大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」が11月から連載再開! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)をお届けします。■8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)人間のからだには様々な「門」「出入り口」があります。口や鼻の穴、目や耳、汗腺や尿道、肛門、膣など、私たちの身体にはたくさんの入り口や出口があって、外界と常になにかしら、やりとりしています。この「口」がふさがってしまうと、命が危険にさらされます。それに似て、生活・人生にも、様々な出入り口があります。たとえば「がま口」がそうです。お金が入ってくる口と、出て行く口です。性交によって「他者を受け入れる」ことも「ゲート」のテーマです。「入学」「入門」「入居」など、どこかに自分を丸ごと預けるような「入り口」もあります。一方、古来「脱出」「出奔」「脱獄」「家出」など、穏やかでない「出口」の使い方もあります。「コロナ禍」で私たちは、マスクで口を塞ぎ、ウイルスの出入りに常に気を配る状態になりました。出口や入り口は、出入りしてほしくないものが出入りしてしまう危険をはらんでいます。しっかり閉めておかなければ、望ましくないものが入ってきますし、中からどんどん大事なものが流出してしまう場合もあります。とはいえ、閉めっぱなしでは使えないのです。どんなにマスクをして気をつけていても、食事をするときには、マスクを外さなければなりません。マスク自体、呼気と吸気を通すように作られていなければ、私たちは窒息死してしまいます。星占いで用いる第8ハウスは、ホロスコープの「出入り口」のような場所です。その対岸の第2ハウスもまた、ゲートです。実際、古く第2ハウスは「ハデスの門」などと呼ばれました。金庫も財布もきちんと閉めておかなければなりませんが、開かなければ用をなしません。厳重に管理されなければならない「ゲート」のイメージは、古くから星占いの世界に刻み込まれていたようです。私たちの人生は、外界に向かって開かれなければなりません。でも、無防備に開かれっぱなしの状態では、容易に傷つけられ、大切なものを奪われてしまいます。人生の玄関、人生の裏口、人生のがま口。こうしたものを、危機感をもって管理する姿勢を、誰もが持っています。ただ、その危機感の「強弱」は、人によって振り幅が大きいものでもあります。警戒心の強い人もいれば、ユルユルの人もいるのです。また、経験によって、その管理運用の方針は大きく変わります。たとえば、子供の頃の経済的な環境は、大人になってからのその人の経済活動を大きく左右します。性的な問題で傷を負わされた人は、その後長く、「ゲートを閉ざした状態」になることは珍しくありません。外界に向かってデリケートな部分を「ひらいた」とき、私たちは傷を負うリスクを引き受けることになります。そして、実際に、傷を負ってしまうことがあるのです。これは、若いうちだけでなく、いくつになっても起こりえます。ゲートから何が入ってきて、何が出て行くのか。私たちは、ゲートの開け閉めだけはある程度自分でできますが、「門をたたいてくる相手」を、管理することはできません。どんな人に愛を告白されるのか、いつどんな人がオレオレ詐欺の電話をかけてくるのか、自分を口説いている相手は本気なのか遊びなのか、そうしたことを「コントロール」することはできないのです。「何が来るか」ということ自体は、制御不能なのです。私たちにできることはただ、「ゲートを開くかどうか」の判断だけです。オレオレ詐欺の被害に遭った人や、性犯罪の被害者などに「警戒が足りなかった」「やられるほうが悪い」という言葉を投げかける人がいます。「自分さえしっかりしていれば大丈夫」「他の人が引っかかっても、自分は冷静で賢いから、決して引っかからない」と考える人は、驚くほどたくさんいます。でも現実には、そうではありません。人生の「ゲート」を自ら開くとき、私たちは一様にリスクを負うのです。そして、人生の「ゲート」を開かないときも、私たちは人生のチャンスを逃し、ひとりぼっちで苦しみながら生きることになるリスクを負うのです。リスクは、どちらにも存在します。「ノーリスク」で生きることはできないのです。第8ハウスから「幸福」を考えたとき、まず「リスク」というテーマが浮かびます。自分の人生に何を容れ、何を拒絶するか、という判断がそこにあるからです。たとえば、親族からの莫大な遺産を、あえて「受けとらない」という判断をする人がいます。全額を寄付したり、誰かに譲ったりする人は、少なくありません。「受けとることによる、なんらかのリスク」を回避するための判断だったのでしょう。厳しい親の言うことを聞いて、恋愛を一切拒否して育ち、大人になった人がいます。既に十分いい大人になってしまってから、この人は親に「早く結婚しなさい」と言われ、激しい戸惑いと怒りを感じたそうです。一切のリスクを回避するために、「ゲート」を完全に閉ざして生きてきたため、それをどのように開けばいいのか、わからなくなってしまった、ということなのだと思います。ゲートの開き方は、経験によって学び取られなければならないのです。一方、育った環境からの影響で、自尊心が非常に低く、「何でも受け入れてしまう」という人もいます。人からの「求め」や人からの褒め言葉を、渇いた人が塩水を飲むように、ずっとごくごく飲み続けてしまうのです。渇きはおさまらず、心には痛みが蓄積していきます。ゲートが開きっぱなしで、「受け入れることのリスク」が一切回避されないまま、傷つき続けてしまう人は、決して少なくありません。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年2月25日更新)
2021年01月25日教育番組『おかあさんといっしょ』(NHK)で、『うたのおにいさん』を務めた今井ゆうぞうさんが、脳内出血で急逝した2020年12月21日。10代目の『うたのおにいさん』として多くの子供たちに歌や笑顔を届けてきた今井さんの突然の死に、多くの人から悲しみの声が寄せられました。あれから約1か月の時が経った2021年1月18日、『おかあさんといっしょ』で『ぼよよん行進曲』が流れたことで、改めてファンから追悼の声が上がっています。今井ゆうぞうさんと、はいだしょうこさんが歌う『ぼよよん行進曲』『ぼよよん行進曲』は、2005年から今井さんと、はいだしょうこさんが歌い、現在も高い人気を誇る1曲。今井さんの命日から約1か月が経ったタイミングで『ぼよよん行進曲』が流れたことに、元・うたのおにいさんである、横山だいすけさんは自身のブログで感慨深げに自身の心境をつづりました。ぼよよん行進曲は2011年の東日本大地震以来、特別な曲になりましたが、今日みて改めて意味を持った特別な曲になったんだ。と感じました。ゆうぞうお兄さん・しょうこお姉さんからおかあさんといっしょのバトンを引き継いで最初のコンサートで、ゆうぞうさんとしょうこさんがゲストで出演してくださり歌ってくれたぼよよん行進曲。今では後輩たちも歌い継いでくれて、沢山の親子のみなさんにとって特別な曲に。今日の放送を見た人はきっと思い出やいろんな感情で見たのかなぁと思いました。でもぼよよん行進曲の歌詞がきっとゆうぞうさんからのメッセージでもあるのかな、と僕には感じました。僕にとってもあなたにとっても大切な一曲。ゆうぞうさん、これからも大切に、大切に歌い継いでいきます。横山だいすけオフィシャルブログ ーより引用「大切に歌いつないでいく」という横山さんの言葉からは、今井さんとの絆、そして歌に対する強い思いを感じます。『おかあさんといっしょ』視聴者の反響も大きく、「泣いた」「本当に元気が出るいい歌ですよね」とさまざまなコメントが寄せられました。・ゆうぞうおにいさんが亡くなってから、もう1か月経つんですね…。まだどこかでさびしく感じてしまいます。・『ぼよよん行進曲』に、元気をもらいました。番組を見ていて涙があふれてしまいました。・ゆうぞうおにいさんの意思を継いで、これからも歌いつないでいってほしい!反響の大きさは、それほど今井さんが視聴者に愛されていたことの証明なのでしょう。きっと、今井さんも空の上から『ぼよよん行進曲』を歌ってくれているはずです。[文・構成/grape編集部]
2021年01月20日2020年12月28日に亡くなったことが報じられた、10代目の『歌のおにいさん』である今井ゆうぞうさん。今井さんは同月21日、43歳という若さで旅立ちました。死因は脳内出血だったといいます。教育番組『おかあさんといっしょ』(NHK)では2003~2008年の間司会を務め、『歌のおにいさん』として多くの子供に笑顔を届けていました。今井さんの優しい人柄が伝わる笑顔を見て、視聴者である子供や、その親は楽しい時間を過ごしたことでしょう。今井ゆうぞうさんの訃報を受け、はいだしょうこが追悼今井さんの相方である『歌のおねえさん』を担当していたのは、タレントのはいだしょうこさん。逝去が報じられた翌日にYouTubeチャンネルの一時休止を発表したはいださんは、同月30日にInstagramで心の内を明かしました。一緒に番組を作り上げた今井さんを『パートナーであり戦友』と称し、はいださんはこのようにコメントしています。オーディション会場で出会い、お互いに合格してから、5年間ずっと、ほとんど毎日一緒で、家族より長い時間をNHKで過ごしました。その時は、私達、歌のお兄さんと歌のお姉さんだけが、新しくなる時で、周りが出来上がっている環境の中、皆さんの足を引っ張らない様に、2人で収録が終わった後や、少しでも時間ができたら、空いてるリハーサル室を探しては、必死に練習し、励まし合い、2人の歌声を子供達の心にどう届けるか、悩み、考え、話し合い、日々、過ごしていた事が、昨日の事の様に思い出されます。お互いのいい所、悪い所も分かっている兄妹。たくさん笑い、真剣に話し、おふざけしたり、時には泣いたり、たまにケンカしたり。。。想い出がありすぎて、毎日、色々な場面がずっとずっと頭に浮かんできます。ゆうぞうお兄さん、しょうこお姉さんとして、全国の沢山の子供達、ご家庭に歌を届けられて聴いて頂けて、一緒の時間が過ごせた事、本当に幸せでした。私達の歌声が、皆様の心のどこかに少しでも残って頂けていたら、嬉しいです。ゆう兄、沢山の笑顔と、想い出をありがとう。。。こんな私を、たくさんたくさん、支えてくれて、助けてくれて、本当にありがとう!!優しくしてもらった事、楽しかった想い出、一生忘れません。。。今は、とにかくゆっくり休んでね。そして、ゆう兄の代表曲、「ぼよよん行進曲」を、お空でも子供達や、皆んなにうたってあげてね。。。こんなに早く、さようなら。を言わなければならない事。きつすぎるけど。。。また、必ず、必ず、会いましょう。。。今井ゆうぞうさんのご冥福を心よりお祈り致します。haida_shokoーより引用 この投稿をInstagramで見る はいだしょうこ(@haida_shoko)がシェアした投稿 はいださんはコメントとともに、『おかあさんといっしょ』の卒業後、2人でコンサートを行った際に撮影した写真を投稿。天国にいる今井さんを追悼し、同番組の視聴者や今井さんのファンに向けて「みな様もしんどい方もいらっしゃるのに、すみません。なんとか、前を向いて歩いていかなければと思っています」と言葉を送りました。はいださんの戸惑いや悲しみが伝わる、今井さんへのメッセージ。投稿には数多くのコメントや、励ましの『いいね』が寄せられています。・しょうこお姉さんのコメントを読んだら涙が止まらない。ゆっくり休んでね。・子育てが大変な時、2人の笑顔や歌声に励まされました。ゆうぞうお兄さんのこと、絶対に忘れません。・テレビで見てた自分もショックなので、しょうこお姉さんはもっとショックだと思う。元気出してくださいね。投稿の最後に「ゆう兄の笑顔、優しい歌声を、たくさんの方が想い出して下さいますように」と願いをつづった、はいださん。きっと、はいださんの祈りは多くの人に届き、今井さんの笑顔や歌声は多くの人の心の残り続けることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年12月31日2020年12月28日、教育番組『おかあさんといっしょ』(NHK)で『うたのお兄さん』を務めた今井ゆうぞうさんが、同月21日に脳内出血で逝去していたことが明らかになりました。元『うたのおにいさん』・今井ゆうぞうさんが脳内出血で逝去数日前にはブログで不調も同月15日に自身のブログで、目が真っ赤に腫れた写真を公開し、体調不良を訴えていた今井さん。