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アダストリアは11月21日、ウェルネスブランドの「Mood is me.(ムードイズミー)」と韓国のアーティストのMINZO.KING(ミンゾキング)氏とのコラボアイテムを発売しました。■Mood is me(ムードイズミー)についてMood is me.は年齢や性別を問わず、自分の素直なキブン(Mood)に目を向け、フィジカルとメンタルを整えることをコンセプトとするウェルネスブランドです。このたび、同ブランド初のオリジナルアパレル展開として、韓国のアーティストMINZO.KING氏とのコラボレーションが実現しました。愛とセックスをテーマに、柔らかい曲線で描き出されるMINZO氏の作品は、リアリティーがあるのに、どこかロマンティック。女性の目線から性を肯定的に描く作風は、性に保守的な韓国社会の中で、20代~30代の女性たちから強い支持を受けています。■ラインナップはMINZO氏のイラストがモチーフの全3型今回のコラボでは、“愛と性を着る。”をテーマに、パートナーと過ごす時間が増えるホリデーシーズンに向けたアイテムを展開。MINZO氏のイラストをモチーフにしたTシャツ、スウェット、ハンカチの全3型が登場しました。「T-shirts」(6,930円)は、ホワイトをベースとした2種のデザイン「Get close to you」と「Stocking and argyle pattern socks」を用意。MとLの2サイズ展開となっています。「Sweat」(1万1,880円)は、アイボリー、グレー、ブラックの3カラーが登場。「Let me taste your love」と「An eternal kiss foe second」の2デザインを用意しています。「Handkerchief」(2,860円)は、ホワイトをベースとした「Thongs」と「Lovely oshiriz」の2デザインから選べます。また、12月19日には、コラボ記念として“愛と性とファッション”をテーマとしたイベントの開催を予定しています。■商品概要Mood is me. ×MINZO.KING 「愛と性を着る。」コレクション発売日:2024年11月22日(金)展開チャネル:公式WEBストアand ST特設サイトURL:商品展開:T-shirts 全2種 6,930円Sweat 全2種 1万1,880円Handkerchief 全2種 2,860円(フォルサ)
2024年12月04日アーティストの鉄拳が6日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】「お気づきだろうか‥。」アーティスト 鉄拳 イラストにて謎を提示!「サンドイッチはいつも3色サンド(シーチキン、ハムレタス、タマゴ)を買うんですが、いつもどれから食べようか迷います‥笑☺️✨」と綴り、1枚のイラストを投稿した。好きなものを最初に食べる派と好きなものを最後に食べる派に分かれるだろう。結局、鉄拳はどの順番で食べていくのだろうか。気になるところだ。案外、「気分によって変わる」という回答なのかもしれない。 この投稿をInstagramで見る 鉄拳/Tekken(@tekkenparapara)がシェアした投稿 この投稿には「分かり過ぎます」などの共感のコメントが寄せられている。
2024年11月07日アーティストの鉄拳が21日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】アーティスト 鉄拳 鉄拳流「失敗との向き合い方」を紹介!「先日、愛犬やまと(豆柴)と夜さんぽに行ってきました。やまとはもう15歳になるお爺ちゃん犬で、目も見えないし、耳も聞こえず、久しぶりに帰った僕を匂いで判断して、ワンワンワン!(さんぽに行こうよ!)と誘ってくれました」と綴り、1枚のイラストを投稿した。犬の15歳は人間年齢になおすと、74歳になる。お爺ちゃん犬にもかかわらず、まだまだ元気いっぱいな様子だ。このまま元気で長生きしてほしいものだ。 この投稿をInstagramで見る 鉄拳/Tekken(@tekkenparapara)がシェアした投稿 この投稿には「ヤマト君も鉄拳さんとの散歩を鼻と風で感じ昔を思い出してるのでは昔の思い出は懐かしくて涙出ちゃいますね☺️✨✨✨」などのコメントが寄せられている。
2024年10月22日サンリオは2024年11月1日〜2025年2月24日まで、同社の人気キャラクターであるハローキティの50周年を記念した展覧会「Hello Kitty展 –わたしが変わるとキティも変わる–」を、東京国立博物館 表慶館(上野公園)にて開催します。同展は、史上最⼤量のグッズ展⽰をはじめ、オリジナル映像、アーティストとのコラボ作品など、様々なコーナーでハローキティならではのユニークさを紐解きます。どんな世代にもなつかしいグッズ展⽰はもちろん、この展覧会でしか⾒られないコラボ作品など⾒どころ満載です。さらに同展開催期間中、ハローキティが東京国立博物館の特別アンバサダーに就任することが決定しました。■50年間、あなたに合わせて変化し続けてきたハローキティのグッズを展⽰同展では、グッズデザインから誕⽣したハローキティならではの多彩な展⽰を実施。過去に発売したたくさんのグッズを壁⼀⾯に展⽰するコーナーや、ファッショントレンドとハローキティの変化を、フォトジェニックに表現したコーナーなどが登場します。また、ハローキティの歴史に⽋かせないコラボレーションを解説するコーナーでは、キティの変⾝の元祖「ご当地キティ」シリーズの根付けを100点以上展⽰。その他、貴重な最初期のコラボアイテムも登場し「誰にでも・何にでも寄り添える」ハローキティのユニークさに迫ります。■映像ディレクター・牧野惇⽒による 同展限定の映像作品を公開CMやMVを多数⼿がける映像ディレクター・牧野惇⽒による本展オリジナル映像作品の上映コーナーでは、ユニークなデザインで人々を魅了してきた、ハローキティのデザインの変化を解説します。時代とともに流行が変わっていく中で、ハローキティのデザインも常に新しく、変化を遂げてきました。なぜこれほどまでに変化できるのか、ハローキティだけが持つ秘密を解き明かします。■描き下ろし!30⼈のアーティストによるイラスト展⽰同展のために描き下ろされた、30人※のアーティストによる「わたしとキティ」の題材で制作されたイラストレーションを展示。あなたとキティとの思い出と重ね合わせて観覧してはいかがでしょうか。※一部作品を除く【参加アーティスト一例】■“かわいい”を全身で体験できるサンリオキャラクターズのBIGフォトスポットハローキティだけではなく、マイメロディ、ポムポムプリン、シナモロール、クロミといった、⼤⼈気のサンリオキャラクターが集まる巨大フォトスポットが登場。一度足を踏み入れると全身でサンリオの“かわいい”世界を味わうことができるスポットです。大好きなキャラクターたちと思い出の一枚を残しましょう。その他にも、たくさんのフォトスポットが登場するのでお楽しみに!■東京国立博物館所蔵の名品とのコラボレーション東京国立博物館所蔵の「見返り美人図」や「風神雷神図屏風」(重要文化財)、「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」(重要文化財)など、お馴染みの名品とハローキティがコラボレーション。展示内での紹介のほか、物販コーナーでお菓子や雑貨を展開予定です。■会場限定のグッズ情報も続々公開中!ぬいぐるみやマスコットホルダー、「もじもじハローキティシリーズ」のほか、本展物販オリジナルデザインのかわいいグッズが多数登場。グッズ情報は公式SNSやホームページで随時更新していますので、ぜひチェックしてみては?<発売予定商品(一部)> ※価格はすべて税込です。■ハローキティが東京国立博物館の史上初の1日館長にハローキティが、同展開催中の2024年11月1日〜2025年2月24日の期間、東京国立博物館の特別アンバサダーに就任することが決定しました。特別アンバサダーとして「Hello Kitty展 –わたしが変わるとキティも変わる–」を盛り上げるべく、期間中に東京国立博物館の1日館長も務める予定です。東京国立博物館の過去152年の歴史の中で、1日館長は史上初の試み。今まで様々なことにチャレンジしてきたハローキティのさらなる活躍に要注目です。◇各地の巡回スケジュールも続々決定!同展は、2025年3月〜5月に沖縄、6月〜8月に福岡、9月〜12月に京都、12月〜2026年2月に名古屋での開催が決定。東京・上野での開催を皮切りに、日本全国のファンへハローキティの魅力を届けます。■開催概要「Hello Kitty展–わたしが変わるとキティも変わる–」会場:東京国立博物館表慶館 (東京都台東区上野公園13-9)会期:2024年11月1日〜2025年2月24日開館時間:9:30〜17:00 金曜・土曜は19:00 まで (入館は閉館の30分前まで)休館日:月曜日(祝日または休日の場合は開館、翌日休館。2月10日は開館。)※12月17日、12月26日〜2025年1月1日は休館。 ※12月24日、12月25日は表慶館のみ開館観覧料:一般 2,000円(1,800円)、大学生・専門学校生 1,800円(1,600円)、中学生・高校生1,600円(1,400円)、小学生 1,000円(800円)<チケット発売> チケットぴあ※価格は税込。( )内は前売料金。前売券は10月31日までの販売。※未就学児、障がい者とその介護者1名は無料。入場の際に障がい者手帳等を提示してください。※同展の入場券で観覧日当日に限り、総合文化展(常設展)も観覧できます。ただし、総合文化展の開催日に限ります。※開催情報は変更になる場合があります。最新情報は展覧会公式サイトを確認してください。主催:東京国立博物館、Hello Kitty展東京実行委員会(日本テレビ、サンリオ、電通、ぴあ、TMエンタテインメント)協賛:富国生命保険、ブラザー工業、TOPPANクロレ協力:TOKYO MX展覧会公式サイト:(旧Twitter)::(c)2024 SANRIO CO., LTD. APPROVAL NO. SP650123(エボル)
2024年10月07日アーティストの鉄拳が4日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】アーティスト 鉄拳 秋になると聞こえる「幸せの音」とは「江戸時代に、ちょびっと行ってきました。とても素敵な世界でした。✨」と綴り、1枚のイラストと1枚の写真をアップした。NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に出演し磯田湖龍斎役を務めているらしい。まったく聞いたこともない人物なので、鉄拳がどのような活躍をするのか今からワクワクだ。 この投稿をInstagramで見る 鉄拳/Tekken(@tekkenparapara)がシェアした投稿 この投稿には「来年の大河ドラマ楽しみです早くみたいです」などのコメントが寄せられている。
2024年10月04日アーティストの鉄拳が1日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】アーティスト 鉄拳 楽屋での思い出を語る!「殴られたらどうしよう‥と」「1人ドライブの時に休憩がてら缶コーヒーを買って、車の中で景色を観ながら飲む。このひと時の休息と、車の中の空間が好きでした。今は車が無い〜笑皆さんの好きなひと時はどんな時ですか??☺️✨」と綴り、1枚の写真をアップした。1人の空間は確かに落ち着く。 この投稿をInstagramで見る 鉄拳/Tekken(@tekkenparapara)がシェアした投稿 この投稿には「鉄拳さんの絵を見てる時️✨気持ちが落ち着きます☺️」などの称賛のコメントが寄せられている。
2024年10月02日【音楽通信】最終回の第165回目に登場するのは、日本だけでなく海外でもライブを成功に納め、国内外で幅広い年代の音楽ファンに愛され続けているロックバンド「サニーデイ・サービス」の曽我部恵一さん!大学時代にサニーデイ・サービスを結成写真左から、田中貴(B)さん、曽我部恵一(Vo, G)さん、大工原幹雄(Dr)さん。【音楽通信】vol.165曽我部恵一さん、田中貴さん、大工原幹雄さんの3人からなるロックバンド「サニーデイ・サービス」。1994年のメジャーデビュー以降、’70年代の日本のフォークやロックを’90年代のスタイルで解釈し、再構築したまったく新しいサウンドと文学的な歌詞は、聴き手に鮮烈な印象を与えました。バンドの解散や再結成などを経て、近年は日本だけでなく海外でもライブを成功に納め、国内外で揺るぎない支持を獲得し、幅広い年代の音楽ファンに愛され続けています。そんなサニーデイ・サービスが2024年8月28日に、アナログ7inchシングル「Pure Green」をリリースしたということで、バンドを代表してフロントマンの曽我部恵一さんにお話をうかがいました。ーーサニーデイ・サービスの作詞作曲をほぼ手がけ、ご自身のソロ活動でもご活躍中の曽我部さんですが、そもそも幼いときの音楽環境はどのようなものでしたか?テレビで『ザ・ベストテン』(1978~1989年、TBS系列)といった歌番組を観ているふつうの子どもでした。でも、母親が家でサントラのレコードをよく聴いていて。当時流行していたポール・モーリア(「恋はみずいろ」「オリーブの首飾り」などで知られるフランスの音楽家)らイージーリスニングのレコードを一緒に聴いていたぐらいですね。能動的に音楽を聴くようになったのは、中学生から。洋楽を聴きはじめて「セックス・ピストルズ」などのパンクを聴くようになりました。――その後、ご出身の香川県から、大学進学を機に上京されましたね。そうです。1992年には、大学生だった僕を中心に、サニーデイ・サービスを結成しました。現在もメンバーの田中もいて、インディーズでCDも出しています。――1994年になると、ミニアルバム『星空のドライブep』でメジャーデビューされましたが、当時の心境は覚えていますか?僕らはデビューしてもまったく売れなかったから、何の話題にもならず、悶々としていたことを覚えています(苦笑)。――そして2000年に解散。8年後に再結成されますよね?はい。たとえば、メンバーの仲がわるくてギスギスしていたのが、8年ぐらい時間が経つと、もう忘れていて。バンドとしてのフェスの出演オファーがきっかけで、その頃にはバンドが懐かしくなって、「またやってみようかな」「演奏してみようか」くらいの感じで再結成したんです。だから、当初は続けて活動していくつもりはなかったんですよ。――思いのほかバンド活動が続いて、2018年にはドラム担当の丸山晴茂さんがご逝去され、2020年に大工原さんが加入されて現在に至ります。曽我部さんにとって、サニーデイ・サービスとは、どんな存在ですか?やっぱり、サニーデイ・サービスはすごく大事な存在です。いまはまた、バンドを始めた頃の「バンド活動を頑張ってやらないとだめだ」という気持ちに近いんですよ。2008年に再始動したときは、ソロ活動が軸になっていたから、サニーデイはまた別の感覚でした。でもいまは、サニーデイ・サービスがメインになっているかもしれないですね。バンドは感動してもらえる音楽、ソロは僕のメモ――2024年第1弾シングルとして5月に配信された最新曲「Pure Green」が、8月28日に7inchシングルとしてもリリースされました。疾走感のあるキラキラとしたロックンロールですが、曲を作ったきっかけは?コマーシャルのオファーをいただいて作りました。現在公開中のサントリー「鏡月Green」のWeb CMソングになっています。とくに曲に関してこういうふうにしてほしいというオーダーは一切なかったんですが、監督とお話しをして、コマーシャルの世界観をイメージして作りました。――B面には、メロウな新曲「Angel Eyes」が収録されていますね。この曲は、3か月ぐらい前に、サニーデイでずっとレコーディングをしていたときに録っていたものなんです。――できたてホヤホヤですね!今回の7inchシングルに入れたのは、組み合わせとして相性がよくてこの2曲に?そうですね。この曲はB面にいいかなと。ただ、この先また録り直して、アルバムに入れることもあるかもしれませんが、現時点での相性のいい2曲を入れました。ほかにもいっぱい曲を録ったなかのひとつです。――ではまだ未発表曲がいっぱいあるんですね。アルバムを作ろうと思ってスタジオに入っていた時期にたくさん録っていました。いまはライブ活動やソロも忙しくて、少し作業を中断しているんですけど。――曲作りをして、レコーディングをして、バンドもソロもご多忙の曽我部さんですが、いつもどんなときに曲が生まれるものなんでしょうか?夜にギターを弾いていると、ふっと歌詞を思いついたり、曲がひらめいたりすることが一番多いかな。昼は取材や打ち合わせをしていたり、夕方からはライブがあったり。外から帰るとどうしても夜になるので、夜に曲ができることが多いですね。でも、どんなときでも作りますよ。曽我部恵一。1971年8月26日、香川県出身。2001年、ソロデビュー。2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立。サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優と活躍中。たとえば高速で夜中に移動しているときに、サービスエリアでは眠くなって夜中に寝ることもあるんですけど、そこでギターを取り出して作ることも。いつ曲ができるかわからないから。――いつひらめくかわからない、ということですか?そう。だから、準備するといいますか。――曽我部さんの書く歌詞や詩が好きなんですが、もともと学生時代から文才があったのですか。詩を書くのは好きではあるけど、昔はそんなに書いたことはなかったんです。バンドを始めてから本格的に書き始めて。でも最初は英語詞でしたし。作詞が面白いな、と思い始めたのは、『若者たち』を出した頃ぐらいからかな?――面白いと感じた理由というと?メロディに英語のワードをはめこんでいくのではなく、全部日本語の歌詞でやってみると、僕たちが普段使う言葉で、いつもは話さない世界を表現することができたように感じて。幻想的だったりシュールだったりするようなものを日本語で、話し言葉とかでやってみると、意外と不思議に面白くなったんです。僕は音楽的に「はっぴいえんど」や松本隆さんの影響を受けているところもあって、自分なりの言葉を探し始めたんですよね。――そうだったのですね。曽我部さんはソロのリリースも盛んですが、8月にアルバム『HAZARD OF DUB』、9月4日に「永い夜」と、以前発表した楽曲が装いも新たに生まれ変わりました。さらに9月16日には、ライブアルバム 『センチメンタルな夏』『恋人たちが眠ったあとに唄う歌』を2作品同時リリースされています。2023年の僕のアルバム『ハザードオブラブ』を、(ロックバンドの)「あらかじめ決められた恋人たちへ」の池永正二くんにダブミックスしてもらいました。ダブミックスというのはレゲエの手法なんですが、アルバム1枚をダブにしてまた再発売するのは、発祥の地ジャマイカではけっこうやることなんですよ。音楽の再生産、リサイクルがジャマイカでは昔から盛んで、レゲエの世界では一枚のアルバムから何枚でも作品を作ってしまうところが好きで、今回してもらいました。――「永い夜」は、2009年リリースの「曽我部恵一BAND」によるアルバム『ハピネス』に収録されていた、戦争についての曲です。「永い夜」は、近年にウクライナやイスラエルとパレスチナのこともあって、ライブで演奏する機会が増えたんです。でも、音源バージョンはもう15年前の古いものしかなかったから、いまの気持ちを込めてライブで歌うように、いまの僕のテンションで録音しておきたくて。自分の勝手な記録なんです。――ご自身のなかで、ソロではメッセージ性があるものを作ろうとか、バンドではこう表現しようとか、意識の違いがあるのでしょうか?サニーデイは長いキャリアがあって、ずっと聴いてくださっている人もいますし、2020年発表の「春の風」という曲以降、10代や20代の若い世代で聴いてくれるかたも増えてきているので、そういう人たちにも最大限応えたいと思って活動しています。バンドは活動の仕方がある程度決まっていて、ライブをやるにしても、大勢の人がいるなかで演奏することのほうが多いから、できるだけみんなに感動してもらえる音楽を作りたい。一方、ソロは僕のメモや習作みたいなものでも残したいなあと。だから未完成でも、ソロだったら出せるんです。サニーデイは未完成なものを記録として残していくつもりがあまりないんですよ。でもそれは、ソロという出口があるからかもしれないけど。僕名義で出ている曲は、世界中の誰かひとりの心にドンと刺さったらオッケー!みたいな気持ちで出しています。――曽我部さんのソロ曲もたくさんのかたの心に刺さっていると思いますが…。いや、刺さってないですねえ、わかんないけど(笑)。まあ、ソロは本当に自分の個人的なものでもいいんですよ。音楽ってそういうところもあるから。大勢に聴かれた曲だから偉いとか、素晴らしいとかは一切ないので。でも、あまり知られていないような音楽でも、すごく自分の心には刺さるもの、感動をくれるものって、あるじゃないですか?そういう音楽がないとつまらないし、僕のソロはそういうことでもいいかなと。もちろんたくさんの人が聴いてくれたら、それはそれでうれしいですけどね。いい曲を作り、いい作品を持って世界中をまわりたい――お話は変わりますが、ステージに立ち続けるために体力作りなどで気をつけていることはありますか。ツアー中は、筋トレをしています。ライブの日程が続くときは、疲れてしまうとからだが持たなくなるので、やっぱり体幹が大事になってくるんですよね。YouTubeで筋トレの好きなセットがあるので観ながら、プランクをしたりしています。まあ、一番は、お酒とタバコをやめたことかな。――禁酒と禁煙されてから、どれぐらい経つのですか?お酒を飲まなくなって、もう10年ぐらい経ちました。昔、お酒を飲みすぎた翌日のライブで声が出なくなったことが1回あって、それがショックすぎて…。お酒が大好きなんだけど、喉にはよくないなあと。それからは一滴も飲みません。タバコは30歳でやめたから、もう20年以上吸っていないかな。ただ、それぞれの体質や人によるので、僕の場合はということで、お酒もタバコも個人差がありますよね。健康に生きているいま一番思うのは、親に感謝ということ。わりとタフにできている、このからだを授けてくれて。――そんなタフな曽我部さんから素敵な音楽を届けてもらえているんですね。そういえば愛犬のこはるちゃんもお元気ですか?元気ですよ。でも10歳を超えているから、ほとんど寝ていることが多いかな。ときどき僕がお散歩に行くこともありますけど、ほとんどは娘が行ってくれています。――そうなんですね。ちなみに、曽我部さんはおしゃれな印象ですが、ファッションのこだわりは?こだわりとまでは言いませんが、最近は、着心地のいいシンプルなものが好きですね。リーズナブルなものはつい何着も買ってしまいがちですが、長く持たないものも。いまは多少高価なものでも、質のいい服が1種類あればいい。その1種類だけをたくさん持っているほうが着た感覚も違いますし、心地いいと思うようになりました。持っているものはコム デ ギャルソンとヨウジヤマモトの服が多いかもしれませんね。――いろいろなお話をありがとうございました!では最後に、バンドもソロも精力的にライブ活動を展開されていますがそのご様子と、今後のサニーデイ・サービスの抱負を教えてください。サニーデイはこの夏、中国でツアーをやりました。僕らにとって中国は未知の場所ですが、ツアーには老若男女たくさんのかたが来てくれて。海外での活動を想定してやってこなかったから、すごくうれしくって。広い会場もソールドアウトしていたりするんですよ。そんなに僕らに興味を持ってくれている人が日本以外にもいるということが、本当にうれしかったです。中国・上海の大型ライブハウス「MODERN SKY LAB」のライブは満員!もちろん日本でも全国30か所ぐらいをツアーでまわっていて、街の小さなライブハウスに行っても、聴いてくれるお客さんがいる。さらに、ご自身の人生にサニーデイの音楽が影響しているような人たちがいるんですよね。僕たちはそんなことを知らずに勝手に音楽をやっていただけなんだけど、そんなふうにいろんな人たちに伝わっているということが、とてもありがたいんです。――たくさんの人にサニーデイの音楽が届いているんですね。だから、いま本当に思っているのは、またいい曲を作って、いい作品を録音して、それを持って日本中とは言わず、世界中をまたまわりたい。日本もアジアもいっぱいまわって、ファンの人に会いに行きたいなと…よくミュージシャンがインタビューでそういうことを言っているのを見ていて、「そうかなあ?」と思っていたんですよ、若い頃は(笑)。でも、実際に自分がこうなってみて、本当にファンの人たちはかけがえのない存在だと実感しています。そんな人たちの前で歌うこと、自分にとってそれが一番大事なことなんです。そう思うと、本当は早くサニーデイのアルバムを作って、ツアーも組まなきゃいけないんだけど、アルバムの完成までもう少し時間がかかりそう。――では、新しいアルバムはお楽しみに…!ということで、今年中に聴けたら、ファンのかたもうれしいはずです。ははは(笑)。できれば毎年アルバムを出したいぐらいなんだけど、前作からすでに3年ほど空いてしまいました。これが5年、10年と空いてしまうようなことには絶対したくないので、みなさんに新しい曲を聴いてもらえるよう、早く作りたいと思います。お楽しみにしていてください。取材後記2019年8月にこの「音楽通信」がスタートし、2020年1月にソロ活動において本企画に登場した曽我部恵一さんが、今回はバンドとしてananwebに再登場してくださいました!2023年にデビュー30周年というアニバーサリーイヤーを迎えたサニーデイ・サービス。バンドのボーカリスト/ギタリストである、曽我部さんが綴る繊細で叙情的な歌詞や、時代ごとに変化して表情豊かに織り成されるサウンドは、デビュー当時から現在まで、いつも心に響いています。穏やかに丁寧にインタビューに応えてくださった曽我部さんをはじめ、輝き続けるサニーデイ・サービスが放つ楽曲を、みなさんもぜひチェックしてみてくださいね!そして「音楽通信」は今回で最終回。素晴らしい皆様に取材させていただき光栄でした。皆様ありがとうございました!取材、文・かわむらあみりサニーデイ・サービス(Sunny Day Service)PROFILE1992年結成。曽我部恵一(Vo, G)、田中貴(B)、大工原幹雄(Dr)からなるロックバンド。1994年にミニアルバム『星空のドライブep』でデビュー。1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。フォーク、ネオアコースティックからヒップホップまでを内包した新しい日本語のロックは、シーンに衝撃を与えた。2000年12月に解散、2008年8月に再結成。現在までに14枚のアルバムをリリース。どの作品もバンド像を更新し続ける創造性と革新性に満ち、グッドメロディにあふれる。現在も国内外で揺るぎない支持を集めている。2024年8月28日、アナログ7inchシングル「Pure Green」をリリースした。InformationNew Release「Pure Green」(収録曲)Side A:Pure GreenSide B:Angel Eyes2024年8月28日発売(アナログ盤)ROSE328X¥1,650(税込)*数量限定。*7inchレコード。取材、文・かわむらあみり
2024年09月29日【音楽通信】第164回目に登場するのは、個性豊かなメンバーが集結し、ジャンルレスな音楽性で人気急上昇中の令和世代の女性アイドルグループ、ミームトーキョー!でんぱ組.incの妹分として新時代のグループが誕生SAE。3月14日生まれ。趣味は映画館、神社・パワースポット、純喫茶巡り。特技はギター、中国語。【音楽通信】vol.164MEWさん、RITOさん、SOLIさん、SAEさん、MITSUKIさん、NENEさんの6人組ユニット「ミームトーキョー」。2019年に結成、2021年7月に現体制となり、8月にメジャーデビューを果たした、でんぱ組.incの妹分となる令和世代の女性アイドルグループです。個性豊かなメンバーが集結し、唯一無二の新しいスタイルを披露し続けて人気急上昇中!そんなミームトーキョーが、2024年6月26日にニューEP『MEMETIC WORLD』をリリースされたということで、グループを代表してSAEさんとNENEさんにお話をうかがいました。――まず自己紹介からお願いします。SAE赤色担当の最年長のSAEです。クリエイティブで熱いメンバーが多いなか、冷静に一歩引いてグループを俯瞰的に見る役割だといえますね。165cmと身長が高いので、スタイルや立ち姿がきれいだと言っていただくこともあって、そこがチャームポイントだと思っています。NENEオレンジ色担当NENEです。グループのなかでも物怖じせず、やりたいことをどんどん発言する役割かなと。やりたいことがないなら作ればいいじゃん!と、曲を作ることも。チャームポイントは、顔の真んなかにあるホクロです。――小さい頃に憧れていたアイドルと、2021年からミームトーキョーに加入されたおふたりの加入のきっかけも教えてください。NENE。7月6日生まれ。ソロ名義「ロマンチック中毒」としても活動。趣味はヨガ、レコード集め。特技は英語など。SAE人生で最初に好きになったアイドルはAKB48です。なかでも松井玲奈さんが初めての推しで、そこからずっとアイドルが好きで、自分自身でもアイドルを目指すようになりました。その頃、当時から好きだった(アイドルグループの)「バンドじゃないもん!」や、結成したばかりのミームトーキョーが所属する事務所DSPMのオーディションを受けたところ、奇跡的にミームトーキョーのメンバーに選んでいただき、加入することになりました。NENE小さい頃に憧れていたのは、(ディズニー・チャンネルの海外ドラマ)『ハンナ・モンタナ』の主役ハンナ・モンタナです。普通の女の子がウィッグをつけると全米のスーパースターになるお話なのですが、そのキラキラなスタイルに憧れて、彼女の唯一無二なところに惹かれました。ミームトーキョーに加入する前は、ソロでシンガーソングライター、フィメールラッパーというスタイルで活動していたんです。そのときにミームトーキョーのプロデューサーのもふくさんからインスタのDMにメッセージをいただいて。メジャーデビューのお話があったので、これは親孝行のチャンスだと思って、ミームトーキョーに加入しました。――2021年8月にシングル「THE STRUGGLE IS REAL」でメジャーデビューされました。現在、デビューから4年目となりますが、当時と現在で心境の違いや変化はありますか?SAEデビュー当時は私も加入したばかりで、アイドルとして右も左もわからず、正直なところメジャーデビューの実感もありませんでした。でも、これまで3年間活動をして何作もリリースさせていただき、自分でも作詞やスタイリングに挑戦するなかで、だんだんとミームトーキョーの作品や歴史の一部になれてきている感覚が持てるようになりましたね。NENE私は「やるなら徹底的にやる!」がモットーなので、デビューのときから精一杯できることをしてきました。ただ、振り返ると、当時は少し勘違いしていたところがあったなと。自分さえ良ければいい、自分ががんばればどうにかなる、と思っていたんです。でも、グループ活動はひとりで行うものではないので、そんなわけはないんですよね。いまはみんなに「丸くなったね」と言われるくらい、自分の役割を合理的に考えて、ちゃんとコミュニケーションを取ることで、「みんなで一緒に上がっていこう!」という思いに変わりました。EPは“ミームトーキョーの世界”を提示――2024年6月26日に、ニューEP『MEMETIC WORLD』をリリースされました。まずタイトルの意味や今作で抱いた手応えからお聞かせください。SAEこのEPは、いまのミームトーキョーのライブで代表曲になっている曲たちやメンバーが作詞作曲した自己紹介ソング「MEME THE WORLD」も収録されていて、その名の通り“ミームトーキョーの世界”はこれだ! と示せるような作品になっています。NENEそうだね、タイトルは“ミームトーキョーの世界へようこそ”という意味もあるかな。今年の3月に、初めて東京のZepp Shinjukuで「世界」というタイトルのワンマンライブを行ったんですが、そのステージで披露したようにメンバーそれぞれのバラバラな世界観があってこそ、私たちのオリジナリティが発揮できているのかなと。そんなミームトーキョーだからこそのサウンドとリリックで、今回のEPもクリエイターのかたがたが制作してくださって、みなさんからの想いを胸に私たちが世界へ示す“ミームポップ”を存分に詰めた作品になりました。良い作品ができたので、聴いてくださるみなさんと一緒に世界に広がっていけるという手応えがあります。――EPは、TRFの名曲をハードでダンサブルにカバーした「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」から始まりますね。どんな点を意識して歌いましたか。SAEミームトーキョーの普段の楽曲は、ラップだったり、激しめで強かったりするものが多いなか、この曲はアレンジはいつもの楽曲に近いのですが、ボーカルはあえて原曲のハッピーなポップスらしい雰囲気を残した歌いかたを意識しました。普段と一味違う歌声が楽しめます。NENE私はもともとファンクがすごく好きなので、TRFさんの名曲と私たちらしさが組み合わさるということで「よっしゃー!」と思いました。ミームトーキョーのメンバーは声が可愛い割合が高く、ファンク×可愛い=新しい!最高!」となるので(笑)、完成を楽しみにしていたんですよね。私の声は可愛いほうではないからこそ、みんなとのギャップを生むようにかっこよくファンキーに歌い、原曲が発売された1995年当時のソウルを歌うように心がけました。――2曲目は、ミームトーキョーの人気曲も制作したボカロPのSTEAKAさんが手がけた、アッパーな新曲「CUTE TURN」です。SAESTEAKAさんの曲はいつもそうなのですが、聴いた瞬間からドストライクで、その日中、頭から離れませんでした。中毒性のあるサビと、この曲で初めて挑戦した間奏のヴォーグダンスがあるので注目してほしいです。NENEダンスミュージックという枠に収まりきれないアガる曲で、めちゃくちゃカッコいい曲です!こんな海外でも戦えるような曲があるなんて。サウンド感がたまらないですし、ちゃんとのれるのに音の遊び具合も気持ちいいんですよね。歌詞の言葉遊びも楽しくて、語感もポイント。ただ、歌うのはとても大変でした(苦笑)。――chelmicoさんが作詞の「AGAIN AND AGAIN」の聴きどころは?SAEダークで攻撃的なラップから、サビで突然明るくポップに転調するのが印象的な曲で、初めて聴いたときに私もびっくりしました(笑)。でも、聴いたら幸せな気分になれるところがおすすめです。NENEryo takahashiさんのトラックもものすごくカッコよくて。とくにベースからサビにいくところは、chelmicoさんへの解像度が高いなと。リリックで好きなポイントは、「脳 もう分かってるんでしょ?脳 無意識に侵入しちゃうから」とあって、最初にデモを聴いたときは「NO~」と歌っていると思ったら「脳」だと知ったときの興奮度は高かったですね。あと、自分が歌っている「苦しくなるほど楽しくなってきちゃうんだ」というラップパートは、ライブで息が続かなくて苦しいんですけど、最高に楽しいです(笑)!――サクライケンタさんが手がけた「story, story」のポイントは?SAEなんといってもサビの「What は 話 わ 輪 わ 和 わ wa は? わ わ わ わ」という部分が中毒になるので、頭を空っぽにして一緒に歌って踊ってもらいたいですね。さらに、サビ前の「聞いててよ」というところは、実は何度も録り直したこだわりポイントなので、気にして聴いてもらえたらうれしいです。NENEミームトーキョーにありそうでなかった楽曲。リリックの意味を深く考えず、めっちゃ楽しいので、音楽を感じてほしいですね。耳心地も最高。とくに私が好きなポイントは、SAEちゃんのパートで「やば ば ば ば ば but バ バ バ ば ば ば ば」のところ。ライブでお客さんの立場に自分がいたら、来てほしいときにくるこのハーフのビート感がクセになります!――どの曲も独創性にあふれていますね。ラストには、メンバー全員で作詞作曲した「MEME THE WORLD」が収録されています。SAE自己紹介の曲になっているんですが、自分を客観的に見なければ自己紹介の歌詞が書けないので難しくて、メンバーにも助けてもらいながら完成できました。この曲はNENEちゃんが一人ひとりのイメージに合ったトラックを作ってくれていて、ステージではひとりずつ入れ替わりながら歌っているので、ゲームのキャラクター紹介のようになっているのが見どころです。NENE絶対に爪痕を残したかった初のZepp Shinjukuのステージでこの歌を披露することが決まっていて、新しいことがしたくて作った曲です。そこで、自分ができる最大限のことを考えて、ラフでトラックを制作すると、みんながのってきてくれて。音を作っていくのは本当に大変でしたが、作ってよかったです。ただ、ステージングや歌詞についてはそれぞれが自分の強みをわかっているグループなので、曲が完成してしまえば何も心配はありませんでした。ミームトーキョーのライブを初めて見た人にも“メンバーのキャラクターを魅せる”ということを意識して制作したので、それぞれのパートを楽しんでもらえたらうれしいです。――今回のEPをどんなふうに聴いてほしいですか?SAE爆音で聴いてアガれる曲、ハッピーな曲、心が折れそうなときに背中を押せる曲など、いろいろな場面で聴いてもらえるEPになっています。メンバー自身が制作に関わった曲もありますし、ミームトーキョーをいつもそばに感じながら、聴いてもらいたいですね。NENE長年のファンのかたは、EPで聴く新しいミームトーキョーの行き先はどこに向かうんだろうと思っているかもしれません。でも、新しい魅力を見せ続けることは、最高に面白いことではないかと思っているので、一緒にこれからもミームトーキョーの歴史を作っていってほしいですね(微笑)。――今後のライブやイベントのご予定はありますか。NENE対バンイベントなどに最近は出演していますが、もっとファンのみなさんと会いたいなと思っています。今後も濃厚な時間をみなさんと過ごすために、できることをやっていきます。SAE2024年10月10日に秋葉原ディアステージで久しぶりの主催ライブ「木曜日のミームトーキョー」を行いますし、ハロウィンイベントも予定しています。ミームトーキョーは毎年、ハロウィンにも気合を入れていて、今年は自分たちで世界観を決めてスタイリングをしました。秋も盛り上げていきたいと思います!世界中に唯一無二のグループを知ってもらいたい――お話は変わりますが、最近ハマったものはありますか?おやすみの日の過ごしかたもお聞かせください。SAE秋の味覚が大好きで、とくに栗をこよなく愛しているので、カフェを巡って“栗活”をしています!おやすみの日は、ひとりでも映画館に行くことが多いですね。最近だと、『ラストマイル』という映画が面白かったです。NENE最近はストリートスタイルにハマっていて、髪型を変えるたびに、趣味嗜好も少し変わったりするので、面白いですね。おやすみの日は、曲を制作したり、本を読んだり、寝ずに映画とドラマを観たり。いまは、パーティに行きたいです(笑)!――わぁ、楽しそうですね!ちなみに美容面で日頃から気をつけていることは?SAE食べたものを毎食、記録するようにしています。食べすぎや足りていないものに気付くことができるので、体調管理にも役立っています。あとは、毎日しっかり湯船に浸かって、からだを温めるのも欠かさないようにしていますね。NENE私はメンタルヘルスのために運動をしています。以前、ワンマンライブのときには、体力作りのために走り込みをしました。いまも1時間は散歩をしたり、ヨガをしたり。――では、お気に入りのファッションやこだわりのコスメなどはありますか。SAEファッションだとモードっぽい服装が好きなんですが、最近はデニムやストリート系の服装にも挑戦しています。お気に入りコスメはNEOGENのマスカラとSO NATURALのフィックスメイクスプレー。ライブで滝汗をかいても、アイドルメイクがキープされるのでおすすめです!NENE今日どんなスタイルになりたいか、マインドになりたいかで、いつも服を選んでいます。メイクは服に合わせたり、自分のなりたいにようにするので、どんなメイクにも対応できるように、アイパレットもリップも無限にカラーを持っています。だから、こだわりすぎてコスメがたくさんあるんですよ。――いろいろなお話をありがとうございました!最後にグループの今後の抱負を教えてください。SAE最高のクリエイターさんと作る自分たちの作品に自信を持っているので、いろいろなフェスに出演するなど、ジャンルを問わず、たくさんの人に知ってもらえたらうれしいです。ミームトーキョーという唯一無二のグループがいることを世界中のかたに知ってもらえるように、私たちの世界を広げていきたいです。NENEこれからも自分たちが誇りを持って「カッコいい」と思えるグループでいられるように、全力を尽くしていきます。今後は、ワンマンライブツアーがしたいですし、SAEちゃんも言っていましたがフェスにも出演したい。さらに、話題になってワンマンが全公演ソールドするようなグループになっていけたらと思います。取材後記6人のメンバーそれぞれが独自の魅力を持ち、令和時代を鮮やかに駆け上がっているアイドルグループ、ミームトーキョー。今回ananwebの「音楽通信」には、グループからSAEさんとNENEさんが登場してくださいました。新作では、EDMやラップ、ダンサブルな楽曲などを取り入れて、アイドルのフィールドを超えた歌唱力やパフォーマンスを見せてくれています。そんなミームトーキョーのEPをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!取材、文・かわむらあみりミームトーキョーPROFILEMEW、RITO、SOLI、SAE、MITSUKI、NENEによる6人組ユニット。2021年8月、でんぱ組.inc の妹分ユニットとして、シングル「THE STRUGGLE IS REAL」でメジャーデビュー。「ミーム」とは、人から人へ伝染し、広がっていく文化的な遺伝子のこと。さまざまなカルチャーを横断しながら、自分たちのコンセプトやスタイルを世界中に拡散させ、次世代へとバトンをつないでいく令和世代の女性アイドルグループとして活動中。2024年6月26日、ニューEP『MEMETIC WORLD』をリリース。InformationNew Release『MEMETIC WORLD』(収録曲)01. Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜02. CUTE TURN03. AGAIN AND AGAIN04. fight/flight05. story,story06. MEME THE WORLD発売中(完全生産限定盤)TFCC-81068(CD)¥3,000(税込)
2024年09月27日アーティストの鉄拳が15日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】アーティスト 鉄拳 タチウオを釣り上げる!「ビックリしたなぁ。」「前々から、ずーーっと気になっていた顔のシミがどんどん濃くなっている気がして‥、ずっと行く勇気が無かったのですが、意を決してとうとうシミ取りレーザー治療に行ってきました!色々説明を聞いて、女性の方に治療室に連れて行かれ、ドキドキ。」と綴り、1枚のイラストをアップした。イラストのような状況になっていたとしたら怖すぎる。 この投稿をInstagramで見る 鉄拳/Tekken(@tekkenparapara)がシェアした投稿 この投稿には「いいなぁ私もシミ取りしたいですーお金も施術も不安だけど〜」などのコメントが寄せられている。
