○フィクションを認めないシリアで組織的テロを繰り返す「イスラム国」での戦闘参加を目指した北大生(休学中)が、「私戦予備・陰謀の容疑」という聞き慣れない罪状で公安の取り調べを受けました。「交戦権」は国権により行使されるもので、そこらの個人が「宣戦布告」をされても迷惑なので、抑止警告するために用意されている法律です。日本では憲法で「交戦権」を放棄しているので、違和感を訴える有識者もいましたが、世界的には常識的な法律です。騒動は図らずも「日本の非常識」を炙り出しました。さて、その北大生ですが、シリアでの同行取材を目論んでいた、ジャーナリスト常岡浩介氏の取材に「僕は今日本の中で流通しているフィクションというものにすごく嫌な気持ちを抱いていて、向こう(シリア)のフィクションの中に行けばまた違う発見があるのかなと、まあ、それぐらいですね」と動機を語ります。これらの発言から「自分探し」と指摘する声もあり、当初は筆者もそう感じていましたが、取材をすすめるにつれ、考えを改めます。北大生が日本社会への不満を認識できるのは「自分」があるからです。むしろ彼らは「自分」をもっているのです。それが厄介であり、今後も同種の事件発生が危惧されます。○SNSの正体北大生とシリアをつなげたのはSNSです。シリアに渡りをつけたとされる元大学教授はもちろん、東京での住居を提供した人物との接点もSNSです。そしてその「イスラム国」もSNSにより戦闘員を集めています。SNSとは特殊な思想、環境をもった人々の巣窟なのでしょうか。もちろん、違います。SNSのすべてを床一面に並べて上から眺めれば、そこに拡がるのは世界の縮図です。リア充もいればネット民もいて、ガガ様やジャスティン・ビーバーに、有吉弘行、AKB48の神8もいます。ただ、一般的なインターネットと比較したとき、同じ価値観の人が集まりやすい構造になっているがSNSです。生活に不満を持つものらが匿名の「2ちゃんねる」で毒を吐き、Facebookで「良い人自慢」をするように、「イスラム国」に興味を持つものが互いに吸い寄せられます。裏返せば「価値観という自分」を持っていなければ、SNSで同じ趣味の人に出会うことはありません。世界中の多様な価値観と巡り会える空間を「インターネット」とするなら、似た価値観を持つものが集い、狭い空間に引きこもるSNSは「インターネット0.2」といえます。○ベジタブル王子、現る先に「彼ら」としたのは誤植ではありません。シリアの反政府組織で戦闘参加したとカミングアウトした鵜澤佳史氏にも通じます。彼は朝日新聞その他の取材に「極限で戦いたい」と理由を語りました。主体的に「戦闘」を欲する「自分」のために渡航したのです。決して中東の砂になることを求めたわけでもありません。在学中に起業した会社を譲ってまでの計画ながら、参加した戦闘で怪我をすると、安全で医療設備も充実した日本に帰国して治療を受け、そのまま日本に残っているのですから。朝日新聞の記事によれば、鵜澤佳史氏が起業した会社を売却したのは「2012年秋」となっています。ところがその前年"1月25日ベジタブル王子、現る。"としてテレビ朝日の番組で、同局の松尾由美子アナウンサーの取材を受けています。また、放送から10日後の2011年の2月5日には「認定NPO法人 ふるさと回帰支援センター」の「ビジネスプラン・コンペティション」で起業支援対象者に選ばれ、幾ばくかの援助を得ています。その会社を、翌年にはしれっと売り渡したということです。他人の助け、応援を得ながら、あっさりと捨てられるのは「自分」をもっていなければできることではありません。あるいは事業が順調でなかった可能性もあります。だとしても「ひらり」と逃げ出せたのは、「自分」だけを愛している証拠です。○真打ち登場彼「ら」の最後は、いまだ安否不明な湯川遙菜氏です。「民間軍事会社」の経営者としてシリアに渡り、イスラム国に拘束されました。一般的に邦人が「被害者」とされる事件は、その人柄や来歴が報じられるものですが、湯川遙菜氏に限っては、ほとんど触れられていません。それも仕方がないでしょう。彼は「男装の麗人」「東洋のマタハリ」と呼ばれた「川島芳子」の「生まれ変わり」と広言。