あまりにも突然すぎる旅立ちに、ネットでは悲しみの声が広がっています。佐藤弘道「かわいい弟の1人」同月29日、体操インストラクターでタレントの佐藤弘道さんがブログを更新。佐藤さんといえば、『おかあさんといっしょ』で10代目の『体操のお兄さん』を務め、今井さんと共演していました。「年末に悲しいニュースがありました」と、佐藤さんは今の心境を次のようにつづっています。年末に悲しいニュースが届きました。NHK「おかあさんといっしょ」第10代歌のお兄さん「今井ゆうぞう」君が亡くなりました。共演中は皆さんもご存知のように、あの屈託の無い笑顔で周りを明るくしてくれました。器用そうに見えるけど、ちょっと不器用なところもあって、僕にとってはカワイイ弟の一人でもありました。佐藤弘道公式ブログーより引用「器用そうに見えて不器用なところもあった」と、今井さんのことを弟のように想っていたという、佐藤さん。同番組を卒業後、仕事現場で再会した時の様子をこう明かしました。番組を卒業後、数年前に同じ現場で仕事があった時に、彼の体調の悪さは感じてました。今は、あの時にもっと厳しく体調管理について注意しておけばよかったなぁ〜と後悔してます。皆さんも身体だけは十分に気を付けてくださいね!彼がまっすぐに天国に行けるように、皆様もそっと手を合わせて頂けたら幸いです。ゆうぞう君、今までありがとう!心よりご冥福をお祈り申し上げます。佐藤弘道公式ブログーより引用数年前に再会した際、佐藤さんは今井さんの体調の悪さを感じていたのだそう。「あの時にもっと厳しく体調管理について注意しておけば…」と、後悔の念に駆られたといいます。「彼がまっすぐ天国に行けるよう、そっと手を合わせていただけたら幸いです」と、ブログを見た人々に呼びかけました。佐藤さんのブログには、さまざまなコメントが寄せられています。・本当に悲しい…。あの笑顔と歌声が大好きでした。・ひろみちお兄さんとともに、ゆうぞうお兄さん、しょうこお姉さんを息子と一緒に見ていました。本当に残念で、言葉になりません。・娘たちとテレビで拝見していました。ゆうぞうお兄さんの優しい歌声や暖かい眼差しが印象的で、私の記憶にしっかりと刻まれています。自分が大切に想っていた存在が突然この世を去る悲しみは、計り知れません。今井さんの笑顔と歌声は、多くの人々の心に残り続けることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年12月30日教育番組『おかあさんといっしょ』(NHK)で、『うたのお兄さん』を務めた今井ゆうぞうさんが、2020年12月21日に脳内出血で急死したことが明らかになりました。今井さんは、2003年から5年間、『うたのおねえさん』の、はいだしょうこさんとペアを組んで10代目の『うたのお兄さん』として多くの子供たちに歌や笑顔を届けてきました。同月28日に今井さんと同郷で、過去に共演をしていたシンガーソングライターのKEiさんがTwitterで公表。遺族の代わりに報告をしたといいます。「ミライCool!!」でご一緒していただいた、10代目うたのおにいさん『今井ゆうぞうさん』が、2020年12月21日、脳内出血のためお亡くなりになりました。ご遺族に代わりまして、僕からご報告させていただく事をお許し下さい。 pic.twitter.com/dFHiGeOpRj — KEi (@KEi_Geranium) December 28, 2020 今井さんは同月15日に自身のブログを更新しており、目が真っ赤に腫れている写真を公開して「免疫力が落ちているのが自分でも分かる」と、早めに病院にかかることを宣言していました。今井さんの訃報には、多くの人がショックを受けました。・え、信じられない…。言葉にならないです。・子供がとてもお世話になった時代のお兄さん。絶句した。・ウソでしょ…。ちょっと唐突すぎて…。お兄さんの笑顔が好きだった。また、はいださんを心配する声もたくさん上がっていました。突然の訃報に、多くの人が気持ちの整理ができていないことでしょう。今井さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2020年12月28日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第7のテーマ「パートナーシップ」と幸福。(後編)をお届けします。▼ 7.「パートナーシップ」と幸福。(前編)はこちら■7.「パートナーシップ」と幸福。(後編)「私は結婚に向いていない」「結婚に興味がない」と言いつつ占いを求める人の言う「結婚」は、「世間的に言う結婚」のことだろうと思います。「世の中一般にイメージされるような『結婚』」「保険やハウスメーカーのCMに出てくるような、ステレオタイプの『結婚』とその役割概念」に、「興味がない」のでしょう。「自分に何らかの形で『合う』と思える誰かと、人生の一部を共有して、助け合って生きていく」ということなら、もしかしたら、「興味がある」と感じられるかもしれません。心の片隅にそうした関心、あるいは仮説があるからこそ、こうしたご質問を寄せられたのではないかと思うのです。もちろん、全ての方がそうだというわけではないと思います。ご相談にはそれぞれ、共通する部分がある一方で、まったく誰のものとも重ならない、とても深いものが含まれているからです。たとえば「同性愛でなくとも同性同士で結婚できる世の中になるべきだ」という考え方があります。これは、結婚制度というものを考える上で、とても大事な発想だと思います。パートナーシップとは、ただ、人が人と、協力し合って生きていくことです。そのことに、部外者が何の意見をはさめるものでしょうか。パートナーシップは、「創造」されねばならないのです。どこかにあるテンプレートに、無自覚に自分をはめ込むような「結婚」は、危険なのです。サイズも見ず、試着もせずに、かたい革靴を買うようなものです。パートナーを得ても、ちっとも幸福になれない人もいます。いわゆる「モラハラ」や「DV」「ワンオペ育児」など、パートナーによって不幸になる人も、たくさんいます。その一方で、パートナーと生きていることがなにより幸福だと感じる人もいます。この違いは、どこにあるのでしょうか。パートナーシップを結ぶことで幸福になるには、おそらく、いくつかの条件が必要なのだろうと思います。そして、その条件もまた、全ての人に当てはまるというものではないでしょう。「誰にでもぴったり合う靴」が存在しないのと同じです。ただ、こんなことを私は想定します。パートナーシップによって幸福になる条件のひとつ、それは、お互いの関係の中で、「缶詰が開く」体験があることです。人の心の中には、固く閉じている場所がたくさんあります。でも、閉じた場所の中に格納されたものは、そのままでは成長しないのです。ナカミが腐敗して膨張し、どうにもならなくなることもあります。そして、その「閉ざされた場所」「缶詰」を、一人で開けることは、なかなか難しいのです。ある人と出会い、生きる時間を共有する中で、その「缶詰」のようなものが開きます。中にはそもそも「隠しておきたかったもの」「触れたくなかったもの」が入っているので、ちょっと困った事態になる場合も、よくあります。自分一人では状況を収拾できず、出会えたその人に手をかしてもらうことになります。そのとき、幸福に向かうためのパートナーシップが結ばれます。白雪姫のガラスの棺が壊れる瞬間、鉢かづき姫のかぶった鉢が壊れる瞬間、シンデレラの片方の靴が脱げてしまう瞬間などは、まさに、「缶詰が開く」瞬間です。これらは初潮や破瓜のメタファーだと解釈されることも多いようです。でも、それ以外にも「バランスが崩れる」「缶詰がふくれてはじける」瞬間は、人生の中でたくさんあります。私たちが成長を重ね、他者と巡り会ったとき、なんらかのきっかけで、心の中で閉ざされていた部分が開かれます。それは一見、トラブルのように見えることもしばしばです。ですがその瞬間にこそ、奇跡のような「関わり」が生じ、新しい人格と関係性が生まれ出すのです。こうした体験は、人生の中でたった一度のことではなく、何度も繰り返されていくことなのではないでしょうか。「美女と野獣」で野獣の顔から王子の顔に変わる瞬間や、おやゆび姫が死にそうなツバメを介抱するくだりなどは、「一人では収拾できなくなった状況を、助けてもらう」体験に重なります。内なる弱さや醜さが現れ出ても、それに向き合ってくれる「誰か」が現れたとき、私たちは相手を初めて、「もう一つの自分の生命」として認識し始めるものなのかもしれません。そんなことは怖くてできない、と思われるでしょうか。でも、時々「心の機が熟す」と、そんなことが自然に起こる場合も、少なくないようです。>>次回もお楽しみに(2021年1月25日更新)
2020年12月25日初詣での混雑を避けるため、年内に参拝する「師走詣で」。2020年の干支は子(ねずみ)のため、ねずみにゆかりのある神社をお参りするのも運気アップに効果的だという。京都を中心に年間100件以上の神社ツアーでガイドを務める神社探究家の浜田浩太郎さんに、注目の「子神社」を解説してもらった。■ねずみは縁起のいい生き物?古来より干支のねずみは、五穀豊穣や商売繁盛の神で、多産であることから子孫繁栄を願う縁起のいい生き物です。火事や天変地異が起こる前に、安全なところへ移動する習性から、中国では「未来を知る神獣」としても崇められています。お伽噺「おむすびころりん」にもねずみが登場しますが、働き者のやさしいおじいさんとおばあさんには財宝を与えたことから、お金をもたらす財力の象徴とも言われています。■そもそも、ねずみにゆかりのある神社とは?ねずみにゆかりのある神社は、実は全国的には少ないんですよ。ねずみと関連する神様は、因幡の白兎で有名な大国主命(オオクニヌシノミコト)です。大国主命は須佐之男命(スサノオノミコト)の娘を娶るために、3つの試練を与えられますが、2つの試練をクリアして、「野に放たれた鏑矢をとってくる」という最後の試練に挑んだ時、ねずみが現れ、洞穴に逃げるよう伝えてくれます。さらに、ねずみは鏑矢も探してきてくれたのです。そうした縁から、大国主命の像にねずみがよくみられるようになりました。大国主命をお祭りしている神社として、以下の6カ所をピックアップします。【日光二荒山神社】栃木県日光市二荒山(男体山)を御神体とし、古来より修験道の霊場として崇敬されてきた由緒ある神社。東照宮、輪王寺とともに、境内は「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。二荒山神社の主祭神・大己貴命(オオナムチノミコト)は大国主命の別名。子年の今年は境内に黄金に輝く“開運のねずみ像”が設置されている。【駒繁神社】東京都世田谷区1056年に前九年の役に出征する源頼義・義家父子が、この神社で祭られている「子の神=大国主命」に武運を祈ったとされている。奥州合戦に出征する源頼朝が、先祖の戦勝祈願を思い出し、愛馬(駒)を松に繋いで参拝したところから、駒繁神社と呼ばれるようになった。【気多大社】石川県羽昨市能登半島の付け根、日本海に面して鎮座する北陸の大社。祭神は大己貴命(=大国主命)で、出雲から船で能登に入り、国土を開拓して、守護神としてこの地に鎮まったと伝わる。中世・近世の間は歴代領主から手厚い保護を受けた。国の天然記念物の社叢(鎮守の森)「入らずの森」でも知られている。【大豊神社】京都市左京区平安時代初期に宇多天皇の病気平癒を祈って、藤原淑子が創建したと伝えられている。祭神として祭られている大国主命を守護するように、希少な“狛ねずみ”が2体鎮座している。1体は学問を象徴する巻物を持ち、もう1体は長寿を象徴する水玉を抱えている。【出雲大社】島根県出雲市日本神話などで創建の伝承が語られるほど由緒のある大社。祭神は大国主命。神有月(神無月=10月)には全国から八百万の神が集まり、神議が行われるとされる。縁結びの神・福の神としても名高く人気で、全国から参拝者が訪れる。ここでは多くの神社での作法・二拝二拍手一拝ではなく、二拝四拍手一拝で拝礼する。【大国主神社】大阪市浪速区敷津松之宮とも言われ、地元では「木津の大国さん」とも呼ばれ親しまれている。付近の町名(浪速区大国町)や駅名(大黒町駅)の由来にもなっている。主祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と大国主命。打ち出の小槌と米俵を持った希少な“狛ねずみ”が2体鎮座している。“3密”を避けるためにも、縁起のいい生き物であるねずみの開運パワーにあやかるためにも、「師走詣で」に出かけてみては?
