お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が21日、都内で行われた「みんなが選ぶ!!電子コミック大賞2020」授賞式に、モデルの“みちょぱ”こと池田美優とともにゲストとして出席。2020年にヒットしそうなものを聞かれ、「直営業」と予想した。淳は、同イベントにちなんで2020年にヒットしそうなものを聞かれると、「2020年、直営業がヒットしそうな気がする」と所属する吉本興業の闇営業騒動にちなんだワードを挙げ、会場から笑いが。「吉本興業も直営業5万円以下ならOKって言ったので、これはこぞってみんなが直営業を。吉本興業を通さないで吉本のタレントは直で受けられるんですよ」と説明した。そして、池田から「淳さん5万円の仕事やります?」と聞かれると、「やりますよ! 仕事内容にもよりますけど、花束贈呈だったら全然5万円で」と前向き。「“闇営業”はいい言葉になってなかった。本来は“直営業”が正しい言葉。それをきちっとした形で吉本も認めてルールができたので、直営業はヒットするかなと…」と、直営業ブームを予想した。「みんなが選ぶ!!電子コミック大賞2020」は、出版社61社が推薦した“2020年に電子でヒットしそうなコミック”から、一般投票で最も多い作品を決定するコミック賞。3回目となる今年は、男性部門、女性部門に加え、ラノベ部門を新設し、各部門賞2作品ずつを表彰。そして、全部門の中で最も得票数の多かった作品を大賞として表彰する。
2020年01月21日お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳(46)が1月14日、自身のツイッターを更新。10日に芸能活動再開を公表した相方の田村亮(48)とのトークライブ「family」を行うと発表した。淳によると、今月30日午後5時から東京・表参道のWALL&WALLで開催。同所は昨年7月20日に亮と「雨上がり決死隊」宮迫博之(49)が会見を行った“因縁の場所”でもある。「亮さんと宮迫さんは会見を行ったことで上層部の怒りを買い、復帰が遅れてしまったとも言われています。結局、亮さんは淳さんが設立した会社に所属。新会社と吉本との間で専属エージェント契約を結び、復帰にこぎつけました。ただ、亮さんは出演していた番組に今も戻ることができていません。そんななか、“いわくつきの場所”でライブを行うのはインパクト絶大といえるでしょう」(芸能記者)トークライブのみならず、淳は12日に更新したツイッターで「トークライブ後に2人揃って記者会見を開ければと思います」とつづっている。会見の詳細については、まだ発表されていない。「亮さんにとっては復帰の晴れ舞台となりますが、注目されるのは闇営業問題や今回の復帰劇に関してどこまで“際どいネタ”に切り込めるかということ。宮迫さんのことにも触れるのではないかと言われています。その後の会見でも、今後に関する大きな発表があるのではと噂されています」(前出・芸能記者)当日、会場周辺にはかなり多くの報道陣が集まりそうだ。
2020年01月15日闇営業問題で活動自粛中だったロンドンブーツ1号2号の田村亮(47)が吉本興業と専属エージェント契約を結び、近く芸能活動を再開する。1月10日、同社が発表した。復帰にあたって相方の田村淳(46)が「田村亮と吉本興業をつなぐための会社」として、自身を代表取締役とした個人会社「株式会社LONDONBOOTS」を設立。吉本によると、同社と吉本の間で専属エージェント契約を結んだという。「亮さんといえば昨年7月20日、ともに闇営業で処分を受けた雨上がり決死隊・宮迫博之(49)とそろって都内で会見。吉本の上層部を批判するような発言をしていただけに、吉本に戻りたくなかったようで復帰できずにいました。そんな状況を見かねた淳さんが“救いの手”を差し伸べ、吉本との直接契約でない形で復帰させることに成功したのです」(テレビ局関係者)亮の復帰が決まった一方、宮迫は年明けもいっこうに復帰のメドが立っていない。昨年11月には吉本の大先輩にあたる明石家さんま(64)が企画し、都内のホテルで宮迫の激励会が開催された。さんまの個人事務所の“預かり”で宮迫の復帰説が流れたが、さんまはパーソナリティーをつとめるラジオ番組で否定している。「いったん契約解除されてしまったとあって、宮迫さんは亮さん以上に吉本に歩み寄る意志はないようです。さらには昨年に一部週刊誌で、宮迫さんが飲食店で金塊強盗の主犯から金銭を授受していたと報じられました。宮迫さんは否定したのものの、主犯は自著などで事実関係をあいまいにしたまま。そのことも、宮迫復帰の“足かせ”になっているようです」(芸能記者)一部ではYouTuberデビューに向けて準備をしていることが報じられた宮迫だが、どう動くのかが注目される。
2020年01月10日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村亮が吉本興業と専属エージェント契約を今後締結して芸能活動を再開することを受け、相方の田村淳が10日、ツイッターに心境をつづった。吉本興業所属の芸人らによる反社会的勢力との闇営業問題を受け、会合に参加していた亮は昨年7月、雨上がり決死隊・宮迫博之と共に開いた会見で謝罪。活動を自粛する中、淳は「田村亮と吉本興業を繋ぐ為」として新会社「LONDONBOOTS」を設立して復帰への準備を進めるなど、亮を陰ながら支えてきた。淳は、「先ほど、吉本興業から田村亮の活動再開のリリースが発表されました。これで、田村亮の謹慎処分が解除されたことになります」と報告し、「これまでご心配、ご迷惑をかけてしまったファンのみなさん、スタッフのみなさん、関係各所に改めてお詫びします。申し訳ございませんでした」と謝罪。「今後、田村亮は株式会社LONDONBOOTSに所属となり、今後は吉本興業をエージェント会社として芸能活動をしていきたいと考えております」と改めて活動方針を示し、「私もコンビの相方として、田村亮を近くで厳しく見守ってきましたが、しっかりと反省し、その反省をこれからの芸能活動に活かしたいという、田村亮の強い意志を感じましたので、再びコンビとして活動していきたいと思います」と復帰への思いを記した。「これからも田村亮、そしてロンドンブーツ1号2号をよろしくお願い致します」と呼び掛ける淳。「のちほどYouTubeのロンブーチャンネルにて、今後の事をお話ししたいと思います」と告知している。
2020年01月10日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村亮が、吉本興業と専属エージェント契約を今後締結して芸能活動を再開することが10日、吉本興業の発表により明らかになった。吉本興業所属の芸人らによる反社会的勢力との闇営業問題を受け、会合に参加していた亮は昨年7月、雨上がり決死隊・宮迫博之と共に開いた会見で謝罪。活動を自粛する中、相方・田村淳は「田村亮と吉本興業を繋ぐ為」として新会社「LONDONBOOTS」を設立して復帰への準備を進めるなど、亮を陰ながら支えていた。吉本興業は10日、「この度、弊社は、ロンドンブーツ1号2号田村亮について、その所属会社となる株式会社LONDONBOOTSとの間で専属エージェント契約を締結することとなりました」と報告。「田村亮は昨年6月24日より芸能活動を停止しておりましたが、新たにエージェント会社となる弊社との協議を重ね、本日を以て、株式会社LONDONBOOTSの所属タレントとして芸能活動を再開していくこととなりました。弊社はエージェント業務を通じて今後の田村亮の芸能活動をサポートしてまいります」と経緯を説明し、「関係各位、ファンのみなさまには多大なるご迷惑をおかけしましたことを改めてお詫び致します。今後とも、ロンドンブーツ1号2号をよろしくお願い致します」と呼び掛けている。
2020年01月10日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第6のテーマ、自分の心身に必要なこと、必要とされること(前編)をお届けします。■6.自分の心身に必要なこと、必要とされること。(前編)「タイムスリップもの」のSFがお好きな方も多いでしょう。私も時々、自分が遠い過去の世界に飛ばされたとしたら…、と妄想するのですが、多分、生きていけない気がするのです。ある村にポンと放り出されたとして、そこにいる人々は私に「おまえはどこの誰か」「どこからきたのか」と尋ねるでしょう。運よく誰かに後見してもらえるようなことがなければ、怪しいヤツとして、村からはじき出されます。他の集落に向かっても、同じようなことが起こるでしょう。街に入るには旅券のようなものが要るかもしれません。後見者や旅券は、「縁」です。タイムスリップもののSFで、主人公は飛ばされた先で何かしら、運よく「縁」を手に入れます。運がなければ、縁なきものとして放り出され、餓死するしかないのです。「人間は社会的存在である」という言い方があります。血縁や地縁、身内としての愛情などの結び付きはその最たるものですが、仕事やお金を通して社会につながっている部分もあります。親として子を育てたり、親族の介護をしたりすることも、一つの「社会的結び付き」、つまり社会との「縁」と言えます。自分以外の人に対してなんらかの役割を得るとき、私たちは社会につながって、そこから、生きるための血流を受け取ることができる、というイメージです。社会で「役割」や「つながり」を得れば、その場所で暮らしていけます。それが得られないとき、タイムスリップで放り出されたときのごとく、私たちは路頭に迷います。「人の役に立ちたい」「必要とされたい」「責任を果たしたい」。これらは、多くの人が抱く気持ちです。単なる「願い」ではなく、生きていくための切実な心の叫び、と言ってもいいかもしれません。これらの願いが叶わないとき、私たちは社会との「縁」を失い、路頭に迷って、生きていけなくなるかもしれません。もとい、現代の日本では誰もが、憲法により「健康で文化的な、最低限度の生活」を保証されています。それでも、そうした制度に頼ることを恥じる人が少なくありません。実際「誰からも必要とされず、誰の役にも立っていない」という思いに傷ついて、死を選ぼうとする人さえいます。世の中から必要とされたい。他者の役に立ちたい。こうした思いから、私たちは社会に必要とされるべく(つまり仕事を獲得すべく)、ごく若いうちから勉強し、あるいは心身を鍛える努力を重ねます。「がんばる」ことは、この世界において、とても価値あることと見なされています。ですが、この「必要とされる」「役に立つ」ことを目指し、完遂した先には、何が待っているのでしょうか。ホロスコープで「役割・任務・就労条件」などを象徴するのが第6ハウスです。これは古くは「奴隷の部屋」でした。たとえば「逃亡した奴隷を探してほしい」などの依頼には、第6ハウスの様子を見たわけです。現代的には「就労関係」がここに当てはめられるのが面白いところです。また、「病気」もこの部屋の管轄で、現代的にも「健康状態」を見るときは、6ハウスを用います。「健康管理も仕事のうち」と言いますが、第6ハウスは継続的な労働の状態、ひいては生活のあり方や引き受けている任務の内容、任務のこなし方などを管轄しています。他者から自分に寄せられるニーズに応えることと、自分自身の心身のニーズに応えることは、強く結びついています。自分自身のニーズが満たされていなければ、他人のニーズに応えることができないからです。>>次回もお楽しみに(2020年1月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。公式モバイルサイト「石井ゆかりの星読み」
