどく落ち込んでいたという。「稽古の合間を縫って関係各位に頭を下げて回った。5日間ほとんど眠れずに幕を開けたそうです。“これまでの生涯でいちばんつらい出来事だ”と肩を落としていました。多くの人に迷惑をかけたことを心から悔いていましたね」自業自得とはいえ「舞台に立っているときだけ現実から逃れられた」という。貴城と喜多村の夫婦関係は今、どうなっているのか。『週刊文春』には「私の人生を返して」と恨み節を語った貴城だが……。「緑郎さんが何度も貴城さんに連絡してもいまだに返事はないそうです。あまりにも連絡がこないので、泣きながら電話をかけたこともあったようです」(前出・夫妻と親しい関係者)不倫報道後、貴城は心労のため入院したという。ただ、連日、謝罪の意を訴え続けたためだろうか。喜多村の気持ちは少しずつではあるが、貴城にも伝わっているという。「彼女の心身は少しずつではありますが、回復してきています。外出できるまで元気になっているようです。ある日、緑郎さんが自宅に帰ったらバレンタインのプレゼントが置いてあったそうです。彼女はチョコレートが食べられない緑郎さんのため、毎年イワシやサバの缶詰を贈っていたとか。今年も、渡しそびれたプレゼントが置いてあったそうです。先日も家に帰ってみると、汚れ物が洗濯してあって、畳んで置いてあった。部屋も掃除されていたそうです。自分の洋服などを取りに戻ったようなのですが、本当に愛情がなかったら、そんなことはしないでしょう」(前出・夫妻と親しい関係者)断絶の時期から、夫を“赦した”とはいえ、夫婦はまだ不倫報道後一度も会ってはいないという。「貴城さんは、夫婦の今後の話し合いは自分の体調が回復して、かつ夫の仕事が一段落してからと考えているようです。あえて連絡を取らないでいるのは、緑郎さんにお灸をすえたいからでしょう。もう少したったら連絡をとるつもりのようです」“まさかの離婚回避”だが、2人の本心はどうなのか。3月上旬、東京都内の自宅マンションから出てきた喜多村を直撃した。――貴城さんと関係修復が進んでいるという話がありますが?喜多村は黙ったまま、深く一礼して去っていった。その表情は少しほほ笑んでいるようにも映った。「心ない報道がなされるのも、“自分の不徳のいたす限り”と本人は反省しきりです。土下座をしてでも奥さんと話し合い、今後をきちんと決める。そのうえで杏樹さんにもきちんと謝罪する。ファンには“精進して芸で返していく”と神妙な顔で話していました」(前出・夫妻と親しい関係者)夫婦の最終結論まで、まだ時間はかかりそうだ――。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月10日3月8日に開催された「R-1ぐらんぷり2020」(関西テレビ系)で、マヂカルラブリー・野田クリスタル(33)が優勝を果たした。しかし、その決め手となったネタを疑問視する声が上がっている。同大会のファイナルステージで野田は、スマホゲームで遊ぶというネタを披露した。そのゲームとは「女性のストッキングをハサミで切る」というもので、ストッキング姿の女性にハサミが入れられていった。全てを破るまで苦闘していた野田は、女性がストッキングを新しく替えるシーンで「回復しやがるぞ」とも発言。そしてオチは、股の部分にハサミが入ると課金が要求されるというものだった。「ゲームの中ではストッキングを切られる女性が敵とされており、野田さんは怒る女性に何度もハサミを向けていました。またストッキングにハサミを入れるというよりは、女性にハサミを投げつけるような描写でした。昨年のM-1ではミルクボーイやぺこぱが活躍し、『人を傷つけないで笑いを取る』ことが1つのキーワードとなりました。M-1とは逆方向の結果となったR-1に、悲しむ声も上がっています」(全国紙記者)審査員や視聴者からの支持を得て、見事頂点に輝いた野田。しかし、Twitterでは疑問視する声が上がっている。《マヂカルラブリー野田クリスタルさんの、ストッキングをハサミで切るネタをみて辛く暗い気持ちになった。そのネタが支持され優勝したことも》《ストッキング破るの、うっすらと性暴力を想起されてきつかった》《ゲームとはいえ、雑な絵とはいえ、傷つける意図がないとしても、ストッキング履いてる女性にハサミむけてるの怖いし、それが面白いっておかしい。審査員は怒ってほしかった》《いやいや、人の身につけているものを破っていくゲームで、笑えますか?》