2020年12月21日自民党の今井絵理子参院議員(37)の息子・礼夢(16)が12月7日、プロレスデビューを果たした。各メディアによると、TAMURAこと田村和宏(40)と対戦し、逆エビ固めで敗れた結果となった。だが得意技を決めるなど奮闘し、会場を沸かせたという。生まれつき耳が聞こえない礼夢は、今年3月にろう学校の中等部を卒業。高等部に進む道もあったが、プロレス団体「ヒートアップ」に入門したという。「今回対戦したTAMURAさんは、『ヒートアップ』の代表。礼夢さんの入門当初から指導にあたっている方です。絵理子さんと田村さんが障害者支援から交流を深めたことをきっかけに、プロレスを始めたといいます。礼夢さんは卒業後、本格的にトレーニングを強化。その努力の甲斐あって、厳しいプロテストに合格したのです。田村さんも『聴覚障害があると思えないぐらいコミュニケーション能力がある』と、太鼓判を押していました」(スポーツ紙記者)礼夢の勇姿を、リングサイドで熱心に見守っていたのは母の今井だ。各スポーツ紙によると、今井は会場の隅で涙を浮かべながら応援。試合終了後は、息子の通訳としてマイクを持ちメッセージを届けたという。同日の夜、インスタグラムを更新した今井。息子のデビュー戦を見届けた思いを、《「プロレスラーになりたい」と告げられた日から母として葛藤の日々が続きました》と切り出した。そして、《息子の夢を、、、思いを、、、止めてはいけない。止めちゃいけない。何度も何度も自分に言い聞かせました》と葛藤ぶりを告白。そのうえで、《息子には、まっすぐにできると信じてほしいし、夢を追い続けてほしかった。今日はその夢が一つ叶いました》と喜びをつづった。そんな今井は09年4月に本誌に登場し、愛息の成長について語っていた。当時4歳だった礼夢は、耳が聞こえなくても「SPEED」のパフォーマンスに合わせ楽しそうにリズムを取っていたという。その様子について今井は、「音楽を肌で感じて、心で聞くことができるんですよね」と目を細めていた。生後3日目で息子の耳が聞こえないと知った当初は、悲しさや悔しさで泣き崩れたという今井。しかしスヤスヤと眠る息子の顔を見て、彼女はこう誓ったと明かした。「これは、きっと神様からの私へのギフト。私は、この試練を乗り越えるために生まれてきたんだ、この子とともに生きていけるんだって思いました」それからはコミュニケーション能力を高めるため、相手の唇を読むことで聞いたり話したりする口話法の学習をスタート。他にも今井は「きっと何かを感じ取ってくれるだろう」と信じ、たくさんの子守歌を聞かせ、楽器も購入したという。ろう学校で手話を習い出してからは、いっそう親子の絆は強いものに。日を追うごとに息子の手話は上達し、「楽しかったよ」など感情表現もできるように変化したという。その心境を今井は、「彼の心のなかの気持ちがより理解できるようになったことは、本当に嬉しくて」と笑顔を浮かべていた。強い絆のもと、親子二人三脚の挑戦はこれからも続くーー。
2020年12月08日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」が11月から連載再開! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第7のテーマ「パートナーシップ」と幸福。(前編)をお届けします。■7.「パートナーシップ」と幸福。(前編)「私は結婚できますか」。占いの場で、もっともよく投げかけられる問いです。更に言えば、このバリエーションほんとうに多岐にわたります。「いつ結婚できますか」「あの人と結婚できますか」は当然ながら、最近はそれ以上に、こんな問いかけが目立ちます。「私は結婚に向いていないのですが、結婚すべきなのでしょうか」「私は結婚とは縁がありませんし、諦めていますが、このまま仕事で生きていくだけなのでしょうか」「恋愛をしたいとは思わないのですが、この先、一人なのも寂しい気がします」「結婚や恋愛に全く興味が持てません、これは問題がありますか」これらはみんな、結婚やパートナーシップと「自分」とのあいだに、ある距離を置いた問いかけです。特に「私は結婚に向いていない」「興味が持てない」という問いかけは、意味深です。というのも、もし本当に結婚に向いていなくて興味がないなら、なぜその「占いへの問いかけ」がなされたのでしょうか。もちろん、「周囲から結婚を勧められるが興味が持てない、どうしたらよいか?」という悩みもあるでしょう。でも、この悩みは、決して「周囲を黙らせるにはどうすればよいか」ではないのです。「周囲がこんなに言うのに、自分が結婚に興味を持たないのは、自分が間違っているのだろうか」という悩みになってしまうのです。世の中には生まれつき、恋愛感情を持たない人もいます。また、恋の感情はあっても、傷つくことを恐れて誰も愛そうとしない人もいます。その判断を責めることは、誰にもできません。一方、世の中には「恋愛感情」以外のもので結びついているパートナーシップもたくさんあります。たとえば、子供を持つために結婚する、子供を育てるためにパートナーシップを維持している、という人は、たくさんいます。「恋愛をしていなければ結婚できない」という風潮は、歴史的に見れば、ごく最近のものです。むしろ一昔前は、お見合い結婚が「ふつう」でした。恋愛して結婚をすることは、ちょっと「変わったこと」だったのです。一昔前の「夫婦」は、恋愛感情ではないもので結びつくことが前提でした。それは、信頼や尊敬、そして、生活を営む上での役割分担の了承、さらに「家業」や「家」を運営し継承していくという責任感、現代で言えばビジネスパートナー的な感覚も強かったはずです。自分とぴったり合った人間、一緒にいて限りなく楽しい人間、自分を全面的に肯定し、味方になってくれる人間。決して自分の邪魔をせず、迷惑もかけず、いつでも受け入れてくれる人間。その人の周りの人間関係が自分を傷つけず、経済的にも負担をかけてこない人間、そしてなにより、自分も好意を持てる人間。もしそんな完全な相手がいたなら、ほとんどの人が「一緒に暮らしてみたい」「一人でいるよりずっといい」と思うのではないかと思います。もちろん、現実問題、そううまくはいきません。「好き」と思う気持ちさえ、時間が経てば変わってしまうのが人間です。好きで結婚したはずなのに、いつのまにか長いことパートナーを毛嫌いして生きている人もいるほどです。「恋愛感情」はたいてい、4年程度で消えてしまうものだ、と言われています。「パートナー」という言葉自体が何を表しているのか、それは人によって、千差万別です。「恋愛をして結婚をする」ということと、「人生を共に生きるパートナーを得る」ということは、部分集合的にしか重ならないのではないか、という気がします。結婚という形をとらずにパートナーシップを結ぶ人たちも、最近は増えているようです。また、結婚していても一緒には暮らさない、というカップルもあります。一人で生きることは古来、決しておかしなことでも、めずらしいことでもありません。さらに、「性」は2つだけではない、ということは、昨今常識として浸透しつつあります。こう考えていくと、「パートナーを得る」「パートナーと生きる」ということは、世の中の「結婚」という形式に自分を当てはめていくようなこととは、大きく違うのだと思います。世の中で一般的に言われる「結婚」という枠組みに、むりやり自分を当てはめようとする必要はないはずなのです。親や親族が「結婚しろ」「なぜ早く結婚して子供を持たないのだ」と急かすとき、彼らは「世間的な結婚の枠組み」のイメージしか、抱いていません。でも、その枠組みに自分をムリヤリ押し込むようなことは、おかしな話です。「自分」は、彼らのものではないからです。自分は自分のものだからです。もちろん、社会的責任を思って「結婚」に身を投じる人もいるかもしれません。それは、その人自身の価値観で、尊重されるべきです。ただ、それを他人に強要したり、その価値観が「善」で、他は悪であると主張したりすることは、間違っているはずです。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2020年12月25日更新)
2020年11月25日眞島秀和主演、カワイイものが好きな“おじさん”たちの織り成すコメディ「おじさんはカワイイものがお好き。」の3話が8月27日深夜放送。今週の今井翼演じるケンタに熱い視線が注がれる一方、桐山漣演じる鳴戸にも注目が集まっている。「COMICポラリス」連載中のツトムによる同名漫画をドラマ化した本作は、容姿端麗、仕事もできて人望も厚いが、カワイイものが好きすぎるというヒミツを抱える小路三貴を眞島さんが演じ、小路が同じくカワイイものが大好きな今井さん演じる河合ケンタや、小路に対抗心を燃やすネコが大好きな桐山さん演じる鳴戸渡、藤原大祐演じる少女漫画家志望の甥・仁井真純ら、それぞれに“カワイイ”趣味を持つ男たちと少しずつ心の距離を縮めていく様を描いていく。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。仙台へ出張することになった小路、ケンタ、鳴戸の3人だが、はしゃぐケンタに対し鳴戸はイライラ。小路がとりなそうとするが、一触即発の状態が続く。一方、真純は小路の会社で1日だけアルバイトをすることに。そこで莉央(富田望生)と未来(愛加あゆ)が自分の描いた漫画を「カワイイ!」と話しているのを見て、真純は喜ぶ。その頃仙台では、牛タンを食べ終えた小路とケンタが現地のご当地キャラショップに行こうと計画。ふたりでショップへ向かおうとしたとき、小路の元上司にして元妻の武林(山本未來)と再会。ケンタは2人に気を遣いひとりでショップに向かうが、自分は小路にすべてをさらけ出しているのに、小路の事は何も知らないことに気づく。寂しくなったケンタはネコと戯れていた鳴戸を発見すると、強引にお茶に誘う…というのが今回のストーリー。SNSでは今週もケンタの行動に大きな注目が。鳴戸と上手いこと別行動を取るべく、小路に目線とハンドサインで語りかけてみたり、小路のことを何も知らないと1人で寂しくなってみたり、小路がバツイチなことを知り、失恋したかのようにショックを受けてみたり…そんなケンタに「ケンタくんが小路さんの気持ち分からなくてモヤモヤしたり連絡こなくて寂しくなったり、小路さんの元妻に嫉妬したり可愛い回でした」「ケンタくんは自分の気持ちに正直なのがいいね」など様々な声が殺到。一方、小路とケンタを敵視している鳴戸も、小路とケンタが2人で買い物に出かけたことを知り、ちょっとすねてみたり、ネコカフェで一方通行な愛情表現をしてネコに逃げられてみたりと、そのキャラがどんどん明らかに。そんな鳴戸にも「鳴戸くんの別の顔が見れてよかったよ」「鳴戸さん、いい人っぽい感じなのにやっぱり様子おかしくて笑う」「鳴戸さんが、回を追う毎に愛おしくなっていきますね」と、注目する反応が寄せられている。(笠緒)
2020年08月28日眞島秀和が主演、今井翼、桐山漣、藤原大祐らが共演する“カワイイものが好きなおじさん”たちのコメディ「おじさんはカワイイものがお好き。」の2話が8月20日放送。今回は今井さん演じるケンタの“素顔”にタイムラインが盛り上がっている。渋くて紳士的、容姿端麗、仕事もデキる…のだが「カワイイものが好きすぎる!!」という、見た目とギャップがあり過ぎるヒミツを致命的な機密のように抱えながら生きる主人公の葛藤と同志たちとの交流を描くおじカワコメディドラマ。渋くて紳士的、仕事もデキるイケオジだが、実は「カワイイものが好きすぎる」というヒミツを抱える43歳の小路三貴を眞島さんが、小路が好きなパグ太郎のガチャをまわしているところを目撃し、その後仕事で再会するデザイナーの河合ケンタを今井さんが、小路にライバル心を抱く実はネコ好きの鳴戸渡を桐山さんが、海外から帰国した大学生で、密かに少女漫画家になることを夢見る小路の甥・仁井真純を藤原さんが演じる。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。ケンタが会社に現れ、驚くもケンタとの打ち合わせを円滑に終える小路。ケンタを見送ろうとしている時、小路が落としたガチャの景品「レアパグ太郎」を莉央に拾われてしまう。小路が言葉を失っていると、気を利かせたケンタが自分のものだと名乗り出て、ケンタは小路に喫茶店の名をそっと耳打ちするとレアパグ太郎を持ち去る…。落とした“パグ太郎”には「ポケットから逃げ出した」「なんてやんちゃなんだ」、ケンタに持ち去られると「パグ質」と推しを“擬人化”する小路に「なんてやんちゃなんだパグ太郎www今日も最初から名言出ました」「TLが一瞬にしてパグ質で埋まる」などの反応が。その後、喫茶店で2人は意気投合、LINEを交換するとケンタから早速“カワイイ”スタンプが送られてくる。さらに小路はケンタに誘われファンシーショップへ。途中誤解が生まれたものの、ケンタが小路を自宅に招き自らの推しであるくまのがっこうのドールハウスを見せ、カワイイもの好きな2人の友情は深まっていく。視聴者からは「くまのがっこうを推してる河合さん、めちゃめちゃ可愛い」「河合さん凄すぎる!推しがくまのがっこうとは」「ジャッキーたちのドールハウスいいな」「ドラマの影響で今井翼の好感度爆上がりです」などの声が殺到。しかも1話で小路が予想した通り、ケンタは本当に中目黒のダンサーだったようで、こちらにも「河合さんまじで中目黒のダンサーだった」「河合さんのダンスシーンも見てみたい」といった声も。ケンタの“素顔”にタイムラインが盛り上がりをみせている。(笠緒)
2020年08月21日METAFIVE(高橋幸宏×小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井)がニューシングル『環境と心理』のMVを公開した。METAFIVEは、7月11日に『METAFIVE. STILL ALIVE.』と題したムーヴィング・ロゴの映像を突如発表。その後7月24日に発売されたデジタルシングル『環境と心理』は、iTunesオルタナティブ・チャートで1位を獲得するなど、ファンをはじめとした各所で大絶賛を受けている。今回のMVの監督は、『METAFIVE. STILL ALIVE.』と同じく中村勇吾 (tha ltd.)。開発中のビデオゲーム “HUMANITY”の世界の中でミュージック・ビデオを制作し、数えきれないほどの群衆が織り成す、どこか懐かしい夕暮れの風景が印象的な作品に仕上がっている。『環境と心理』MUSIC VIDEOMETAFIVE(高橋幸宏×小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井)ニューシングル『環境と心理』発売日:7月24日(金)0:00()『METAFIVE. STILL ALIVE.』