2019年12月25日星占いの記事やエッセイを執筆しているライター・石井ゆかりさんからのスペシャルメッセージを紹介します。大きく動く“スタート”の瞬間2020年が「ちょっと怖いな」という読者の方へ。こんにちは、石井ゆかりです。2020年という年について、すでにたくさんの方々の記事やコメントが、各所で紹介されています。そうした記事を読んだ方が、「2020年が怖くて仕方がない」とご感想を書かれているのを、某所で目にしました。2020年は山羊座・牡羊座というパワフルな星座に星が集い、年末にグレート・コンジャンクション(木星と土星の大会合)を迎える年でもあります。「星占い」は科学ではない以上、読み手によって様々な解釈があり、どれが正解でどれが間違いということもないのですが、2020年に関してはニュアンスの差こそあれ、「ハデな、大きな動きのある年である」という読み方は、共通しているのではないかと思います。「大きな動きがある」と聞いて、ワクワクする人もいれば、「何か恐ろしい変化が起こるのではないか」「今の平穏や安定した生活が失われるのではないか」と考える人もいます。日頃不安を感じやすい人や、不安定な状況で生活している人、感受性の鋭い、敏感な心の持ち主の人々は、どちらかといえば後者に傾きがちかもしれません。何か大変なことに巻き込まれたらどうしよう、という恐怖で足がすくんでしまう人も、少なくないはずです。ですが2020年の「動き」は、もしかすると、それほど「怖がる」必要はないのかもしれません。なぜなら、2020年にスポットライトが当たっているのは、主に「活動宮」と呼ばれる星座だからです。「活動宮(カーディナル・サイン)」は、自ら何かを始めようとする世界です。能動の世界、主体性の世界、自意識の世界、リーダーシップの世界なのです。ゆえに2020年は「自分から何かを始めたい」と思っている人には、ごく動きやすい年となるでしょう。一方「自分から何かを変えるのはいやだな」「現状維持に徹したい」という人は、「現状維持に徹するぞ!」という主体的な意志を持ち、そのために動いていけば、その目標を自分の手で達成できる年、という解釈もできると思うのです。問題なのは「だれかになんとかしてほしい」「自分では何もしなくても、うまくいくといいな」という姿勢かもしれません。もとい、それでも「だれか」をうまく選んでついていくことができれば、もしかすると、「なんとか」なるかもしれません(!)。年末の「グレート・コンジャンクション」は約20年おきに起こる現象で、前回は2000年、牡牛座での会合となりました。ですから、まずは単純に、1999年から2000年に皆さんに起こったことを思い返してみると、2020年の流れとリンクする部分もあるかもしれません。もちろん、「全く同じことが起こる」わけではありませんが、流れの中にある仕組みや起こる出来事の強度みたいなものが、どこか似ているのではないかと思うのです。ある星の形を「怖い」と感じる人は少なくありません。そういう方には、ぜひ、日記をつけていただきたいと思っています。この「日記」は、毎日のことを細ごま書くのではなく、目立った出来事やイベントがあったら、それをメモしておく、という程度の方が、星を読むには役に立ちます。占いの記事に「来週こんな星の配置があります」と書かれていたら、同じような配置の日を、過去に遡って探し、日記を読んでみます。そうすれば、過去に起こった「事例」を参考にして、「その時期起こりそうなこと」をちょっとは、想像できるのです。私たちはどんなに大変なことでも、人生の中でなんとか対処しています。ですから「自分は、そのことに対処できるだろうな」という心の準備も、多少は整うのです。私自身は、「日記」というほど立派なものではなく、ごく簡単な「年表」を作っています。引っ越しや本のリリース、病気、歯の治療など、自分にとって「これはちょっと大きなイベントだったな」と思えることを、箇条書きにメモしてあるのです。この「年表」をくってみますと、2000年は私にとって、何をかくそう星占いの活動をスタートさせた年でした。まだインターネット黎明期、「筋トレ」というWebサイトを立ち上げて発信を始めたのが、ちょうど2000年の春分の日だったのです。その時は完全に「趣味のサイト」で、まさか20年後にはその活動が仕事の中心になっているとは想像もしませんでした。星占いで言う「コンジャンクション」とは、星と星が空で近づき、スピードの速い星が遅い星を追い越していく現象です(あくまで、地球からそう見える、ということです)。私たちが最も頻繁に経験している「コンジャンクション」は、新月です。太陽と月が地球から見て同じ方向に位置するタイミングを「新月」と呼びます。星占いではこの新月のタイミングを物事の始まり、「スタート」のタイミングと考えます。では、木星と土星の重なりはどう考えられるでしょうか。これも実は、「物事の始まり」と解釈できるのです。私の「筋トレ」のスタートはまさにそのとおりなのですが、この「スタート」の解釈の厄介なところは、「始まりの段階では、その先どんな展開になるか、わからない」という点です。前述の通り私自身、20年前のグレート・コンジャンクションのタイミングでは、いずれアンアンのような有名な媒体に記事を書かせていただけるようになるとは、想像もしていなかったわけです。頼りない話ですが、少なくともあの時の私は、「ここから自分の大きな仕事が始まるな」なんて、占えませんでした(!)。もとい、2000年のグレート・コンジャンクションは牡牛座、2020年のそれは水瓶座で起こります。この星座の違いにも、実は重要な意味があります。この件は他の場所でも多くの方が書いていらっしゃるので、ここでは割愛します。ただ、「始まり」のスケールとしては、前回よりも今回の方が「大きい」イメージです。自分の人生において、何か大それたことを始められるようなタイミングなのです。夢を描いて夢を追い始める人もいれば、ふとしたキッカケでいきなり、夢の中に飛び込んでしまう人もいるでしょう。「人生何があるかわからない」の言葉通り、2020年は何か素敵なことが起こりそうな年だ、と思っていいと私は考えています。ただ、私のWebサイト立ち上げのように、「その先に何が起こるか」は、スタートの段階では、全くわからないかもしれません。そもそも、スタートというものは、そういうものなのではないでしょうか。面白いのは「スタート」の先に展開してゆくことであって、「スタート」の瞬間自体には、大して面白いこともない、ということだって、珍しくないのです。始まりは、「向こうからやってくる」場合もあれば、「こちらから仕掛けてゆく」場合もあります。2020年全体を見渡すと、どちらかといえば「こちらから仕掛けてゆく」スタイルの方が、フィットする感じがあります。これは、要求するのでもなく、ゴリオシするのでもなく、自分から道を選んで自分から歩き出す、というイメージの動きです。2017年の終わり頃から造ってきた道に、ようやく足を踏み出せる、という感じもあります。更に言えば、2020年の後半は、「戦いの時間」でもあります。私は幼い頃は少女マンガを読んで育ったクチなのですが、最近なぜか、少年マンガや青年マンガを読むようになりました。それらを読んでいてしみじみ驚くのが「戦闘シーン」の多さです。とにかく、戦いの場面が長くて多いのです。「ふふふ…そんなもので私に勝てると思うのか」「うおおおお!」どかーん!ばきーん!「なにぃ!」「トドメだ!」みたいなものが延々と繰り返されていくのが、最初は退屈で読み飛ばしていたのですが、今ではだんだん慣れてきました(!)。2020年の後半に強調されている「戦い」はもちろん、少年マンガの戦闘シーンのようなあからさまなものではないだろうと思うのですが、「あきらめないで、勝ち目のなさそうな強い相手に立ち向かっていく」ことには、何かしら意味があるのかもしれない、と考えている今日この頃です。いしい・ゆかりライター。星占いの記事やエッセイを執筆。近著に12星座別『星栞 2020年の星占い』(幻冬舎コミックス)ほか。※『anan』2019年12月25日号より。©Ko Hong-Wei/EyeEm(by anan編集部)
2019年12月21日星占いって好きですか?ロマンティックな感じがして憧れるとか、テレビで見かけたら、ついチェックするという人も多いのでは。でも、自分でも占えたらいいな、と本を読み始めものの、すぐに脳内が疑問符だらけになり閉じてしまった…なんて話を聞くことも。確かに覚えることが多いし、難しいですよね。その気持ちわかります。でも大丈夫!「私には無理…」と諦めかけている方にこそ読んでほしい星占いの本があるんです。■専門用語はほぼなし!易しい星占いそれは石井ゆかりさんの『月で読むあしたの星占い』(すみれ書房)。帯に《石井ゆかりが教える、いちばん易しい星占いのやり方》と書いてあるだけあって、超絶とっつきやすく、サクサク読み進められる1冊です。石井さんいわく「本物の『ジャングル』が本格的な占星術の世界で、『ジャングル・ジム』が本書の星占い」とのことなので、ビギナーさんも心配ご無用。サファリジャケットにブーツの重装備ではなく、Tシャツ&スニーカー姿で思う存分楽しめます。本の後半で少しハウスやホロスコープに触れていますが、そこまでは全くと言っていいほど専門用語は登場しません。易しい、そして優しい表現で毎日の星占いの「やり方」を説いているため、スッと頭に入ってくるんです。■12種類の「〇〇の日」とは?石井さんは「今日の月」が位置する星座で決まる12のテーマに、それぞれ「〇〇の日」という名前をつけました。--------------------------1.スタートの日2.お金の日3.メッセージの日4.家の日5.愛の日6.メンテナンスの日7.人に会う日8.プレゼントの日9.旅の日10.達成の日11.友だちの日12.ひみつの日--------------------------この「12種類の毎日」が2~3日ごとに切り替わりながら進み、1ヶ月でひとめぐりするのです。第1章は、星座別の12種類の「〇〇の日」を手帳やカレンダーに書き写し、「毎日の占い」の基本を作る章。筆者(射手座生まれ)もさっそく手帳に書き込むことにしました。とりあえず10月1日から31日まで記入したのですが、1日は「ひみつの日」。3日には「スタートの日」に移行し、6日は「お金の日」、8日は「メッセージの日」…。全ての「〇〇の日」を書いたら、それぞれについての詳しい解説を熟読します。例えば「スタートの日」は“目新しいことが多い日”で、何かしら変化が起こりやすいのだそう。解説を読んでは手帳をちら見して「この日はこんな日なのね!」とわくわく。「お金の日」とか「愛の日」とか、やっぱり気になっちゃって。■占いとの理想的な付き合い方?とはいえ、夜寝る前などに「“あした”はこういう日かぁ」と手帳を眺めはしたけれど、起こりそうな出来事を意識してスケジュールを立てたり、当日の朝「〇〇の日だから、こうしよう」と考えて行動したりはしませんでした。なのに、後で振り返ってみたら…あっ!と思いあたることが結構あったんです。例を挙げると…--------------------------◎お金の日気前がよくなって散財しやすいそうです。6日は電子レンジを買い替えて勢いづいたのか、気づいたらカルディで、普段は買わないちょっとお高めの冷凍食品を購入していました。◎人に会う日18日。いつもより早めに退社したところ、駅で高校時代の同級生とバッタリ再会。◎達成の日25日。やらなきゃと思いつつ、滞っていた原稿をなんとか仕上げて解放感に浸ることしばし。◎友だちの日27日「友だちの日」は昔からの友人と美術館へ。