かつて営んでいた「ミリタリーショップ」の経営に失敗した失望から、自ら自身を切り落とし「正行」という男性名から「遙菜」に改名しています。なんでも「セクハラ」に発展する時節柄、詳報はリスクが高いのです。性別変更とは、これまた強烈な「自分」への執着です。三者三様ながら、みな「自分」を持っています。すると彼らが、シリアを目指した真の理由が浮かび上がってきます。自己顕示欲を満たしてくれない日本社会への復讐。「俺様(自分)」をないがしろにした、というより、大切にしなかった(成功させなかった)日本社会への復讐「リベンジ0.2」です。他人の迷惑を省みない自己顕示欲が、彼らを動かしています。だから、国益を損ねる可能性など考えることなどなく、本人らとみられるSNSに、反省の弁を見つけるのは困難です。あるテレビ番組で「シリア人」が語っていた言葉を、彼らには捧げます。「日本人は、シリアにシリア人を殺しにこないでください」○エンタープライズ1.0への箴言「傲慢な自己顕示欲を優先させて恥じない人が増えている」宮脇 睦(みやわきあつし)プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。最新刊は7月10日に発行された電子書籍「食べログ化する政治~ネット世論と幼児化と山本太郎~」筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」
2014年10月28日○トラブル同梱版恒例行事となった新型「iPhone」発売日の大行列。郊外のソフトバンクショップを回れば、当日発売分を並ばずにゲットできることは珍しくもないというツッコミは野暮でしょう。行列に並ぶことが目的化されているからです。出荷台数は順調に推移し、さっくりと1000万台を越えたとアナウンス。しかし、そのアップルから「0.2」の匂いがしてなりません。中国勢による低価格スマホが、シェアを急拡大しているといった外部要因ではありません。かつての悪夢がデジャブのように浮かんで消えないからです。iPhone6の発売に合わせて発表された「iOS8」が不具合続き。これは「0.2」ではなくいつものアップル。アップルの新製品は「トラブル同梱」というのが、スタンダードだからです。トラブルを嫌うなら、経験則からいって、最低でも3カ月は手を出してはいけません。問題はiPhone6の際立つ特徴が「大きくなった」だけということ。「iPhone6 Plus」に至っては「小ぶりのiPad mini」という声も上がっています。本稿は「新型iPad」の予想発売日の一週間前に執筆しているため、「新型iPad mini」のサイズはわかりませんが、首都圏近郊のスーパー銭湯の露天風呂での若者たちの会話を紹介します。○らしさを捨てたよね「iPhone6買う?」「買わない。でかすぎる」「大画面ならギャラクシー(サムスン)だよね」「そう、大きいとiPhoneらしさがないよね」彼らの主張する「らしさ」の定義はわかりませんが、大画面にはサムスンという先行者がいます。また、同時に発表した「iWatchi」についても同じくサムスンが「GEAR」をすでに発売しています。アップル製品が「トラブル同梱」でも支持されたのは、それを上回る「オリジナリティ」があったからです。「アップルらしさ」とは洗練された筐体と、フレンドリーなOS、なにより他社に類を見ない「オリジナリティ」にありました。これはアップルの創業者故スティーブ・ジョブズも敬愛した全盛期の「ソニー」と重なります。そして、iPhoneに「Plus」が加わったように、増え続けるラインナップが、かつての記憶を呼び起こします。○フランチャイズ展開したアップルiPad、iPad mini、iPhone6 Plus、iPhone6、iPod Touch。Webにアクセスでき、音楽が聴け持ち運びが容易という共通項の商品が5種類(2014年10月10日現在、記憶容量やカラーバリエーションを除く、以下同)。また、祖業である「パソコン」もノートパソコンの「MacBook」が「Air」と「Pro」、デスクトップの「Mac mini」「iMac」「Mac Pro」とこれまた5種類。筐体もコンセプトも異なる商品をこれだけ擁しているのはアップルぐらいです。