2020年08月04日今井翼、桐山漣、藤原大祐が、この夏スタート予定の眞島秀和主演ドラマ「おじさんはカワイイものがお好き。」に出演することが決定した。ダンディで仕事もデキるイケオジ課長・小路三貴のヒミツは、カワイイものが好きすぎること。本作は、そんなヒミツを致命的な機密のように抱えながら生きる、眞島さん演じる小路の葛藤と同志たちとの交流を描くおじカワコメディドラマ。今回出演が明らかになった今井さんが演じるのは、心の底では誰かと一緒に「好き」な気持ちを共有したいと夢見ていた小路が初めてヒミツを共有する相手、デザイナーの河合ケンタだ。ダンサーのようなチャラい出で立ちながら、小路と同じくカワイイもの好き。推しキャラは「くまのがっこう」のジャッキー。推しキャラに愛を注ぐ2人の微笑ましい姿は必見。「見た目に反して、純粋にかわいいキャラクターを愛しているというギャップを持ったケンタを楽しんで演じたい」と意気込む今井さんは、「自分が好きなものを純粋に好きだと言えることの素晴らしさを、皆さんに楽しく感じていただければと思います」とコメントしている。また、社内で人気者の小路に一方的にライバル心を燃やす鳴戸渡役を桐山さん。アメリカ帰りの大学生で小路の家に居候することになる甥・仁井真純役を、昨年俳優デビューしたばかりの藤原大祐が演じる。陰で“ワンレンメガネ”と言われて嫌われているが、実は大の猫好きという一面を隠し持つ営業課長を演じる桐山さんは「小路さん達に仕事場にかわいいものは必要ないと言い続けるが、本人の裏の顔は猫が大好きで猫カフェに通うほど。小路さんをライバル視するあまり嫌味なやつになってしまうところがあるが、孤独で本心は友達がほしかったり猫に好かれたい願望があったりと憎めない可愛いところもあります」と役どころを明かし、「小路さんやケンタと一緒に仕事をすることになり仕事仲間と助け合うことを学んだり、真純と知り合うことがきっかけで友達の素晴らしさを学んだり鳴戸の成長も見られます」と見どころも語っている。「小路さんはカワイイものが好きであることを隠していますが、実は真純も少女漫画が大好きで漫画家を目指していることを隠しています」と話す藤原さんは、「小路さんとの何気ない会話の中で真純は物語の核心を突くような一言をぽろっと口にするので、是非注目して観て頂きたいです」とコメントした。ドラマでは、小路、ケンタ、鳴戸、そして真純らカワイイもの好きな男たちが時にぶつかり、時にすれ違いながらも少しずつ心の距離が近づいていく。プラチナイト 木曜ドラマF「おじさんはカワイイものがお好き。」は夏、毎週木曜日23時59分~読売テレビ・日本テレビ系にて放送予定(※全5話予定)。(cinemacafe.net)
2020年07月01日前回 からのあらすじ(全6回)父親としての自覚を持って家族を支えるつもりだったのに、いつの間にか家に居場所がなくなったゆうすけは…ゆうすけとケンカしたせいで、ルイ起きちゃった…また、寝かしつけは最初からやり直しか…私は、赤ちゃんのお世話で自分がこんなに追い詰められると思ってませんでした…。自分のペースで食事や睡眠が取れないこと、赤ちゃんの命を守るプレッシャーにどんどん不安が膨らんでしまったこと、そして私が追い詰められているのに、ゆうすけは以前と変わってなく、なぜか気持ちがすれ違ってしまうこと…同じような思いをしている人は、たくさんいるようです。さらに、この時期に溝が深まり「夫なんて…いない方がまし」と諦めて、夫婦仲が冷え冷えと冷え切ってしまう夫婦も多いようです。出産後は「産後クライシス」という夫婦の危機が起こりやすい時期であることを知って欲しい…そして、夫婦でなぜすれ違ってしまうかを考えるキッカケになればと思います。 「夫婦の危機」連載 過去記事を見る休日遊びに出かける夫にモヤモヤ…私は24時間休めないのに…/産後クライシス(1)作画: tomekko
2020年05月25日今井翼(38)が4月1日から松竹エンタテインメントに所属することが明らかになった。同社の公式Twitterアカウントでは、あわせてファンクラブも始動することが発表された。多くの期待を背に新たな門出を迎えた。14年にめまいや耳鳴りといった症状を引き起こすメニエール病を発症した今井。休養を経て復帰したものの、18年3月に再発し無期限の活動休止に。同年9月10日には滝沢秀明(38)とのユニット「タッキー&翼」が解散となり、ジャニーズ事務所も退社。治療に専念したのち昨年11月、公式Instagramアカウントを開設し話題を呼んでいた。今井は4月1日、Instagramで《今日正式に松竹エンタテインメントの所属と共にファンクラブを設立したことをご報告致します》と投稿した。新型コロナウイルスの影響下にあることを憂いながらも《ファンクラブやモバイルサイトを通じて 少しでも皆様に日々の楽しみをお届け出来たらと思います》《これまでの沢山の支えにご縁。大切な仲間、家族に感謝して 一歩ずつ歩ませていただきます》と結んでいる。さらに同日、Twitterアカウント「今井翼 STAFF」も開設された。同アカウントでは《今井翼 OFFICIAL FANCLUB “ALA”が誕生いたしました!》というツイートともに今井がファンクラブについて説明する動画をアップ。現在、35.6万もの再生回数を記録している。片岡愛之助(48)や尾上松也(35)らも所属する松竹エンタテインメントで、ついに本格的に活動を再開することとなった今井。ネットではエールが続々と上がっている。《お知らせありがとうございます 新しい門出をお祝いできて嬉しいですFC入ります。お体にはきをつけてご活躍ください》《翼くん、松竹エンターテインメント所属おめでとうございます!!新年度が始まり新たな門出。どこまでも熱くついて行きますよ》《おめでとうございます。こういう時だからこそ、嬉しいニュースで吹き飛ばしていきたいです》
2020年04月02日元タッキー&翼の今井翼が、大阪松竹座2020年10月公演「十月花形歌舞伎『GOEMON 石川五右衛門』」(10月3日~27日)に出演することがこのほど、明らかになった。大阪松竹座2020年10月公演「十月花形歌舞伎『GOEMON 石川五右衛門』」上演決定2011年11月に徳島県の大塚国際美術館「システィーナ歌舞伎」の第三回公演にて初演した『GOEMON 石川五右衛門』。今作では、誰もが知っている稀代の大泥棒・石川五右衛門が、明智光秀の重臣・四王天但馬守の娘とスペインの宣教師の間に生まれた赤毛のハーフで、さらにフラメンコを踊るという奇想天外な設定とスタイリッシュな舞台が話題を呼び、2013年2月、2014年10月に大阪松竹座、そして2016年10月には新橋演舞場と、再演を重ねている。このたび、6年ぶりに大阪松竹座での上演が決定。石川五右衛門を演じるのは、歌舞伎を中心としながら、多彩な分野へのボーダレスな活躍も光る片岡愛之助。そして、五右衛門の父、神父カルデロンと、五右衛門の修行仲間であった霧隠才蔵の二役を今井翼が務める。“和”と“洋”が巧みに織りなす大胆な演出と宙乗りや大立廻り、フラメンコで客席を席巻する。
2020年02月13日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、「石井ゆかりの幸福論」」第6のテーマ、自分の心身に必要なこと、必要とされること(後編)をお届けします。■6.自分の心身に必要なこと、必要とされること。(後編)「幸福」を考えたとき、まず始めに思い浮かぶのは、自分自身の心がほんわか満たされているようなイメージではないでしょうか。では、どんなときにそんな状態になるでしょうか。たとえば、「人のためにがんばって取り組んでいることを、『よくやっているね』『いつもありがとう』など、心から褒められ、感謝されたとき」、あたたかく充実した気持ちになるものではないでしょうか。でも、この喜びを「追求しすぎる」と、たいへんなことになります。たとえば「任務のためにムリやガマンをかさね、過労の果てに体を崩す」ということになってしまいます。どんな喜びも、依存の対象となることがあります。人に褒められる喜び、人に感謝される喜びもそうです。その喜びに依存しすぎると、心身の健康をすり減らしてまで働き、自分をダメにしてしまう結果につながります。「人のため」と「自分のため」のあいだを、私たちはゆらゆらとゆれ動きながら生きています。完全に自分のためだけに生きることも、完全に他人のためだけに生きることも、どちらも不可能です。おそらくそのあいだのどこかで、一番バランスのいいポイントを探して、私たちはあっちに振れ、こっちに振れと、試行錯誤を続けて生きていくのかもしれません。もとい、生まれたばかりのときや介護状態では「完全に人の世話になる」ことがありますし、子どもを育てるときや職場で一大事が起こったときなどは、「完全に自分を捧げる」ような場合もあるかもしれません。そうした極端な状態は、人生の全体を覆うのではなく、人生のひとつのシーンとして体験される場合がほとんどだろうと思います。働きすぎの状態が続き、大きく体調を崩してしばらく休み、生き方をガラッと変えた、という人のエピソードをしばしば見かけます。これはまさに、第6ハウス内での「幸福へのシフト」です。第6ハウスの対岸の12ハウスは「犠牲の部屋」ですが、第6ハウスは「管理の部屋」でもあります。自分が「毎日」をどのように配分して生きるか、ということは、自らある程度以上に管理できることです。もちろん、上記のように人生の局所では、管理や調整が全く不能になることもあるでしょう。ただ、そのあとで、あるいはその前に、「自分の生きる時間をどう配分するか」は、多少は考える余地があることが多いだろうと思います。生きるために働いているのに、その仕事のせいで死にそうになるのは、理不尽です。でも私たちの多くが、その理不尽の落とし穴に、かなり簡単に落ちます。そうならないためには、どうすればいいのか。「人から褒められ、感謝されること」に依存しすぎていないかどうか、確かめねばなりません。「人から叱られないために、嫌われないために行動する」ことも、行きすぎると同じ結果にたどりつきます。第6ハウス的な幸福は、「調整できる幸福」「工夫できる幸福」とも言えます。どの程度相手に与え、どの程度を自分に残しておくか、ということです。「自分のための自分」であることと「人のための自分」であることを両立させることも、幸福のための重要な条件です。働き方や仕事の内容を考えるとき、「何をするか」ではなく「何をしないか」が重要だ、という考え方があります。たとえば「テレビには出ない」と決めているミュージシャンがいます。「これは自分の仕事ではない」「これは自分の責任ではない」というふうに、日々の活動に「一線を引く」ことは、とても大事なことです。これは、第6ハウスのひとつのテーマだと思います。すなわち「何をするか」ではなく、「何をしないか」です。さらに、自分で決めたことが「やっぱり、何か違うぞ」と思えたなら、これを柔軟に変えることも大切です。第6ハウスは「調整の部屋」でもあります。つねに試行錯誤し、他者と調整しながら、お互いのニーズを満たして叶う幸福が、第6ハウスのテーマなのです。*********************~お知らせ~いつもご愛読いただき誠にありがとうございます。2020年2月~10月まで『石井ゆかりの幸福論』をお休みさせていただきます。楽しみにしてくださっていた読者のみなさま大変申し訳ありませんが、連載再開をお待ちください。よろしくお願い申し上げます。*********************プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2020年01月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第6のテーマ、自分の心身に必要なこと、必要とされること(前編)をお届けします。■6.自分の心身に必要なこと、必要とされること。(前編)「タイムスリップもの」のSFがお好きな方も多いでしょう。私も時々、自分が遠い過去の世界に飛ばされたとしたら…、と妄想するのですが、多分、生きていけない気がするのです。ある村にポンと放り出されたとして、そこにいる人々は私に「おまえはどこの誰か」「どこからきたのか」と尋ねるでしょう。運よく誰かに後見してもらえるようなことがなければ、怪しいヤツとして、村からはじき出されます。他の集落に向かっても、同じようなことが起こるでしょう。街に入るには旅券のようなものが要るかもしれません。後見者や旅券は、「縁」です。タイムスリップもののSFで、主人公は飛ばされた先で何かしら、運よく「縁」を手に入れます。運がなければ、縁なきものとして放り出され、餓死するしかないのです。「人間は社会的存在である」という言い方があります。血縁や地縁、身内としての愛情などの結び付きはその最たるものですが、仕事やお金を通して社会につながっている部分もあります。親として子を育てたり、親族の介護をしたりすることも、一つの「社会的結び付き」、つまり社会との「縁」と言えます。自分以外の人に対してなんらかの役割を得るとき、私たちは社会につながって、そこから、生きるための血流を受け取ることができる、というイメージです。社会で「役割」や「つながり」を得れば、その場所で暮らしていけます。それが得られないとき、タイムスリップで放り出されたときのごとく、私たちは路頭に迷います。「人の役に立ちたい」「必要とされたい」「責任を果たしたい」。これらは、多くの人が抱く気持ちです。単なる「願い」ではなく、生きていくための切実な心の叫び、と言ってもいいかもしれません。これらの願いが叶わないとき、私たちは社会との「縁」を失い、路頭に迷って、生きていけなくなるかもしれません。もとい、現代の日本では誰もが、憲法により「健康で文化的な、最低限度の生活」を保証されています。それでも、そうした制度に頼ることを恥じる人が少なくありません。実際「誰からも必要とされず、誰の役にも立っていない」という思いに傷ついて、死を選ぼうとする人さえいます。世の中から必要とされたい。他者の役に立ちたい。こうした思いから、私たちは社会に必要とされるべく(つまり仕事を獲得すべく)、ごく若いうちから勉強し、あるいは心身を鍛える努力を重ねます。「がんばる」ことは、この世界において、とても価値あることと見なされています。ですが、この「必要とされる」「役に立つ」ことを目指し、完遂した先には、何が待っているのでしょうか。ホロスコープで「役割・任務・就労条件」などを象徴するのが第6ハウスです。これは古くは「奴隷の部屋」でした。たとえば「逃亡した奴隷を探してほしい」などの依頼には、第6ハウスの様子を見たわけです。現代的には「就労関係」がここに当てはめられるのが面白いところです。また、「病気」もこの部屋の管轄で、現代的にも「健康状態」を見るときは、6ハウスを用います。「健康管理も仕事のうち」と言いますが、第6ハウスは継続的な労働の状態、ひいては生活のあり方や引き受けている任務の内容、任務のこなし方などを管轄しています。他者から自分に寄せられるニーズに応えることと、自分自身の心身のニーズに応えることは、強く結びついています。自分自身のニーズが満たされていなければ、他人のニーズに応えることができないからです。>>次回もお楽しみに(2020年1月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。公式モバイルサイト「石井ゆかりの星読み」