2024年09月16日【音楽通信】第163回目に登場するのは、“東洋一のサウンド・マシーン”クレイジーケンバンドのフロントマンでボーカルの横山剣さん!小さい頃は心に響くものを聴いていた横山剣。1960年、神奈川県横浜生まれ。クレイジーケンバンドのリーダー/作曲、編曲、作詞とキーボード、ボーカルを担当。【音楽通信】vol.1631997年春、横浜本牧で結成されたクレイジーケンバンド(CRAZY KEN BAND、通称CKB)は、2023年にデビュー25周年というアニバーサリーイヤーを迎え、さらに奥深くカッコいい歌とサウンドを聴かせてくれています。そんなクレイジーケンバンドが、2024年9月18日に24枚目となるニュー・アルバム『火星』をリリースするということで、ボーカルの横山剣さんに音楽的なルーツや新作のお話、日頃の趣味まで、いろいろなお話をうかがいました。――クレイジーケンバンドは、昨年デビュー25年周年を迎えましたね。はい、今年は結成27年にもなりました。バンドをスタートした地点で、すでに僕は37歳でしたし、デビューしたのは38歳。なので、とにかくその出遅れを取り戻す勢いでずっとやっているという感じで、毎年、加速しています(笑)。1年がすごく短いですね。――2019年にこのananwebの「音楽通信」で取材させていただいた際、小学生のときから独学でピアノで作曲されているというお話をされていました。自己流でコードをつけて弾いていたんです。CとかAとか正しいコード名はわからないけれど、たとえばAマイナーは「悲しみ」、Eは「悲しみの入り口」、Fメジャーセブンは「サンセット」といったように音のイメージで名前をつけていて。曲を聴くとどの音かも感覚的にわかっていましたし、自分なりに曲を覚えたり、作ったりしていました。――すごいですね。もともとご両親も音楽にお詳しい環境だったのですか?父親はビクターレコードと取引する会社をやっていたので、家にいっぱい見本盤があって、そのなかに自分にもグッとくる曲がありましたね。父親自身は趣味で、ブラジル音楽やジャズ、ソウルミュージックをよく聴いていました。ただ、両親が8歳のときに離婚して母方に引き取られて。その後も父のマンションには遊びに行っていたので、そこで最新の音楽を聴いて、父親からダイアナ・ロスも教えてもらいました。――小さいお子さんが聴く童謡や歌謡曲よりは、大人が聴くような洋楽もすでに聴いていたのですね。子ども向けの歌も好きでしたし、歌謡曲も演歌も民謡も聴いていました。だからジャンルはまったく気にせず、心に響くものを聴いていて。それを決定的にしたのは、小学校5年生のときにやった中古レコードの実演販売です。11歳のときにノンジャンルで売ってたので、そのときもさまざまなジャンルの曲を聴くきっかけになりました。実演販売は、レコードをかけながら、たとえ知らない曲でもなんとなく曲を説明しながら(映画『男はつらいよ』の)寅さんスタイルでやるんです。1971年からやっていて、いまも実演販売をやっていますが、ルーツはそこにあるんですね。さらに「イイネ!」という言葉は、もっと前の1960年代から言っています。――そんなに前からだったんですね。その頃は、父親と別れて寂しくしていたときに、伯父が父親がわりになってくれていて。何がいいも悪いもなく、「いいねえ」が伯父の口ぐせだったんです。たとえおばあちゃんの葬式のときでも、久しぶりに会ったら「いいねえ」と。「何言ってるの、今日はお葬式だよ」と言っても関係なく。よくないときも、泣いていても、「いいねえ」と伯父に言われるとポジティブになれる。「まあいいか」と思える魔法の言葉でした。学校でもそれを言うようになって、学校でプチブレイクして、中学のときにバンドをやるようになって。MCで言うことがないから「いいねえ」と言うようになって。ある時期から、いまの「イイネ!」になりました。――1981年にロックバンド「クールスR.C.」のボーカルをされていたときも、この言葉は使っていたんですね。使っていました。その頃は、東京の渋谷区神宮前に住んでいて、青山高校の夜間部に通っていたんです。バイクで高校に行く通学路に、クールスのお店があって、通るたびに声をかけられて面識ができて。クールスは好きだったんで、「牛乳買ってこい」とかお使いをさせられていたんですが、迎え入れられている感じが気分がよかったんですよね。でもまた声をかけられたときに、今度は「明日からクールスのツアーに来い」と言われて、「それは学校があるのですいません」と断ったら、「学校なんか行ってる場合じゃないだろう」ってクールスのリーダーに言われて。まだ退学する勇気がなかったので、休学届けを出しました。――高校生のときですよね。そうです、高校2年生を何回か繰り返しているんですけど(苦笑)。それで休学して、クールスのツアーにスタッフとしてローディで入って、その後サブマネージャーになって、その後ファンクラブ責任者になって。さらにその後は「ボーカルになれ」と言われて、ボーカルになりました。――突然の担当がえのようなことは、抵抗がなかったんですね?抵抗はありましたよ(笑)!同じ頃、ポリスターレコードからソロでやらないかと言われたんですが、いきなりソロでやってコケたらおしまいだから、断ったんです。ソングライターは、人に歌ってもらってこそ、エゴが果たせる。だから、ソロのオファーはうれしい反面、作曲家としてデビューしたかったので、自分が表に出るとかシンガーソングライターとしてというのはどうなんだろうと。ソロだと歌も自分になりますが、クールスだと自分が作った歌をバンドメンバーも歌ってくれるのがいいなと思ったんですよね。だから、バンドのボーカルを選んで。クールスR.C.として、17歳のときに自分が作った曲で、21歳のときにデビューしました。その後も自分でボーカルをしたものが全部シングルになっています。うれしかったのと同時に不安もあって、自分は後から入った立場だから、お客さんが受け入れてくれるんだろうか、と。モー娘。でいうと後藤真希、ドリフでいうと志村けんみたいな立ち位置でしたから(笑)。すぐには受け入れてもらえないと不安がありましたが、わりとすんなり受け入れてもらえたのでよかったです。新作はスペーシーな雰囲気のある場所から想起――2024年9月18日にニューアルバム『火星』をリリースされます。インパクトのあるタイトルですね。鶴見区の京浜工業地帯にドライブに行くと、夜は工場に電飾がついて、スペーシーな雰囲気でカッコいいんですよね。その近所に、ゴム通りと呼ばれる通りがあって、そこに以前実在した“火星”という焼肉屋さんの名前からタイトルをつけました。「なんで焼肉屋さんなのに火星なんだろう?」と気になって、さらにお店のネオンもスペーシーで。ちょうどそこを通りかかったときに、そろそろアルバムタイトルを決めようかなというタイミングだったので「これだ」と思ったんですよね。アルバムタイトルを冠した2曲目の「火星」は当初タイトルがなかったんですが、アルバムタイトルに合致する世界観があったので曲名も同じにしました。――今回も共同サウンドプロデューサーで作編曲家のPark(gurasanpark)さんとの共作もあります。Parkくんには2018年から関わってもらっていて、前はもう少し間接的な関わり方でしたが、いまでは一心同体というぐらい、一体感が増えました。僕の頭のなかで生まれるメロディを引き出すためのバックトラックを作ってもらって、半分くらいはそのバックトラックにまた何かを乗っけていくような作り方をしています。僕は脳内に鳴っている音楽や、直感的にひらめいたことをパパッとメンバーに伝えるんですが、わかりにくいところもあるようで。Parkくんはそこをちゃんと言葉でメンバーに伝えてくれて、通訳してくれます。――剣さんにとっても、よい刺激になるようなところも?そうですね。デモ音源を作るのに効率もいいですし、興奮もしますし。今作も5曲の共作がありますが、彼の作ったバックトラックから、いままで自分になかったメロディが浮かんでくることもありました。――3曲目「ハマのビート」は、ノリノリのアップテンポなナンバーです。横浜の「ハマフェス」というお祭りの公式テーマなんですが、有志から頼まれまして、作詞、作曲、編曲、レコーディング、配信、さらにハマフェスでの初披露など、すべてを一か月以内に完遂しました。僕はCDのパッケージに思い入れがありますが、この時代のサブスクにも有り難みを感じています。作ってすぐに出せるというのは、サブスクの魅力ですね。――5曲目のメロウな「Percolation」は、先行配信された楽曲ですね。この曲は全部、自分の頭のなかから出したものです。制作の過程では、1か所だけ頭のなかにあるコード進行がどうにもアウトプットできなくて、いろいろちょっと音を出してもらえますか、とParkくんに弾いてもらって。「これですか?」「違う」「これですか」「それ!」というやりとりも。自分の鍵盤の能力に限界があるので、そのあたりは、「もうちょっと宇宙的な感じなんだよね」と言うと、すぐわかって音を出してくれて。それはもうひとり、うちのギターの小野瀬雅生もできるワザなんですよね。――小野瀬さんというと、ピコピコとSFチックな音も印象的な12曲目「Trans Solar System Express」の作曲をされていますね。YMOが大好きだったのでそんなテイストもあるものの、途中で韓国のポンチャック(歌謡曲と演歌が混在したような音楽)仕様になってたり、サビは北欧のギターインスト風味になったり。北欧といっても、昔の1960年代のフィンランドのサウンドみたいなテイストですね。――この曲はインストですが、以前からこういった歌唱のない曲を数曲、アルバムに収録されています。歌モノよりも、バート・バカラックとか、本当はイージーリスニングが好きなんです。シンガーソングライターが台頭してから、歌モノもいいんだな、と思うようになったけれど。ユーミンさんとか、山下達郎さんとか、矢沢永吉さんとかを聴いて、自作自演の曲も素晴らしいと思うようになりましたね。――8曲目「おお!マイガール」は剣さんの作詞作曲です。ずっと前からある曲で、頭のなかでずっと鳴っていたけど出すタイミングがなくて。毎年候補に入れながらも、ちょっと恥ずかしくて、いつも引っ込めていた曲です。今回、いまが出し頃だと思って収録しました。何のひねりもない、まっすぐな歌詞のシティソウルです。――まっすぐな歌詞だから、少し気恥ずかしかったのですね?それもありますし、サウンドがちょっと古くさいかなと思っていたんですけど。いまは古いからダサいなんて言う人はいなくなったでしょ。僕らにとって「古い!!」はある意味、褒め言葉だったりもする。しかも、いま思う“古い”なんですよね。やっぱり前に進んでないと、古いことを認識できないから。たとえばジンジャー・ルートとかロス・レトロスとか、若い人が70年代の音楽を料理し直して発表していますよね、「クールだ」と言って。要するに僕らが「古くさい」と感じてたのは、聴き方のセンスが違っているからで、若い人のセンスに逆輸入的な逆影響を受けることもあります。――若い世代にも刺激を受けて常に活性化されるということは、スランプで曲が書けなくなることはないのですね。自分の子どももそうですが、常に10代や20代の人との付き合いもあるので、いい影響をもらえるんだと思います。同世代で集まるのも楽しいんですが、へたをすると昔はよかったという話になってしまうこともあるから。それだけだと現役感がなくなっちゃう、しなくていい変化をしてしまったり。よくベテランの歌手が昔の歌をすごくためて歌ったり、アレンジを変えてしまったり。その曲の良さがそこなわれてしまうこともありますが、そういうことじゃないんだよと。フレッシュであることが大事。たとえばサウンドプロデューサーのParkくんも、親子ほど年が離れていますが、僕がちょっとダサいかな、と思っていたことが「いまはクールです」と言ってくれたり。音楽は多面体だから、どんどん変わっていくんですよね。ただ、若い人との交流で影響を受けるか、受けないかは、そのときの自分の気持ちによりけりです。――アルバムのラスト16曲目「Sha na na na na」は、歌詞では触れていませんが、愛犬との別れが大きく影響しているそうですね?以前、ananwebで「チワワを飼った」と聞きましたが、そのワンちゃんのことですか。そう。小さいチワワちゃん。横浜のホームセンターのペットショップで、かなり大きい犬と大ゲンカして圧勝していたチワワが気になって、接着剤を買う予定だったのにそのチワワを買って帰ったという話。今年の1月に死んでしまって……。これまでの思い出や感謝がメロディに表れた曲です。前に柴犬を飼っていたときは「コロ」という犬のことを書いた曲があって、犬のことだけに特化していた。でもこの曲には、思い出のなかに生きる人々やペットたちへの想いが入っています。――アルバムは毎年1枚ずつリリースされていますね。いつも「これが最後のアルバム」と思いながら作ってますよ。いま20代、30代だったら、6年ぐらいあけて出してもいいんですけど。いつどうなるかわからない恐怖から、毎年出しているところもあります。曲数も聴く側の集中力を考えると、多過ぎるのもよくないなと、今回は12曲にして。1曲に対する密度が高くなって、全部がシングルのようなクオリティじゃないといけない気持ちになるので、いままで以上に作るのに時間がかかりましたし、大変でしたね。――アルバムの後には全国ツアー「クレイジーケンバンド 火星ツアー 2024-2025」が開催されますね。9月の東京・福生から2025年3月の兵庫県・神戸まで、今秋から来春にかけて、全国をまわります。アルバムからも、あまり披露したことがない曲もカヴァーも演奏します。まだ曲順も決めていないので、ぎりぎりにならないと、モードが見えてこないんですけど。だから練習に間に合うように、選曲しようと思います。ユーモアのある新しい作品を作っていく――お話はかわりますが、ステージでもパワフルな剣さんは、普段から鍛えているんでしょうか。ジムに行って、筋肉をつけているんですが、お腹も出てきているんですよね。筋肉をつけるとお腹が目立たなくなるから(微笑)、ステージ自体が一番のフィットネスになっています。ジムでは限界があって、1時間も運動したらけっこうつらいんですが、ライブだと3時間でも平気。暑いのも、忘れてしまうんですよね。――ハットとサングラス姿が素敵ですが、普段のファッションはどのような感じですか。普段は、Tシャツにデニムのような感じが多いです。お呼ばれや会食があるときはビシッとスーツを着ていきますが、ずっと着ていると肩がこってしまうから、長時間のときは脱げば楽になる格好をしていて。サングラスとハットもしないですね。かぶるとしても、キャップかな。ステージ衣装は、短パンにランニングとか、昔のサザンのようにしたいと思ったこともありましたが、スタートがもうスーツで出てしまったんですよね。いまさら短パンで出るのも露出が多くて恥ずかしいので、ステージではスーツがいいです。――以前、ご趣味が「車、バイク、植物をいじること」とおっしゃっていて。いまも変わりないですか?そうですね、とくに植物という面では、畑を借りて野菜を作っているんです。自分の家だと手狭なんですが、シェア畑というのがあって、畑の団地みたいなところを借りて、トマトやらスイカやらチンゲン菜やら茄子やら、いろいろな野菜を作っています。――いつからシェア畑で野菜作りを?コロナ禍の少し前からだから、5年前ですね。自分で作って自分で食べたらうまいんじゃないかな、と。いざ始めたら、「こんなに大変ったんだ」とわかりましたが。畑を耕すとどろどろになりますし、汚れますし、夏に長靴を履くのもつらい(苦笑)。ただ、できる野菜の形は無骨ですが、自分で作った野菜やイチゴとかを収穫するのは、なんかうれしいんですよね。うまいかどうかといったら、絶対に売っているものがうまいはずなんですが。――楽しそうですね!楽しいですよ。あと畑ではなく、自分の家ではブルーベリーも作っていて。自分で種を撒くので失敗もあるんですが、ちゃんと実がなって、収穫するときには、すごく充実感があります。ちょきちょきとハサミで切って、バケツに入れて。実がなったらザルにバーッとブルーベリーを入れて、そのまま洗って一気に食べるとさらにおいしいんですよね。――いろいろなお話をありがとうございました!今後はリリース、そしてツアーが控えています。来年の3月にツアーが終わったら、すぐ次作のデモ音源を作ります。いまもデモ音源の一歩手前のところまで自分のレコーダーに曲ができていて、それがけっこうな数になっていて。歌詞を先に作るのも好きなんですが、詞が先にあるとメロディが押し出されて生まれてきて、すでに30曲ぐらい新曲ができています。――ずっとバイタリティにあふれていらっしゃるのですね。曲が未完成でも、そこからブラッシュアップしていけば、いいものになっていくと思っていて、できたものはなるべく作品したいと思っています。たとえば昭和のようにヘビーな時代は、真逆の馬鹿馬鹿しい歌で救われることがある。僕はクレイジーキャッツなどの歌に救われたから、そういったユーモアみたいなものはずっと失いたくないですね。毎年、自分でも、今度はどうなっているんだろうかと思いながらも、みなさんに新しい曲を届けていきたいです。取材後記2019年8月に、このananweb【音楽通信】第2回目に登場してくださったクレイジーケンバンドの横山剣さんが、再び登場してくださいました!天才的なメロディメーカーでもあり、あふれでる音楽の泉をCKBマジックに包んで、届けてくださるのは周知の通り。いつもジェントルマンな剣さんをはじめ、CKBのみなさんのニューアルバムを、みなさんもぜひチェックしてみてくださいね!!写真・鳥羽田幹太取材、文・かわむらあみりCRAZY KEN BAND PROFILE横山剣を中心に、1997年の春頃、横浜本牧の伝説的スポット「イタリアンガーデン」でクレイジーケンバンドが誕生。1998年にアルバム『Punch ! Punch ! Punch !』でメジャーデビュー。横山は作曲家として、和田アキ子、SMAP、松崎しげる、グループ魂ほか、数多くのアーティストに楽曲提供も行い、m-flo、ライムスター、マイティー・クラウン・ファミリーなど、ジャンルレスのコラボレーションを実現するなど、その音楽活動は多岐にわたる。2024年9月18日にニューアルバム『火星』をリリース。9月28日より東京・福生市⺠会館大ホールより、全国ツアー「クレイジーケンバンド 火星ツアー 2024-2025」をスタート。InformationNew Release『火星』(収録曲)01. Overture02. 火星03. ハマのビート04. レインボー・ドライヴ05. パーコレーション06. eye catch * Late Summer Madness07. 頭に来ちゃうぜ08. おお!マイガール09. 辻堂海岸10. 2時22分11. eye catch12. Trans Solar System Express13. 黄昏急行14. 霧子15. eye catch * Kiriko Part 216. Sha na na na na2024年9月18日発売※収録曲は全形態共通。(通常盤)UMCK-1775(CD)¥3,575(税込)(初回限定盤)UMCK-7249(CD+DVD)¥7,975(税込)(UNIVERSAL MUSIC STORE限定完全受注生産盤)※初回限定盤(CD+DVD)+火星ロゴTシャツ。DSKU-13370¥11,770(税込)写真・鳥羽田幹太 取材、文・かわむらあみり
2024年09月10日動画配信サービスFODは、CBCテレビにて8月15日 24時58分から放送開始するドラマ『怖れ』を、放送直後となる25時30分から独占配信します。■人間特有の抽象的な感情である“怖れ”に揺れ動く!ドラマ『怖れ』は、スマートフォン・PC向け漫画サービス「サイコミ」で絶賛連載中の川上十億の『怖れ -令和怪談-』(サイコミ/Cygames)を原作に、パパ活やAI、ASMRなど令和を象徴するテーマで描かれたホラー作品です。人間特有の抽象的な感情である“怖れ”に揺れ動く主人公・溝口マユ役は、ドラマ『ブラックシンデレラ』や映画『違う惑星の変な恋人』などで主演を務め、いま大注目の俳優・莉子さん。そして主人公・溝口マユを追いかける謎の突撃系配信者・ヤマカズ役は、Hey! Say! JUMPとして活躍する傍らドラマ『ごくせん』で連続ドラマ初出演を果たしたのち、近年では『星降る夜に出掛けよう』『東京輪舞』などの舞台にも注力し、数多くの話題作で活動の幅を広げる、髙木雄也さんが演じています。さらに、演出には「Google Pixel」や「ユニクロ」など数々のCMやアーティストMVなどを手掛ける小山巧氏を迎え、アーバンスタイリッシュで異彩を放つホラー作品を届けます。◇【ストーリー】人間だから怖れるのか 怖れるから人間なのか……フリーターの田辺日向は、マッチングアプリで出会った男につきまとわれる。恐怖を感じて日向は逃げ回るが、男に捕まり殺されてしまう。だが次の瞬間、別人の斎藤アユミになってしまう!何が起きたのか分からないまま、アユミとして生活するが、コスプレイヤーの撮影会でトラブルに巻き込まれ、恐怖の中で再び命を落とすことに……するとまたもや、アユミは別人の進藤カナエというOLになり、新たな恐怖に襲われるのだった。なぜ死ぬたびに別人になるのか……、深まる謎にカナエは途方にくれる。一方、突撃系配信者のヤマカズ(髙木雄也)は、街で起こる様々な殺害事件に、謎の女性、溝口マユ(莉子)が関わっていることを突き止める。果たしてマユの正体とは?全ての謎を解くカギは、人気VTuberユクスルにあった!■番組概要●タイトル:『怖れ』(全10話)●放送:CBCテレビにて2024年8月15日 放送開始毎週木曜日24時58分放送●配信:2024年8月15日 独占配信開始毎週木曜日25時30分最新話配信●出演:莉子髙木雄也 ほか●演出:小山巧●製作著作:「怖れ」製作委員会(エイベックス・ピクチャーズ CBCテレビ)●URL:・(オフィシャルページ)・ (配信ページ)(エボル)
2024年08月20日【音楽通信】第161回目に登場するのは、つい口ずさんでしまうメロディと独特の歌声が印象的な現在22歳のシンガーソングライター、汐れいらさん!小さい頃から音楽が身近な環境に育った【音楽通信】vol.161家族の影響で「小さい頃から歌うことが好きだった」という、シンガーソングライターの汐れいらさん。16歳の頃からオリジナル楽曲を作るようになり、都内を中心に路上ライブやライブハウスのイベントに出演。2021年にデジタルシングル「さよならCITY」でインディーズデビューし、2022年に発表した「センチメンタル・キス(Acoustic ver.)」はAbemaTVの恋愛リアリティ番組『彼とオオカミちゃんには騙されない』のBGMに起用され、TikTokなどSNSでティーンエイジャーから人気を博し、バイラルチャートでは1位を獲得しました。2023年には、デジタルシングル「Darling you」でメジャーデビュー。“この世界のどこかにいるかもしれない誰か”のことを曲にする汐さんが、2024年8月14日に1st EP『No one』をリリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――小さい頃に音楽にふれたきっかけから教えてください。両親からクリスマスプレゼントにピアノとマイクを買ってもらって、遊びながらピアノを弾いて歌っていました。小さい頃から、音楽を聴きながらお酒が飲めるライブハウスによく連れていかれていたので、音楽は身近にありましたね。母も歌うことが好きで、家でもよく歌っていました。――音楽に親しむ環境で育ったのですね。そうですね。高校生のときには軽音楽部に入って、バンドのメンバーとして文化祭で初めて人前で歌って。最初は3人しかいなかったので、同じくスリーピースバンドのKANA-BOONさんなどのコピーをしていました。でも、みんなが同じバンドが好きということで集まったわけではないですし、自分が好きなバンドと歌いやすい曲は違うんですよね。だからなのか、コピーバンドをやっているときは、あまり音楽をやっていて楽しいとは思いませんでした。でも、16歳のときに、自分の曲を作るという部活の合宿があって。自分で曲作りをしてみたら予想以上にはかどって、すごく楽しかったんです。作った曲の発表をしたときに、友達が「コピーよりこっちのほうがいいね」と言ってくれたことを覚えています。――では実際にプロを目指したのはいつ頃ですか?音楽の道でやっていこうと思ったのは、デビューする少し前ぐらいです。歌うことと同じく、何かを創造することも好きだったので、小説を書くのも本を読むのも好きで。将来は本に関わることがしたくて、大学に行きながら趣味で音楽ができたらいいなと、ぼんやり思い描いていました。でも、いざ大学生になって、授業を受けて宿題もしてアルバイトもして…となると、音楽をする時間がほとんどなくて。そんな状況でしたが、まわりにも音楽をがんばっている友達はいました。仲の良い友達とふたりでいたときに、その友達の家族から「未来の小説家とシンガーだな」と言われたことがあって。どうやら私に対しては「小説家」、友達に対しては「シンガー」と励ましてくれたんだと思うんですが、ちょっとモヤッとしたんですよね(苦笑)。隣にいる友達が「未来のシンガー」と言われたことが、うらやましいんだなと気づいたんです。そこで、私はやはりシンガーになりたいのかもしれないと。そんなときにいまの事務所のかたに声をかけてもらって、デビューすることにつながりました。――2023年8月にはデジタルシングル「Darling you」でメジャーデビューされましたが、デビュー後心境の変化はありましたか。一番変化を感じたのは、「Darling you」でメジャーデビューしたときに、私の曲について考えてくれる人がまわりに多くなったことですね。そこで「デビューしたんだな」と実感しました。ライブで発表したんですが、そのときにファンの人たちが思った以上に喜んでくれて、すごくうれしかったです。1st EPでは曲ごとの世界を想像してみてほしい――2024年8月14日に1st EP『No one』をリリースされました。各楽曲に“書き下ろしのストーリー”として短編小説や物語がついているのが特徴的です。歌詞を先に構想して、そこから広げてストーリーを考えているのでしょうか?最初に書くときは、歌詞を先にとかストーリーを先にとは決めていないんです。ふと頭に浮かんだ情景をひとまず書き出してみて、そこから世界が広がっていくので、その世界観をだんだんとまとめていく感じですね。だから、書いているうちに歌詞やストーリーができていきます。――今回のEPでは楽曲ごとに歌詞と小説がありますが、そもそも曲を作るときは、どんなふうに作っていらっしゃるんでしょうか。全部作り方が一緒なわけではないんですが、だいたいは歌っているとメロディと一緒に歌詞が出てくることがあります。それで「これを使おう」となったときに、その言葉から派生して、歌詞の世界や曲ができていく感じですね。――では今作のタイトル『No one』に込めた思いは何ですか。いつも誰ともかぶらない曲を作りたいと思っていて、このEPにも、この世界にいるかもしれないし、いないかもしれない誰かの曲たちを詰め込みました。さらに「No one(ノーワン)」と書いて、「ナンバーワン」という意味もあって。誰かのためではなく、自分にとっての1番になりたいという思いも込めています。そして、こういう何個か意味がある言葉が好きというのもあって、このタイトルにしました。――1曲目「糸しいひと」は、とらえ方の違いですれ違うふたりを歌っていますが、どのようなことから曲が生まれましたか。この曲は、漢字の音読みと訓読みの違いが気になって、調べたことがきっかけでできました。「訓読みだけで いいのにね」と歌詞にもあるんですが、音読みだけを聞くとそれだけでは言葉の意味がわからないけれど、訓読みにすると意味がわかる。それを知ったときに、曲にしたいなと思いました。――3曲目「うぶ」は、結婚する娘を見送る父親の目線というのが珍しいですね。サビから書き出した曲なんですが、そのときはまだ視点が決まっていませんでした。曲を作っていくうちに、誰だろうな、お父さんの目線かなと定まってきて。歌詞を読んでいくと、娘へ送った気持ちではなく、普通の男女のラブソングにも見えるようになっています。どんなパターンの曲としても、受け取ってもらえたらいいなと。――7曲目「備忘ロック」はアンニュイな感じで、彼女のことでしか曲を作れないバンドマンの歌だそうですね。「備忘ロック」は、最初のサビの「僕の青春は」から言葉が生まれてきました。でも、「青春」というひとことで片付けていいのかな、ありきたりの言葉じゃないのかなと考えると、あまり青春という言葉は使いたくないと思ったり。歌詞を書いていくうちに、次第に青春にもいろいろあって、普通の主人公がこの曲を歌ったらダサいかもしれないけれど、「バントマンの曲ならいいかも」と感じて。彼女を振るバンドマンはけっこういるけれど、そうではなく、最終的に彼女のために最後の曲を歌うバンドマンを主人公にしました。――曲の主人公がバラエティに富んでいますね。一人称が「僕」の歌詞が多い印象ですが、自然とそう生まれ出てくるものなのですか。自然とそうなるところもありますし、「僕」としたほうが歌いやすいというのもありますね。これが「俺」になると強い印象になりますし、「私」にしてもいいんですが、「僕」にするとキャラクターが固定されないから、曲の印象も広がるかなと思ってそうしています。――1枚目のEPが完成して、これからファンのみなさんのもとに届きます。どんなふうに聴いてほしいですか?1曲ずつ、確かめながら聴いてほしいですね。収録曲にはすでに配信されている曲もあるので、何曲か聴いてくれている人もいると思いますが、もう1回、EPとして形になったものを聴いてほしいなと。収録曲それぞれにイメージビジュアルも付いているので、歌詞と一緒に小説も読みながら、また聴いて何かしらを思考してほしい。たとえば、歌詞の通りに曲の世界を想像してもらうのもいいですし、いや、これは違うなとかでもいいんですよ。そういう発見も楽しんでほしいですね。――9月には東名阪で「Ushio Reira One Man TOUR 2024『No one』」と題したツアーを開催されます。これまで路上ライブやイベントでライブをしてきて、けっこう緊張することが多かったんですが、最近はやっと楽しい気持ちのほうが増えてきました。なので、9月のライブもその“楽しい”を増やせるようにしたいと思っています。以前、パフォーマンスで悩んでいたときに、「無理に理想のライブに寄せていかなくてもやっているうちにできていくよ」とアドバイスしてもらったことがあったのですが、その言葉を聞いて、たとえ自分で失敗したと思っても、新しい発見があればいいかなと。みなさんにもライブに来てほしいですね。楽しく音楽をやりながら“満足度99%”を目指す――お話は変わりますが、おやすみのときはどんなふうに過ごしていますか。だいたいラプンツェルみたいな感じです(笑)。――ラプンツェルというと(笑)!?家から一歩も出ないです。ずっと家にいて、本を読んでいたり、何かを書いていたり。書く作業をしているときは、自分のことを書くこともありますが、何かの本の内容を文字にして書いていくと、心がデトックスされるんですよね。だから、図書館のように本がたくさんあるところに行くと、まる1日いることも。あとは、食べ物の動画を見たり食べたり。そうやって動かないで何かをしているときもありますが、お散歩することも好きです。自分では「伊能忠敬ごっこ」と言っているんですが、ひとりで20キロとか、目的もなくひたすら歩くこともあります。――ネーミングが素晴らしいですね。ちなみにファッションで普段意識していることはありますか。とくに意識してというわけではないんですが、色のはっきりした服を取り入れることが多いかもしれません。デザインはシンプルなものが好きで、ピンク色とか、けっこうパキッとした色を着ます。「Y2K」ファッション(Year 2000/2000年前後のテイストを取り入れたカジュアルなファッション)も好きですね。どこのブランドだから買うというよりは、パッと見たときに気に入った服を買うことが多いかな。――美容面で気をつけていることは?食べ物には気をつけていることもあります。栄養学を知るのが好きで、一時期はすごく勉強していたので、スーパーフードなど、栄養を考えながら食べるのが好きです。でも、体に悪いものも食べます。あとは、元気が出ないときは何を食べるといいのかなど考えながら食べています。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、今後の抱負をお聞かせください。楽しく音楽をやることです。それも自分の中での“満足度99%”をずっと続けるということですね。これが100%になって満足してしまうとそれ以上続けていけないと思うので、90%以上は絶対として、99%の満足度を目指していきたいです。取材後記イマジネーションの翼が広がる歌詞や曲の世界観と、叙情的なボーカルを聴かせてくれるシンガーソングライター、汐れいらさんがananwebに初登場。もともと本を読むことや文章を書くことも好きだったということもあって、新作には歌詞とストーリー、さらに楽曲ごとにまるで小説の装丁のようなイメージビジュアルもついていて、汐さんの音世界における表現がぐんと広がっています。そんな汐さんの1st EPをみなさんもチェックしてみてくださいね。写真・鳥羽田幹太取材、文・かわむらあみり汐れいらPROFILE2002年2月9日、東京都生まれ。“この世界のどこかにいるかもしれない誰か”のことを曲にするシンガーソングライター。2021年9月、デジタルシングル「さよならCITY」でインディーズデビュー。2023年8月、デジタルシングル「Darling you」でメジャーデビュー。2024年8月14日、1st EP『No one』をリリース。9月からは東名阪で「Ushio Reira One Man TOUR 2024『No one』」を開催。InformationNew Release『No one』(収録曲)01. 糸しいひと02. 味噌汁とバター03. うぶ04. 踊り場のサーカスナイト05. グレーハートハッカー06. Darling you07. 備忘ロック08. 笑ってベイビー09. Darling you 弾き語り(CD限定収録)10. 味噌汁とバター 弾き語り(CD限定収録)2024年8月14日※収録曲は全形態共通。(通常盤)ESCL-5978(CD+歌詞ブックレット)¥3,000(税込)※歌詞ブックレット付属(各曲イメージビジュアル+本人書き下ろしストーリー+歌詞)。(初回生産限定盤)ESCL-5976〜7(CD+Blu-ray+小説風ブックレット)¥6,500 (税込)※紙ジャケット仕様。小説風ブックレット8冊付属(各曲イメージビジュアル+本人書き下ろしストーリー+歌詞)。【Blu-ray収録内容】1st One Man Live「だぶだぶでうぶうぶ」2023.12.27 at Shibuya WWW写真・鳥羽田幹太 取材、文・かわむらあみり
2024年08月16日【音楽通信】第160回目に登場するのは、2024年で結成20周年というアニバーサリーイヤーを迎えた、唯一無二のエアーバンド「ゴールデンボンバー」のボーカル、鬼龍院翔さん!「ゴールデンボンバーがあって本当によかった」鬼龍院翔。1984年6月20日、東京都浅草生まれ。B型。ゴールデンボンバーの全楽曲の作詞作曲を手掛ける。【音楽通信】vol.160ゴールデンボンバーは、鬼龍院翔さん(Vo)、喜矢武(きゃん)豊さん(G)、歌広場淳さん(B)、樽美酒研二さん(Dr)の4人からなる“ヴィジュアル系エアーバンド”です。2009年発表の「女々しくて」はカラオケランキング連続1位の歴代新記録を樹立し、同曲でNHK紅白歌合戦へ4年連続出場を果たしました。インディーズシーンで活躍しながらも、大規模なライブツアーやテレビ出演ほか活動は多岐にわたり、シングルとアルバムともにチャート初登場1位に輝くなど、インディーズ史上初となる記録も獲得しています。さらに、2024年にはバンド結成20周年を迎えたゴールデンボーンバー。7月24日にニューシングル「イイね」をリリースされたということで、フロントマンの鬼龍院翔さんにお話をうかがいました。――2004年に結成され、今年20周年を迎えた心境はいかがですか。ファンのみなさんが応援してくれたから、20年間、バンドが続いているということを実感しています。ただ音楽がやりたいだけなら、お仕事にならなくても、音楽だけを趣味で続けていくことができる。けど、もしもこんな変なバンドを応援してくれる人がいなくなったら、バンドはやめますよ。でも、みなさんが支えてくれているから、変なことをやっても、これで20年も続けてこられました。僕はいつも100点の活動を目指すよりも、70点ぐらいのものでも世に出していいから、続けていくことが大事だと思っています。――そんなゴールデンボンバーの要となる鬼龍院さんですが、そもそも幼い頃はどんな音楽にふれていましたか。いわゆる学校でふれる音楽ではなく、自分自身で「いい音楽だな」と意識した音楽は、小学校1年生の頃に聴いたCHAGE and ASKAさんですね。当時大ブレイクしていて、家族や親戚も好きで、みんなで家のCDコンポで聴いていた記憶があります。――鬼龍院さんはギター、ベース、ドラム、ピアノなど一通りの楽器の演奏ができるかたですが、早くから楽器を習っていたのでしょうか。いえ、子どもの頃は、音楽に関してまったく興味がなかったんです。父は音楽を聴かない仕事一筋というタイプでしたし、両親から僕に音楽をさせようということもなく、どちらかというと健康のことを考えて、水泳やサッカーをやりなさいという感じでした。ただ、母はミーハーなんですよ。当時は沢田研二さんが好きで、いまは嵐さんや堂本光一さんが好きでファンクラブにも入っていましたし(微笑)。だから、子どもの頃は、スターが好きな母が持っていたカセットテープに入っていた歌謡曲やレコードを一緒に聴いていましたね。――昔から歌はお上手だったんですか?いえいえ、むしろ歌には苦手意識がありました。ただ、成長していくにつれて、バンドに漠然とした憧れを持つようになってきて。それで小学校6年生ぐらいのときに、初めてギターを買いました。練習していずれバンドを組むときは、ギターとして加入しようと思っていたから。でも、たいして真面目に練習しなかったので、全然上達しなかったんですけど。中学生になってから、ふざけて歌ってみたことがあったんです。すると、意外と歌って面白いなと感じて。「僕はボーカルでいいかもしれない」と一瞬思いました。それからは、軽音楽部でバンドをやりたいから、軽音学部のある高校に行ったんですよ。ギターとして軽音楽部に入って、バンドを組んで、JUDY AND MARYなどのカバーをしていました。それなりに楽しかったです。――高校を卒業してから、吉本興業のお笑い芸人の養成所NSC東京に行かれたと以前お話をうかがいましたが、音楽の道へ行こうと思ったのはいつ頃だったのでしょうか。19歳ぐらいのときです。NSCに1年間通って、芸人になろうと思っていたけど絶対に無理だと確信したときに、「どうしよう」と。そうなると、バンドもやりたかったから、「音楽やるか」と思って始めました。だから、これで行くぞ!という覚悟もなかったので、絶対そんな決心で売れないよ、というところがスタートです。――それがもう20年というアニバーサリーイヤーを迎えました。そうですね。音楽を始めたのはネガティブな原動力でしたが、その頃の僕は、将来の夢なんてポジティブに考えられるような状況ではなくて、本気で死んでもいいと思っていました。そんななかに、バンドがあった。だから、死ぬことはいつもできるし、それなら1回、本当に死ぬ気でバンドをやってみようって思ったんですよ。音楽で成功しようという原動力ではなく、後悔しないように、やるだけやってみようと。そうしているうち、いつしかファンのかたができたり、事務所に所属したり。活動していくなかで、僕がくじけそうになったときに、当時のマネージャーから「あなたが辞めるって言ったら、私が食っていけないから、人殺しって叫ぶわよ」と言われたことがあって。その言葉を聞いて初めて「そうか、事務所を支える存在になっていたんだな」と実感したんですよね。そうなってくると責任感も生まれてきて、一応バンドのリーダーなので、「ちゃんと音楽で食べていこう」とだんだんと思うようになりました。――ネガティブなマインドからバンドをスタートして、年々活動していくなかで、マインドの部分ではより変化したところはありましたか。最初の頃は、どうせ売れないし、と悲観的で。自己評価はゼロですし、そのときから作詞作曲をしていますが、自分の曲にいいところがあるなんて思いもしないし、言ってくれる人ももちろんいないし。でもいまは、「ゴールデンボンバーというバンドの存在があって本当によかった」と感じています。だから、これからもバンドを守っていかなくてはと思っていますね。――では鬼龍院さんから見て、メンバーのみなさんは、昔といまで変化を感じたところはありますか?最初は、ギターの喜矢武くんは、全然ふざけていなかったんですよ。ふざけられなかったというのか。でもどこかの時点で自分の殻を破って、いまではけっこうふざけてくれるようになりました。あとのふたりはあまり変わらない印象ですが、歌広場は加入当時大学生だったんですけど、いまも大学生みたいだし、何も成長していないと思います(苦笑)。樽美酒は昔からもうできあがっていましたね。でも、彼はどうにか自分のキャラクターをポップなものに、いいものにしようと、メイクもだんだん変わっていって。最初のメイクはちょっと怖かったんですよ。握手会でお子さんに泣かれたこともありますし(苦笑)。どんどんブラッシュアップされています。新曲は「20年で初のポジティブなメッセージソング」――2024年7月24日にニューシングル「イイね」をリリースされました。先日ファイナルを終えた結成20周年ツアーで初披露されていましたが、曲が生まれたきっかけは?いまの世の中、好きなものを我慢することが多いと感じたことがきっかけですね。僕らがライブをやっているなかで、たとえばファンレターをいただいたときに“2回連続でライブに来てしまって、こんなに来ていいんでしょうか?”というものがあって。お金と時間が許すなら、別に好きなものぐらい過剰摂取していいじゃん!と思うわけです。うしろめたさを感じることなく、堂々と娯楽を何度楽しんでもいいのではないかなと。昔よりもSNSで情報をたくさん手に入れることができる時代ですし、それは刺激があるだろうけれど、同時にストレスが溜まることでもあるかもしれない。でも、そういったまわりのことに惑わされることなく「とりあえず今日ぐらいは好きなものを食べて、音楽聴いて、楽しい時間にしようよ」と伝えている曲なんです。そんなことをそろそろ歌詞にのせたいなと思っていたら、この曲のメロディが浮かんできて。曲の前半はビジュアル系っぽく、難しいことを言っているような雰囲気がありますけど、結局それはどうでもよくて、そんなことよりも僕には大好きな音楽と飯があるんだ、と明るく生きようという曲で。曲の前半は現代社会の歪みを表していて、サビの部分では、こう生きたらいいじゃん、とみなさんに提案しているんですよね。ゴールデンボンバーはいつも、曲にメッセージなんて何もないんですけど、「イイね」はメッセージソングです。――鬼龍院さんが「メッセージソングです」と言い切ることができる新曲ができたのが、いまのタイミングだったと?20年やっていて、ポジティブな曲なんてひとつもないんですけど。これだけは初めてポジティブな曲として、みなさんに伝えたいメッセージがありますね。――素敵ですね。曲の後半の歌詞に「イイねイイね~人生楽しいね~!」と、叫んでいるところがあるんですけど、もしも楽しくなくても、「人生楽しいね」と言ってみたら、なんかちょっと楽しくなりますからやってみてください、ということも僕は言いたいんですよ。もちろん楽しいこと以外のほうが多いというのはわかっていますが、「イイねイイね~人生楽しいね~!」とこんなに大声で歌っていたら、“生まれただけラッキーだよ”なんて気持ちになれませんかね?と思いながら歌っています。――カップリング曲「一曲目」はヘビーでカッコいい曲ですね。ゴールデンボンバーはエアーバンドなので、どんな曲も、楽器隊の心配をせずに表現できるのがいいところです。この曲はビートも速いし、ギターのフレーズもすごく難しいんですけど、それはレコーディングのときにプロのギタリストのかたにどうにか弾いてもらって。実際にバンドのメンバーで演奏するとなると大変な楽曲なんですが、そういったところでも躊躇せずどんどんやっていけるのも、自由でいいところですね。――そもそも鬼龍院さんはどのように曲を作っているんですか?「イイね」のメロディは、寝起きに頭の中に流れてきたんです。夢の中で誰かが歌っていたんだと思うんですが、それを携帯のボイスメモに吹き込んで保存しておきます。ほかの曲にしても、仕事中とか、ふとしたときに頭の中でメロディが流れるから、断片的に出てくるフレーズを1曲としてフルサイズにしようと形作っていって。ギターで音をあてながら、ノートに曲の構成やコード進行を書いていくんです。昔からずっと変わらず、紙とボールペンとギターでほぼ曲を構成したら、パソコンのDTMに楽器を打ち込んでいくという感じですね。――ライブは、歌と演劇と映像とのバランスが絶妙です。エンターテインメントショーとしても見応えのあるステージになっていますが、そのさじ加減はすごく難しいところではないのでしょうか。難しいです。ライブエンターテインメントというのは、確立された形や時間があるジャンル。そういったなかで「人と違うことをやりたい」という道を選ぶのであれば、その配分は誰もモデルがいないので、そこは自分たちでやってみてダメだったとか、もっとこうしたほうがよかったとか、いただいた反応も参考にして、いっぱい失敗もしながら調整していきます。さじ加減は本当に難しいのですが、何度も繰り返してライブをやってきたうえでいまの配分になっているので、ライブはみなさんの反応をしっかり見てきた歴史ともいえます。――結成20周年ツアーでは、メンバーの物語を描いた映像に、岡崎体育さんがサプライズ登場していましたね。思いついたシナリオに、体育くんが出演をOKしてくれました。音楽活動以外に、大河ドラマにも出演していて、いろいろな面を持っている人ですよね。ワンマンライブを何度も見させてもらっているんですけど、彼が言葉をかんだり、詰まったりするところを見たことがないんです。言語を話すことを司る能力がすごく発達していて、それでいて作詞作曲編曲もできて、そして面白く見せることもできる人です。――2025年には、ゴールデンボンバーの20周年アリーナライブとして、1月7日に「旧作-kyusaku-」、8日に「新作-shinsaku-」を横浜・ぴあアリーナMMで開催されます。2日間ありますが、メニューはまったく違うものに?全然違う内容に変えます。長年追いかけてくださっているファンのかたからすると、どう想像していいかわからない“新作”より、“旧作”と言われたほうが既発曲も聴けそうだと想像がつきやすいので、1日目のほうが魅力的に見えるんじゃないかと思うんです。そう考えると“旧作&旧作”とか、“旧作&超旧作”の2日間にしたほうが、たくさんのかたに来ていただけるかもしれないですよね。それでも、“旧作”と“新作”としてライブを打ち出したのには、とても大きな意味がありまして。20年目にして、新しいことをやりたいと思いついたんです。“新作”と掲げたライブでも、「これは面白くできる」という計算ができました。これまでのゴールデンボンバーは、「内容なんてまだ何も考えていませんけどタイトルだけ先に付けました」という感じでしたが、今回“新作”という名前をつけたのは、そこに表現したいものがあるからです。そしてライブをしてまた反応をいただいて、今後ちょっとずつ変えていかなきゃいけないこともあるはずだし、100%の成功はしないはず。だから、アリーナライブの2DAYSは半分は今まで通り、半分はチャレンジなんです。楽しみですし、ファンのかたも、ぜひ期待してほしいですね。「僕らはずっと全力でふざけていく」――お話は変わりますが、音楽活動でお忙しい日々だと思いますが、ライフスタイルで気をつけていることはありますか。食事には気をつけていますね。GACKTさんを尊敬しているので、同じように食生活も見習って、なるべく1日1食の生活にしたら太らなくなりました。とはいえ、ライブで地方に行って、「ここのパン屋さんはとてもおいしい」とか、「これが名物だよ」と教えてもらったりすると、「それ1個もらっておこうかな」と食べたりはしますけど。ただ、ライブがある日は、完全に1日1食ですね。それはもうルーティーンになっていて。――食べすぎると、逆に調子がよくないというようなことも?そうなんです。僕、しっかりと食べてからライブをやると、体が重く感じて、呼吸のスペースが減っているような気がするんですよね。アスリートのかたも食べると消化にエネルギーを使うからパフォーマンス能力が落ちると言っていたりと、食事についてはいろんな話を聞くので、僕は自分の体で試したんです。朝食と昼食を食べてからライブをやってみたり、食べかたの工夫をしたり。試した結果、ライブまでは何も食べないほうが、ステージで一番元気に動けたんです。ただ、ライブが終わった夜はいっぱい食べるんですけど、すごく動くので、やせていきますね。だけど、健康診断も問題なく、健康です。――今日の撮影のときに着ていた黒のお衣装もカッコよくて似合っていらっしゃいましたが、普段はお洋服を選ぶときに意識していることはありますか。普段はゆったりとしたものしか着ないですね。バンドを始めたばかりの売れない頃は、プライベートでもいかにもバンドマンという格好を意識して、細めの黒いズボンとか履いていたんですよ。バンドマンという生き物は冬でもカッコよかったら寒い服でも平気だし、暑いときでも分厚い革ジャンを着る生き物。撮影やライブのときも“バンドマンの美学”として、それはいいんですよね。でも、音楽活動が順調になってからは、お仕事でいっぱいバンドマンらしい服を着られるようになって。そういう反動で、いま普段の服はゆったりとしたものが楽なので選んでいます。ユニクロとか無印良品とか。タミヤTシャツをよく着ているんですけど、本当に肌触りがいいんですよ。――ちなみに、6月のお誕生日で40歳になられましたが、個人的に今後やりたいことは?40代にやりたいことと言ったら……無理やり挙げるとしたら、またここから10年かけて50代になるまで、ギリギリ人に気づかれないぐらいの整形を何度もやりたいですね。大幅にやっちゃうとバレちゃうので。そういうふうにしていかなきゃいけない年代に差し掛かったのかなと、40代になって思います。――アンチエイジングという意味でしょうか?そうですね。“ステルスアンチエイジング”です。まだやっていないんですけど、冗談……ではないんですよ(笑)。前向きにやっていこうかなあと思って。世の中では、年相応の老け方をしていったほうが美しい、というお話もありますよね。でも、僕が思い描くゴールデンボンバー像、もっといえばロックバンド像としては「あの人、時が止まってる!?」となっていってほしいんですよ(笑)。だから、そのままの姿を否定するわけではなく、僕個人のことにあてはめた場合に、年相応に老けた姿を見せようとはならないなと。なので、40代は小さな整形をしようかな、というところです。――いろいろなお話をありがとうございました!では最後に「ゴールデンボンバー」として、今後の抱負をお聞かせください。バンドが20年を経過して、ここからだんだんと「まだゴールデンボンバーやってるんだ!?」というのがもっと面白くなってくると思うんですよ。前までは30歳ぐらいのお兄ちゃんたちがふざけている、という見られ方をしていて。でも40歳になってもふざけていて、50歳になってもふざけている、という状態になってくると、もういい年なんだから、とあきれる人もいるかもしれない。でも、僕らはずっと全力でふざけていくので、みんながもう根負けすると思うんです(笑)。その状態になってくると、みなさんの心の中で、いなくなったら寂しくなるはず。そこまで行けるようにがんばりますので、みなさんどこかで僕らを見かけたら、温かく見守ってください。時が経つほど、きっと面白くなる。今後も期待していてほしいですね。取材後記結成20周年のアニバーサリーイヤーを迎えたゴールデンボンバーのフロントマン、鬼龍院翔さんが4年ぶりにananwebに再登場!撮影では鬼龍院さんの美麗な姿をたくさん撮り下ろさせていただき、インタビューでは真摯にたくさんのお話をしてくださいました。きっといくつになっても我々を楽しませてくれるであろうゴールデンボンバーのみなさんのニューシングルを、みなさんもぜひチェックしてみてくださいね!写真・鳥羽田幹太取材、文・かわむらあみりゴールデンボンバーPROFILE鬼龍院翔(Vo)、喜矢武豊(G)、歌広場淳(B)、樽美酒研二(Dr)の4人からなるヴィジュアル系エアーバンド。2004年、鬼龍院と喜矢武を中心に結成。略称は「金爆(きんばく)」。インパクトのある歌詞や耳に残る楽曲、ライブでは鬼龍院以外は楽器を弾かず、映像や演劇を織り交ぜながら披露するパフォーマンスが人気を博している。2008年CDデビュー。2009年にリリースした代表曲「女々しくて」はカラオケランキング連続1位の歴代新記録を樹立し、同曲で2012年から2015年のNHK紅白歌合戦へ4年連続出場を果たす。シングル、アルバムともにオリコン初登場1位に輝くなど、インディーズ史上初となる記録も獲得。2019年には新元号の発表に合わせて新曲「令和」をどこよりも早く制作、発表、発売すべく、制作の模様を生配信。同年、全国ツアーの一環として無人島で無観客ライブを行い、その様子を全国へ生配信した。2023年、オリジナルアルバム『COMPACT DISC』をリリース。2024年4月から7月まで全国ツアー「『金爆はどう生きるか』~意外ともう結成20周年ツアー~」を開催。7月24日、CDシングル「イイね」をリリース。2025年1月、神奈川・ぴあアリーナMMで20周年記念ライブ「旧作-kyusaku-」「新作-shinsaku-」の開催が決定した。InformationNew Release「イイね」(収録曲)01. イイね2. 一曲目3. イイね(オリジナル・カラオケ)4. 一曲目 (オリジナル・カラオケ)2024年7月24日発売(通常盤)EAZZ-5055(CD)¥1,650(税込)写真・鳥羽田幹太 取材、文・かわむらあみり