野放図に増やしたラインナップは、経営の負担となることを、90年代のアップルはすでに経験しています。ちなみにサムスンのGALAXY(ギャラクシー)のフラグシップモデルはS、Note、Tabの3種類だけ。ジョブズを追放したアップルは、しばらくもせず停滞をはじめました。多くのラインナップを抱えながら、そのすべてが独創性に乏しい中途半端な仕上がりになったからです。社内において、開発プロジェクトが乱立していたのです。そこでモトローラやIBMなど、他のパソコンメーカーにOSを提供する「互換機」で、Windows陣営に対抗しようと狙います。しかし、「互換機」とはフランチャイズ展開するようなものでありがたみが薄れます。ましてアップルへの期待は、大将のコダワリが売りの寿司屋のそれです。そしてファンは離れ、くり返し「身売り」が報じられたのが90年代の中ごろ、いまから20年前です。○ジョブズはいない歴史に学ぶなら、いま、もっとも危惧するのは「iOS互換機」の登場です。かつての失策を、Googleの「Android」への対抗策としてチョイスするなら「アップル0.2」どころではありません。復帰したジョブズは、増えすぎたラインナップを整理統合し、互換機政策も撤回し、反転攻勢のきっかけになったオリジナリティ溢れる「MacOS 8.0」を世に出します。奇しくも現在の「iOS」も同じバージョンナンバーですが、今もこれからもアップルに、ジョブズが戻ってくることはありません。つまり、かつての過ちの先に、救世主は待っていません。四半世紀を超えるアップルファンとして、いまの成功を継続し、同じ轍を踏まないように願うばかりです。しかし、iOSを更新すると「U2のアルバムが勝手にダウンロードされる」ことに不安を拭いきれません。U2とアップルの関係は、「iTunes Music Store」を展開するにあたり、ジョブズがボーカルのボノを口説き落としたころからの蜜月関係。アップルファンなら誰もが知るところで、サービスのつもりだったのでしょう。しかし、なにより「自由」を求めたジョブズなら、それが盟友の名盤であっても、音楽を強制するような真似はしなかったことでしょう。ここにも「0.2」の黒い影を見つけます。○エンタープライズ1.0への箴言「「らしさ」を失った先輩はソニー」宮脇 睦(みやわきあつし)プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。最新刊は7月10日に発行された電子書籍「食べログ化する政治~ネット世論と幼児化と山本太郎~」筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」
2014年10月21日○バイラルメディアとはなんだ学ぶという言葉は「真似る」が変化したものといいます。「パクリ」とは似て非なるもの。修行により身につけた技術で、師匠と同じ味を再現するのが「真似る」で、師匠の料理そのものを自分が作ったかのように振る舞うことが「パクリ」です。学識の証明である「卒論」や「博士論文」で「コピペ」が許されない理由です。この夏、パクリを巡りホットな議論がネット界隈でありました。「バイラルメディアはパクリだらけ」と指摘するものです。バイラルメディアのサイト同士が罵り合いをはじめ、ネット周辺の論客らが嘲笑と共に参戦しました。バイラルメディアとは、クチコミによる情報拡散を期待するサイトの総称です。掲載される内容は、ネット上に転がる記事や動画に、刺激的な見出しと解説を加えたもので、「そもそもメディア」かという疑問が残ります。「引用だ」という主張もありますが、元記事を削除しても、趣旨が伝わるなら「引用」ですが、そうでないなら「パクリ」の誹りは免れません。仮に「週刊文春」が「週刊新潮」の記事を、解説を加えたにせよ、趣旨を変えずにそのまま紹介していたら、批判どころか訴訟は避けられません。そしてバイラルにネット業界の超著名人、佐々木俊尚氏が参戦しました。○御大監修でパクリ佐々木俊尚氏といえば、グーグルが既存のビジネスを破壊すると警鐘を鳴らし、キュレーションの時代がやってくると啓蒙するエヴァンジェリスト(伝道師)です。