--------------------------まるで最初からそうと決まっていたかのような出来事が重なり、なんで?とびっくり。「こんな日」ということをなんとなく知っていて、それに該当する事柄に遭遇すると、ちょっと得した気分になりますね。学校の先生が「ここは大事だよ」と言っていたポイントを復習しておいたら、テストに出題された、みたいな。全面的に頼るわけではなく、転ばぬ先の杖として参考にするのって、占いとの理想的な付き合い方ではないでしょうか。■「自分で少し占えるようになる」とは?石井さんは本書の終わりのほうで、過去の日記を見ると、12種類の「〇〇の日」がめぐってきたとき、自分の身にどんなことが起こったのかを確認できると述べています。そのことは、今後を予測する上で大きなヒントになるとも。1ヶ月間、占いを試してみて、それは正にその通りだろうなと納得しました。「自分で少し占えるようになる」とは恐らく、起こっていることの意味を考え、その延長上にある将来の見通しを立てるのが上手になる、ということ。占いに振り回されるのではなく主体的に自分のリアルな日常を見つめ、そこに星占いをそっと添えるのは、とても素敵なことだと思います。占いによって視野を狭めるどころか、自身の物語が豊かな広がりを見せるでしょう。そんな気づきを与えてくれる『月で読むあしたの星占い』。読めば未来が、この先の人生が、今よりも楽しみになるかもしれません。プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年11月02日ラグビー日本代表の田村優選手が、10月31日に沖縄セルラースタジアムで開催された「ENEOS侍ジャパンシリーズ2019」日本対カナダの強化試合で、自身初の始球式を行った。大観衆に迎えられた田村は、背番号10の侍ジャパンユニフォームを着て登場。マウンドに上がると、場内の雰囲気を味わいながら肩を回す。投球動作に入り、勢い良く投げたボールは見事ストライク。球場から大きな歓声が上がった。始球式を終え、報道陣の取材に応じた田村は、「(自身の投球は)100点です(笑)。はじめて投げました。今回沖縄で投げることが出来て大変光栄です。僕のおじいちゃんおばあちゃんもいますので、良いところ見せれたかなと思います」とコメント。「プレッシャーあると思いますが、すばらしい舞台だと思うので楽しんで100%でやって欲しいと思います」と侍ジャパンにエールを送り、「目標も僕らより高い位置に設定していると思うので、有言実行で日本に力を与えてくれると思います」と期待を寄せていた。
2019年11月02日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第5のテーマ、愛と創造について(前編)をお届けします。■5.愛と創造について。(前編)星占いの「ハウス」に沿ってお題を決めて書いている本稿ですが、今回は「愛と創造」がテーマです。星占いで「第5ハウス」と言えば恋愛のハウス、ということになっています。恋愛は占いの場で、もっともよく話題にのぼるテーマです。多くの人が恋に悩み、愛に傷ついて、占いに手を伸ばします。一般に、人が「占いをしたい」と思うのは、「自分の力ではどうにもならないと思えること」に直面したときだろうと思います。「自分の力ではどうにもならないこと」、その最たるものが恋愛です。意中の相手の心を自分の思い通りにできたら、どんなにいいでしょうか。でも、そうはなりません。そうはならないからこそ、恋愛が素晴らしい、と言うこともできるかもしれません。もし、自分の意思で他人の気持ちを自由自在に変えられるならば、「人から愛される」ことは、そんなに貴重なことだとは思えないはずです。自分の思い通りにはならないはずの「他者の心」が、自分という存在を強く求めてくれる、というところに、愛の神秘、愛の奇跡的な感動が生まれるのだと思います。恋の前では、人はどこまでも無防備です。とても傷つきやすくなりますし、感情は揺れ動き 、ほかのことが手につかないくらい、感情に支配されてしまうこともあります。こうしたとき、「占いをしたい!」という気持ちになるのは、当たり前です。星占いで「恋愛を見てください」と言われたら、まず第5ハウスの状態(とそのルーラー※)を見るはずです(人にもよりますが)。でも、実はほかにもいくつか、見るべきところがあります。まず第7ハウス、次に金星、火星、そして第8ハウスや第11ハウスも見たりします。さらに月と太陽、土星、などと、まあ複合的にどんどん見ていくわけですが、特にこの5・7・8・11の4つのハウスは、それぞれ担当が分かれています。第5ハウスは「与える愛」、第7ハウスは「パートナーシップ、結婚」、第8ハウスは「性愛」、第11ハウスは「受け取る愛」をそれぞれ、検討できる場所なのです。第5ハウスが「愛と創造の部屋」であることが、これで少し、ピンときます。愛は愛でも、第5ハウスの愛は「愛する」愛なのです。自ら生み出す愛、行動する愛、注ぐ愛が、第5ハウスの愛です。「愛するだけが愛でしょうか?愛されるのを望むのは、ワガママなのでしょうか?」と時々、質問されます。「愛されたい」という願いは、本当に多くの人が胸に抱いている、切実な願いです。ワガママ、ということではないと思います。でも、これだけ多くの人が「愛されたい」と思っているならば、裏を返せば「愛することのできる人」こそが求められている存在だとも言えます。愛情深い人、愛することのできる人を、みんなが待ち望んでいるのです。ならば、「愛することができる人」こそが、「必要とされる人」なのではないでしょうか。占いの場で問われるのは、「私はあの人に愛されますか?」「私を愛してくれる人が現れますか?」が圧倒的に多いように思います。とにかく「自分の思い通りにならない・コントロールできない」のは、自分の心ではなく、自分以外の他人の心のほうなので、そういう問いが前に来ます。でも、本当にそうでしょうか。誰かを好きになる、愛する、ということは、どんなに努力しても、なかなか、できることではありません。もとい「頑張って好きになる」「相手のいいところを見つけようとする」ことは、できます。でも、「辛抱してつきあってみたら、相手がいい人だということはわかったし、仲良くもなったけれど、でもどうしても、愛情を持つことができない」というのは、よくあることです。こう考えると、「頑張ってもできない」「コントロールできない」のは、本当は「自ら愛すること」のほうなのかもしれません。何かを好きになること、夢中になること、愛すること。これは、とても大変なことです。※ルーラー:占星術では、12星座それぞれが「王様」のような惑星を持っています。それを支配星という呼び方のほか、ルーラー、守護星とも呼びます。>>次回もお楽しみに(11月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年10月25日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、19日に放送されたラジオ番組『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』(文化放送/毎週土曜13:00~)にて、自身の写真が仮想通貨の広告に無断で使用された過去を明かした。番組で、フジテレビ系バラエティ番組『あいのり』出身のタレント・桃の写真がアイプチ会社のネット広告に無断使用されているというニュースが紹介されると、淳は「こうやって写真が悪用されるのは嫌ですよね。勝手に載せてね」と言い、「裁判起こしたほうが良いですよ」と指摘した。淳もかつて、ビットコインが安値の時に購入した際、その買取のやり取りをしている証拠写真が勝手にビットコイン系広告に使われたことがあるらしく、「『淳もこれで大儲け』みたいな…」と明かした。そして「それを自分で気づいて、吉本(興業)に『こんなのが出ているよ』って言ったら、『ははは』って」と振り返り、「いや、抗議してくれよ!」と嘆いていた。
2019年10月22日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、12日に放送されたラジオ番組『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』(文化放送/毎週土曜13:00~)にて、過去から今にかけての「女性のタイプ」について語った。番組における企画コーナー「淳の歴史」に寄せられた「淳さんの女性のタイプの歴史を教えてください」というリスナーからのメールに対して、淳は「昔はネコ目が好きだとか、うなじ時代があった」と明かした。しかし、「容姿だけに注目していくんですけど、そういう恋愛ってやっぱり中身が薄いというか…。表面しか好きになっていないのに、その後長く愛せないじゃないですか」と指摘。続けて「そんなときに今の奥さんと知り合って、外見も好きなんだけど、“中身で惚れる”っていうところにようやくたどり着いたんですよ。ようやく本当の恋をしたんだなと思ったんですよ」としながらも、「だけど、あまりにも俺のことを全部受け止めるから、不安になっちゃって1回別れるんですよ。『この人といたら自分がダメになっちゃう』って」と振り返った。しかし、そこから何度か恋愛を繰り返していく中で、「やっぱりあの人だな。俺に合う人は」と気づいた淳は、「本当に自分勝手な考えですけど、もう1回戻ってくれませんか?」と告げて復縁し、結婚まで至ったという。そんな妻の人柄を淳は「一言でいうと菩薩」と形容し、「怒り表現がないから、揉めないんですよ。人に対して寛容」と語った。
2019年10月16日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、5日に放送されたラジオ番組『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』(文化放送/毎週土曜13:00~)にて、大学で進めている「遺書」に関する研究の展望を語った。今年4月から慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の大学院生になった淳。現在、大学院生として「遺書」に関する研究を進めており、「死についていっぱい書籍を読むじゃない。もうなんか、死に向かって俺、動き始めているなって思っちゃうのよ。45歳だけど」と語った。また、9月29日には研究の一環として自身のTwitterにて「大切な人が亡くなったとして…あなたはその方から死後にメッセージが届く事を望みますか?望みませんか?」というアンケートを取ったところ、「いつものアンケートよりも参加する人が多かった」として、9万人超からの回答が得られたことを明かした。続けて淳は「望むが71%、望まないが29%」だったと振り返り、「71%っていう数字を見ると、ますます研究にやる気が出てきますよね」と意欲を見せ、「遺書を書いたことない人に集まってもらって、“初めての遺書”のワークショップみたいなことをやりたい」とも。そして「40代から遺書世代」との持論を明かし、「いつか死ぬわけだから、『死んだ後どうするか』という話をみんなでするのが、当たり前の世の中になっていってほしい」と話していた。