2020年03月09日乃木坂46・白石麻衣(27)の写真集「パスポート」が3月9日、31度目の重版で累計発行部数が50万部を突破したと発表された。17年2月に発売されて以来、ロングセラーを続ける同作。もはや無双状態となっているが、ファンも驚きが隠せないようだ。各メディアによると白石は「写真集を発売した3年前は、こんなに多くの方に見てもらえるとは想像もしていなかったので、今は驚きと喜びにあふれています」とコメント。さらに「この作品は私の活動の中でも大きなターニングポイントとなった大切な一冊なので、多くの方にそれが届いたと思うと、とてもうれしいです」と喜びを明かしたという。グループ卒業を控えるなかでの偉業に、ファンも驚きの様子。Twitterではファンが歓喜の声を上げている。《写真集50万部ってやばない? 本当にすごい!》《まいやん写真集50万部ってえぐすぎんか》《卒業間際になっても記録をアップデートし続けるのマジで凄いです》「『パスポート』は先月26日、卒業記念の限定カバー版が発売されました。白石さんからのメッセージカードもついているため、セールスがぐんと伸びたようです。白石さんは自身にとってのラストシングル『しあわせの保護色』のリリースにちなんで、音楽番組にも登場。その上、現在公開中の映画『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』も大ヒットしています。露出が増えたことで、写真集の売れ行きはさらに伸びるのではと期待されています」(出版関係者)
2020年03月09日累計発行部数300万部超の人気漫コミックを実写映画化した映画『東京リベンジャーズ』(英勉監督、10月9日公開)。その主要キャスト7人が3月3日に公式サイトで発表され、話題を呼んでいる。『新宿スワン』などで知られる漫画家・和久井健氏による、「週刊少年マガジン」(講談社)で連載中のコミック『東京卍リベンジャーズ』が原作。かつて不良だった主人公・タケミチが中学時代へタイムリープする能力に目覚めたことを機に、かつての恋人が殺害される運命を変えるべく最凶不良軍団・東京卍會に挑むストーリーだ。注目のキャストは主人公・タケミチ役に北村匠海(22)。卍會の総長・マイキー役を吉沢亮(26)、副総長・ドラケンを山田裕貴(29)。さらに杉野遥亮(24)、鈴木伸之(27)、磯村勇斗(27)、間宮祥太朗(26)など旬のイケメン俳優陣が集結している。「登場人物たちのかっこ良さや心揺さぶる名言などが、10代・20代の男女を中心に人気の作品。映像化が待ち望まれていました。キャストも今を代表する俳優たちばかり。スケジュールを合わせるのも大変だったでしょう。それだけ、映画に対する制作陣の気合いが感じられます」(出版関係者)キャスト発表後、山田は自身のツイッターを更新。ドラケンのファンであることを明かし、サイドを剃りこんだ個性的なドラケンの髪型について言及。《ということで剃ります》と役作りにかける意気込みを明かした。「『クローズZERO』シリーズや『HiGH&LOW』シリーズ、そして『今日から俺は!!』などがことごとくヒットしているため、『不良路線は鉄板』との声も出ています。さらに今回の映画は原作の人気に加え、最強のキャストが揃っています。関係者の間でも『ヒットは確実。問題はどこまで数字が伸びるか』と期待されていますね」(映画関係者)キャストと原作ファンたちは、公開を心待ちにしているはずだ。