2019年12月25日星占いの記事やエッセイを執筆しているライター・石井ゆかりさんからのスペシャルメッセージを紹介します。大きく動く“スタート”の瞬間2020年が「ちょっと怖いな」という読者の方へ。こんにちは、石井ゆかりです。2020年という年について、すでにたくさんの方々の記事やコメントが、各所で紹介されています。そうした記事を読んだ方が、「2020年が怖くて仕方がない」とご感想を書かれているのを、某所で目にしました。2020年は山羊座・牡羊座というパワフルな星座に星が集い、年末にグレート・コンジャンクション(木星と土星の大会合)を迎える年でもあります。「星占い」は科学ではない以上、読み手によって様々な解釈があり、どれが正解でどれが間違いということもないのですが、2020年に関してはニュアンスの差こそあれ、「ハデな、大きな動きのある年である」という読み方は、共通しているのではないかと思います。「大きな動きがある」と聞いて、ワクワクする人もいれば、「何か恐ろしい変化が起こるのではないか」「今の平穏や安定した生活が失われるのではないか」と考える人もいます。日頃不安を感じやすい人や、不安定な状況で生活している人、感受性の鋭い、敏感な心の持ち主の人々は、どちらかといえば後者に傾きがちかもしれません。何か大変なことに巻き込まれたらどうしよう、という恐怖で足がすくんでしまう人も、少なくないはずです。ですが2020年の「動き」は、もしかすると、それほど「怖がる」必要はないのかもしれません。なぜなら、2020年にスポットライトが当たっているのは、主に「活動宮」と呼ばれる星座だからです。「活動宮(カーディナル・サイン)」は、自ら何かを始めようとする世界です。能動の世界、主体性の世界、自意識の世界、リーダーシップの世界なのです。ゆえに2020年は「自分から何かを始めたい」と思っている人には、ごく動きやすい年となるでしょう。一方「自分から何かを変えるのはいやだな」「現状維持に徹したい」という人は、「現状維持に徹するぞ!」という主体的な意志を持ち、そのために動いていけば、その目標を自分の手で達成できる年、という解釈もできると思うのです。問題なのは「だれかになんとかしてほしい」「自分では何もしなくても、うまくいくといいな」という姿勢かもしれません。もとい、それでも「だれか」をうまく選んでついていくことができれば、もしかすると、「なんとか」なるかもしれません(!)。年末の「グレート・コンジャンクション」は約20年おきに起こる現象で、前回は2000年、牡牛座での会合となりました。ですから、まずは単純に、1999年から2000年に皆さんに起こったことを思い返してみると、2020年の流れとリンクする部分もあるかもしれません。もちろん、「全く同じことが起こる」わけではありませんが、流れの中にある仕組みや起こる出来事の強度みたいなものが、どこか似ているのではないかと思うのです。ある星の形を「怖い」と感じる人は少なくありません。そういう方には、ぜひ、日記をつけていただきたいと思っています。この「日記」は、毎日のことを細ごま書くのではなく、目立った出来事やイベントがあったら、それをメモしておく、という程度の方が、星を読むには役に立ちます。占いの記事に「来週こんな星の配置があります」と書かれていたら、同じような配置の日を、過去に遡って探し、日記を読んでみます。そうすれば、過去に起こった「事例」を参考にして、「その時期起こりそうなこと」をちょっとは、想像できるのです。私たちはどんなに大変なことでも、人生の中でなんとか対処しています。ですから「自分は、そのことに対処できるだろうな」という心の準備も、多少は整うのです。私自身は、「日記」というほど立派なものではなく、ごく簡単な「年表」を作っています。引っ越しや本のリリース、病気、歯の治療など、自分にとって「これはちょっと大きなイベントだったな」と思えることを、箇条書きにメモしてあるのです。この「年表」をくってみますと、2000年は私にとって、何をかくそう星占いの活動をスタートさせた年でした。まだインターネット黎明期、「筋トレ」というWebサイトを立ち上げて発信を始めたのが、ちょうど2000年の春分の日だったのです。その時は完全に「趣味のサイト」で、まさか20年後にはその活動が仕事の中心になっているとは想像もしませんでした。星占いで言う「コンジャンクション」とは、星と星が空で近づき、スピードの速い星が遅い星を追い越していく現象です(あくまで、地球からそう見える、ということです)。私たちが最も頻繁に経験している「コンジャンクション」は、新月です。太陽と月が地球から見て同じ方向に位置するタイミングを「新月」と呼びます。星占いではこの新月のタイミングを物事の始まり、「スタート」のタイミングと考えます。では、木星と土星の重なりはどう考えられるでしょうか。これも実は、「物事の始まり」と解釈できるのです。私の「筋トレ」のスタートはまさにそのとおりなのですが、この「スタート」の解釈の厄介なところは、「始まりの段階では、その先どんな展開になるか、わからない」という点です。前述の通り私自身、20年前のグレート・コンジャンクションのタイミングでは、いずれアンアンのような有名な媒体に記事を書かせていただけるようになるとは、想像もしていなかったわけです。頼りない話ですが、少なくともあの時の私は、「ここから自分の大きな仕事が始まるな」なんて、占えませんでした(!)。もとい、2000年のグレート・コンジャンクションは牡牛座、2020年のそれは水瓶座で起こります。この星座の違いにも、実は重要な意味があります。この件は他の場所でも多くの方が書いていらっしゃるので、ここでは割愛します。ただ、「始まり」のスケールとしては、前回よりも今回の方が「大きい」イメージです。自分の人生において、何か大それたことを始められるようなタイミングなのです。夢を描いて夢を追い始める人もいれば、ふとしたキッカケでいきなり、夢の中に飛び込んでしまう人もいるでしょう。「人生何があるかわからない」の言葉通り、2020年は何か素敵なことが起こりそうな年だ、と思っていいと私は考えています。ただ、私のWebサイト立ち上げのように、「その先に何が起こるか」は、スタートの段階では、全くわからないかもしれません。そもそも、スタートというものは、そういうものなのではないでしょうか。面白いのは「スタート」の先に展開してゆくことであって、「スタート」の瞬間自体には、大して面白いこともない、ということだって、珍しくないのです。始まりは、「向こうからやってくる」場合もあれば、「こちらから仕掛けてゆく」場合もあります。2020年全体を見渡すと、どちらかといえば「こちらから仕掛けてゆく」スタイルの方が、フィットする感じがあります。これは、要求するのでもなく、ゴリオシするのでもなく、自分から道を選んで自分から歩き出す、というイメージの動きです。2017年の終わり頃から造ってきた道に、ようやく足を踏み出せる、という感じもあります。更に言えば、2020年の後半は、「戦いの時間」でもあります。私は幼い頃は少女マンガを読んで育ったクチなのですが、最近なぜか、少年マンガや青年マンガを読むようになりました。それらを読んでいてしみじみ驚くのが「戦闘シーン」の多さです。とにかく、戦いの場面が長くて多いのです。「ふふふ…そんなもので私に勝てると思うのか」「うおおおお!」どかーん!ばきーん!「なにぃ!」「トドメだ!」みたいなものが延々と繰り返されていくのが、最初は退屈で読み飛ばしていたのですが、今ではだんだん慣れてきました(!)。2020年の後半に強調されている「戦い」はもちろん、少年マンガの戦闘シーンのようなあからさまなものではないだろうと思うのですが、「あきらめないで、勝ち目のなさそうな強い相手に立ち向かっていく」ことには、何かしら意味があるのかもしれない、と考えている今日この頃です。いしい・ゆかりライター。星占いの記事やエッセイを執筆。近著に12星座別『星栞 2020年の星占い』(幻冬舎コミックス)ほか。※『anan』2019年12月25日号より。©Ko Hong-Wei/EyeEm(by anan編集部)
2019年12月21日11月25日、元「タッキー&翼」の今井翼(38)が、片岡愛之助(47)主演の徳島・大塚国際美術館で行われる第10回システィーナ歌舞伎『NOBUNAGA』(20年2月13~16日)で舞台復帰すると発表された。今井は14年にめまいや耳鳴りといった症状を引き起こすメニエール病を発症。一時は回復したものの18年3月に再発し、治療に専念するため無期限で活動を休止していた。だがその沈黙を破るように7日にインスタグラムの公式アカウントを開設し、元気な様子を見せた。各メディアによると片岡が13年に『GOEMON 石川五右衛門』を大阪松竹座で上演した際、観劇に来ていた今井が楽屋を訪問。片岡にとって初対面だったという。その出会いを機に、14年に上演された十月花形歌舞伎『GOEMON』で今井は片岡と初共演を果たした。同作は石川五右衛門がスペインの血を引いていたという設定で、フラメンコも取り入れた斬新な作品。今井は五右衛門の父親・カルデロン神父役を演じ、フラメンコも披露した。また16年にも同作に出演した今井は、前回と同じ役に加えて五右衛門の幼馴染み・霧隠才蔵役も演じ一人二役という大役を果たした。「今井さんは07年に単身でスペインに渡り、本場でもフラメンコの修業を重ねました。『GOEMON』でフラメンコ指導にあたった舞踊家に師事していた縁で、片岡さんの公演を観劇したようです。共演をきっかけに、公私ともに2人の親交は深まっていきました。片岡さんは『情熱といえば今井翼』と称するほど、真面目に稽古に励む今井さんを評価しています。今井さんの役者人生に大きな転機をもたらした同作ゆえに、慕っている片岡さんの舞台で役者復帰が叶ったことは喜びもひとしおでしょう」(舞台関係者)今井は同日にインスタグラムを更新し、舞台への意気込みをこうつづった。《ご報告です。来年システィーナ歌舞伎に出演致します。新たな時間を迎えられることに感謝してしっかり努めさせていただきます。これまでの沢山の支え待って下さった方々皆様に感謝しております。本当にありがとうございます》インスタグラムの開始からわずか19日目で復帰発表した今井。その朗報に声援が続々と寄せられている。《歌舞伎出演、おめでとうございます 皆、待ってました。焦らず、体調管理しつつ、最高の舞台になりますように》《翼くんがまたエンタメの世界で活躍するのを待っていました!おめでとう、ありがとう。本当に良かったです》
2019年11月26日歌舞伎役者の片岡愛之助が25日、徳島県・大塚国際美術館で行われた第十回システィーナ歌舞伎『NOBUNAGA』の製作発表に登場し、同作に今井翼が出演することを明かした。システィーナ歌舞伎は、2009年より「和と洋のコラボレーション」「新作歌舞伎」をコンセプトに、これまで能やオペラ、 神話をモチーフに、ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂の天井画および壁画を陶板で原寸大に立体再現した「システィーナ・ホール」の空間を最大限に生かした画期的な演目を披露してきた。今回の演目は、『時今也桔 梗旗揚』など、歌舞伎の時代物では小田春永として度々登場する織田信長にスポットを当て た物語で、出演は、第三回から8回連続出演となる上方歌舞伎の人気俳優・片岡愛之助、8回目の出演となる中村壱太郎、第一回から連続出演となる上村吉弥、そしてシスティーナ歌舞伎には初出演となる今井翼を迎える。今井はジャニーズ事務所にて、滝沢秀明とともにアイドルデュオ・タッキー&翼として活躍。今井はメニエール病療養のため事務所を退所、滝沢は芸能界を引退し後進の育成業に専念するとして2018年9月に解散した。愛之助は「和と洋のコラボレーションが、システィーナ歌舞伎のコンセプト。このシスティーナ歌舞伎から、大劇場にかかるような芝居が生まれることが、役者にとってもスタッフにとっても嬉しいことです。(2011年11月に上演された第三回)システィーナ歌舞伎『GOEMON 石川五右衛門』が(2013年2月に)大阪松竹座で上演された時、今井翼さんが見にきてくださいました。それがご縁で次の『GOEMON』公演(2014年10月大阪松竹座)にご出演いただきました。以来、公私ともに仲良くしている翼さんが今回、第十回目の節目となる『NOBUNAGA』に出ていただけますこと、大変嬉しく思います」と喜ぶ。また、システィーナ歌舞伎は「システィーナ・ホールの、真中にステージがあるので、四方をみて芝居をしないとならない難しさを感じております。人生で信長を勤めさせていただくとは思っておりませんでしたので驚きましたが、身を引き締めて、この第十回目の公演を勤めたいと思います」と意気込みを語った。同公演は同美術館 システィーナ・ホールにて、2020年2月13日〜2月16日の4日間、午前と午後の各2回計8回公演を予定している。○今井翼 コメントこの度、第十回目となるシスティーナ歌舞伎に出演させていただくことになりました。お蔭様で順調に体調も回復しており、来年2月の公演に向けて、更に万全を期して準備をして参りたいと思っております。片岡愛之助さん、中村壱太郎さん、上村吉弥さんとは、大阪松竹座、東京の新橋演舞場での『GOEMON 石川五右衛門』で共演させていただきましたが、その『GOEMON』は、このシスティーナ歌舞伎で生まれた作品ですので、この度は大変なご縁を感じております。素敵なキャスト、スタッフの皆さんと共に、新しい作品創りに参加させていただけることが、とても光栄で楽しみであると同時に、新たな時間を迎えられることに身の引きしまる思いです。このような機会をいただけることに感謝して、しっかりと努めさせていただきます。
2019年11月25日元「タッキー&翼」の今井翼(38)が11月7日、インスタグラムに公式アカウントを開設した。今井は《元気です!長い間ご心配をおかけしました。走って泳いで踊って身体を整え、旅して英気を養ってます。想いよ届け!》と、トレーニングに励むショットを2枚添えた。フォロワーは18時現在で10万人を越え、ネットでは祝福の声が溢れている。《待ってたー!!!翼くんおかえりなさい!!!元気な姿を見せてくれてありがとう!!!》《翼くんおかえり!!元気そうな姿が見れて一安心です!無理しないでね!》《何度でも見てしまうインスタ。 本当にありがたいと思う》さらに今井がファンと公言している横浜DeNAベイスターズも、インスタグラムの公式アカウントからストーリー機能を使って《おかえりなさい!》と歓迎した。14年にめまいや耳鳴りといった症状を引き起こすメニエール病を発症した今井。一時休養を挟んで活動復帰したものの、18年3月に再発し無期限の活動休止に。同年9月10日には滝沢秀明(37)とのユニット「タッキー&翼」を解散し、ジャニーズ事務所も退社。以降は治療に専念していたという。「今井さんはジャニーズ時代に構成や演出、衣装、振り付けまで自ら手掛けたソロコンサートを行いました。さらに20代前半に単身でスペインへ渡り、フラメンコや語学を学ぶという経験も積みました。帰国後は歌舞伎の舞台でもフラメンコを活かし、映画監督にも自ら『どんな役でもやります』と申し出るほど意欲的でした。体調が快復すれば、オファーはおのずと増えるでしょう」(舞台関係者)そんな今井のインスタグラムのプロフィールには、《踊り 芝居 歌表現に貪欲です》とつづられている。今後の活躍にファンからは期待の声も寄せられている。《活動再開を楽しみにしています》《また、翼くんの情熱に満ちたフラメンコが見たいです!》《役者さんとして色々活動楽しみにしています》