元毎日新聞記者という肩書きも手伝ってか、今世紀初め、日本社会へのWeb布教に大きな役割を果たしました。その佐々木氏が編集長を務めるバイラルメディアで、海外サイトの情報の無断掲載、さらに記事の水増し疑惑が発覚したのです。指摘を受けて、謝罪と釈明をしましたが、釈明はパクリを正当化するとも受けとれ、さらに炎上しました。無名のネット民ならともかく、名があるのはもちろん、著作権で保護された「著作」をもつ佐々木俊尚氏が、無断利用にあたるパクリを批判されるのは致し方ありません。ところがこれを別の角度から「擁護」したのが、関西学院大准教授 鈴木謙介氏です。Web業界を語る有識者の一人とされ、2014年9月29日の読売新聞「Web空間」において、問題の背景を"ネットメディア全体の収益性の低さがある"と指摘するのです。○泥棒擁護のへ理屈佐々木氏が編集長を務めるサイトが、海外の記事をパクッたのは、独自記事を書くために必要な費用を捻出できないからと擁護します。貧乏人は泥棒をしても仕方がないという理屈です。そもそもバイラルメディアが、キャッチーな画像を用意し、刺激的な見出しをつけるのは、訪問者を増やして広告収入を得るためです。つまり「金銭目的」です。鈴木謙介氏は「社会学」の専攻のようですが、ビジネスの仕組みを知らないようです。必要な費用を捻出できないのなら、やめれば良いだけの話し。経営とはそういうものです。また、鈴木氏は同記事を"ネットメディア低収益性の弊害"と題しますが、パクリは弊害ではなく確信犯です。低収益がパクリを誘発するとは、ネットメディアで執筆を続ける私への侮辱です。低収益は事実ですが、引用やリスペクト、インスパイアはしても、あからさまな「パクリ」はしないのが物書きとしての矜持であり、パクリと気づかせない論理構成は「テクニック」のひとつです。バイラルに限らず、Webサービスの最大の課題は収益化=マネタイズです。これに失敗して消えていったサービスは数限りなく、一方で、グーグルやFacebookのように高収益を実現している企業もあります。つまり低収益であるなら、それは経営の失敗という「マネタイズ0.2」に過ぎません。○すでに破綻しているバイラル本稿執筆をはじめた10月初旬。情報整理のためにネットを渉猟すると、2014年9月1日付の日経新聞の記事に既視感を覚えます。それは2014年9月29日の鈴木謙介氏の記事との類似があまりに多いからです。「バイラルメディア」という現象の説明ゆえに、紹介する事例が重なることは不思議ではなく、これをパクリだとはいいませんが、日本におけるバイラルメディアにも通じ、似通った「記事」とは「ありふれた」と訳せ、価値が低いのは自明です。しかし、Web空間にはもっと現実的な事例が落ちていました。ホスティングサービスの会社を上場させた後に会社を手放し、昨年末の都知事選挙に出馬した家入一真氏。その選挙戦はFacebookやTwitterを駆使し、立候補ための供託金もクラウドファンディングで集めるなど、ネット界隈ではまぎれもない有名人の一人です。その彼の携わったバイラルメディアの更新が停止したのは今年の5月です。停止の理由は明らかにされていませんが、低収益が理由なら経営経験者として賢明な判断です。赤字が続くのはもちろん、クオリティを維持できる収益が望めないなら撤退すべきで、違法に走る理由にはなりません。つまり、低収益とパクリに相関関係はなく、サイト運営者の「心根」の違いに過ぎません。自分の希望が実現しないと、すぐに「社会問題化」するのは、Webで名を挙げた有識者にありがちな悪いクセ。鈴木謙介氏はご存じないようなので、かつて日本にあった価値を一筆啓上。"貧しさと卑しさは別物"○エンタープライズ1.0への箴言「パクリはパクリ。収益の低さは言い訳にならない」宮脇 睦(みやわきあつし)プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。最新刊は7月10日に発行された電子書籍「食べログ化する政治~ネット世論と幼児化と山本太郎~」筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」
2014年10月14日