2020年03月09日X JAPANのYOSHIKI(年齢非公表)が東日本大震災の義援金として1,000万円を寄付したと、3月8日に報じられた。自身が運営する非営利団体『YOSHIKI FOUNDATION AMERICA』を通じて日本赤十字社に寄付したという。YOSHIKIは「東日本大震災から9年が経過しましたが、まだまだ復興に向けての支援が必要とされています。3.11はまだ終わっていません」とコメント。続けて「復興が進まない地域や、心身の痛みが癒えない方々に対しても、支援が継続的に行われることを願っています。微力ながら、ファンの皆さんと共に続けているチャリティ活動が、少しでも世の中のために役立つことができれば、と思います」と呼びかけた。同時に新型コロナウイルスについても支援を表明したYOSHIKI。20年以上も世界中で支援活動を行っており、その数は枚挙にいとまがない。過去の報道を振り返ってみると、これまで日本で以下のような寄付を行ってきた。・11年3月の東日本大震災直後に、クリスタルピアノをオークションに出品。その落札額1,100万1,000円を全額寄付・16年4月の熊本地震に1,000万円を寄付・18年7月の西日本豪雨に1,000万円、同年9月の北海道胆振東部地震に1,000万円を寄付・19年8月の京都アニメーション放火事件に1,000万円、同年9月の千葉県台風被害に1,000万円を寄付「10年に基金を設立したYOSHIKIさんは、米国ハリケーン被害や韓国の森林火災、アマゾンの森林火災にも寄付をしました。基金設立以前にも、95年に阪神大震災で被災した学校へピアノ10台を寄贈。09年の中国・四川大地震においても、音楽室や楽器を贈っていました」(音楽関係者)そんなYOSHIKIは率先した慈善活動と影響力が評価され、19年に『Forbes Asia』が発表した「アジア太平洋地域の最も優れた慈善家30人」の1人に選ばれている。「YOSHIKIさんが支援活動を始めたきっかけは、10代の頃に父親を亡くしたことが影響しているといいます。そのつらさから自分と同様に親を亡くした遺児や、難病を抱える子供を救うために基金を立ち上げました。また自身が著名人ゆえに、寄付を公開することでも知られています。そうすることで、災害への認知度や支援の輪が広がることを願っているのです。支援を続けるYOSHIKIさんは、『人を救うことによって自分も救われる』と語っていました」(芸能関係者)
2020年03月09日米国時間7日、オレゴン州ポートランドにある24時間営業のドーナツショップ「ヴードゥードーナツ」に手斧を持った強盗が押し入った。ポートランド警察署が発表したプレスリリースによると、警官が駆けつけた時には既に強盗は逃走した後だったが、徒歩で立ち去ったため付近を捜索。するとわずか1ブロック先で立ちながらドーナツを食べている男が見つかった。手にはヴードゥードーナツの派手なピンク色のボックスをぶら下げていたという。警官に気づいた男はふたたび逃走を図るも、間もなく取り押さえられ、第一級の強盗罪で逮捕された。この間抜けな強盗の名はクリストファー・ジェームズ(40)。現在、マルトノマ郡拘置所に収容されているという。この事件による負傷者はなく、店からは持ち主を失った手斧が見つかった。
2020年03月09日大反響の「ゆるゆる人生相談」を一挙108本収録した、世界一ゆるい自己啓発本『笑われる勇気』(光文社・900円+税)も発売中の“世界一ゆるい70代”となった蛭子能収(72)が、読者からの相談に答える!【Q】「実家で暮らす独身の私が90歳になる認知症の母の介護をしています。嫁に出た姉はたまにやってきて『もっと優しくしなよ』と好き勝手言います。ムカつく心をどう抑えよう!」(カズカズロンさん・50・パート・大阪府)【A】「きょうだいは他人。ドライに接すればいい」(蛭子能収)ヘルパーさんに来てもらったり、施設にいれたりしたほうがいいと思いますが、その分、金がかかりますからね。ツラかったら地域の相談窓口に連絡したほうがいいですよ。姉が悪いことはわかりますが、それにムカついているとアナタが損するだけ。姉でも他人ですから関係を断つなりお金を請求するなどドライに接すればいいですよ。オレは介護経験がないから大変さはわかりませんが、競艇でスッカラカンになったときは「漫画のネタになる」と思えば、そのツラさも和らぎます。