2019年11月07日星占いって好きですか?ロマンティックな感じがして憧れるとか、テレビで見かけたら、ついチェックするという人も多いのでは。でも、自分でも占えたらいいな、と本を読み始めものの、すぐに脳内が疑問符だらけになり閉じてしまった…なんて話を聞くことも。確かに覚えることが多いし、難しいですよね。その気持ちわかります。でも大丈夫!「私には無理…」と諦めかけている方にこそ読んでほしい星占いの本があるんです。■専門用語はほぼなし!易しい星占いそれは石井ゆかりさんの『月で読むあしたの星占い』(すみれ書房)。帯に《石井ゆかりが教える、いちばん易しい星占いのやり方》と書いてあるだけあって、超絶とっつきやすく、サクサク読み進められる1冊です。石井さんいわく「本物の『ジャングル』が本格的な占星術の世界で、『ジャングル・ジム』が本書の星占い」とのことなので、ビギナーさんも心配ご無用。サファリジャケットにブーツの重装備ではなく、Tシャツ&スニーカー姿で思う存分楽しめます。本の後半で少しハウスやホロスコープに触れていますが、そこまでは全くと言っていいほど専門用語は登場しません。易しい、そして優しい表現で毎日の星占いの「やり方」を説いているため、スッと頭に入ってくるんです。■12種類の「〇〇の日」とは?石井さんは「今日の月」が位置する星座で決まる12のテーマに、それぞれ「〇〇の日」という名前をつけました。--------------------------1.スタートの日2.お金の日3.メッセージの日4.家の日5.愛の日6.メンテナンスの日7.人に会う日8.プレゼントの日9.旅の日10.達成の日11.友だちの日12.ひみつの日--------------------------この「12種類の毎日」が2~3日ごとに切り替わりながら進み、1ヶ月でひとめぐりするのです。第1章は、星座別の12種類の「〇〇の日」を手帳やカレンダーに書き写し、「毎日の占い」の基本を作る章。筆者(射手座生まれ)もさっそく手帳に書き込むことにしました。とりあえず10月1日から31日まで記入したのですが、1日は「ひみつの日」。3日には「スタートの日」に移行し、6日は「お金の日」、8日は「メッセージの日」…。全ての「〇〇の日」を書いたら、それぞれについての詳しい解説を熟読します。例えば「スタートの日」は“目新しいことが多い日”で、何かしら変化が起こりやすいのだそう。解説を読んでは手帳をちら見して「この日はこんな日なのね!」とわくわく。「お金の日」とか「愛の日」とか、やっぱり気になっちゃって。■占いとの理想的な付き合い方?とはいえ、夜寝る前などに「“あした”はこういう日かぁ」と手帳を眺めはしたけれど、起こりそうな出来事を意識してスケジュールを立てたり、当日の朝「〇〇の日だから、こうしよう」と考えて行動したりはしませんでした。なのに、後で振り返ってみたら…あっ!と思いあたることが結構あったんです。例を挙げると…--------------------------◎お金の日気前がよくなって散財しやすいそうです。6日は電子レンジを買い替えて勢いづいたのか、気づいたらカルディで、普段は買わないちょっとお高めの冷凍食品を購入していました。◎人に会う日18日。いつもより早めに退社したところ、駅で高校時代の同級生とバッタリ再会。◎達成の日25日。やらなきゃと思いつつ、滞っていた原稿をなんとか仕上げて解放感に浸ることしばし。◎友だちの日27日「友だちの日」は昔からの友人と美術館へ。--------------------------まるで最初からそうと決まっていたかのような出来事が重なり、なんで?とびっくり。「こんな日」ということをなんとなく知っていて、それに該当する事柄に遭遇すると、ちょっと得した気分になりますね。学校の先生が「ここは大事だよ」と言っていたポイントを復習しておいたら、テストに出題された、みたいな。全面的に頼るわけではなく、転ばぬ先の杖として参考にするのって、占いとの理想的な付き合い方ではないでしょうか。■「自分で少し占えるようになる」とは?石井さんは本書の終わりのほうで、過去の日記を見ると、12種類の「〇〇の日」がめぐってきたとき、自分の身にどんなことが起こったのかを確認できると述べています。そのことは、今後を予測する上で大きなヒントになるとも。1ヶ月間、占いを試してみて、それは正にその通りだろうなと納得しました。「自分で少し占えるようになる」とは恐らく、起こっていることの意味を考え、その延長上にある将来の見通しを立てるのが上手になる、ということ。占いに振り回されるのではなく主体的に自分のリアルな日常を見つめ、そこに星占いをそっと添えるのは、とても素敵なことだと思います。占いによって視野を狭めるどころか、自身の物語が豊かな広がりを見せるでしょう。そんな気づきを与えてくれる『月で読むあしたの星占い』。読めば未来が、この先の人生が、今よりも楽しみになるかもしれません。プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年11月02日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第5のテーマ、愛と創造について(前編)をお届けします。■5.愛と創造について。(前編)星占いの「ハウス」に沿ってお題を決めて書いている本稿ですが、今回は「愛と創造」がテーマです。星占いで「第5ハウス」と言えば恋愛のハウス、ということになっています。恋愛は占いの場で、もっともよく話題にのぼるテーマです。多くの人が恋に悩み、愛に傷ついて、占いに手を伸ばします。一般に、人が「占いをしたい」と思うのは、「自分の力ではどうにもならないと思えること」に直面したときだろうと思います。「自分の力ではどうにもならないこと」、その最たるものが恋愛です。意中の相手の心を自分の思い通りにできたら、どんなにいいでしょうか。でも、そうはなりません。そうはならないからこそ、恋愛が素晴らしい、と言うこともできるかもしれません。もし、自分の意思で他人の気持ちを自由自在に変えられるならば、「人から愛される」ことは、そんなに貴重なことだとは思えないはずです。自分の思い通りにはならないはずの「他者の心」が、自分という存在を強く求めてくれる、というところに、愛の神秘、愛の奇跡的な感動が生まれるのだと思います。恋の前では、人はどこまでも無防備です。とても傷つきやすくなりますし、感情は揺れ動き 、ほかのことが手につかないくらい、感情に支配されてしまうこともあります。こうしたとき、「占いをしたい!」という気持ちになるのは、当たり前です。星占いで「恋愛を見てください」と言われたら、まず第5ハウスの状態(とそのルーラー※)を見るはずです(人にもよりますが)。でも、実はほかにもいくつか、見るべきところがあります。まず第7ハウス、次に金星、火星、そして第8ハウスや第11ハウスも見たりします。さらに月と太陽、土星、などと、まあ複合的にどんどん見ていくわけですが、特にこの5・7・8・11の4つのハウスは、それぞれ担当が分かれています。第5ハウスは「与える愛」、第7ハウスは「パートナーシップ、結婚」、第8ハウスは「性愛」、第11ハウスは「受け取る愛」をそれぞれ、検討できる場所なのです。第5ハウスが「愛と創造の部屋」であることが、これで少し、ピンときます。愛は愛でも、第5ハウスの愛は「愛する」愛なのです。自ら生み出す愛、行動する愛、注ぐ愛が、第5ハウスの愛です。「愛するだけが愛でしょうか?愛されるのを望むのは、ワガママなのでしょうか?」と時々、質問されます。「愛されたい」という願いは、本当に多くの人が胸に抱いている、切実な願いです。ワガママ、ということではないと思います。でも、これだけ多くの人が「愛されたい」と思っているならば、裏を返せば「愛することのできる人」こそが求められている存在だとも言えます。愛情深い人、愛することのできる人を、みんなが待ち望んでいるのです。ならば、「愛することができる人」こそが、「必要とされる人」なのではないでしょうか。占いの場で問われるのは、「私はあの人に愛されますか?」「私を愛してくれる人が現れますか?」が圧倒的に多いように思います。とにかく「自分の思い通りにならない・コントロールできない」のは、自分の心ではなく、自分以外の他人の心のほうなので、そういう問いが前に来ます。でも、本当にそうでしょうか。誰かを好きになる、愛する、ということは、どんなに努力しても、なかなか、できることではありません。もとい「頑張って好きになる」「相手のいいところを見つけようとする」ことは、できます。でも、「辛抱してつきあってみたら、相手がいい人だということはわかったし、仲良くもなったけれど、でもどうしても、愛情を持つことができない」というのは、よくあることです。こう考えると、「頑張ってもできない」「コントロールできない」のは、本当は「自ら愛すること」のほうなのかもしれません。何かを好きになること、夢中になること、愛すること。これは、とても大変なことです。※ルーラー:占星術では、12星座それぞれが「王様」のような惑星を持っています。それを支配星という呼び方のほか、ルーラー、守護星とも呼びます。>>次回もお楽しみに(11月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年10月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第4のテーマ「帰るべき場所」と幸福(前編)をお届けします。■4.「帰るべき場所」と幸福。(前編)「家」は、「帰るべき場所」です。私たちは自分の人生において、一体どこを目指しているのだろう、と考えると、この「家」という概念は、ひと味違ったイメージを帯びてきます。たとえば、人間が赤ん坊として生まれ、成長し、一人で世の中に出られるようになろうとし、世に出てなんとか社会的立場を獲得しようとし、多くの場合、自分なりの「成功」を目指して頑張ることになります。受験や就職、結婚や出産、昇進や独立など、人生の各段階において「目指すもの」はどんどん変わっていきます。5年前に目指したものと今目指しているもの、10年後に目指しているものは、たとえ同じ仕事をし、同じ立場にあったとしても、「完全に同じ」ではあり得ないでしょう。私たちは人生の中で、実に様々の細かいゴールを設定し続けます。そのゴールという点を、線で結ぶようにして生きている、と言えるかもしれません。では、そんな人生の物語は、最終的にどこにたどりつくのでしょうか。少なくとも星占いの世界では、それは「家」を扱う場所なのです。このコラムでは、星占いの「12ハウス」という技術を下敷きにして「幸福」について考えていますが、基本的に星占いの技術自体には触れないで稿を進めるつもりでした。「12ハウス」はあくまで、テーマ設定のためのヒントとして使うつもりだったのです。でも、この第4回、つまり「第4ハウス」を下敷きにする回について考えていたとき、どうしても他のハウスに触れたい気持ちになったので、少しその話をします(といっても、星占いの仕組みに全く興味がない・知識がない方でも、お楽しみいただける内容になっている、はずです!)。星占いの「第4ハウス」のテーマは、一般に「家」です。居場所、住処、家族、親、地元、などを司るのが第4ハウスとされています。ただ、第4ハウスにはこのほかに、ちょっと興味深い「担当分野」があるのです。それは、「死」「物事の最終的な結果」「本心」です。「死」は一般には第8ハウス、「結果」は第10ハウス、「本心」は(異論はありそうですが)第12ハウス的なテーマと言えそうです。「隠れた問題」というテーマも第4ハウスに関連づけられることがありますが、これも元々は第12ハウスマターです。つまり第4ハウスは、8、10、12ハウスという3つのハウスを分かち合っているようなところがあるわけです。特に第4ハウスが「死」と関連づけられたのはごく古い時代で、「第8ハウスが示すのは『周囲の人々の死』で、『自分自身の死』は第4ハウスで読む」という説もあります。成功を求め、愛を求め、仲間を求め、やりがいを求めて生きて生き続けた結果、最終的に到達する場所が、「死」です。死ぬ時にどんな気持ちでいるか、本当に欲しいものはなんだったのか、最後の瞬間、幸福でいられるか。第4ハウスが「家」であり「死」であり「最終的な結果」であり「本心」の場所である、ということが、こう考えると、とてもしっくりくるように感じられます。第4ハウスの「家」は、日々帰る場所であると同時に、人生という旅の最終的な「帰着点」でもあるわけです。以下は、以前noteに書いたコラムの一部を改稿したものです。「人生の終わり」が私たちにとってどんな意味を持つのか、ということについての、ある調査のお話です。*******************次の2つのシナリオを比べてみて下さい。“シナリオ1:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、30歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。シナリオ2:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、35歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の30歳までの人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。が、30歳から35歳までの最後の5年間は、そこそこ楽しいが、30歳までほどではなかった。”さて、どちらが「より幸せな人生」でしょうか。この2つのシナリオは、心理学者エド・ディーナーによる実験の素材です。実験の被験者は、上の2つのシナリオを読み、以下の質問に答えました。“「ジェンの人生を全体として見たとき、どのくらい好ましく感じますか?」「ジェンが人生で経験した幸せまたは不幸せの総量はどの程度だと思いますか?」”シナリオ2は、シナリオ1に、「そこそこ楽しい5年間」を足しただけのものです。ゆえに、幸せの「総量」は、2つのシナリオで一致するはずです。ですがなんと、被験者の回答では、シナリオ2のほうで「幸せの総量」が大幅に減らされていたのです(!)。“少しばかり幸せでない5年間を付け加えただけで、まともな人たちがジェンの人生の評価を大幅に下げるとは思っていなかった。だが私はまちがっていた。大半の人が、この5年間のせいでジェンの人生は台無しになった、という直感的な判断を下したのである。-ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(ハヤカワノンフィクション文庫)より”*******************「最後の瞬間に、幸福でいられるかどうか」。このことは、多くの人にとって人生全体の価値を左右する、大問題であるらしいのです。多くのドラマや物語にも、そのことはよく表れています。たとえば前掲書では、オペラの『椿姫』が例に挙げられています。高級娼婦ヴィオレッタと青年貴族のアルフレードは恋に落ちますが、アルフレードの父はヴィオレッタに別れるよう要請し、ヴィオレッタは恋人を思って身を引きます。事情を知らないアルフレードは激怒しますが、最後には事情がわかり、彼女のもとに駆けつけます。ヴィオレッタは病で死の床にありましたが、死の直前に最愛の人に再会が叶ったのでした。