2019年10月09日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、28日に放送されたラジオ番組『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』(文化放送/毎週土曜13:00~)で、体調不良を明かした。淳は「ちょっと声がガラガラなんですけど。申し訳ない」と切り出し、「この1週間、地獄のような日々だったんですよ。37度~38度の間を行ったり来たりで」と語った。そしてこの日の生放送でも熱が下がらず、"冷えピタ"をおでこに貼って放送に臨んでいることも告白した。体調不良にもかかわらず、「池の水抜くの(ロケ)で悪化して。で、喉が弱っているところで自分のビジュアル系バンドのライブがあって、喉が傷ついて弱っているところに入ったんじゃないですか」と分析し、「咽頭炎みたいな診断」と語った。さらにその後、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)の収録があったというが、「まったく声が出ない状況で(笑)。ガサガサ声で仕切るというね。見苦しい『ロンドンハーツ』が1週だけあるんですけど。タイトルコールした瞬間に分かる」と予告していた。
2019年09月30日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、21日に放送されたラジオ番組『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』(文化放送/毎週土曜13:00~14:55)で、台風被害を受けている千葉県勝浦市でイベントを開催することを明かした。毎年、千葉県勝浦市で廃校になった小学校を利用して、大勢の一般客を集めた「大人の運動会」をプライベート企画で実施している淳。今月発生した台風15号が千葉県を中心に大きな被害をもたしたことを受け、淳は「今回はちょっとできないかなと思っていた」と明かした。しかし、地元の人たちから「こういう時だから、集まって力をください」と言われたため、淳は「結局やることにはなった」とし、「なんか力になるようなことはしたい」と語った。淳は自身のツイッターでも、29日に「淳の休日 大人の運動会2019」を勝浦市で開催することを告知。「あの頃を思い出して心から楽しみましょう 今年のスローガン かっこ良く楽しくセクシーに!」とつづっている。
2019年09月24日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第4のテーマ「帰るべき場所」と幸福(前編)をお届けします。■4.「帰るべき場所」と幸福。(前編)「家」は、「帰るべき場所」です。私たちは自分の人生において、一体どこを目指しているのだろう、と考えると、この「家」という概念は、ひと味違ったイメージを帯びてきます。たとえば、人間が赤ん坊として生まれ、成長し、一人で世の中に出られるようになろうとし、世に出てなんとか社会的立場を獲得しようとし、多くの場合、自分なりの「成功」を目指して頑張ることになります。受験や就職、結婚や出産、昇進や独立など、人生の各段階において「目指すもの」はどんどん変わっていきます。5年前に目指したものと今目指しているもの、10年後に目指しているものは、たとえ同じ仕事をし、同じ立場にあったとしても、「完全に同じ」ではあり得ないでしょう。私たちは人生の中で、実に様々の細かいゴールを設定し続けます。そのゴールという点を、線で結ぶようにして生きている、と言えるかもしれません。では、そんな人生の物語は、最終的にどこにたどりつくのでしょうか。少なくとも星占いの世界では、それは「家」を扱う場所なのです。このコラムでは、星占いの「12ハウス」という技術を下敷きにして「幸福」について考えていますが、基本的に星占いの技術自体には触れないで稿を進めるつもりでした。「12ハウス」はあくまで、テーマ設定のためのヒントとして使うつもりだったのです。でも、この第4回、つまり「第4ハウス」を下敷きにする回について考えていたとき、どうしても他のハウスに触れたい気持ちになったので、少しその話をします(といっても、星占いの仕組みに全く興味がない・知識がない方でも、お楽しみいただける内容になっている、はずです!)。星占いの「第4ハウス」のテーマは、一般に「家」です。居場所、住処、家族、親、地元、などを司るのが第4ハウスとされています。ただ、第4ハウスにはこのほかに、ちょっと興味深い「担当分野」があるのです。それは、「死」「物事の最終的な結果」「本心」です。「死」は一般には第8ハウス、「結果」は第10ハウス、「本心」は(異論はありそうですが)第12ハウス的なテーマと言えそうです。「隠れた問題」というテーマも第4ハウスに関連づけられることがありますが、これも元々は第12ハウスマターです。つまり第4ハウスは、8、10、12ハウスという3つのハウスを分かち合っているようなところがあるわけです。特に第4ハウスが「死」と関連づけられたのはごく古い時代で、「第8ハウスが示すのは『周囲の人々の死』で、『自分自身の死』は第4ハウスで読む」という説もあります。成功を求め、愛を求め、仲間を求め、やりがいを求めて生きて生き続けた結果、最終的に到達する場所が、「死」です。死ぬ時にどんな気持ちでいるか、本当に欲しいものはなんだったのか、最後の瞬間、幸福でいられるか。第4ハウスが「家」であり「死」であり「最終的な結果」であり「本心」の場所である、ということが、こう考えると、とてもしっくりくるように感じられます。第4ハウスの「家」は、日々帰る場所であると同時に、人生という旅の最終的な「帰着点」でもあるわけです。以下は、以前noteに書いたコラムの一部を改稿したものです。「人生の終わり」が私たちにとってどんな意味を持つのか、ということについての、ある調査のお話です。*******************次の2つのシナリオを比べてみて下さい。“シナリオ1:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、30歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。シナリオ2:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、35歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の30歳までの人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。が、30歳から35歳までの最後の5年間は、そこそこ楽しいが、30歳までほどではなかった。”さて、どちらが「より幸せな人生」でしょうか。この2つのシナリオは、心理学者エド・ディーナーによる実験の素材です。実験の被験者は、上の2つのシナリオを読み、以下の質問に答えました。“「ジェンの人生を全体として見たとき、どのくらい好ましく感じますか?」「ジェンが人生で経験した幸せまたは不幸せの総量はどの程度だと思いますか?」”シナリオ2は、シナリオ1に、「そこそこ楽しい5年間」を足しただけのものです。ゆえに、幸せの「総量」は、2つのシナリオで一致するはずです。ですがなんと、被験者の回答では、シナリオ2のほうで「幸せの総量」が大幅に減らされていたのです(!)。“少しばかり幸せでない5年間を付け加えただけで、まともな人たちがジェンの人生の評価を大幅に下げるとは思っていなかった。だが私はまちがっていた。大半の人が、この5年間のせいでジェンの人生は台無しになった、という直感的な判断を下したのである。-ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(ハヤカワノンフィクション文庫)より”*******************「最後の瞬間に、幸福でいられるかどうか」。このことは、多くの人にとって人生全体の価値を左右する、大問題であるらしいのです。多くのドラマや物語にも、そのことはよく表れています。たとえば前掲書では、オペラの『椿姫』が例に挙げられています。高級娼婦ヴィオレッタと青年貴族のアルフレードは恋に落ちますが、アルフレードの父はヴィオレッタに別れるよう要請し、ヴィオレッタは恋人を思って身を引きます。事情を知らないアルフレードは激怒しますが、最後には事情がわかり、彼女のもとに駆けつけます。ヴィオレッタは病で死の床にありましたが、死の直前に最愛の人に再会が叶ったのでした。この物語は「ハッピーエンド」であり、最後に恋人の腕の中で死んでいけたヴィオレッタの生涯は「幸福だった」と感じる人が多いのだと言います。ヴィオレッタの人生を冷静に客観的に考えると、全体としてはかなり辛いものだったろうと思われるのです。娼婦として不名誉を背負って生きざるを得ない苦労、最愛の人と引き裂かれる苦悩、若くして病に倒れた苦しみなど、あまりいいところがありません。ですが、この物語に触れた人の多くが、最後のただ一瞬の逢瀬によって、彼女の人生の全体が光に照らされ、「彼女は幸福だった」と感じるのです。このオペラの原作小説、小デュマの『椿姫』では、エンディングが大きく異なります。ヒロインの高級娼婦マルグリットと青年貴族アルマンがその仲を引き裂かれるまでは同じですが、アルマンはマルグリットの死に際に間に合わないのです。マルグリットの生きている間には誤解の解けぬまま、二人は死に別れてしまうのです。こちらはまったくの「バッド・エンド」です。死に際の一時間が幸福だったかどうか、それだけで物語全体の印象が大きく変わってしまうのです。これは「物語の印象」だけの問題ではないのかもしれません。私たちの多くが抱く「人生観」と直結しているのかもしれません。すなわち「死に際が幸福な人生こそが、真に幸福な人生と言える」という人生観です。※ヴィオレッタ(オペラ版)=マルグリット(原作小説版)アルフレード(オペラ版)=アルマン(原作小説版)>>次回:4. 「帰るべき場所」と幸福(後編)(9月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年08月25日記者の直撃に驚きの声を上げたのは、ロンドンブーツ1号2号の田村亮(47)だった。本誌が亮を目撃したのは、謝罪会見から5日後の7月25日。雨上がり決死隊の宮迫博之(49)とともに臨んだ会見では黒いスーツで身を固めていた彼だが、この日はハーフパンツにスニーカーという軽装。しかしその表情は暗く沈んだままだった。“渦中の男”が現れたのは、なんと東京都内にある介護付き高級老人ホーム。「ご家族が入居されているのでしょうか?」などと、問いかける記者に彼がポツリポツリと答えたのは意外な内容だった。「……いろいろお騒がせして申し訳ございません。いや、特に家族の誰かが入居していて、お見舞いに来たということじゃないんです。実は、こちらの施設には僕の“勉強”に協力していただいていて……」――勉強ですか?「はい、老人介護のことを勉強させていただいています。こちらにもご迷惑がかかるので詳しいことは言えないのですが……」反社会的勢力の会合に出席し、ギャラを受け取ったとして、吉本興業から謹慎処分を受けている亮。涙を流しながら謝罪したものの、仕事復帰のめどはまったく見えていない。その彼が選んだのが、“介護士への道”だというのか?この選択について芸能リポーターの城下尊之さんは次のように語る。「大きな過ちを犯してしまった亮ですが、以前は真面目で素直な性格で知られていました。その彼が罪を償うために選んだのが介護の勉強だったのでしょう。とても彼らしい選択のように思います。介護福祉士の資格の取得まで視野に入れているかはわかりませんが、今後は芸人復帰を目指しながら、自らの発信力をつかって、介護の大切さを訴えていくことも考えているのかもしれませんね」宮迫と亮の会見の翌々日には、2人にパワハラ発言を暴露された吉本興業・岡本昭彦社長(53)の会見が急きょ開かれ、さらにその会見に対する批判が巻き起こったりと、騒動は拡大し続けてきた。――いまの亮さんのお気持ちをお聞かせください。「本当に(騒動が)大きくなってしまって申し訳ありません。そのことをいちばん痛感しています」――加藤浩次さん(50)や、たくさんの先輩方が心配してくださっていますよね?「……加藤さんにはずっとお世話になっているのに、ご迷惑をかけて申し訳なく思っています。本当に加藤さん、スミマセン!」加藤の名前を聞いたとたん、涙ぐみ始めた亮。彼は加藤への謝罪の言葉を口にしながら車に乗り込み、その場を立ち去った。