介護にも人間観察のネタがあればいいんですけどね。オレの女房は19歳年下。オレが寝たきりになったときは面倒見てくれるんやろか、と心配になることがあります。その不安を解消するのは、とにかく稼いで金を家に持って帰ること。先日、「ボートピア横浜」のイベントに出たときに、ひさしぶりに競艇をしました。イベントの出演料もつぎ込んで買った舟券はすべて紙切れになってしまいました……本当にムカつきます!「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月09日話題のスポットやエンタメに本誌記者が“おでかけ”し、その魅力を紹介するこの企画。今回は、江戸の職人技が感じられる展覧会「江戸ものづくり列伝」へ行ってきました。■「江戸ものづくり列伝−ニッポンの美は職人の技と心に宿る−」東京都江戸東京博物館1階特別展示室にて4月5日まで(3月16日まで臨時休館。詳細は公式サイトをご確認ください)江戸で活躍した職人5人をおもに取り上げた本展は、全6章で構成されています。第1章では、明治前期に日本を縦断したヨーロッパ貴族のバルディ伯爵が祖国へ持ち帰ったコレクションがずらり。約130年ぶりの里帰りとなり、日本初公開となるそうです。サムライ文化を象徴する刀剣や、裃姿の肖像画などがあって、伯爵の東洋文化への好奇心や憧れが感じられました。第2章から第6章までは江戸東京博物館の所蔵資料を中心に展示。江戸を代表する蒔絵師の原羊遊斎と柴田是真らの作品は、漆を用いた装飾と漆絵など、日本独特の美が満載でした。陶工師の三浦乾也の『菊文茶碗』は、重厚な器に花模様とその可憐さから女性たちに人気があっただろうと勝手に推測。金工師の府川一則の『蓮花図鐔』は、刀剣に取り付ける小さな金具にもかかわらず風情があって、粋なこだわりを感じました。そして第6章は細工師の小林礫斎の作品が。江戸時代は贅沢禁止令で大型のおもちゃがご法度となり、その代わりにミニチュアが流行したのだとか。小さな箪笥に施された精巧な技術に、ため息とともに「へぇ〜すごい」という声が出てしまいました。江戸時代のミニチュア文化に感動しっぱなしでした。現在まで引き継がれる江戸の職人技をぜひご堪能ください!「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月09日家の中で楽しめるエンタメや流行を本誌記者が体験する“おこもりエンタメ”のコーナー。今回は、中年男性がシンクロに挑む『シンクロ・ダンディーズ!』のご紹介です。■『シンクロ・ダンディーズ!』DVD3月11日発売。価格:3,800円(税別)。発売:キノフィルムズ/木下グループ。販売:キングレコード本作は実在するスウェーデンの男性シンクロチームをモデルにしています。主人公のエリックをはじめとする8人のシンクロメンバーは、パッとしない日常を送っていて中年クライシスのまっただなか。けれど、ひょんなことからイギリス代表として世界選手権に出場することになったからさぁ大変。鬼コーチによる特訓の過程で、絆を強めていくメンバーたち。そして大会当日を迎え……。男性のシンクロ映画といえば、日本の『ウォーターボーイズ』(’01年)がありますが、イケメンぞろいのあちらと違い、こちらはまったく映えないメタボ体形の中年のみが登場。キラキラ輝く青春もなく、どんより曇り空のような毎日で夢も希望もありません。逆にそこにリアリティーがあって、同じ中年として人ごとには思えませんでした。鬼コーチに「中年の苦悩が見たい!怒りを見せて!」と言われ、水の中で暴れる8人の姿に自分を重ね、なぜかすっきりした気分に。シンクロまでいかなくても水泳って気持ちよさそう。俳優たちが実際にトレーニングを積み、挑んだというシンクロシーンも見どころです。人生の壁にぶちあたるのは若者だけじゃない。中年が必死にもがき再生していくさまに、元気をもらえる人は多そうです。「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月09日94年6月の松本サリン事件で警察やメディアに犯人扱いされた河野義行さん(70)。