この物語は「ハッピーエンド」であり、最後に恋人の腕の中で死んでいけたヴィオレッタの生涯は「幸福だった」と感じる人が多いのだと言います。ヴィオレッタの人生を冷静に客観的に考えると、全体としてはかなり辛いものだったろうと思われるのです。娼婦として不名誉を背負って生きざるを得ない苦労、最愛の人と引き裂かれる苦悩、若くして病に倒れた苦しみなど、あまりいいところがありません。ですが、この物語に触れた人の多くが、最後のただ一瞬の逢瀬によって、彼女の人生の全体が光に照らされ、「彼女は幸福だった」と感じるのです。このオペラの原作小説、小デュマの『椿姫』では、エンディングが大きく異なります。ヒロインの高級娼婦マルグリットと青年貴族アルマンがその仲を引き裂かれるまでは同じですが、アルマンはマルグリットの死に際に間に合わないのです。マルグリットの生きている間には誤解の解けぬまま、二人は死に別れてしまうのです。こちらはまったくの「バッド・エンド」です。死に際の一時間が幸福だったかどうか、それだけで物語全体の印象が大きく変わってしまうのです。これは「物語の印象」だけの問題ではないのかもしれません。私たちの多くが抱く「人生観」と直結しているのかもしれません。すなわち「死に際が幸福な人生こそが、真に幸福な人生と言える」という人生観です。※ヴィオレッタ(オペラ版)=マルグリット(原作小説版)アルフレード(オペラ版)=アルマン(原作小説版)>>次回:4. 「帰るべき場所」と幸福(後編)(9月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年08月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、「石井ゆかりの幸福論」第3のテーマ“「知る」という幸福”の後編をお届けします。~ 3. 「知る」という幸福・後編~■生きるための知、純粋な知的好奇心私たちは社会生活を送り、自分を守るために、多くの知識や情報を必要とします。生活の基本を学び、世の中の仕組みを学び、仕事のやり方を学び、人との関わり方を学んで、私たちはやっと、この世界でなんとか生きられるようになります。これらは、幸福に生きるための「土台」のような学びです。さらにこの競争社会では、多くを知り、人を出し抜くようなアイデアを持つ者が勝利する、ということになっています。なにかを知らなければバカにされ、バカにされないために学ぶ、といった小競り合いがあちこちで起こっています。こうした競争の中で多くの人が疲れ、傷つき、人を信じられなくなって、孤独に陥っているようにも見えます。「学ぶ」ことは、この辺りまで来ると、幸福への道から大きく逸れています。一方で、私たちには「閉じられた箱の中に入っているものを、どうしても見たい」と感じるような「好奇心」が備わっています。「古代文明の謎」「古城の開かずの部屋」「この村の秘密」「徳川埋蔵金」などという言葉に、私たちは敏感に反応します。このときの「知りたい」という思いは、「マウントをとりたい」「ビジネスに役立てたい」などという思いとは関係がありません。純粋な楽しみのための読書、お気に入りの散歩道を歩く時間。その中にあるとき、私たちの魂は誰にも傷つけることのできない状態になっている、と悪魔は言います。そのような状態の魂は、誘惑も脅迫も受け付けないからです。仲野先生(※)は、「世界を知りたいと思うのは、その世界に生まれた自分自身を知りたいということでもあるだろう」とも言われました。自分が生きているとはどういうことか、死んだらどうなるのか、この世界はそもそも、なんなのか。私たちは「自分」について、よく知っているようで、肝心なことを知りません。それはまさに、大いなる謎です。自分自身と直接関係のある謎です。それを「知りたい」という思いを、誰もが心の片隅に抱えているのではないでしょうか。※仲野徹先生(大阪大学)『3. 「知る」という幸福・前編』にも登場誰にも命令も強制もされないのに、ちいさな子供が言葉を覚えるのは、なぜなのでしょうか。2つか3つの子が「これなあに?」「なんで?」ばかり繰り返すのは、なぜなのでしょうか。「ほめられたいから」ではないだろうと思います。「知りたい」という欲求は、私たちの中にもともと、食欲のように強く備わったものであるようです。どんなに食欲旺盛な人でも、お腹がいっぱいのときには、なにも食べたくないのが当然です。情報の大洪水のようなこの世の中で、私たちの「知りたい」という欲求は、お腹いっぱいなのにもっともっと食べさせられようとしているような、危機的な状況にあるのではないか、という気もします。なんでも読まなくちゃ、知らなくちゃ、と焦っているうちに好奇心自体が鈍磨し、摩滅してしまうとしたら、それは怖ろしいことです。最近の私は、悪魔が警戒する「純粋に自分を楽しませるためだけの読書、楽しみのためだけの散歩」を、もっと増やしたい、と思っています。C.S.ルイスの考えた「悪魔の意見」は、この点では、正しいような気がするのです。>>次回もお楽しみに(8月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年07月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第2のテーマ「お金があれば、幸福になれるか?」についてお届けします。2.お金があれば、幸福になれるか?お金と幸福の関係は、もうあらゆるところで語り尽くされていて、今更私がここで何か付け加えることもないようにも思われます。ですが、「幸福」を語る上では、避けて通れないところでもあると思います。お金は、現代社会を生きていく上でどうしても必要なものです。お金がなければ生活できない、食べていけない、ということになります。キリストは「人は、パンのみにて生くるにあらず」と言ったそうです。そうなのです。「パンだけで生きていけるわけではない」のですから、「パンなし」では、やっぱり生きていけないのです。お金があれば幸福になれる、と考える人は少なくありません。お金がないときは特に「お金さえあれば!」と思えます。たくさんお金を持っている人でも「これでは足りない」と思い続けている、という話を聞きます。たとえば、20代の頃よりも30代のほうが給料は多くなったけれども、お金に対する心配はむしろ、強く大きくなった、という人がいます。持っているお金の多寡によらず、お金は「常に何となく足りない」ものなのかもしれません。「お金さえあれば幸せになれる」へのアンチテーゼも、古来、普遍的に語られ続けています。『ヴェニスの商人』や『クリスマス・キャロル』など、お金を持つ人々が決して幸福ではない、というハナシはずっと愛され続けています。サスペンスドラマなどでも、「根深い愛憎ゆえの凶行」と「金目当ての犯行」とは、おそらく同じくらいの割合なのではないでしょうか。他人に殺されるのはたいがい、お金持ちです。あまりハッピーではありません。最近では「ミニマリスト」「こんまりメソッド」など、物質的な条件に縛られないで生きることを模索する人々が増えてきているようにも思われます。生活の豊かさイコール、お金で買えるものをゆたかに持っていること、ではない、という考え方です。たくさんお金を稼いでも、時間が仕事で埋め尽くされて疲れ果て、日々に何の喜びも感じられないなら、それは幸福とは言えないでしょう。最低限の収入で営まれる真の幸福な生活とは何か、を考えるために、小屋に住んだり、できるだけお金を使わない生活を試みたりと、言わば「実験的生活」をしている人のルポルタージュをしばしば、みかけます。こう考えていくと、お金はとても妙なものです。なければ困るし、あっても困るのです。皆が欲しがるものなのに、悪いもののように言われるのです。お金持ちになりたい人がたくさんいる一方で、お金持ちは一般に悪党扱いされるのです。宗教的な考え方では、お金は大抵、悪とされます(で、寄付が求められます)。■お金と、危険と、死と。学校の授業で「お金とは社会を流れる血液のようなものである」と教わったことがあります。社会を生かし、財を動かし、新陳代謝を促すお金と血液の比喩は、さらりと納得できるものでした。しかし、最近別の意味で、この比喩に「なるほど」と思うこともあります。というのも、私たちは誰もが体の中に大量の血液を持っているのに、血液自体を目にすることは「非日常」なのです。いつでもここにあり、指先を温めているのに、それがちょっとでも表に出ると「さあ大変!手当てを!」となります。「血を見る」ことは、ゾッとするような怖いことなのです。昨年、海外でビルの上からお札を撒いた人がいて、ニュースになりました。お金を見ても「ゾッと怖くなる」ことは無いかもしれませんが、たとえば現金がその辺にポンと放り出されていたら、何となく落ち着かなくなります。「はやくしまったほうがいい」と感じるものではないでしょうか。この点でも、お金と血液は、ちょっと似ていると思うのです。私は、ディズニーランドのアトラクションの中で「カリブの海賊」がいちばん好きです。船に乗って眺めてゆく光景の中に、「洞窟の中で、金貨や財宝の山の上に座っているガイコツの海賊」というのがあります。おそらく飢えて死んでしまったのかなと思うのですが、それでも尚、彼は自分の戦利品である宝の山を守り続けています。あの光景は、滑稽でもあり、恐ろしくもあります。彼を見ると、悲しく切ない気持ちになることもあります。限りない満足と果てしない孤独、奪われることへの恐怖など、激しい感情が彼の中に渦巻いたことでしょう。その感情に窒息するかのようにして、彼は死んだのかもしれません。彼は幸福だったのでしょうか。もし「お金があれば幸福になれる」のであれば、彼ほど幸福な人間はいないでしょう。巨万の富の上に座って死んだのですから。そう思って見てみれば、確かに、幸福そうに見えないでもありません。でも、自分も彼のようになりたいかというと、そうは思えません。お金は、使えば消えてしまいます。でも、使わないでおいても、骸骨の守る金貨のように、意味をなさないのです。お金は、考えれば考えるほど、不思議なものです。■お金と、幸福と、「罪悪感」と。東日本大震災の時、普段とは違った光が、お金を照らし出しました。ひとつは「寄付」、もうひとつは「経済を回す」という言葉です。あの時は、多くの人が当たり前のように寄付をしました。海外からも寄付金が集まりました。被害を被った人々への共感、何とか助けたいという思いがそこに詰まっていたのは確かです。その一方で、「申し訳ない」という言葉を口にする人がいました。方や、全てを奪われて苦しんでいる人々がいる。その一方で、特に何も奪われなかった自分がいる。このことに「罪悪感を持った」人がいたのです。そこで、まるで負債を返済するかのような気持ちで、「寄付をした」という人がいました。寄付をすると、罪悪感が軽くなったのだそうです。勿論、被災地の人々は、被災しなかった人に罪悪感を持ってほしいなどと思わなかったはずです。でも、被災しなかった側では、自動的に罪悪感に苛まれた人がいたのです。そこでは、お金は確かに「正しいもの」として扱われていました。「経済を回す」という言葉もまた、多くの人が口にしたフレーズでした。これもまた、被災地ではない地域での言葉でした。大きな災害が起こったけれども、ほぼ普段通りの生活をし、普段通りに仕事をすることに、多くの人が違和感を持ったのです。「苦しんでいる人がたくさんいるのに、私たちは『普段通り』でいいのだろうか」。この問いの中で出てきた答えが、「普段通りに生活し、仕事をするということは、つまり世の中の経済活動をいつも通りに回していくことであり、間接的には被災地の人々の助けにもなるのだ」という考え方でした。「自分の生活・仕事」という狭い経済活動の範囲が、「世の中の経済」という視野へと、一気に拡大したのです。震災時、多くの人が「経済的な視野の広がり」を得たのではないかと私は想像します。お金はここでも「善」そのものでした。私たちは、幸福になろうとするとき、目に見えない他者への負債を抱えるものなのでしょうか。親が子どものためにお金を使うこと、介護のためにお金を使うことは、非難されることはほぼ、ありません。一方、自分のための贅沢は、人からもあれこれ言われますし、自分でも「これは贅沢かな」と罪悪感を抱かされたりします。他者のためにお金を使うことは善で、自分のためにお金を使うのは悪である、という考え方は、どうも「生きているということはそれ自体、なにかに・誰かに借りがある」というような考え方に繋がっているのかもしれません。「感謝」は、この世の中ではとても重要な思いとされています。「感謝を忘れないように生きています」「いちばん好きな言葉は『ありがとう』です」と言う人はたくさんいます。一方で、「ありがとう」が好きではない、という人もいます。お礼や感謝は「負債を精算したいという気持ち」に通じ、よそよそしく失礼な感じがする、というのです。昨年『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という本が話題になりました。強く結びついた人間関係や共同体においては、「感謝の表現」は異質なものになることがあるようです。お金の問題が難しいのは、人が幸福になることや満たされることの土台に「善・悪」という概念が横たわっているからなのでしょうか。多くの人は満たされることを願っているわけですが、そのことが果たして「善いこと」なのかどうか、というところで、立ち止まらざるを得ないのかもしれません。「頑張った自分への御褒美」というフレーズがごく一般的に使われるわけですが、そもそも自分で自由にしてもいいお金であれば、好きに使っていいのです。「頑張った自分」というエクスキューズがどうして必要なのか。ここにもうっすらと、お金にまつわる倫理観のようなものの影が見えるのです。私たちが満たされることは、そんなに悪いことなのか。「過剰に満たされるのは善くない」という考え方もありますが、そこには自分の体や心を害する恐れがあるという意味の「良くない」に留まらないものが含まれています。私は個人的に、「そんなに申し訳ながる必要は、無いのではないか」と思っています。罪悪感というのは、確かに誠実で清らかな、人として正しい感情かもしれません。でも、本当に感じるべき罪悪感と、そうでもないものがあると思います。少なくとも「被災しなかったことへの罪悪感」は、私にはとてもよく理解できる感情なのですが、同時に、とても理不尽な感情でもある、と思えます。それは、被災した人々の苦悩への共感とは、別のものです。私たちはそんなにも、多くを「負って」しまうのか。満たされることに罪悪感を抱き、蕩尽する人々に嫌悪を感じる世の中は、なぜそうなっているのだろうか。幸福とお金の関係を考えると、どうしても私は、その疑問にたどりついてしまうのです。>>次回もお楽しみに(6月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年05月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、3月に行ったTwitterアンケートの結果について、石井さんのコメントをお届けします。■あなたにとって「幸福」とは?第1回目の公開後、ココロニプロロさん のtwitterアカウントで「幸福」についてのアンケートをお願いしました。ご回答くださった皆様、誠にありがとうございました!『#石井ゆかりの幸福論 』連載スタート!