2019年07月30日ロンドンブーツ1号2号の田村淳(45)が7月27日、文化放送のラジオ番組「ロンドンブーツ1号2号田村淳のNewsCLUB」に生出演。吉本興業のお家騒動について語った。公正取引委員会は24日の定例記者会見で吉本興業が芸人と契約書を交わしていないことを問題視したが、淳は5年前から吉本に契約書の作成を主張していたという。さらに2年前からは労働基準監督署に相談したが、取り合ってもらえなかったことを告白。そのうえで「(公取委に)改善命令をもっと強めに行ってもらえたらガガガと動き出すでしょ。僕は公正取引委員会を全面的に支持します」と持論を展開した。いっぽう、吉本では所属芸人たちがギャラの割合についても議論が勃発している。岡本昭彦社長(52)は22日の会見で配分について「会社が『9対1』ではなく、平均で『5対5』か『6対4』」と話していたが、淳「この番組のギャラがどれくらい入って、自分にどれくらい入るのか、割合はここで必ず発表します」と宣言した。「淳さんは山本圭壱さん(51)率いる『軍団山本』の主力メンバー。かつて山本さんがクビになったことや自分の相方・田村亮(47)の闇営業に対する処分などで、吉本に不満を募らせているようです。もともと発言力がある淳さんがギャラ配分を暴露すれば、これまで以上にSNSで追随する芸人が出てきそうです」(芸能記者)淳の発言により、騒動の余波はさらに広がりを見せそうだ。
2019年07月28日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、「石井ゆかりの幸福論」第3のテーマ“「知る」という幸福”の後編をお届けします。~ 3. 「知る」という幸福・後編~■生きるための知、純粋な知的好奇心私たちは社会生活を送り、自分を守るために、多くの知識や情報を必要とします。生活の基本を学び、世の中の仕組みを学び、仕事のやり方を学び、人との関わり方を学んで、私たちはやっと、この世界でなんとか生きられるようになります。これらは、幸福に生きるための「土台」のような学びです。さらにこの競争社会では、多くを知り、人を出し抜くようなアイデアを持つ者が勝利する、ということになっています。なにかを知らなければバカにされ、バカにされないために学ぶ、といった小競り合いがあちこちで起こっています。こうした競争の中で多くの人が疲れ、傷つき、人を信じられなくなって、孤独に陥っているようにも見えます。「学ぶ」ことは、この辺りまで来ると、幸福への道から大きく逸れています。一方で、私たちには「閉じられた箱の中に入っているものを、どうしても見たい」と感じるような「好奇心」が備わっています。「古代文明の謎」「古城の開かずの部屋」「この村の秘密」「徳川埋蔵金」などという言葉に、私たちは敏感に反応します。このときの「知りたい」という思いは、「マウントをとりたい」「ビジネスに役立てたい」などという思いとは関係がありません。純粋な楽しみのための読書、お気に入りの散歩道を歩く時間。その中にあるとき、私たちの魂は誰にも傷つけることのできない状態になっている、と悪魔は言います。そのような状態の魂は、誘惑も脅迫も受け付けないからです。仲野先生(※)は、「世界を知りたいと思うのは、その世界に生まれた自分自身を知りたいということでもあるだろう」とも言われました。自分が生きているとはどういうことか、死んだらどうなるのか、この世界はそもそも、なんなのか。私たちは「自分」について、よく知っているようで、肝心なことを知りません。それはまさに、大いなる謎です。自分自身と直接関係のある謎です。それを「知りたい」という思いを、誰もが心の片隅に抱えているのではないでしょうか。※仲野徹先生(大阪大学)『3. 「知る」という幸福・前編』にも登場誰にも命令も強制もされないのに、ちいさな子供が言葉を覚えるのは、なぜなのでしょうか。2つか3つの子が「これなあに?」「なんで?」ばかり繰り返すのは、なぜなのでしょうか。「ほめられたいから」ではないだろうと思います。「知りたい」という欲求は、私たちの中にもともと、食欲のように強く備わったものであるようです。どんなに食欲旺盛な人でも、お腹がいっぱいのときには、なにも食べたくないのが当然です。情報の大洪水のようなこの世の中で、私たちの「知りたい」という欲求は、お腹いっぱいなのにもっともっと食べさせられようとしているような、危機的な状況にあるのではないか、という気もします。なんでも読まなくちゃ、知らなくちゃ、と焦っているうちに好奇心自体が鈍磨し、摩滅してしまうとしたら、それは怖ろしいことです。最近の私は、悪魔が警戒する「純粋に自分を楽しませるためだけの読書、楽しみのためだけの散歩」を、もっと増やしたい、と思っています。C.S.ルイスの考えた「悪魔の意見」は、この点では、正しいような気がするのです。>>次回もお楽しみに(8月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年07月25日話題を呼んだ宮迫博之(49)と田村亮(47)の記者会見。吉本サイドからの圧を明かすような証言が飛び出し、一夜明けてもまだネットで大きな反響を呼んでいる。6月に「FRIDAY」で詐欺グループの忘年会に参加していたと報じられた2人。会見によると問題発覚後に記者会見を開きたいと吉本側に伝えたところ、「会社としては静観です」と言われたという。そこで田村が再度求めると、同社の岡本昭彦社長は「やってもええけど、全員連帯責任でクビにするからな」と反対。さらに田村は会社主導の会見を求められたと告白。ネット視聴なども可能にしてほしいと要望したところ、「そんなんこっちで決める」「在京在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫やから」と返答されたというのだ。会見内容は、同じ吉本興業に所属する芸人たちの間にも衝撃が走った。松本人志(55)は会見後にTwitterを更新し《後輩芸人達は不安よな。松本 動きます》と投稿。同ツイートは1日たらずで35.5万件のリツイートと158万件の“いいね”を記録。翌日には「ワイドナショー」(フジテレビ系)を生放送し、「吉本興業がこのままでは壊れてしまう」と訴えた。田村の相方であるロンドンブーツ1号2号・田村淳(45)も同日、Twitterを更新。《正直者で真っ直ぐな亮が戻ってきて安心しました》と安堵していた。6月25日には《実はギャラをもらってましたと…亮から聞かされました…ショックでした》と投稿し、「嘘をついて、このままで平気なのか!」と亮に詰め寄ったことを明かしていた。また陣内智則(45)はTwitterで《謝罪会見 色んな感情で全て観ました。二人の偽りのない会見だと思う》《僕たちは笑いが大好きで大好きで お笑いの日本一だと信じた吉本興業に入ったんです》と投稿。NON STYLE・石田明(39)は《あかん、泣けてきた。ヘラヘラとお笑いさせてーな》とツイートした。品川祐(47)は《俺たちは吉本興業という会社に憧れて入ったんじゃなくて、吉本の先輩芸人に憧れて入ってきたんだよなぁ》と明かし、ダイノジ・大谷ノブ彦(47)は《芸人につめたい 事務所になったら ダメやろ》と怒りを滲ませている。会見の余波は、他の事務所の芸人たちのもとにも届いている。北野武(72)は同日、「新・情報7days ニュースキャスター」(TBS系)に生出演。「猿回しと同じで、芸人は猿と一緒。猿が人を噛んだからといって、猿に謝らせてもダメ。飼ってる奴が謝らないと」とコメント。さらに「食えないような事務所の契約がなんだ。家族がいて食えないようにしたのは誰なんだと。だったら雇うなよ。最低保証くらいしろよ」と吉本サイドを厳しく非難した。三村マサカズ(52)は同日、Twitterで《やっぱり笑いはいいなぁ。幸せになれるよ。吉本の芸人たちも頑張ってほしい。。月が変われば流れも変わる》とエール。爆笑問題の太田光(54)も21日、「サンデー・ジャポン」(TBS系)に出演。「大変な衝撃が走った」「相当な覚悟を持って命がけだったと思う」と2人の勇姿を讃えた。多くの反響を呼んだ今回の会見。宮迫のTwitterアカウントには、ファンからのこんな声が届いている。《嘘をついた事は確かに悪い事だと思いますが。しかし、その後の会社とのやりとり、ご自身の思い…色々と辛かったですね。私は、宮迫さんも亮さんも、芸人さんの前に1人の人として普通に応援してます》《人間誰にでもやり直すチャンスは必要だし戻って来るのを待っています》
2019年07月21日雨上がり決死隊の宮迫博之(49)とロンドンブーツ1号2号の田村亮(47)が7月20日、都内で会見を行った。宮迫は反社会的勢力への闇営業問題で7月19日に吉本興業から契約を解消されていたが、田村はまだ吉本に所属している状態だった。2時間半にわたる会見の模様は、インターネットテレビ局AbemaTVなどで生中継。会見で2人は先月に謝罪会見したいとの意向を会社側に伝えたが、“圧力”を受けて実現できなかったことを告白。そして現時点では芸能界引退を考えていないとも表明した。そうした驚きの会見となったが、裏側ではドタバタ劇が繰り広げられていた。「会見は午前中に宮迫がツイッターで発表。その後ひ法律事務所からファクスを送ってもらったのですが、届いていないメディアもあったそうです。また受付開始時間前には会場周辺に報道陣の大行列ができてしまい、警備員が出動。会見場は狭く、集まったメディアが入りきらないほどでした」(会見に出席した記者)それでもなんとか会見はスタート。だがその後も四苦八苦だったという。「午後5時前に司会者が『休憩を挟みます』とアナウンスしたところ、大ブーイング。宮迫さんのジャッジにより、会見を続けることになりました。終了後も2人の窓口を知りたいと報道陣が関係者に聞いていたところ、2人が再登場。まだ窓口は決まっていないことを詫び、宮迫さんは『すいません、手作り会見なんで』と平身低頭でした」(ワイドショー関係者)そこまでしてでも会見したかった宮迫と田村。その思いは、視聴者に伝わったようだ。ネット上では《よく言った》《歴史に残る会見》など、応援の声が上がっている。
2019年07月21日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、20日に自身のツイッターを更新し、相方・田村亮が同日に都内で開いた謝罪会見についてコメントした。宮迫と亮は20日、都内で開いた会見で一連の闇営業騒動を謝罪。一方で、吉本興業から会見を阻止されるなど、圧力があったことを告発した。淳は『会見』と題し、「正直者で真っ直ぐな亮が戻ってきて安心しました」とつづった。6月25日には、淳は「『報告』コンビの相方である田村亮が謹慎することになりました」と記し、書面をアップ。書面では「実はギャラをもらってましたと…亮から聞かされました…ショックでした…」と吐露し、「知らなかったとは言え、詐欺集団のパーテイーに出て、被害者から騙し取ったお金で支払われたギャラを受け取っておきながら、返金もせず嘘をついて、このままで平気なのか!おまえを軽蔑する!世間の皆様、所属事務所、番組のスタッフにも正直に全てを話すべきだ!怒りに任せて言いました」と明かしていた。また、同日20日に放送された文化放送『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』(毎週土曜 13:00~)では、「困惑してますね。寝耳に水ですよ。驚いたし、相談はやっぱりしてほしかった」としつつも、「正直に語りたいという亮の気持ちも尊重したいと思う」と話していた。