2024年08月08日【音楽通信】第159回目に登場するのは、伝説のガールズバンド“プリプリ”こと「プリンセス プリンセス」のボーカリストを経てソロでも大活躍中のうえ、芸能活動40周年を迎えた、岸谷 香さん!母のアップライトのピアノが音楽の縁をつなぐ【音楽通信】vol.1592024年、芸能活動40周年を迎えたミュージシャンでシンガーソングライターの岸谷 香さん。いまも年間30本以上のライブを行い、ポップでキャッチーな楽曲で多くの人たちから親しまれています。ガールズバンドのパイオニアとして名高い「プリンセス プリンセス」のボーカリストとして1986年にデビュー以降、数々のミリオンヒット作を世に送り出し、1996年の日本武道館公演をもってバンドを解散後、2012年に東日本大震災復興支援のために1年限定でバンドを再結成したこともありました。1996年には俳優の岸谷五朗さんと結婚。1997年には旧姓の「奥居 香」としてソロ活動をスタートした後に、アーティスト名を本名の「岸谷 香」に変更し、2014年には本格的なソロ活動を再スタート。さらに2018年にはガールズバンド「Unlock the girls(アンロック ザ ガールズ)」を結成するなど、バイタリティにあふれた活躍ぶりに元気をもらうファンのかたは多いようです。そんな岸谷さんが、2024年7月24日に、ニューシングル「Beautiful」をリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――芸能活動40周年となりましたね。16歳のときにオーディションを受けて音楽家になってから、今年で40年です。途中、育児などで10年間活動を休んでいるので実質的には30年ですが、これまであまりにいろんなことがあったから、たくさん生きてきたなとも実感していて。ひとことで言うと、「楽しいな、私の人生」と感謝しています。――そもそも幼いときに音楽にふれたきっかけは何でしたか?家に母のお嫁入り道具だったアップライトのピアノがあって、生まれたときからピアノにふれていました。母にピアノを教えてもらって、それからピアノの先生に習うようになって。それ以外はとくに家で音楽を聴く習慣はなかったので、母のピアノがなかったら、音楽をしようとは思わなかったかもしれません。――お母さまからの音楽のご縁なんですね。そして中学ではバンドをやるようになられて。小学校では合唱大会や学芸会で伴奏していましたし、国立大学の附属の学校だったから同級生はそのまま進級するので、中学校でも“ピアノが弾ける子”だとみんな知っていて、先輩から誘われたことがきっかけでバンドを始めました。――プロを目指したのはいつ頃だったのでしょうか。もともと明確にプロになると考えていなくて。思えば、そういう人生になると決められて生まれてきたんだろうなっていうぐらい、気がついたら音楽をやっていた感じなんです。もちろんオーディションは自分で受けたんですが、その時期は高校受験を失敗して、行きたくない学校だったので、やめる口実としてオーディションを受けたら受かったんです。――きっと音楽の道に導かれたんですね。振り返ると、あのときは音楽しかなかったんだろうと思うんですが、よく16歳で音楽をやる環境が整ったなと。さらに、両親は私の選択によく「イエス」と言ったなというのは、いまも最大の謎です。――その後、プリンセス プリンセス時代は非常にお忙しかったのでは?そうですね。16歳で芸能活動を始めたときはよくわからないアイドルバンド(プリンセス プリンセスの前身バンド時代)だったので、世間には箸にも棒にもひっかからなくて、高校のクラスのなかでも私がバンドをやっていることはなんとなくしか知られていなくて。芸能人が多く通う高校だったので、同級生には少年隊やシブガキ隊、三田寛子さんなどもいましたね。だから、たまにバンドで歌番組に出るのも、クラスメイトがいっぱいいてイヤだなあと思っていました。プリンセス プリンセス時代は、ただひたすら楽しかったです。思いのままに作った曲が年間1位になったり、ライブにお客さんがいっぱい来てくれたり。その反面、プリプリの存在がすごく大きすぎて、できないこともたくさんあったんです。いまのようにフェスやコラボが盛んではない時代ですし、簡単にイベント出演もできない時代でした。20代のすべてをプリプリとして駆け抜けて大満足だったので、円満に解散という形になったんですよね。その後、50代になって、こんなふうに音楽活動をしているとはまったく想像していませんでした。9年ぶりのニューシングルはコライトで制作――2024年7月24日に、EDMやハウスの音楽要素を取り入れた9年ぶりのシングル「Beautiful」をリリースされます。今回、共同で音楽を制作する“コライト”をされていて、歌詞はプリプリメンバーだった富田京子さんと、曲はYusei Kogaさんと組んでいますね。そう。もともと娘の仲良しグループのひとりが音楽をやっていて、コライトの存在を教えてもらったことがきっかけで、面白そうだなって興味を持ちました。その頃、K-POPにもハマっていて、「NewJeans」を好きになって。彼女たちの楽曲のクレジットを見ると、メンバーの名前も入っているけど、同時にたくさんの人の名前もあったり。いまの時代はコライトが主流なのかな、私もやってみたいなと、レコード会社のスタッフに相談しました。いままで40年間、孤独にほぼひとりで曲を作ってきたから、今回初めてトラックメイカーという職種のかたとお仕事させてもらうことになったわけです。コライトはすごく楽しくて、音域も過去にないぐらい広いのでカラオケで歌いやすいかはわからないけど(笑)、すごく刺激になって、盛り上がりました。――「Beautiful」の振り付けをパパイヤ鈴木さんにご依頼されていますね?そもそも鈴木くんは高校の同級生で、近年また連絡を取るようになったんです。以前、ライブの次の日に会ったときに、首や肩が痛くなるんだけど、ずっと応援してくれてライブに来てくれるファンのかたも体がつらいかもしれないよね、と話していて。本格的な踊りじゃなくて、ラジオ体操の音楽版みたいなダンスはできないのかなって相談したら、「できるよ」って言うから、「やろう」と。それで曲を書いたら連絡するつもりが、時間が経ってしまって。今回「Beautiful」ができたタイミングで連絡して、「じゃあNewJeansみたいな振り付けにしてよ」と言ったら「オッケー!」となりました。――今回はコライトの新曲ですが、もともとおひとりで曲作りされる際は、どんなときに曲が生まれるのですか?さまざまですけど、楽しいときや心が躍ったときに曲が生まれることが多いから、旅行に行く際は絶対に五線紙を持っていくんですよ。あとはその逆に、悲しいときや、見たことのない景色を見たときも曲が生まれて。まあ、たとえ五線紙がなくても、思いついたら何にでも書いちゃうんですけども(笑)。そして書なきゃ、と意識して書くときもあります。曲はそうして生まれますが、歌詞を書くのはあまり好きではないので、だいたいいつも後回しにしていますね。――現在「KAORI KISHITANI 40th Anniversary LIVE TOUR 2024 “57th SHOUT!”」と題して、プリプリのアルバム1枚をセルフカバーするという、周年ならではの特別ツアー中ですね。さらに9月からは「KAORI PARADISE 2024」と題したひとりの弾き語りツアーを開催と、いろいろなスタイルで年間ライブをされています。バンドツアーと弾き語りツアーは私の二大柱です。どちらか片方だけのライブになると私じゃない感じがして。両方あっての私ですし、“岸谷 香というアーティストはどういう人?”と言われたら、人と違う特徴がこの「二足のワラジで歩いています」というところだと思っています。――実際、ツアーの手応えはいかがですか?プリプリのアルバムをまるごと1枚の企画は、スタッフから提案されて、最初は躊躇していました。新曲も出していますし、いまのバンドUnlock the girlsでやりたいこともいっぱいなのにと。ただプリプリを解散してから、1回も当時のアルバムを聴いていないから、この機会にまた聴いてみようかなと思ったんですよね。そこでプリプリのとあるアルバムを聴いたら、さっき「二足のワラジで歩いています」と言いましたが、そんな二つの支柱を持ってライブを重視してやらなきゃと思ういまの気持ちと同じく、当時のアルバムのなかにも信念を持って音楽をやっていて絶対に届けたいとがんばる20代の自分を感じました。そしたら、すごくうれしくなっちゃって。そういうところが変わらずにいられて、この40年、まわりで支えてくれるスタッフやファンのかたのおかげもあって、本当にいい時間を過ごすことができたんだなとあらためて実感しました。だから、いまもう1回、プリプリ時代のアルバムの曲をまた歌ってみようと思えて。いままで本当にやりたいことだけをやって、あとから後悔するような仕事や音楽の仕方はしてきていないんですが、それは間違っていなかった。これから先も、これでいいんだなと思えたのは、40周年の私にとってはものすごく大きな収穫でした。いまのスタンスのまま行けるところまで行く――お話は変わりますが、お休みのときはどんなふうにお過ごしですか?海外に行くのが好きだから、休みはまとめて取るようにしています。たとえば3か月集中して頑張って仕事して、終わった次の日に遊びに行きます。――最近ハマったものはありますか。ずっとハマっているものですが、英語の勉強をしています。うちの子どもたちが高校からアメリカに留学していて、英語が話せるとこんなに世界が広がるの?とうらやましくなって。とくに娘は友達が大好きな子だから、世界中に友達がいるんですよ。なんて楽しい人生なんだろうと思っていたら、私自身にもいろんな出会いがあって、海外のお友達もできて。もっと会話したいしわかりあいたい気持ちもあって、50歳から英語の勉強を始めました。――バイタリティにあふれていらっしゃいますね。楽しいですよ。同年代のまわりの友達も、子育てが落ち着いて、やりたいことをなるべくしたほうがいいよねという感じで、みんな元気。推し活を始めた友達もすごく楽しそうだし、いきいきとしていますよ。いい年代なんだなと思います。――素敵ですね。年間でライブ活動も多いですが、ライフスタイルで気をつけていらっしゃることはありますか。とくに意識していることはないんです。運動しなきゃ、とは常に言っていますが、それはステージに立てなくなるからではなく、自分の足で飲みに行きたいから(笑)。とはいえ、音楽をやっていて作品も作るけどステージはやらない、生演奏はしないというタイプのアーティストもいるかもしれませんが、私は生で歌ってこそというタイプ。だから、ステージで歌わなくなるときが、私が音楽をやらなくなるときでもあるのかな。――ライブを大事にしていらっしゃるんですね。いろいろなお話をしていただき、ありがとうございます。では最後に、今後の抱負を教えてください。40周年があっという間に来たので、気がつくと45年、50年と言っているのかな、と。いまバンドやひとりの弾き語りライブをしていますが、どれも少しずつ良くなっていくと楽しいですから。またいろいろな人とコラボもしたいですね。いまのスタンスのまま、行けるところまで行きます。取材後記芸能活動40周年という、アニバーサリーイヤーを迎えた岸谷 香さんがananwebに登場。華奢だけどパワフルな岸谷さんは、インタビューにも丁寧かつ正直に応じてくださり、なかでも「バンドツアーと弾き語りツアーは私の二大柱」と、ライブ活動を大事にされていることが強く伝わりました。当時、プリンセス プリンセスの解散ライブにスタッフとして参加した思い出も懐かしいです。時を経てもカッコいい岸谷さんのニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみり岸谷 香PROFILE東京都出身。ミュージシャン、シンガーソングライター、音楽家。1996年5月31日、武道館公演をもって「プリンセス プリンセス」を解散。1997年に「奥居 香」としてソロ活動をスタートした後、子どもを授かったことをきっかけにアーティスト名を本名の「岸谷 香」に変更。2012年、東日本大震災復興支援のため、16年振りに「プリンセス プリンセス」を1年限定で再結成。2014年、本格的なソロ活動を再スタート。2018年、ガールズバンドプロジェクトを立ち上げ、「Unlock the girls」を結成。ミニアルバム『Unlock the girls』をリリース。2024年はデビュー40周年のアニバーサリーイヤー。2月に半自叙伝『岸谷香の東京MY STORY』(東京新聞出版)を発売。5月17日に新曲「Beautiful」を配信、7月24日には同曲と「Unlock the girls ver.」そして特典Blu-rayを付属したシングルCDをリリース。現在、バンドツアーKAORI KISHITANI 40th Anniversary LIVE TOUR 2024 ”57th SHOUT!”、9月からは弾き語りツアー「40th ANNIVERSARY LIVE TOUR KAORI PARADISE 2024」と、周年ならではの特別なライブを開催。InformationNew Release「Beautiful」(収録曲)01. Beautiful02. Beautiful – Unlock the girls ver. –(※CDのみ収録)(特典Blu-ray)01. Beautiful Music Video02. Beautiful Lecture03. Beautiful Dancecise04. Beautiful Behind the scenes2024年7月24日発売取材、文・かわむらあみり スタジオ写真・Siyoung Song ライブ写真・MASAHITO KAWAI
2024年07月21日【音楽通信】第158回目に登場するのは、今年音楽活動10周年というアニバーサリーイヤーを迎えた、DIVAとしても知られる、ゆっきゅんさん!ソロで歌い始めたときが一番大きな変化を感じた【音楽通信】vol.1582014年よりアイドル活動を開始し、今年活動10周年を迎えたDIVAゆっきゅんさん。音楽活動はもちろん、雑誌『anan』での連載をはじめ、文筆家や作詞家としても大活躍中です。そんなゆっきゅんさんが、2024年9月11日に2ndアルバム『生まれ変わらないあなたを』をリリースすることに先駆けて、収録曲を5月から4か月連続で先行シングルとして配信。いち早く新曲について、お話をうかがいました。――まず活動10周年を振り返ると、いかがですか?2014年に進学のため上京して、「ゆっきゅんです、アイドルです」と手探りで活動してきました。2016年からはアイドルユニット「電影と少年CQ」、そして2021年5月からセルフプロデュースの「DIVA Project」をスタートしてソロ活動もしていますが、活動10年間のうち7年くらいは学生だったので、それほど10周年という実感はないんです。ただ、転機はいくつかあって、大学院を卒業してソロで歌い始めたときが一番大きな変化を感じました。それまでとそこからの時間がまったく別物の感じがあるので、10年やってきましたが、やっとこれから本格的にやるべきことが見えてきたところです。――2022年4月に初めて、1stアルバム『DIVA YOU』について「ananweb」で音楽取材をさせていただきました。そこからの2年間でさらに飛躍された印象ですが、ご自身でも心境の変化や手応えはありますか。昨年から少しずつ仕事は増えましたね。以前の私はたぶん、いろいろなことをやっている人というイメージだったのかも。いまは音楽活動があるうえで、コラムを書いたりトークをしたりするというスタンスです。きっと、ゆっきゅんはこういう人だろう、ということがわかりやすくなって、お仕事を依頼してもらいやすくなったのかなと。基本的には、歌詞を書いて、歌って、それを人に見せるのが好き。だから、依頼されていなくても、ひとりで主催レーベルを立ち上げて自分で企画してディレクションしてと、これまで同様、音楽活動はずっと力を入れてやっていきます。――雑誌『anan』では、1月31日発売号から、対談連載「ゆっきゅんのあんたがDIVA」がスタートしていますね。本当に私がうれしいだけの連載をさせてもらっていて、会いたい人を何十人かあげて、対談させてもらっています。掲載の順番は違うんですが、最初に決まった対談相手が、作家の金原ひとみさんで「マジですか?」と(笑)。続いて文筆家の能町みね子さん、シンガーソングライターの柴田聡子さんなどと対談しました。本当に、「マガハやば!」みたいな感じです(笑)。それぞれ対談が終わったら、みんなとカラオケに行って、友達になり、交流が広がっています。これからはもっといろんな歌を歌いたい――2024年5月15日に、アルバムからの先行シングルとして「ログアウト・ボーナス」が配信されました。ゆっきゅんさんが手がけている歌詞は、孤独な女性を描いた海外映画を観ていたら思いついたそうですね。バーバラ・ローデンの『WANDA』(1970年)やアニエス・ヴァルダの『冬の旅』(1985年)といった映画の主人公の女性がひとりで放浪する姿が心に残っていて、そういうことを歌にしたいなと。その歌詞が浮かんだときは、兄の結婚式で愛知県刈谷市に行っていました。愛知県刈谷市は私の好きな山戸結希監督の地元であり、初期作はその地でロケをしていて。ちょうど同じ場所にいるんだから、ロケ地巡りでもするかとビジネスホテルを予約したんです。でも疲れて行く気がしなくて、ひたすら部屋で天井を見ていたら、なんか東京にいるときと変わらない状態になって私は何をやっているんだろうと、映画の主人公たちの気持ちが急に見えてきて、2時間ぐらいで一気に歌詞を書きました。――作曲は、2020年結成のロックバンド「えんぷてぃ」のフロントマン、奥中康一郎さんが担当しています。奥中くんは、昨年1月に知り合っていて、夏に『Re: 日帰りで – lovely summer mix』を出したときに「ゆっきゅんさんの声はバンドサウンドにもめっちゃ合いますね」と言ってくれたんです。すかさず「じゃあ、なんか曲を一緒に作ろうよ」と話して。「歌詞が浮かんだらいつでも言ってください」と言うから、すでにできていた「ログアウト・ボーナス」の歌詞を渡して。少し打ち合わせをした夜には奥中くんからフルコーラスのデモが届いて、9月末には曲ができていました。――この曲好きです。どことなくフリッパーズ・ギターを思い出すというか。ゆっきゅんさんの歌声が堪能できますし、バンドサウンドとも合っていて、また違う一面が見えました。ありがとうございます。曲は、奥中くんは渋谷系っぽい感じを意識していたと言っていました。これまでは、曲も歌詞も、自分で自分を上げていくような鼓舞するものが多く、ファンのかたから「出勤するときに聴いています」というようなことをたくさん言っていただいていて。それはすごくうれしいんですが、人生の中での時間って、出勤時だけじゃないですよね。だから、これからはもっといろんな歌を歌いたいなって。――確かにこれまでは元気に背中を押すような曲も多かったですね。そう。でも昨秋ぐらいから、もう少しストーリーテリング的な歌詞が浮かぶことが多くなってきて、直接的な応援歌以外のものも書くようになりました。この歌は仕事を辞めたとか、仕事じゃなくても何かをエスケープした、リタイアしたというときに聴ける歌にしたくて。歌詞が先にあったので、何を伝えるかはすでにできていて、どう伝えるかとなったときに、表現するものとそのやり方の距離を今までよりも考えることができた気がします。「ログアウト・ボーナス」は、そういうときに聴ける歌になっています。歌詞に楽しそうなことは書いていないんですが、できるだけ明るく歌っていて。音楽って、聴いたときに、少しでも前を向けるものであってほしいから。――そっと寄り添ってくれる曲になっていると思いました。ゆっきゅんさんは、これまではデジタルサウンドでダンサブルな曲のイメージがあったので、この曲を聴いたかたは、意外に思われるかたもいるかもしれませんね?新境地みたいなものがないと、新曲じゃないという気持ちもあって、初めてバンドでレコーディングしました。アルバムのことも視野に入れ、最初にこの曲をレコーディングしたんですが、いまはなかなかアルバムとしてリリースしても全部を聴いてもらえない時代でもあって。サブスクで聴くときに知っている曲があると聴いてもらいやすいので、それなら先行で4か月連続配信したら、さすがに注目してくれるかなと考えました。この曲ありきでアルバム制作は進みましたが、デジタルなサウンドの曲もあったりと、バラエティ豊かな仕上がりになっています。――いまはボイストレーニングにも行かれているとか。月に2回ぐらい行っています。奥中くんを含めたバンドのメンバーが実力派の若手専門家たちの集いなので、まともに歌えないとだめだな、うまくなりたいなあと思ってボイトレしています。――「ログアウト・ボーナス」のミュージックビデオには、女優の唐田えりかさんが出演していますが、でんぐり返ししている場面がツボでしたし、ゆっきゅんさんは妖精のように登場しますね。でんぐり返しは金子由里奈監督の演出で、私が出てくるところは、「生まれ変わらないあなたが私を見てる」というイメージなんです。歌詞の最後2行に「生まれ変わらないあなたを私が見てる」とあるんですが、これは自分自身の気持ち。みんないろいろあると思うけど、それを見ています、というメッセージです。――そして6月14日には、連続リリース第2弾の「シャトルバス」が配信されました。美しいピアノの調べにのせたバラードですね。5月、6月と先行配信の2曲は、前作とガラリと変わります!みなさんにビックリしてもらおうと思って、リリースする順番を決めました。曲は、バンドにも参加してもらった、梅井美咲さんというピアニストのかたが演奏してくれています。J-POPラバーとしては、J-POPのアルバムには1曲は静かな曲があることが多いので、自分のアルバムにも絶対ピアノの曲を入れたいと思って。「ログアウト・ボーナス」と同じく「シャトルバス」でも、これまでのJ-POPで描かれてこなかったであろう場面や気持ちを歌っています。この曲は、結婚式や同窓会に行って楽しかったんだけど、なんか自分がちょっとモヤモヤしていることに気づきそうなのが嫌だから、そうなる前に2次会に行かずに帰る人の歌を書きました。これまでと違うタイプの2曲が先行配信されましたが、7月にはまた元気な曲が出るので、安心してください(笑)。“自分の歌”だと思ってもらえる曲を歌いたい――お話は変わりますが、現在、ハマっているものはありますか。ハマっているのは、韓国のボーイズグループ「RIIZE(ライズ)」です。5月に日本初の単独公演が国立代々木競技場第一体育館で開催されて、行ってきました。私はメンバーのソヒくんが好きなんですが、本当に歌が好きで歌いたい人という感じがして、そういう姿を見ていると幸せな気持ちになります。――いいですね!あとは最近、タレントの野呂佳代さんが好きですね。もともと好きですけど。もしも職場にいてくれたらうれしい雰囲気の人だなと。三宅唱監督の映画『夜明けのすべて』(2024年)という映画を観たときに、実際に野呂さんは出演していないし、野呂さんより年齢が上の人物なんですが、まるで野呂さんのようだなと思うイメージの女性がいて。友達とも「我々は職場に野呂さんがいない現実とどう向き合うか」と話していたぐらい(笑)。この映画は“同僚”についての映画だと思うんです。ひとりでいろいろと抱えていて、遊びに行く気すら起きないけど、生きていかなきゃいけないから、そんなときでも会社には行かなきゃいけない。一番顔を合わせるのも同僚なんだよな、と。私はいまアルバイトもしていないし、同僚がいない状況ですが、この映画の職場のような同僚だったら、かけがえないだろうなと、同僚という関係性にもハマっています。――視点がすごいですね。ちなみに本日のお洋服は、花柄にレーシーな部分が特徴的ですが、ご自身で作ったものですか?いえ、これはRITSUKO KARITAというブランドなんです。最近は首がつまったデザインを好んでいて、冬はずっとタートルネックを着ていました。いまも首まである洋服を着ることが多いですね。――いろいろなお話をありがとうございました!では最後に、今年の抱負を教えてください。先行配信した新曲もそうですが、9月にリリースされるアルバムをたくさんの人に聴いてもらいたいです。前作ではもう誰にも褒められなくてもいいくらい、たくさんの褒め言葉をいただいたんですが、まだ届いていないな、足りないなという気持ちも。今回、楽曲作りに参加してもらったいろいろな人たちの力も借りて、もっと広く音楽が好きな人や、音楽はほとんど好きじゃない人にも、届けたいんです。みんなにとって“自分の歌”だと思ってもらえる曲を1曲でも多く歌いたいなと。29歳になったばかりなので、一段落ついたら、30歳になるまでにまた新しくやりたいことが頭に浮かぶと思います。取材後記『anan』本誌の連載でもおなじみの、みんなのDIVAゆっきゅんさんが、再びananwebに登場。前回同様、今回もカメラの前で艶やかにポージングをきめてくださり、どの姿もチャーミングで見入ってしまうほど。インタビューも丁寧にご対応くださり、楽しい取材時間を過ごさせていただきました。29歳のゆっきゅんさんのいま、そして30代になってからの未来も目が離せません!!そんなゆっきゅんさんの楽曲をみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!写真・幸喜ひかり取材、文・かわむらあみりゆっきゅんPROFILE1995年5月26日、岡山県生まれ。2014年よりアイドル活動を開始。2016年からポップユニット「電影と少年CQ」としてのライブを中心に、個人では映画やJ-POPの歌姫にまつわる執筆、演技、トークなど活動の幅を広げる。2021年5月より、セルフプロデュースで「DIVA Project」をスタート。「DIVA ME」「片想いフラペチーノ」の2曲を配信リリースし、インディーズデビュー。2022年3月、1stアルバム『DIVA YOU』をリリース。2024年9月11日に2ndアルバム『生まれ変わらないあなたを』をリリース。InformationNew Release「ログアウト・ボーナス」2024年5月15日配信※6月の【シャトルバス】の「ジャケ写」をお戻しの際、一緒にお送りください。「シャトルバス」ジャケ写入る「シャトルバス」2024年6月14日配信*以下から2ページ目です(わかりやすく原稿チェック時は1pで見られるようにしています)。写真・幸喜ひかり 取材、文・かわむらあみり
2024年06月24日【音楽通信】第157回目に登場するのは、結成15周年というアニバーサリーイヤーを駆け抜けている永遠の週末ヒロイン、ももいろクローバーZ!中学生から活動してきて15周年は感慨深い写真左奥から時計まわりに百田夏菜子、玉井詩織、高城れに、佐々木彩夏。【音楽通信】vol.157百田夏菜子さん、玉井詩織さん、佐々木彩夏さん、高城れにさんの4人からなるガールズユニット通称“ももクロ”こと「ももいろクローバーZ」は2008年に結成され、2010年にメジャーデビュー。2014年に女性グループとしては初めて国立競技場での単独ライブを成功させ、2016年にはドームツアーを開催するなど数々の偉業を成し遂げ、アイドルシーンを牽引してきました。そして2023年、グループ結成15周年を迎え、2024年5月8日には7stアルバム『イドラ』をリリースされるということで、今回、ももいろクローバーZのメンバー全員にお話をうかがいました。――2024年5月まで結成15周年のアニバーサリーイヤーとなりますが、これまでを振り返ってみていかがですか?百田すごく不思議な感じです。周りのかたにも「15周年なんです」と言うと「何歳から活動してたの?」と驚かれることも多くて(笑)。中学生から活動していますが、アイドル活動に限らずさまざまな変化がある10代や20代という時期に、ずっとももクロとしてやってこられたんだなと思うと、感慨深いです。玉井結成10周年からの5年間がとくにあっという間だったなと。もともとはこんなに長く続けていくグループになると思わなかったので、正直私たちが一番驚いているところもあります。でもそれと同時に15年という長い間続けてこられているのは、やっぱり応援してくださるファンのかた、周りのかたの支えがあってこそなので、すごく感謝しています。アイドルで15年というとベテランの域に入ってくるのかもしれませんが、感覚的にはいつまでもまだまだだな、という気持ちを持ちながら続けていられることが幸せです。佐々木こうやって取材していただいていると「本当に15周年なんだな」と、やっと実感するぐらい、あまり自覚はないのですが、思い返してみればすごく濃厚な15年間でした。ここまで続けてこられたのはファンのみなさんが一緒についてきてくれたからです。コロナ禍でライブに行けない時期を経て、昨年からはようやくツアーでみなさんのところに会いに行って楽しい時間を共有できる、お礼の気持ちを伝えられる時間ができているので、良いアニバーサリーイヤーになっています。高城みなさんから祝福の言葉をいただくと、あらためて「15年間やってきてよかったな」と思いますし、あっという間の15年でした。結成当時、私たちはまだ学生だったので、ももクロは本当に青春を駆け抜けている感じがして。15年を過ぎてもなお私たちの青春は続いているという印象がありますね。新作は“アイドルの冒険”と歩いてきた道が凝縮リーダー 百田夏菜子。1994年7月12日、静岡県生まれ。AB型。自分にとってももクロとは?「私を成長させてくれる場所」。――2024年5月8日に7stアルバム『イドラ』をリリースされます。まずアルバムタイトルの意味からお聞かせください。百田「イドラ」はラテン語で「偶像」という意味で、アイドルの語源とされている言葉でもあります。今回のアルバムは、ヒーローをモチーフにしているんですが、私たちとしては“アイドルの冒険”という意味合いもあって。新しい曲も収録されていますが、いままで歌ってきている曲も入っていますし、どれもファンのみなさんと歩いてきた道を思い起こさせるような言葉が歌詞にも詰め込まれています。――新曲を中心に収録曲についてお聞かせください。まずリード曲の2曲目「Heroes」は元気をもらえる新曲ですね。玉井この曲は、アルバム全体の流れでいうと、冒険の始まりがテーマとなっています。これまで活動してきた15年がアイドルとしての旅や冒険のようで、素晴らしい景色を見てきたというベースがあるので、この曲には新たな出発という意味も込めています。旅の始まりということで、サビはキャッチーですし、明るい曲になっています。佐々木これから何かに挑戦されるかたの背中を押せるような曲です。私たちも歌っていて、この曲に勇気づけられますし、前向きな気持ちになれる曲ですね。――5曲目「MEKIMEKI」は、和風テイストも楽しめる明るい楽曲です。百田日本郵政さんの「カラダうごかせ!ニッポン!」プロジェクトのタイアップの新曲です。4人で担当が分かれていて、4パターンの違うテンポやリズムが楽しめる楽曲になっています。私はマッスル担当(笑)なので、勢いのあるパートになっていますが、リラックス担当だとゆったりしたメロディに音楽が切り替わるので、面白い曲。老若男女問わず、みんなでカラダを動かして健康になろうというのがテーマです。高城あーりん(佐々木彩夏)はエアロビクス担当で、しーちゃん(玉井詩織)はストレッチ、(百田)夏菜子ちゃんはマッスルだから筋トレ担当。一方、私が担当させていただいたのは、心のストレッチなんですよ。リラクゼーションがメインなのでそこまでカラダを動かすことなく、ほんわかとやらせていただいたので、全然筋肉痛にならなかったですね。玉井詩織。1995年6月4日、神奈川県生まれ。A型。自分にとってももクロとは?「第二の家族、自分達のやりたいことが出来る」。佐々木私たちは、ミュージックビデオでもしっかり体操して、翌日筋肉痛に(苦笑)。そんなハードな体操ではないんですが、普段使っていない筋肉を動かせるようになっているので、曲と合わせて楽しんでいただけたらなと思います。――8曲目「桃照桃神(ももてらすももみかみ)」は、スパイスのきいたラップを聴かせる楽曲ですね。佐々木私たちのアルバムはラップ曲が1曲入るのが定番なので、今回も収録しました。歌詞には、いまの状況とリンクするワードがたくさん盛り込まれています。百田アルバムの流れで言ったら、覚醒の部分になる曲。かっこいいラップ曲で、ひと味違うスパイスになっています。4人のマイクリレーが心地よく、細かい韻もたくさん踏んでいるので、スピード感のあるイケイケな曲になりました。ももクロらしさもありつつとてもダンサブルなので、ぜひライブで披露するときはみなさんに盛り上がってほしいですね。曲名の「桃照桃神」は、神様の「天照大神」からきているのですが、今回はアルバムのジャケットも衣装も、女神様からインスピレーションを受けた要素を入れ込んだものになっています。――浮遊感のある10曲目「追憶のファンファーレ」はいかがですか。新しい学校のリーダーズ「オトナブルー」などの作曲をされているyonkeyさんが担当ですね。玉井アルバムのなかで唯一スローなテンポの曲です。冒険していくなかでの挫折を歌った曲になっていて。私たちも15年活動していると、すべてがうまくいくことばかりじゃなかったり、辛かった経験もあったりします。きっとみなさんも人生においてそういう経験があると思うんですが、そんなときにちょっと寄り添ってくれるような曲。その経験を受け入れて、これからの旅に進んでいくというイメージです。――13曲目「Friends Friends Friends」は小気味良い楽曲です。百田清竜人さんの曲ですね。佐々木前回作っていただいたのが、6、7年前とか?高城そうだったかな?佐々木彩夏。1996年6月11日、神奈川県生まれ。AB型。自分にとってももクロとは?「ダイヤモンドみたいに光り輝く夢いっぱいのもの」。佐々木久しぶりに清竜人さんに曲を作っていただいたのですが、竜人さん節が炸裂していて。メロディラインにいろんなメロディが出てきて、覚えるのは大変でした。曲名に「Friends」とありますが、友達はもちろん、私たちとファンのみなさんの関係性だったり、家族だったり、メンバーだったり。そんないろいろな意味を含めた、大切な人という意味の「Friends」です。みなさんの大切な人にあてはめて聴いていただけたら、共感してもらえるところもたくさんあるんじゃないかな。百田清さんは、可愛い歌詞の印象があって。乙女心を歌詞や曲にして作ってくださることが多いので、最初にこの曲を聴いたときに恋の歌なのかなと思ったんですが、友達の歌でもありました。そして何よりもキーが高くて、清さんと一緒にレコーディングをしていても、キーが高すぎて運動部の部活をやっている気分になるくらい(笑)。冬なのにめちゃめちゃ汗をかいて、走った後みたいでした。そのくらいエネルギーを使う曲なので、ライブでも盛り上がるんじゃないかなという1曲です。――アルバムの最後を飾るタイトル曲「idola」は壮大な楽曲で、歌詞は神の啓示のような印象すらありますね。佐々木すっごい難しい曲です。玉井その通り!高城本当に!全員過去一難しい曲。佐々木聴いているぶんには耳心地がいい素敵な曲なんですが、歌入れは本当に難しかったです。いらいらしながらやりました(苦笑)、「歌えないんだけど」って。玉井あーりんは歌入れのときトップバッターだったもんね。佐々木そう。なんで私がトップバッター!?って。私たちは個別にレコーディングするんですが、終わってすぐみんなに「やばいよ」って(苦笑)。高城れに。1993年6月21日、神奈川県生まれ。O型。自分にとってももクロとは?「私の一番の宝物(ファンの方々、メンバー、スタッフ)」。玉井大変だというウワサがどんどんまわってきて(笑)。あの曲はやばいらしいと。高城私が一番最後にレコーディングしたんですが、録り終わったメンバーが口をそろえて「れにちゃん、これ絶対できないよ」って(笑)。玉井すぐ伝えたよね(笑)。高城私はもともと3拍子の曲が苦手なのですが、この曲は3拍子も5拍子もあってリズムの取り方が難しいから、レコーディングも大変だと思うと事前に聞かされていて(笑)。ただ、すごく世界観がありますし、アルバム全体を通してわりとポップな感じやかっこいい感じの曲が多いからこそ、最後にこの曲でギュッとしまるかなと。大事なポジションにいる曲ですね。佐々木アルバムを締めくくる曲なので気合いが入ったところもあるんですが、NARASAKIさんと只野菜摘さんという、私たちも昔からお世話になっているおふたりのタッグ曲なので、みんなの気持ちもたくさん詰まった思い出深い1曲になっています。百田未だに難しいなと思っていて…。玉井ライブで歌えるだろうかと、ちょっと心配になっています。高城大丈夫かな…。佐々木レコーディングは無事終わったものの、恐ろしい曲ですね(笑)。私たちの挑戦の1曲だったかなと思います。――どんなふうにアルバムを聴いてほしいでしょうか。高城ヒーローの冒険がベースにあるアルバムですが、みなさんにもきっと自分にとってのアイドル的存在やヒーローがいたり、自分がヒーローの立場になることもあり得るかと思います。そしてどんなに強い人でも、出会いや挑戦、挫折があると思いますが、そういったいろいろな場面で共感してもらえる楽曲がたくさんありますので、そのときどきの楽しみ方で聴いてほしいですね。楽しみながら、新しいものに出会っていきたい――お話は変わりますが、最近ハマっているものはありますか。佐々木ゴルフですね。玉井私もゴルフです。1日お休みの日があったら行きますね。佐々木普段、自然の中に行くことがあまりないので、ゴルフはすごく健康的で気持ちいいですよ。朝から動いて1日を有意義に使えた感じもしますし、激しい運動じゃないですが、運動している気持ちにもなりますし、携帯にある歩数計を見るとすごく歩いていることもわかりますし、ハマっています。百田私はもともと健康オタクで、カラダを動かすことも好きなんですが、最近は脚のストレッチにハマっています。美容が好きな友達と遊びながら「よし、ここからここまでの期間であのデニムをかっこよく履きこなすキャンペーンをしよう!」という感じで(笑)、カラダのパーツごとにストレッチをしています。少し前はおしりを重点的にしたので、いまは脚。佐々木美脚?百田そう!美脚になろうキャンペーン中(笑)。あとは保湿をしたり、アザだけは作らないようにしたり。バリバリ運動するのは年々ちょっと疲れやすくなってきていますが、これならもし結果が出なくても誰にも怒られないので、友達と気楽にできていいですよ。高城私は最近というよりも前からになりますが、お料理にハマっています。料理はストレス発散にもなるので、よく作りますね。煮物が得意なので、和食をよく作っています。あとは旅行雑誌を見て、次のお休みの計画を立てるのも好きですね。――ちなみにアルバムのジャケ写でも着ている今日のお衣装ですが、百田さんは「太陽のように輝く女神様」、玉井さんは「勇ましくて賢い女神様」、佐々木さんは「愛と美の女神様」、高城さんは「アジアの天女のような優しい女神様」からインスピレーションを膨らませてデザインされているそうですね。百田いままでいろんな衣装を着させてもらってきたんですが、初めてのテーマでした。ヘッドのアクセサリーが印象的な衣装は過去にもあったんですが、最近なくて。久々に来たかと思って付けました(笑)。玉井私の衣装は肩が重いです(笑)。佐々木全部が手作りなんですよ。玉井ひとりでもインパクトがありますけど、4人並んだときのインパクトもすごいみたいです。――わかります(笑)!ももクロのみなさんがとても神々しいです。佐々木ははは(笑)。みんなそれぞれ衣装の形やテーマは違いますが、素材感は合わせていて、4人そろうと統一感があります。個性があってかわいい。――では、普段のファッションは、どのようなものがお好きなんですか?玉井私はパンツスタイルが好きです。ゆったりとしたシルエットが好きなんですが、大きく見えないようにアクセサリーで変化を出すことも。デニムばかり履くので、トップスだけ変えればいいんじゃないかと思って、最近はトップスを大量に買いました。百田私はあたたかい格好が好きなんです。もう春になりましたが、冬の時期はとくに寒くて、着るものにも困って…。佐々木季節としては春でも、すごく着込んできたことあったよね?百田寒くて(笑)。高城重ね着しちゃうんだね(笑)。玉井5枚ぐらい着てた(笑)?百田そう。いろいろなお洋服を着たいんですが、気温によって左右されます。佐々木私はロングスカートやワンピースを着ることが多いかな。布が気持ちいいことが大事です。玉井わかる!佐々木着心地を重視するので、柔らかい素材とか、シルエットがきれいなものとかがいいですね。高城私は肌が出るデザインやカラダのラインがピタッと出るものが好きです。最近挑戦したいのは、パキッとした鮮やかな色。パステルカラーは挑戦したことがあるので、今度は春らしい色が着てみたいな。――いろいろなお話をありがとうございました!では最後にメンバーおひとりずつの個人的な抱負と、リーダーの百田さんから「ももいろクローバーZ」としての今後の抱負を教えてください。百田個人的には、20代最後の年齢になるので、この年を楽しみたいです。年齢を重ねるごとにカラダの変化もあるので、いつでもしっかりと動けるような体作りを目標にしたいですね。高城私は今年31歳になるので、もう少し自立したいです。いつか資格を取りたいと思っていて、時間があるときにちょっとずつ本を読んで勉強しています。35歳までに資格が取れたらいいかなって。――何の勉強をしているのですか?高城子どもがすごく好きなので、近所の幼稚園に遊びに行って、先生からも許可をいただいて、園児たちと触れ合うことがあるんです。だから保育系の資格がいつか取れたらいいなと。でも急ぐとプレッシャーで勉強しなくなっちゃうので、長い目で見て、ゆっくりコツコツと続けていけたらと思います。この間も、子どもたちが「御礼に」と、メッセージをくれたり、ももクロのダンスを踊ってくれて感激しました。玉井私は今年20代最後を迎えるので、悔いなく楽しみたいな。30代になってもできることはたくさんあると思いますが、20代を最後までやり尽くして、お仕事もプライベートも充実させて過ごしたいと思います。佐々木私はまだまだ若いので…。百田・玉井・高城おいおい(笑)!玉井この関係性は変わらないので(笑)。百田いつも言うんですよ(笑)。佐々木はいはい(笑)。みんなよりまだ若いので、髪の毛をツヤツヤにするよう、ヘアケアを頑張る年にします!百田グループとしての抱負なのですが、実はあまり先のことを考えたことがなくて、今日どうやって過ごすか、明日どうやって過ごすか?というように過ごしてきました。なので、これからもあえて目標を決めずに、出会ったものに対して楽しみながら飛び込んでいくスタンスで、新しいものに出会っていきたいですね!取材後記国民的アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の百田夏菜子さん、玉井詩織さん、佐々木彩夏さん、高城れにさんの全員がananwebに登場。インタビューでも語ってくださっていますが、今作のテーマのお衣装があまりにも神々しくて、みなさんがそろうと圧巻でした。明るく朗らかな4人のパワーで、取材現場もポジティブに。そんなももいろクローバーZのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・園山友基取材、文・かわむらあみりももいろクローバーZPROFILE百田夏菜子、玉井詩織、佐々木彩夏、高城れにの4人からなるアイドルグループ。2008年に「ももいろクローバー」名義で結成され、2010年にシングル「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー。2011年にグループ名を「ももいろクローバーZ」へ改名。2012年に『NHK紅白歌合戦』に初出場。2014年に女性グループとして初の東京・国立競技場での単独ライブを成功させ、2016年には初のドームツアーを開催。2023年には15周年を迎えた。2024年5月8日に、7stアルバム『イドラ』をリリース。InformationNew Release『イドラ』(収録曲)01. 序章 -revelation-02. Heroes03. Brand New Day04. Re:volution05. MEKIMEKI06. MONONOFU NIPPON feat. 布袋寅泰07. 一味同心08. 桃照桃神09. Majoram Therapie10. 追憶のファンファーレ12. L.O.V.E13. Friends Friends Friends14. 誓い未来15. idola2024年5月8日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)KICS-4140(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)KICS-94140(4CD+2Blu-ray)¥12,000(税込)※(CD)初回限定盤のみ収録。「イドラ」ALBAM off vocal ver./「QUEEN OF STAGE」(2023.10.15 ツアーファイナル公演)LIVE CD Part 1, 2(BD)初回限定盤のみ収録。【DISC1】「イドラ」 ALBUM Documentary/「MONONOFU NIPPON feat.布袋寅泰」「誓い未来」「Heroes」MUSIC VIDEO【DISC2】MOMOIRO CLOVER Z 15th Anniversary Tour「QUEEN OF STAGE」(2023.10.15 ツアーファイナル公演)写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり
2024年05月07日【音楽通信】第156回目に登場するのは「黒夢」「sads」でも人気を博し、ソロとしても大活躍中で今年デビュー30周年を迎えた、ロック界のカリスマ、清春さん!テレビの歌番組で沢田研二さんら歌手に見入る【音楽通信】vol.1561994年にロックバンド「黒夢」のボーカリストとしてメジャーデビューし、そのオリジナリティあふれるパフォーマンスとメッセージ性の強い楽曲で人気を獲得した、清春さん。1999年には「sads」を結成。翌年にはドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の主題歌「忘却の空」が大ヒットし、同曲を収録したアルバム『BABYLON』はオリコン1位を記録するなど大いに話題を呼びました。2003年には、DVDシングル「オーロラ」で清春としてソロデビュー。多くのアーティストからリスペクトを受け続けるなか、デビュー30周年を迎えた清春さんが、2024年3月20日にニューアルバム『ETERNAL』をリリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――1994年にメジャーデビューしてから、今年デビュー30周年というアニバーサリーイヤーを迎えられましたね。30周年になりました。先日、アパレルブランドを独立してずっとやっている同世代の友人たちとご飯を食べていたら、「すごいっすよ!」と言われましたね。音楽的なことではなく、僕の美学的なスタンスをほめてくれて。大きい事務所に所属せず、ずっと個人オフィスを設けて活動している体制のなかで、30年間、音楽を続けてこられていることが本当にすごいと言われ、気分がよくなって帰ってきました(笑)。――確かにすごいことですよね。そんな清春さんが、まだ小さい頃や学生時代などに音楽にふれた思い出やきっかけはなんだったのですか?テレビの歌番組をよく観ていましたね。『ザ・ベストテン』(TBS系 1978年~1989年)や『ザ・トップテン』(日本テレビ系 1981年~1986年)というチャート式の歌番組があったんです。さらにいろいろな人が登場する『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系 1968年~1990年)も観ていて、僕の世代でいうと、沢田研二さん、西城秀樹さんに見入っていました。もう少し後の時代になるとバンドも出てくるんですが、その当時はまだ歌手の方が主流でしたね。男性歌手もメイクをしていましたし、髪が長くて、衣装も派手という姿を当たり前に受け入れていて。そういった姿も、僕らの世代からしたら違和感はありませんでした。沢田さんや西城さんは、自分が好きな洋楽アーティストをオマージュしてそういったメイクや衣装でやっていたのかもしれませんが、子どもの頃の僕らからすると、スターだからなんだと思っていて。以降は、少しずつ音楽シーンにバンドが出てきて、僕もバンドサウンドを聴くようになっていきました。――では、ご自身で音楽をやろうと思われたのはいつぐらいからに?僕は実家が岐阜県で田舎すぎたので、自分で音楽をやろうだなんてまず思わなくて。でも、高校生のときに社会見学や修学旅行などに行くバスのなかでカラオケをすることになって偶然歌うことになって、まわりからも「歌うまいじゃん!」と。友人から「バンドをやりたいからボーカルやってよ」と言われて、そのときはまだ興味がなかったんですが引き受けて、そこからロックとはなんだろうと勉強していきました。火がついたのは遅かったんです。新作は「ちょっと海外旅行をしているイメージ」――2024年3月20日に4年ぶりのニューアルバム『ETERNAL』をリリースされました。今作は清春さんの新しい姿を見せて聴かせてくださっている印象です。前作のアルバムを出したときは、ツアーでライブを2、3本やったらコロナ禍になって全公演が中止になったので、以降ずっとストリーミングライブを続けていて、そのなかで歌った新曲を集めたアルバムでもあります。そのストリーミングライブでは、まわりがライブハウスを使って配信していたように、僕らもそうしていました。だけど通常のお店も使うようになってくると、ドラムがそぐわなかったり、楽器が制限される場所があったりすることも。あと10年前ぐらいから、ロック的なものに惹かれなくなっていたところもありました。練習スタジオに行くと、バンドはギターアンプとベースアンプとドラムセットが置いてあるのが普通ですが、さんざんバンド活動をやってきたこともあって、いまのソロとしての僕はとっくにバンドではないし、必ずしもその形でやっていく必要はないんじゃないかなと思い始めてきて。そんなことを考えているうちに、今回のアルバムで使っているパーカッションやサックス、チェロといった、よりテクニックを要する楽器を演奏する人たちと知り合いました。その人たちと一緒に歌ってみたら、自分の歌が違ったように聴こえたんです。たとえるなら、ちょっと海外旅行をしているイメージ。現実にはずっと日本にいたんですが、ロックバンドとして音楽を始めた僕が違うテイストを味わうように、今回は海外に行って何年か暮らしていいよ、と言われているイメージの作品になりました。前作はわりとバンドらしい編成だったので、今作では変化を感じられるはずです。――アルバムタイトルの「ETERNAL」には、どのような思いが込められているのでしょうか。簡単に、僕らは永遠だよ、ということではなく。肉体が滅びたら、精神も滅びて、いずれ面影になって風化されるけれど、「この瞬間だけは永遠です」と言いたくて。この歌を聴いている瞬間、ライブをしている瞬間、みなさんが生きている瞬間。明日もあさっても1か月後も1年後も、本当に必ず来るかはわからない、だからこそ、いま意識のあるこの瞬間は永遠なんだよというアルバムです。いま55歳で、30年、音楽活動をやっているけど、あと何年ぐらいできるのかな?と終わり方を考えることも。歌の部分やステージでの振る舞いが、自分でイメージしているものと微妙にずれてきていると感じるときもあるんですよね。ステージに立っている自分と、あとで映像で観たときのイメージが一致していた時期もあったんですが、最近はたまにずれるときもあるなと。ただ、いまはまだ「ここいいじゃん!」と思える瞬間がたまにあって、映像で観てもそれを「永遠だな」と感じます。――その瞬間ごとの積み重ねが、生きるということでもありますよね。そうですね。知人にALSという難病と闘っている武藤将胤くんがいたり、前のアルバムではやまなみ工房という施設の知的障がい者のアーティストの方たちが描いたアートをジャケットにしたり、最近は震災のあった能登半島に支援に行ったり。音楽を作るにあたって、元気な人や健康な人、自由な人たちだけに刺さるのって、よくないと思ったんです。僕は元気なほうですが、明日がないかもしれない人もいるし、家がなくなってしまった人もいるから、いまこの瞬間を大事にしたい。それでいいんじゃないかと思うんですよね。約束もないし、期待もない。いろいろな人が僕のファンでいてくれて曲を聴いてくれているなかで、若い頃は恋愛の歌を書くだけでもよかったのかもしれませんが、いまはそう思う自分もいて。とくに落ち着いたとか、大人になったわけでもなくて、ただ状況が変わってきたという感じですね。自分の生きている状況やスペックに合わせて曲や歌詞を書くようになって、音もより肉感的といいますか、“生きている感じ”が出ればいいなと。アルバムでも、パーカッションがあることで躍動感が出せたりするのはよかったなと思っています。――収録曲の「霧」は、ダウンタウンさんのバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』(TBS系 毎週水曜日午後10時)で2週にわたってクローズアップされました。ロックリスナーの方以外の一般層の方からも、反響が大きかったのではないですか。番組で取り上げられるのは3度目なんですよね。これまで取り上げていただいたときは、あっさりとした内容だったんです。それが3回目では長くなっていて。普段はたまに僕がテレビに出ることがあっても、まわりからとくに連絡が来ることはないんですが、今回はしばらく連絡がなかった人も連絡をくれたり、親からも連絡がありました(笑)。「なんで2週もやるのか?」と聞かれて、「知らないけど」って(笑)。――わが家でも家族で『水曜日のダウンタウン』を観ていましたし、家族でカラオケに行ったときに娘と一緒に「霧」を歌いました(笑)。そうやって思いがけないところで、子どもたち世代にも清春さんの歌が届くこともあるなと。そうですね。僕のことを知り得ない世代の人も、番組のおかげで当たり前のように「清春」と言ってくれている方がいるのはよかったです。まぁ番組で今回のような取り上げられ方をしても、何をされても、もうそんなに揺るがないというか。ツアーもそうですが、土台がきちんとしていないと、周年もないですし、その出来事のなかのひとつですね。長くやってきてよかったです。僕に興味を持ってくれた方も、ライブに来てくれたら、また違う印象を持たれることもあると思います。―今年の3月から2025年9月まで、1年間を通して60本もの「清春 debut 30th anniversary year TOUR 天使ノ詩 NEVER END EXTRA」を開催されています。オーストラリアでもツアーをまわられて、さらにはsads、黒夢としてのライブも行うそうですね。今年は30周年なので、僕が今までやってきたことを網羅できるようなツアーになっています。sadsと黒夢としてのライブもわずかにやるんですが、それ以外の部分でも、ファンと僕の間での思い出の場所となっている「この会場でライブをした」というデビューライブの場所だったり、長い時間のなかで思い入れのある場所へ再度行ったり。30年だからできるツアーになっていますね。「長年崇めてくれてありがとう」という気持ち――最後に、今後の抱負をお聞かせください。あまり抱負というものはないのですが、毎年、僕らがやることは一緒なんです。アルバムの話のときに、「ETERNAL」が何をさしているかを話しましたが、なんとなく自分のなかで決めたゴールから逆算して活動しているところがあると思います。それはファンの人たちとも共有していて。つまり僕と一緒に年を重ねていて、それがご自身の人生になっている。その人たちと、これからまたどういう旅をしていこうかなと。もちろんみなさんと一緒に住んでいるわけでもなく、ライブ会場で会うだけなんですが、いまはインターネットもあってつながりやすい時代。昔はライブしか接点がなかったのがよかったものの、いまはアーティスト側のことがわかりすぎる時代ですよね。昔はファンの気持ちを知るには、手紙しかなかったですから。ライブではアンケート用紙があって。音楽雑誌でも、おたよりコーナーとかあったじゃないですか?――ありましたね。私も音楽雑誌の編集者をしていたことがあるので、よくわかります。“清春さんが好きな人と文通をしたいです”みたいなね。そういった超アナログの時代にデビューして、30年経って、なんでも便利な時代になって。だけどファンの人たちと一緒に旅をするうえで、時代は変わっても、メインのところは何も変わらずに終われるんじゃないかなと思っています。僕らの世代のミュージシャンだと、同世代はたとえばHYDEくんとかもそうだと思いますが、ファンの人たちと絶対的にいい距離感がありますからね。崇めてくれるといいますか。最終的には、「長年そんなに崇めてくれてありがとうね」というような終わり方に向かえる気がしていて。だから、今後さらに何をするという明確な展望はないですが、またライブをやったり、アルバムを出したり、やれることをより素敵な方法で残していけたらいいなと思っています。取材後記デビュー30周年を迎えた清春さんがananwebに登場。「黒夢」「sads」、ソロ活動とその時代ごとに異彩を放つ清春さんは、今作でさらにエモーショナルに進化を遂げた音楽を聴かせてくれています。ツアー中のお忙しいなか、柔らかい物腰で、ひとつずつ丁寧にインタビューに応えてくださいました。そんな清春さんのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!取材、文・かわむらあみり写真・森好弘、石井麻木清春PROFILE1968年10月30日、岐阜県生まれ。A型。1994年、「黒夢」としてメジャーデビュー。独創性あふれるパフォーマンスとメッセージ性の強い楽曲で人気を博すなか、4年間で突然の無期限活動休止を発表。1999年、「sads」を結成。2000年、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)の主題歌となった「忘却の空」が大ヒットし、同曲を収録したアルバム『BABYLON』はオリコン1位を記録した。2003年、DVDシングル「オーロラ」で清春としてデビュー。2004年、「DAVID BOWIE A REALITY TOUR」大阪公演にオープニングアクトとして出演。2020年、自叙伝『清春』発売。2024年3月20日、ニューアルバム『ETERNAL』をリリース。InformationNew Release『ETERNAL』(収録曲)Disc-1(CD)01. Carnival of spirits02. SAINT03. RUTH04. ETERNAL05. 霧06. SWORD07. ロープ08. Interlude by DURAN09. 砂ノ河10. Interlude by タブゾンビ(SOIL&“PIMP”SESSIONS)&栗原健11. DESERT12. FRAGILE13. Interlude by 栗原健14. 狂おしい時を越えて15. sis16. 鼓動17. ETERNAL (reprise)2024年3月20日発売※収録曲は全形態共通。(通常盤)YCCW-10424(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)YCCW-10423/B(CD+Blu-ray)¥8,250(税込)*スリーブケース仕様。Disc-2(Blu-ray)「SAINT」Music Video、「ETERNAL」Music Video、「SAINT」Music Video Making Movie、『The Birthday』@恵比寿ガーデンホール (2022.10.30) 赤の永遠/アモーレ/グレージュ/悲歌/アロン/美学『下劣』@Zepp Shinjuku (2023.04.26) 少年/アモーレ/ガイア/妖艶/MARIA取材、文・かわむらあみり 写真・森好弘、石井麻木
2024年04月23日【音楽通信】第155回目に登場するのは、音楽活動でも俳優活動でも、デビューから約30年の間ずっと第一線で活躍し続けている、及川光博さん!子どもの頃から振り付けしてステージに立っていた【音楽通信】vol.155ミュージシャンとしても、俳優としても、第一線で活躍し続けている、及川光博さん。1996年にアーティストとしてデビューして以降、そのキラキラとした存在感と王子様のような佇まいから、「ミッチー」という愛称とともに人気を博してきました。毎年のアルバムリリースや全国ツアー、さらに1998年には俳優活動をスタート。ドラマや映画などでもその姿を見ない日はないほど、ひっぱりだこなのは周知の通りです。そんな及川さんが、2024年4月24日に20作目となるアルバム『DON’T THINK,POP!!』をリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――幼少時は、どのような音楽環境でいらっしゃいましたか。子どもの頃は、アニメや戦隊ヒーローの主題歌を夢中で歌っていましたね。原体験としては、商店街の夏祭りのステージを覚えています。のど自慢大会のような催しがあって、そのステージで子どもながらに、バックダンサーを従えて歌っていました。5、6歳のときから、近所の子どもたちに振り付けをレクチャーしていたんです。――すでにエンターテイナーとしての才能が垣間見えていたんですね。ほめられるのがうれしくて。学芸会でも主役を演じましたね。小学校も高学年になると、『ザ・ベストテン』(TBS系 1978〜1989年)に代表される歌番組を当時はよく観ていて、沢田研二さん、郷ひろみさん、田原俊彦さんといった歌手の方が歌って踊る姿に夢中になりましたから。そして中学からは洋楽が大好きになって、マイケル・ジャクソンやプリンス、ロックバンドの洋楽を聴くようになって、いよいよ自分でもバンド活動を始めました。さらに、中学のときは演劇部だったこともあって、毎年学園祭のステージに立つようになりました。演劇部は高校でも入っていて、大学時代は俳優養成所に通いつつ、バンドざんまいの日々。ライブハウスで歌い小さな舞台にも出演していました。いま54歳なんですが、ほぼ40年間、音楽とお芝居をやっています。――どちらかのジャンルに偏ることなく、当初から表現すること、エンターテインメントがお好きだったのですね。そうです。音楽もお芝居もひっくるめたエンターテインメントをずっと愛し続けています。――1996年5月にシングル「モラリティー」でアーティストとしてデビューされ、1998年4月にはドラマ『WITH LOVE』で俳優活動も開始されました。デビューのきっかけは、アーティストでも役者でも、どちらでもよかったんですよね、いま思えば。チャンスをいただけて、本当にありがたかったです。駆け出しの頃は、よくも悪くも目立つことを意識していましたし、ナルシスティックな、キャラクター性を前面に打ち出すプロデュースをしていました。それで「王子様」のイメージで認知されて、ステージではバラの花を投げたりくわえたり、少女マンガ的な演出をしていましたね。――ではご自身で曲を作りたい、歌いたいと思われて、音楽制作を始めたのはいつ頃に?高校時代から、曲は自分でギターを弾きながら作っていました。80年代後半はバンドブームだったし、ミュージシャンに憧れました。ですが、高校生の頃は洋楽のダンスミュージックを演奏できるほどの技術はなかったんです。大学に入ってからは、ファンクやソウルといった演奏技術を必要とする音楽に目覚めていって。ちょっと自慢になっちゃうんですが、アマチュアバンドコンテストで優勝したこともあって。そんな成功経験も含めて、どんどんプロデビューを意識するようになりました。――アーティストとしても毎年リリースとツアーを欠かさず、俳優としても毎年連続ドラマにご出演されて、歌もお芝居も第一線で続けていらっしゃるのはすごいことですね。本当ですか?まあ、福山雅治さんか僕ぐらいじゃないかな……冗談ですよ(笑)!? どちらも自分の中で当たり前のことになっていますね。肩書きはどうであれ、二足のわらじこそ、私の職業という意識で続けています。――俳優業では、とくに『相棒 Season8』の2代目相棒・神戸尊役や、近年は『半沢直樹』の渡真利忍役といった大ヒットドラマが強く印象に残っている方も多そうです。ありがとうございます。ただ、たとえば『半沢直樹』にしても、最初から大ヒットドラマになるなんて想像もせず参加した作品。その都度、チャンスをいただいたら、欲張らずにコツコツと続けて、信頼と実績を重ねていくだけなんです。どんな仕事でも真摯に向き合っていれば、おのずと結果は出ますし、それが未来につながっていくのだと思っています。――俳優業でいえば、ヴィム・ヴェンダース製作総指揮による及川さんの初主演映画『クローンは故郷をめざす』(2009年公開)も印象深いです。文学的な作品ですよね。監督に熱烈にオファーされて出演したのですが、SFでありながら哲学的な物語でもあり。大変な撮影でしたけども、初主演作で初めて国際映画祭にお呼ばれもして(2006年度のサンダンス・NHK国際映像作家賞も受賞)、僕も印象深いです。新作は「何も考えずに楽しめるポップな作品」――2024年4月24日にアルバム『DON’T THINK,POP!!』をリリースされます。ご多忙のなか、いつごろから制作されていたのですか。アルバムは、昨年の9月頃から約半年の制作期間で作りました。とはいえ制作中も、ドラマ出演や映画の撮影をしていましたから、相当働いていると自負しています(笑)。昨年はアルバムをリリースしなかったので、そろそろ作らねばと。今回は、何も考えずに楽しめるポップな作品にしたいと思いました。やっぱりビート自体が楽しいものですし、ファンクや歌謡曲などいろいろなサウンドがありますが、音楽って本当に楽しい。20枚目のアルバムですが、まだまだ飽きないんですよね。あらためて、デビューできてよかったです。――とてもバイタリティにあふれていらっしゃって、ご多忙でも疲れることはないですか?疲れますよ(笑)。精魂込めて楽曲を作るために長時間集中しますし、レコーディングで歌い続ける体力も気力も限界はある。当然疲れるんですが、創作の高揚感と達成感のほうが大事。生きててよかったと思えるんです。完成した喜びは、かけがえのないもの。たとえば、中学や高校だったら3年で卒業という区切りがありますが、アルバム制作だとそれを作品ごとに味わえるといいますか。このアルバムを主軸としたツアーもあるので、毎年、毎作品ごとに思い出を心に刻んでいけるのが、僕の人生のいいところです。本当にファンの方やまわりのスタッフがいてこそ成立することなのですが、アルバムを出してツアーができるという、生きた証しを毎年発表できることがすごくうれしいですね。――このアルバムのタイトル『DON’T THINK,POP!!』は、一番表現したいことになりますか。そうです。なんか考え込んで内省的になったとて、未来はあまりいい方向に変わらないなと。僕はパリピじゃないので「DON’T THINK」といっても、感覚を研ぎ澄ませようよ、というニュアンスが大きいんです。そしてポップス主体のアルバムなので、弾けようという、ダブルミーニングですね。――アルバムのリード曲「Amazing Love」は、キャッチーでファンクで軽快な楽曲で、大人の恋心を歌っています。どのようなことを意識して歌詞を書かれましたか。これはネガティブからの逆ギレですね。Aメロの歌詞に書いている「もう人間やめたい」という心境から、いかに人生を謳歌するかという歌。恋愛に引っかけて書いていますけれども、自分で何か崇拝の対象、救いとなるものを見つけることが大切だというメッセージも込めていたり、込めていなかったり(笑)。世の中に“推し活”という言葉がありますが、推しの存在が生きる原動力になったり、辛いときの支えになったりしますよね。自分にとっての救いとなることを見つけようと、歌詞にも「救世主 Baby」と書いたのですが、それは世界を救う主ではなく、一人ひとりの毎日の救いのことを歌っています。救いがないと頑張れないじゃないですか。生きづらい世の中で、希望の光を見失わないようにという思いを込めて作りました。――「Amazing Love」では、ご自身初のアニメーションを駆使したミュージックビデオも制作されていますね。そう。“ミッチー”という概念でイラストを描いてもらいまして。3次元の2次元化が初めてなので、すべてお任せで作っていただきました。ツアーグッズにも展開しようと思っているので、ベイベーたち(ファンのみなさんたち)の反響も楽しみですね。――作詞と作曲を手がけていらっしゃる3曲目「敏感・センシビリティー」は小気味いいサウンドで若い世代への応援歌の側面も感じられます。ビートに言葉を乗せるため、英語に聴こえる日本語をちりばめた歌詞になっています。サウンドは、ブラスセクションとリズムセクションが主役。ストレートなファンクですね。サビの歌詞にある「悔やむよりも先に飛べ!」ということをもっとも伝えたい。限られた時間の中で、どう生きたって後悔は残るけど、それでも後悔しないようにいまを生きるべしというメッセージです。――続く4曲目「デジャヴと紫陽花」は、爽やかさとムーディさも感じます。シティポップの要素も入れて、叙情的でポエトリーな1曲になりました。――5曲目「恋の嵐」は恋が始まりそうなワクワク感と勢いのある、ポップで明るい楽曲です。これはアニソンを意識して作った楽曲で、たとえば女子アイドルグループとコラボできないかなとぼんやり考えながら作りました。さらに昭和の歌謡曲に対するリスペクトの思いもところどころに込めつつ。――メロディがどことなく懐かしい感じがしました。そうでしょう?どことなく松田聖子ちゃんぽい感じも入れていて。――6曲目「みず色ワンピース」は、歌詞に「ミッチーのワンマンショーに行くんでしょう?」と、パートナーがミッチーファンで、ジェラシーがありつつも包容力がある男として送り出すという視点の歌詞が面白いです。自分でも歌詞を書いていてニヤニヤしていたと思います(笑)。僕、歌詞を書くときはだいたい手書きで情景をイメージしながら書くので、この曲もニヤけていたかなと。僕のショーに参加するベイベーたちの彼氏の気持ちを初めて書いてみました。なぜかその気持ちを“ミッチー”が歌っているというパラドックス(笑)。僕の歌詞って、1曲まるまる聴かないと、ストーリー展開が読めないものが多いですね。――すべての楽曲において及川さんが作詞されていますし、楽曲作りもされることもありますが、そもそもどのように曲を仕上げているのですか。まずサビのメロディと歌詞を思いつくことが多いですね。お風呂でシャンプーしているときに思いついたりして(笑)、そこからストーリーを展開していく。そんな書き方ですね。ボイスレコーダーに歌って吹き込むとか、そんなハイテクなことはせず、浮かんだメロディや歌詞はギターを弾きながら、ノートやルーズリーフなどに手書きしていくんですよ。――インスピレーションがふっと降りてくるんですね。うん。でも、締め切りがなかったらいつまでもできないかな(笑)。あとは毎日を生きていて感じたことや見た景色、それからよくも悪くもメディアで気になったニュースがミックスされていく。歌詞はなるべくポジティブなワードに変換して、アウトプットするという感覚です。――7曲目「Dream Maker」はアッパーなロックサウンドです。ハードロックに乗せて、男のバカバカしいほどの情熱を歌っています。主人公がダイエットしたり、髪型を変えたり……なんとか女子のハートを射止めようとする恋心ですね。説明するほどの曲じゃないです(笑)。――ははは(笑)。8曲目「神サマお願い」はストレートに平和を歌っていらっしゃいますね。1曲ぐらいはしっかりと伝えようと。いつも人を笑顔にしたくて、歌って踊っているんですけども、この曲は珍しく怒りや嘆きを表現していますね。これはミッチーというよりも、及川光博個人の戦争やいじめに対する思い。ひねりをきかせず、まっすぐに思いを綴りました。――一変して、9曲目「フライドポテト<未来編>」はコミカルで元気になれる歌詞と楽曲です。おまけの曲ですね。気になった方は、前作『気まぐれサーカス』を聴いてみてください。その続編となっています(前作に「フライドポテト」という曲が収録)。基本はとにかく楽しんでいただきたいので、聴いて笑顔になってくれたらいいなと思って作っています。またそれをステージで表現するときは、心の充足感や開放感を感じていただけたらと全力を尽くしています。――収録曲の「Amazing Love」「Dream Maker」は、初回限定盤盤に付属するDVDとして、ダンスの振りを教える「流星光一郎」先生(及川さんが演じるダンサーキャラ)のミュージックビデオもありますね。流星先生は、1997年くらいからいるんですよ(笑)。だから、僕と同じくらいのキャリアで、ベイベーのみなさんも一緒に踊れるよう、振り付けのレクチャーをしています。流星先生は性別を超えたキャラクターで、もともとは確か『パパパパPUFFY』(テレビ朝日系 1997〜2002年)で、PUFFYのふたりに振り付けを教えるコントから生まれました。僕はソロで活動しているので、みなさんを飽きさせないように、いろいろなキャラクターを生み出しているんですよ(笑)。――ずっとアイデアがあふれて、工夫をされてきているのですね。それは俳優業においても感じることがあります。どこかで作り手側の視点を持っているので、演じている被写体ではあるんだけれども、台本を読んでどうしたらもっとこのシーンが面白くなるか、監督の要求に的確に答えられるかを考えて、工夫する。面白いですよ。逆にアーティストとしては、自分が何をやりたいか、どう表現したいかが最優先です。――表現することにおいて、音楽とお芝居の切り替えもさほど意識することはなく?音楽の表現ではわがままですし、主義主張ありきです。ドラマや映画の現場に行ったら、監督やプロデューサーの言うことをよく聞きますね。意識して切り替えるというよりも、役割。おそらく僕は、作品作り自体が好きなんです。ときどき本当に趣味なんだか仕事なんだかわからなくなる瞬間がありますね。――2024年5月3日からは「及川光博 ワンマンショーツアー2024『DON’T THINK, POP!!』」が開催されます。ツアーは毎年欠かしたことがないんです。勤勉でしょう(笑)?楽しいから続けられます。これから演出を考えていきますが、華やかな衣装を着て、よく踊りよくしゃべるステージになると思います。2024年という1年を忘れられないものにすべく、全力を尽くすのみですね。毎年ツアーをして、それがライブ映像作品にもなりますし、デビューして以来、ちゃんと生きている実感が常にあります。うれしいですね。ちなみに毎回、ワンマンショーでのテーマカラーを決めているのですが、2024年はスカイブルーです。ベイベーたちも、毎年のテーマカラーに沿ったコーディネートでおしゃれしてコンサートに来てくれるんです。みなさんもぜひ、水色コーデで遊びにきてください!アーティストとして長く続けることが目標――お話は変わりますが、お休みのときはどんなふうに過ごしていますか。友人と飲んだり食べたりするぐらいです。休みといっても、洗濯したりアニメ鑑賞したりしていると1日はあっという間に終わるので、仕事のために疲れを取るのがメインですね。もしも長期で休みが取れたら、もっと別のこともできるんでしょうけど。結局は、休みの日でもマネージャーから連絡が来ますし、休みではないと(笑)。――そのお忙しいなかでクオリティの高い作品をいつも届けていらっしゃるというのは、やはり基本的にお仕事がお好きなのですね?お好きです(笑)。生みの苦しみや撮影のハードスケジュールなどがあっても、やりきって完成してしまうと、喜びに変わるんです。――及川さんのように生き生きとエネルギッシュに毎日を過ごすために、何かアドバイスをいただけますか。とにかく笑顔を意識することですね。楽しくなくても、口角を上げる。とはいえ、作り笑顔で生きるわけではないですよ。笑顔で人と対することによって風向きは変わりますから。空気が穏やかになり、交渉もしやすくなるんです。不愉快な思いをする確率が減るので、笑顔を心がけることは大事。あとは自分の欠点を意識すると、大きなミスを生まないです。自分の欠点を意識して行動することによって、周囲に迷惑をかけないことが大事。そうすると、必然的に信頼されて、人脈も広がる。結果、生き生きと過ごせるのではないかと思います。――いつもスマートな印象の及川さんですが、健康で過ごすためにライフスタイルで気をつけていることはありますか。糖質の摂りすぎ、ですね。年を重ねるごとに健康を意識しますが、ジムに通ったりもしないので、食事に気をつけるくらいですよ。あとは本当にステージでは2時間から3時間踊っているので、そこである程度鍛えられているんだと思います。――音楽活動は2024年で29年目となり、30周年も間近です。アーティストとして、そして個人的な今後の抱負を最後に教えてください。アーティストとしては、とにかく長く続けることが目標です。これが一番の野望ですね。ずっと音楽には関わっていきたい。そして個人的には、ゆとりを持ちたいです。いつまでたっても中学生みたいなことを考えてバタバタ働いているので、年相応の大人のゆとりを身につけたいな。――どのあたりが大人じゃないんですか?それは……いつまでたっても清濁の濁を呑みこめないところでしょうか。大人なら清濁併せて呑めないといけないのに、50代になっても未熟だな、青臭いなと思います。――そこも魅力なのかもしれないですよね?そう言っていただけるとありがたいんですけども、もうちょっと大人の色気や円熟味を出したい。「渋い」って言われたいですね(笑)。取材後記涼しげな瞳でスタイリッシュな印象のある、及川光博さんがananwebに登場。取材の日はよいお天気だったものの東京に強風が吹いていた日で、ご挨拶してすぐに「風が強かったけど、大丈夫でしたか?」とお気遣いをしてくださる及川さん。なんと紳士的で素敵なミッチー!ジャンルレスにご活躍されているのは、そのお人柄も関係あるのだろうなと思いました。そんな及川さんのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!取材、文・かわむらあみり及川光博PROFILE1969年10月24日、東京都生まれ。蠍座。B型。1996年にシングル「モラリティー」でアーティストとしてデビュー。独自の音楽性とその個性が注目を集め、1998年にドラマ『WITH LOVE』で俳優活動をスタート。以後、多くのアルバムリリースや毎年全国ツアーを行うとともに、ドラマ、映画、CMなどで活躍し、現在に至る。主な出演作に、ドラマ『白い巨塔』(2004年)、『相棒』シリーズ(2009〜2012年)、『半沢直樹』(2013年・2020年)、『グランメゾン東京』(2019年)、『ドラゴン桜』(2021年)、『最愛』(2021年)、『霊媒探偵・城塚翡翠』(2022年)、『女神の教室 〜リーガル青春白書〜』(2022年)、『御手洗家、炎上する』(2023年)。映画『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』(2015年)、『七つの会議』(2019年)、『引っ越し大名!』(2019年)、『桜のような僕の恋人』(2022年)ほか。2024年4月24日、ニューアルバム『DON’T THINK, POP!!』をリリース。5月3日より全国を巡るワンマンショーツアー2024「DON’T THINK, POP!!」スタート。InformationNew Release『DON’T THINK,POP!!』(収録曲)01. DON’T THINK,POP!!02. Amazing Love03. 敏感・センシビリティー04. デジャヴと紫陽花05. 恋の嵐06. みず色ワンピース07. Dream Maker08. 神サマお願い09. フライドポテト<未来編>2024年4月24日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)VICL-65958(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)VIZL-2309(CD+DVD+Photobook)¥5,720(税込)(セブンネットショッピング限定セット)00THN-42213¥9,900(税込)※初回限定盤+特製お弁当箱「DON’T THINK, EAT!!」(セブンネット限定特典:アクリルキーホルダー)【Blu-ray収録内容】※初回限定盤のみAmazing Love[Music Video]/ Let’s DanceAmazing Love / Let’s DanceDream Maker取材、文・かわむらあみり
2024年04月18日【音楽通信】第154回目に登場するのは、平成から令和へと時代を駆け抜け続けている、日本を代表するアイドルグループ「AKB48」から、グループを代表して、柏木由紀さんが登場!楽しくやってきたからこんなに長くいられた柏木由紀(かしわぎゆき)。ニックネームは「ゆきりん」。1991年7月15日、鹿児島県生まれ。AKB48チームBのメンバー。3期生。【音楽通信】vol.154秋元康さんが総合プロデューサーを務め、東京の秋葉原を拠点に2005年から活躍している、AKB48。2006年にメジャー・デビューし、同年末には「NHK紅白歌合戦」に初出場。以降、シングルのミリオンセールスを記録するなど、名実ともに日本を代表するアイドルグループとなったことは周知の通りです。2023年10月の日本武道館公演では、AKB48を初期の頃から支え続け、後進メンバーのみなさんにとっても憧れの存在であるレジェンドアイドルの柏木由紀さんが、グループからの卒業を発表しました。そんなAKB48が2024年3月13日に63枚目のシングル「カラコンウインク」をリリースされるということで、AKB48を代表して、柏木由紀さんにお話をうかがいました。――柏木さんは2007年にAKB48の3期生として加入し、2009年にチームBの初代キャプテンを務め、2010年には派生ユニット「フレンチ・キス」を結成。さらに2013年にソロ歌手デビューも果たされました。AKB48そしてアイドルシーンを牽引されてきましたが、アイドル人生17年間を振り返ってみていかがですか。あっという間でしたね。17年と聞いても長かった感じがしなくて、本当に「え? そんなに経ってたんだ」という感覚です。体感でいうと7年ぐらいですね(笑)。ただ、みんなを引っ張っていったり、先陣を切るようになったのは、ここ2、3年ぐらいのことかなと。加入したときはまだ後輩の立場で先輩もいましたし、それこそ自分がセンターになったこともなかったので、AKBを背負っているとまでは思えていないところもありました。私がいてもいなくてもAKB48は成立するだろうけど、ずっと「いなきゃ困る存在になりたい」と思いながら活動してきて。振り返っても、めちゃくちゃ楽しくやってきたからこそ、こんなに長くいられたのかなと実感しています。――柏木さんは2007年に15歳でAKB48に加入され、現在32歳になられましたね。そもそも音楽と出合ったきっかけやアイドルになろうと思った理由はなんでしょうか。音楽との出合いは、幼稚園の頃でした。通園バスに描かれていたキャラクターが気に入り、自分も乗りたくて、その通園バスを出している音楽幼稚園に通わせてもらうようになりました。そこではピアノなどの楽器や歌を習っていたので、いつも音楽が身近にありましたね。小学校でも部活動で吹奏楽部に入りましたし、音楽がすごく好きだったんです。そして小学生の頃、母にモーニング娘。さんのコンサートに連れていってもらって、そこからハロプロの虜になりました。中学生になると、ハロプロが好きすぎるがゆえに「そっち側(アイドル側)にちょっと行ってみたいな」と思うようになり、さらに当時、同年代の女の子がアイドルとしてテレビに出ているのを観て、ちょっとチャレンジしてみたい気持ちがわいてきて。中学3年生のときにAKB48のオーディションに合格して、アイドルになりました。――あらためてご卒業を決めたのは、いつ頃だったのでしょうか。1年前ぐらいです。AKB48でいろいろなことをやることができた達成感と、思いがけないことにもう一度青春ができたことに十分満足して。いまのAKB48のメンバーとすごく仲良くなれて日々楽しいので、このメンバーたちに卒業を見送ってほしいと思ったんです。もうやり残したことはないですし、みんなに任せられると思ったので、卒業するならいまだと思って、決めました。――今後はAKB48を見守りながら、ご自身はソロ活動をするお考えも?やはり歌うことやステージに立つことはすごく好きなので、AKB48を卒業してからも、ソロとして歌手活動はやっていけたらなと。でも、アーティストになります、というよりも、いまの延長線がいいです。何歳になっても、なるべくアイドルっぽさを残してやっていけたらいいなと、いまの段階では思いますね。最後に単独センター曲で思い残すことなく卒業――2024年3月13日に、柏木さんの卒業シングルとなる63枚目の「カラコンウインク」がリリースされます。表題曲でセンターを飾るのは、小嶋陽菜さんとのWセンターだった2015年発売のシングル以来2度目で、単独のセンターは初とのことですね。そうなんです。センターに関しては、唯一この17年間かなっていなかった夢でした。これまでセンターをやりたいとはハードルが高くてなかなか言えなかったですし、いつかやれたらなあとは思いながらも、無理だろうなとあきらめながら17年間やってきていたので、最後のシングルでまさか単独のセンターをやらせていただけるなんて。しかも、私が加入した当時のAKB48をちょっと思い出させながらも、現代にアップデートしたような楽曲になっているので、最後にこの曲でセンターを務めることができて、本当に思い残すことなく卒業できると思いました。――秋元康さんの歌詞も印象的な片想いの気持ちを綴ったラブソングですが、歌われる際にはどのようなことを意識していますか。まず歌詞について、AKB48の楽曲では一人称が男性目線の「僕」となることが多いんですが、「カラコンウインク」は女の子目線の楽曲という点で珍しいです。また、私がデビューした当時は音楽番組がたくさんありました。そんななかでAKB48の存在を視聴者のかたに覚えてもらいたい、印象を残したい、と自分でいろいろと考えて編み出したのが、番組出演で歌うほんの数秒の中でウインクをすること。秋元先生も、“AKB48の中でウインクといえば柏木”と思ってくださっているようで、そういったことをイメージして歌詞を作っていってくださったのだと思います。そしてカラコンも、いまは男女問わずつけるかたも多くて、身近なものになっていますよね。私も音楽番組やコンサートなど、ここぞというときにカラコンをつけるとテンションが上がるので、そういういまの時代にあった単語も入っています。歌詞の世界観としては、女性が片思いの男性にアピールしたい気持ちが綴られています。恋愛もそうですが、これは私自身AKB48にいて、みなさんに対して思っていたことでもあるんですよ。相手に気づいてほしい、アピールしたいという気持ちは、この歌詞の女の子ともすごく重なる感じがするので、私はそういう気持ちで歌っています。――ミュージックビデオでは、色彩豊かなお花に囲まれながら、花吹雪が舞うなかパフォーマンスをされていますが、振り付けのポイントはありますか。フォーメーションが目まぐるしく変わるので、私を中心に後輩たちがいっぱい動いてくれています。タイトルにもあるウインクがたくさんちりばめられているので、やはりメンバーのウインクがポイントですね。さらに曲の最後に一瞬、手で「yuki」とローマ字で作っていたり、私のYouTubeチャンネル『ゆきりんワールド』でも言っている「寝ても覚めてもゆきりんワールド、夢中にさせちゃうぞ」というキャッチフレーズが振り付けでも入っていたり。これらがポイントですね。――今作には、小栗有以さんや向井地美音さんほか、初の選抜入りを果たした16期生の長友彩海さん、17期研究生の水島美結さん、18期研究生の秋山由奈さん、八木愛月さんらも歌唱メンバーに抜擢されました。後輩メンバーのみなさんはやはり柏木さんの卒業ソングなのでより身が引き締まっているのでは?自分自身を振り返っても、みんな選抜に入りたい気持ちが強いのはすごくわかるんです。入ったメンバーが、私の最後の曲で選抜に初めて入れてうれしい、というようなことを言ってくれるんですが、そういう声をもらえると私も本当にうれしい。でも、みんな気をつかわずに、自分が一番だという気持ちでやってほしいですね。――今作のミュージックビデオでは、お花がたくさん出てきて奇麗ですが、植物園のような場所なのでしょうか。いえ、実はまったく何もない場所にお花を持ち込んでやってくださったセットなんですよ。1月初旬の寒い中、栃木県に行って、2日間に分けて撮影しました。夜中の3時ぐらいに栃木に着いて、5時からメイクして。コンディション的にはあまりよくなかったんですが、最後の撮影だし、センターだしと、むくまないように塩分を抜いたり、朝もう1回シャワーを浴びてシャキッとしていったり。なるべくベストのコンディションで臨めるようにして、あとは寒さとの戦いでした。衣装では足が出ますし、薄着なので中にも着込めなくて本当に寒い中、みんなが私の最後のシングルだからとすごく盛り上げてくれる雰囲気があって。それがとてもありがたかったですね。ミュージックビデオの撮影は、もう何百回もしてきたのに、「ああ、最後なんだな」と感慨深いものになりました。いろいろなかたが良い作品にしようと思ってくれている気持ちが伝わって、本当に幸せでしたね。――シングルの初回限定盤[TYPE-A]には、柏木さんのソロ曲「最後の最後まで」が収録されています。「まさかこんな長くここにいさせてくれて最後の最後までありがとう」など、秋元さんの歌詞は、柏木さんの心情を表しているように感じました。秋元先生にはとくに気持ちを話したわけではないのですが、まさに私が思っている、言葉ではなかなか伝えられないことを歌詞に入れてくれました。いままで先輩が卒業するときに、ソロで卒業ソングをもらって歌っているメンバーをいっぱい見てきて、自分が卒業するときはどうなるんだろう?と思っていたらこの曲をいただいて。この歌詞はほかのメンバーでは歌えないといいますか、長くいたからこその曲をもらえて、すごくうれしいです。ここにいさせてもらったという気持ちが大きいですし、本当にみんなのことが好きで。ファンのかたのことはもちろん、いまのAKB48のメンバーのことも大好きなので、そういう気持ちもちりばめられているんです。最後のコンサートなどで歌うと、きっとジーンとくるんだろうなあと思いますね。――2024年3月16日と3月17日の2日間、「AKB48春コンサート2024 inぴあアリーナMM」が開催されます。1日目は柏木さんの卒業コンサートですし、その後、4月には劇場でも卒業公演が予定されていますね。1日目の卒業コンサートは、ほとんど全部自分でプロデュースしたような内容になります。みんなが好きなAKB48、みんなが好きな柏木由紀みたいなものがテーマ。私がやりたい曲やチャレンジしたい曲ではなく、もうこれは外せないなとか、これは最後に絶対歌っておかないとみたいな曲を選んでいったんですが、もう収まりきれなくて(笑)。やはり17年間のいろんな思い出が楽曲にはあるので、そこから迷いに迷って厳選しました。私が辿ってきたAKB48の歴史が伝わるような内容になっています。2日目は、私は1曲しか出ないんです。卒業コンサートは1日目でも2日目でもどちらでもよかったんですが、10年ぐらい前のAKB48にいたメンバーは私が卒業したら誰もいなくなるので、先に私の卒業コンサートをして、次の日にいまのAKB48を見てもらいたくて、この順番にしました。4月の卒業公演の内容はまだ決まっていませんが、まずは3月のコンサートを頑張りたいですね。みんなが楽しいAKB48を作っていってほしい――お話はかわりますが、普段、おやすみのときはどのようにお過ごしですか。ほとんど寝ていますね(笑)。目覚ましをかけないで寝られるのがすごく幸せなので、午後まで寝ることも。あとは美容室に行ったり、まつげパーマをかけたり、皮膚科に行ったり。1日中外出するようなことは、年に何回かしかないです。休日でも、どうしても仕事につながる動き方をしてしまうので、卒業したらそれを変えたいなと思っています。――ananの美容・ヘルス&ECOサイト「ananBeauty+」では、『ぞっこんビューティライフ』という連載をされていましたね。もともと美容にお詳しいのですか。いえ、20代後半頃から興味を持ち始めました。AKB48は人数が多く、自分でメイクをするので、仕事の延長線でいろいろと調べているうち、いいものがだんだんわかってきて。美容情報を調べることは、けっこう趣味になるレベルで好きだなと感じて、20代後半ぐらいからいろいろと試すようになりました。――最近、お気に入りのコスメはありますか?うーん、ありすぎますね(笑)。いわゆるデパコス、韓国コスメ、ドラッグストアのプチプラなど、全部試して使うんです。だから、お気に入りのものもすぐ変わっちゃいます。いつもSNSをチェックしたり、雑誌を見たり、気になるものをどんどん試していて。普段は一軍のポーチを持ち歩いていて、二軍のコスメは引き出しにいっぱい入っています。毎日、その日の服装とかに合わせてコスメを入れ替えるのもめちゃくちゃ楽しい時間で、すごく好きなんですよね。――ファッションでは、取り入れているコーディネイトなどはあるのでしょうか。いま32歳で、何を着ると一番いいのか、服装が難しくなってきている気がするんです。ただ、コンサバのような奇麗めファッションがずっと好きで着ていたんですが、私服で握手会もするので、もしかしたらファンのかたが求めているような服装に、無意識に自分で寄っていっているのかも…と感じたことがあって。だから最近は、表に出るときはワンピースなどの奇麗で可愛いものをチョイスしますが、普段はデニムにトレーナーやパーカを合わせたりします。両極端のファッションかもしれないですが、どっちも好き。買うときも、心がときめいた服を買うので、ジャンルを決めずにいろいろなテイストの服を着ますね。――ずっとスレンダーな印象の柏木さんですが、ダイエットには無縁ですよね。10年ぐらい前に糖質オフダイエットをしたんですが、その後いっぱい食べてリバウンドした経験があるので、なるべく極端なダイエットはしないようにしています。でも、いまはAKB48の最後で注目してもらえる機会が増えたことで、ボディメイクも頑張りたいなと。それで、いまは小麦を抜いています。とにかく麺類とパンがこの世で一番好きなんですが、体を絞るためにも、好きなものを我慢したら頑張ってる感があるなと思って(笑)。12月からやっていて、卒業までは頑張ろうと。いままでは偏った食生活だったんですが、そうやって意識するようになってからは、お肉も野菜もおいしくなって、バランスのいい食事がとれています。――いろいろなお話をありがとうございました。最後に、柏木さんご自身のこれからの抱負と、AKB48の今後についてもメッセージをお願いします。17年間、人生の半分以上を「AKB48の柏木由紀」として過ごしてきたので、そうではなくなる自分が、実はまだ明確に想像できていないんです。でも、卒業後が楽しみな気持ちも大きいですね。音楽も続けたいですし、いただけるお仕事があったら頑張りたいです。あまり目標は立てず、目の前のことを楽しくやっていったら、気づくと長くやっていたというのが自分に向いてる気がしています。今後も大きい目標を立てずに、仕事もプライベートも毎日楽しくゴキゲンでできたらいいなというのが、個人的な抱負ですね。AKB48については、たとえばどうなるかわからなくてもとりあえずやってみる、何事も元気に一生懸命やるといった昔から続いている精神は、私からも十分みんなに伝えきったかなと。私が卒業した後は、いままでのAKB48はこうだから…などではなく、みんなが楽しいと思えるAKB48をどんどん作っていってほしいですね。取材後記国民的アイドルグループ「AKB48」として第一線で活躍し、“ゆきりん”と呼ばれ年齢や性別問わず幅広く親しまれている柏木由紀さんが、ananwebに登場。取材現場に現れたときから、華やかなオーラをまとい、その場を明るくしてくださる柏木さん。インタビューでもキュートな笑顔を見せ、撮影でカメラマンからウインクをリクエストされると、「楽曲に合わせて動いてないとウインクできなくて」と心苦しそうにされていた姿も印象的でした。そんな柏木さんの卒業ソングでもあるAKB48のニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!写真・園山友基取材、文・かわむらあみりAKB48PROFILE秋元康さんが総合プロデューサーを務め、「会いに行けるアイドル」をコンセプトに、秋葉原にあるAKB48劇場を拠点として2005年より始動した、AKB48。2006年2月、シングル「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。同年10月、シングル「会いたかった」でメジャー・デビュー。「AKB48選抜総選挙」「リクエストアワー」といったファン参加型イベントや、シングルのミリオンセールスを通して、日本を代表するアイドルグループへと成長した。現在、6つのチーム(A・K・B・4・8・研究生)で構成。歌とダンスやトークから構成される劇場公演をはじめ、テレビやラジオ番組、雑誌、イベントに出演するなど多方面で活躍。2023年10月発売のシングル「久しぶりのリップグロス」は、オリコン週間シングルランキングにて47作連続で1位を獲得。「女性アーティストによるシングル連続1位獲得作品数」「女性アーティストによるシングル通算1位獲得作品数」を更新した。AKB48の姉妹グループは、国内に5グループ(SKE48・NMB48・HKT48・NGT48・STU48)、さらに海外に6グループ(JKT48・BNK48・MNL48・AKB48 TeamSH・AKB48 TeamTP・CGM48)と、世界各国で活動している。2024年3月13日、63枚目のシングル「カラコンウインク」をリリース。InformationNew Release「カラコンウインク」(収録曲)01. カラコンウインク/All Stars02. 星が消えないうちに/AKB48 U-20選抜03. ライオンを狙え!/Universe Girls04. カラコンウインク(Instrumental)05. 星が消えないうちに(Instrumental)06. ライオンを狙え!(Instrumental)2024年3月13日発売※全5形態での発売。1曲目と2曲目のみ共通楽曲。※全形態ジャケットビジュアルが異なります。※封入特典:応募抽選シリアルナンバー券封入。(初回限定盤[TYPE-A])UPCH-89562(CD+Blu-ray)¥1,900(税込)※3曲目は「最後の最後まで」柏木由紀、6曲目は同曲のInstrumentalを収録。【Blu-ray】MXまつり AKB48「アイドルなんかじゃなかったら」発売記念コンサート/~古参も新規も大集合!なんでもありのAKBでっせスペシャル~/AKB参上!/初日/どうしても君が好きだ/アイドルなんかじゃなかったら(初回限定盤[TYPE-B])UPCH-89563(CD+Blu-ray)¥1,900(税込)※3曲目は「パパに言えない夜」AKB48 17期研究生、6曲目は同曲のInstrumentalを収録。【Blu-ray】MXまつり AKB48「アイドルなんかじゃなかったら」発売記念コンサート/〜劇場公演曲リクエストアワーセットリストベスト30~/In any way/君は僕を覚えてるかな?/知ったかぶりのその下に/アイドルなんかじゃなかったら(初回限定盤[TYPE-C])UPCH-89564(CD+Blu-ray)¥1,900(税込)※3曲目は「マチビト」AKB48 18期研究生、6曲目は同曲のInstrumentalを収録。【Blu-ray】MXまつり AKB48「アイドルなんかじゃなかったら」発売記念コンサート/〜アイドルになってよかった〜/アイドルなんかじゃなかったら/ラベンダーフィールド/全力反抗期/Do the dance!(通常盤)UPCH-80607(CD)¥1,100(税込)封入特典:オリジナルトレカ1種をランダム封入。(Official Shop盤)PRON-5111(CD)¥1,100(税込)※収録曲は「通常盤」と同じ。AKB48 Official Shop限定商品。※特典:「個別握手会」「オンラインお話し会」参加権利。外付け特典:生写真1種をランダム同梱。写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり
2024年03月12日【音楽通信】第153回目に登場するのは、10歳の頃からライブ活動を展開し、SNSでも話題を呼んだシンガー、三阪咲(みさかさき)さん!コンテストで優勝したことで歌手を目指す【音楽通信】vol.153幼少の頃から音楽に親しみ、11歳の頃に歌手を目指すようになって以降、路上ライブやライブハウスなどでも積極的に音楽活動を行なってきた、シンガーの三阪咲さん。路上ライブなどの音楽活動の様子がYouTubeやSNSなどを通じて徐々に広がり、TikTokでは「三阪咲」関連の動画再生数が約6億回と爆発的に視聴され、YouTubeの歌唱動画も関連動画は合計約6000万再生を超えるほど注目を集め、2021年にデビューしました。そんな三阪さんが、2024年2月16日にデジタルシングル「tamerai」を配信リリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――幼い頃はどのような音楽環境でしたか。父は高校生の頃からバンドをしていましたし、母も音大を卒業していてピアノをやっていたので、音楽が身近な家庭に育ちました。父が車の中でSuperflyさんやコブクロさん、宇多田ヒカルさんなどの曲をよくかけていたため、4歳ぐらいの頃にはそういった曲を覚えて全部フルで歌っていたらしく、自然と音楽が好きになりました。――お母さまの影響で、三阪さんも習い事としてピアノを始めたんですよね。そうです。小学生の頃から、姉と一緒にピアノを習っていました。小学校ではアフタースクールでダンスもやり始めました。そこでは外部からダンスの先生が来て、週に一度何かを習う場になっていて。その後、その先生が別で行なっているダンススクールに誘ってくださって、友達と一緒に通うようになり、ヒップホップやタップダンスを習っていたら、いつの間にかダンスが好きになっていました。――習い事が増えていったのですね。はい。小学校4年生ぐらいで、納戸に眠っていた父のギターを引っ張り出して弾いてみたり。最初は独学で練習していましたが、父から「習いに行ってみたら?」とすすめられてギターを習うようになって。その後、小学校6年生の頃にはドラムにも興味を持ったので、習うようになりました。――音楽的なことにご興味があるというのは、もともと環境が整っていたのも大きかったのでしょうか。私が「やりたい」と言ったことに関して、とても協力的な両親だったので、いろいろなことができましたね。小学生の頃は、親から誕生日プレゼントに毎回違うアーティストのアルバムをもらったりと、音楽に触れる機会がたくさんありました。――歌に興味をお持ちになったのはいつ頃でしょうか。通っていたダンススクールの先生に、ダンスだけではなくボーカルも習うスクールを紹介されて。ボーカルとダンスを一緒にやると半額になると言われ、歌もやるようになりました。そのボーカル&ダンススクールでは、全国の生徒たちが受けるコンテストがあったのですが、出場したら優勝したんです。習い始めてから3か月ぐらいのことだったので、「もしかして才能があるんじゃないかな」と、そこから真剣に歌をやるようになりました。最初は歌の練習ばかりしていたんですが、小学校5年生の頃には「もっとたくさんの人に歌を聴いてもらいたい」と、ライブハウスでのライブにカバー曲を歌って出るようになって。でも、ライブはチケットを買った人じゃないと来られないので、もっと拡散力のあるものをやりたいなと思い、路上ライブを始めて、オリジナル曲も作るようになりました。――そういったご活動の末、2021年11月にデジタルEP「I am ME」でデビューされました。デビュー以前と以降で心境の変化はありましたか。ちょうどコロナ禍でデビューが延期になってしまった経緯がありまして。そうしたこともあり、当時からいまに至るまでメジャーやインディーズというスタイルにはこだわっていません。でも、時期としてはそれが高校生から20歳になったあたりだったので、自分自身の考え方や、ライフスタイルの中で大事にしているもの、聴く音楽などに変化はあったと思います。昭和歌謡のいなたさを大事にした新曲――2024年2月16日にニューシングル「tamerai」を配信リリースされました。昨年の10月ぐらいにはできていた曲なのですが、これまで連続で楽曲をリリースしていたなかで、この曲は連続リリースの最後に持ってこようとあたためていたものです。歌詞については、1週間で仕上げました。――歌詞を書かれる際、どのように形作っていきますか。夏の終わりぐらいに私が昭和の歌謡曲にハマり、そんなテイストの曲を歌おうとなって。デモを聴いた瞬間に「この曲だ」と即決しました。曲が先にあるので、歌詞はどうやって書いていくか決めていなかったんですが、昔の曲はストレートでどこかいなたさ(素朴な印象)があると感じたので、そのいなたさを大事にしたいと思って書き上げていきました。――いつも曲を選んでから、歌詞をご自身で書かれるそうですが、すぐに言葉は浮かんでくるものでしょうか。いや、全然浮かんでこないです(笑)。歌詞を先に書いているわけではないので、曲が先にあると、メロディに合わせて文字数も決められてくるんですよね。いままで書き溜めたものがハマるわけではないので難しいのですが、そのぶん歌詞が完成したときの達成感や愛着はすごいです。――昭和世代だと、この曲のシンセサイザーの響きなども懐かしい感じがすると思いますが、いまの10代や20代の方には新鮮で耳に残るサウンドと歌詞ですよね。ありがとうございます。もともとこの曲のデモのタイトルが「ためらい」でした。その言葉を入れるつもりはなかったんですが、歌詞を書いていると、いろいろと試行錯誤することがけっこうあって。あらためて「ためらい」という言葉を見るとすごくいいなと思い、歌詞の頭に持ってきたら、ストーリーが自然と広がっていきました。恋愛において相手の言葉や仕草ひとつで、ためらうことや躊躇することは多いので、そんな世界観を歌詞にして、昭和っぽいサウンド感で表現しています。――歌唱面について、意識して歌われているところは?いままでは力強く歌うことが多かったんです。でも今回は、歌う前に松田聖子さんをはじめとした昭和歌謡を聴き込んでいたら、柔らかさの中に力強さや意志みたいなものがある歌声をしている方が多いなと気付いて。なので、私もそういったことを意識して歌いました。――いつもそうやって曲には研究してから入っていくのでしょうか。そうですね。歌声も楽器だと思っている部分があるので、曲によって歌声を変えたり、ちょっと癖をつけてみたり。いつもある程度、歌い方の方向性を決めています。今回はとくに現代っぽくないけど現代の曲という、難しい感じもありました。昔の曲は、歌もいまほど修正していませんし、しかもテンポもけっこう個性があって。たとえば松田聖子さんの「赤いスイートピー」は、頭の「春色の汽車に~」のところはオンテンポではなかったりするんですよ。いま聴くとちょっと遅いように思うところもあるんですが、それが逆に、私たちに余白を与えてくれているように思えて。いまはすごくはやいサウンド感で、楽器もぎゅうぎゅうに入っていたりと、完璧さのある曲が主流であるように思いますが、あえてそうではなく、昭和歌謡のようにちょっとルーズな曲のほうが逆に切なく感じるんじゃないかなと。いろいろと意識してレコーディングしました。――2024年3月31日に東京のEX THEATER ROPPONGIでワンマンライブ「SAKI MISAKA ONE MAN LIVE 2024 “一心同体メモリーズ”」を開催されます。どのようなステージに?セットリストも決め終わって、やりたいことはチーム内で話しました。会場となるEX THEATER ROPPONGIは、もともと新型コロナウイルス感染拡大の影響で全公演中止になった、高校2年生のときにまわるはずだったツアーのファイナル予定の場所で。また、その後、無観客ライブと言う形で、初めて立ったステージでもあるんです。だからこそ、いつものライブ会場とはまた違う、悔しい思い出がたくさんある場所。今回“一心同体メモリーズ”というタイトルにしたのは、これまでライブができなかったり、無観客だったりしましたが、ここでようやくファンのみなさんと一心同体となって、良い思い出を共有したいという思いからなんです。音楽が好きというパッションで取り組んでいく――お話は変わりますが、音楽活動以外のときは、どんなふうに過ごしていますか?以前、趣味と特技はお菓子作りとおっしゃっていましたが、最近は何を作りましたか。バレンタインにチョコを作りました。お世話になっているスタッフの方に渡そうと思っていたのですが、結局、持ってくるのを忘れてしまい、そのままになりましたが(笑)。最近引っ越して、家にいることが大好きになって、料理も毎日していますね。あとは、こねるところからパン作りもしていて。小学校の頃に料理教室とパン教室に通っていたぐらいパン作りが好きなんです。――小学生のときは、楽器もダンスも習って、さらに料理教室とパン教室にも通ってと、アクティブですね!振り返ってみれば、アクティブな小学生ですね(笑)。――得意料理はなんでしょうか?私は基本、和食しか作らないんです。肉じゃがが得意ですね。――和食はヘルシーな印象ですが、健康面も意識しているのでしょうか。ダイエットなど気をつけていることはありますか。ダイエットといえば、昨年の夏、5キロぐらい体重を落としました。その頃は食事や運動にすごく気をつけていて、毎日、朝昼晩の食事内容をアプリに記録して1日の摂取カロリーを計算していたこともあります。さらになわとびなどの運動もして、トレーニングの先生にも見てもらって。一度5キロ落とすと、以降はそこまで増えなくなったので、いまはあまり気にしていませんが、「いつまでに何キロ落とす」など、目標を掲げるのは大事だと思います。でも私の場合、食事を減らしすぎると筋力が落ちるようで、そうならないためにトレーナーさんと一緒にダイエットしていました。――ではファッションでは何か普段意識して取り入れているものはあるのでしょうか。ファッションのメインになるのは、だいたい靴ですね。あとは帽子。上と下の色合いをそろえたりはしています。サッカーのプレミアリーグが好きで、イングランドの好きなチームのニットをかぶったり、マフラーをしたり。そういう感じでコーディネートを組んで楽しんでいます。――いろいろなお話をありがとうございました。最後に、アーティストとしての今後の抱負を教えてください。ひとまず3月31日のワンマンライブを成功させたいです。このライブは私の中でのひとつの区切りでもあり、大事なステージになるので、そこをめがけて頑張りたい。さらに、今年は音楽に対して、ポジティブな気持ちを大事にしたいですね。10歳の頃からライブをしているので、知らない間に、音楽が好きということよりも「やらなきゃいけない」という思いが上回る瞬間があって。そうではなく、純粋に音楽が好きというパッションで取り組んでいきたいですね。取材後記幅広い楽曲を歌いこなしパワフルな歌声を聴かせてくれる、シンガーの三阪咲さんがananwebに登場。小さな頃から音楽に触れる環境で育ち、さらに現在はお菓子作りもお料理も得意だという、魅力にあふれた三阪さんは快活にインタビューに応えてくださいました。そんな三阪さんのニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみり三阪咲PROFILE2003年4月23日、大阪府生まれ。SNSをきっかけに注目を集め、高校サッカーのテーマソングや、恋愛リアリティーショーのテーマソングを担当するなど、Z世代や若年層を中心に注目を集める女性シンガー。2021年11月、デビューEP「I am ME」を配信リリース。2022年3月、高校生最後のライブ「Saki Misaka LJK GRADUATION LIVE ~夢のZeppで卒業式するってよ~」を神奈川・KT Zepp YOKOHAMAにて開催。2024年2月16日、デジタルシングル「tamerai」配信リリース。3月31日、東京・EX THEATER ROPPONGIにてワンマンライブ「SAKI MISAKA ONE MAN LIVE 2024 “一心同体メモリーズ”」を開催。InformationNew Release「tamerai」2024年2月16日配信リリース取材、文・かわむらあみり
2024年02月28日【音楽通信】第151回目に登場するのは、TikTokに投稿した楽曲が大バズりし、音楽シーンに彗星の如く現れた20歳のシンガーソングライター、なとりさん!高校卒業間際から音楽活動をスタート【音楽通信】vol.1512021年5月から音楽活動をスタートした、現在20歳のシンガーソングライター、なとりさん。エレクトロミュージックから和楽器、バンドサウンドまで取り入れた楽曲を、独自の艶やかなウィスパーボイスで歌っています。2022年5月に投稿した楽曲「Overdose」はTikTokでの関連動画が約500,000個、総再生回数は20億回を超える大反響。Billboardのストリーミングソングチャートでは、歴代6位タイの速さで1億回突破を達成し、国外まで知名度を広げました。さらに今年、Adoさんが「Overdose」をカバーしたYouTubeも話題に。素顔を明かしていないため、なとりさんの音世界を表現するイラストがキービジュアルとなっているミステリアスなところも、惹きつけられる要素のひとつです。そんななとりさんが、2023年12月20日に、1stアルバム『劇場』をリリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――小さい頃に音楽に出会ったきっかけや、よく聴いていた音楽から教えてください。物心が付く前から、ひとまわり上の姉がORANGE RANGEが大好きで、家でずっと曲をかけていたことを覚えています。母も音楽が好きで、アカペラグループに入って歌っていたこともあって、ゴスペラーズをよく聴いていました。姉や母の好きな音楽が、僕の音楽的なルーツとなっているといえそうです。音楽を始める前、いまのネット発の音楽の入り口は、米津玄師さんでした。米津さんから影響を受け、いろいろな音楽を聴いていくようになりました。その後、高校2年生の時に、キタニタツヤさんの音楽を聴くようになって。きっと僕の曲の中にも無意識のうちにそのエッセンスが入っているだろうなと思うほど、キタニさんの曲を聴き込みました。そしてキタニさんの音楽に出会ったことで、音楽を始めました。――キタニさんの影響で、現在のようにご自身で作詞作曲されるようになったのですか。もともと「音楽がしたい」と思うようになったときに、キタニさんのYouTubeを観ていたんです。パソコンの画面を映しながら、打ち込み、DTMで作曲をするというライブ配信があり、スマホでも作曲ができることを知って。それが高校卒業間際ぐらいの時期だったので、そこから自分でも曲を作るようになりました。――とくに楽器に触れる機会はなく、最初から打ち込みでの曲作りとなったのですね?そうです。中学2年生ぐらいのときに、母親がギターを始めたこともあり、僕も褒められたいがために始めたことがあって。そのタイミングで米津さんの音楽を聴いていたので「この曲を弾いてみたい」と思って弾いたこともありましたね。――活動開始から1年後にTikTokに投稿された「Overdose」が大反響を呼び、大きな手応えを感じたのではないかと思うのですが、いつ頃から将来は音楽の道でやっていく、と決意されましたか。実は活動開始のときに、僕は就職していました。働きながら好きな音楽をやって、「ちょっと売れればいいな」ぐらいに思っていて。そのぐらいのテンションで投稿した曲がバズり、急にいろいろなところから反響がきたため、自信を持つよりも、むしろ自信をなくしてしまったんです。「僕は音楽的な下積みがないのに、こんなにすごいところにいていいのか」と。音楽を作るモチベーションが下がるきっかけにもなって、これだけ反響のある曲をこれから作り続けないといけないのか、とものすごく怖くなって悩むようになりました。ただ、活動を始めて1か月ぐらいで、運良く反響をもらった曲があって。そのときにいくつかのメジャーレーベルの方からお声をかけてもらったことがきっかけとなって、今年の3月に「フライデーナイト」という曲をソニーから配信しました。この曲は、SpotifyブランドCMソングにも起用していただいたのですが、初めてのCM曲だったので「めっちゃ仕事してる~!」という感覚にもなりました(笑)。――「フライデー・ナイト」のミュージックビデオは、現在700万再生となっていますし、なとりさんの勢いを感じます。とはいえ、音楽活動でやっていくとなると大変なことも。当時、ご家族やまわりの方から何か反応はありましたか。最初はとても心配されましたね。家族に「『Overdose』がバズってる」という言い方をしても、「なんかちょっと聴いてもらえたんだね」というぐらいの反応でした(苦笑)。その後、本当に「Overdose」を配信することになって、家族からようやく認めてもらえましたが、ずっと音楽を仕事として続けていけるかはわからないからいろいろ考えてね、とも言われて。理解されるまではしんどかったですが、音楽活動一本でいきたいと押し切りました。1stアルバムは「つくづく良い作品になった」――2023年12月20日に1stアルバム『劇場』をリリースされましたが、仕上がってみていかがでしょうか。自分を褒めるようで気恥ずかしいのですが、よく頑張ったなあって(笑)。つくづく良い作品になったな、と心の底から感じていますね。ほかに今年の思い出がないぐらい、ずっとアルバムの作品作りに没頭していました。僕のこの1年の音楽がたくさん詰まっている作品なので、たくさん聴いていただきたいですし、ヒットしてほしいと思っています。――タイトル曲の1曲目「劇場」に込めた想いから教えてください。この曲は「Overdose」がバズる前に作ったので、まだ僕の曲がほとんど聴かれていない時期だったんです。ちょうど仕事でも上司に腹が立っていて、私生活もうまくいかなくてものすごく悩んでいた時期に、デモとして作った曲。本当に僕のもっともパーソナルな闇の部分を凝縮して作った曲なんですよ。“闇を書く”というのは、「なとり」という音楽の中で、すごく大事にしている部分でもあって。その一番濃いものをたくさん聴いてほしいと思ったんです。さらにアルバムを作るとなったときに、「劇場」というタイトルはひとつの作品としてまとまりがいい。なので、これを1曲目に選ぶことで、これから「なとり」の劇場が始まるよ、という意味合いも込めています。――先ほどもお話を聞いた3曲目「Overdose」は、ご自身にとってどんな存在でしょうか。まったく僕の曲を聴いてもらえていない時期に、自分のやりたい曲はいったん置いておいて、まずは入り口になる曲がないといつまでも聴いてもらえないと考えました。そこで、自分のやりたいことを無視して、当時一番TikTokで受けている層に対してアプローチした楽曲が「Overdose」です。自分の中でトレンドを分析し、出てきた4つのキーワードを全部踏襲しようと意識して作っていったところ、想定以上の反響があって。人生を変えた曲になりました。――作られたときは19歳ぐらいですか?19歳です。ふっとメロディが降りてきた感覚があって、新鮮なうちに届けたいと、一気に作っていったことがすごく印象に残っている曲でもありますね。――ということは、曲を作られる際に冷静に分析する視点と、ぱっと湧いたイマジネーションとのかけ合わせのような感じで、曲作りをすることが多いんですか。この曲は特殊です。僕の曲の中では新しいジャンルといいますか、作り方も、楽曲の雰囲気も、いつもとは違いますね。通常は、日頃から映画やドラマや漫画などの作品から着想を得ることが多くて。または影響を受けた楽曲からエッセンスを取り入れることがスタンダードな作り方なので、「Overdose」はとにかくバズを狙って作るという新しい作り方をしました。――リードトラックの6曲目「Sleepwalk」は耳馴染みがいい曲ながら、ときどき鳴る違和感のある音にハッとするユニークさもあります。ときどきミュージックビデオを作るときに、この曲のイメージがどうやったら伝わるかな、と考えると「ホラーゲームの世界観は伝わりやすい」と思ったことがありました。さらに自分のルーツはホラーゲームだと気づいて。そんなホラーゲームをコンセプトにした曲が、この「Sleepwalk」です。キャッチーなメロディの中に、ちょっと不穏な音をところどころに配置して、ホラーゲームのような違和感があるものをポップスとして消化させながらまとめました。――7曲目「金木犀」についても教えてください。この曲は人生で初めて作った曲です。曲作りをしながら「なんかめちゃくちゃいい曲だな」と自分でも手応えがあって、みんなに聴いてもらいたいという気持になりました。そこで「音楽を作りたい」という思いが鮮明になっていって。曲が完成してからは、信頼できる友達や母親に聴かせてみるとみんな良い曲だと言ってくれて、さらに音楽を作りたい気持ちが強くなりました。この1ヵ月後に、初めてネットに曲を投稿して公開に踏み切った思い出深い曲です。――8曲目「夜の歯車」は、シンプルでいて胸に染み入るバラードですね。兄の結婚式に向けて作った曲です。家族で夜ご飯を食べているときに、父親が冗談半分に「兄夫婦のために曲を作ったら」と言ってきたのですが、そういう形で曲を作ったことがなかったので、作ってみようかなと。アコースティックな曲で胸があたたかくなるような歌詞になりました。――もちろん、お兄さんは曲を聴いて感動されましたよね?いや、結局、聴かせてないですね(苦笑)。あまり兄に向けた曲だと言うのも、恥ずかしくなってしまって……。――なんと!もったいないので、お兄さまにはぜひアルバムを聴いてほしいです。では続いて、9曲目「エウレカ」は、ほかとは毛色が違う、アグレッシヴなロックサウンドです。受ける層に向けて作った曲のあとに、この「エウレカ」以降、いまも自分がやりたい曲を作らせていただいていて。僕はボカロを通ってきた人間ですが、ロックサウンドが大好きなので、なとりはこういう曲もできる、ということを聴いてほしいと思って作ったんですよね。曲作りの際お話ししましたが、たぶん好きな映画や漫画から着想を得てできた曲。僕の厨二病のような部分をそのまま表現していて、音作りにもこだわって作りました。――ちなみに歌唱面では、何か意識されていることはあるのでしょうか?僕のボーカルで一番の武器は、たぶん音域だと思っていて。かなり低いところにあるので、ほかのアーティストとどう差をつけるか、違いを見せるかを意識しています。そして息の成分がたっぷりの歌声なので、このふたつの特徴を持つアーティストは、いまのポップス界には僕しかいないのかなと。この点を重点的に出せるように楽曲を作ったり、レコーディングでもより良くなるようディレクションをしてもらったりしています。――2024年2月にはシクレットショー、3月には東京のZepp Haneda、4月には大阪のZepp Osaka Baysideで『“なとり”1st ONE-MAN LIVE「劇場」』と題した初ワンマン公演がありますが、どんなステージになりますか。まだどれも構成中なのですが、シークレットショーは3月からのワンマン公演の前に、アルバム『劇場』を少し披露するような短い時間でのショーになる予定です。3月と4月のワンマン公演は、バンドメンバーと一緒に『劇場』の世界を濃縮した演奏と演出をしたステージになるかなと。いまは音楽以外の余計な情報を出したくないので、顔を出していないのですが、そこはライブでもやはり軸に置くかもしれないですね。あとはアルバムと同じく、ステージでも『劇場』というコンセプトは壊さないようにしたいと思っています。もっとたくさんの人にいろんな曲を聴いてほしい――お話は変わりますが、おやすみの日はどんなふうに過ごしていますか。漫画が好きなので、いま漫画アプリ「マガポケ」(少年マガジン公式無料漫画アプリ)をすごく推しています。この漫画アプリの作品は、だいたい読んでいますね。あとは古着も見に行くことがあります。音楽活動に通じているんですが、新しく買った服を着て曲を作る、というのが日課になっていますね。――では、アルバムだと収録曲数ぶんの新しい服があるという?どうだろうなあ(笑)。着こなし方にもよるんですが、曲ごとに服を変えると、わりと気持ちが入るといいますか。ある種、それが仕事着のような感覚で着ているかもしれないです。――気分によって服を選ぶのか、クールな曲を作ろうと思ったらクールな服など、そのテイストのファッションに身を包み…ということでしょうか。「この曲のミュージックビデオはこういう服で出たい」というイメージが浮かびやすいんですよね、イラストなので実写では作っていないんですけど(笑)。たとえば「Overdose」のときは、もしも実写を撮るなら、僕は黒のセットアップを着て出たいというイメージがあって。わざわざ黒のセットアップを着て、わざわざネクタイを付けて、「Overdose」を作っていました。だから、実家のクローゼットの中には、服がたくさんあります。――曲作り以外では、どんなテイストのファッションが本来お好きなんですか。きれいめ系ですね。スラックスをよくはきますし、レイヤードの服もすごく好きです。お気に入りの水色のシャツがあるので、その水色のシャツに合わせていろいろな組み合わせをしています。――18歳から音楽活動されて19歳で転機が訪れ、現在20歳になったということで、10代を振り返ってみて、そして20代でやってみたいことは?10代であまり音楽理論などを知らないまま活動を始めましたが、自分の音楽が形になってきたいま、改めて音楽の勉強をするようになりました。これからもさまざまな音楽をたくさん吸収していきたいです……って、ちょっとかたいかな(笑)。10代は、無駄なところで生意気な部分がすごくあって、変な自信を持っていました。これからは変な自信ではなく、ちゃんと中身を濃くして、本当の自信を身につけたいですね。――では最後に、シンガーソングライターとしての今後の抱負を教えてください。もっとたくさんの人にいろんな曲を聴いてもらいたいので、これからもずっと音楽を届けていきたいと思っています。取材後記TikTokへの投稿から一躍脚光を浴びたシンガーソングライターなとりさんがananwebに初登場してくださいました。SNSから誕生したニューカマーとして、多くのリスナーを魅了するなとりさん。初めてのアルバムに込めた思いをたっぷりと聞かせてくれました。時に冷静にシーンを分析し、時に音楽的な欲求のままに曲作りをし、20代もたくさんの楽曲を聴かせてくれることでしょう。そんななとりさんの1stアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみりなとりPROFILE2021年5月より活動開始。2022年5月、投稿した「Overdose」はTikTok上の関連動画が約500,000個、総再生回数は20億回を超え、“歌ってみた”などのカバーで若年層からの支持を集めている。Billboardのストリーミングソングチャートでは、歴代6位タイの速さでの1億回突破を達成し、国外まで知名度を広げた。2023年3月、SpotifyブランドCMソングに「フライデー・ナイト」が起用され、ミュージックビデオは700万再生を突破。12月20日、1stアルバム『劇場』をリリース。InformationNew Release『劇場』(収録曲)01.劇場02.食卓03.猿芝居04.Overdose05.フライデー・ナイト06.Sleepwalk07.金木犀08.夜の歯車09.エウレカ10.Cult.11.ラブソング12.ターミナル13.カーテンコール2023年12月20日発売(完全生産限定盤)SRCL-12665¥5,500 (税込)*ジャケットアートボード仕様+ブックレット+オリジナルトランプ+CDほか。取材、文・かわむらあみり
2023年12月20日【音楽通信】第150回目に登場するのは、数々のヒット作を世に送り出し、12月8日にデビュー25周年イヤーを迎えるシンガーの倉木麻衣さん!マイケル・ジャクソンがきっかけで歌手を目指す【音楽通信】vol.150今年デビュー25周年というアニバーサリーイヤーを迎える、倉木麻衣さん。1999年、16歳の時に「Mai-K」名義にてシングル「Baby I Like」で全米デビューを果たし、続いて「倉木麻衣」としてシングル「Love, Day After Tomorrow」で日本デビューしました。同曲はミリオンセラーを記録し、1stアルバム『delicious way』は400万枚を超えるメガヒット。続く作品も続々と大ヒットを記録するなど、これまでに数々の大ヒット作を世に送り出してきました。さらに近年では、音楽活動のほか、社会貢献活動なども行っているという倉木さん。そんな倉木さんが、2023年10月28日にシングル「Unraveling Love 〜少しの勇気〜」を配信リリースされたということで、音楽的なルーツなども含めて、お話をうかがいました。――あらためまして、子どもの頃の音楽との出会いや、影響を受けたアーティストから教えてください。家族が音楽好きということもあり、4歳の頃から母の勧めでピアノを習っていましたが、歌うことも大好きで。テレビやラジオから流れてくる演歌から歌謡曲、ポップス、アニメソングなどのいろいろなジャンルの歌を口ずさんでいましたね。中学校では、合唱部に入部したり、よくカラオケに行ったりもしていました。当時は、洋楽を聴いている人が少なかったのですが、家族が洋楽好きだったこともあって、マイケル・ジャクソン、マライヤ・キャリーをはじめR&Bなどもよく聴いていて、その歌い方をまねて歌っているような子どもでしたね。初めて買ったアルバムは、ホイットニー・ヒューストンの『そよ風の贈り物』(1985年発売)でした。――とくに洋楽がお好きだった倉木さんが、実際にシンガーになろうと思ったきっかけはなんでしたか?中学生の頃に、マイケル・ジャクソンのミュージック・ビデオ集やムーンウォークを見て衝撃を受け、「音楽で人を感動させる歌手になりたい」と思ったのがきっかけとなり、本格的に歌手を目指そうと思いました。それからカセットテープに自分の歌を録音してデモテープを作りはじめて、音楽事務所に送ったり、オーディションを受けたりしたことで、デビューへとつながりました。――1999年10月「Mai-K」名義にてシングル「Baby I Like」で16歳で全米デビュー、同年12月に「倉木麻衣」としてシングル「Love, Day After Tomorrow」で日本デビューされ、以降の作品も大ヒット作となりましたね。デビュー当時はまだ高校生でしたが、デビューの実感や手応えは感じていましたか。あまり実感はなかったですね(笑)。デビュー前も、学校が終わるとレコーディングスタジオに行って、学校の宿題やテスト勉強をしながら海外デビューアルバムなどのレコーディング制作をしたり、高校生の夏休みに初海外のボストンでレコーディングしたり。デビュー後も、音楽活動と学生生活の両立で無我夢中な日々を送っていました。ただ、デビュー後は、自分よりも先生や友達やクラスのみんなが、デビューしたことに驚いていましたね(笑)。とはいえ、デビュー前と後も生活スタイルは変わらず、学校生活を中心とした日々を送らせていただいていました。デビュー前にお世話になった先生方や友達は、時を経たいまも、ライブに来てくれるなど、ずっと応援してくれています。当時は、テレビやメディアにほとんど出ていなかったので、デビューしてもあまり実感がなく、ラジオでデビュー曲「Love, Day After Tomorrow」が流れてきたり、CDショップでCDが並んでいたりするのを見て、そこでデビューしたことをなんとなく実感するような日々でした。ライブをするようになってから、たくさんの方に楽曲を聴いていただけて愛していただけているんだと、やっと「歌手になったんだ!」という実感が湧いた感じです。――2023年12月8日にデビュー25周年イヤーに入りますが、これまでを振り返って、率直なお気持ちは?諦めないでいてよかった、と思いますね。大好きな音楽を通して、夢や希望、愛と感謝で、みなさんとつながっている25年という奇跡のような月日を過ごさせていただいて、「愛がとうございます(倉木さんの「ありがとうございます」の最大級の言葉)」という気持ちでいっぱいです。またわくわく、どきどきしながら、新しい歌を作って、少しでもみなさんのお役に立ちたいですね。『名探偵コナン』の世界に寄り添い自由に作った新曲――2023年10月28日にはシングル「Unraveling Love ~少しの勇気~」を配信リリースされました。アニメ『名探偵コナン』(読売テレビ・日本テレビ系 毎週土曜 午後6:00)の主題歌でもあり、倉木麻衣さんが作詞を手がけていますが、どのようにイメージされて形作っていかれましたか。今回、『名探偵コナン』の恋愛観に寄り添えるように、イメージを膨らませて制作していきました。どの主人公の恋愛を歌っているかは、聴いていただいたみなさんがそれぞれ自由に感じてくださったらうれしいですね。感情があふれだすようなたたみかけるメロディで、シティポップとプチロックを融合させたちょっと懐かしさも感じられるサウンドに、ドキドキ感を表現する鼓動音も入れて、面白い感じに仕上がっています。タイトルをつけるときに「Unraveling Love」か「少しの勇気」か、どちらのタイトルがいいか、みなさんに質問を投げかけたんです。結果として、両方とも人気があったため「Unraveling Love ~少しの勇気~」とつけました(笑)。――倉木さんと『名探偵コナン』のコラボレーションは26作目となり、2017年には当時記録していた21作品で、同一アーティストが歌唱するアニメシリーズのテーマソング最多数を記録したとして、ギネス世界記録にも認定されましたね。『名探偵コナン』が誕生してからずっと、コナンくんは永遠の憧れであり、家族でもあり、この作品を通してみなさんと長年一緒につながってこられていることは幸せです。大人から子どもまで、世界中のみなさんに愛されている『名探偵コナン』の楽曲を長年にわたり担当させていただき、とても光栄に思っていますし、感謝の気持ちでいっぱいです。そしてまた光栄なことに、ギネス認定をいただきましたが、大好きなアニメ『名探偵コナン』を通してつながっているみなさんとの認定でもあると思っています。これからも新たな歌を届けられることを私自身、楽しみにしていますし、パワーアップしていくアニメの世界観に寄り添って、楽しんで聴いていただけるように作っていきたいと思います。――『名探偵コナン』の2019年放送のSP版『名探偵コナン 紅の修学旅行編』では、ご本人役でアニメに登場されたこともある倉木さんですが、印象深かった放送回やお好きなキャラクターはありますか。印象深い放送回はたくさんあってひとつに絞れませんが、初めて『名探偵コナン』の楽曲を担当した「Secret of my heart」がオンエアされたときや“倉木麻衣”役として声優にチャレンジさせていただいた放送回は、特別な宝物となった思い出深い回となっています。どのキャラクターもそれぞれ愛らしくてかわいくて好きですが……やっぱり、コナンくんが一番好きですね。――主題歌ということで、作者の青山剛昌先生や制作の方から曲について何かリクエストはあったのでしょうか。いつもどのように曲作りをされていますか。リクエストがあるときもありますが、テレビ放送の場合は、『名探偵コナン』の世界観を自分なりにイメージしながら、制作をさせていただいています。今回はリクエストというより、いまの『名探偵コナン』の世界観に寄り添いながら、自由に制作させていただきました。そういった作り方もある一方、自分のアルバムを制作するときは、発信したいテーマを決めてから制作していきますね。歌詞を先に作る詞先で作成する曲もありますが、メロディを何度も聴いて、そのメロディからインスパイアされて言葉選びをして作成することも多いです。――今作は大人っぽいダンスナンバーですが、サウンドの第一印象や、歌唱する際に意識していることはありますか。クールかつ、スリリングで、たたみかけるサビのメロディがクセになる感じで面白くて。日本語以外のほかの言語で歌ってもハマるようなメロディなので、いつかトライしてみたいなという印象です。感情があふれだすようなサビは、メロディのグルーヴ感に気をつけながら歌っていきました。――2023年11月15日にライブ映像作品「Mai Kuraki Premium Symphonic Concert 2022」を発売されますね。そして現在、全国4都市をめぐる「billboard classics Mai Kuraki Premium Symphonic Concert 2023」と題したツアーを開催中ですが、どのようなステージになりますか。今回は、みなさんからリクエストをいただきながら選曲した、会場ごとに違う歌唱曲もあるんです。そのときどきに生み出される、一夜限りのスペシャルサウンドを体感していただけると思います。楽曲によっては一緒に大合唱したり、グッズでご用意しているペンライトを使って会場を照らしたり、みなさんと一体となって生み出す参加型のコンサートになっていて。また、フルオーケストラサウンドでもあるので、美しく温かな音色に癒やされながら、コンサートをぜひお楽しみいただけたらと思っています。新たな試みを通して楽しめる空間をシェアしたい――お話は変わりますが、おやすみのときはどのようにお過ごしですか。自然がある場所や動物が大好きなので、愛犬と散歩したり、音楽を聴いたり、素敵な公園やカフェでゆっくり歌詞を考えたり。ゆったりと過ごしていると、いろいろなインスピレーションが湧いてくるので、一人時間を大切にしています。――デビューから変わらぬ美しさの倉木さんですが、美容法やダイエットなどは意識されますか。10代や20代の頃は思春期だったこともあり、周りと比較したり、周りからも言われたりして、痩せていないといけない、きれいじゃないといけないと気にしていました。そこで無理なダイエットをして我慢を続けていたら、美しさとはかけはなれ、体調も崩してしまい……。自分を愛さずに痛めつけていたことに気づきました。その辛い経験があったからこそ、いまは栄養バランス、睡眠、運動と、ストレスフリーな生活を心がけるようになりましたね。それぞれ思う美しさは違うから「比較するのはやめよう」と気づいたことで、自分を愛するよう心がけることができるようになりました。笑顔でいられないときも、そんな自分を認めてあげて、「心を愛する」という美しさで満たすことから始めてみる大切さに気づいて。いいときも、そうでないときも、そのときどきの自分をまるごと受け入れて愛する。年齢を重ねても、心身ともに「ラブ&ピース」を心がけて、何より自分の気持ちに正直でいられることが、自分にとっての美しさだと。そんな自分と愛してくれる人を大切にして、心の美しさを失わないように生きていけたらいいなと思ってはいますね。最近は、大好きなことに夢中になったりときめいたり、どんなときもユーモアを忘れず思いっきり笑うという、楽観的な生き方をすることでいきいきと美しくいられると、来年90歳になる祖母を見て思うようになりましたね(笑)。――音楽活動と並行して、カンボジアに寺子屋を建設するなどの社会貢献活動や、母校の立命館大学で客員教授として講義もされたそうですが、違うフィールドでの活動をされてみていかがですか。それぞれ違うフィールドですが、すべて愛でつながっている活動でもあるかなと思っています。音楽を通して私にできる社会貢献であったり、立命館大学でも自分の経験を元に学生のみなさんとディスカッションを行うこともあったり。学生のみなさんは一人ひとり、素晴らしいアイデアや意見を持っていて、私が勉強になることもあります。どんな場所でも、誰かのためにお役に立てたらという“アンコンディショナルラブ(無条件の愛)”の精神を持って、みなさんと笑顔でつながっていけるよう引き続き取り組んでいきたいですね。――12月からはデビュー25周年イヤーとなりますが、今後の抱負を教えてください。25周年、ありがとうございます。応援してくださるみなさん、愛がとうございます。私自身、まだ叶えられていない夢を叶えていけるように、新たな試みを通して、みなさんと楽しめる空間をシェアしていきたいですね。これからもライブや新曲を楽しんでいただけるよう、みなさんの健康と幸せをいつも心から願っています。おたがいに、心身ともに元気でいましょう!取材後記いまもなおデビュー時の鮮烈な印象がある、シンガーの倉木麻衣さん。耳にすっと馴染んでいく柔らかくて艶やかな歌声は、時にやさしく、時に力強く響きます。20年ほど前に取材させていただいて以来、今回はananwebにご登場くださいました。12月からは『名探偵コナン』の新エンディングテーマも担当することが発表された倉木さん。我が家でも『名探偵コナン』は家族で大好きなアニメなので、倉木さんの新曲もすっかり定番に。そんな倉木さんのニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみり倉木麻衣PROFILE1982年10月28日生まれ。1999年10月「Mai-K」名義でシングル「Baby I Like」で全米デビュー、同年12月「倉木麻衣」としてシングル「Love, Day After Tomorrow」で日本デビュー。以降も精力的に音楽活動を続けるなか、近年は被災地支援やカンボジアの子どもたちに教育の場を提供する寺子屋を設立するなど、社会活動も行っている。2023年10月28日にシングル「Unraveling Love 〜少しの勇気〜」を配信リリース。InformationNew Release「Unraveling Love ~少しの勇気~」2023年10月28日配信リリースNew ReleaseDVD & Blu-ray『Mai Kuraki Premium Symphonic Concert 2022』~1部~【PRELUDE】01. Secret of my heart02. 風のららら~Sea wind03. 儚さ04. Time after time ~花舞う街で~05. 渡月橋 ~君 想ふ~06. Be Proud ~we make new history~07. Reach for the sky08. Smile~2部~【ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番「月光」】09. 冷たい海10. Proof of being alive11. Can you feel my heart ~Ballad ver.~12. ひとりじゃない13. 明日へ架ける橋14. Wake me upEC1.always2023年11月15日(DVD)VNBM-7038¥8,800(税込)(Blu-ray)VNXM-7038¥9,900(税込)パッケージ内容:3方背ケース、フォトブックレット、4つ折りミニポスター、ピクチャーレーベル/[CD] ライブ音源 from Mai Kuraki Premium Symphonic Concert 2022 selected by Mai-K : 01.明日へ架ける橋 02.風のららら〜Sea wind 03.ひとりじゃない 04.渡月橋 ~君 想ふ~ 05.Proof of being alive取材、文・かわむらあみり