無実を訴え、サリン被害を受けた妻を懸命に看護し、3人の子供を守った。95年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件で、ようやく疑いは晴れる方向に向かった――。事件の日、河野さん宅に隣接する駐車場から、オウム真理教信者らが撒いた“サリン”によって、近隣住民ら約600人が重軽傷に。河野さんの妻・澄子さんを含む8人が死亡する大惨事となった。真っ先に疑われたのが、第一通報者で、自宅に農薬や写真現像用の薬剤を保管していた河野さんだった。「(病院に)見舞いにきた長男から、『お父さんが殺人犯にされている』と聞いて、えーっ!という感じですよ。報道を見たら、NHKや朝日新聞は、『薬品の調合間違えた』と、私が救急隊員に話したと報じていましたし、地元の中日新聞も、私が妻と薬品を混ぜていて『白い煙がぱっと上がった』と。信濃毎日新聞は、『会社員が関与ほのめかす。家族に“覚悟して”』などと、言ってもない事が記事になっていました。妻は心肺停止、私も入院して苦しんでいるのに、いったいどうなっているんだと。後から知ったのですが、メディアは警察関係者が流した、いわゆる“リーク情報”をもとに見切り発車で記事を書いていたんです」事件から約1カ月後、河野さんは多くの報道陣が待ち構えるなか、退院。その日から、理不尽な取り調べが始まった。「警察署に着くなり、いきなりポリグラフ(うそ発見器)にかけられて。〈取り調べは1日2時間まで〉という医師の診断書は無視され、初日から7時間の取り調べ。翌2日目には、自白まで強要されました。角刈りでこわもての刑事が取調室に入ってきたかと思ったら、いきなり〈お前が犯人だ!〉とすごんできたんです」刑事ドラマのような世界がそこにあった。「これが自白を促すための捜査なんだろうと感じました。きっと私を脅した警部も、家に帰ればいいお父さんなんだろうと思いながらね」緊迫した状況のなか、河野さんは弁護士と戦略を練り、メディアを逆に利用して世論を味方につけるという賭けに出た。「警察に押収された薬品のリストも家の間取り図も全部メディアに公開して、うちでサリンを作れるのか専門家も呼んで検証してもらいました。年内逮捕という話もあったので、11月には講演会も開いて無実を訴えました」年が改まった95年の元日、河野さんの疑いを晴らす大きな出来事があった。オウム真理教の拠点から、サリンの残留物が検出されたと読売新聞が報じたのだ。その後、長野県警が松本警察署で記者会見を開いた。〈河野氏は“被害者”であり松本サリン事件には無関係である〉一連の事件をオウム真理教によるものだと断定した結果だった。「4月に朝日新聞が紙面に謝罪文を掲載したのを皮切りに、おかしな記事を書いていなかったメディアまで謝罪してね。この一年間は長かった。世間を敵に回して、マスコミの取材攻勢を受けながら警察と戦っていたわけですから。朝、起きたらいつも外にパトカーが止まっていて、妻や子供を守らなきゃ、と」河野さんは、今でも警察やメディアに厳しい目を向ける。「中にいる個人が〈これはおかしい〉と思ったら声をあげてほしい。私の場合もある刑事が〈河野を逮捕したら証拠不十分で公判が持たない〉と上に反対してくれたから逮捕されずに済んだんです」今も月2回、講演を続ける。自分のように理不尽な目に遭う人を二度と出さないために――。「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月09日94年6月の松本サリン事件で警察やメディアに犯人扱いされた河野義行さん(70)。無実を訴え、サリン被害を受けた妻を懸命に看護し、3人の子供を守った。95年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件で、ようやく疑いは晴れる方向に。今も月2回、講演を続ける。自分のように理不尽な目に遭う人を二度と出さないために――。