2019年07月20日19日に吉本興業から契約解消となったお笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之と、謹慎中のロンドンブーツ1号2号の田村亮が20日、都内で謝罪会見を開いた。宮迫は「詐欺の被害に遭われた被害者のみなさま、そのご家族、親族の方々にとんでもない不快なつらい思いをさせてしまっていることをお詫びさせてください。本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げて謝罪。続けて、「世間のみなさま、我々のことを応援してくださっているみなさま、とんでもない取り返しのつかないを…。迷惑をかけてしまっている関係者の方々、そして、不快な気持ちにさせてしまっているすべてのみなさまにお詫びさせてください。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪を繰り返した。田村も「詐欺被災に遭われた方々、その親族の方々、友人の方々、不快な気持ちにさせてしまい、嫌な気持ちにさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪。「僕の弱い部分のせいで虚偽の説明をしてしまいました。その言動によって不快な気持ち、不信感を抱かせてしまった方々、嫌な気持ちにさせてしまった方々、すべての方々に、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。さらに宮迫は、今回の騒動について「このような大きな騒動にしてしまったのは、僕の保身からくる軽率なウソから始まっています。そのせいで後輩たちを巻き込んでしまいました。今回の騒動の全責任すべての責任は僕にあります。僕のせいです。本当にすいませんでした」と謝罪した。宮迫と田村は、6月7日発売の写真週刊誌『FRIDAY』で、カラテカの入江慎也らとともに、反社会的勢力のイベントに事務所を通さない闇営業で参加したことが報じられ、その後、謹慎処分に。さらに宮迫は、7月19日発売の『FRIDAY』で、福岡で発生した金塊強奪事件の犯人との“ギャラ飲み”疑惑が報じられた。
2019年07月20日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、20日放送の文化放送『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』(毎週土曜 13:00~)で、相方の田村亮が同日午後に会見を開くことについて言及した。亮はツイッターを更新し、「私、ロンドンブーツ1号2号田村亮は、雨上がり決死隊宮迫博之と、本日午後3時から謝罪会見を開きます。これまで長い間、会見を開くことができずに、本当に申し訳ございませんでした」とつづっていた。番組冒頭、淳は「僕も昼間に聞いたんですよ」と言及。福岡からの飛行機の中で、「ちょっと話をしたい」という亮からのLINEに気がつき、到着後に電話したところ、亮から「会見をすることにした。淳に言わなかったのは申し訳ないけど、会見して世間の皆様に正直に話したい」と明かされたとのこと。淳は「正直に話すのは同意するけど、相談はしてほしかったよね。3時から会見するらしいんですけど、この段階で僕がしゃべれることはこのぐらいしかないので…」と言い、「困惑してますね。寝耳に水ですよ。驚いたし、相談はやっぱりしてほしかったなと思うしね、相方としても」と漏らした。しかし、「でも、正直に語りたいという亮の気持ちも尊重したいと思う」とも話していた。
2019年07月20日「最近、田村さんが出演した過去作品の使用許可を取ろうと事務所に電話をかけたんです。ですが全く連絡がつかず、事務所は閉鎖状態。なんとかつかまえたマネージャーさんも、『私も田村さんとはしばらく話をしていない』と言っていました。お元気だといいのですが……」(テレビ局関係者)平成を代表するドラマ『古畑任三郎シリーズ』(フジテレビ系)などで、絶大な人気を誇った田村正和(75)。しかし、昨年2月に放送された『眠狂四郎 The Final』への出演を最後に表舞台からすっかり姿を消していた。2年前に本誌が取材した際、かなり痩せて見えた田村。俳優業について「もう十分やってきたから……」と“引退宣言”ともとれる発言をしていたのだった。そして、もう1つ気がかりな点があった。50年近くにわたって田村を支えてきた妻・和枝夫人(78)だ。近隣住民はこう語る。「実はここ数年、奥さまの姿をほとんど見かけていません。高齢のご夫婦ですし、近所のみんなも心配しながら見守っている状態なんです……」謎のベールに包まれた田村の“隠居生活”。6月中旬の午前10時過ぎ。麦わら帽子をかぶったしゃれた装いで、都内にある自宅から現れた田村。ウオーキングに出掛けたのか、自宅周辺を歩くこと20分。軽い屈伸運動を終え、自宅へと戻ろうとした田村に記者は話を聞いた。――田村さんは今どのように毎日過ごされていますか?「のんびりしているよ(笑)。たまに天気の良い日は、気が向いたらこうやって歩いてみたりね」突然の問いかけにも、嫌な顔ひとつせず答える田村。不安視されている和枝さんの近況について聞いてみると、微笑みを浮かべながらこう語った。「カミさんは、俺より元気。心配ないよ(笑)。夕方になったらカミさんと2人で食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る。健康的な毎日ですよ」晴耕雨読な日々を過ごす田村だが、自身の体調は万全ということなのだろうか?「う~ん、それは普通かな。前に心臓を悪くして、手術もしたからね。だから無理はできないんです。生きるうえで、体はいくつになっても大切だからね」2年前の本誌取材で、「心臓の手術はしていない」と語っていた田村。しかし、姿を消している間に治療を済ませていたのだ。「10年以上前から田村さんは、心臓に病を抱えていました。冠動脈性心疾患という、心臓に血液を送る冠動脈が狭くなったり、ふさがってしまう病気です。発病してからは、奥さんに心配をかけまいと大好きだったたばこもやめたそうです」(田村の知人)田村が手術を決意した陰には、俳優として“最後のプライド”が隠されていた。「田村さんは、昨年の『眠狂四郎 The Final』を最後の出演作と決めていました。40年以上にわたって演じてきたシリーズだけに、並々ならぬ熱意で撮影に臨んでいたといいます。病いと闘いながらの撮影でしたが、かたくなに手術を拒んだと聞いています。完璧主義者で知られる田村さんは『俳優をやっている間は体にメスを入れたくない!』とかねて考えていたようです。撮影が終わったことで、ようやく手術を決断することができたのだと思います。また、ずっと心配してくれた奥さんを安心させたいという思いもあったのでしょうね」(前出・田村の知人)以前、本誌でも報じたように、生前墓を購入するなどひそかに老い支度をしてきた田村。自身の老後について尋ねてみると、“田村流の死生観”を明かしてくれた。「僕はもう、やり切ったから『静かに死にたい』っていう感じかな」日本のドラマ界を長年にわたってけん引してきた田村の姿をもう見ることはできないのだろうか?復活を願う記者の質問に「あとは静かにフェードアウトするだけだね」と否定する田村。しかし不敵な笑みを浮かべ、こう続ける。「映画もテレビもやったし、舞台もやった。昭和から始まって、平成まで。もう十分じゃないかな。令和はまだだけれどね。フフフ」表舞台から離れ、今は夫婦2人きりの、穏やかな暮らしを楽しんでいる田村。だが、その姿からは今も変わらぬ大スターのオーラがあふれていた――。
2019年06月25日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村亮が8日、自身のツイッターを更新。詐欺グループの忘年会に参加したことが報じられたことを受け、謝罪した。7日発売の写真週刊誌『FRIDAY』では、2014年末に行われた振り込め詐欺グループの忘年会に、カラテカの入江慎也、雨上がり決死隊の宮迫博之、田村、レイザーラモンHG、ガリットチュウの福島善成らが出席していたと報道。芸人たちの出席を仲介していたという入江は、吉本興業から4日付けで契約を解除された。田村は「今回の報道でお騒がさせしてしまい、大変申し訳ございません」と謝罪。「自分の事を応援してくれている方々、一緒に仕事している方々の気持ちを何も考えていない様な軽率な行動とってしまった事が情けないです」とつづった。そして、「お金を受け取ってなかった、知らなかったからと言え詐欺グループの忘年会への参加してしまった行為を深く反省しております。ご迷惑、心配、不快な思いをした方々、本当に申し訳ありませんでした」と重ねて謝罪した。
2019年06月08日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第2のテーマ「お金があれば、幸福になれるか?」についてお届けします。2.お金があれば、幸福になれるか?お金と幸福の関係は、もうあらゆるところで語り尽くされていて、今更私がここで何か付け加えることもないようにも思われます。ですが、「幸福」を語る上では、避けて通れないところでもあると思います。お金は、現代社会を生きていく上でどうしても必要なものです。お金がなければ生活できない、食べていけない、ということになります。キリストは「人は、パンのみにて生くるにあらず」と言ったそうです。そうなのです。「パンだけで生きていけるわけではない」のですから、「パンなし」では、やっぱり生きていけないのです。お金があれば幸福になれる、と考える人は少なくありません。お金がないときは特に「お金さえあれば!」と思えます。たくさんお金を持っている人でも「これでは足りない」と思い続けている、という話を聞きます。たとえば、20代の頃よりも30代のほうが給料は多くなったけれども、お金に対する心配はむしろ、強く大きくなった、という人がいます。持っているお金の多寡によらず、お金は「常に何となく足りない」ものなのかもしれません。「お金さえあれば幸せになれる」へのアンチテーゼも、古来、普遍的に語られ続けています。『ヴェニスの商人』や『クリスマス・キャロル』など、お金を持つ人々が決して幸福ではない、というハナシはずっと愛され続けています。サスペンスドラマなどでも、「根深い愛憎ゆえの凶行」と「金目当ての犯行」とは、おそらく同じくらいの割合なのではないでしょうか。他人に殺されるのはたいがい、お金持ちです。あまりハッピーではありません。最近では「ミニマリスト」「こんまりメソッド」など、物質的な条件に縛られないで生きることを模索する人々が増えてきているようにも思われます。生活の豊かさイコール、お金で買えるものをゆたかに持っていること、ではない、という考え方です。たくさんお金を稼いでも、時間が仕事で埋め尽くされて疲れ果て、日々に何の喜びも感じられないなら、それは幸福とは言えないでしょう。