2023年11月21日【音楽通信】第149回目に登場するのは、新しい時代のディープファンクバンド「在日ファンク」のボーカルでリーダーの、浜野謙太さん!ジェームス・ブラウンのすごさに気づいた浜野謙太。1981年8月5日、神奈川県生まれ。在日ファンクのフロントマンで、俳優としても活躍中。【音楽通信】vol.1492007年に結成された7人組のファンクバンド、在日ファンクのボーカル兼リーダーであり、放送中の大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合毎週日曜午後8時)や映画など俳優活動でも知られる、浜野謙太さん。そんな浜野さんが中心となる在日ファンクが、2023年11月1日に6枚目のアルバム『在ライフ』をリリースされるということで、音楽的なルーツや俳優活動についてなど、お話をうかがいました。――浜野さんが音楽に出会ったきっかけから教えてください。小さい頃から、自宅には父のジャズのレコードが置いてあったのでそれを聴いて、僕もジャズのビッグバンドを好きになりました。でも、好きになったのはマイケル・ジャクソンのプロデューサーをしていたクインシー・ジョーンズが、初心者向けに出したビッグバンドのレコード。めちゃくちゃカッコよくてずっと聴いてました。中学校では吹奏楽部に入って管楽器を始めて、高校では「絶対観たほうがいい」と勧められた映画『ブルースブラザーズ』(1981年公開/劇中にブルースの巨匠レイ・チャールズやジェームス・ブラウンらも登場するミュージカルコメディ映画)に出会いました。映画では、白人の主人公ふたりがブラックミュージックを聴いて「神のお告げ」だとなるのですが、すごいんですよね。黒人以外、白人だとしてもブラックミュージックをやっていいんだということが、素敵に表現されています。――最初にされた楽器は、トロンボーンですよね?そうです。大学ではジャズ研究会に入りました。バンドは「SAKEROCK」(2015年に解散したインストゥルメンタルバンド)もやっていましたが、もう少しちゃんとブラックミュージックをやりたい気持ちもあって、ジェームス・ブラウンのコピーバンドもやっていたんです。バンドをやるうちにさらにジェームス・ブラウンのすごさに気づいて、彼が亡くなったときに、日本でもファンクを打ち立てようとバンド「在日ファンク」をやろうと決めました。――音楽活動は20年以上になりますが、振り返ってみていかがですか。また、バンド活動と並行して、2006年の映画『ハチミツとクローバー』で初めて俳優業へと進出されましたね。うかうかしていたら40歳を越えていて、20年なんて、本当にアッという間でした。俳優業は、最初はハマっていなかったんですよね。『ハチミツとクローバー』では櫻井翔くんとはお話しできたので、その出会いだけ唯一よかったです。実際にちゃんとお芝居に向き合えたと思ったのは、2011年の映画『婚前特急』からです。――『婚前特急』では、第33回ヨコハマ映画祭で最優秀新人賞も受賞されましたよね。はい、そのぐらいお芝居することがすごく楽しかったんです。2時間通して、ちゃんとキャラクターを作るからこそ、一瞬の呟きが面白かったりするわけで。音楽でも、1曲の中で緩急があって、ちょっとしたことがとても響いたり。「楽譜と台本は似ているな」と気づいて、それからは、お芝居も全部楽しくなりました。ーー浜野さんが織田信長の息子・織田信雄を演じている大河ドラマ『どうする家康』も話題です。大河ドラマは特殊なんですよね。1話から40話まであるとして、キャラを作ろうにも、自分の出演するところだけしか台本をもらわないんです。ただ、実在するその時代の人物がいるわけで、調べていくとめちゃくちゃ面白い。もともと戦国時代も好きなので、歴史を調べて役とのつながりを見つけたときはうれしいものです。――いまは映画『アナログ』も公開されていますね。僕が『アナログ』でよかったと感じることは、ニノ(二宮和也さん)と桐谷健太くんに挟まれて、お芝居できたことですね。やっぱり手練れの彼らと共演できるのは、すごく楽しいんです。カメラがまわった瞬間に世界が広がるといいますか。ニノは寸前まで全然違う話をしていても、カメラがまわるとパッと役に切り替わるんですよね。そういえば、『婚前特急』の主演だった吉高由里子ちゃんもそんな感じでした。撮影の時期に亡くなったマイケル・ジャクソンのまねを休憩中にずっとやっていたのに、撮影がスタートした後に、スッと役に入っていて。「すごい」と思いましたし、どのような状況にいても関係ないんだなと思いましたね。5年で成長したメンバーとうまく作れた最新作――2023年11月1日にニューアルバム『在ライフ』をリリースされます。前作から5年ぶりとなった新作ですね。この5年の間に、自分なりに濃密な時間を過ごしていました。僕は3年前に椎骨動脈乖離という症状が出て、生まれて初めての入院を経験して。歌うことについて制限もあったので、バンドや音楽はやり方によっては有限なんだ、表現自体が無限じゃないと気づきました。その後はコロナ禍で、リモートで演奏することもありましたし、自分の家族にもちゃんと向き合うことができました。――そういった経験などもすべて、今作につながっていったのですね。すべて地続きです。メンバーもそれぞれ家族と向き合ったり、ギターの仰木亮彦はSTUTS、トランペットの村上基はレキシやsumikaといったほかのミュージシャンのサポートをしたり、それぞれの成長があったと思うんですよね。それで、また会えたのが、よかった。もしかすると全然考え方が違うと解散するバンドもいると思うんですが、僕らはまた一緒にできる糸口を見つけたというぐらい、ソロ活動のような期間を経ての新作です。――ファンのみなさんも待っていたはずです。もしかしたら寝ているかもしれないので、「始めるよ!」と叩き起こさないといけない(笑)。メンバーみんなのライフを経て、ここに来たんですよね。マイライフと共にこのアルバムに集結していて、成長したメンバーとうまく作れた1枚です。……初めて『在ライフ』の説明がきちんとできたかもしれないです(微笑)。――アルバムの4曲目「平和 feat.七尾旅人」、5曲目の「滞ってる feat.高岩遼」はそれぞれゲストボーカルを迎えていますね。「平和」は、曲ができてから、構想は大きいけれど僕らだと言い切れないかもしれないとなって、七尾旅人さんに頼みました。旅人さんとは現場的なつながりはなかったんですが、SNSなどで考え方は拝見していて、「この人とできればこの曲は化けるのでは」とピンときたんです。「滞ってる」は、昨年出演させてもらった舞台『室温~夜の音楽~』の演出・河原雅彦さんからの依頼で、在日ファンクが舞台用に作った曲のうちのひとつですが、今回、もっとブラッシュアップできないかと考えて。そこで、(ヒップホップチームSANABAGUN.ほかで活動する)高岩くんとデュエットというアイデアになりました。――8曲目「クーポン」は浜野さん作詞作曲の斬新でユニークな曲ですね。最初に作った曲なんです。ドラムの永田真毅から、「とりあえず1曲を作れ」と言われて、1曲仕上げよう!と勢いで、パッションのまま作りました。そこで生まれたのは、クーポンに対しての怒りです。この曲、ちょっとふざけているなあって思いますか?――いえ、ファンクにカッコよく怒っているなあと思いました(笑)。ははは(笑)。僕はクーポンって、いまはそんなにお得じゃないものもあって、もうゼロ円に近くなるクーポンはないから、もっと大盤振舞してほしいと思って作ったんですよね。――10曲目「おすし」は、トロンボーンのジェントル久保田さんが作詞、在日ファンクのみなさんでの作曲です。最近、s**t kingzや鈴木雅之さんに曲を提供したんですが、それぞれ歌詞は僕とジェントル久保田の共作でもあって。今回のアルバムでも、ジェントル久保田に1曲歌詞を作ってもらうことにしました。いままでの作品では僕が曲を作っていたんですが、今回は曲によって、メンバー何人かで作っていて、「おすし」はスタジオセッションで30分でできた曲です。――浜野さんご自身は、いつもどのように曲作りをしているのですか。やっぱり、テーマが先にきますね。それこそ「クーポン」を思いついたときには、僕が怒っている事柄に対しての曲を作るなんてどうなのか、と考えてしまったりもしましたが、作り上げていくうちに言いたいことが通底するといいますか。最初に思ったテーマをかっこよく聴かせれば、結果ちゃんと自分の考え方が伝わる曲になるという実感です。MIDI鍵盤で曲を作っています。――11月には、東名阪で「アルバム『在ライフ』リリース記念ワンマンツアー」があります。歌や演奏はもちろん、浜野さんのキレのあるダンスも見どころですが、どのようなステージに?アルバムの曲を中心に、過去曲も披露する予定なので、ライブに来ていただいたらみなさんが楽しめると思いますよ。今回のツアーでは、「いかにメンバーがプレジャーな状態になるか」という流れを意識して、いまいろいろと組み立てている最中です。「来年はたくさんライブをしたいです」――お話は変わりますが、おやすみのときはどんなふうにお過ごしですか。在日ファンクの動画を作ったりしています。――ご自身で動画編集もしているんですね。それはお仕事ではなく、オフに入るという?けっこう楽しいんですよ(笑)。おじさんしか映っていないんで、動画をご覧になる方々にどうやって「かわいい」と思ってもらえるかなと試行錯誤していて。お菓子を食べているところを撮ったり、焼き鳥を食べているところを撮ったり。焼き鳥を食べるときはビールじゃなくて、ノンアルコールビールを飲んでいるからいいかと思ったら、けっこうおじさんの居酒屋感が出ちゃってとか(笑)。そういうことを考えていると、すごく楽しくて。――在日ファンクのYouTubeを観ても、楽しさが伝わります。ありがとうございます。あとは、たまに子どもふたりと一緒にご飯を作ることもありますね、チャーハンとか唐揚げとかぐらいですが。お弁当を持って、代々木公園にピクニックに行くこともあって、子どもたちは公園で自転車を借りることもあります。この間は、レジャーシートをひいてご飯を食べていたら、子どもが「おすし、おすし」と踊り始めて、「その振り付けいいね!」と、完全に公私混同しています(笑)。――浜野さんのインスタグラムにも「おすし」を息子さんと踊っている動画などもアップされていますね。とても楽しそうです。息子は小4なんですが、ダンスを習っていて、踊るのが好きなんです。「おすし」の振り付けをしてもらいました。――いいですね。そういえば、今日はお気に入りのコーデュロイのシャツを着てきていただいたということで、おしゃれです。ピンクのシャツが珍しくて、前から大事に着ています。妻(モデルのAGATHAさん)はファッションが好きなので、昔はコーディネートを見てもらっていました。最近は「好きな服を着たらいいよ」と言われるので、セオリーみたいなものを壊し始めているといいますか、そういう時代なのかなという感じもしています。――いろいろなお話をありがとうございました。最後に、今後の抱負を教えてください。来年はたくさんライブをしたいです。僕はサブカル方面のバンドとして出てきた人間なので、ある意味、ゆるさも特徴だと思っていたんです。でも、そんなに高くなくていいから、近い目標へ向けて誠実にやっていこうかなと。まずは在日ファンクのツーマンイベントを考えているので、楽しみにしていただきたいですね。取材後記ジェイムス・ブラウンからの流れを汲むファンクを日本にいながら、再認識しようというディープファンクバンドの、在日ファンク。今回、ananwebにはボーカルでリーダーの浜野謙太さんが登場してくださいました。マガジンハウスで撮影とインタビューを行うこととなり、取材時間に颯爽とスタジオへ。終始おだやかにご対応くださり、撮影時に披露してくださったステップも素敵でした。そんな浜野さんのいる在日ファンクのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・園山友基取材、文・かわむらあみり在日ファンクPROFILE浜野謙太(Vo)、村上啓太(B)、仰木亮彦(G)、永田真毅(Dr)、橋本剛秀(A.Sax)、ジェントル久保田(Trb)、村上基(Trp)の7人からなるディープファンクバンド、在日ファンク。2007年にバンド結成。インディーズで活動後、2014年にメジャーデビュー。2017年にカクバリズムに移籍し、コンスタントに作品を発表し、ライブ活動を展開。2023年11月1日、ニューアルバム『在ライフ』をリリース。「アルバム『在ライフ』リリース記念ワンマンツアー」を11月19日に東京・渋谷 WWW X、11月25日大阪・大阪 十三246 LIVEHOUSE GABU、11月26日愛知・名古屋 新栄Shangri-Laで開催。InformationNew Release『在ライフ』(収録曲)01. 今から本気02. 在来外来03. ハラワラナイト04. 平和 feat.七尾旅人05. 滞ってる feat.高岩遼06. いけしゃあしゃあ07. 身に起こる08. クーポン09. いつもどおり10. おすし2023年11月1日発売(通常盤)DDCK-1078¥3,300(税込)写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり
2023年11月13日【音楽通信】第148回目に登場するのは、菅野美穂さんの主演ドラマに新曲を書き下ろして話題を呼んでいる、シンガーソングライターの矢井田 瞳さん!19歳でのアコースティックギターとの出会いが転機【音楽通信】vol.148大学生のときにメジャーデビューを果たし、2ndシングル「My Sweet Darlin’」が大ヒット。サビで「Darlin’,Darlin’」と歌うフレーズから“ダリダリ旋風”を巻き起こし、1stアルバム『daiya-monde』はアルバムランキング初登場1位を獲得、ミリオンセラーとなった矢井田 瞳さん。以降もコンスタントに楽曲リリースや国内外でのツアーを行い、現在デビュー24年目を迎えた矢井田さんが、2023年10月19日、ニューシングル「アイノロイ」を配信リリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――幼少期は、どんなふうに音楽とふれあっていましたか。幼い頃、私自身は主に水泳を習っていて、スポーツばっかりしていました。そんななかでも父が音楽好きだったので、家ではリビングにいると常に音楽が流れていましたね。父がスナックで歌う曲の練習をするために音楽をかけていた、という環境で育ちました。音楽自体は、大学に入ったときに、アコースティックギターに出会ったことが大きな出来事で、その後の人生の道が決まったところがあります。それまではスポーツや勉強ばかりの日々だったのですが、大学に入って解放感を得て、これまでと全然違うことをやりたくなったときに、音楽そして楽器をやってみたいと思ったんですよね。友人が休憩時間にエレキギターを弾いている姿を見ると、いつもよりカッコよく見えて、「これはギターのマジックだ」と(笑)。いろんな魅力がある楽器なんだろうなと感じたんです。さっそくアコースティックギターを買ってきて、コードブックを見て、ゆっくりと簡単なコードを初めて弾いたときに「ビビビッ!」と衝撃がきたんです。「私、これを一生できるかも」と直感で思ったんですよ、まだ何も弾けないのに(笑)。でも、本当にそう思ったことがきっかけで、それまでは歌うことや音楽を聴くことが好きなだけでしたが、本格的に曲を作ってみたい、楽器を弾いてみたいとのめり込んでいきました。――ギターで曲作りもされるようになって、そのまま音楽活動もスタートされて?はい。アコースティックギターを練習しはじめて、ギターコードを3、4個ぐらい弾けるようになったときに、覚えたてのストロークとスリーコードでずっと弾いていたら、聴いたことのないメロディを歌っていることに気づいて。それがとっても楽しくて、どんどん曲作りにハマっていきました。私は学生時代、表向きには「明るくて元気な子」と友達には思われていたようなのですが、実は本当はそうじゃないと思う自分もいて。思春期だったからかもしれないですが、まわりが思う自分像と一致しないことにモヤモヤしていました。そんなとき、ギターを持ち、吐き出せていない感情を新しいメロディにのせて歌うとすごくすっきりして。醜い感情や汚い感情も作品にしてしまえば、落としどころとして気分がよかったところもあったのだと思います。――2000年にインディーズデビュー後、メジャーデビューもされました。10月には2ndシングル「My Sweet Darlin’」が大ヒット。19歳でギターを手にされてから3年後にはデビューして大ブレイクと、順調なスタートを切られましたね。いまから思うと、相当なスーパーラッキーガールでした。デビューしたときは大学4年生で、「My Sweet Darlin’」のサビを覚えてくださった方が私を見かけると、「ダリダリの人だ」と言ってくださってうれしかったです。ただ、ちょうど卒論の時期で毎日図書館に行って引きこもっていたので、あまり外の世界のことがわからないまま、ときどき東京に行ってお仕事をしていた状況だったので、デビューの実感はそんなにありませんでした。矛盾も前向きなパワーに変えられるような新曲――2023年10月19日に、ニューシングル「アイノロイ」を配信リリースされました。同日からスタートした、菅野美穂さん主演ドラマ『ゆりあ先生の赤い糸』(テレビ朝日系 毎週木曜午後9時)の主題歌として書き下ろされたそうですね。ドラマ主題歌が決まるかもしれないという時期と、新しいサウンドでこれからまたチャレンジしていきたいと私たち音楽チームで話していた時期が、偶然一致したんです。オファーをいただき、まずは原作の漫画「ゆりあ先生の赤い糸」(入江喜和)を読むところから入りました。――歌詞の世界にイメージを凝縮していくのは難しそうですが、どんなふうに作っていかれたのでしょうか。主人公となる、ゆりあ先生の繊細さと大胆さ、優しさと強さが共存している感じや、憎しみさえも前向きなパワーに変えるという、いろいろなことの表裏が合体している強さを楽曲で表現できたらいいなと考えて。前向きに生きるという一面だけではなく、後ろ向きな日々もあるなか、その矛盾や心の憂鬱さえも、前向きなパワーに変えられるような曲にしたいと作っていきました。――タイトルからして、相反するような「アイ」と「ノロイ」がくっつくという……。そうなんです。愛情の愛も、呪いも、ぽつんと単体では存在しえないといいますか、つながっているもの。だからそういう意味では、「アイ」と「ノロイ」は背中合わせの言葉なのではないかなと思ったんです。たとえば、すごく愛する人からかけられた呪いだったら、とても苦しくても、ちょっとうれしいかもしれないですし(笑)。背中合わせのこのタイトルにしました。――サウンドプロデューサーにYaffle(ヤッフル)さんを迎えられましたね。Yaffleさんは、爽やかなんだけど芯が太いような、ふたつのことが共存しているサウンドを作る人だなと、ずっと注目していたんです。いつかご一緒できたらと思っていたので、今回、ご一緒できてうれしいです。――「アイノロイ」が主題歌となるドラマにおいて、主演の菅野美穂さんは、「矢井田さんの歌声と、素晴らしい楽曲に胸が震えました」と絶賛のコメントを寄せていますが、以前トーク番組でご一緒されたことがあるそうですね?もう2006年のことで、17年経っていますが、昔『グータンヌーボ』(フジテレビ系)という女性出演者が集まってトークをする番組で、菅野さんとご一緒したことがありました。集合場所のお店に行ったら、本当にマネージャーもスタッフも誰もいなくて。あまりバラエティ番組に出たことがなかったので、どうしようと不安になっていたら、菅野さんはいろいろな現場でご活躍されて慣れていらっしゃったのでリードしてくださって。そのときは、菅野さんと優香さんと私の3人でトークをさせていただきました。――懐かしいですね。ところで、新曲はドラマ主題歌としてお茶の間でも流れていますが、聴き手の方の心にどう響いてほしいでしょうか。たくましく人生を生き抜いてほしいという思いがあったので、くよくよしているというよりかは、「よし、やるぞ!」と決めた人たちを思い浮かべながら書きました。なので、そういう人たちの背中をちょっとでも押せるような曲になってくれたら、うれしいですね。――今回はドラマ主題歌ということでの書き下ろし楽曲ですが、そもそもどのように曲作りをされているのですか。基本的には今回同様、ギターの弾き語りから曲を作っていくことが一番多いです。ギターで曲を何曲か作っている時期が2、3か月続くと、似たような発想が増えてくるので、それを切り替えるためにも、あまり弾けないピアノを触ってみたり、リズムから曲を書いてみたりしています。――あとからメロディの世界観に合わせて歌詞をつけていくのですか?最初に曲だけ作って、あとから歌詞をはめていく作業が苦しすぎるので、なるべくメロディだけ先行にならないように、「この曲で伝えたいテーマは何か」「このメロディが呼んでいる言葉は何か」を同時に考えながら、歌詞も作り上げています。――11月には東京と神戸でプラネタリウムツアー「LIVE in the DARK tour w/矢井田 瞳」を開催されるそうですね。プラネタリウムと合わせたライブはどのようなステージになるのでしょうか。私自身、初めてのライブ体験なんですが、すごいことになりそうです(笑)。プラネタリウムで星空が映る球体に、たとえば曲に合わせた映像を一緒に作り上げて、映し出してくださるようです。普段のライブ会場は少し暗いとはいえ、ステージからは見えてはいるんですが、このプラネタリウムツアーでは、暗闇と音楽というものが大事。暗闇では耳の神経も研ぎ澄まされるので、その感覚も楽しんでいただくようなライブになりそうです。――スペシャルな空間になりそうですね。私もこれまで意識していなかった歌詞の聴こえ方ができそうです。でも、歌詞を間違えないように気をつけようと(笑)。普段と環境が違うので、一番を歌いながら星空を見上げて「うわぁ」と圧倒されて、二番を歌うはずがもう一回一番を歌ってしまったり(笑)。そういうことも含めて、新しいライブ体験になるので、楽しみにしています。これからの音楽人生も少しずつ歩んでいきたい――お話は変わりますが、おやすみの日はどんなふうにお過ごしですか。お仕事をしているとき以外は、ほとんど家族と一緒に過ごしていますね。唯一、平日のお昼だけ自由に動ける時間があるので、お気に入りのお店にひとりでランチを食べに行くこともあります。とはいえ、毎日外でランチなんて贅沢もできないので、週に1回は「あそこのランチを食べに行こう」と、息抜きしていますね。――ご家族ということで、お子様もいらっしゃいますが、普段はお仕事と育児や家事をどのように両立されていますか。母親になってからは、自分の時間はこういうふうに使おうと思った通りに、24時間1秒もいかない(苦笑)。なので、仕事と家庭と趣味をこういうバランスで両立させようみたいなことを決めるのもやめましたし、全部が一緒で、時にぐちゃぐちゃです(笑)。あとは予定をたくさん入れないで、常に6、7割ぐらいにしていて、何かあったときに親としてすぐ動けるように、スケジュールを少しあけておくようになりました。――わかります(笑)。子どもがいると、こちらがいくら予定を立てても、全部ひっくり返ることなんてざらですよね(笑)。どっちでもいいよ、というふうにしておくと安心。なので、「私は今から曲を書くので集中したいです」と、部屋に入って楽曲制作をするということもなく。娘がリビングで遊んでいて、私は横でギターを弾きながら曲を書いていて、すごく集中力が高まってきたときに、「晩ごはん何?」と言ってきたり(笑)。急に友達を連れてきて家がカオスになったり(笑)。とはいえ、気にせず曲を書き続けて、家族の歌もあったりします。――お子さんもアーティストになりたい、というようなことは?いまのところその感じはないですね。でも、私がゼロからものを作っている姿を幼い頃から見ているので、娘も何かを作るということはすごく好きです。工作なり、フィギュアなり、売っているものを買うんじゃなくて、「あ、これ作りたい」と粘土など買ってきて、一から作っていますね。――素敵ですね。では、矢井田さんご自身が美容面で気をつけていることはりますか。気をつけなきゃと思いながらもなかなかできないんですが、一番自分に合っているのは、化粧水を洗面所だけじゃなく、もう1箇所ぐらいに置いておいて、気がついたときにちょっとスキンケアをすることぐらいですね。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、今後の抱負を教えてください。「アイノロイ」で、これまでにはない、新しい矢井田 瞳の一面をYaffleさんやみなさんに引き出していただけた感じがあります。そんなふうにこれからの音楽人生でも、また新たな側面をお見せできるように、少しずつ歩んでいけたらいいですね。取材後記デビュー24年目を迎えたシンガーソングライターの矢井田 瞳さん。晴れた日の昼下がり、ananwebの取材をさせていただき、心地よいお天気に負けない明るいエネルギーで撮影もインタビューも応えてくださいました。ママになっても変わらずご活躍の矢井田さんのニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・園山友基取材、文・かわむらあみりヘアメイク・太田瑛絵矢井田 瞳PROFILE1978年、大阪生まれ。シンガー・ソングライター。通称“ヤイコ”。19歳でギターと出会い曲作りを始める。2000年5月、関西限定シングル「Howling」でインディーズデビュー。7月、1stシングル「B’coz I Love You」でメジャーデビュー。2ndシングル「My Sweet Darlin’」が大ヒット。10月にリリースした1stアルバム『daiya-monde』は初登場1位を獲得、ミリオンセラーとなる。その後も数々のヒット曲を世に送りだし、全国ツアーの開催やイベント出演等、精力的なライブ活動を行う。また国内の活動に並行して、UKレーベルからもリリース、UKツアーを成功に収めた。2023年7月から全国8ヶ所でアコースティックツアー『ギターとハーモニカと』を開催、「8月15日=ヤイコの日」に千秋楽を迎える。10月19日、ニューシングル「アイノロイ」を配信リリース。InformationNew Release「アイノロイ」2023年10月19日配信リリース写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり ヘアメイク・太田瑛絵
2023年10月26日【音楽通信】第147回目に登場するのは、音楽映画『キリエのうた』で主人公のキリエ役に大抜擢され、この度「Kyrie(キリエ)」名義の1stアルバム『DEBUT』をリリースする、アイナ・ジ・エンドさん!小さい頃からまわりには音楽があふれていた【音楽通信】vol.1472023年10月13日から公開される監督:岩井俊二×音楽:小林武史による音楽映画『キリエのうた』の主役に大抜擢され、銀幕デビューを果たしたアイナ・ジ・エンドさん。今年6月に2015年から所属していたBiSHが解散し、現在はソロ活動を本格化させているなか、初主演作『キリエのうた』では歌うことでしか“声”が出せない路上ミュージシャン「Kyrie(キリエ)」を演じることに。その「Kyrie(キリエ)」として歌う1stアルバム『DEBUT』が10月18日にリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――まずは、あらためて幼い頃の音楽環境から教えてください。母はアイドル歌手をしていたことがあって家でもよく歌っていましたし、父はギタリストをしていたこともあったので、小さい頃からいつもまわりには音楽があふれていました。歌だけではなく、4歳からダンスを習っていたので、生まれたときからそういう環境だったのはありがたいですね。歌もダンスも身近にあったので、ここまでくることができました。――芸能界に入る前に、影響を受けたアーティストはいらっしゃるんですか?たくさんいます。なかでもBUMP OF CHICKEN、YUIさんや加藤ミリヤさん、ジェシー・ジェイというイギリスの女性シンガーやビョークを深く聴いていました。もしもこのなかの誰かの楽曲をイントロクイズにしてもすぐ答えられるぐらい(笑)、好きです。――2015年3月にBiSHを結成され、2016年5月にメジャーデビューし、2023年6月29日に東京ドーム公演で解散されました。8年間のグループ活動は、アイナさんにとって糧となりましたか。もちろん糧になりました。グループ活動は、年頃の女の子が集まって過ごすのでモヤモヤしてしまう時期もあったり、逆に女同士でなんでもぶつかり合えたり、楽しい空間もあったり。いろいろな時期を8年間過ごしてきたので、人としてかなり強くなったという自負はありますね。この8年間はなんの後悔もない日々だったと思います。――グループ活動中の2021年から、全作詞作曲の1stソロアルバム『THE END』を発売するなどソロ活動をされてきました。いまはソロアーティストとしてはもちろん、俳優業も。グループに在籍しながらのソロとまったくのおひとりとしての活動の違いを実感することはありますか。私はBiSHにいる時期に、椎名林檎さんや尾崎豊さんのカバーソングをテレビの歌番組で歌う機会をいただけることがありました。その出演時に歌う私の姿を見て、「BiSHのあの子、歌がヘタだったな」とか「2度とテレビに出るな」というようなことをネットで書かれたりすることもあって、ただ単に私がひとりで出ているだけでもBiSHの顔に泥を塗るような気持ちになっていたんですよね。逆に、「BiSHのあの子の歌いいよね、聴いてみよう」と、褒められたときはすごく嬉しいです。だから、よくも悪くもずっとBiSHがつきまとっていたところ、解散してからはBiSHという看板がないので、何をしでかしても全部自分の責任。自由になった感覚です。こうしてインタビューを受けさせていただくときもそうで、BiSHの曲だと自分の着眼点はここだけどほかのメンバーだとこうだろうな、と考えて発言することも。それは勉強になりましたが、いまはいい意味でも悪い意味でも、自分だけのこと。すごく話しやすいです。もちろんね、さびしさはそれと同じぶんありますけども。――アイナさんの心に羽が生えたんですね。そうかも! 心境の変化は、自由になったことが一番大きいですね。岩井俊二×小林武史×アイナ・ジ・エンドによる名作――10月18日に「Kyrie」としてのアルバム『DEBUT』をリリースされます。すべての楽曲を小林武史さんがサウンドプロデュースし、劇中で流れる音楽とは異なるアレンジでアルバムに収録された作品ですが、アイナさんも作詞作曲に携われていますね。映画主演だけではなく、Kyrieとしての音楽制作もあるとお話を聞かれたときは、まずどう思われましたか?実は映画の主演を務めさせていただく段階で「曲を作っていつかアルバムにできたらいいよね」という話も出ていたんです。でも、ここまで完成された作品を作ることができるとは考えていなかったですし、小林さんもプロデュースなどに加わってくださるなんて夢のようで、本当にうれしかったです。――以前、別の機会に『キリエのうた』のお話を聞かせていただくことがありましたが、岩井俊二監督は「アイナはすごいんです」と小林さんに紹介されたとおっしゃっていました。2曲目「ひとりが好き」は岩井監督のリリックの「るるる」「ららら」というワードも印象的ですし、心地良いメロディの作曲はアイナさん、かわいいアレンジは小林さんですが、どのように作っていかれたのですか。「ひとりが好き」は初めて台本をいただいたときに、すでに5番ぐらいまで岩井監督が歌詞を書いていたんです。大事なシーンで歌う曲なので、大事な曲だと思って、まず自分のなかで歌詞を咀嚼することから始めました。そしてメロディを考えて、パズルを組み立てるように言葉を並べていってできた曲です。岩井監督の言葉が、メロディを呼んでくれた感じでした。――この「ひとりが好き」や「幻影」「ヒカリに」の3曲は、岩井監督との共作ですが、監督との作品作りはいかがでしたか。“Kyrieとして歌う”ということで、岩井監督からアドバイスをいただいたり、逆にアイナさんから提案したりすることもあったのでしょうか?ありました。歌詞ができてからまず岩井監督に預けて、修正があったら教えてくださいとお伝えしていたので、そのお返事をいただいて修正してというふうに仕上げていったこともありました。撮影の合間も、岩井監督はギターやピアノも弾けるのでコードを教えてくださったりと、私よりも圧倒的に音楽的知識をお持ちです。――アイナさんご自身の曲作りは、主にギターで作っていかれるのですか。そうです。コードはわからないので、ポロンとギターを鳴らして好きな音を並べたうえで、ボイスメモにとってDTMに落としていくというスタイルです。自分の曲の作り方もさまざまなんですが、ギターで作った曲は「キリエのうた」が初めてでした。――それまではどのように作曲していんでしょう?DTMで打ち込んでみたり、口で全部歌ってあとでコードをつけたり、いろいろなやり方で作っていました。ギターで曲を作ることはやったことがなかったので、今回、きっかけをくださったなと思います。――音楽制作において、一番ご苦労されたところはあるんでしょうか。撮影時期が、ちょうどBiSHの解散までのラストスパートの時期だったので、とにかく忙しくて。2本同時にツアーをまわったり、夏は個人でジャニス・ジョプリンを努めた主演舞台があったり。ひと息つく間もなく1年が過ぎ去っていくなかでの曲作りだったので、毎日1、2時間しか寝ていなくて、精神的にも追いつめられたことはありました。――大変でしたね。でも倒れることなく作品が完成しました。人間うまくできてるんだな、と思ったんですが、限界に近づいてくると勝手に病気になるんですよね。「休みなさい」というカラダからのサインがちゃんとくるので、サインに気づいて、そのときどきでできることをやっていけば、どんなに忙しくても自分の逃げ場所を作ることができるんです。そう気づいてからは、曲作りが少し楽になりました。――アイナさんが作詞作曲された5曲目「ずるいよな」は、劇中でも歌うシーンが印象的でしたが、どのように作っていかれましたか。実は「ずるいよな」だけ、すでに2020年にできていた曲です。すごく大切な曲すぎて、いままで世に出していなかったんですよ、生半可な気持ちでは出せないと。でも今回、岩井監督の作品に出演させていただくと決まり、「ここで絶対に出したい、ここで輝くためにできた曲だったんだな」と思って発表しました。――ということは、発表された「ずるいよな」は当時のお気持ちが曲に込められていると?そうですね。大切なお姉ちゃんのような存在だった方が亡くなった時にできた曲です。映画『キリエのうた』も松村北斗さん演じる夏彦にとって大切な人をずっと追い求めている、勝手にいなくなってずるいよな、という心情ととても合うと感じて。むしろいまから夏彦の気持ちになって曲を書くより、この「ずるいよな」という曲がこの時を待っていてくれたんじゃないかというぐらいぴったりだったので、はめこみました。――導かれて完成した曲なんですね。本当に……人の死というものは、自分が思っているよりも、とても重い。実際にその立場になっているときにしか書いてはいけないんだと思いました。だから「ずるいよな」は自分にとっては、思い出の深い曲です。――11曲目「燃え尽きる月」はストリングスとピアノに彩られた楽曲で、サビに向かい静寂からとてもパワフルに聴こえてきます。ベーシストとして参加している、なかむらしょーこちゃんという人がいるんですが、ピアノもギターも弾ける人で。あるとき、美しいピアノを弾いてくれて「アイナちゃん、これにメロディつけたら?」と送ってくれて。1週間ぐらい毎日パソコンに向き合って、そのピアノにメロディをのせて、歌詞も書いては消してを繰り返して生まれたのが「燃え尽きる月」です。Kyrieは普段声が出せないので、本当に声を出して歌った瞬間、きっとシャウトのようになってしまうのではないかな、声がしゃがれるんじゃないかなと思って、終わりとサビは叫ぶように歌っています。――Kyrieとして歌っているけれど、アイナさんでもあるわけですが、歌唱法もやっぱり違ったんですね。全然違っていたかもしれないですね。Kyrieとして歌うことがなかったら「燃え尽きる月」の歌い方は生まれなかったかも。Kyrieとアイナ・ジ・エンドの差別化ということは、自分でもまだわからなくて。歌っているときの心情は私の心ひとつしかないので、いまもまだモヤモヤしています(苦笑)。――そう思うと、より一層かつてない作品に仕上がっているんですね。アイナさんが作詞作曲された曲、岩井監督との共作、小林さんが作られた曲などバリエーションがありますが、ご自身で全部作った曲のほうが気持ちが入るというようなことはあるんですか。私は歌が好きだから、誰のどの歌でも楽しくて、心も声もざわめき出すんですよね。楽しい、というのも面白おかしいという意味ではなく、生きている感覚を得られるという意味での楽しさ。だから、小林さんが作ってくれた歌なんて、生きていて歌えると思っていなかったので、本当にうれしくて。「もらったもの」という小林さんが手がけた女性キーの曲が収録されているんですが、どう考えても小林さんの心情のような歌詞で……まあ、違うと思いますけれども(笑)。ただ、歌う際には小林さんが歌っているように、とぼとぼ男性のように歌いたいと思ったのがきっかけで4つぐらいキーを下げたんですよ。私は小林さんが歌っていると思って歌っているんですが、そういうことも本当に楽しくて。だから、小林さんが作った曲でも、自分が作った曲でも何も変わらず、全身全霊で歌っています。――劇中ではKyrieの青いワンピースも印象的でしたが、アルバムのジャケ写も青いドレスですね。“Kyrieブルー”といいますか。劇中で広瀬すずさん演じるイッコさんが、初めて服を買いにKyrieを連れ出していった際、「これなんてどう?」と青いワンピースをかざしてくれるんです。初めて買ってもらった衣装がブルーで、Kyrieも大切にする色として、ジャケ写でもブルーの衣装を着ています。――『キリエのうた』に続いて、岩井監督自らリメイクした1992年制作の深夜ドラマ『夏至物語』の【完全版】で主演されたそうですね。再度のお芝居はいかがでしたか。まず『夏至物語』自体は、1992年と同じような雰囲気のところもありますし、不思議なお話でした。演じるのも、すごくやりやすかったです。多分、岩井監督と感性が似ているからそう思えたのだと感じますが、岩井監督の現場しか経験したことがないので、ほかの方とご一緒したら本当は女優に向いていないとなるかも。――いえいえ、天性のものがあるからこその抜擢です。さらに初めて組むのが岩井監督の現場というのは、とてもスペシャルなことですね?スペシャルですね。自分でも、そう思います。一瞬たりとも腐らないように生きていきたい――お話は変わりますが、最近、オフの日はどのように過ごされましたか。ダンスと歌を習いにアメリカに行きました。行って本当によかったですし、やっぱり「自由に生きよう」と思いました。――それは好きな先生がいらっしゃる?妹の好きな先生がアメリカにいるので、私はついていきました。L.A.とN.Y.に行ったんですが、L.A.では人と目が合うと笑ってくれたりと、なんかいいなあ、日本でもやろうって思って。最近、人と目が合うと自然に微笑むことができる自分がいて、自分の中での変化がありましたね。――充実されている感じがします。学びに行かれながらも、リフレッシュもできたんですね。リフレッシュできました。でも『キリエのうた』の公開前だったからか、心はずっとKyrieでしたね。映画が公開されて、落ち着いたら、ひとりでまたどこかに旅に行きたいなと思っています。――お洋服などもアメリカで買ってきたりしたのでしょうか。普段はどんなファッションがお好きなのですか。古着屋さんをたくさんまわって、服も買ってきました。ファッションは、シンプルなものが好きなんですが、少し気の利いたものが好きで。――気の利いたというのはどんなものに?たとえばですが、白いTシャツと黒いズボンだったら、ネックレスは世界にひとつだけの友達が作ってくれたビーズのネックレスをするだとか。そこでありふれたものをつけないんです。シンプルな服に合わせるんであれば、靴に色を入れるとか、スカーフを巻くとか。誰にも気づかれない程度の気遣いというのが、自分のなかでのファッションの好きなところです。古着にしても、まわりは誰もわからなくても、こだわりの昔のミリタリーのものを着るとテンションが上がります(笑)。――素敵ですね。美容面では、気をつけていることはありますか。気をつけたい時期はがんばれるんですが、どうでもいいとなったら、何もしないです(笑)。食事でも、納豆とご飯と味噌汁をめっちゃ食べる時期があるのに、朝から晩までファーストフードばっかりというときも。美容情報は冗談抜きで、美容室に行っても「anan」をガチ読みしています。ただ、昔は断食してダイエットしたこともあったんですが、容姿や体型を追求するのは難しいですよね。心がすさんでいったら元も子もないので、まずは心の安定が一番だと思っていて、無理をしないようにしています。――今後も役者のお話があったら、また取り組まれますか?してみたいですね。でも今回、広瀬すずちゃんと松村北斗さんがいてくれたから演技ができたので……。ふたりがお芝居の教科書なので、私ひとりでも戦っていけるぜ! というような誇らしげなマインドはまったくないので、お仕事をいただけたらがんばってみたいです。今回はお芝居でありながらも、少し歌を歌わせていただいているので、やっぱり歌が自分の主軸ではありますね。――いろいろなお話をありがとうございました! 最後に、アーティストとしての抱負をお聞かせください。腐らないようにしたいです。自分のまわりにいる人は全然腐っていないし、最高の人がいっぱいいるんですが、せわしない東京で生きていて、なんだか毎日何かに追われていて。大きく深呼吸できずに眠ることがあると、「このまますぐ死ぬかもな」と思うんですよ。でも「それではもったいない」と思ったときに、一瞬たりとも「腐ってはいけない」と。忙しさにまみれてありふれたことを言って、そつなくこなして、自分の本心を隠して生きていくのって、すごくもったいないし不健全。なので、なるべく心を丸出しにして、人さまに迷惑をかけない程度に生きていけば、腐らないでいけるかな、いい歌詞も書けるんじゃないかな、と。腐らないように生きていこうと思います。取材後記アーティストとしての実力はもちろんのこと、初主演映画『キリエのうた』ではひときわ光彩を放つ、アイナ・ジ・エンドさん。以前、岩井俊二監督にお話をうかがった際、偶然あるバンドのオンラインライブにゲスト参加していたアイナさんに衝撃を受けて主役に抜擢したと話されていたのですが、それも納得の存在感です。小林武史さんも音楽に携わり、傑作が誕生しました。そんなアイナさんの「Kyrie」としての1stアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみりアイナ・ジ・エンドPROFILE2015年“楽器を持たないパンクバンド”「BiSH」のメンバーとして始動、翌年メジャーデビュー。ほぼ全曲の振付も担当。2021年、全作詞作曲の1stソロアルバム『THE END』を発売、ソロ活動を本格化。2022年、ブロードウェイミュージカル「ジャニス」で主演のジャニス・ジョプリン役を務める。2023年6月、BiSH解散。現在はソロとして活動中。2023年10月13日より音楽映画『キリエのうた』公開。10月18日、「Kyrie」名義での1stアルバム『DEBUT』をリリース。InformationNew Release『DEBUT』(収録曲)01.キリエ〜序曲02.ひとりが好き03.幻影04.宙彩(ソライロ)になって05.ずるいよな06.名前のない街07.ヒカリに08.前髪上げたくない09.虹色クジラ10.もらったもの11.燃え尽きる月12.キリエ・憐れみの讃歌2023年10月18日発売*収録曲は全形態共通。(CDのみ)AVCD-63505¥3,850(税込)(CD+DVD)AVCD-63503¥6,050 (税込)【DVD収録内容】01.キリエ・憐れみの讃歌-Music Video-02.Kyrie『DEBUT』 Making Movie -Special Contents(CD+Blu-ray)AVCD-63504¥6,050 (税込)【Blu-ray収録内容】01.キリエ・憐れみの讃歌-Music Video-02.Kyrie『DEBUT』 Making Movie -Special ContentsNew Release「『キリエのうた』オリジナル・サウンドトラック 〜路花〜』2023年10月18日発売(収録曲)[DISC1] Music by 小林武史01 .BLUE & GREEN LIGHT02. PREMONITION03. Christ ist erstanden (ユーデンケーニッヒ)I (Gut Guitar)04. REVELATION05. PREMONITION Ⅱ06. 時のかけら07. Christ ist erstanden (ユーデンケーニッヒ) II (Piano)08. BAD DEVELOPMENT09. いくつかの出会い (Piano)10. Christ ist erstanden (ユーデンケーニッヒ) Ⅲ (Cello & Piano)11. DEEP CONFUSION12. JAZZY LIGHT CITY13. いくつかの出会い (Gut Guitar)14. Christ ist erstanden (ユーデンケーニッヒ) Ⅳ (Lute & Viol)15. Christ ist erstanden (ユーデンケーニッヒ) Ⅴ (Psaltery & Voice) ※Vocal: Hana Hope16. 憐れみの讃歌・海17. ホワイト ラスト シーン[DISC2] V.A.01. Christ ist erstanden:ヴェリタス城星学園中学校・高等学校02. Midnight Zoo(天王寺動物園 2011):御手洗礼(七尾旅人)03. 名前のない街/邂逅:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)04. 帰れない二人:安藤裕子05. FUN:大塚 愛06. Attachment:花澤香菜07. 名前のない街/雨模様:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)08. 燃え尽きる月:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)09. 憐れみの讃歌/風琴:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)10. 前髪上げたくない:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)11. 幻影:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)12. Lazy:仲村宗悟13. ずるいよな:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)14. ひとりが好き:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)15. AM11:00:acane and 松坂珈琲(笠原秀幸)16. あなたとのキス:集団パラリラ17. 春の音:橋本桃子18. 憐れみの讃歌/路上主義:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)19. 虹色クジラ:Kyrie(アイナ・ジ・エンド)20. 音痴の聖歌:御手洗礼(七尾旅人) & 小塚路花(矢山花)(2CD)AVCD-63527/8¥4,400(税込)『キリエのうた』Information原作・脚本・監督 岩井俊二企画・プロデュース 紀伊宗之(『孤狼の血』シリーズ『シン・仮面ライダー』『リボルバー・リリー』ほか)出演者:アイナ・ジ・エンド松村北斗黑木華/広瀬すず2023年10月13日(金)全国公開制作:ロックウェルアイズ配給:東映©︎2023 Kyrie Film Band取材、文・かわむらあみり