あなたは今、幸せですか?もし「いいえ」なら、何が足りないと思いますか?RTもしくはコメントをお寄せください!#ココロニプロロ— cocoloni_PROLO (@cocoloni_portal) 2019年3月25日4000以上のお応えを頂き、半数近くが「幸せです」を選ばれたのには少し驚きました。もっとも、「幸せ」の定義は人によって大きく異なります。また、このアンケートがタイムラインに流れた時間帯や、このアンケートが目に止まる方々が私かココロニプロロのフォロワーの方が大多数であること、また、そもそも「回答するかどうか」の判断がこの手前に含まれているなど、様々なバイアスがあります。『幸せじゃない人は心理的に「押したくもない」ってなりそう@TeteGift0727さん』(※Twitterの引用は全て原文ママ)というご意見もありましたが、たしかにそういう気持ちになる方もあるだろうと思います。ゆえに、これだけでわかることはそれほどないわけなのですが、それでも「幸せ」について様々な関心があり、ご意見がある、ということは、感じられる気がしました。■お金、健康、愛が足りない!コメントの中には「お金や愛などが足りない」との声が多く見られました。確かに、生活が安定していて孤独でない、ということは、幸福の最大の条件だと思います。『幸せではない方に入れました。他人の幸せを羨むのではなく喜ぶような心の余裕がないといくら周りがあの人は幸せそうだと思っても当人は幸せだとは思えなくて。そんな心の余裕は経済的余裕や健康な体があってこそ生まれると思っています。@bisco_mItSUyoさん』お金が欲しい、愛されたい、健康になりたいという望みは決して、利己的なだけのものではないと思います。自分以外の人も幸せになってほしい、でも、それを祈れるようになるには、自分自身の生活の余裕が必要だ、という意見は、納得できます。確かに、世の中には自分のことなど構わず、他人を気遣うことができる人もいます。私自身、そういう人に出会ったことがあります。その人は余命一週間ほどだった病床でも、世話をしに来た家族を気遣って、楽しませようと、冗談を言ったりしていました。ですがその人もまた、他者からの愛の記憶に守られていたのではないかと思います。受け取ったものの大きさ、与えるものの大きさは、客観的に量れるものではありません。人が別の人からどれだけの喜びや庇護を受け取ったのかは、当人にしかわかりません。与えた側さえ、それはわからないものだろうと思います。■自分のものの考え方・思い方『40過ぎてやっとこさ「幸せはなるものじゃなくて気づくもの」って意味が分かってきたような気がします……@Shuto_Kaito_Momさん』『10年ほど前「しあわせになれない理由は私にはなにひとつないのに、自分が自分をそうしたくないんだ」と気づき、長い旅をして、「しあわせ」の定義が変わりました。しあわせって調和なんだ。四方が合っている、wholeであるということ。実は常に成就していることで、ただ認識の問題なんだなって、今は。@atohchieさん』自分だけが幸せではいけないのでは、という思いを持たれる方もいらっしゃいました。『ただ、自分が幸せでもつらい人がいる状況が目に入った時、私だけが幸せではいけないのでは、と思っているフシがどこかあります。@havingfun724さん』「幸せである」と認めることを怖れるような思いを持つ方は、結構いらっしゃるのではないかと思います。「幸せだ」と認めてしまうことが悪いことのような気がしたり、「幸せだ」と認めてしまったらもうそれ以上のものは手に入らないように感じたりする、ということもあるのかもしれません。たとえば、「これでおなかいっぱいです、満腹です」と言ったら、もうおかわりはもらえません。神様のような存在がいるとしたら、「まだまだ、おなかに余裕があります」と言っておきたい気がするわけです。満足することが、向上心を失わせる、と考える人もいます。あくなき努力を続けていくためには「まだまだ足りない」というハングリー精神が必要だという考え方です。こうした考え方を採る人にとっては、「幸福だ」と感じることは害悪となることもあるようです。「自分以外の誰かが幸福だからといって、その人に怒りを感じるのはばかげている、その人が私から何か奪ったわけでもないのに!」。これは、ある小説の中の一節です。この言葉はまるで正しいのですが、これを口にした人物は確かに、身近にいる人の幸福を妬んで、その人を遠ざけようとしていたのでした。この言葉は、自戒、反省の言葉であり、自嘲の言葉でもあったのです。私たちは他者の幸福を羨まずにはいられませんし、特に、自分が傷ついて苦しみや悲しみを抱え、不安に苛まれているときは、そうした思いを抱きがちです。それを知っている人々は、幸福なときでも、「自分が幸福だ」とは言わないようにします。無用の悪意から身を守るためです。「あなたは幸福ですか?」という問いの前で立ち止まり、口を閉ざしたくなるとすれば、それは「他の人々は幸福だろうか?」という問いが心の中に渦巻くからなのかもしれません。■幸福かどうかわからない。幸せになるための条件がわからない、何かが必要な気がするが、それが何かわからない、といったご意見も多かったように思います。『「いいえ」にしました。このところ「幸せ」についてずっと考えていたので思わずリプライしてしまいました。私の場合は幸せになりたいとは思っているものの自分が「どうしたら」や「何があったら」幸せを感じるかがはっきり認識できてないのが原因かなと思ってます。@love_toucanさん』『私は幸せかどうか分からない。何の不自由もなく生活できているのだから幸せなのかもしれないけど、幸せを感じる実感はなくて。分からないのでその他で。@neeze37さん』『恵まれているとは思うけれど、それがイコール幸せではない気がして。@naokosunsky1973さん』『何をしたらいいのか、何をしたいのか、歳をとるだけで先に光が見えない。@kakailuさん』幸せ自体の感じ方が時間によって変わる、というご意見もありました。『幸せだと思っていても後になってみると幸せではなかったと思う事もあるし、幸せじゃないと思っていても後になってみると幸せだった事もあり、「幸せと感じる事」には時間が経てば訂正が入ります!今の感想はあてにならないです。@horeisyouさん』幸せには常に「比較」がつきまといます。他人と自分の比較、過去と現在の比較、過去の2点間での比較などを通して「あの時は今よりは幸せだったな」「今にして思えばアレが幸せだったのかも」などと考えることも確かに、あります。「幸福」ということを、リアルタイムの感情・感覚として捉える方がいる一方で、ある種の価値判断・評価のようなものとして捉える方もいらっしゃるのだと思いました。また「自分は多分、幸福なんだろうと思う」というようなご意見もたくさんありました。これは、「感情や感覚ではよくわからないが、客観的に自分の生活を眺めると、いろいろな条件が調っているなあ」ということなのでしょう。「あたりまえだと思っていた条件を失って初めて、幸福だったのだとわかる」という言説は、ごく一般的なものです。だとすれば、私たちは「幸福」に関して、感情や感覚の上では、かなり鈍感だということなのかもしれません。少なくとも、そう自覚している方が少なくないんだな、という印象を受けました。「幸福ではない」を選んだ方のコメントの中で「お金が足りない」「仕事がない」というご意見がたくさんありました。次回、「幸福論」第2のテーマは、その「お金」についてです。>>次回もお楽しみに(5月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年04月25日ココロニプロロでも、12星座別今週の占いや毎月の占いが大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場!占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。プロローグこんにちは、石井ゆかりです。このたび、ココロニプロロさんから「石井ゆかりの『幸福論』というテーマで、コラムをお願いできませんか」というご依頼を頂きました。何とも大それたテーマで少々気が引けたのですが、私なりに「幸福」というものについて、じっくり考えてみるのもおもしろいかもしれない、と思い、お受けすることにしました。「幸せ」は人によって千差万別で、「これが幸せだ!」などという決定版の幸せの形など、この世には存在しないだろうと思います。ゆえに、この稿はあくまで、私の個人的な経験に基づく「幸福観」でしかないのだろうと思います。多分見苦しい「自分語り」にしかならないかもしれませんが(!)、もし、おつきあい頂ければ嬉しいです。ちなみに、このコラムのスタートにあたり、「キーワードごとに語ってほしい」というご注文がありました。こんな内容です。「植物が成長する過程を、女性の人生が変化するサイクルになぞらえて、それぞれの場面で幸せを求める女性へのメッセージを執筆いただきたいと考えています。具体的には、以下のようなキーワードをイメージしています。・土を耕す ⇒新たなスタート地点に立ったとき、準備期間、自分が何者かわからないとき・種をまく ⇒自分の可能性や希望を見つけたとき・水やり ⇒慈しむ、大事に想う、なにかを育てる状況etc,.」このキーワードを眺めていて、あることを思いつきました。それは、星占いで用いる12の枠組みも、ひとめぐりのサイクルを刻んだものだ、ということです。私は普段、主に星占いの記事を書いていますので、植物の成長よりは、星占いの仕組みに詳しいように思います。そこで、星占いの12ステップの考え方になぞらえて、以下の稿を進めていきたいと思います。この「12の枠組み」「12のステップ」と書きましたのは、星占いに詳しい方はご承知の通り、「ハウス」のシステムです。ハウスは空を区分する12の部屋のことですが、1ハウスから12ハウスまでがひとつのシーケンスとなっています。ひとつながりなのです。以下の稿は、星占いとは直接には関係がありませんが、「幸福」を12ハウスの観点からひとつひとつ、考えてみたいと思います。▼第1回はこちらからお読みいただけますプロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年03月25日ココロニプロロでも、12星座別今週の占いや毎月の占いが大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場!占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。第1回目は、「自分」というものについて掘り下げていきます。1.「自分が自分である」ということ「自分」。これは、本当に難しいテーマです。でも、星占いはとにもかくにも「自分」から始めようとするのです。当たり前のようで、ものすごく難しいことだな、と思います。私たちは生まれた時から「自分」というものを引き受けて生きています。そして、自分と人とを比べたり、戦って勝利したがったり、注目してもらいたがったり、愛されたがったりします。たとえば、友だちが誰かに褒められても、自分が褒められたときほどには嬉しくありません。ごく幼いうちから、自分と他人の区別がついているのです。私自身の話をしますと、私は幼い頃、まわりの子と比べて、かなり肥っていました。そして、髪の毛は天然パーマで、転校生だったため、言葉遣いも周囲と違っていました。これらの属性は私にとって、非常に悲しいものでした。「自分は醜い」という劣等感の塊でしたし、キャラクターも多分、浮いていましたし、先生も私のことは、良く思っていなかったようです。ただ「周囲と違う自分」が当たり前だったおかげで、よくも悪くも「人と違うことをする」のが、あまり怖くありませんでした。でも、世の中には「人と違っていること」を怖れる人がたくさんいます。「幸福は十人十色、10人いれば10種類の幸福がある」と考えると、これは結構辛いことです。「自分の幸福は、人のそれとは違うのだ」ということをまず、前提としなければ、自分の幸福を探し始めることができないからです。とはいえ、単に「自分の幸福と人の幸福は違う」とわかっていても、「自分の幸福」にたどり着くのは大変です。というのも「自分の幸福ではないもの」にぶつかっては試し、試しては振り捨てていく、という作業を重ねていかなければ、「自分の幸福」にたどり着かないからです。私自身、若い頃は本当に、夢をとっかえひっかえしながら七転八倒していました。今にして思えば「なぜ、あんなに向いていないことばかりに憧れて必死に取り組んだのだろう?」と不思議な気持ちにしかならないのですが、なにかが「自分には向いていない」とわかるには、まずそれを試してみて、何度も失敗して、いやーな思いをしたあげく、挫折しなければならないのです(!)。いえ、普通はそこまで行かなくても「これは、ダメだな」とわかるのかもしれませんが、私は往生際の悪いタチで、なかなか、わかりませんでした。転職を繰り返した20代に、それが表れています。自分がどんな人間なのか、自分とは誰なのか。もうすぐ45歳になろうとする私ですが、まだよくわかりません。先日も「アイデンティティ」をテーマに、noteで1万字近くも書いたくらいです。しかし1万字書いても、よくわかりませんでした(!)。ただ、私は上記の通り「人と違ったことをする」のは怖くありませんでしたが、若いときに「他人に好かれたいため」「人に怒られないようにするため」「人の機嫌を取るため」に、色々な行動をするクセがありました。たとえば、プレゼントを贈ったり、人の世話を焼いたりするようなことです。今にして思えば誰にも必要とされていない無駄な努力だったのですが、当時は人の気持ちを引こうとして、必死に健気っぽい努力をしていたのです。アラサーの頃に、そのムダなクセを自覚し、全てやめました。この「実は誰にも喜ばれていない、ムダなクセ」をやめるとき、私は「自分は、もっと自分になろう」と強く思った記憶があります。多分、それまでは「人の好意」というもので「自分を作ろう」としていたのかもしれません。実は、「それ以前」の気持ちをよく覚えていないのです。ただ痛烈に「私は、私自身のために生きたことがないかもしれない」と感じたことを記憶しています。「私は私自身として生きたことがなかったかもしれない」「私は私に『なった』ことがなかったかもしれない」という疑いが黒雲のようにわき起こりました。「ひとのため」にしていたことをやめたとき、長いこと自分を縛っていたものを断ち切るような、強烈な衝撃を内側から感じた記憶があります。喜びとも悲しみとも言えないような、色々な思いが入り交じった衝撃でした。今の私は、他人から見れば「幸福」とは言い難い状況かもしれませんが、かなりワガママに生きている自覚があります。そして、それが一番いい、と思っています。このことは、幸福なんだろうな、と思います。これまでいろんな所に頭をぶつけるような生き方をしてきましたが、頭をぶつけたおかげで、できることやできないこと、痛いところや弱いところなど、「自分」のアウトラインがぼんやりとわかった部分もあったのかな、と思います。>>次回もお楽しみに(4月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年03月25日