最低限の収入で営まれる真の幸福な生活とは何か、を考えるために、小屋に住んだり、できるだけお金を使わない生活を試みたりと、言わば「実験的生活」をしている人のルポルタージュをしばしば、みかけます。こう考えていくと、お金はとても妙なものです。なければ困るし、あっても困るのです。皆が欲しがるものなのに、悪いもののように言われるのです。お金持ちになりたい人がたくさんいる一方で、お金持ちは一般に悪党扱いされるのです。宗教的な考え方では、お金は大抵、悪とされます(で、寄付が求められます)。■お金と、危険と、死と。学校の授業で「お金とは社会を流れる血液のようなものである」と教わったことがあります。社会を生かし、財を動かし、新陳代謝を促すお金と血液の比喩は、さらりと納得できるものでした。しかし、最近別の意味で、この比喩に「なるほど」と思うこともあります。というのも、私たちは誰もが体の中に大量の血液を持っているのに、血液自体を目にすることは「非日常」なのです。いつでもここにあり、指先を温めているのに、それがちょっとでも表に出ると「さあ大変!手当てを!」となります。「血を見る」ことは、ゾッとするような怖いことなのです。昨年、海外でビルの上からお札を撒いた人がいて、ニュースになりました。お金を見ても「ゾッと怖くなる」ことは無いかもしれませんが、たとえば現金がその辺にポンと放り出されていたら、何となく落ち着かなくなります。「はやくしまったほうがいい」と感じるものではないでしょうか。この点でも、お金と血液は、ちょっと似ていると思うのです。私は、ディズニーランドのアトラクションの中で「カリブの海賊」がいちばん好きです。船に乗って眺めてゆく光景の中に、「洞窟の中で、金貨や財宝の山の上に座っているガイコツの海賊」というのがあります。おそらく飢えて死んでしまったのかなと思うのですが、それでも尚、彼は自分の戦利品である宝の山を守り続けています。あの光景は、滑稽でもあり、恐ろしくもあります。彼を見ると、悲しく切ない気持ちになることもあります。限りない満足と果てしない孤独、奪われることへの恐怖など、激しい感情が彼の中に渦巻いたことでしょう。その感情に窒息するかのようにして、彼は死んだのかもしれません。彼は幸福だったのでしょうか。もし「お金があれば幸福になれる」のであれば、彼ほど幸福な人間はいないでしょう。巨万の富の上に座って死んだのですから。そう思って見てみれば、確かに、幸福そうに見えないでもありません。でも、自分も彼のようになりたいかというと、そうは思えません。お金は、使えば消えてしまいます。でも、使わないでおいても、骸骨の守る金貨のように、意味をなさないのです。お金は、考えれば考えるほど、不思議なものです。■お金と、幸福と、「罪悪感」と。東日本大震災の時、普段とは違った光が、お金を照らし出しました。ひとつは「寄付」、もうひとつは「経済を回す」という言葉です。あの時は、多くの人が当たり前のように寄付をしました。海外からも寄付金が集まりました。被害を被った人々への共感、何とか助けたいという思いがそこに詰まっていたのは確かです。その一方で、「申し訳ない」という言葉を口にする人がいました。方や、全てを奪われて苦しんでいる人々がいる。その一方で、特に何も奪われなかった自分がいる。このことに「罪悪感を持った」人がいたのです。そこで、まるで負債を返済するかのような気持ちで、「寄付をした」という人がいました。寄付をすると、罪悪感が軽くなったのだそうです。勿論、被災地の人々は、被災しなかった人に罪悪感を持ってほしいなどと思わなかったはずです。でも、被災しなかった側では、自動的に罪悪感に苛まれた人がいたのです。そこでは、お金は確かに「正しいもの」として扱われていました。「経済を回す」という言葉もまた、多くの人が口にしたフレーズでした。これもまた、被災地ではない地域での言葉でした。大きな災害が起こったけれども、ほぼ普段通りの生活をし、普段通りに仕事をすることに、多くの人が違和感を持ったのです。「苦しんでいる人がたくさんいるのに、私たちは『普段通り』でいいのだろうか」。この問いの中で出てきた答えが、「普段通りに生活し、仕事をするということは、つまり世の中の経済活動をいつも通りに回していくことであり、間接的には被災地の人々の助けにもなるのだ」という考え方でした。「自分の生活・仕事」という狭い経済活動の範囲が、「世の中の経済」という視野へと、一気に拡大したのです。震災時、多くの人が「経済的な視野の広がり」を得たのではないかと私は想像します。お金はここでも「善」そのものでした。私たちは、幸福になろうとするとき、目に見えない他者への負債を抱えるものなのでしょうか。親が子どものためにお金を使うこと、介護のためにお金を使うことは、非難されることはほぼ、ありません。一方、自分のための贅沢は、人からもあれこれ言われますし、自分でも「これは贅沢かな」と罪悪感を抱かされたりします。他者のためにお金を使うことは善で、自分のためにお金を使うのは悪である、という考え方は、どうも「生きているということはそれ自体、なにかに・誰かに借りがある」というような考え方に繋がっているのかもしれません。「感謝」は、この世の中ではとても重要な思いとされています。「感謝を忘れないように生きています」「いちばん好きな言葉は『ありがとう』です」と言う人はたくさんいます。一方で、「ありがとう」が好きではない、という人もいます。お礼や感謝は「負債を精算したいという気持ち」に通じ、よそよそしく失礼な感じがする、というのです。昨年『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という本が話題になりました。強く結びついた人間関係や共同体においては、「感謝の表現」は異質なものになることがあるようです。お金の問題が難しいのは、人が幸福になることや満たされることの土台に「善・悪」という概念が横たわっているからなのでしょうか。多くの人は満たされることを願っているわけですが、そのことが果たして「善いこと」なのかどうか、というところで、立ち止まらざるを得ないのかもしれません。「頑張った自分への御褒美」というフレーズがごく一般的に使われるわけですが、そもそも自分で自由にしてもいいお金であれば、好きに使っていいのです。「頑張った自分」というエクスキューズがどうして必要なのか。ここにもうっすらと、お金にまつわる倫理観のようなものの影が見えるのです。私たちが満たされることは、そんなに悪いことなのか。「過剰に満たされるのは善くない」という考え方もありますが、そこには自分の体や心を害する恐れがあるという意味の「良くない」に留まらないものが含まれています。私は個人的に、「そんなに申し訳ながる必要は、無いのではないか」と思っています。罪悪感というのは、確かに誠実で清らかな、人として正しい感情かもしれません。でも、本当に感じるべき罪悪感と、そうでもないものがあると思います。少なくとも「被災しなかったことへの罪悪感」は、私にはとてもよく理解できる感情なのですが、同時に、とても理不尽な感情でもある、と思えます。それは、被災した人々の苦悩への共感とは、別のものです。私たちはそんなにも、多くを「負って」しまうのか。満たされることに罪悪感を抱き、蕩尽する人々に嫌悪を感じる世の中は、なぜそうなっているのだろうか。幸福とお金の関係を考えると、どうしても私は、その疑問にたどりついてしまうのです。>>次回もお楽しみに(6月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年05月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、3月に行ったTwitterアンケートの結果について、石井さんのコメントをお届けします。■あなたにとって「幸福」とは?第1回目の公開後、ココロニプロロさん のtwitterアカウントで「幸福」についてのアンケートをお願いしました。ご回答くださった皆様、誠にありがとうございました!『#石井ゆかりの幸福論 』連載スタート!あなたは今、幸せですか?もし「いいえ」なら、何が足りないと思いますか?RTもしくはコメントをお寄せください!#ココロニプロロ— cocoloni_PROLO (@cocoloni_portal) 2019年3月25日4000以上のお応えを頂き、半数近くが「幸せです」を選ばれたのには少し驚きました。もっとも、「幸せ」の定義は人によって大きく異なります。また、このアンケートがタイムラインに流れた時間帯や、このアンケートが目に止まる方々が私かココロニプロロのフォロワーの方が大多数であること、また、そもそも「回答するかどうか」の判断がこの手前に含まれているなど、様々なバイアスがあります。『幸せじゃない人は心理的に「押したくもない」ってなりそう@TeteGift0727さん』(※Twitterの引用は全て原文ママ)というご意見もありましたが、たしかにそういう気持ちになる方もあるだろうと思います。ゆえに、これだけでわかることはそれほどないわけなのですが、それでも「幸せ」について様々な関心があり、ご意見がある、ということは、感じられる気がしました。■お金、健康、愛が足りない!コメントの中には「お金や愛などが足りない」との声が多く見られました。確かに、生活が安定していて孤独でない、ということは、幸福の最大の条件だと思います。『幸せではない方に入れました。他人の幸せを羨むのではなく喜ぶような心の余裕がないといくら周りがあの人は幸せそうだと思っても当人は幸せだとは思えなくて。そんな心の余裕は経済的余裕や健康な体があってこそ生まれると思っています。@bisco_mItSUyoさん』お金が欲しい、愛されたい、健康になりたいという望みは決して、利己的なだけのものではないと思います。自分以外の人も幸せになってほしい、でも、それを祈れるようになるには、自分自身の生活の余裕が必要だ、という意見は、納得できます。確かに、世の中には自分のことなど構わず、他人を気遣うことができる人もいます。私自身、そういう人に出会ったことがあります。その人は余命一週間ほどだった病床でも、世話をしに来た家族を気遣って、楽しませようと、冗談を言ったりしていました。ですがその人もまた、他者からの愛の記憶に守られていたのではないかと思います。受け取ったものの大きさ、与えるものの大きさは、客観的に量れるものではありません。人が別の人からどれだけの喜びや庇護を受け取ったのかは、当人にしかわかりません。与えた側さえ、それはわからないものだろうと思います。■自分のものの考え方・思い方『40過ぎてやっとこさ「幸せはなるものじゃなくて気づくもの」って意味が分かってきたような気がします……@Shuto_Kaito_Momさん』『10年ほど前「しあわせになれない理由は私にはなにひとつないのに、自分が自分をそうしたくないんだ」と気づき、長い旅をして、「しあわせ」の定義が変わりました。しあわせって調和なんだ。四方が合っている、wholeであるということ。実は常に成就していることで、ただ認識の問題なんだなって、今は。@atohchieさん』自分だけが幸せではいけないのでは、という思いを持たれる方もいらっしゃいました。『ただ、自分が幸せでもつらい人がいる状況が目に入った時、私だけが幸せではいけないのでは、と思っているフシがどこかあります。@havingfun724さん』「幸せである」と認めることを怖れるような思いを持つ方は、結構いらっしゃるのではないかと思います。「幸せだ」と認めてしまうことが悪いことのような気がしたり、「幸せだ」と認めてしまったらもうそれ以上のものは手に入らないように感じたりする、ということもあるのかもしれません。たとえば、「これでおなかいっぱいです、満腹です」と言ったら、もうおかわりはもらえません。