河野さんの妻・澄子さん(享年60)は、サリン中毒によって意識不明になったまま、病床で14年間生き抜き、08年に亡くなった。「14年間介護していた澄子が亡くなって、10年に三回忌を終えてから鹿児島に移住したんです。鹿児島では、大好きな釣り三昧の生活を送っていたんですよ」この間、河野さんは、元オウムの信者とも交流を続けてきた。「服役を終えて、うちの庭を手入れしに来てくれていた元信者もいてね。長男は最初、少し抵抗があったようだけど、刑を終えたら普通の人ですから。それを差別したら、あなたが人格を疑われるよ、と。当時は、何も罪をおかしていないのに、“元オウム”というだけで、自分の土地から追い出されたり、住民票すら受理してもらえなかったりする人がいました。私は、そういう理不尽なことが大嫌いでね。私も犯人にされるという、これ以上ない理不尽な目に遭ったわけですから」サリンの被害に遭い、澄子さんと救急車で病院に運ばれた河野さん。長男の仁志さんに「お父さんも、お母さんも駄目かもしれない。あとのことは頼んだぞ」と伝えたものの、入院中に事態は思わぬ方向に。「お父さんが殺人犯にされている」と、見舞いに来た長男から聞かされた。理不尽な取り調べを受け、自宅に戻った河野さんは、通帳などを整理し子供達の前に並べてこう言った。「お父さんが逮捕されたら、このお金を、お前たちの判断で使ってくれ。なくなったら学資ローンを解約して、足りなかったら家と土地を売れ。大学に行きたいならきょうだい3人でローテーションを組んで行きなさい。ふたりが働いたら、一人分の学費は工面できるから」長男の仁志さんは、事件直後から「父さん、母さんに何かあれば大変になるけど、どんな状況でも楽しみを見つけて生きていける」と言って安心させてくれたという。「長男は事件後、学校を休んで病院と学校を往復し、弁護士との連絡役にもなってくれました。警察の取り調べやメディアの対応も一手に引き受けて。わずか1カ月で急に大人になった。させられたというべきか」メディアに、警察に負けずに、理不尽な状況の中戦い抜いた河野さん。元オウムの信者とも交流を持ち、刑を終えたら“普通の人”と言い切った。河野さんの子供達3人は、そんな父の姿を見て、それぞれに自立していった。「長男は、長野県の農協に勤務。長女は北海道で研究職に。次女は一番自由奔放で、タイやアメリカなどを行き来して国際的にやっていますね」子供達を社会に送り出し、河野さんは今でも、犯罪被害者の支援をする活動を続けている――。「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月09日94年6月の松本サリン事件で警察やメディアに犯人扱いされた河野義行さん(70)。無実を訴え、サリン被害を受けた妻を懸命に看護し、3人の子供を守った。95年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件で、ようやく疑いは晴れる方向に。今も月2回、講演を続ける。自分のように理不尽な目に遭う人を二度と出さないためにーー。河野さんの妻・澄子さん(享年60)は、サリン中毒によって意識不明になったまま、病床で14年間生き抜き、08年に亡くなった。「14年間介護していた澄子が亡くなって、10年に三回忌を終えてから鹿児島に移住したんです。鹿児島では、大好きな釣り三昧の生活を送っていたんですよ」事件の日、河野さん宅に隣接する駐車場から、オウム真理教信者らが撒いた“サリン”によって、近隣住民ら約600人が重軽傷に。河野さんの妻・澄子さんを含む8人が死亡する大惨事となった。真っ先に疑われたのが、第一通報者で、自宅に農薬や写真現像用の薬剤を保管していた河野さんだった。「居間休んでいた澄子が、泡を吹いて激しく痙攣しているのを見つけて、慌てて救急車を呼んだんです。でも、救急車が到着するころには、私自身も体調がおかしくなっていた。モノがゆがんで見えたり、幻聴があったり」突然、事件の被害者になった河野さん。しかし、事態は思わぬ方向に動いていった。警察は翌日28日、“被疑者不明の殺人容疑”で河野さん宅を強制捜査。