2023年10月12日【音楽通信】第146回目に登場するのは、バラエティ番組でも大活躍中の渋谷凪咲さんが卒業を発表した、大阪を拠点とするアイドルグループ、NMB48!卒業を決めたのは、ドラマ出演がきっかけ【音楽通信】vol.146秋元康さんが総合プロデューサーを務め、大阪の難波を拠点に活躍しているアイドルグループ、NMB48。2011年7月、シングル「絶滅黒髪少女」でメジャーデビューして以降、じわじわと全国へ人気が拡大し続けています。そんなNMB48の中心的メンバーであり、近年は個人での活動でバラエティ番組などでのウィットに富むコメントでも知られる渋谷凪咲(しぶやなぎさ)さんが、2023年8月の劇場公演でグループの卒業を発表。2023年10月4日には、渋谷さんの卒業を記念した28枚目のニューシングル「渚サイコー!」をリリースされたということで、今回は渋谷さん、山本望叶(やまもとみかな)さん、上西怜(じょうにしれい)さん、青原和花(あおばらわか)さんにお話をうかがいました。――おひとりずつ自己紹介からお願いします。渋谷NMB48に加入して11年目の渋谷凪咲です。上西8年目になりました上西怜です。山本6年目の山本望叶です。青原まだ加入して9ヵ月の青原和花です。――みなさまよろしくお願いします。まずは渋谷さんが卒業発表をされたということで、あらためて卒業を決めたきっかけや現在の心境からお聞かせください。渋谷卒業を決めたきっかけは、今年、ドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ系)に出演させていただいたことです。お芝居が難しくて全然できなかったんですが、できないということでさえ、すごく楽しくて毎日ワクワクして。「ここでもっと勉強して成長したい」と思ったときに、それはNMB48に加入したときと同じような感情だと気づいたんです。加入したばかりのときは歌もダンスも全然できなくて、怒られてばかりだったんですが、できないことさえも楽しめてこれまで11年間やってこられました。そうやって本気でやってきたアイドルのように、今度は熱くなれるお芝居というお仕事に新たに出会えたので、ぜひ向き合ってみたいと感じて。また、たくさんの共演者の方々とご一緒させていただくなかで、年齢に関係なく、みなさんとてもキラキラされていて、会うたびにパワーをいただけるんですよね。それは好きなこと、やりたいことに全力で、心からお仕事を楽しんでいらっしゃるからで。私もそういうふうに心がときめいたときに、ときめいた場所に行ってみたいなと。ずっと輝き続けられる人になりたくて、卒業を決めました。――渋谷さんが卒業すると聞いたとき、上西さん、山本さん、青原さんはどのように感じましたか?上西ステージで卒業発表していらっしゃる凪咲さんを見て、そこで初めてしっかりと実感しました。私の中で凪咲さんの存在がすごく大きかったんだと、あらためて気づいたら、さみしくなって……。でも、小嶋花梨ちゃんがみんなを代表して「ありがとう」という感謝の言葉を凪咲さんに伝えている様子を見て、私も悲しむのではなく、感謝の気持ちで見送らないとダメだなと。卒業までの期間、いっぱい思い出を作りたいです。山本卒業発表されたときの劇場公演に一緒に出演させていただいていたのですが、卒業の言葉を聞いた瞬間、やっぱりさびしい気持ちが一番大きかったです。でも、「次の夢に向かってがんばりたい」という凪咲さんの言葉を聞いて、背中を押すことが私たちの役目だと思い直しました。青原私は凪咲さんの卒業発表を知ったときは、もう驚きすぎてしばらく何も考えられないくらい落ち込みました。いまもライブでご一緒させていただきながら、日に日にさみしくなっています。渋谷凪咲らしさにあふれたニューシングル渋谷凪咲。1996年8月25日、大阪府生まれ。A型。164cm。将来の夢は女優さん。――2023年10月4日に28枚目のシングル「渚サイコー!」をリリースされました。渋谷凪咲さんのお名前から「渚」というワードが入っている卒業ソングですが、このタイトルや歌詞の第一印象はいかがでしたか。渋谷まず、めっちゃ笑っちゃいましたね(笑)。本当にシンプルでまっすぐなタイトルが面白くて、でもこれだけうれしいタイトルはないですよね。名前の漢字は違っていても「渚サイコー!」と秋元先生からいただけたこともうれしいですし、歌詞も本当に私のことが表されていて。いままでNMB48で11年間、自分らしく生きてきたなかで、いろんな方にイメージしていただいている渋谷凪咲がしっかり表れています。一般的に卒業ソングというと、しんみりしたり、切なくも美しい感じになったりするのかなと思っていたんですが、それよりもみんなが笑顔いっぱいで歌える曲になっていてすごいなって。自分の人生のテーマ曲をいただけたような喜びがあります。――上西さん、山本さんはいかがですか。上西ライブでも披露させていただいたんですが、凪咲さんのことを思いながら歌える楽曲で、まだ卒業していないのに泣きそうになる瞬間もあって、歌詞の切なさが心に響いています。卒業コンサートで歌ったら、私自身はもちろん、ファンの方もちょっと泣いちゃうかも。でも悲しい泣きではなくて、笑い泣きできるといいますか、凪咲さんにぴったりな楽曲ですよね。山本ライブで歌っている最中は、振り付けやフォーメーションなどいろいろと気にしないといけないのに、歌詞が素敵すぎて気を取られてしまうぐらいです。ライブでもファンの方が一緒に踊ってくださって、それが本当にうれしくて。今後凪咲さんが卒業された後も、ライブで毎回歌う定番曲になったらいいなと思います。――青原さんは、加入して9ヵ月で今回のシングルに初選抜されましたね。青原まさか自分を選抜メンバーに選んでいただけるとは!聞いたときはとてもびっくりしましたけど、初選抜の曲が凪咲さんの卒業シングルで一緒に歌えることが本当にうれしいです。卒業されるまでにたくさんのことを学びたいです。――「渚サイコー!」の振り付けはSEKAI NO OWARIの「Habit」などを手掛けたボーイズダンスチームのパワーパフボーイズが担当したそうですね。渋谷そうなんです。いまTikTokでメンバー全員が「渚サイコー!」のルンルンダンスというものを披露していて、1日1回投稿するようにしています。可愛くてまねしやすい振り付けなので、みなさんにも踊っていただけたらいいなあと。――ミュージックビデオの撮影で印象的だったことはありましたか。渋谷卒業後一歩踏み出すことや葛藤といった心境を表現するため、ひとりのシーンを撮影させていただいたのですが、その際、赤いドレスを着て海辺に行ったんです。そこでは撮影前日から、ずっと大雨が続いていたのですが、その撮影の時間だけ太陽が出て晴れて、また次の日から雨になって。しかも、撮影が終わったとたんに雨がまた降ってきたので、天気も味方してくれたようで、すごくうれしかったですね。上西怜。2001年5月28日、滋賀県生まれ。A型。154.5cm。将来の夢は芯の強い女性になること。上西全員で協力して作る、すごく体力を使うダンスのシーンがあって、撮影の前にダンスの先生も含めたメンバーみんなで円陣を組んだんです。いままでたくさんのシングルに参加させていただいてきましたが、初めて円陣を組んだところ、そのパワーなのかどうかわからないんですが、まったく疲れなくて。凪咲さんが真ん中にいてくださるからこそ、みんな笑顔で踊れて心がひとつになれました。山本全員の撮影シーンが終わった後に、空に虹がかかったので、この曲は絶対大ヒットする!と。天候にも恵まれて、凪咲さんの力だと思いました。青原凪咲さんをみんなで見送るシーンがあるんですが、全員が笑顔で、いつもの仲良しのNMB48の雰囲気がそのままそのシーンに表れていました。また、先ほど怜さんもおっしゃられていたんですが、凪咲さんが真ん中にいてくださることで全体の雰囲気もより明るくなっているように感じました。――カップリングの「人生は長いんだ/渋谷凪咲 with かまいたち,ダイアン,見取り図」は、渋谷さんの親交のあるお笑い芸人さんが参加されたフォーク調の軽やかな楽曲ですね。渋谷かまいたちさん、ダイアンさん、見取り図さんには、この11年間本当にお世話になって感謝しています。みなさんがいなかったらいまの自分はないぐらい引き上げていただいた11年間ですし、アイドル人生最後で最大のわがままだと思って、ご一緒に…と楽曲をお願いさせていただいたところ、本当に快く「凪咲のためになるんやったら」とOKしていただいて。大人気のみなさんが集まることなんて奇跡ですし、本当にありがたくて、幸せです。――ミュージックビデオでは、かまいたちの濱家隆一さんがギターを弾いていて驚きました。渋谷本当に濱家さんがギターを弾かれていて。「やるならコードもちゃんと覚えるわ」と、ずっとギターの練習をしてくださいました。みなさんのスケジュールが合うのが、とある日の午後10時から深夜2時までの4時間だけだったのですが、その前もみなさんずっとお仕事が詰まっているなか、急いで来てくださって。撮影中はすごく楽しくて、「青春やなあ」というような、あったかくて優しい笑顔があふれていて、本当にありがたいことだなと。11年間がんばってよかったと幸せに浸っていました。こうしてみなさんとご一緒させていただけたのも、NMB48に入ったからなので、あらためてNMB48に入ってよかったと思いました。さらにミュージックビデオでは、ずっとやりたかった横揺れする夢も叶いました(笑)。みんなチェックの衣装でそろえたりと、まるでチェッカーズのようで、私の大好きな昭和レトロな感じも入っているんですよ(笑)。また歌詞が上京がテーマになっているので、これまで私が大阪から東京に来るときに利用するなど思い出が詰まっている品川駅で撮影したり、新幹線ごしに歌ったりするシーンも。ダイアンさんたちも大阪から上京されていますし、聴いてくださるみなさんにとっても、どこか心に響くところがあって、優しく背中を押すことができる曲になったらいいなと思っています。――カップリングといえば、「Type-A」にはチームNの新曲「ジンクスとゲンカツギ」が収録されています。渋谷この曲はミステリアスで、イントロから不思議な世界観に引き込まれます。「ジンクス」をこれから「ゲンカツギ」という言葉に変えようというような歌詞なんですが、秋元先生からこの言葉を教えていただけてよかったなあと。――Type-BにはチームMの新曲「職員室に行くべきか?」が収録されています。上西大人になりたくないと思いながらも、主人公が成長していくような歌詞で。その歌詞に合わせて、どんどん大人の階段を登っていくようなイメージの振り付けになっています。私自身も、たまに反抗的な態度を取ってしまったり、まわりから「子どもと大人の間だね」と言われることがたまにあるので、自分に重ねて聴けるところも。同じように悩んでいる方にとっても、背中をそっと押してもらえるような歌詞になっているんじゃないかなと思います。――渋谷さんの卒業コンサートが12月にあるんですよね?渋谷はい、2日間あります。「NMB48 渋谷凪咲卒業コンサート day1」が12月16日に、「NMB48 渋谷凪咲卒業コンサート day2」が12月17日に、両日ともAsueアリーナ大阪で開催されます。まだセットリストなどは詳しく決まっていないんですが、2日間あるので1日目はお祭りのよう感じで、2日目は自分らしく、みなさんと笑い合えるような卒業コンサートにできたらと考えています。上西きっと凪咲さんらしい笑いあり、涙ありのライブになりそうだなと。すごくさびしいんですが、楽しみな気持ちもいっぱいです。山本卒業コンサートは、そのメンバーのアイドル人生の集大成ですし、全部が詰まったその人らしいにセットリストになっているので、凪咲さんの卒業コンサートがどんなライブになるのか、いまから楽しみにしています。青原凪咲さんは本当に面白くて笑顔がすごく素敵なので、ちょっとしんみりしてしまったり、いろんな感情になりそうですが、がんばりたいですね。NMB48はきれいなだけではない“魂のアイドル”山本望叶。2002年3月11日、山口県生まれ。B型。162.1cm。将来の夢はスターになること。――お話は変わりますが、最近、おやすみのときはどんなふうに過ごしていますか。渋谷私はずっとやりたかった乗馬に行きました。もともと戦国時代や時代劇などが好きで、武将が本気で命を賭けて戦うところがめっちゃかっこいいなあと憧れていて。武将がさっそうと馬に乗っている姿を見て「乗馬がしてみたい」と、乗馬体験をしに行きました。――実際に、乗馬されてみてどうでしたか?渋谷難しかったですね。私は恐怖心がほとんどなくて、スカイダイビングやバンジージャンプもすぐ飛べるぐらいなんです。馬に乗って走るときに、足で馬のおなかをぽんっと蹴って進んだりするんですが、蹴るのを躊躇してしまって……。するとインストラクターの方から「乗る人は王様という気持ちでいないと人にとっても馬にとってもよくないです」と学ばせていただいて、それからはしっかり自分も女武将として、覚悟を持ちました。馬に乗っているときは「自分は武将なんだ」という気持ちを持ちつつ、馬が進んだら「よしよし」とちゃんと褒めてあげるんですよね。乗馬体験は、私が芸能生活において、これからもいろいろな場所で覚悟を決めていくときの心構えにも通じていると感じました。今後、申し訳ないな、と思うこともたくさんあると思うんです。でも、その場所に行ったからには「自分は選ばれた人なんだ」と自覚を持って挑ませてもらおうと。そして、すべてのことに対して「ありがとうございます」という、感謝の気持ちを伝えていきたいです。上西おやすみといえば、そのたびに家の掃除をしています。ライブの期間は掃除ができなくて、どんどん部屋が散らかってしまうんですが、部屋の汚れは心の乱れだと思うので。掃除するだけで心もすごくスッキリします。あとはもう秋になるので、部屋の模様替えもして、どんどん自分の好きな部屋になっていくのが楽しいですね。山本私はうさぎカフェに行くのが好きで、よく行くところがあるんですが、お気に入りのウサちゃんがいるんです。そのウサちゃんに会いに行くことが、私の癒やしの時間なんですよね。一人暮らしで、うさぎが飼いたくても飼えないので、カフェに行ってその欲を満たしています(笑)。渋谷通ってるんだね?山本通って癒やされています。青原和花。2004年1月6日、大阪府生まれ。A型。155.5cm。将来の夢は世界中の人に笑顔や希望を与えられる人になること。青原私はライブのリハーサル期間があって、なかなかゆっくりできる時間が少なかったので、1日やすみがあると寝ています。母に、本当に心配されるくらいで、この前なんて1回も起きることなく18時間ずっと寝ていました。渋谷NMB48に入りたてのときは、私もそうやったなあ。生活リズムや体力の使い方などもう全然変わるから。出会う人の数もライブで聴く音も浴びる光も、すべて日常生活では味わえない感動をもらっているぶん、慣れていくまではけっこうしんどかったなって。最初の頃は、カラダにまだ免疫がついていなくて、私もめっちゃ寝ていましたね。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、渋谷さんから今後の抱負をお願いします。渋谷ananwebをご覧の皆さんのなかには、NMB48の名前は聞いたことがあるけれど、それほど知らないという方もたくさんいらっしゃると思うので、今回を機会に少しでも私たちにご興味を持っていただけたらうれしいです。NMB48は大阪のアイドルということで、面白いこともしたり、泥臭くさいライブをしたり。みんな汗だくになりながらも、笑顔いっぱいに楽しく踊っている姿はとても魅力的。そんなきれいなだけではない“魂のアイドル”というところも見ていただきたいですね。実際に現場に行きたいとなったら、私の卒業コンサートやクリスマスライブもあるので、お友達を誘って来ていただけたら、絶対に後悔させないと誓います。そして私のことを知ってくださっている方がいるとしたらうれしいですが、NMB48のYouTubeでは「渚サイコー!」のミュージックビデオも観ることができるので、大喜利だけじゃなく、11年間アイドルをやってきた姿もぜひ観ていただければと。これからもNMB48を応援よろしくお願いします。取材後記大阪の難波から全国へと人気が広がっているNMB48。今回ananwebでは渋谷凪咲さん、上西怜さん、山本望叶さん、青原和花さんの4人にインタビューさせていただきました。渋谷さんが乗馬で「女武将として覚悟を持ちました」と話され、その心構えはこの先の芸能生活での覚悟にも繋がるのだというマインドをうかがい、感銘。魂のアイドルグループ、NMB48はこれからも多くの方を笑顔にするに違いありません。そんなNMB48のニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみり写真すべて©UNIVERSAL MUSIC LLC.NMB48PROFILE秋元康さんが総合プロデューサーを務めるアイドルグループ、NMB48(エヌエムビーフォーティーエイト)。東京・秋葉原のAKB48、名古屋・栄のSKE48に続いて、大阪・難波に誕生し、拠点としている。“会いに行けるアイドル”をコンセプトに、2010年10月に活動開始。2011年7月、シングル「絶滅黒髪少女」でメジャーデビュー。2023年3月にニューアルバム『NMB13』、10月4日にニューシングル「渚サイコー!」をリリース。12月16日(13:30より)「NMB48 渋谷凪咲卒業コンサート day1」、17日(16:00より)「NMB48 渋谷凪咲卒業コンサート day2」を両日とも大阪・Asueアリーナ大阪で開催。12月16日(18:00より)「NMB48 クリスマスパーティー 2023」も実施。InformationNew Release『渚サイコー!』(収録曲)01. 渚サイコー!02. 人生は長いんだ / 渋谷凪咲 with ダイアン、かまいたち、見取り図03. ジンクスとゲンカツギ / Team N04. 渚サイコー! (off vocal ver.)05. 人生は長いんだ (off vocal ver.)06. ジンクスとゲンカツギ / Team N (off vocal ver.)2022年10月4日発売※通常盤は3曲目・6曲目以外は全形態共通。※通常盤は初回プレス限定封入特典として、オリジナル生写真(全メンバー57種のうち1枚をランダム封入)あり。(通常盤 Type-A)UMCK-5735(CD+DVD)¥1,676(税込)【DVD収録内容】「渚サイコー!」 (ミュージックビデオ)、「渚サイコー! 」(ミュージックビデオのメイキング)、「渚サイコー!」 (ジャケット撮影のメイキング)(通常盤 Type-B)UMCK-5736(CD+DVD)¥1,676(税込)※3曲目は「職員室に行くべきか? / Team M」、6曲目は「職員室に行くべきか? / Team M (off vocal ver.)」を収録。【DVD収録内容】「渚サイコー!」 (ミュージックビデオ)、「人生は長いんだ」 (ミュージックビデオ)(通常盤 Type-C)UMCK-5737(CD+DVD)¥1,676(税込)※3曲目は「恋のヘタレ / Team BII」、6曲目は「恋のヘタレ / Team BII (off vocal ver.)」を収録。【DVD収録内容】「渚サイコー!」 (ミュージックビデオ)、NMB48 Summer Fes. 2023 〜アッチッチーム祭り〜:「命のへそ / Team N」、「なぜ、僕は立ち上がるのか? / Team M」、「スワンボート / Team BⅡ」、「蕾たち / 9期研究生」(劇場版)PDCS-5005(CD)¥1,047(税込)(収録曲)01.渚サイコー!02.人生は長いんだ / 渋谷凪咲 with ダイアン, かまいたち, 見取り図)03.人生は長いんだ / 渋谷凪咲04.渚サイコー!(off vocal ver.)05.人生は長いんだ(off vocal ver.)取材、文・かわむらあみり
2023年10月05日【音楽通信】第145回目に登場するのは、ダンサー史上初めて日本武道館単独ダンスライブ公演を即日完売させた、結成15周年の世界的ダンスパフォーマンスグループ、s**t kingz(シットキングス)!ダンスに出会った4人が「s**t kingz」になる写真左から、NOPPO、shoji、kazuki、Oguri。【音楽通信】vol.145アメリカ最大のダンスコンテスト「BODY ROCK」で、2010年と2011年に連続優勝した、世界が注目するダンスパフォーマンスグループ、通称「シッキン」ことs**t kingzのみなさん。世界各国からオファーが殺到し、これまで20か国以上を訪問したほか、三浦大知さん、BLACKPINK、BE:FIRSTなど国内外のアーティストの振付楽曲はなんと400曲以上という引っ張りだこのコレオグラファーとしても知られるなど、国内外から絶大な支持を得ています。日本ダンス界のパイオニアとして、常に表現者として挑み続けるs**t kingzが、2023年9月8日に“見るダンス映像アルバム”の2作目となる『踊救急箱(オドキュウキュウバコ)』をリリースされるということで、みなさんにお話をうかがいました。――まずおひとりずつ、ダンスを始めたきっかけとともに自己紹介からお願いします。OguriOguriです。小学校の頃、安室奈美恵さんやSPEED、DA PUMPといった歌って踊るアーティストの人気が高く、僕も好きになって振り付けのまねをしていました。ただ、そこからダンスに踏み出すには、身近にダンスをやっている人もいない時代だったこともあり、そのままになっていたんです。高校1年生の時に、小学校のときにはなかったインターネットが出てきて、そこでダンスを習いたくて検索してみたら、近くにスタジオがあることがわかり、行ったらどハマり。ダンスには、出会うべくして出会いました。影響を受けたダンサーはいっぱいいますが、しいて言うならs**t kingz結成のきっかけにもなったショーン・エバリストというアメリカのダンサーのダンスは当時、ものすごく新鮮で「こういうダンスしたい」という目標でしたね。shoji僕は大学からダンスを始めて、誰かに憧れるというよりは、踊れることそのものに憧れていました。さまざまなクラブなどにダンサーを見に行ったり、少しずつネットでいろいろなダンサーを検索したり、発見するとワクワクして。当初はとにかく僕も「踊れるようになりたいな」という気持ちだけで、ダンスを始めました。shoji/s**t kingzのリーダー。類まれなる発想力と実行力はダンス界だけでなく、多くの業界関係者に影響大。俳優「持田将史」として2020年にTBS日曜劇場『半沢直樹』、NHK連続テレビ小説『エール』に出演。――なぜそんなに踊れるようになりたいと思われたのでしょうか。shojiそもそも音楽が好きなんですが、当時はまわりもそんなにダンスをやってきたことがない世代で、みんなで手探りで練習すること自体が、すごく楽しかったんですよね。お互いに刺激しあって、練習して、みんなで頑張ってできるようになろうという環境そのものがすごくワクワクしたんです。NOPPOダンスも、入りやすいヒップホップやジャズでもなく、レゲエから始めたんでしょう?振り切り方がすごい(笑)。shojiそうだね(笑)。当時少しずつレゲエがクラブでもかかり始めていて、レゲエだけのイベントも開かれるようになって、その盛り上がり始める流れに入って開拓している感じも楽しかったというか。日本の中でまだ完成しきっていない世界に入っていく感じがあったかもしれないね。kazuki僕は兄もダンサーなんですが、兄が小学生の頃にダンスをやりたいと言い出したことが、ダンスをするようになったきっかけです。地元が神奈川県にある湘南の田舎町で、近くにダンススタジオがなく、両親が隣町ぐらいまで踊れる人を探して、公民館でダンスのクラスのようなものを兄のために開いたんですよね。みんな踊れないんですが、最低5人はいないとクラスを開けないので、親と兄と兄の友達といった具合に人を集めて、身内だけでレッスンしているのを見ていました。僕も踊りたかったんですが、年齢制限があったので入れなくて。その間、ダンスしたい気持ちがどんどん大きくなって、その後参加できるようになってからは、兄のまねをしてダンスを始めました。みんなで踊ることが楽しくて、毎週レッスンの日は楽しかったです。kazuki/幼少の時期から才能を発揮、ジャンルの垣根を超えたダンススタイルに定評あり。群を抜く振付力・演出力でK-POPアーティストや木村拓哉、Nissyなどの大規模ライブの演出を数々担当。――お兄さん以外にkazukiさんが影響を受けたダンサーの方はいるのでしょうか。kazuki小中学生の頃はまだYouTubeもなかった時代なので、テレビで芸能人が踊っている姿ぐらいしか見る機会はなくて、東京のダンス状況も知りませんでしたね。ただ、ダンスをするようになってNOPPOと出会った頃ぐらいからは、ダンサーっていっぱいいるんだなとわかったときがあって。僕は湘南の中でも田舎町に住んでいるというお話をしましたが、NOPPOは湘南の中でも都会のほうに住んでいて(笑)。その都会のダンススタジオ主催のコンテストに僕は仲間と出て、NOPPOはそのスタジオのレッスン生としてコンテストにも出ていて、いろんな世界があるんだなと子どもながらに思って、それからはNOPPOと同じスタジオに通うようになりました。NOPPO僕は妹が先に家の近くのダンススクールでダンスを始めて、僕もやってみようかなと、小学校からダンスを始めました。当時はスタジオというものがなく、公民館を借りてレッスンをしていたんですが、習うというよりも遊ぶ感覚でしたね。ダンス以外の時間も友達と一緒にいると楽しくて、ずっと続けていました。その公民館で教えてくれていたダンスの先生はパワフルかつ社交的で、どんどんそのスクールは大きくなっていって、先ほどお話していたようにあとからkazukiが入ってきたり、いろいろなジャンルの先生に出会えたり、ダンスの大会でアメリカへ行ったりとさまざまな経験をさせてもらいました。その先生はいまもダンスをやっていて、湘南では有名なダンススタジオの設立者になって、BE:FIRSTのSOTAもそのダンススタジオ出身です。その設立者の先生のパワーのおかげで、僕も何も考えることなくダンスに夢中になれましたね。NOPPO/恵まれた長身、静と動を兼ね備えた緩急のあるダンススタイルで国内外のファンも多い。俳優「増田昇太」として、Eテレ『天才てれびくん Hello,』に得意のパントマイムで敵役として出演。――みなさんそれぞれの志のもと、kazukiさんがショーン・エバリストのような作品を作るユニットをやろうと2007年に「s**t kingz」を結成されて、今年結成15周年を迎えられました。この15年でとくに印象に残っている出来事はありますか。shojiなんだろうな、いっぱいあるよね?kazukiそうだね、難しいね。Oguriやっぱり海外での活動は、一番印象的ですね。まさか自分たちが海外でも活動するようになるとは結成当初は思っていなかったんですが、アメリカや憧れていたダンススタジオでワークショップをしたり、しかも憧れていた先生がそれを受けに来たり。シッキンのみんなで見ていたYouTube動画のダンスレッスンを受けに行ったら、そこでショーに誘われて一緒にショーに出演したこともあって、これまで信じられないことばかりの海外活動でした。shoji本当、海外は行ってみないとわからないことだらけだったね。Oguri/ロック、ジャズ、バレエ、タップなど幅広いジャンルをカバー。スキルだけでなく、見るものを惹きつけるグルーヴが魅力のダンサー。表現力を活かした演劇の舞台でも俳優「小栗基裕」として活躍中。Oguriあとは10年前に自分たちの舞台を初めて公演したことが、すごくシッキンとしての在り方を大きく変えた、印象に残った出来事です。ダンサーがダンスイベントにただ出演するだけではなく、自分たちで公演を企画して、舞台で自分たちだけの作品をやるということが、すごく大きな活動となりました。――では、15周年を迎えた率直なお気持ちは?shoji実は15年経ったという感覚はまったくないんです。気づいたら15年経っていて、いろいろなことを毎日やっていると、たとえば最初の5周年なんていっさい気づいていなくて(笑)。かろうじて10周年は写真を撮ってイベントもやったんですが、そのぐらいの感じです。ただ、節目があると、あらためて自分たちの活動を振り返ることができるのはうれしいこと。今年は15周年の終わりに武道館公演も決まって、きっと思い出に残るものになって、あとでこの公演があったからこそとまた思える日が来るんだろうなと思うと、いまからもう楽しみです。アニバーサリーだからさらに応援したいと思ってくださる方もいらっしゃるので、そういう意味でもすごく15周年はうれしいですね。ただ、メンバーで「もう15年やってるよね」という話をすることは一度もないです(笑)。NOPPOそう、今度の休みはいつかな? ぐらいしか話していないかも(笑)。ライブがもっと華やかになるための最新作――2023年9月8日にリリースされる『踊救急箱』を作ろうと思った理由はなんでしょうか。kazuki昨年は舞台をやっていたんですが、舞台で披露するための新曲をたくさん用意して挑んでいて。その都度、ライブではやりたいパフォーマンスが変わってくるので、ライブがもっと華やかになるように多彩なパフォーマスができる曲たちを作ろうという話から“見るダンス映像アルバム”の2作目を作ろうということになりました。shojiライブに向けての作品ですね。――収録曲の「No End feat.三浦大知」は、10月に開催されるs**t kingz 日本武道館単独ライブ「THE s**t」のテーマ曲で、3年ぶりの三浦大知さんとのコラボ曲ですね。Oguri大知とはずっと一緒に曲を作りたいと思っていたんです。大知とシッキンの付き合いは10年以上で、まわりの方は「盟友」と言ってくださるんですが、一緒に走り抜けてきて、年齢も近くて。今回、シッキンにとって特別なタイミングでコラボできたのは、僕たちにとっても非常に大きなことです。「これからまだまだ行くぞ!」というようにさらに先を見た攻めた楽曲ができて、それもシッキンや三浦大知らしい。どこでも満足できない、「もっと」と刺激を求める姿勢がそのまま曲に表れているので、すごく好きな曲。毎回、パフォーマンスをするときも気合が入ります。――映像では、闘志が燃えているようなマグマの間から、シッキンのみなさんが降臨するカッコいい作品ですね。Oguriこれまでの世界をぶち壊して、さらに新しい世界を作ってやる、という壊す力と生み出す力が共存した世界を表現しています。少し退廃的ながらエネルギーにあふれている熱量をダンスに、映像に落とし込みました。――アルバムに収録された新曲は、メンバー4人それぞれがプロデュースされている楽曲です。まずOguriさんがプロデュースされた「Bright feat.渡辺大知」は、バラードで、おひとりずつ衣装も設定も違って踊るというよりもお芝居されているような印象の新鮮な映像ですね。Oguriそうなんです。いままでやっていないような楽曲を映像にしたいと思って作りました。小さい頃からバンドサウンドやフォーキーなサウンドにグッとくることがあって、たとえばウルフルズのような世界観も好きで、ボーカルは強いよりはいい意味で弱さや情けなさや愛らしさがあるボーカルがいいなと思ったときに、渡辺大知さんがすごくいいなと。以前、渡辺さんが出演された舞台を拝見したとき、歌声に聴き惚れて、自分の楽曲を作る機会があれば歌ってほしいと声をかけさせていただきました。負けをテーマにしている楽曲なんですが、負けている人はすごく魅力的。負けたことを全面で受け止められる人がすごくかっこいいから、そういうキャラクターのある映像にしたいと考えて、曲や映像のテーマを渡辺さんとたくさん話し合って、完成しました。――kazukさんがプロデュースされた「KID feat. LEO(ALI)」はどのようなことを意識して作りましたか。kazukiこの曲は「ライブで一番輝く曲にしたい」と思って作りました。そもそもライブで映えるためには、どうしても僕らを照明で照らさなくてはいけないですよね。暗がりの中で歌っていても響くけれど、ダンスは視覚的なものなので、暗がりの中で踊っても見えなかったら意味がないシーンが多いから、どうしても照明のパターンが似たり寄ったりになることが腑に落ちない部分も。そのバリエーションの少なさを払拭するためにも、そしてお客さんとダンス以外でシンプルに盛り上がれる楽しい曲を作りたいと“タオルをまわす楽曲”として、作っていって。LEOさんとは面識がなかったんですが、魂で歌っているような歌声やパフォーマンスがかっこいいとSNSで知っていて、今回オファーをするとすぐOKの返事をいただきました。1度目に仕上げてくれた楽曲があったのですが、説明が足りなくてもう1度となって、僕の抽象的な説明にもすごく理解をしてくれて、この楽曲ができました。それからさらにブラッシュアップして、最終的にはイメージしていた通りの楽曲になっています。大事なサビのパフォーマンスでは、いっさい踊らずにタオルをまわしているだけで、それ以外のパートもタオルを使ってうまくダンスできないかと思って作ったので、ライブで披露することが楽しみですね。――shojiさんがプロデュースされた「Get on the floor feat.MaL, ACHARU & Dread MC」はどのような点を意識して作られましたか。shoji今回、ライブを見据えて作ったアルバムでありながら、一番ライブを見据えていない楽曲を作ったのが僕なんですけど(笑)。昔、クラブでシッキンが踊るときは、出番が5分といった短い時間だったので、その5分で体力を使い切るような作品をずっと踊っていた時期がありました。でも、最近そこまで激しい曲はなかったかもとふと思い、あらためて「5分で体力を使い切るような踊りを作ろう」と思って作ったのが「Get on the floor」なので、みんながライブで踊りたくないと言っています(笑)。Oguri・kazuki・noppo笑。shoji約2時間あるライブのどこにこの曲を入れれば、みんなが最後までステージに立っていられるんだろうと心配になるぐらい、激しい曲ができました。もともとアフリカの音楽が好きなので、大好きなリズムに乗って、こうして体力を使い切る曲ができて、僕は大満足です(笑)。――ではライブでどこにこの曲が入るのか楽しみにしています(笑)。shojiはい、最後まで全員が立っていられたら奇跡だと思って、みなさん見届けていただけたらうれしいです。――NOPPOさんがプロデュースされた「Live like you’re dancing feat.ZIN」はいかがでしょうか。NOPPOこれもライブを見据えて作った楽曲で、この曲を聴いてきてくださるみなさんもカラダが揺れてしまうような楽曲にしました。当初、実はZINくんともうひとりボーカルを依頼する方を悩んでいて、最終的にOguriにも相談して「ZINくんのほうが低音とファルセットの高音の感じがすごく色気があって、高低差も素敵でいいのでは」と言ってくれたことが決め手になりました。ZINくんにお願いさせていただくと、こころよく受けていただいて。ZINくんはシッキンのことも知ってくれていて、この曲のミーティングをしたその3時間後には、もう歌入りの曲を仮ですぐ出してくれました。――はやいですね!NOPPOそう(笑)、そのスピード感もかっこよくて、ほぼ仮と変わらないぐらいの楽曲が完成しました。ZINくんは天才肌で、思いを音楽に作り上げる精度の高さを感じています。映像は、ソロで全部プロデュースできる曲であれば、普段は僕らができないようなチャレンジをひとつ入れたくて、鏡を使うような手のかかるものを入れてみたり。もともと物を使いながら踊るのも好きだったので、パントマイムみたいなものも入れてみたりと、チャレンジした楽曲でもあります。ダンスの新しい楽しさを発見し続けたい――9月8日からは、全国7都市をまわる『s**t kingz Dance Live Tour 2023「踊ピポ」」ツアーを行い、10月25日には『s**t kingz Dance Live in 日本武道館「THE s**t」』公演が開催されます。Oguri「踊ピポ」は“とにかく楽しい”を掲げてやり通したいです。日本武道館公演では、15年間僕らが積み上げたものを一度、全部吐き出す場所。未来はいろいろなことが待ち受けているけれど、次に進むためにもこの武道館という特別な場所で、s**t kingzと僕らを応援してくれているみんなと全部を出し切って、次に進めたらいいなと思っています。shoji最近s**t kingzを知ってくださった方も多いなか、まだ僕らのライブへ来たことがない方もたくさんいらっしゃるんですよ。この間『音楽の日』というイベントのテレビ出演をさせていただいたことをきっかけに、s**t kingzを知って「踊ピポ」のライブチケットを買ったという方とかもいらっしゃるようで、すごくうれしくて。そういう初めてライブに来る方々にとっても最高の入り口になる、ダンスのいろんな楽しみ方が味わえる場所が「踊ピポ」なので、気楽に遊びに来てほしいですね。日本武道館は“祭り”。最高の“打ち上げ花火”をぶちかましていきたいです!kazuki「踊ピポ」は久しぶりの生バンドを引き連れての全国ツアーで、アルバム『踊救急箱』が出るタイミングなので、この曲たちを中心にいろいろな演出を広げていきたいなと。そして多くの方が知っているような曲はやるつもりですし、期待を裏切らない内容なので、楽しみに来てほしいですね。武道館公演は……(しばらく悩んでから)打ち上げ花火です(笑)!Oguri・shoji・noppo笑。NOPPO「踊ピポ」は3人と同じ気持ちですし(笑)、僕らのダンスをみんなに知ってもらえるツアーになりますし、みんなでカラダを動かして踊って楽しむライブになります。武道館は……打ち上げ花火(笑)!――では最後に、リーダーのshojiさんから「s**t kingz」の今後の抱負を教えてください。shojiきっと今度は20周年を迎えたときには、まったく違うことをしていたら楽しいだろうなと思っていて。もちろんダンスを軸に活動をすることは変わりませんが、いままでも舞台をやったり、10周年で初めて生バンドを引き連れてビルボードでライブをやったり、15周年は日本武道館の単独公演だったり。節目ごとにいろいろな挑戦をしてきましたが、次に20周年となったときには「s**t kingzはこんなこともやってるんだな」と感じてもらえるように、常に形を変えながら、ダンスの新しい楽しさを発見し続けていけるグループでいたいと思っています。取材後記日本のダンス界を牽引してきた、世界が注目するダンスパフォーマンスグループのs**t kingzのみなさん。撮影する際、少し動きのある写真も撮りたいんですと相談すると、「いいですよ!」と快く引き受けてくださり、いろいろなポーズをとってくださったカットも。笑顔でインタビューに応えてくださるときは穏やかに、ひとたびポーズをとればビシッとカッコよくキメてくださる瞬発力と大人の魅力に脱帽です。そんなs**t kingzのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・園山友基 取材、文・かわむらあみりs**t kingzPROFILEshoji、kazuki、NOPPO、Oguriの4人からなる、世界が注目するダンスパフォーマンスグループ、s**t kingz。オリジナルの舞台公演は毎回大好評で、2018年秋の第4作目となる「The Library」では、全国7都市、全30公演を実施。2020年6月には初のオンラインライブを成功させ、世界12の国と地域からの視聴で話題となる。2021年1月には、ダンサー発としては異例の全曲オリジナル楽曲で作り上げる「見るダンス映像アルバム」となる『FLYING FIRST PENGUIN』(Blu-ray)を発売、歌唱しないダンスアーティストとしてテレビ朝日「MUSIC STATION」に出演した。2023年9月8日に“見るダンス映像アルバム”の2作目となる『踊救急箱』をリリース。9月8日から全国7都市をまわる『s**t kingz Dance Live Tour 2023「踊ピポ」」ツアー、10月25日は『s**t kingz Dance Live in 日本武道館「THE s**t」』公演を開催。InformationNew Release『踊救急箱』(収録曲)1.「えがお! feat.PES」2.「TRASH TALK feat.Novel Core」3.「衝動DO feat.在日ファンク」4.「Get on the floor feat. MaL,ACHARU & DREAD MC」shojiプロデュース5.「KID feat.LEO(ALI)」kazukiプロデュース6.「Bright feat.渡辺大知」Oguriプロデュース7.「Live like you’re dancing feat.ZIN」NOPPOプロデュース8.「心躍らせて feat.上野大樹」9.「No End feat.三浦大知」2023年9月8日発売(通常盤)GTCG-0787(Blu-ray)¥6,050(税込)発売・販売元:アミューズ【内容】Blu-ray収録曲(本編9曲+特典映像)、歌詞カード【特典映像】120分を超える豪華内容を収録1/1.5年分のシッキン密着映像2/ディレクターズカット版ダンス映像(完全数量限定盤)GTCG-0786(Blu-ray)¥16,500(税込)発売・販売元:アミューズ*豪華BOX仕様。【内容】1.Blu-ray(本編9曲+特典映像)※通常盤と同じ2.歌詞カード3.フォトブック(36P)4.オリジナルカセットプレイヤー5.カセットテープ(A面:踊救急箱メガリミックス/B面:シッキンベストメガリミックス)6.オリジナルアイマスク7.ポストカード(5枚)8.オリジナルカレンダー(2024年1月〜12月)9.オリジナルBOX【特典映像】120分を超える豪華内容を収録1/1.5年分のシッキン密着映像2/ディレクターズカット版ダンス映像写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり
2023年09月02日【音楽通信】第144回目に登場するのは、俳優としても歌手としても活躍し続け、デビュー10 周年というアニバーサリーイヤーを迎えた、大原櫻子さん!母の誕生日に歌を贈ったことで歌が好きになる【音楽通信】vol.1442013年に映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる』の全国ヒロインオーディションで5,000人の中から抜擢され、スクリーンデビューと同時に、劇中バンドとしてCDデビューを果たした大原櫻子さん。2014年にはシングル「サンキュー」で、本格的にシンガーとしてデビュー以降、歌手活動とともに役者としても数々のテレビドラマや舞台へ出演。2013年の俳優&歌手デビュー、2014年のソロデビューからそれぞれ10周年となります。そんな大原櫻子さんが、2023年8月30日にミニアルバム『スポットライト』をリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――あらためて、音楽に出会ったきっかけから教えてください。子どもの頃、家族は松田聖子さんを聴いていて私も好きになったり、家族でカラオケに行って初めて私が歌ったのは「青い珊瑚礁」だったり。なかでも、いまもよく覚えているのは、小学生のときに初めて「歌で人は感動してくれるんだ」と実感したときのことです。母の誕生日に、「今日は誕生日プレゼントに歌を歌います」とBoAさんの曲「Every Heart -ミンナノキモチ-」(2002年)を歌ったら、「いいねえ」と母が言ってくれたことがきっかけで、歌を歌うことが好きになりました。――大原さんが芸能の道を志したのは、小学校の頃に観た海外版のミュージカル『アニー』に影響を受けたそうですが、親しみやすい日本の作品ではなく外国のミュージカルに惹かれたのはなぜなのでしょうか。不思議なんですが、小さい頃からアメリカの映画が大好きだったんです。当時、たまたまテレビをつけたら、海外版のミュージカル『アニー』が放送されていて。すぐに録画をして、その後もビデオを何度も観るようになりました。アニーが歌っていたテーマソング「トゥモロー」を歌いたい! と思ってまだ英語がよくわからないなりに、歌詞を聴きながら全部カタカナに直して、歌えるように練習していました。――まだ子どもの頃に、英語の歌を聴いて歌詞をカタカナにして書いて、自分で歌ってみるとは賢いお子さんだったんですね。いえいえ、わからないなりにまとめていただけなんですよ。でもそれ以降、ミュージカルの英語の歌は全部自分なりに訳して歌っていましたね。あとはBoAさんの曲もそのときよく聴かせていただいていたので、韓国の曲も聴いてカタカナに直して、韓国語の歌にも頑張って挑戦していました。――すごいですね。その後、2013年には映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる』で俳優とCDの同時デビューをされました。劇中バンド「MUSH&Co.」として、ボーカルを大原櫻子さん、ギターを吉沢亮さん、ドラムを森永悠希さんというメンバーでしたね。そうです。このときのこともすごく覚えていて、まだ人前であまり歌うことがなかったんですが、映画の撮影で野外のステージで歌うシーンがあって。初めて1500人ぐらいのお客さんの前で歌ったんです。しかも、雨もちょっと降っていて、寒くて手がかじかんでいたので、カットがかかる度に吉沢さんと森永さんと一緒に、お湯に手をつけたりしてほぐしていました。――印象深い出来事だったんですね。もともと歌でもデビューするとは聞いていなかったから、より印象深くて(笑)。映画のオーディションに受かって、さらに3人で本当にデビューするとは思っていなかったんです。CDのジャケット撮影をしたときも自分の顔が前面に出たデザインで、吉沢さんと森友さんは私の頭の後ろからちょこっとのぞいているというデザインで驚きました(笑)。発売されたときに、タワーレコードで1日店長をさせていただいたんですが、ショップにCDとして自分の顔が並んでいて…。――「MUSH&Co.」のCDのジャケット写真は、大原さんのお顔のアップなのでインパクトがあったのですね。そして、2014年11月にシングル「サンキュー」で本格的にシンガーとしてデビューされました。俳優と歌手デビューから、10周年となりますね。はい、あっという間の10年でした。ただ、17歳から20歳までは記憶がないぐらい、駆け抜けていたように思います。唯一初めてのレコーディングは全部覚えていますが、初めての映画、初めてのドラマ、初めてのラジオ…と初めての経験がいっぱいで、力の抜き方もわからない。だから、毎日全力でやっていましたね。――最初の3年間は覚えていないぐらい忙しかったということは、4年目ぐらいからオンとオフのメリハリがついてきたんですか?そうですね、映画、歌、ドラマと携わらせていただくなかで、20歳でやっと舞台にも出演させていただくようになって。岸谷五朗さんと寺脇康文さんの演劇ユニット、地球ゴージャスさんの演劇が初舞台となり、公演期間に20歳を迎えたので、この頃からは初めてのことが少なくなって落ち着いてきました。「シンプルな大原櫻子になった感覚」の新作――2023年8月30日に、ミニアルバム『スポットライト』をリリースされます。まず1曲目「寂しいの色」は、7月に先行配信されたピアノから始まるしっとりとしたナンバーですね。「寂しいの色」は、これまであまり歌ったことのないメロディで、ミニアルバムのためにさまざまな曲を聴かせていただいた中でも突出して「この曲を歌ったら新しい自分が見えそうだな」と感じた楽曲です。仮歌を歌った段階で、自分のカラダへの染み込み方がいままでとちょっと違う感覚もありましたし、新しい私を発信できる曲なので、収録しました。――2曲目「Hello My Fave」は、一転してアップテンポなナンバーです。すごく元気な曲ですし、最初に曲を聴いた段階で、私が歌ったらのびやかな曲になるなあと思いました。ライブでみんなと一緒に踊る曲もたくさんあるんですが、コロナ禍を経て、いまどんどん声出しが解禁していて、またみんなで歌う喜びをすごく感じているんです。そこで、またライブで盛り上がるような曲が欲しくて、この曲を選びました。――3曲目「どうして」は、片想いの心情が伝わる楽曲です。これも最初に仮の曲が来たときにほかの候補曲をいろいろと聴くなかで、この曲のサビの「どうしてこんなにも」というフレーズがずっと頭の中でまわっていて、気がついたら口ずさんでいるような楽曲でした。歌詞はその「どうして」というフレーズが頭に残っていたのもあり、片想いの歌詞をもっと広げて作っていって。切なさがありながら、でもメロディラインはネガティブな感じじゃないところも、この曲の好きなところです。――4曲目「JUMP」は、今年6月に配信リリースされたデジタルシングルのポップな曲です。「JUMP」はライブでも解禁をしまして、今回も歌詞を(元チャットモンチーのメンバーで作家の)高橋久美子さんに書いていただいています。10周年となると、これまで楽しいことも苦しいこともさまざまなことがあるなかで、いつもライブに行けばファンのみんなが笑顔をくれて、ファンのみんなが私を照らしてくれる太陽のような存在だと伝えたい気持ちを高橋さんにも伝えて、歌詞を書いていただきました。――5曲目「星の日」は、昔の出来事に思いを馳せる曲ですね。最初に曲を聴いたときに、大切な人との思い出を振り返る曲だと感じて、聴く方にとっても友達や大切な人との思い出をあらめて振り返るような曲になればと。(元ねごとのメンバーでシンガー、作詞家の)蒼山幸子さんに歌詞を書いていただいたんですが、うまく言葉にできないけれど思っていたことをちゃんと歌詞で言ってくださる方。この曲の歌詞だと「あの頃のばかな季節」とあって、それだけで友達とわいわい過ごしていた日々をすごく思い出すように感じています。――6曲目「bitter sweet cinéma」はミニアルバムのリード曲ですね。ミュージックビデオもストーリー性のあるものでした。タイトルにもシネマとありますが、ミュージックビデオでも映画館で撮影するなど、少し映画っぽく撮影しているシーンもあります。私がデビューしたのが、それこそ映画のオーディションで、映画という存在がまず大きくて。この曲を最初に聴いたときに、すごくキラッと明るいメロディに、切なさや悲しさも含まれている歌詞を見て、なんだか人間の人生を描いているなと感じました。私のお仕事も、キラキラして見えるかもしれないけれども、裏では毎日の努力があって、それこそ悲しい日も苦しみもあるという人間くささこそが、人生。まさに映画は、ひとつの物語があって、そういった人間模様を歌でもミュージックビデオでも表現できたんじゃないかなと思います。この曲は、映画の主人公になったような気持ちで歌いました。10年後の私だからこそ、歌える曲になりました。――聴き手にはどのように今作を聴いてほしいでしょうか。今回は、J-POPの最前線で活躍する制作陣が参加してくださっていて、新しい方との曲という部分で、歌の表現もこの1枚ですごく変わった感覚がありました。だからこそ、難しかった部分もあるんですが、出来上がりを1曲ずつ聴いてみると、私らしさが引き出されたと思いました。いままでずっと聴いてくださっている方には、「こんなふうにも表現するんだ!?」という驚きももしかしたら感じられるんじゃないかなと。10年間にやってきたいろいろな技術や考え方があったうえで、いままでもしかすると必要のないことも歌に入ってしまっていたところが、今回は、そういった余計なものが削ぎ落とされて、シンプルな大原櫻子になった感覚ですね。――2023年10月からは、Zeppツアー2023「大原櫻子10(点)灯式」を全国で開催されます。前回のツアーではシングル曲を多く演奏していたのですが、今回はミニアルバムの曲も絶対やりたいですし、新しい楽曲を歌うことになりそうという部分では、お客さんは新鮮だと思います。このミニアルバムが10周年イヤーのスタートになる作品なので、前回とはガラッと構成を変えていきたいですね。10周年以降も感謝を伝えながら楽曲を届けたい――8月3日から、松田元太(Travis Japan)さんとW主演されているドラマ『結婚予定日』(MBSほか毎週木曜深夜0時59分ほか)が放送されていますが、撮影は順調ですか?とても順調に進んでいます。ただ、松田さんとは、息が合わないようにするための息の合わせ方をすごく勉強しています(笑)。というのも、同じ会社に務める関係性の役なのですが、松田さんはエースだけどミステリアスな役どころで、私は恋に不器用なOLという役。なので、同じテンションの関係性ではない役というところがすごく難しくて。監督いわく「会話のリズムが成り立たないほうが正しい」というふたりなので、あえて息が合わないように意識しています。――ドラマでしっかり拝見しますね。撮影や歌手活動などご多忙だと思いますが、おやすみの日はどんなふうにお過ごしなのでしょうか。やすみの日でもだいたい8時か9時ぐらいには起きていますね。朝ご飯を作って、食べて、運動して、お昼ぐらいから「何しようかな?」という感じになります(笑)。それからは友達と会ったり、マッサージなどカラダのメンテナンスに行ったり、映画を観たり。あとはコロナ禍以降、家でできることをしようと料理が好きになったので、何かしらの料理を作っていますね。――最近作った料理はなんでしょうか?タモリさんの生姜焼きです。――あ! 『タモリ倶楽部』(1982年〜2023年放送)の最終回で披露されていた料理ですね?そうです(笑)。作ってみたら、おいしかったですよ。最近だとあとは麻婆カレーを作りましたね。――お料理もされていて、健康管理もしっかりされているんですね。健康オタクです。――最近美容面で気をつけていることは?毎朝、たくさんアボカドを食べています。ビタミンが摂れて、むくみも取れるんですよね。とはいえ、いまはアボカドですが、自分の体調によって食べるものを変えています。体重が増えたときは、エノキ茸をひたすら食べたりして。栄養素を調べることが好きで、エノキ茸の場合だとエノキタケリノール酸というものがあって、脂肪を燃焼するといわれていることなどを調べて、食べていますね。でも…忙しくなると、なんにもできないです(笑)。あとは運動していますね。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、今後の抱負を教えてください。10周年イヤーということで、“大原櫻子の物語”をファンの人と一緒に作っていきたいです。みなさんに楽曲を届けながら、ライブも一緒に作っていきたいなと。そして10周年にとどまらず、その先もみなさんに感謝を伝えながら、寂しさに寄り添えたり人生を楽しめたりするようなイベントや楽曲を届けていきたいですね。取材後記歌手活動に、俳優活動に、ジャンルレスに大活躍されている、大原櫻子さん。今年は10周年というアニバーサリーイヤーに突入されたということで、今後さらに歌でもドラマでも舞台でも、さまざまな姿を披露してくれるに違いありません。そんな大原さんのミニアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみり ライブ写真・タマイシンゴ大原櫻子PROFILE1996年1月10日、東京都生まれ。日本大学藝術学部映画学科卒業。2013年、映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる』全国ヒロインオーディションで5,000 人の中から抜擢され、スクリーン&CD 同時デビューを果たす。2014年、女優として『日本映画批評家大賞 “新人賞”』、歌手として『第56 回輝く!日本レコード大賞” 新人賞”』を受賞。2015年には第93回全国高校サッカー選手権大会応援歌「瞳」で『第66回NHK紅白歌合戦』に出演。以降、歌手活動と並行して、数々のテレビドラマや舞台へ出演中。2023年 第30回読売演劇大賞 杉村春子賞、受賞。8月30日、ミニアルバム『スポットライト』をリリース。InformationNew Release『スポットライト』(収録曲)01.寂しいの色02.Hello My Fave03.どうして04.JUMP05.星の日06.bitter sweet cinema2023年8月30日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)VICL-65871(CD)¥2,420(税込)(初回限定盤A)VIZL-2223(CD+Blu-ray)¥8,250 (税込)【Blu-ray収録内容】・「bitter sweet cinéma」Music Video・「bitter sweet cinéma」メイキング映像・「10( 天) まで届け!!」2023.05.11@EX THEATER ROPPONGI収録曲:明日も / Jet Set Music! / 真夏の太陽 / 無敵のガールフレンド / 泣きたいくらい / 初恋 / 瞳 / STARTLINE / Door / Fanfare / JUMP / Joy&Joy / Ready Go!! / 青い季節 / 踊ろう / 遠くまで(初回限定盤B)VIZL-2224(CD+フォトブック)¥4,620(税込)取材、文・かわむらあみり ライブ写真・タマイシンゴ
2023年08月16日【音楽通信】第143回目に登場するのは、魅力にあふれる個性がきらめくハロー!プロジェクトの新世代アイドルグループ、OCHA NORMA(オチャ ノーマ)!OCHA NORMAが「この10人でよかった」写真左から、斉藤円香、田代すみれ、北原もも。【音楽通信】vol.1432022年7月に1stシングル「恋のクラウチングスタート/お祭りデビューだぜ!」でデビューした、OCHA NORMA。同年12月に「第64回 輝く!日本レコード大賞」新人賞を受賞、2023年に「第37回 日本ゴールドディスク大賞」の「ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」と「ベスト5ニュー・アーティスト」の2部門を受賞するなど、注目を集めるハロー!プロジェクトのアイドルグループです。そんなOCHA NORMAが、2023年7月26日に3rdシングル「ちょっと情緒不安定?…夏/オチャノマ マホロバ イコイノバ ~昭和も令和もワッチャワチャ~/シェケナーレ/ヨリドリME DREAM(ミドリ)」をリリース。メンバーを代表して、斉藤円香(まどか)さん、田代すみれさん、北原ももさんにお話をうかがいました。リーダー 斉藤円香。2002年10月28日、埼玉県生まれ。O型。趣味はディズニーの映画鑑賞やグッズを集めること、テレビゲーム。――おひとりずつ自己紹介からお願いします。斉藤OCHA NORMAのリーダーをやらせていただいています、斉藤円香です。座右の銘は「和顔愛語」といって、穏やかな心で接するという意味の言葉で、物心ついたときから、父に「穏やかな心の女の子になってほしい」と言われていました。それからはずっと、この言葉を自分の胸に刻んでいます。田代田代すみれです。座右の銘は「失敗は成功のもと」です。何かを経験することで最初は失敗してしまうこともあるけれど、絶対にそれは自分にとってプラスになるので失敗を恐れずにやっていこう、失敗があってこその成功という思いを持っています。北原北原ももです。座右の銘は「いつも太陽のほうを向いて」というヘレン・ケラーさんの言葉。もともと私が下を向いてしまう性格なので、この言葉を聞いたときに「太陽のほうを向いて、前を向いて私も頑張っていきたいな」と思って、ハロプロ研修生の頃からずっとこの言葉を掲げて活動しています。――では続いて、メンバーのみなさんがどんなキャラクターなのか、本人以外のメンバーから他のメンバーのことを教えていただけますか?斉藤私、斉藤が思う田代すみれちゃんは、顔がまず美人すぎるということ(微笑)。すみれちゃんはハロプロ研修生からではなく、一般オーディションからOCHA NORMAに加入したので、当初活動で不安なことなどいろいろな相談を聞いていたんですが、デビューして1年経って、変わったなと。パフォーマンスもトーク部分も表情も堂々としていて、キラキラしているアイドルになったと思います。一方、ギャップがあるのは、楽屋でもすごく面白いですし、ワードチョイスにセンスがあります(笑)。田代ふふふ(笑)。斉藤円香ちゃんは私が加入したばかりの頃から助けてくれる存在で、うれしい言葉です。そして、私が見てきた北原ももちゃんを紹介しますね。すごくパフォーマンスがうまくて、ダンスにおいても自分の見せ方をよくわかっているから、見ていて気持ちいいですし、歌も本当に上手で、大好き。OCHA NORMAの中でも、パッションが効いているタイプです。田代すみれ。2005年6月16日、神奈川県生まれ。趣味は音楽を聴くこと、写真を撮ること。斉藤そう、ももちゃんは、OCHA NORMAに新しい味を加えてくれています。田代魅力的な存在ですし、楽屋でもよくお話しするんですが、ももちゃんは一見、美しくておっとりしている女性という感じがするのですが、話すと親しみやすくてすごく面白い。お笑い芸人さんが好きなので、そういうところから、日頃の面白さが出てくるのかも(笑)!?北原わぁ、うれしいですね(微笑)。すみれちゃんのことも面白くて尊敬しています。そして、私が思う斉藤円香ちゃんは、リーダーとしてとてもメンバーを支えてくれていて、本当にOCHA NORMAのリーダーが円香ちゃんでよかったなと思うんですよ。メンバー一人ひとりを思ってくれる優しさがあるから、連絡も頻繁にくれて、悩んでいるときも優しい言葉をかけてくれるんです。円香ちゃんは20歳で、メンバーの中では一番年上になるんですが、実は一番年下の15歳の筒井澪心(つついろこ)ちゃんよりも、精神年齢が若い(笑)!斉藤はははは(笑)。北原以前、円香ちゃんと澪心ちゃんと私の3人でディズニーランドに遊びに行ったんですが、一番円香ちゃんがワチャワチャしていて(笑)。一番場を盛り上げてくれる存在で、大好きです。――OCHA NORMAの前身は2019年7月に編成されたハロプロ研修生ユニットで、斉藤さんは最初からメンバーに選抜されていますね。その後、このハロプロ研修生ユニットを新グループとして、2021年6月には北原さん、12月には田代さんが加入されましたが、そもそもみなさんがハロプロに入ったきっかけは?斉藤もともと小さい頃からアニメが好きで、幼少期はテレビアニメ『イナズマイレブン』(テレビ東京系 2008〜2011年)にハマっていて、そのエンディングテーマを歌っていたのがBerryz工房さんだったんですね。それから歌が気になって、ハロー!プロジェクトを知って、さらにモーニング娘。さんにたどり着きました。当時、モーニング娘。さんに所属していた工藤遥さんをすごく好きになって、高校生の時にハロプロのオーディションを受けて落ちてしまったのですが、研修生へのお誘いをいただいて、加入しました。北原もも。2006年8月30日、東京都生まれ。A型。趣味は、もものグッズ集め、イラストを描くこと。田代小さい頃から、テレビ番組でスマイレージさんやモーニング娘。さんがパフォーマンスしているのをリアルタイムで観ていて、ハロー!プロジェクトの存在を知っていました。自分が成長していくにつれて、ハロプロからどんどん新しいグループが出てきて、すごく興味がわいて「私も入りたい」と思って、オーディションを受けたんです。ちょうどハロプロが新メンバーを応募していて、新グループの一期生というところにも憧れて加入しました。北原小学生の頃から『おはスタ』(テレビ東京系 毎週月〜金 午前7:05)という朝の子ども向け番組をずっと観ていて、そこに「おはガール」として出演していた当時アンジュルムの船木結(ふなきむすぶ)さんに朝から元気をもらっていました。番組では「ふなっき歌謡祭」という船木さんが歌うコーナーがあって、「アイドルっていいな」と、ハロプロでアイドル活動をしてみたいと憧れるようになって。母に話すと、モーニング娘。さんのオーディションがあることを教えてくれて、「絶対やってみたい」と挑戦しました。――みなさんいろいろなきっかけから志を抱いて、OCHA NORMAになったのですね。そして2022年7月にメジャーデビューされて、1年経ちましたが、デビュー以前と以降でグループの変化はいかがですか。斉藤メンバーは年齢も出身地も違って、私は結成時からの最初のメンバーで、加入時期が違うメンバーもいるOCHA NORMAですが「この10人でよかったな」と思いますし、この1年を通してグループとしての団結感がすごく増したと実感しています。やっぱりグループとして、たとえば「今回のシングルはこうしていきたいよね」などと話し合う機会も多いですし、話し合いやリリースやライブといったさまざまな活動を重ねるごとに、パフォーマンスでもOCHA NORMAらしさというものを確立してきているので、いまとても楽しいです。3rdシングルは広瀬香美らによる多彩な楽曲――2023年7月26日に、クアトロA面シングル(4曲A面扱いのシングル)「ちょっと情緒不安定?…夏/オチャノマ マホロバ イコイノバ~昭和も令和もワッチャワチャ~/シェケナーレ/ヨリドリ ME DREAM」をリリースしますが、まず「ちょっと情緒不安定?…夏」は、広瀬香美さん作詞作曲のアップテンポなナンバーですね。斉藤はい、広瀬さんに作っていただいただけあって、いままでのハロー!プロジェクトらしさとはちょっと違う感じもありながら、一度曲を聴いたらずっと耳に残るようなフレーズが印象的な曲になっています。最初に澪心ちゃんと西﨑美空(にしざきみく)ちゃんがアカペラふうに歌って、ギターがジャジャジャーン!と入る歌詞の部分があるんですが、そのとき「この曲が始まる!」というライブ感が味わえるところが好きで。私もパフォーマンスしながら、最初からボルテージマックスで聴けるところが、おすすめのポイントかもしれないですね。――同曲のミュージックビデオでは、プールや海辺で夏を楽しむ様子が映し出されていますが、撮影エピソードを教えてください。斉藤ミュージックビデオの撮影時、とても面白かったエピソードがあるんですが、本編では使われていないんですよ(笑)。それはみんなでアイスを食べるシーンで……。北原私と美空ちゃんと窪田七海(くぼたななみ)ちゃんの3人でプールサイドでワチャワチャするシーンがあって、本編ではビーチボールを持っているシーンになっていますが、もともとはアイスを食べるシーンだったんです。撮影は4月でまだ寒かったんですが、みんなでアイスを食べようとしたら、トンビが来て私のアイスを思いきりバクッと食べて、驚きを隠せませんでした!北原あっという間の出来事で、手元を見たらアイスが無くなっていて。その直後にビーチボールを持ってプールサイドの撮影をしているので、実はトンビにアイスを取られた直後だった、という事実をなんとなく感じ取ってもらえたら(笑)。――海辺にいるとトンビが食べ物をねらってきますよね! でもその動画、観たいです。斉藤たまたま米村姫良々(よねむらきらら)ちゃんが動画を撮っていたので、トンビにアイスをさらわれた瞬間が携帯に残っていて、私たちはみんなで共有しました(笑)。――続いて、昭和と令和の違いをダンスミュージックに乗せて歌う「オチャノマ マホロバ イコイノバ~昭和も令和もワッチャワチャ~」の、聴きどころは?田代この歌は全体的にカッコよくて面白い曲になっているんですが、歌以外にも、間奏部分が印象的な曲です。間奏では(バリの民族舞踊にルーツのある)ケチャを取り入れていて、ダンスの振り付けでは、ももちゃんを崇拝するようなところもあって。斉藤そう、「もも様〜!」というような感じで、祀っています(笑)。田代そんななか、みんなで「チャ、チャ、チャ、チャ」と言っていて、まさにワチャワチャしているところが好きなところです。――そして「シェケナーレ」は、7月から放送開始したTVアニメ『シャドウバースF(フレイム)』(テレビ東京系 毎週土曜 午前9時30分)のエンディングテーマとしても流れていますね。北原そうなんです。明るくて、曲中に「シェケ!」と言うところがあるんですが、思わず一緒に言いたくなるくらい、元気な曲になっています。「心躍るまま やってみようじゃん」というように勇気をくれる歌詞が多くて、私自身も歌っているときに、自分に向けても歌っている感じがしていて。なので、聴いていただく方々にも、自信を持ってもらえる曲になっていると思います。みなさんの前で披露する日が楽しみです。――歌詞に果物がいろいろと出てくる「ヨリドリ ME DREAM」は、応援歌のような印象です。斉藤この曲は、昨年11月の1stライブツアーで初披露して以来、ずっとライブ楽曲として歌ってきた曲なんです。果物の名前がたくさん歌詞に入っていて、私のパートでセリフのあるところがあって「お茶の間」と言うと、ファンのみなさんもライブで「お茶の間!」と返してくれて、すごく楽しい楽曲。この曲を歌うときは、衣装もカラフルな果物をイメージしたものを着ていて、鮮やかなOCHA NORMAになっています。――2023年8月5日からは、全国ツアー「OCHA NORMA CONCERT 2023 SUMMER 〜もっとグローイング・アップ!〜」を開催されますね。斉藤そうなんです。ツアー名が「もっとグローイング・アップ!」ということで、私たちが今春行ったツアーは「もっと」が無い「グローイング・アップ」ツアーだったので、まだ詳細は決まっていないんですが、今回はアンコール公演のようなものになるのではと。斉藤春からもっと進化したところを見せたいですね。とはいえ、現時点ではセットリストもまだなので、予想ですが前回は披露できなかった曲などもやるかもしれません。メジャーデビューしてから1年でのツアーでもあるので、成長した姿をお見せできればと思っています。――楽しみですね。ちなみに、徐々に現在コンサート会場での声出しが解禁になっていますが、春のツアーはどのような状況でしたか。斉藤大阪公演だけ、声出しOKでした。NHK大阪ホールで公演させていただいたんですが、めちゃくちゃ盛り上がりました!田代その前までは、声援無しのルールでライブをしていたんですが、大阪公演のときはハロー!プロジェクトの公式としても声出しが解禁になったときだったので、すごい迫力で。来てくださったみなさんが、頑張って声援してくださっていました。北原OCHA NORMAはコロナ禍でデビューしたので、ライブでも声援を聴いたことがなくて、ライブでみなさんからのコールはどうやって歌に入るんだろう? と思っていたんですが、大阪公演では統一感のあるコールを聴かせてくださって。やっぱりみなさん、さすがだな! と思いましたね。――では夏のツアーでは全国で声援が解禁となると、より手応えがありそうです。斉藤楽しみです!「みなさんに知っていただける存在になりたい」――お話は変わりますが、お休みのときはどんなふうに過ごしていますか。田代けっこう家で寝ることも好きなので(笑)、寝ていることもありますが、あとはお友達と遊ぶことが多いですね。カフェ巡りが大好きなので、よくお友達とカフェに行きます。甘党なので、最近はクリームメロンソーダがお気に入り。北原私は基本的に、母とふたりでいろいろな場所にお出かけに行きます。気分転換にイチゴ狩りに行ったり、高尾山に行ったり。あとは、お笑いが好きで、とくにランジャタイさんが好きなので、お笑いライブにもよく行きます。お笑いには、元気をもらっていますね。斉藤インドア派だったんですが、最近のお休みはずっと出かけています。もともとアニメやゲームが好きなので、映画館で好きなアニメの映画を観たり、アニメのコラボカフェに足を運んだり。――最近、どんな映画をご覧になったんですか?斉藤『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』というアニメ作品があるんですが、映画館でアニメのライブ映像を上映しているんです。「DAY1」と「DAY2」というふたつのバージョンがあって、それぞれセットリストも変わるので、ペンライトを持って、映画館で推しの名前を叫んで応援することを楽しんでいますね。――楽しそうです。現実にアイドルの斉藤さんが、映画館でアニメのアイドルを応援する姿は、まわりにバレていないのでしょうか。斉藤バレていないですね。でも、この前初めてアニメショップの前で、「ハロー!プロジェクトのOCHA NORMAの斉藤円香ちゃんですか?」と声をかけられて、ビックリして。初めて声をかけられたので、逆に感動しました(笑)!――きっとOCHA NORMAのみなさんの知名度が上がっているんですね?斉藤うれしいですね。――みなさん、こだわりのコスメやお気に入りのファッションはありますか。斉藤私が好きなコスメは、マスカラです。「Milk Touch」という韓国発のコスメなんですが、まつげが長く見えるのでけっこう使っています。これまではマスカラをコロコロ変えていたんですが、いまはずっとこれだけで本当にお気に入り。お洋服は、スナイデルさん、リリーブラウンさん、ノエラさんといった20代のきれいな女性が着るような服を着るようにしていて。私は精神年齢が低いほうなので(笑)、服装は大人っぽいものを選んでいます。田代スキンケアにこだわっていて、メイクをする前のスキンケアを頑張っていますね。TWICEのメイクさんが監修されている『ウォンジョンヨ』というコスメブランドのシートパックがあって、そのシートをして肌を冷やしてから下地を塗り始めると、とても肌の調子やメイクのりがよくなるんです。だから、欠かさずシートをストックしていますね。お洋服は、最近古着が好きで、服や雑貨を裏原宿にあるお気に入りのお店で見ています。古着以外に、ジュエティさんというブランドのお洋服が好きで、ちょっと個性的で可愛いらしさもあるファッションにハマっていますね。北原私が愛用しているコスメは、韓国コスメ「CLIO(クリオ)」のアイシャドウでピンクの01番です。いろいろなコスメを転々としても、結局これに戻ってきて、アイシャドウが入っている容器の底が見えるくらい、使っているんです(笑)。斉藤なかなかアイシャドウでひとつのものを使い続けるって、ないよねぇ?田代うん、似たような色を買うことも。北原ずっとこのアイシャドウがお気に入りで、リピートし続けています。あとファッションは、個性的な人になりたいです。新曲の「ちょっと情緒不安定?…夏」の歌詞は、メンバーに合った内容になっているらしいんですが、Aメロに「お洒落したつもりでも独特だねと」という私が歌っているパートがあって。いまその歌詞をいただいて、歌詞に似合う人になりたいなと思うようになりました。そういえば、ハロプロ研修生の頃は、服から靴、リュックまで全身紫色でコーディネイトしていた時代があって(笑)、それも個性的かなと着こなしていたつもりでしたね。斉藤面白すぎる(笑)。ももちゃんはスタイルと顔がいいから、どんな服を着ても似合っちゃうんです。北原「あの歌詞が合っているね」と言われたくて、いまはけっこう頑張っているんですけど(笑)。あの頃に戻って「独特だね」と言われたいから、ファッションセンターしまむらさんで服を買ってコーディネイトしてみたりと、工夫をしています。ときどき母のおさがりを着てみたり、あまりほかの人がしないようなこともしていますね。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、おひとりずつの抱負と、リーダーの斉藤さんからは代表してグループの目標を教えてください。斉藤今年は10月に21歳になるので、今年こそ大人っぽくなりたいですね。とはいえ、はやく大人になりたいということではなく、落ち着きのある人間になりたい。話すときにけっこう早口になってしまったり、時間がなくてバタバタしてしまったりすることも多いので、落ち着きがありつつ無邪気な最年長になれたらなと思います。田代OCHA NORMAが結成から2年目になるということで、私たちの存在をもっと広めていきたい、大きくなりたいと考えていて。グループのひとりとして、パフォーマンスを含めたさまざまな活動で、たくさんの方に知っていただけるように努力していきたいですね。北原憧れの先輩、船木結さんが歌もダンスもトーク力も完璧で、オールラウンダーの船木さんのようになりたくて。私は歌もダンスもトーク力も飛び抜けてうまいわけではないので、それぞれをしっかりとできるように頑張りたいですね。そして先日、新メンバーオーディションが発表されて、2024年に新グループが結成されてデビューするんです。いままではOCHA NORMAが「フレッシュで元気なグループだね」と言われてきましたが、今後はよりフレッシュな新グループができるので、私たちは何かの個性を持てるように10人で頑張りたいです。斉藤OCHA NORMAとしての抱負は、今年の7月でデビュー2年目になるので、すみれちゃんも言ってくれましたがみなさんに知っていただける存在になるよう、頑張りたいです。メンバーの中山夏月姫(なかやまなつめ)ちゃんがいま、出身地の石川県加賀温泉郷の観光大使をやっているのですが、メンバーそれぞれ地元のお仕事にも力を入れ始めているので、OCHA NORMAは出身地が全員違うところも生かして、各個人でも地元での活動もしていけたらいいなと。たとえばSNSを活用していくような小さな活動からも、努力していきます!取材後記ハロー!プロフェクトの新星アイドルグループ、OCHA NORMAから、ananwebには斉藤円香さん、田代すみれさん、北原ももさんが登場。デビュー前からライブを観たり、デビュー当時も取材をしたり、この1年を通して活動を拝見して、みなさんアイドルとしての輝きが増しているように感じました。今回お話をうかがったみなさんも三者三様に魅力があり、グループとしてもこれからさらに羽ばたいていくでしょう。OCHA NORMAのニューシングルをぜひチェックしてみてくださいね。写真・園山友基取材、文・かわむらあみりOCHA NORMAPROFILE「OCHA NORMA」とは、みんなが集うほっとする場所(お茶の間)と、ラテン語で「規準/ 基準」という意味の(NORMA/ノルマ)をかけあわせた造語。お茶の間を楽しませる、新世代のスタンダードとなるような存在になってほしい、という願いが込められている。2019年7月、ハロプロ研修生から、デビューに向けてより実践的な活動を通してスキルアップを目指すハロプロ研修生ユニットが編成。米村姫良々、石栗奏美、窪田七海、斉藤円香が選抜される。2021年3月 ハロプロ研修生ユニットの4名が新グループのメンバーに選ばれ、メンバーを増員して年内結成を目指すことが発表される。6月、新グループのメンバーに中山夏月姫、広本瑠璃、西﨑美空、北原ももが選ばれる。12月、オーディションにより田代すみれ、筒井澪心が選ばれ、メンバー構成が決定。同時にグループ名も発表。2022年7月、1stシングル「恋のクラウチングスタート/お祭りデビューだぜ!」でメジャーデビューを果たす。11月、2ndシングル運命「CHACHACHACHA~N/ウチらの地元は地球じゃん!」をリリース。2023年7月26日、3rdシングル「ちょっと情緒不安定?…夏/オチャノマ マホロバ イコイノバ 〜昭和も令和もワッチャワチャ〜/シェケナーレ/ヨリドリME DREAM」をリリース。8月15日より全国ツアー「Hello! Project 2023 Summer CITY CIRCUIT」を開催。InformationNew Release「ちょっと情緒不安定?…夏/オチャノマ マホロバ イコイノバ 〜昭和も令和もワッチャワチャ〜/シェケナーレ/ヨリドリME DREAM」(収録曲)01.ちょっと情緒不安定?…夏02.オチャノマ マホロバ イコイノバ 〜昭和も令和もワッチャワチャ~03.シェケナーレ04.ヨリドリ ME DREAM05.ちょっと情緒不安定?…夏(Instrumental)06.オチャノマ マホロバ イコイノバ 〜昭和も令和もワッチャワチャ~(Instrumental)07.シェケナーレ(Instrumental)08.ヨリドリ ME DREAM(Instrumental)2023年7月26日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤A)EPCE-7765(CD)¥1,400(税込)[特典]トレーディングカードソロ10種+集合1種よりランダムにて1枚封入(ちょっと情緒不安定?…夏 Ver.)。(通常盤B)EPCE-7766(CD)¥1,400(税込)[特典]トレーディングカードソロ10種+集合1種よりランダムにて1枚封入(オチャノマ マホロバ イコイノバ~昭和も令和もワッチャワチャ~ Ver.)。(通常盤C)EPCE-7767(CD)¥1,400 (税込)[特典]トレーディングカードソロ10種+集合1種よりランダムにて1枚封入(シェケナーレ Ver.)。(通常盤D)EPCE-7768(CD)¥1,400 (税込)[特典]トレーディングカードソロ10種+集合1種よりランダムにて1枚封入(ヨリドリ ME DREAM Ver.)。(初回生産限定盤A)EPCE-7757(CD+BD)¥2,310 (税込)[特典]BD付。(内容)ちょっと情緒不安定?…夏(Music Video)、ちょっと情緒不安定?…夏(Dance Shot Ver.)、ちょっと情緒不安定?…夏(メイキング映像)。(初回生産限定盤B)EPCE-7759(CD+BD)¥2,310(税込)[特典]BD付。(内容)オチャノマ マホロバ イコイノバ 〜昭和も令和もワッチャワチャ~(Music Video)、オチャノマ マホロバ イコイノバ 〜昭和も令和もワッチャワチャ~(Dance Shot Ver.)、オチャノマ マホロバ イコイノバ 〜昭和も令和もワッチャワチャ~(メイキング映像)。(初回生産限定盤C)EPCE-7761(CD+BD)¥2,310 (税込)[特典]BD付。(内容)シェケナーレ(Music Video)、シェケナーレ(Dance Shot Ver.)、シェケナーレ(メイキング映像)。(初回生産限定盤D)EPCE-7763(CD+BD)¥2,310 (税抜価格 ¥2,100)[特典]BD付。(内容)ヨリドリ ME DREAM(Music Video)、ヨリドリ ME DREAM(Dance Shot Ver.)、ヨリドリ ME DREAM(メイキング映像)。写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり
2023年07月25日【音楽通信】第142回目に登場するのは、グループとして主要音楽チャートで1位を獲得し続け、メンバー個人でもドラマや映画で活躍し、飛躍を続けるグローバルボーイズグループ、JO1!一番影響を受けたのはK-POPアーティスト木全翔也(きまたしょうや)。2000年4月5日、愛知県生まれ。A型。身長172cm。【音楽通信】vol.142サバイバルオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN』発のグローバルボーイズグループ、JO1。2020年3月に発売したデビューシングル『PROTOSTAR』以降、これまでに発売した7作のシングルすべてが主要音楽チャートで1位を獲得し、昨年末には「第73回 NHK紅白歌合戦」に初出場を果たすなど、その人気は加速するばかり。グループとしての音楽活動はもちろんのこと、メンバー個人でのドラマや映画の出演など、ジャンルレスで活躍の幅を広げるJO1が、2023年7月24日にニューシングル「NEWSmile」をリリース。今回、メンバーを代表して、木全翔也(きまたしょうや)さんに、お話をうかがいました。――11人のメンバーからなるJO1ですが、そもそも木全さんご自身が影響を受けたアーティストから教えてください。いろいろなアーティストの方の音楽を聴いてきましたが、一番影響を受けたのは、K-POPのアーティストさんたちです。オーディションを受けようと思ったのも、韓国発のサバイバルオーディション番組「PRODUCE 101」の日本版ですし、もともとWanna One(ワナワン)さんなど韓国のボーイズグループのダンスミュージックに魅了されていたことがきっかけでした。――音楽の道を志して、すぐにオーディションを受けたのですか。はい、僕は初めて受けたのがこのオーディションなので、運が良かったです。――JO1が結成され、2020年3月にデビューされて今年は全国アリーナツアーやアジアツアーの開催もするなど、快進撃を遂げていますね。コロナ禍で大変な時期もあったのですが、もうずっと駆け抜けてきている感じがあります。ただ、個人的なところで言うと、4月に23歳になったので、今後は貯金を頑張りたいと思っているんですよね。――貯金するのは堅実で良いことですが、欲しいものを買いたくなることはないんですか?もう欲しいものはだいたい買いました(笑)。だから、今後は貯金がしたいな。新曲は「爽やかなポップナンバーで聴き飽きない」――2023年7月3日から先行配信されていますが、7月24日にシングル「NEWSmile」がリリースされますね。「NEWSmile」は、ハッピーな曲に仕上がっています。まずメンバーで曲選びをするところからは初めて、セルフプロデュースをさせていただきました。――どのような点を意識して、曲を完成させていったのでしょうか。今年の4月から、『めざまし8』さん(フジテレビ系 毎週月〜金曜 午前8時)のテーマ曲として起用していただいているので、朝の番組だということを意識しました。曲を選ぶ段階でどの曲が一番いいかな、合うのかなと、話し合いましたね。曲を決めてから、メンバー5人で詞を作っていって。明るい朝感のある、ハッピーになるイメージで作詞していきました。――番組とマッチしている爽やかな楽曲だと感じました。具体的にどのように作詞されたのですか?書けるだけ書いてきて、と伝えられていました。フルで書いたのは、僕と(河野)純喜くん。他のメンバーもやりたいところを書いてきて、それぞれが歌詞を持ち寄っていい感じに分けてって感じですね。――では、作詞をご担当されたのは、木全さん、河野さん、あとは?あと與那城奨、金城碧海、大平祥生の5人です。――持ち寄ったものをひとつの作品にするのは、難しくなかったですか?みんなの曲のイメージが合っていたので、そんなに大変ではなかったです。ここにあった歌詞を別に移動させる、というようなちょっとした入れ替えだけありました。――木全さんは作詞をされる際、どのように形作っていかれたのですか。僕は、テーマをもとに考えていきました。この曲は3時間ぐらいで歌詞を書いて、その日に終わらせました。でも、本当に歌詞が思い浮かばないときもあって、そんなときは何時間やってもできないです。そういった意味においては、今回タイミングがちょうど良くて、「こんなワードが出てきた!」というように、すぐにフレーズが浮かんできました。――コンディションもばっちりだったんですね。では、完成した楽曲にどんな印象をお持ちになっていますか。先日ミュージックビデオも撮影されたそうですね。すごく爽やかなポップナンバーになっています。何回聴いても、聴き飽きないですね。ミュージックビデオは、大きな施設を貸し切って撮影しました。全体的にポップな世界観に仕上げていて、色合いも爽やかで曲に合っています。――今回、楽曲の新しい楽しみ方の提案ということで、“音楽が聴けるグッズ”が発売される期間限定ショップの展開がありますね?そうなんです。日本では、新曲を発売するというと、CDとして発売することが多いですよね。でももしかしたらいろいろなアーティストさんも、CD以外の形で、曲を出したいと思っている方もいると思うんですが、現状ではあまりそういった発売方法はメジャーではないんですね。それを僕らがこうしてショップを展開させてもらえるのは、すごく貴重だしうれしいことだなと。今回はこのグッズが音楽のCD代わりになります。――グッズから音楽が聴けるというのは具体的にどのように?グッズにQRを付けているので、それを読み取ると、新曲が聴けます。韓国ではけっこうスタンダードな音楽の発売方法なんですよ。いまはサブスクで聴く方も増えていますよね。なので今回は、CDを買うのではなく、音楽も聴けて日常使いができるグッズも手に入るという、サステナブルなものを展開しようとなりました。――日本では面白い試みですね。グッズは、メンバーそれぞれのキャラクターに合ったドアノブカードや、マグカップ、メモ帳、トイレットペーパー、ジャムといった趣向を凝らしたラインナップになっています。どれもおうちに飾るだけでもけっこう映そうなグッズなので、インテリアグッズを買いに来るような感覚で来てもらってもいいのかなと思いますね。――画期的です。そういえば最近、2023年5月に韓国で開催された「第29回 DREAM CONCERT」に、ITZYら19組のK-POPアーティストが一同に会すなか、JO1は唯一の海外アーティストとして出演されましたし、同イベントの日本版が6月にさいたまスーパーアリーナで開催されましたね。釜山は会場が野外で天気も良かったので、遠くのお客さんまで全部見えました。僕らの名前を書いたボードを持ってきてくれている方もいて、うれしかったですね。韓国では、ライブ中のカメラ撮影がOKだったので、みなさんが撮影している様子も全部見えて、レンズに向かってちょっとアクションしたりも楽しかったです。――日本の会場には、MCとしてユク・ソンジェさんや、豪華な参加アーティストが集結しました。僕、ソンジェさんがボーカルのグループBTOB(ビートゥービー)が好きなので、MCでいらしてびっくりしました!日本ではやっとライブで声出しがOKになったので、集まってくださったお客さんも曲に合わせて掛け声をしてくださって、うれしかったです。JO1として「ずっと走り続けていきたい」――お話は変わりますが、木全さんは、多趣味でいらっしゃるんですよね?はい、音楽を聴いたり、作曲をしたり、バイクに乗ったり。いろいろなことに興味がありますね。――では、最近新たにハマったことはありますか?料理ですね。わざわざレシピを見なくても、一度食べたことがある料理だったら「あ、これが入ってるんだな」と、ある程度は感覚的に調味料もわかると言いますか(笑)。――食べただけで、レシピを見ずに自分でも同じ料理が作れるなんて、すごいですね。普段から食べることが好きで、好き嫌いもないから、味を覚えてしまうのかもしれません。――最近作った料理はなんですか?たこ焼きを作りました!高校時代、たこ焼き屋さんでアルバイトをしていたので、作るのは得意なんです。――たこ焼き、いいですね! お友達と一緒に食べたんですか?ひとりです(笑)。自分のたこ焼き器があるので、食べたくなって、作りました(笑)。――いいですね〜。ちなみに今日はお衣装ですが、普段こだわりのファッションなどありますか。こだわりといえば、靴ですね。その日のファッションは、服からではなく、靴から考えてコーディネイトします。今日はこの靴を履きたいから、こんな服を着ようかなって。プライベートでは、今日の衣装ほど派手ではないですが(笑)、こういう感じも好きですね。ひじまであるオレンジ色の長い手袋を持っているんですが、気に入っていて冬には普段、つけるときもありますね。――ステージではダンスパフォーマンスも披露されますが、カラダ作りやコンディションをキープするために心がけていることはありますか。太らないように夜ご飯をちょっと少なくしたりはしますね。あとはプールによく行きます。最近、筋力アップできる負荷のついた水泳グローブを買いました。このグローブをつけて泳ぐと、ものすごく良い筋トレになるので、効率良く水の抵抗を重くして、筋力を上げていますね。――そのグローブをつけて、どのぐらいの距離を泳ぐんですか?25メートルはふつうに泳ぎますね。でも、疲れたな、と感じるぐらいまでいつも泳ぐようにしていて。水の抵抗が強いので、全身運動になっています。――いろいろなお話をありがとうございました。では、今後の抱負といえば?JO1としては、小さくてもいいので、いろいろなところでライブをたくさんやりたいですね。僕個人としては貯金を……(笑)。――最後に、J-POPとK-POPの良さを両方持ちあわせているJO1ですが、木全さんにとってグループはどんな存在でしょうか。これまでもこれからも、JO1は良い意味で突っ走っている存在です。ずっと走り続けていきたいですね。取材後記国内外で活躍の幅を広げている、グローバルボーイズグループのJO1。今回、新曲の作詞をメインで手がけたメンバーの木全翔也さんがananwebにご登場くださいました。ビタミンカラーのお衣装に負けない快活さで、元気に撮影やインタビューにトライ。23歳になり、貯金にご興味があるというお話も印象的でした。木全さんをはじめとして、今後もますます飛躍される姿を見せてくれそうなJO1のニューシングルを、みなさんもぜひチェックしてみてくださいね。写真・園山友基取材、文・かわむらあみりJO1PROFILE©LAPONE Entertainmentサバイバルオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN』で、約3か月にわたる熾烈な競争を繰り広げ、番組視聴者となる“国⺠プロデューサー”累計約6,500万票の投票により選ばれた11人による、グローバルボーイズグループ。2020年3月に発売したデビューシングル『PROTOSTAR』以降、これまでに発売した7作のシングルすべてが主要音楽チャートで1位を獲得。海外では、アジア最大級の音楽授賞式「2022 MAMA AWARDS」にて“Favorite Asian Artist”を日本人アーティストで唯一受賞。さらに「WEIBO Account Festival 2022」にて“優秀男性グループ賞”を受賞。2022年の年末には「第73回 NHK紅白歌合戦」に初出場を果たす。2023年7月24日、ニューシングル『NEWSmile』をリリース。メンバー個人でのドラマや映画の出演など、多方面での活躍を広げるなか、8月からは全国6都市13公演 のアリーナツアー、さらにはアジアツアーの開催が決定している。Information©LAPONE EntertainmentNew Release「NEWSmile」2023年7月24日発売写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり
2023年07月11日