神様のような存在がいるとしたら、「まだまだ、おなかに余裕があります」と言っておきたい気がするわけです。満足することが、向上心を失わせる、と考える人もいます。あくなき努力を続けていくためには「まだまだ足りない」というハングリー精神が必要だという考え方です。こうした考え方を採る人にとっては、「幸福だ」と感じることは害悪となることもあるようです。「自分以外の誰かが幸福だからといって、その人に怒りを感じるのはばかげている、その人が私から何か奪ったわけでもないのに!」。これは、ある小説の中の一節です。この言葉はまるで正しいのですが、これを口にした人物は確かに、身近にいる人の幸福を妬んで、その人を遠ざけようとしていたのでした。この言葉は、自戒、反省の言葉であり、自嘲の言葉でもあったのです。私たちは他者の幸福を羨まずにはいられませんし、特に、自分が傷ついて苦しみや悲しみを抱え、不安に苛まれているときは、そうした思いを抱きがちです。それを知っている人々は、幸福なときでも、「自分が幸福だ」とは言わないようにします。無用の悪意から身を守るためです。「あなたは幸福ですか?」という問いの前で立ち止まり、口を閉ざしたくなるとすれば、それは「他の人々は幸福だろうか?」という問いが心の中に渦巻くからなのかもしれません。■幸福かどうかわからない。幸せになるための条件がわからない、何かが必要な気がするが、それが何かわからない、といったご意見も多かったように思います。『「いいえ」にしました。このところ「幸せ」についてずっと考えていたので思わずリプライしてしまいました。私の場合は幸せになりたいとは思っているものの自分が「どうしたら」や「何があったら」幸せを感じるかがはっきり認識できてないのが原因かなと思ってます。@love_toucanさん』『私は幸せかどうか分からない。何の不自由もなく生活できているのだから幸せなのかもしれないけど、幸せを感じる実感はなくて。分からないのでその他で。@neeze37さん』『恵まれているとは思うけれど、それがイコール幸せではない気がして。@naokosunsky1973さん』『何をしたらいいのか、何をしたいのか、歳をとるだけで先に光が見えない。@kakailuさん』幸せ自体の感じ方が時間によって変わる、というご意見もありました。『幸せだと思っていても後になってみると幸せではなかったと思う事もあるし、幸せじゃないと思っていても後になってみると幸せだった事もあり、「幸せと感じる事」には時間が経てば訂正が入ります!今の感想はあてにならないです。@horeisyouさん』幸せには常に「比較」がつきまといます。他人と自分の比較、過去と現在の比較、過去の2点間での比較などを通して「あの時は今よりは幸せだったな」「今にして思えばアレが幸せだったのかも」などと考えることも確かに、あります。「幸福」ということを、リアルタイムの感情・感覚として捉える方がいる一方で、ある種の価値判断・評価のようなものとして捉える方もいらっしゃるのだと思いました。また「自分は多分、幸福なんだろうと思う」というようなご意見もたくさんありました。これは、「感情や感覚ではよくわからないが、客観的に自分の生活を眺めると、いろいろな条件が調っているなあ」ということなのでしょう。「あたりまえだと思っていた条件を失って初めて、幸福だったのだとわかる」という言説は、ごく一般的なものです。だとすれば、私たちは「幸福」に関して、感情や感覚の上では、かなり鈍感だということなのかもしれません。少なくとも、そう自覚している方が少なくないんだな、という印象を受けました。「幸福ではない」を選んだ方のコメントの中で「お金が足りない」「仕事がない」というご意見がたくさんありました。次回、「幸福論」第2のテーマは、その「お金」についてです。>>次回もお楽しみに(5月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年04月25日ココロニプロロでも、12星座別今週の占いや毎月の占いが大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場!占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。プロローグこんにちは、石井ゆかりです。このたび、ココロニプロロさんから「石井ゆかりの『幸福論』というテーマで、コラムをお願いできませんか」というご依頼を頂きました。何とも大それたテーマで少々気が引けたのですが、私なりに「幸福」というものについて、じっくり考えてみるのもおもしろいかもしれない、と思い、お受けすることにしました。「幸せ」は人によって千差万別で、「これが幸せだ!」などという決定版の幸せの形など、この世には存在しないだろうと思います。ゆえに、この稿はあくまで、私の個人的な経験に基づく「幸福観」でしかないのだろうと思います。多分見苦しい「自分語り」にしかならないかもしれませんが(!)、もし、おつきあい頂ければ嬉しいです。ちなみに、このコラムのスタートにあたり、「キーワードごとに語ってほしい」というご注文がありました。こんな内容です。「植物が成長する過程を、女性の人生が変化するサイクルになぞらえて、それぞれの場面で幸せを求める女性へのメッセージを執筆いただきたいと考えています。具体的には、以下のようなキーワードをイメージしています。・土を耕す ⇒新たなスタート地点に立ったとき、準備期間、自分が何者かわからないとき・種をまく ⇒自分の可能性や希望を見つけたとき・水やり ⇒慈しむ、大事に想う、なにかを育てる状況etc,.」このキーワードを眺めていて、あることを思いつきました。それは、星占いで用いる12の枠組みも、ひとめぐりのサイクルを刻んだものだ、ということです。私は普段、主に星占いの記事を書いていますので、植物の成長よりは、星占いの仕組みに詳しいように思います。そこで、星占いの12ステップの考え方になぞらえて、以下の稿を進めていきたいと思います。この「12の枠組み」「12のステップ」と書きましたのは、星占いに詳しい方はご承知の通り、「ハウス」のシステムです。ハウスは空を区分する12の部屋のことですが、1ハウスから12ハウスまでがひとつのシーケンスとなっています。ひとつながりなのです。以下の稿は、星占いとは直接には関係がありませんが、「幸福」を12ハウスの観点からひとつひとつ、考えてみたいと思います。▼第1回はこちらからお読みいただけますプロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年03月25日ココロニプロロでも、12星座別今週の占いや毎月の占いが大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場!占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。第1回目は、「自分」というものについて掘り下げていきます。1.「自分が自分である」ということ「自分」。これは、本当に難しいテーマです。でも、星占いはとにもかくにも「自分」から始めようとするのです。当たり前のようで、ものすごく難しいことだな、と思います。私たちは生まれた時から「自分」というものを引き受けて生きています。そして、自分と人とを比べたり、戦って勝利したがったり、注目してもらいたがったり、愛されたがったりします。たとえば、友だちが誰かに褒められても、自分が褒められたときほどには嬉しくありません。ごく幼いうちから、自分と他人の区別がついているのです。私自身の話をしますと、私は幼い頃、まわりの子と比べて、かなり肥っていました。そして、髪の毛は天然パーマで、転校生だったため、言葉遣いも周囲と違っていました。これらの属性は私にとって、非常に悲しいものでした。「自分は醜い」という劣等感の塊でしたし、キャラクターも多分、浮いていましたし、先生も私のことは、良く思っていなかったようです。ただ「周囲と違う自分」が当たり前だったおかげで、よくも悪くも「人と違うことをする」のが、あまり怖くありませんでした。でも、世の中には「人と違っていること」を怖れる人がたくさんいます。「幸福は十人十色、10人いれば10種類の幸福がある」と考えると、これは結構辛いことです。「自分の幸福は、人のそれとは違うのだ」ということをまず、前提としなければ、自分の幸福を探し始めることができないからです。とはいえ、単に「自分の幸福と人の幸福は違う」とわかっていても、「自分の幸福」にたどり着くのは大変です。というのも「自分の幸福ではないもの」にぶつかっては試し、試しては振り捨てていく、という作業を重ねていかなければ、「自分の幸福」にたどり着かないからです。私自身、若い頃は本当に、夢をとっかえひっかえしながら七転八倒していました。今にして思えば「なぜ、あんなに向いていないことばかりに憧れて必死に取り組んだのだろう?」と不思議な気持ちにしかならないのですが、なにかが「自分には向いていない」とわかるには、まずそれを試してみて、何度も失敗して、いやーな思いをしたあげく、挫折しなければならないのです(!)。いえ、普通はそこまで行かなくても「これは、ダメだな」とわかるのかもしれませんが、私は往生際の悪いタチで、なかなか、わかりませんでした。転職を繰り返した20代に、それが表れています。自分がどんな人間なのか、自分とは誰なのか。もうすぐ45歳になろうとする私ですが、まだよくわかりません。先日も「アイデンティティ」をテーマに、noteで1万字近くも書いたくらいです。しかし1万字書いても、よくわかりませんでした(!)。ただ、私は上記の通り「人と違ったことをする」のは怖くありませんでしたが、若いときに「他人に好かれたいため」「人に怒られないようにするため」「人の機嫌を取るため」に、色々な行動をするクセがありました。たとえば、プレゼントを贈ったり、人の世話を焼いたりするようなことです。今にして思えば誰にも必要とされていない無駄な努力だったのですが、当時は人の気持ちを引こうとして、必死に健気っぽい努力をしていたのです。アラサーの頃に、そのムダなクセを自覚し、全てやめました。この「実は誰にも喜ばれていない、ムダなクセ」をやめるとき、私は「自分は、もっと自分になろう」と強く思った記憶があります。多分、それまでは「人の好意」というもので「自分を作ろう」としていたのかもしれません。実は、「それ以前」の気持ちをよく覚えていないのです。ただ痛烈に「私は、私自身のために生きたことがないかもしれない」と感じたことを記憶しています。「私は私自身として生きたことがなかったかもしれない」「私は私に『なった』ことがなかったかもしれない」という疑いが黒雲のようにわき起こりました。「ひとのため」にしていたことをやめたとき、長いこと自分を縛っていたものを断ち切るような、強烈な衝撃を内側から感じた記憶があります。喜びとも悲しみとも言えないような、色々な思いが入り交じった衝撃でした。今の私は、他人から見れば「幸福」とは言い難い状況かもしれませんが、かなりワガママに生きている自覚があります。そして、それが一番いい、と思っています。このことは、幸福なんだろうな、と思います。これまでいろんな所に頭をぶつけるような生き方をしてきましたが、頭をぶつけたおかげで、できることやできないこと、痛いところや弱いところなど、「自分」のアウトラインがぼんやりとわかった部分もあったのかな、と思います。>>次回もお楽しみに(4月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年03月25日