ここから、“犯人扱い”が始まった。報道によって、世間は河野さんが犯人だと思い込んだ。自宅には無言電話や嫌がらせ電話が昼夜問わずかかってきたという。そんななか、妻・澄子さんとの面会が許されたのは事件から1週間後のこと。「医者から、澄子は生死の境をさまよっていると聞かされていましたから、人工呼吸器をつけた姿を見て、『とにかく生きていてくれてよかった、生きていてくれるだけでいい』と思いました」河野さんが犯人だと疑うメディアは、徐々に増えていった。講演会を行い、無実を訴え続け、戦いの中にいた河野さんを支えていたのは澄子さんだった。河野さんが澄子さんと出会ったのは74年。澄子さんは、社会人だった河野さんが趣味で通ったオルガン教室の先生だったという。「昔は、寝たきりの人の世話をするなんて負担だろうと思っていたけど、自分がそうなってみると違った。そこにいて声をかけられる、触れられる、何かしてあげられる、というのは本当にありがたくて。生きているだけで澄子は大きな仕事をしてくれていました」年が改まった95年の元日。河野さんの疑いを晴らす大きな出来事があった。オウム真理教の拠点から、サリンの残留物が検出されたと読売新聞が報じたのだ。しかし、疑惑が晴れたからといって終わりではなかった。「澄子は依然として意識不明。私にとっての終わりは、澄子を回復させることでした。〈澄子、具合はどう?〉と声をかけ、歯を磨いて髪をとかし、手足のマッサージをして。その間、いろんな話をしました。澄子の脳波は音に反応していた。だから、CDを何枚もセットして。脳は90歳くらいのレベルまで萎縮していて、医師から〈意識は戻りません〉と言われていたけど、私は絶対戻すんだ、と」事件から年を追うごとに、河野さんは多忙になった。毎日の仕事に、澄子さんの看護。土日には、報道被害の防止や犯罪被害者数の救済を訴える講演活動。長野県の公安委員も引き受けた。一方で、澄子さんの容態は悪化することが増えていった。事件から14年後、澄子さんは永眠。享年60。「腕の中で送ってあげたいという願いは叶えられました。亡くなる前の年に澄子の脳のMRIを撮ったら、大脳が萎縮して厚さが数ミリに。医師が〈この状態で生きているのはすごい〉と驚いていました。きっと、家族のために頑張ってくれていたんですね。14年間、長い長い戦いに打ち克ってくれた」だから、悲しまずに、〈本当にありがとう〉と言って送ろう。河野さんは、そう子供たちに話して、支えてくれた澄子さんを送り出した――。「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月09日「市原隼人くんは、とにかく熱いってイメージがあったんですけど、ただ熱いだけでなく繊細な部分ももっている。役にも真摯に向き合っていて、すごくいいバディになりました」そう爽やかな笑顔で語ったのは、BS-TBS開局20周年記念ドラマ『伴走者』(BS-TBS・3月15日19時〜)で市原隼人(33)とダブル主演を務めた吉沢悠(41)。本作は、視覚障がいのある陸上選手の目の代わりとなって並走する“伴走者”の淡島(吉沢)と、不慮の事故で視力を失った元サッカー選手の内田(市原)がパラリンピック出場を目指して奮闘する姿を描いた物語だ。「市原くんとは初共演で、最初は走りの呼吸を合わせていく作業に苦労しましたね。走りを教わっていくなかで、だんだん一緒に走ることが楽しいと思ってきたんです。ただ、海沿いを走るシーンはつらかった……。真冬ですし、寒かったです。上はノースリーブ、下は短パンなので(笑)」役作りで始めたことが趣味になることが多いという吉沢。ランニングも今では日常になっているそう。「走った距離が測れるアプリがあるんですけど、友人とシェアして1カ月にどれだけ走っているか競ってるんですよ。あと演技の幅を広げるためにはじめた合気道も現在は2段になりました。役作りとかまったく関係なくやっているのはサーフィンですね!」「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月09日